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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社所司一門将棋センター社長の所司和晴様でいらっしゃいます。
まずは、経緯をご紹介させていただきます。
東京都江東区生まれ、1961年に生まれになっていらっしゃいます。
1978年に奨励会5級入会、1985年にプロ棋士4段となられていらっしゃいます。
そして、5段、6段、7段と商談されていらっしゃいまして、お弟子さんに渡辺昭名人がいらっしゃるということで、
著者は決定盤、駒内定石などを90冊以上書いていらっしゃる、ちょっと変わりがありますね。
将棋のプロの棋士の先生でいらっしゃいます。
渡辺昭名人が知らない方もリサの方いらっしゃいますので、ちょっと先にご説明しますと、
有名な先生で、今でいうと藤井壮太なんて大変有名でテレビにバンバン出てまして、
そのお師匠さんがテレビにバンバン出てますが、藤井壮太が出てくる前は渡辺昭でした。
その前は羽生、その前は加藤秀文みたいな感じで、加藤秀文の方が今テレビで出て有名になってしまいましたが、
渡辺昭名人もそれぐらい有名、それのお師匠さんということで、
時が時だったらもしかすると諸志先生がテレビにすごい出てたかもしれないと、そんな感じでございまして、
私はNHK版の早差しの将棋、日曜のお昼ぐらいはほぼ毎週のように見てまして、
なので私が諸志先生を知っている元部下がいまして、
それはいいじゃん、いいじゃんといったものですから、今回のこの配信になっているということでございます。
諸志先生、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ちょっと変わり合いですね、普段の質問と違うかもしれませんが、リスナーの皆さん楽しく聞いていただければと思います。
まず最初のご質問なんですが、ご出身は江東区ということで、江東区のどちらをお生まれですか?
大島です。
なるほど、じゃあ下町というご出身ですね。
そうですね、結構周りにそういう工場が多かったですね、昔。
小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか?
小学校2年の時に今住んでおります千葉県の船橋に引っ越ししてきたんですけれども、
将棋の騎士だとインドアタイプですし、私もそういう面も持っていますけれども、
意外と外で遊ぶことも好きで、インドアとアウトドア、両方というタイプでしょうかね。
なるほど、こんな遊びしたなんて小学校時代の方でございますでしょうか。
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そうですね、例えばカブトムシとかクワガタとか取りに行ったり、
あるいは小さな小川で魚釣りとか、自転車でどこでも行ってた方ですね。
その割には百貨辞典を熱心にずっと読んでばかりいたりとか、インドアの面もあります。
なるほど、割と少年らしい少年でいらっしゃったんですね。
そうでしょうかね、比較的おとなしい方でしょうかね。
なるほど、将棋はいつぐらいからなかったんですか。
えっとですね、覚えたのだけは非常に早くて、おそらく小学校1年だったと思うんですけれども、
百貨辞典で覚えたんです。
ですから指し方だけ覚えてですね、周りに指せる方が全然いなかったんですよね。
みんな子供たちで遊ぶ将棋というのが、ハサミ将棋とか周り将棋でして、
自分だけ本物の将棋知ってるんだっていうような感じだったんですけど、
本当に指す機会がずっと中学の2年生ぐらいまでほとんどなかったですね。
たまに父の友人が遊びに来たときに相手してもらえたぐらいですね。
なるほど、通常ですと私も父に将棋は教えられたんで、
私の父が威護も将棋もやってたもんですから、
渡辺県の名人も諸子先生のブログですか、読ませていただくと、
お父様が強かったということになるんですか。
そうですね、五段で強い方ですね。
そうすると、親に教えられるみたいな方が本当は多いのかなと思うんですが、
珍しいタイプですね、諸子先生は。
そうですね、逆にそれがですね、
自分が小さい頃、将棋の環境に恵まれなかったことで、
自分がたくさん普及活動して、若い人を育てていきたいなというような
思いが強くなったのではと思いますね。
