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2025-02-21 26:59

【咆哮②NO.035】教室の亡命者~"みんな"という嘘と"ひとり"という真実~

【おしながき】

🌟そもそも個人主義・集団主義ってなに?✨
🧩個人主義、集団主義クイズ🧐
⚖️集団主義の中に異端分子(個人主義)が露見した場合🔍
🌈集団主義も大切で素晴らしいけれど、個も尊重されるべき🌼
🎭東風亭が"意図せず"異端分子となった文化祭の夜🌙
🚀1年12組にて教室の亡命者爆誕🎉
🔎教室に隠された"みんな"という嘘と"ひとり"という真実🔓

サマリー

このエピソードでは、個人主義と集団主義について考察がなされており、特に日本人の集団主義の傾向と、それに伴う隠れた個人主義が取り上げられています。集団の調和を重視する文化が個人の声を埋もれさせる危険性についても提起されています。また、集団主義と個人主義の対立が教育現場での人間関係に焦点を当て、個人の尊厳が集団によってどのように影響を受けるかが探求されています。具体的には、文化祭の経験を通じて、集団の中での孤立やアイデンティティの喪失について語られています。個人主義の中で自分を保つ難しさについて考察され、家族や社会との関係が自己に与える影響が議論されています。また、夏目漱石の思想を通じて、現代にも通じる問題が浮き彫りにされています。

個人主義と集団主義の考察
これが今日のハイライトだ。よく聴け。それを考えることが倫理や哲学というものなんです。
吠えラジー
東風亭ウルフの吠えラジー
理不尽な社会にもんやり、こんなんおかしいやろ、と思うのは私だけ?
そんなストレス社会を生き抜くあなたのために、愛と勇気のエールをお届けする
知った激励考察トークプログラム
アラサーゲイの吠えたいラジオ
社会の闇を、吠えパンに代わって押し置くよ
ハオー
本日のテーマはこちら
教室の亡命者ス
みんなという嘘と一人という真実
皆さん、個人主義とか集団主義って考えたことありますでしょうか?
前回の方向2、ナンバー034
脱ネガティブ
合言葉はでも
の後半で、僕は割と個人主義的な生き方を選んでいるというふうにお話をしたんですけれども
この個人主義とか集団主義って
皆さん考えたことございますでしょうか?
もしかしたら、前回の吠えラジオを聞いてくださって
初めてこの個人主義とか集団主義っていう言葉を聞いたよっていう人もいらっしゃるかもしれませんね
なので簡単にこの個人主義、集団主義というものを説明いたしますと
個人主義というのは文字の読んでその通り
個人の自由、独立を尊重する立場のことを言います
これと相反するのが集団主義というものですね
個人の意思とかよりも
みんなと一緒であるということを第一に考える
これが集団主義でございます
僕自身は個人主義的な考え方、思想を持っているので
相反する集団主義的な考え方が悪いとかそういうことではないんですけれど
集団主義的な社会に属していると
なんか居心地が悪いなみたいなふうに感じたりするんですね
集団主義っていうのはそれはそれで協調性があったりして
とっても素敵なことでございますし
みんなが仲良くってみんなハッピーみたいな
これは言うたら
方向2 No.030
トロッコ問題が問う現代の価値観でもチラッとお話をしているんですけれども
隠れ個人主義の実態
ジェレミーが唱えた最大多数の最大幸福に通ずるところもあるんです
というふうに個人的には考えています
集団主義の場合は一人一人子の幸せというよりも
全員がまんべんなく同じくらいに幸せを目指しましょうみたいな感じなんですね
それはそれでとても素敵なことだと思うんですよ
でもそこに僕は少し違和感を感じてしまうんですね
