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2025-05-08 42:15

085 - 上裸ラン社会学講座: ルッキズムと同調圧力

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※2025/05/18、リマスター版をこちらに統合しました。

最近読んだ本や、大迫選手のインスタからちょっと話題になった上裸ランについて喋りました。

韓国のフェミニズム書籍を2冊読み、フィクションと現実が交差する中で、どんな違和感が私たちを縛っているのか、という話に触れました。

そこから大迫選手の上裸ランの話を皮切りに、他人の反応パターン、自分の経験、ルッキズムやジェンダー、同調圧力などなど、いろいろ喋りました。上裸で走ることをめぐる自由と価値観、そして「どう反応するか」が実は社会の縮図だったりもするよね、という話です。ド暇なときにでも。

**NEW!! ⁠⁠コメント、リクエストはこちらへ!!⁠⁠**

**Tシャツのプリント依頼は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠のフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠へ**

話題に出した本⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、ランニングの経験を通じて上裸でのランニングやその影響が語られ、特にルッキズムと同調圧力の問題が取り上げられています。また、リスナーからの反応や意見が紹介され、コミュニケーションの大切さが強調されています。ルッキズムや同調圧力について考察され、特に女性の社会的立場や韓国のジェンダー問題に焦点が当てられています。具体的には、フェミニズムや性差別の現状、女性が直面する課題についての事例が挙げられ、男性としての責任や意識の重要性が語られています。上裸でのランニングに対する社会的な反応や、ルッキズム、同調圧力に関する考察が展開され、男性の上半身裸に対する視線や評価が性別による構造的な不平等と関連していることが強調されています。本エピソードでは、ルッキズムと同調圧力について深く考察され、特に日本における肌を見せることの文化的な違和感やプレッシャーに焦点が当てられています。また、上裸での自由がどのように社会的に受け入れられているか、そしてその背後にある男女間の不均衡についても語られています。このエピソードでは、上裸でのランニングを通じて、ルッキズムや同調圧力がどのように社会に反映されるかについて考察されています。

ランニングの楽しさ
はい、みなさん、こんにちは。無題のなんちゃらキャストのキョウヘイです。
このポッドキャストは、私、キョウヘイが、あることないこと、知ったかぶって、そこら中で、適当に聞きかじってきたことを、あたかも自分の意見かのごとく、適当に30分、今日、しゃべり倒す、そのような番組になっております。
ハッシュタグがあります。ハッシュタグは、なんキャストですね。なんは、ひらがな。キャストは、カタカナとなっております。
これで、ツイッターに書いてくれると、全部読んでますので、よろしくお願いします。
それと、あとですね、最近、お便りフォームなんてものも作りましたので、スポティファイなどの、各エピソードの説明のところにリンク貼ってありますので、そこから何か意見とかあれば、ぜひ送ってください。
そこにね、Tシャツなどのプリント依頼フォームなんてものもありますので、たまに話題に出すシルクスクリーンとかもね、みんなから依頼を受けてやってますので、そちらも見てみていただければなと思います。
今回は何回目でしょうか。はい、85回目ですね。なんとなく5の倍数だから、キリがいいような気がしますが、そんな感じですね。
前回は何の話をしましたか。前回は何だっけ。あまり取り留めのない話をしたような気がするな。
プレゼントの話とか、韓国ドラマの話をいくつかしたのと、あと骨骨病になった話か、そんな感じか。
プレゼントのスカルネックゲイターは8つ。昨日発送しましたので、多分明日、明後日、今日、明日、明後日ぐらいには届くんじゃないかなと思います。
普通郵便です。紛失してたら私のせいではございませんが、定期が郵便で適当にピュンと出したので、受け取った人は受け取らずラッキーみたいなことを教えてもらえますとありがたいです。
