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2017-05-17 17:40

第19回 三原淳氏(株式会社mammaciao代表取締役)【前編】

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日本トップクラスのコインランドリーフランチャイズビジネスを展開する、株式会社mammaciao代表取締役の三原淳社長にお越しいただきました。

大学卒業後、製薬会社、スーパー、OA販社、印刷会社、輸入商社を経てコインランドリービジネスを始められました。今や急成長を遂げ、社員14名にして一人当たりで売上高1億円を実現する企業ですが、創業当初から順調だったわけではないとのこと。苦境でもあきらめずに事業を成長させ続けた三原社長の信念とは?

経営者に対する、厳しくも愛のあるメッセージは必聴です!


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社長に聞く!in WizBiz
皆様、こんにちは。本日の社長に聞く!in WizBizは、私の大好きな大好きな社長のお一人である三原社長様です。
まずは、経歴をご紹介いたします。
三原社長様は、ファイザー製薬入社後、スーパー、OA販社、印刷会社、乳乳商社を経て、コミュニカルランドビジネスに携われていらっしゃいます。
今現在は、オーナー視点に立った経営を目指し、独立し、有限会社MISを2000人に設立。
同年にmammaciaoのフランチャイズ展開を始められていらっしゃいます。
今現在、トップクラスのコインランドフランチャイズチェーンmammaciaoを展開している社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは最初のご質問ですが、ご出身は東京でいらっしゃるんですか?
そうですね。東京の品川の茨中部の踏切の脇の四畳半人間で生まれたらしいです。
私の住んでいる地域と本当に丸かぶりのところでいらっしゃいますが、小学校、中学校はどんなお子様でいらっしゃったんですか?
私は4歳まで茨中部に住んでいなくて、横浜に越すんですね。
横浜に越して、父がタイル工事の職人でございまして、母は専業主婦で。
体が弱くて、小児全足であんまり小学校1年、2年って学校に行かなかったんですね。
そうですか。
3年生ぐらいからやっとちゃんと小児全足で、小児で治るんですね。3年生で治りまして、ちゃんと学校に行き始めたんですけど、
割と人前でるのが好きだったので、割と学級委員長的な役を3年生、4年生、5年生、6年生がやっていたという感じですね。
優等生でいらっしゃったんですね。
勉強はできないんですけど、人前で喋ったり仕切り屋だったりというのは、ずっとそんな感じの人間でしたね。
今の授業説明会で喋られるのとほぼ一緒でらっしゃいますね。
そうかもしれないですね。
高校、大学は神奈川の方ですか。
そうですね。
高校は県立鶴見高校という高校に行きまして、一応新学校だったんですね。
偏差値60ぐらいだった。当時は60ぐらいだったんですよ。
若干ヤンキーでしてね。ヤンキーなのに新学校にいるという変わった男でございまして、
バレーボール部に1年間だけいまして、身長が高くないので向かないというのが入ってからわかりまして、すぐ辞めましてですね。
それから結構、帰宅部という感じで。
なるほど、そうですね。
ヤンキーで頭いいというのは、なかなか経営者向きだなというのをそこでも感じさせていただきますけれども。
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大学の方は専修大学にお勧めいらっしゃいます。何か大学を選んだ理由というのはあられたんですか。
いやいや、当時バブル絶頂だったので、僕昭和61年入学なんですけど、現役でどうしても大学に行きたかったんですよ。
勉強嫌いだったので、浪人とかしたくなかったので。
片っ端から受けて受かったのがここだったというだけで、あまり考えてなかったんですね。
たまたま経営学部というところに行ったんですけど、会社に経営するようになってから、
あ、経営学部に僕行ってたんだなというね、何の役にも立ってないんですけど、たまたま経営学部に行ったという子でございます。
大学ではどんな学生生活を送られていらっしゃったんですか。
まあひどいもんでしてね、あまり大学に行かずにほとんどアルバイトざんまいみたいな感じですね。
月20万ぐらい稼いでましたからね。
それはすごいですね。どんなアルバイトをしていらっしゃったんですか。