どういうことかと言いますと意味もなく仲が良くって
大して面白くもないつまんないことでギャーとか騒いで
みんなが同じノリで私たち最高だよね
私たち友達だよねみたいな確かめ合う感じ
わかりますでしょうか
こんなこと言うたらすごく棘があるんですけど
ポッドキャスト界隈においてもこれあると思うんですよ
リスナーさんと配信者の関係でもこういった関係性って
僕ちょっと見えると思ってるんですよ
番組によりますよ
どの番組とは言わないですけど
絶対口が避けても言わないですけど
一石投じるのであれば
ポッドキャスト界隈においても僕この構図って成り立ってると思うんです
集団主義的に別に大して面白い話もしてないのになって思うんですけど
でも私たちリスナーと配信者で仲良いですよねみたいな
やってる人たち
あとは配信者同士で仲良いですよねってやってる人たち
いるなって思うんですね正直ね
どことは言いません
どことは言わないし言えないですけど思います
そのね確かめ合う感じがなんか違和感というか
ちょっとした気持ち悪さを僕は感じるんです
そこには馴染んでいけないんです僕は
超平たく言うとちょっとしたへそ曲がりみたいな感じなんかもしれませんね
僕の方が多分それって異端なのかなっていうふうに思うんですよ
でもさポッドキャストで例えたらあんま良くないんですけど
クラスとか学校のクラスとか会社の同じチームとかで考えていただくと
より分かりやすいと思うんですけど
ほんまにそれみんなおもろいって思ってるみたいな
ほんまにみんながみんな同じぐらい仲良し
私たち仲良しだよねと思ってるみたいな
じゃあ何で時々確かめ合ってんのっていうふうに僕は考えちゃうんですよ
思っちゃうんですよ
もしかしたら中には今この話を聞いて
もうすでに私も分かるって思ってる人いるかもしれませんよね
同じように個人主義の方でそういうふうに思うの
めっちゃ分かると思ってくれてる人いるかもしれませんよね
そういうふうに思う僕や今分かるって思ってるあなたが
個人主義の人よりも集団主義の人が多い社会に放り込まれた場合
一体どうなるのかと言いますと
大体僕これ二パターンあると思ってるんですけれど
自らその後の状況が悪化するであろうということが分かっていながらも
あえて孤立すること自分は一人でいます
個人主義を貫きますっていう人もいらっしゃいますしですね
僕のようにせせこましく隠れ個人主義として
表面上は集団主義みたいな顔をしながら生きていく人たちっていうのもいらっしゃるんですよ
ここまででなんとなく集団主義と個人主義について理解はしていただけたと思います
こうやって全員が集団主義であった場合
集団主義の危険性
あるいは隠れ個人主義の人間が集まって
表面上は全員が集団主義的に見えた場合
マジで最大多数の最大幸福が達成されちゃったりすることがあるんですけど
でも、でもですよ
あくまでその最大多数の最大幸福っていうのは
表面上での出来事でしかないんですよね
僕みたいな隠れ個人主義の人間は
この表面上の最大多数の最大幸福に疑問を抱いてるんです
ちょっと居心地悪いなーって感じてるんですよ
しんどいなーと思ってるんですよ
集団主義的な人たちはそんなこともつゆ知らず
私たち最高だよね
このチーム最高だよね
ずっとやってるんですよ
ここまでお話をしてきました
熱を持って解説してきました
そんでもって僕が個人主義っていうこともあって
僕の目に映る集団主義ってこんな感じっていうのは
ちょっと寝かけは見たくなってしまっているんですけれども
あくまでもそれは僕の目から見た集団主義でしかないので
個人の感想でございます
集団主義は集団主義で結束力も硬いし
自分の仲間外れやいじめもない
ある意味最高の状態とも言えるでしょう
お前が集団主義のこと好きじゃないだけやろって言われたら