それがね、嬉しいですってことですか。
で、あとは何を喋ってるんだっけ。ランニングしてますか?京平さんのコーナー。
いや、今適当に考えました。ランニングは割としてますね。今週は頑張ってます。
今週火曜日にトラック朝行きましたし、雨降ってたのにね。えらいよ。自己固定が上がりまくりだよ。
そんで、また4ペイ。4ペイというのは勝手に言ってるんですけれども、1キロを4分で走るペースのことでございます。
4ペイでトラックをとりあえず5000m、12.5周、400mトラックなんでね。
12.5周できるっていうのが、なんとなく俺のパフォーマンスの最低限の基準なんですけど、今それよりも下にいるので、
今回は何周やったんだっけ?8周か9周できたのかな?もうちょい12.5周やりたいんでね。
まあ心配が弱いですね。足はスピード上は出るっちゃ出るんですけど、やっぱりなんか調子が良かったときは結構もう10周ぐらいまで鼻呼吸で行けたりするんですけど、
今回は3周までしか鼻呼吸で行けなくて、もうファンスの吸入量が足りないんですよね。だから口開けて走らないとダメになっちゃったんですけど、
まあ地道に続けていれば、5月中には4ペイ5000できるくらいまで戻るんじゃないのかな?どういう仕組みか俺にはわからないんですけどね。
人体というのは面白いもんですね。
それと、あとはここをどけそうと、
それとやっぱりジョグだよね。ジョグを強い強い忘れちゃうし、いやーさてトラック行くからとかっていう謎の理屈でジョグをさぼりがちなんで、
まあなんとか1時間ぐらいジョグってっていうのをやりつつあるんですけど、まあね走るの楽しいからね、なんだかんだ言ってね。
まあだからいい感じじゃないですかね。
で、まあ暖かくなってきたんでね。ジョーラーで走ったりなんかしてね。
そうそうジョーラーって言えばちょっと今日走ろう話そうとしてることがそれに関係することなんでこの後ちょっと喋りますけどね。
まあそんな感じですか。割と真面目に走ってますね。
5月はね、300キロはいかないような気がするんだけど、4月の150キロよりはコンスタントに250キロぐらい走れたらいいかなっていう感じですかね。
そんで無理な形で300キロを維持できるような感じにしていくと、だんだん調子も上がっていって秋ぐらいにはいい感じに速くなってたら嬉しいなみたいなニュアンスでいかがでしょうか。
そんな感じですね。でね、ストラバーなんて言うんでしょう。
自分のポストをする専門であんまり周りの皆さんのランニングとか見てないんですけど、たまに開くといいね押したりするんですけど、
なんで見てないかっていうと、俺ストラバーもう12年11年ぐらい使ってるんで、フォロワーの数が日本だけじゃなくて外国にもいっぱいいて600人ぐらいフォローしてるんですよね。
だからもうタイムラインめちゃくちゃで全員のランニングなんか見てられないみたいなね。
もちろんお気に入りにしてる人たちが優先的に出てきたりするって機能あるの知ってるんですけど、
なんで主に自分のランニングを描いてる。たまに開いたときに見えたら友達のやつにいいねこの走りっていうのでいいねしてるんですけど、
最近なんか気づいたんですけど、みんななんか俺が適当にちょろっとジョギングしてるのあんまいいねしないなみたいな。
きつい練習とかしてるとやっぱいいねくれますよね。
これはなんでなんだろうな。やっぱこいつ頑張ってんな偉いぞみたいな意味なんでしょうか。
例えばさ、俺のランニング仲間にQってやつがいるんですけど、こいつ最近俺気づいたんだけど、
俺がちゃんとトラックとか練習しないでいいねくれてないような気がするんだよな。
そういうのよくないぞ。俺がふざけてランニングしてるのもちゃんと友達なんだからいいねくれよなと思った次第ですけれども、
そんな感じでランニングやっていきましょう。これから熱くなるけどね。
リスナーの反応
まだ今なんかいいよねって一冊着てもらって走れるもんね。それでも脱いじゃうんですけど。
なかなかこれから熱くなってくるんですけど、みんな大好き省烈巡回とかが始まっていくんでしょうか。
ランニングは。
次は何だっけ。ツイッターで何かみんな言ってくれたかなを見ていきましょうか。
お便りフォームは何もなかったですね。いいんですよ。使っていただいて。