ウェイターですね。ウェイターの派遣って、配膳人紹介所ってホテルの社員だけだと間に合わないから、
そういう紹介する会社さんに私登録してましてね、そこに私登録して、
今日はどこどこホテル、今日はどこどこホテル、結婚式のウェイターさんだったりとか、
あとはレストランのウェイターさんとか、そういうのを派遣されて行ってましたね。
今のお仕事とは全然違うお仕事らしいですね。
全然違いますね。
まあアルバイトですからね。
なるほど。
その後、製薬会社にお勤めらっしゃって、ちょっとこの辺がアレという感じなんですが、
何か製薬会社さんを選んだ理由というのはあられたんですか。
本当にこの辺聞かれると厳しいことばかりなんですけど、
当時本当にどこでも受かったんですよ、バブル絶頂だったんです。
平成2年入社ですよ。
本当にバブル一番絶頂の頃で、はじけるの本当にギリギリ前だったんですけども、
そんな中で外資系の製薬会社というのが実力主義だと。
私はそんなに勉強もできるわけじゃなかったのに、
何か自分に自信過剰な部分があって、人よりいけるんじゃないかみたいなところがあったんですね。
だから外資系の製薬会社に入って、人より先に出世してやろう、
人よりたくさんお金をもらっちゃおうじゃないかみたいな、
そんなことがあって外資系の製薬会社を選ぶんです。
もう一つあったのは、私は英語とかそういうのが若干好きで、そんなに得意じゃないんだけど、
大学生のときにちょっとだけ語学研修をしたことがあるんですね。
英語を活かした仕事をするには、外資系の会社に行ったら英語を使うときがあるんじゃないかと思って、
アメリカに行けるんじゃないかという変な錯覚を持って、
実は逆でして、向こうからいっぱい人が来るけどこっちは行けないみたいな感じで、
全然気づくんですけど、それで外資系の製薬会社に行ったという次第でございますね。
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製薬会社はいかがだったんですか、お勤めになって。
大変でしたよ。要は英語を使うところが営業するところか、
営業というよりは、要はどれだけドクターと仲良くなるか、
どれだけドクターの、ちょっと嫌な言い方ですけど犬になるかみたいな、
シャーペンカチカチって言って芯がなくなると、
はい、買ってきてみたいな、そんな感じでしたので、
本当にどれだけドクターに気に入られる、ドクターの世話を焼いて、
車の鍵パンと渡されて、ちょっとBMT修理してきてとかね、
そういうのをずっとやって仲良くなって、それでやっと薬が出るみたいな、
あと一緒にご飯を食べに行ったり、人によってはゴルフに行ったり、
一緒にスキに行ったりして薬が出るみたいな、そういう仕事をしていたので、
本当に22、23の子がやるには、何かちょっと変わった営業だったなという感じでしたね。
それで本当に営業、営業って営業命の会社だったので、
同僚も、隣に座っている人もライバルみたいな、
新人賞というのがあったので、もう新人全員ライバルみたいな、
同じ新人から電話がかかってきて、三原君今このぐらい売れているけどさ、
当時ネットなんかないんだけど、一応パソコン通信みたいなのがあって、
各施設に1個だけパソコンがあって、何をいくら売っているか分かるのね。
電話がかかってきて、三原君なんかこの薬やけに売れているけど、
どうやって売っているの?みたいな、電話がかかってきて、
こうやってやっているんだよって教えると、そうなんだ、ありがとねって言って、
お前この薬売ってどうやってやっているの?って言うと、
君はライバルだと教えられないよ、チンと電話が切れちゃったりね、
うわあみたいな、そんな本当に大変でした。
そうですか、でも営業成績がいいから理由を聞かれるんで、
その当時からやっぱり営業力があられたんですね。
そうですね、たまたま営業はできていた、なぜ売れているかも分からず、
そんなにプレゼンも上手じゃないし、なぜか売れている人間だったんですけども、
今思うとね、やっぱり僕が嫌がっていたお医者さんの世話薬っていうのが、
非常に気に入られてね、人となりが気に入られて売れていたんだなっていうのは、
今になると思いますよね。
そんなに薬の営業上手じゃなかったし、プレゼンも上手じゃなかったけど、
三原君面白いからじゃあ君から買ってあげるよみたいな、
そういう感じだったというふうに思っていますね。
今の三原社長を私存じていると、やっぱりお人柄というのが本当に滲み出て、
それが営業につながっていらっしゃるという話でいらっしゃいますね。
本当に素晴らしいですね。
その場の10ヶ月で辞めていらっしゃると、これは何か理由があられたんですか?