もうその通りです
さようでございます
なのでフラットに考えてください
いいですか
フラットに考えてくださいよ
ではここで皆さんに2つ質問をしたいと思います
1つ目の質問です
日本人は集団主義的な人が多い民族だと思いますか
それとも個人主義的な人が多い民族だと思いますか
良いですか
では次にあなた自身は集団主義的な人間だと思いますか
個人主義的な人間だと思いますか
いかがでしょうか
僕個人の回答としては
1つ目の質問については
日本人は集団主義的な民族だというふうに思っております
和をもってたっとしとなす
調和や協調性というのを
最も大切にしている民族だというふうに思っています
2問目については個人主義的だと僕は思っています
制服とかツレションとか
マジで意味わからんと思ってるし
社会に出てからも飲み会とかさ
集団で何かするのか
マジでくだらねえというふうに本気で思ってタイプです
でですよ
この問いなんですけれども
実は1つ目の質問については
男女未婚年齢関係なく
ほぼ9割の人が
日本人は集団主義だと回答してるんですね
僕と同じです
考え方としては僕と同じ
みんな集団主義やろうというふうに思ってるわけですよ
しかしですよ
しかしこの質問に2つ目の質問については
5割の人が半分の人が自分は個人主義的であるというふうに回答してるんですよ
これ結構意外じゃないでしょうか
要は隠れ個人主義って
僕やあなただけじゃないんですよ
案外半分くらいの人が
集団主義について疑問を抱いていて
実は個人を尊重してほしいというふうに思ってるんですよ
これ意外とみんな知らんでしょう
僕知らなかったです
こういう倫理観とかについて話し合う機会がなければ
他の人がどう思ってるかとかなんて
意外とわからへんもんやと思うんです
多分やねんけど
以前まで僕がお勤めしてきた会社でも
僕が個人主義的な生き方を望んでるんです
みんなびっくりしはると思うんですよね
飲み会とか呼ばれたら必ず参加しとったし
ってことは同じように毎回飲み会参加してるような人の中にも
ぶっちゃけめんどくせーと
一人で冒頭してたいのになーって思ってる人が
半分くらいおったはずなんですよね
さてこれで意外と個人主義的な人たちが多いというのは
皆さんにも伝わったかなというふうに思うんですけれども
先ほどからお話ししていますように
一見個人主義の人たちって少ないというふうに
自分の周りにも少ない
日本じゃ少ないというふうにみんなが思ってるんです
そんな社会生活を営んでいる集団主義の人たちの中で
一人隠れ個人主義の人が
私やーめた!
集団主義ブルーのやーめた!って言い出した場合
どうなるか皆さんイメージできるでしょうか
この新たに現れた異端分子を
集団主義の人たち全員で
徹底的に排除しようとするんですね
これが集団主義の怖いところなんですよ
え?こんなんおかしいやろ
って思ってる個人の声は
集団の中で埋もれていって
その存在自体が消えてしまうんですね
するとついに集団主義の人たちは
どんどんどんどん気が大きくなり始めて
個人では到底できないような
むごいことが集団ではできるようになったりしてしまうんです
これはあれですね
ナンバー030方向2ナンバー030の
トロッコ問題でお話しした
集団主義と全体主義の違い
オメラスの人々にも通ずるところがあると思うんですよね
集団の前に個人の意思や権利や尊厳を
牽制するようになってしまったら
それはもはや集団主義というものではなく
全体主義という名の化け物に変わるんですよ
新しいキーワードが出てきたんで
これも簡単に説明をいたしますと
民主主義というのは皆さんご存知ですよね
政治とか物事を皆さんで話し合って
決めましょうとするのが民主主義
これと相反するのが独裁主義
一人の人が意思や権力尊厳といった