最近ちょっと俺しつこいね。コメントくれくれって言い過ぎですね。
全然いいんです。くれなくても。でもまあくれると嬉しいよっていうだけじゃないですか。
嬉しいことってしてほしくなっちゃうじゃないですか。それはちょっとね。
カジモリ出ちゃっただけなんで許してください。
ツイッター見ていきますよ。
スカールネックゲイターが当選した人の喜びの講演を取られてスルーして。
ネムネムさん。ネムネムさんがタイに遊びに行ってるらしくて。
プーケットにも町田商店があるって言って教えてくれましたけれども。
すげえな町田商店プーケットにもあるのかよ。ていうかすげえなネムさん。
タイに遊びに行ってんのかよ。
まあ夏にまたベトナム行く予定を立ててるんで。ネムネムさんにお世話になりますんで。
よろしくお願いします。
次。のちぼうさん。
あーなんかいっぱい書いてるぞ。
めんどくさいって思われがちな話題にはコメントが少ないっていう話は
個人的には深く考えさせられた回ほどぐるぐる考えすぎて140文字にまとめられない。
なるほどね。
うんうん。ごめんなさいね。僕も別になんか言ってくれよって強制したくはないんですけど。
まあそりゃそうだよね。なんつーかこのツイッターみたいな感じで
あんまりノミストさんに適当なレッスンできることって軽いライトな話題の方が多いですよね。
別にヘビーの話題を喋ってるつもりはないんですけどね。
さてさて。そんな感じでのちぼうさん何個書いてくれてるんですけど
2個ぐらい前のエピソードのコメント欄でそれが取り上げてもらえるかのテストと言ってますけど
まあ一部走りましたけどちゃんと取り上げてますよ。やめてくださいよ。
のちぼうさんいなかったらねこのツイッター誰か何か書いてるコーナー成り立たないっすよみたいな感じですね。
次。ひげはげメガネさん。
ジョグトモアランキャス。これがダメでこれが正解なのか。
と言って写真を貼ってくれてるんですけどもこれは前回俺が話した前回だっけ?
本棚からの本の撮り方の話ですね。
そうですわ皆さん。点を破いちゃいけませんよっていう感じです。
次。さとるちさん。
日の取り連にリスなんちゃらということでなんかみんな山の上で撮った写真を載せてくれてるんですけど
そのうち2人が黄色のスカルアローですね。
スカルアローはさとるさんの周囲に集中してるのかな?
ちょっとさとるさんのやってるなんちゃら男塾なんちゃら5月中に行く予定立ててるんで
そしたらみんなにもこのランキャスの中で紹介したいと思います。
次。まるまるまるこさん。
いつもお世話になってまるさんですが、そういえば一番腸にもできていた。
ということで町田商店が新しくできた情報を私に教えていただいているようでありがとうございます。
なんでみんな町田商店の話題ばっかり振るんだよってこれ一生言ってますけどね。
次。けんいちさん。
初の町田商店。ラーメンライス生タマネギ無料最高でした。
ランキャスの強兵さんを聞いていたら目の前の町田商店迷わず入りました。
美味しかったです。感目深ましました。
いや素晴らしいですよ。けんいちさんはあれだよね。
いつもけんいち飯とかタグつけてうまそうなラーメン食ってる人だよね。
いいねいいね。
本の紹介
スタンプ10個でいっぱい頼んでぜひ集めてみてください。
お店自体もどこのお店かわからないですけど、
積極全店舗的にいいんじゃないかなと思いますので、ぜひぜひご愛顧ください。
ツイートはこんな感じでした。
さてさて、本読みましたのコーナー。これ適当だなコーナーもいつも。
本は何冊か読んでるんですけど、前回はしょったのか。
一冊は、令和中野学校って読みましたね。
これは俺が追いかけている松岡圭介っていう人のエンタメ小説なんですけど、
散々話題にしてた高校事変とかの同じ流れを組むような小説ですね。
中野学校ってみんな知ってると思いますけど、
令和に中野学校が復活したらみたいな感じの話なんですけど、
若者たちが出てきて、国に簡単に言えば秘密工作員みたいな感じで雇われてるみたいなね、
非合法のみたいな話なんですけど、
すみません。
なんかそんなに面白くなかったなっていうのは正直な感想ですね。
この若者たちをテーマにしている松岡先生の小説は、
今、高校事変とJKっていうのがあって、
これ三部作にしたいんだと思うんですけど、
微妙に登場人物とかが出てくるんで、
これがクロスオーバーする世界観を作っていきたいなと思うんですけど、
この令和中野学校はね、