これはですね、なんかね、先輩も当時僕がやっていた仕事の延長戦場をやっていると、
でも本当に朝は早いし、7時には病院に入っていて、
夜11時まで営業しているのがセブンイレブンですよね。
誰とも口聞かないで一人で営業に行って、
一人で営業所に帰ってきてみたいな、ずっとドクターしか口が聞かない。
今思うと、それもそれで結構楽なんだけど、
なんかね、すごく寂しい気持ちになっちゃって、うつ病になっちゃうんですね。
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うつ病になっちゃって、ある日あるとき会社に行けなくなっちゃって、
自分でアパートで一人暮らして、
アパートの中でポツンと膝小僧を抱えてうつ病になっていまして、
そんなことなんてやめちゃいけないんですよ。
なるほど。その後引きこもっていたんですか。
そうですね。
どのくらいの期間引きこもっていたんですか。
どうでしょうかね。3ヶ月くらいですかね。
なるほど。やめられた後3ヶ月後、スーパーに働きに出られたんですか。
そうなんですね。
それはどうしてスーパーだったんですか。
これもね、全然皆さんのお役に立つような話じゃないんだけど、
うつ病が起きてから、
自分からどこかに勤めようというような時はさらさらないんですよ。
私は一人暮らしをしていたんですけど、
それもアパートに引き払って親と住んでいまして、
当時23歳で。
親が勝手に履歴書を出しちゃうんですね。
一番最初に言ったのがリクルートさんで、
大学に出たばかりだから筆記はできるんですね。
筆記はできるんだけど、
面接でうつ病の患者なのでしゃべれないんですよね。
落ちちゃうリクルートさんは。
その後、とあるスーパーに行くんですけども、
そのスーパーは僕しゃべれないんだけど、
あまりにも人が足りないということで採用になるんですね。
なるほど。
そんな経緯でして。
でも素晴らしい親御さんですね。
どうしても当たり前かすると。
今思うとそうですね。
その後、大駅会社さんとか飯塚会社さんと会われて、
今来の機器の輸入会社さんに就職されちゃいます。
結構変わられてらっしゃるんですが、
その頃の思い出とかはございますか?
スーパーは自分が体を動かしていくうちに
うつ病が治るんですよ。
やっぱり体を動かすとか、汗をかくとか、
たまたま海藻工事の店があるんですけども、
汗をかくとか、日光に当たるとかってうつ病が治るんですね。
それが治ってすごく元気になってきたところで、
元気になっちゃうと、やっぱり英語をやりたいなと思うんですね。
もうちょっと大器用は嫌だなと思って、
わざわざ一番小さめな大駅機販売会社、
かっこよく思えたんですよね。
そういう感じで、
大きな機械で大きな機械を作って、
大きな機械を作って、
大きな機械を作って、
大きな機械を作って、
大きな機械を作って、
かっこよく思えたんですよね。
そういう会社に行って、
大企業にいたんだから、
中小企業は楽勝だろうみたいな感じで、
中小企業に勤めて大駅機販売、
今でいう大塚商会社さんとか、
神奈川理工さんとか、
ああいうののすごいちっちゃい会社に、
十人ぐらいの会社にわざわざ行くんですね。
そこに行っても、やっぱり営業成績まあまあいいんですね。
営業成績いいので、
友達がやっている印刷会社に
一緒に営業やらないかって引き抜かれて、
その一行しているうちに、
そういう感じですよね。
ヘッドハンティングにずっと会い続けている。
そうですね。
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その頃、ご苦労とかそういうのは、
あんまりされていらっしゃらない感じですか?
うーん、
まあまあ、
それを苦労と呼ぶのかどうかわからないですけど、
売れないときとかにやっぱりありますし、
どうやったら売れるのかなっていうのは、
かなりありますよね。
それで途中で結婚したり、
離婚したりもありましたし。
なるほど。
そんなこともありながら、
まあ今思うと、
大した苦労ではなかったなと思います。
経営者やってからの苦労と、
サラリーマンのときの苦労と比べると、
全くレベル感が違いますよね。
そうだね。なるほど。
コインランドの機器の輸入商社さんは、
何年くらい勤められたんですか?
3、4年?
4年くらいかな?
