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2017-01-25 17:06

第3回 池本克之氏(株式会社パジャ・ポス 代表取締役)【前編】

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株式会社ドクターシーラボ、株式会社ネットプライスの経営者をつとめ、両社の株式公開に貢献した、池本克之氏のインタビューをお届けします。
池本様は、現在、組織学習経営コンサルタントとして、数多くの企業の業績向上のご支援をなさっておられます。幼い頃から高校時代まで、野球に明け暮れる日々だったという池本様が、経営者として成功を収められるまでのストーリーをお話しいただきました。また、経営者として成功した経験をお持ちだからこそ伝えられる「事業を拡大するコツ」を、惜しみなくお教え下さっています。どこまでも勤勉でストイックなお人柄が溢れるお話を、どうぞお楽しみください!


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社長に聞く!in WizBiz
新谷です。本日の社長に聞くin WizBizは、私の大変尊敬する池本社長様です。池本さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。池本さんは、1965年、神戸市生まれでいらっしゃいます。
外学卒業後、様々なお仕事をご経験された後、株式会社ドクターシラボに移籍をされていらっしゃいます。
その後、代表取締役に就任され、ジャスタック上場まで貢献をされていらっしゃいます。
その後、ドクターシラボを退任され、ネットプライスの主行役員として就任され、そのネットプライスもまずはず上場ということで、経営者としては大変珍しい2度も株式公開上場を経験されているという素晴らしい方でいらっしゃいます。
今現在は、組織学経営コンサルタントとして多くの企業様の業績向上、企業文化の発展をコンサルティングされていらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
まずは、池本さん、僕は知らなかったのですが、神戸市出身で。
そうなんですよ。
子供の頃はどんなことをされたと思いますか。
神戸で生まれて、小学校1年生の1学期しか神戸の小学校に行っていなくて、それからすぐ千葉に引っ越したんですが、
私の父が当時、娯楽といえば野球しかなくて、野球選手になるもんだと僕も思っていましたので、幼少の頃はずっと野球少年でした。
そうでらっしゃるんですが、野球はどこか守っていらっしゃったんですか。
小学校長中はキャッチャーですね。
それは大変びっくりですね。ピッチャーかと思いました。
そうですか。そんなわがままに見えます?
いえいえ。
別にピッチャーの人はわがままじゃないか。
その後、東京に出られていらっしゃって、大学は東京の方を出られていらっしゃるということになられると思うんですけれども。
はい、正確に言うと高校は茨城県なんですよ。
ああ、そうでらっしゃるんですか。
野球は全寮生の厳しい学校でやって、キャッチャーは立ったり座ったりが、下級生は楽させてもらえなくて、足痛いなと思って内野市に抵抗しました。
大学は神奈川県です。
神奈川の方でらっしゃるんですね。
当時は農獣医学部と言っていましたが、今は生物資源科学部という、アグリカルチャーとかバイオとか、
そういうことを勉強する学校で勉強しなかったというパターンですね。
今の池本さんからすると、ちょっと分野的には全然違う。理系になられるんですか。
理系です。僕も行ってびっくりしました。絶対にこれは農作業をすればいい大会系だと思って、高校の先生にそう言われたので、
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それだったら大丈夫ですよと言ったら、完全に理科に決まっているじゃないですか。
完全に理系で、そこそこ勉強では苦労しましたね。
本当は農業系とかそっちに将来は行きたいとか思っていらっしゃったんですか。
衝撃のことを告白していいですか。全然興味がなかったんですよ。
本当ですか。
日大の附属高校で野球ばっかりしていたので、勉強して上野大学に行けるんですけど、
あまりいい学部とか経済学部とか、僕は本当は心理学部に行きたかったんですけど、
全然点数が足らなくて選択肢がなかったんです。
なるほど。そうでらっしゃいますか。
池本さんというと聡明なイメージですので、すごく勉強できたイメージなんですけど、
あまり勉強は大学に入ってからもされなかったんですか。
いや、そんなことはなくて、高校で野球は夏の大会に負けて終わりまして、
大学のセレクションというのがあるわけですね。実技試験みたいな。
恐る多くもそれを受けに行きましたら、全然歯が立たないというか、
他の有名な学校からいっぱい来ているわけですよ。
この人たちと勝負して勝ち抜いてレギュラーを取ってプロ野球選手になれるわけじゃないし、
そもそも体のサイズが全然違うんですよ。
これダメだと思って、もうそのセレクションを受けに行って30分ぐらいで野球は諦めて、
よし、ここから勉強しようと思って、体育会クラスと言ったらいいんでしょうか、
の中で唯一勉強で上に上がれたので、一応クラストップとかになりました。
そうですか。やっぱり聡明でいらっしゃるんですね。
いやいや、高田が学校のレベルが知れていますから。