高校事変もJKもどっちも超える要素がなかったなっていうのが
俺の正直な感想ですね。
この人のエンタメ小説がかなりコート向けなとこあるんですけど、
その中でもちょっとこれ設定無理なんじゃねーのってぶっちゃけ思いましたね。
続編出たらどうせ読んじゃうんだけど、
そんなことでいいから高校事変の続編を書いてくださいみたいに思いました。
あと二冊があるんですけど、
前回のセクシーズムの話、
反セクシズムの話の流れで、
何冊か韓国のフェミニズムの文脈の本を読んでたんですけど、
それが二冊あったんですけどね。
まず一冊が小説なんですけど、
82年生まれ、キム・ジヨンっていう本なんですけど、
これ面白かったですよ。
韓国のジェンダー問題
これは2016年韓国に出た本で、結構話題になってたみたいなんですよね。
主人公は82年生まれのキム・ジヨン。
この年に一番多かった、韓国で多かった名前がこの名前らしいんで、
それをつけたらしいんですけど、
俺からしたら五つとしたですよね。
世代近いんですけど、
ごく普通の女性なんですけど、
学生から社会人になって、
誰かの妻になって、
母親になってっていう感じで人生が進んでいくんですけど、
その中でね、社会にある性差別とか、
あての前に受けてきた違和感みたいなものを、
じわじわ彼女を追い詰めていくみたいな、
フィクションなんですけど、
実際の統計データとか、
社会背景が盛り込まれてて、
読んでると結構、
こういう現実あるよね、
みたいな感じに思わされることが多くて、
面白かったですよ。
韓国では結構ヒットしたみたいなんですよね。
100万部以上売れてるみたいなんですけど、
日本でも共感する人がすごく多かったらしいですよ。
俺の感想としてはね、
面白かったんですけど、
全男、これ読んだほうがいいなって正直思いましたね。
単純にこれを読んで、
韓国の女性ってめちゃくちゃ差別されてるじゃんって、
怒るのもいいと思うんですけど、
これ完全に日本の状況とも、
何て言うんでしょう、
実続きな話だなって思いましたよね。
なんかキレイごと、
このね、
フェミニズムとか、
フェミニズムに関してはね、
やっぱりね、
フェミニズムに関してはね、
やっぱりね、
このね、
フェミニズムとか反セクシズムとかの話をしていると、
なんでこんなキレイごとばっか言ってんの?
みたいな思われるかもしれないんですけど、
そういうこと言う気はないんですけど、
我々こうやって、
社会を支えてきてくれた女性たちに
甘えて生きてきているっていうのを、
ちゃんと自覚していかないといけないよなって思いますし、
最近の僕のテーマでもあるんですけど、
どうやっていけばね、
何かを俺がすることで大きく変わるみたいなことは
もちろん考えられてないし考えられないんですけど、
どうやったら少しおましになるかな、
みたいなところは考えていきたいなって思いますよね。
結構すごいなと思ったのは、
韓国ってやっぱり、
過剰性の影響も強くて、
息子が後を継ぐみたいな考えが根強いらしくて、
昔は韓国で、
妊娠した女の子が分かると中絶するっていうのが流行ってて、
男の人口が女性に比べて116%になっちゃったっていう話まで出てきて、
それ結構びっくりしましたよ。
そんな、そういう意味ではね、
韓国のジェンダーギャップっていうのは日本よりも大きいみたいなんですけど、
そういう本だったんですけどね、
韓国フェミニズム文学の文脈でなかなか面白かったですね。
フェミニズムの重要性
こんなことばっかり聞かせられたくないよって思ってるかもしれないんですけど、
もう一冊読んだ本がありまして、
それがね、失われた賃金を求めてって本なんですけど、
これもね、すいません、
連鎖的に、
いもずる式に読んでるんで、
これも韓国のフェミニズムの流れなんですけど、
簡単に言うと、
女性たちが労働の環境とか日常生活で一体どんなふうに、
お金にならない仕事だったり、見えない負担を知られてきたかっていうようなことをね、
具体的な事例とともに書いているような本なんですよね。
単純に、女性が損してるっていうだけの話じゃなくて、
なんでそういう構造が当たり前になっているのかっていうところですよね。
なんで女性の働きやすさっていうのが、
配慮として扱われがちなのかというのを、
根本から問い直すような内容なんですけど、
なのでこのタイトルの、
失われた賃金っていうのもね、
要するに、