4年くらいと思いますね。
じゃあそこで学ばれたことを、
そのまま独立に使われたという感じですか?
うん。基本的なところだけですね。
本当にどんなことか、
フランチャイズ本部ではないので、
洗濯機を輸入して、
フランチャイズ本部さんに営業してもらうんですよ。
なるほど。
今月はうちの使って、
今月はうちの使ってってお願い営業ですね。
一応コインランド流の洗濯機には、
一応知識はあるというレベルで、
本と独立しちゃったという次第ですね。
なるほど。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
ハイシャさんということで、
G・ハイシャ様。
3年経営をされてらっしゃるそうです。
うちの司会員は都内お室外にあります。
物心をついた頃から、
夢だった司会という職業、
実現のために勉強しつつ、
3年前に開業しました。
素晴らしいですね。
しかし、ここにきて経営の難しさに直面しています。
周囲に競合も増え、
私のクリニックに来てもらったのに
苦戦しているのが現状です。
患者さんを集めるために
広告宣伝書を課題にかけても
効果があるのかないのかわからない。
賭けのような状態です。
経営に関しては甘く考えて開業したことを
認めざるを得ません。
歯が痛くない患者さんにも
依頼にしてもらわないと
儲からないビジネスということを知りました。
何とか1人でも多くの方に
私のクリニックを知ってもらい、
また競合等の差別化を図って
選べるようなクリニックになりたいと思っています。
そして、経営に頭をやらせることなく
診療に専念したいと考えても
何か治療をお借りできないでしょうか。
というご相談でございます。
皆さんご存知でしょうか。
歯医者というのはコンビニより数が多いのです。
この数年歯医者さんは
入れ替わり立ち替わり開業もしますし
廃業もされていらっしゃるという
大変厳しいマーケットだということを
まずはご理解いただきたいなと思います。
そんな歯医者さんの中でも
うまくいっている歯医者さんのいくつかは
一つは強制の歯医者さんです。
歯を強制するというので
多少高いお金が
昔はすごく取れたのですが
少し今は安いですが
それでも強制の歯医者さんで
儲かるというパターンが
一つのパターンでございます。
もう一つのパターンは
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歯医者さんはお医者さんですので
ヒアルロン酸という注射を打つことが
できますものですから
ヒアルロン酸というのは
肌がきれいになりますというか
女性の方々の美容につながるということで
ヒアルロン酸の方に進出するという
歯医者さんも実はいくつも出てきております。
つまり歯医者という
歯の治療と
肌の美容の方と
両方やられるみたいな
歯医者さんが実は出てきております。
そういう差別化を持たないと
やっぱり歯医者さんは
ただ単に虫歯を治すだけでは
なかなか簡単ではないのが
今の現状なんじゃないかなと
もちろん非常に親切だとか
行くと非常に接客がいいとか
そういうこともあるとは思うんですが
それ以上に差別化を持たなきゃいけない
というようなことが
歯医者さんには言えるんじゃないかと思います。
これは今後
お医者さん方は
皆さん方そうなってくるんじゃないかなと思います。
大変人口減少時代ですので
社会保障費は上がっていっている
そして高齢化社会になっている
ということからも
病院経営というのは
皆さん方大変
今後厳しくなってくるのではないか
というふうに言われていますので
差別化用歯医者さん
病院を持つことが
一番重要だということを
大きくはご理解いただければなと思っています。
ちなみにちょっと業態が変わりますが
整体院とかをやっているお客様で
本なんかを出されて
成功していらっしゃる方がいらっしゃいます。
うちのお客様でもいらっしゃいます。
私どものお客様で
目は1分で良くなるという本を出されてから
お客さんはひっきりなしに
来られるようになった方もいらっしゃいます。
そういう意味では
商業出版されるというのもいいのではないかな
というふうに思っております。
コリンランドリーチェーンの
三原社長様のインタビューを
させていただきましたが
三原社長様も本を出されることで
年賞が3億から6億になり
また本を出されるということで
14億になるというようなことが
あられますので
本というのは差別化を助ける
一つのツールになるのではないかと思いますので
その辺もご検討されたら
いいんじゃないかなというふうに思っています。
本日の3分コンサルティング
ここまでありがとうございました。
最後までお聞きいただきまして
誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
また来週お楽しみに。
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