その後就職をされていらっしゃると思うんですが、どんな企業に入られたんですか。
最初は農学部に出ておいて、金融だったんです。
これがとても良くて、何が良かったかというと、金融知識をその時徹底的に実地で身につけたというんでしょうか。
今でいうノンバンクってやつですね。
当時はバブル期末期に差し掛かっていました。
誰もそうだと思っていませんでしたけど。
会社として関節金融なんでお金を銀行さんから借りてきて、
その借りてきたお金にさらに金流を乗せて、銀行が貸せないちょっと危ない会社とか、
ちょっと審査上問題がある会社に貸し付けると。
そういうことをやっている会社の中で、資金調達の方の担当だったんですね。
いろんな銀行さんに行って、今はなき日本工業銀行の東道理事室とかに25、6歳で入っちゃって、
ものすごい毛足の長い立派な絨毯が敷いてあったりして、
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足もつれてつのみ入れそうになったりして、ガチガチになりながら自分の会社の事業説明をして、
お金を貸してくださいと。
と言っても当時のことなので、会社自体が僕が辞めるときというか会社がバブルでおかしくなったときに、
1兆円近く借入金が1兆円ありましたから、そういう大きい銀行に行ってお金貸してください。
今期の希望額は1,000億円ですとか、1,500億円ですとか、そのお金を借りるための説明をするというような、
当時は本当におかしくなってましたよね、世の中が。
それを25、6歳のぺいぺいが平気でやっておりました。
そうですか。すごい話ですね。
そうなんですよ。ラッキーでそういう場面を経験できて、金融知識、お金を借りるってどういうことかとか、
ベタな話でいうと、手形小切手法は何なんだと、何十億の手形小切手を持って歩いていましたから、
そういうことを勉強できたというのは、その後の人生にすごくいい影響がありましたね。
その後、様々な職業をご経験されてからドクターシラボに入ってらっしゃるんですが、
ドクターシラボに入られた経緯というのは何かあられたんですか。
はい。ドクターシラボに入る前に別の通信販売の化粧品会社に在籍していまして、
一応取締役でやってたんですが、そのときにある友人が連絡してきまして、
実は似たようなことをやっている会社があって、そこの社長さんから頼まれて、
誰か商売をうまくやる方法を教えてくれるような人いないかと頼まれたんだけど、
ちょっとそれを頼めないかなというようなことを言われまして、
どんな会社って聞いてみたら、なるほど同じようなことをやっている会社で、
しかもたまたま場所も近くて歩いていけるようなところで、そうなんだと。
社長さんどんな人って聞いたら、いや、医者なんだよと。
ドクターやっていらっしゃってすごく優秀な方だと。
それはすごいねと。どれくらいの規模だろうと言ったら、
当時私がいた会社の半分くらいだったんですよ。そうなんだと。
じゃあせっかくお医者さんがそんなふうに頭のいい方がやっておられて、
そんな小さいのじゃもったいないから、いいよ教えてあげるよと。
と安受け合いしまして、とことこと会いに行ったのがドクターシーラボのオーナーでした。
じゃあ最初はコンサルティングみたいなのですか。
そうですね。
そういうことで入ることになるわけですよね。
そうですね。コンサルティングで1、2ヶ月やったらあっという間に業績が上がって、
実は社長を探しているからやってくれないかというふうに頼まれて、
お受けすることにして、そこから始まったわけですね。
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そうでらっしゃるんです。
これもまたラッキーで、たまたま人の縁だとか、
オーナーさんのご好意でそういう立場にしていただいたということになります。
そうでらっしゃるんですか。
そのドクターシーラボをその後どんどん大きくされて上場まで持っていかれるわけですが、
どうしてそのドクターシーラボは大きくできたというふうにお考えでいらっしゃいますか。
そうですね。要因としては3つありまして、まず1つ目が商品力だと思います。
聞いていらっしゃる方の中でも男性で化粧品に特に興味がないという方が多いと思います。
なのであまり分からないと思いますが、
ちょっと業界にはありそうでなかった商品をこのオーナーさんが作られていたんですね。
これだったらもっともっと売れるんじゃないかなと思ったのが、
私がお聞きした理由でもあるんですけれども、
その商品力がそもそもあったということが1つ目にあります。
それから2つ目は広告宣伝のやり方が非常に上手だったということがあると思います。
例えば当時は女性誌、女性が読まれるようないろんな雑誌がありますよね。
ああいうところに現役の若い優秀なお医者さんが記事を書くなんていうことはあまりなかったんですね。
インタビューとか。
それを積極的にお引き受けして、その代わり安く広告を出させていただくと、同じ雑誌に。
そうすると前の方から読んでいると、ドクターが出てきていろいろ教えてくれるわけですよ、雑誌の上で。
そう見ているとその後ろに商品の広告が来て、
多分これがこの先生が作っていらっしゃる化粧品なんだろうという連想がすごく湧くというようなことで、
よく広告モデルでビジネスをやられている方はコストパーオーダーとかコストパーアクエジション、CPO、CPAというような言い方をして、