本来支払われるべきだったに見過ごされてきた労働とか、
生きづらさに対する保障みたいなものが、
放置されてきたっていう意味になってくると思うんですけど、
なんでこう読んでいると、
これは社会の仕組みの話なんだなっていうことに、
気づかされるような本ですよね。
これもね、
事例がね、
嫌っていうほど出てくるんですけど、
俺たち男っつうのは間抜けだな、
本当に見えてなかったんだな、
みたいなことを申し出されますよね。
もしかすると、
俺以外の男性はみんな賢いので、
余裕で見えてて、
俺が今人類で一番遅れてフェミニズムっていうものを、
反セクシズムってものに気づいてない。
人間かもしれないんで、
今更思い知らされてんじゃねーよって、
お叱りを受けるかもしれないんですけど、
そういう気持ちになりましたよね。
単純にこれを読んで、
女性はすごいし偉いし、
みなさんごめんなさい、女性のみなさんごめんなさい、
って言うだけで済むような話じゃないと思うんですけど、
でもね、この気持ちっていうのは、
ちょっと短所になるっていうのはあると思うんですよね。
それだけじゃ足りないと思うんですけど。
この本の中に、
女性はいろいろコストがかかるって話があって、
我々よくあるのが、
これは冗談も入ってると思うんですけど、
女の子は化粧とかお洋服に違和感があるんだから、
最前列に連れてって、
追っていいつらすんな男どもみたいな、
そういう論調がたまにあったりするじゃないですか。
女性がかかるコストっていうのは、
そういった部分も、
聞かせられる部分のコストもあると思うんですけど、
それ以外に、
治安にコストがかかるよっていう記述が出てきていて、
要するに女性が一人暮らししたり、
夜道を歩くこと自体のリスクがあって、
そのために、
高いコストを払わなきゃいけないと、
簡単に言えば、
オートロックのマンションに住みたいよ、
1階には住みたくないよ、
治安の良い街に住みたいよ、
ということですよね。
これを読んでいて、
メタ的な視点になるなと思いながら、
読んでいたんですけど、
コストがかかる、
リスクがある女性はね、
っていうのが、
当然の事実として語られたところに若干、
違和感を感じて、
もしかすると、
恐怖感、
それすらが、
社会が女性に擦り込んできたものかもしれないですよね。
女の人なんだから、
気をつけないといけないと。
もちろん、
数値的に、
女性が被害を受けやすい状況とか、
もちろんあると思うんですけど、
社会が女性に擦り込んできていて、
恐怖に備えるための防犯意識、
といったもの自体が、
女性にだけ強制されている、
という現実、
これ自体が、
何か入れ込みになっていて、
メタ的な構造になってくるんですけど、
本当に女性が被害を受けやすいってことも、
絶対あると思うんですけど、
でもそれって逆に、
社会的構造として、
男の方が強いっていうのがまずあって、
一部の男の中には、
男なんだから、
女は力で有効的化してもいいみたいなね、
そんな奴いたら嫌ですよ。
でもそういう人たちが一部いたりして、
そういうとこから、
玉岡崎か新宿岩崎かみたいな話になってくるんですけど、
社会的構造がそうだったからこそ、
女性が攻撃するようになったとか、
襲うようになったとか、
っていうところまで考えだしていくと、
ここで書いてある治安構造っていうのが、
本当に自然なものなのかね、
それとも、
この著者自身が治安に関しては、
ちょっとジェンダーバイアスに取られている可能性も
あるのかなとかっていうのを
いろいろ考えながら読んでいたんですけど、
いろいろな学びがあった本でしたね。
もちろん俺は男なんで、
こういうのを本当に意味でわかるってことはないと思うんですよ、
この感覚をね。
だからこそ、
自分が見えていなかった構造っていうのはね、
本から教えてもらうことには
意味あるんじゃないかなと思うんですよね。
社会的構造と責任
で、やっぱりそれによって
何かが見えてきた以上も
考え続けていきたいなと思いますし、
明らかに男の方が要するに
社会的構造に甘えてきて
甘やかされてきているんで、
そういう俺たちが責任を持って
どうしたら少しでもマシな形で向き合えるか
みたいなことを考えた方がいいんじゃないかな
っていうことを思わされました
っていう読書の感想なんですけども、
私は一体何を話しているか
わかりやすくなっちゃってますか?
大丈夫ですか?