中学も船橋の方でいらっしゃいますでしょうか。
もう小学校2年で越してからは、ずっと船橋ですね、今も。
中学時代はどんなことをして過ごしたのか、お思いでございますでしょうか。
そうですね、運動神経はいい方なんですけれども、
走ったり、あるいは機械体操的なバック転とかバクチューができたりとか、
でも、スポーツの何か部活動、
学校の部には全く入らずで、
そういう点では球技オンチではありましたですね。
でも運動神経が良かったというのと、
学校の成績では美術が好きだったんですね。
普通はプロ騎士は数学が得意なんですけれども、
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自分は平凡、普通ですね。
将棋のプロの先生方でバック転できるのは、
将棋先生ぐらいなんじゃないですか。
かもしれないですね。
昔、私が30前、まだ20代後半ぐらいの頃は、
将棋連盟の野球部にも入っていないんですけれども、
当時は車運転する方が少なくてですね、
合宿の時だけ借り出されて、
一緒に野球楽しんだという時に、
当時は西部の秋山選手がホームに入った時に、
バック転とかバックチューを披露して、
真似たことがあってですね、
それが結構噂になって、
例えば渡辺名人が竜王時代ですかね、
師匠はこういうのができるんだよとかで、
そんな話で盛り上がった時はですね、
渡辺竜王が、ちょうど羽生さんとですね、
お互いが衛星竜王をかけた勝負というのがあったんですけれども、
渡辺名人がもう3連敗もしたので、
もし渡辺名人が、当時渡辺竜王が、
初代の衛星竜王になったらバック転を披露するとか、
もう40何カ部ぐらいのことですかね、
そんな話で周りの、当時のソーシャルネットワーキングですと、
盛り上がったこととかもあったんですけれども、
やっぱり5連敗の方から、絶対危ないのでということで、
衛星竜王になったんですけれども、
止められてしまったということはありましたですね。
先生のお年からすると、ジャニーズ目指して良かったんじゃないかな、
というぐらいの年代だと思うんですが、
そういうのはあまりお考えにならなかったんですかね。
そうですね、もう本当に脚力があったのは、
自転車でどこでも遊びに行ってたからとかですね。
なるほど、ありがとうございます。
中学時代は将棋はどうなさったんですか。
ようやく中学2年の途中で、学校の友達ですね、
同じクラスではないんですけれども、
他のクラスの何人かの方と将棋仲間ができて、
最初は近くの公民館の将棋サークルですかね。
それから初めて将棋道場に行ったのが、
私は中学3年の時ですね、6月ですか。
アマチュアの6級で認定されて、非常に遅いスタートだったですね。
理事さんの姿はお分かりにならないと思いますが、
割と小学生とか中学生でお弟子さんに入られる、
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黒になられる方が非常に多い世界と聞きました。
そうですね、小中学生でアマチュアで4弾とかですね、
あるいはアマチュアの何か大会で活躍して、
本当に全国でも天才少年と呼ばれる子たちが
武道を目指すようなことですね。
割と藤沢もそうでらっしゃいますよね。
もちろん、その中でもズバ抜けてますよね。
その後、高校も船橋の高校でらっしゃいますか。
そうですね、船橋朝日高校という、今ではちょっと合併して、
名前はなくなってしまったんですけれども。
高校時代は将棋はどうなさったんですか。
そうですね、高校時代がすごく熱中しましたですね。
まだ高校入学の時はアマチュア一級だったんですけれども、
そんなことで言えば、
プロ目指す気持ちはもう冒頭なかったと言ってもいいですね。
きっかけはひょんなことで、一応高校2年生の頃はですね、
アマチュアの4弾で、
4弾ぐらいになったんですけれども、
将棋道場の常連のお客さんがですね、
もうすぐ奨励会の試験があって、
君はなかなか才能があるから受けてみないかって言われまして、
私が今おっしゃったように、もっと小さい子たちで、
天才少年と呼ばれる全国でも有名な子たちが受けるところなんですよって、
断っている側から、おじさんが試験料を出してあげるから、
是非ダメ元で挑戦してみなよっていうことで、
普通は師匠がいないといけないんですけれども、
普通はですね、アマチュアで何も実績もなくてですね、
年齢がかなり上になっているものはですね、