広告費に対してどれぐらい注文を取れたのかとか、どれぐらい集客的なのかというような指標を重要視されると思いますが、
そもそも記事とバーターで安く広告を出させてもらっているので、
あまり広告費をかけていないわけで、通常の広告費じゃなく安くやっていますので、
そこでさらに通常の広告よりもたくさんの反響をいただくので、とても成績がいいというようなことをやったというのが2つ目の部分ですね。
広告宣伝がうまくいったと。
3番目は今度はCRMの部分です。
CRM、一応用語としてはカスタマーリレーションシップマネジメントなので、
お客さんとの関係を築いて、そこから言ってみればリピートでたくさん買っていただこうというような戦略のことを言います。
この辺は私が得意にしていましたので、特に重要に思って私が担当しまして、
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そうやっていい広告で安くたくさんお客さんが入ってくるわけですが、
この人たちに繰り返し買っていただくような仕掛け、
これも先行している大手の化粧品通販会社さんがたくさんありましたから、
僕がドクターシロボを非給与させていただいたときは年商換算で3億円くらいしかなかったので、
4年後に120億円になりましたので、スタートしたときは3億円なんですよ。
でも周りを見渡してみると、先にスタートされている化粧品通販会社さんで大手さんがいらっしゃったわけですよね。
なんとか瞬間製薬所とか、うんけるさんとか、EHCさんとかいらっしゃって、
そういった会社さんのやり方をものすごく細かく研究して、
今だから言えますけども、そういった企業さんの売れている商品を買って、
どんなものが送られてきて、当時はなんとか瞬間さんは電話攻撃をされていた頃なので、
どんな電話がかかってきて、全部録音して分析して、何を言っているんだというのを自社に置き換えて、
それをそっくりそのままやるというようなことをやったりして、
いろいろトライアンド、テストを繰り返しながら最適なCRMを見つけていくというようなことが早く、
チェックを細かく毎日やっていましたので、それがうまくはまってたくさんお客さんが入ってくるし、
その中から買っていただける方がたくさんいらっしゃったというようなことが起きたので、急激に売上が伸びたというようなことになりますね。
お聞きしていると思うと、理路整然としゃべられるのは、さすが池本さんという感じなんですが、
ライバルを真似るというのはやっぱりそんなに重要でらっしゃる?
だと思いますよ。特に業界的に100億、200億、300億の会社がある中で、
たかだか3億の会社なので、うちはこれが得意だと言ったって知れているので、
やっぱりうまくいっている人、先を走っている方を真似させていただくというのは、とても重要な戦略だと思いますけどね。
それはおそらく今日これをお聞きになっていらっしゃるリスナーの皆さんも経営者の方が一番多くいらっしゃると思うんですけども、
その方々にもまずはライバルを研究する、真似るというのは重要だということでいらっしゃいますね。
ぜひお勧めしたいですね。
その後、ネットプライスに移られていらっしゃいました。これは何かきっかけがあられたんですか?
そうですね。ドクターシーラブ退任しまして、実は一時期もうこれでいいやと思っていたんです。
一応マイナーですけど株主だったので、上場すると株を少し売りますよね。
びっくりするようなお金が入ってくるんですよ。自分では当時見たこともないような。
うわーと思って、ちょっと待って、今持っている株全部売ったらいくらになるんだろうと。人間だから計算します。
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そんなとなっちゃうんだと。だったら別にすぐ売らなくてもいいけど、これだけお金があったらもういいんじゃないのと働かなくても。
何か巷ではアーリーリタイヤメントが流行っていたので、そうだこれだと。
俺もそれやろうと思って、何か勝ち組みになったような錯覚をしまして、大間違いですよね。
4ヶ月ほどドクターシーラブを退任してからぶらぶらしていたんですよ。
なるほど。
それなりにお金はあるし、行きたいところ食べたいものがいろいろありましたので、一通りやってみようと思って。
やってたんですけど、当時だからまだ四十そこそこですよ。
考えてみたら、周りの友達とか知り合いはみんな普通に働いているんですよね。
だから平日一緒に遊んでくれる人なんかいないんですよ。
だから土日の待ち遠しいこと、平日は一人遊びですね。
そうこうしているうちに4ヶ月もたつと、あることが起きました。
飽きてきました。
なるほど。
つまんないなと思って。
ちょっと待てよ、こんなアホみたいな生活してても、そんなにどんどんお金を使うわけじゃなかったですけども、
それにしてもあっという間にこんなお金がなくなっちゃうし、せっかく運良くこんな立場になれたのに、
このまま消費して終わるって馬鹿みたいだから、
ちゃんともう一回お金一旦忘れて、地位も名誉も全部忘れて、
もう一回一からちゃんと働こうと思ったんです。
真面目でしょ。
真面目でいらっしゃいますね。
最後までお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでとなります。
また来週お楽しみに。
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