そんな感じですか。
今日何を話そうかと思っていたかというと、
あれですよ。
ジョーラーマンの話ですね。
最近、先週ぐらい
大阪スグル選手が
ジョーラーで走っている動画をね
インスタグラムに投稿して
話題になっていたと思うんですよね。
ちょっと炎上したって言ってもいいような
気もするんですけど、
俺はそれを見ていないんですけど、
一説によると
炎上したのに対して
DMが来た時に対する
反応が煽っているっぽかったとか
いろいろあるんですけど、
そこまで話を進めるのは置いておいて、
置いておかないで最後までしゃべっちゃうと、
こういう有名な人が
ソーシャルメディアとかに反応するときは
一回AIに
これ載せたら炎上するかな
っていうチェックはしてもらったほうが
いいんじゃないかな。
みんなソーシャルメディア下手すぎっていうのは
あるんですけど、
俺もソーシャルメディアって
ほんとに知らないんですよね。
俺本当に人がスポーツするのを
見るのに興味がないんで
全然選手は知らないんですけど、
なんでランナーも全然知らないんですけど、
流石に俺でもね、
大阪は知ってますし、
キップチョーキーはもちろん知ってますし、
キップチョーキー以外外人はもう知らないんだけど、
上田瑠衣ももちろん知ってますし、
あとは選手で言ったら
伊原さんも分かりますし、
あとは選手で言ったら
ドレラム選手で言ったらダーマエ?
この辺はね、全然ちゃんと知ってるんですけど、
そういうぐらいの知識レベルなんですけど、
大阪がね、
インスタ投稿、
上田の動画を投稿していたっていうのがあって、
それにはもちろん
好意的な声もあれば、
否定的な声もあったと思うんですけど、
それを見ててね、
俺が思ったのはね、
上裸ランニングのリアクション
いや、ちゃんちゃらおかしいよって話なんですけど、
上田で走るっていうのはね、
ただのランニングのスタイルの
一つのはずじゃないですか。
俺もやってるし、
なのになんでこんなに
自分の感情が出てくるのかっていうところですよね。
ここが面白い。
俺自身ね、夏は
っていうか、この前韓国行ったときもすでに
あったわけで常羅で走っちゃうんですけど、
もう10年以上常羅で
特に夏は走ってて、
ついには自分がそのスタイルが好きすぎて、
久井ちゃんに
常羅の王様のね、
イラストまで描いてもらったくらいの
ある程度常羅に関しては
精通しているオーソリティだと
自分で思っているんですけど、
ちなみにこの常羅の王様に関しては
何度もシルクスクリーンの
プリントもやってますし、
最近シールをね、
特殊化から作っていただいたので、
あった人には常羅の王様の
カラーのシールもあるんでね、
あげますよって感じなんですけど、
まあね、そんで、
そうそうだから10年以上やってるんですけどね、
まあ、そこで
俺が見てきたね、
谷野リアクションっていうところから
ちょっと話していきたいと思うんですけど、
常羅で走ってるとやっぱり前から来る人にね、
結構いろんな反応をされるんですよね。
お前別に見せてるわけじゃねえのに
なんでいちいち反応を覚えてるんだよって
話なんですけど、
まあ、それは覚えてますよ。
ざっくり分類するとね、
大体この5パターンぐらいかなに
分かれると思うんですよ。
適当にあげていくと、
まずは全く気にしない人ですよね、
全然何にも視線も送ってこない人。
あとは睨んでくる人ですよね。
あとはニヤニヤしながら
腹見てくる人ですよね。
簡単に、
お、今度お前腹割れてないのに
なんでいいんだみたいな感じですか。
あとは、
慌てて目を逸らすパターン。
でね、もう一つあるのは、
お、いいねいいね。
楽しそうだねみたいな感じで、
ちょっとそういう表情で見てくる人たちだよね。
今5パターン言ったのかな。
ここからちょっとそれぞれについて
どう感じてるかっていう
俺の考えを話してみたいと思うんですけど、
まずは全く気にしないパターンですよね。
これが一番、理想っちゃ変ですけど、
一番自然ですよね。
単に前から走った人が来てんな、
みたいな感じでスルーできるっていうのが
一番健康的ですよね。
変に気使われたり評価されたりしない感じが
一番いいと思うんですけど、
やっぱこれが一番いいですよね。
別に俺は露出疑惑じゃないんで、
物足りないとか全く思わないんで、
全く気にしないでいるのが
一番いいよなって思いますよね。
次のパターンが、
睨んでくるパターンですよね。
なんでその格好不謹慎だぞ、
みたいな目つきですよね。
おっさんとか多いようなイメージがありますよね。
でもおばさんもいますね。
縛ってくるような人たちなんじゃないかなって
俺の印象なんですけど、
同等警察みたいな感じですよね。
でも俺の立場からすれば、
別に裸じゃないし、
違法でもないしっていうのが
一応公式的な立場なんですけど、
たぶんこれらの人たちっていうのは、
公共の場っていうのは
自分の価値観が支配されるべき場所だって
思ってるんだと思うんですよね。
そのパターンが二つ目か。
で、さっき何て言った?