入門とかも許されないものなんですけれども、
私の師匠になっていただいた平野裕吉師団は、
もう席主の方の連絡の電話1本でいいですよっていうことで、
試験運良く合格して、
ただ逆に合格してからですね、
17歳で奨励会6級スタートで、
20歳までに初段とかですね、4段も年齢制限がありましたので、
もちろんそれは承知の上ではいましたけれども、
大変な世界に入ったなという思いはありました。
なるほど、割と普通の方々よりはかなり遅いスタートだったということですね。
アマチュアでですね、もうすごく大活躍されて、
私より年齢が上で苦労になった方っていうのは、
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もちろん何人かいるんですけれども、
高校1年生の時で、アマチュアの遊弾者の力がない、
救援者の力でプロになったという方は、
私の年代以降では誰もいないと思います。
ありがとうございます。
ちょっとリスナーさん、奨励会だけご説明をしますと、
いわゆるプロに目指す方々がお弟子さん制度があって、
師匠の下で一緒に住んだりしながら、
奨励会というのに入って、そこで腕を磨いてプロを目指していくというのが奨励会で、
奨励会通らないとほぼプロにならないという世界で、
通常だと小学生とか中学生で奨励会に入られる人がほとんど、
99%ぐらい、それが高校生では後輩になるので、
その後ちゃんとプロになられているので、
もともとやっぱり師匠先生は頭もよろしかったんじゃないですか。
どうなんでしょうかね。
ただ一つ好きなものができるとのめり込む方ですね。
高校は普通に卒業はなさったんですか。
そうですね。
ただちょうど奨励会の同期の年齢的には皆さん後輩って言うんでしょうか。
後輩って言いますか、年齢は下、私が最年長で入りましたので、
もう高校1年生ぐらいの奨励会同期の、
皆さんはもう僕は高校辞めるよとか、
高校行かなかった方も結構いらしてたですね。
そんな中で私の場合はやはり、
せっかく高校2年の後半で入りましたから、
あと1年ちょっとですから、
一応頑張らなければなというところですけど、
頑張れた一つの理由はですね、
当時の担任の先生がですね、すごく正義に理解があって、
今お話しされましたように、
奨励会の世界ってあんまり知られてないんですけれども、
先生の友人が元奨励会の方だったりとかで、
私はどっちかというと大人しいので真面目に見える方なんですけれども、
担任の先生がよく話していただけることに、
学校の勉強はどうでもいいから、
奨励会頑張れよというふうに励ましてもらえたのが、
とても良かったですね。
その方が私が4弾5弾プロでデビューして、
賞金祭に出演したときなどで、
おめでとうって駆けつけてもらえて、
その方が、
君がうちの生徒の中で一番の出世頭だよとかって喜んでくれたのが、
いい思い出ですね。
高校卒業後はプロを目指されて、
賞金しかしない人生みたいな、そんな感じですか。
そうですね。
ただ、
奨励会でもやはり足踏みなどもありましたですね。
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その中で、
私は、
奨励会でもやはり足踏みなどもありましたし、
高校卒業と同時に奨励会初弾になりましたので、
もう当面の年齢制限は心配なくなったんですね。
20歳までに初弾という。
それで少し気が抜けちゃったというんでしょうかね。
1年ぐらい比較的のんびり過ごしてしまって、
いつの間にか同期の、
奨励会仲間や後輩の方たちがどんどんいい成績で、
どんどん追い抜いて、
あるいはすぐにプロの4弾でデビューするような方々が出る中で、
こんなことではいけないというので、
みんな研究会というので勉強していたんですけれども、
当時千葉県の方ではあまりそういうのがなくて、
東京の千田街よりもちょっと反対側になり、
中野の方で研究会がたくさんあるということで、
中野まで定期を買って、
週に半分か半分以上行くような形で、
でも半分ぐらいでもちょっと定期がもったいないので、
空いてる日は千田街の将棋会館で、
プロの公式戦の記録係のアルバイトをしたりで、
本当に朝早くから夜遅くまで、
ほとんど休みなしで頑張っていったということで、
その後なんとかプロ棋士になれたかなという感じですね。
【佐藤】御師匠のご自宅に一緒に住むみたいなことはあられますか?