強大な力を手に入れて
一人で物事を決めることを言います
この独裁主義の複数人バージョンとでも
考えてもらえたらいいと思います
全体主義というのはこの独裁主義を
一人の人が行うのではなくて
複数人で行うというもの
文化祭の経験
あなたも使ったことあるのではないでしょうか
あなたが言い訳をするときに
私だけじゃないし
みんなもやってるし
っていう言い訳
子供の時とかに特に使ったことあるんじゃないでしょうか
僕はあります
みんなやってるから僕も悪いことと
分かってたけどやっちゃった
これですね
個人的にはダメって分かってるんですけど
みんなやってるし大丈夫やろう
っていう個人の意思が少しずつ少しずつ薄れて
結局自分だけじゃないしという風に気が大きくなって
徐々に徐々に
罪の意識も薄れていってしまうんです
そうやっていじめとか
エスカレートしていくんですね
いじめに発展しない結束力であれば
もう大いに結構なんです
そんなものはもう大いに結構素晴らしいと思います
集団でしか成し遂げられないことも非常に多いです
例えば学校で言うと文化祭とか体育祭なんかが
それに挙げられますよね
社会で生活していく上では
この集団主義に紛れる
ある程度こう打ち消して協調性を保つというのも
とても大切なことなんです
ただそれはあくまでも
自分が許容できる範囲のみでの
需要でなければいけないんですよ
なのでこの集団主義というのは
どうもいじめとかに発展していきやすいんですよ
またこいつは過去の自分の暗黒史を持ってきよって
と思われるのは嫌やったんで
台本を準備しながら
自分の経験を例に出すかどうかっていうのは
ずっと迷ってたんですけど
とはいえね僕の経験
人生経験の中で
この上なく分かりやすい例え話があるので
ちょっとだけ自分語りにお付き合いください
僕高校1年生の時
文化祭が終わってから学年が上がるまでの
半年足らずの間
クラスで思いっきりハブられたんですよ
僕が高校1年の時のクラスっていうのは
男子が15人のクラスで
ちょうど半分ずつぐらい男子のグループが
分かれてたんですね
元々は僕もご多分に漏れることなくですね
片方のグループに属してたんですよ
秋になって高校1年生で
初めての文化祭がやってきたんです
夏前ぐらいからたぶん準備してたんやと思うんですけど
僕らのクラスは
クラスの出し物としてダンスをすることになったんですね
ダンス経験のある子を中心に
何グループかに分かれて練習してたんですよ
僕が高校生の頃って
第三次パラパラブームが来た世代なんです
なので僕も当時教室でよくパラパラ踊ってたんですよ
これもある意味黒歴史なんですけど
よくパラパラやってました
実家にパラパラのDVDとかちょこちょこあります
元々女子のダンスの出し物が3つ
男子のダンスのグループが1つ
踊らない子たちは全員裏方っていう感じであったんですけど
僕がパラパラをやってるのを見てたら
踊らない役割の子たちが自然とパラパラを覚えたらしくて
どうせなら全員でパラパラをやろうぜとなったわけですよ
そうやって徐々にクラスが1つにまとまっていったわけです
この文化祭という行事を通して
クラスが1つにまとまっていったわけですよ
こうやって集団主義が僕のクラスでは出来上がっていったわけです
みんなで協力して文化祭を楽しもう成功させよう
個人主義の重要性
つってその目標に向かって進んでいったわけです
ほんで文化祭も無事に終わって
その日の夜打ち上げがあったわけですよ
あったんですけど
僕高校までの通学がものすごく遠かったのと
文芸もあったので打ち上げの途中で
僕は1人で帰らなあかんくなったんですよね
これがいわゆる集団主義の中における
異端分子だったわけですよ
多分ですよ
多分中には
は?帰んの?打ち上げやってんのにお前帰んの?