ニヤニヤして腹を見てくる人たちですよね。
これね、実は結構多いんですよね。
これがまた面白いことに
ほとんどが男性なんですよ。
若者から中年のおっさんが多いですよね。
これ面白いって俺が思うのは、
こういう人たちって別に、
ちゃんとマッチョで鍛えてるとか
っていう感じじゃなさそうなんですよね。
これは俺の偏見かもしれないですけど、
むしろ運動してなさそうな人たちの方が
多いっていうのが結構面白い。
なのに勝手にこっちの体を評価して
勝手に笑ってくるってとこが
俺からしたらこっけーなんですけど。
これがよいだろうと思いますけど、
でもこれがどういうことかっていうと、
要するに見た目に対する
ジャッジ癖っていうのが
この人たちにどれだけ染み付いてるか
っていうのを表現してるんだよな
とも思いますね。
つまりどういうことかっていうと、
彼ら自身もおそらく自分の体や見た目っていうのを
常にジャッジしてるっていうことになるわけですよ。
人をジャッジするってのはそういうことですからね。
で、そのように自分を評価してるからこそ
他人に対してもそういった視線を向けちゃうんだろうな
っていうのが俺の感想ですね。
次のパターンなんだっけ。
あ、慌てて目を逸らす人。
これはやっぱり女性に多いんですけど、
いやこれはね、俺も申し訳ないなって
気持ちはなりますよ。
俺は単純に快適さのためだけに
脱いでるんですけど、
もしそのことでね、もしじゃないんだけどね、
不快な思いをさせてたら
っていうことは考えますよね。
ただね、この反応っていうのは
個人の感情だけじゃなくて、
さっきの話にも繋がるんですけど、
本の感想の話にも繋がると思うんですけど、
社会的な構造の問題でもあるんじゃないかな
っていうね、男の話で
お前最近社会的な構造のせいに
全部してんじゃねえよ
って話になってくると思うんですけど、
要するにどういうことかというと
男の裸っていうのは
イコール危険かもしれない
っていう風に思わせてしまうようなね、
結局これまでの歴史の中で
男性が女性に対してやってきたことの
積み重ねなのかなって
ちょっと考えすぎかもしれないですけど
思いますよね。
なので、そういう意味だと
これは単純に視線を逸らすとかだけの問題じゃなくて
単純に視線を逸らさなきゃいけない
っていうのは
結構深いセクシズムの話になってくるのかな
とも思ったりはしますが
すぐ通り過ぎちゃうんですけどね。
あと最後何て言った
そうそう、いいねみたいな感じの人たちね
これたまにいるんですけど
男女問わずだけど
結構おっさんとかがやっぱ多いな
なんか好意的っていうか
おーやってるね元気だね
頑張ってるねみたいな感じで
明るいノリで見てくる人もたまにいますよね
これは純粋にありがたいな
結構腹もへこませますよね
こんな感じでね
いろんなパターンがあるっていうのを
振り返ってみると
単に乗らない走るっていう行為一つに対して
社会の価値観とか
ジェンダー感とか
他人との関係性みたいなものが
いろいろ見えてきます
っていう話になってきたんだけど
なので走ってる時に向けられる視線っていうのは
視線と価値観の関連
結構そのまま社会の鏡なのかもしれないな
って思いますよね
最初ランニング始める時って
人に見られるのは恥ずかしかったんですけど
それに似てるような気もするんだけど
だんだん走ってるうちに
実は誰も気にしないっていうことが
分かってくるんですよね
なので通常に服着て走ってる場合では
こんなこと起きないんですけど
それはちょっと奇抜な服装
いわゆる常覧にしてみると
割とこの社会の鏡的な感じがあるなって
思いますね
法的にどうなの?
みたいな話もあると思うんですよ
でもさそんな裸で走ってるけど
それ法律的にどうなのよ?