【藤井】やはり今の時代はそのようなのはほとんどないですね。
いわゆる昔の家でし、
毎週師匠が自宅で教室を開いてましたので、
毎週師匠の教室の手伝いには行ってました。
【佐藤】親御さんはプロ棋士になるというふうにおっしゃったときに、
どんな反応でいらっしゃったんですか?
【藤井】比較的自由にさせてもらって、
自宅で勉強してもらって、
比較的自由にさせてもらった方ですね。
特に反対もせずですけれども、
全面的に応援ということでもなくて、
そーっと見守ってもらえた方でしょうかね。
ただ順調に小級商談とかしていれば喜んでくれてたですね。
【佐藤】母両親はどうしても大学に行けとか、
そういうこともなかったんですね。
【藤井】そうですね。自分自身でも美術なんかが好きな方でしたので、
父は大工だったんですね。
高校2年の夏ぐらい、初出会試験の少し前ぐらいでも、
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材木担いでアドバイトしてたりとかで、
自分は大工の後継か何か美術関係に進むのかななんて、
漠然と特に将来はまだ考えていなかったのが、
急に将棋のプロの世界に入ったというような状態ですね。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはK様、旅館さんのほうです。
小規模な温泉旅館を営んでいるKと申します。
大手のOTA、オンラインコラボレーションエージェントに
掲載しており、コロナが収まっているとにあわせ、
少しずつOTAからの送客数は生まれています。
ただ、OTAの活躍はどこの旅館もやっており、
これからのことを考えると不安が残ります。
このほかではありましたが、
先日自社のホームページのリーダーを行いました。
ただ、現状自社ホームページからの予約は多くありません。
スタッフで今後の営業方針とディスカッションをする予定です。
集客施策等でアドバイスをいただくよう幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。
OTAをご存知の方も多くいらっしゃると思いますので、
リスターの皆さん方の中にも多くいらっしゃると思うので、
ご説明しますと、いわゆるホテル旅館の方々が
いっぱい掲載している、飲食店で言う食べログみたいなの、
グルナビみたいなの、そういうのがいっぱいありますね。
トリバゴとか、ジャランもその一つでしょうかね。
楽天トラベルとか、いっぱいあります。
ものすごいいっぱい。
やっぱり国会の送客が多いわけですね。
このシステムがホテル旅館なんかは、
何でしょう、数秒ごとに需要と供給で値段も変わってきたりするので、
アメリカ側が持ち込まれてそれが普通になってますので、
全部そんなシステムでやってますので、
旅館の方々、ホテルの方々が大変ご苦労されてらっしゃるんじゃないかなと思います。
例えば大手のアパホテルなんかどうやっているかというと、
自社ホームページから作ったほうが安くて、
OTAルートのほうが少し高いみたいな感じですね。
ほんのちょっとの差をつけています。
さらにアパホテルはすごいことに、
OTAの仕組みを作っているので、
需要が多いと値段が上がり、
需要が少ないと値段が下がるなんていうシステムを
自社ホームページで作っているんですね。
ですので、非常にアパホテルがコロナ禍でもうまく儲けたり、
というふうな話がございました。
で、自社ホームページからの予約を取りに行くこともと、
アパホテルまではいかなくとも、
アパホテルに近いぐらいホームページを充実させなきゃいけません。
つまりそれぐらいお金をかけるということですね。
そのホームページのいわゆるSEO対策といいますと、
オウンドメディアとメディアミックスというのをやらないといけない。
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メディアミックスというのはホームページを作り、
その周辺のインスタとか、フェイスブック、ツイッターとか、
場合によってはYouTubeとか、TikTokとか、
そういうのを仕掛けながら、いっぱいホームページに来るように
メディアミックスで仕掛けなきゃいけない。
場合によってはリスティング広告などもやらなきゃいけないし、
フェイスブック広告、インスタ広告なんかもやらなきゃいけない。
こういうのがメディアミックスですね。
オウンドメディアというのは、
一回お客さんに来たお客さんのメールアドレスなり、
LINEなりを取得して、そこに対して定期的に配信をしながら
ホームページに戻ってきてもらおうというのがオウンドメディアですね。
この2つを仕掛けなきゃいけないので、すごく作業的には大変。
今のSO対策だと、例えば旅館業さんですと、
個室温泉みたいな感じで、個室温泉。