って思ってる子が何人かおったはずなんですよ
その翌日からですね
1つにまとまったクラスの中で僕の居場所というのは無くなったんですね
1人でお昼食べるのが嫌で便所飯も経験しましたし
結構つらい時期だったんですけど
でもね全員が全員はぶってたわけではないんですよ
決してクラスの全員からはぶられてたわけではないんですよ
グループワークとかペアでなんかしなきゃいけない時とかは
僕は必ずあぶれてですね
先生と一緒にペアを組んだりとか
そういうちょっとつらいかわいそうな子をやってたんですけど
でも帰りの通学電車とか通学路では
普通に話してくれる子もおりましたし
みんなの目がないところでは普通に接してくれる子たちっていうのが
2,3人だったんですけどいたんですよ
その子たちはおそらく個人では僕のことが嫌いではなかったり
はぶってる状況をおかしいなという風に思ってる子たち
やったんちゃうかなという風に今とはあっては思うんですね
でも集団主義を目の前に
彼ら子の意思や権利尊厳というのは
もう消えかかってるんですよね
というよりも既に僕が子を優先したがために
はぶられてるのを見ているので
彼らにみんなの前で僕と仲良くしてくれ
僕を一人に先取ってくれという風には
僕も思わなかったですし
そりゃそうだよねって
裏で仲良くしてくれるんやったら
表でも仲良くしてくれという風には思わなくて
そりゃそうだよねという風に僕は思ってました
だからそれでも集団主義の目のないところで
普通に接してくれる子たちが
2,3人とはいえおるというのは
とても僕は救われてました
彼らのことをずるいとか卑怯という人たちが
いるのもわかるんですけど
言うたら僕にもいい顔をしてて
でも集団主義の方にもいい顔をしてるわけですから
ずるいし卑怯やとは思いますけど
でも実際問題そんなに簡単に
解ききられへんもんやろという風に僕は思うんですよ
僕が個人主義的な生き方を選んでるのは
そういう無礼を成して行動するっていうのが
疲れちゃうんですね
決してそれが楽しいという風には思えないんですよね
高校1年生の当時の僕は
この教室におるメンバー
この教室の中で起きていることだけに限定して言うと
一番辛い思いをしているのは間違いなく
自分やという風に思っておりました
傲慢ですねそれはね
別に悲劇のヒロインぶりたいわけではないけれども
こんなみじめな思いをして
こんな嫌な思いをしているのは
自分だけやという風に思ってました
でもね大人になって個人主義だとか
集団主義だとか哲学だとか倫理だとか
あの頃よりも少しだけ知識を身につけた
今ならわかるんです
多分声をかけてくれた子たちは
僕と同じくらいにしんどかったんやろうな
という風に思うんですよ
当時の僕は自分のことで手一杯やったから
自分が一番辛い
自分が一番不幸という風に思ってたから
周りに気をかけるような余裕なんて全くなかったんやけど
でも通学路でこっそり声をかけてくれて
僕の話を聞いて一緒に笑いあってくれた子たちっていうのは
本間は僕のことも気にかけてくれてたんやろうな
っていう風に今となっては思うんです
グループワークやペアワークで先生と組んでる時とかも
昼休みになったらカバンを持って教室から出ていく
僕の姿を見るのももしかしたら心配して
見守っててくれたかもしれへんし
しんどいなっていう風に思ってたかもしれへん
多分僕以外の誰かが
その異端分子を担ってた場合
やっぱりね僕も
みんなの前で異端分子と手をつなぐっていうことは
できへんかったやろって思うんです
でもきっと一人ぼっちになろうとしている
その異端分子のことは常に気にかかってたと思うんですよ
こんなんおかしいやろって言いたいくせに
言えずに悩んでたと思うんですよ
どんな主義どんな主張があったっていいんです
その主義主張が目指すところっていうのは
行き着くところは幸福なんです
どうすれば自分が
そして自分の周りや大切な人たちが
幸せになれるのか
それを考えることが倫理や哲学というものなんです
というわけで
本日のホエラジはいかがだったでしょうか
お楽しみいただけましたでしょうか
今回は台本をびっしり書いております
前回のホエラジで合同会社ホエシカ
アテクシの屍を超えてって部部長の住根小田ポイズンレディが
後半なんかめっちゃしみるわっていうラインをくれたんですよ
個人主義とか集団主義の話で刺さるわって言ってくれたんですよ
そのラインをくれた瞬間に正直僕は
そこなんそうなんって思ったんですけど
刺さるわって言われて2,3秒経った時に