公用とかですね。
あと場所ですね。
カナダだったらカナダ、今だとマイゼルだったらマイゼル
みたいな地名でボンと開くと、自社ホームページが一番上に行く
みたいなところまで持ち込まなきゃいけない。
今は2ワード、3ワードでやりますから、
個室にもし温泉があるならそういうことでやるわけですけども、
そうするとそのOTAより上に行かなきゃいけない
ホームページのSO対策をしないと勝てないということになってくるわけですね。
これは結構力のいることですね。
そこにすごく一生懸命力を入れて、
場合によっては人件費もお金もかけてやるのか、
もうOTAでいいじゃんというふうにするのかというのは
非常に迷い事です。
案外このSO対策をやろうと思うとそれなりに費用がかかりますし、
場合によってはコンサルタントを入れないと難しいかもしれませんし、
場合によっては専用の専門職の社員を雇わないといけないかもしれません。
そういうことを考えていくと、どっちがコストが安くなるのか微妙です。
でも力ある宿泊業さん、旅館業さん、ホテル業さんは
実際ホームページから予約が取れるようにしていかないといけないのが
本質的にはそちら側です。
ですので多分飲食業さんも宿泊業さんも皆さん方、
これが悩ましいところなんじゃないかなと思います。
例えば柿小屋千葉とかで1位取ったら飲食業さんは
実際ホームページからガンガン入ってくるんですね。
そうするとグラナビとかレッティとかその辺にお金を払う必要がなくなるわけです。
そういう意味でいくと、もちろんオンラインの大規模エージェントたちに
払わなきゃいけないというのはなんとなくね、
なんでだろうというところもあられると思いますので、
柿小屋千葉で1位になった企業さんは良かった。
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じゃあそれを全てのホテル業さん、飲食業さんがやれるのか。
これはかなり悩ましいですね。
ですのでやるならばもうエース用対価と、
本当にきちんとホームページをずっと作り上げ、
かつホームページが毎日のように動いていて、
いろんなコラムがどんどん毎日のように乗っていって、
そしていわゆるエース用対策がうまくいき、
上位にちゃんと表示される。
上位といってもできれば1位か2位かに表示されるぐらいまで
持ち込まないといけない。
じゃあそこまでどうやってやるかということを
やらなきゃいけないということになってまいります。
ですので非常に悩ましいところですので、
もうちょっと諦めてOTAでいくのか、
それとも自社ホームページを時間はかかると思います。
半年、1年、毎年2年かかって1位が取れるようにしていくのか。
その辺をしっかりやっていかないといけないということになりますので、
ちょっと払わなきゃいけない部分がありますので、
悩ましいのではないかなというふうに思います。
大変難しい問題ですので、
私ども経営者向けネットミラーで日本一の企業ですので、
いわゆるネット200サイトを運営しながら、
月に100本ウェビナーをやっている会社ですので、
ウェブのことももちろん詳しく知っておりますので、
何々とご相談していただければと思います。
また、withwith社長塾というYouTubeでは、
第5回がSNSマーケティングについてのお話ですので、
ちょうど合っている部分もあるのではないかと思いますが、
そちらのほうも無料で見れますので、
withwith社長塾でお探しいただければと思います。
無料で見れると思います。
無料の経営相談ももちろん私ども受けておりますので、
SNSとか自社ホームページとか、
SEO対策でお悩みの方々、もしいらっしゃいましたら、
何々と私、ご相談におりますので、
リースの皆さん方もぜひ無料経営相談を受けていただけたらと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くinwithwithをお聞きくださり、
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功の社長、
成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもwithwithが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、
新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、
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経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に行くinwithではここまで。
また来週。