ハッと気づいたんですよね
狭い視野でお話ししちゃってるわって思ったんですよ
世間一般の言う大人や
一人前になればなるほど
個人主義と自己の探求
実際難しい問題になっちゃうかなこれ
って思ったんですよ
住根小中のようにですね家族やお子がおったりすると
自分の好き嫌いだけでの人付き合いって
できなくなるはずなんですよきっと
家族を養うために嫌いな人間に
頭を下げなきゃいけない瞬間も絶対あるし
嫌な飲み会に行かなあかんこともあるし
子供を守るために別に好きでもないままの
ともとくだらない噂話に花を咲かせなきゃいけない
瞬間だって絶対あるんですよ
そうやって少しずつ少しずつ子というものが
失われていくんですよ
守るべきもののために自分というもの
子が失われていく人たちもいるんかもしれへんな
この辺芸だけでつるんでたりすると
わからなくなっていく感覚やと思うんですね
僕も個人主義とはいえ
一人でずっと閉じこもってると
こういうところって気づかなくなっていっちゃうんやと思うんですよね
だから農家の人たち農家の友人
っていうのは僕にとっては結構
いろいろ刺激をもらうというか
とても大切な存在なんですね
ゲイで子供もいなければ守る家族というのも
大してありませんから家庭なんかも持ってませんから
変な話自分のいい食住にさえ困らなければ
どうとでもなるんですよ
こんな言い方すごく嫌なんですけど
ものすごく身軽なんですよ
他のゲイの方にも失礼にあたるからこんな言い方
ほんまはすごく嫌いで嫌なんですけど
めちゃくちゃ身軽なんです
僕こそ会社組織なんてクソくらいじゃ
って起業することできてるし
必要以上の友人関係をセーブして他人からしてみれば
どうでもいい哲学だとか倫理なんかに時間を割いたり
ゲームに没頭したりする時間が取れてるわけですよね
夏目漱石は個人主義ということは
人と違うことを受け入れて自由を手にする反面
一人ぼっちの寂しさを受け入れなければいけないという風に
お話をされてるんですけれども
僕はあんまりこの寂しさを感じるということもないんですよ
それ自体は漱石と
僕が生きている時間の違いというのもあるのかもしれません
寂しいと感じる暇がない
もしも今回僕の話を聞いて
個人主義のことについてもっと知りたいとか
もっと考えたいと思った方
もしそんな気運な方がいらっしゃいましたら
夏目漱石の私の個人主義という5本を
お読みになってもいいかもしれませんね
これは文豪夏目漱石が書いた小説ではなく
学習院大学での講演録なので
漱石の考え方、生き方そのものを
垣間見ることができます
僕からすればというよりももっと言うと
現代人からすれば至極当たり前のような内容ばかりかもしれませんけれども
これの恐ろしいところは
大正初期にされている講演というところですね
今から110年以上も前にお話をされている内容となります
なんですけれども
現代への影響
現代にも通ずる問題を論じてくれています
漱石の話の持っていき方とかもすごく面白いので
配信者さんとかは特に読んでみる価値あるんちゃうかな
というふうに思います
最後までお聞きくださり
またホエラジオを通して私と出会ってくださり
ありがとうございます
お聞きのポッドキャストアプリで
番組のフォロー・レビュー評価・欲しい評価を
ぜひお願いいたします
フォローをしていただければ
ホエパの皆さんには最新話が更新されたときに通知がいきますし
皆さんのフォローやレビューをきっかけに
未来のホエパがホエラジオを聞きに来るという可能性が上がります
ホエパの仲間が増えると
それだけ活性化にもつながりますし
何より東風邸がとても嬉しいという
ハッピーの輪がバシバシ広がっていきますので
ぜひフォロー・欲しい評価・レビュー評価を
お願いいたします
番組の感想は各種SNSで
ハッシュタグホエラジ
ホエラジはすべてひらがなで
ホエラジとつぶやいていただけると
東風邸からの熱いコメントをお返ししにうかがいます
最後に東風邸に吠えてもらいたいこと
褒めてもらいたいこと
ホエパのみんなに聞いてもらいたいこと
聞いてみたいことなどなど何でもかまいませんので
何かございましたら番組概要欄にございます
各種SNSのDM
あるいはお便りフォームからどしどしご連絡ください
それでは本日のお相手は
あなたの
あなたの
あ、間違えた
あなただけのゲートも東風邸ウルフでした
さいちゃーん
26:59

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