って話になることもあるんですけど
俺が調べた限りでは
上半身裸で走ること自体を
禁止する法律っていうのは
日本にはないんですよね
なので現に俺交番の前走ってても
警察署の前走ってても
一回も呼び止められたことすらないんですよ
よく引き上げに出されるのが
公然歪切罪っていうのがあると思うんですけど
これっていうのは
性的意図のある露出が対象になってくるわけですよね
汗かくし暑いから
快適になりたくて脱いでるっていうのは
歪切じゃないですよね
ただもちろんこれっていうのは
場所によっては
忠実されることもあると思うんですよ
例えばこれ考えてるら分かるんですけど
駅だったり商業施設の中ですよね
私有地とか
普通に考えてダメですよね
この普通に考えてっていうのが
多分みんなの場合は
普通に考えて公園の中とか
河原でもダメだよってことになると思うので
その普通に考えてる話もして出すと
2年ぐらい経っちゃうんで
一旦これやりましょう
あと地域によっては迷惑防止罪などが
あったりもするみたいですし
地域とかでも
苦情が入ったら行政指導みたいなことはある
みたいなね
俺の調べた範囲だと
要するに法律ではOKなんですけど
いわゆる空気でアウトになる場面
っていうのがありますよと
店の中でそのまま入るかどうか
っていうのはさすがに考えますよね
もう一つ重要になってくると思うのが
この上裸っていうのは
男性だから成り立ってるっていう点は
結構見逃せないですよね
だってもし女性が同じように
上半身裸で走った場合っていうのは
公然Y先生に問われる可能性が
ぐっと高くなるみたいなんですよ
なので
同じ行為でも性別によって
扱いが全く違うみたいな
またこの話になっちゃうんですけど
構造的な不平等があるなっていう
ところにも繋がってきますし
じゃあそれが全てが理不尽なのか
構造的な不平等と現実
って言われると
それがそうとも言い切れないところがあるんだよね
仕方なさもあるなって思うんですよね
例えば
女性が上裸で裸を走るっていう行為はね
現実的に危険を呼び込みやすい
自分を置くっていう
事実がありますよね
これは見る側が悪いとか
被害者を責めるなとかっていう
正論もありますけど
実際にはそういった目がある社会の中で
我々は生きてるわけだから
無視はできないですよね
さっきのお店の中に行かないっていうのも
この一部ですよ
これっていうのは不平等だよねって
言い切るだけじゃ済まなくて
なんでそれが現実でそうなっているのか
っていう背景も一緒に考えなきゃ
ダメだよなって思うんですよね
本当この話ばっかだなってなるんですけど
女性の体っていうのは
自由と文化の違い
性の対象として見られるリスクっていうのを
常に前提として持っている
っていうところになるんじゃないかな
と思うんですよね
だから上裸になれる自由すら
男女で違うっていうのが
結構切ないところになってくるんですけど
そう考えていくと
この自由の差っていうのは
体そのものの違いっていうのもあるんだけど
それだけじゃなくて
社会がそれを
どう扱ってるかの違いなんだな
っていうふうに思いますよね
だって例えば
どっかのアフリカの人たちは
女性がチブサ丸出しにしている
っていうところもあったりしますし
日本でも戦前とかだと
女性たちが縁側で
上半身脱いで
エアコンのないような時代
進んでいたとかっていうのが
あったりするので
社会がどう扱ってるかの違いっていうのは
ありますよね
冗談の話だぞ
でね
また話が広がっていくんですけど
その話考えていくと
海外だと
女性がスポーツブラみたいなやつとか
クロップドトップ
いわゆる腹が見えているような
ウェアで走っているのを
ごく普通に見かけますよね
俺も個人的に何度見たことあるんですけど
この前香港でも
そんな服装のトレーナー女子2人と
喋ったって話をしたんじゃないかな
と思うんですけど
でも日本だと
エロいとかって
思われがちですよね
これは結局男の上裏と同じように
暑いからとか快適だから
というだけで選択している
という話のはずなんですよね
なのに女性だけは見捨てる側として
そのリスクを背負わされる
というところありますよね
だから日本だとやっぱり
すごく少ないじゃないですか
女性は肌を出すべきじゃないとか
肌出すんだったら綺麗であるべきでしょ
みたいな無意識のうちに擦り込まれた
ジェンダー規範っていうのかな
って思うんですよね
これがまた厄介で
誰かがどのように名言して
定義しているかってことじゃなくて
なんとなくの空気として
世の中に浸透しているっていうのが
難しいなって思うんですけど
結局この辺りっていうのは
文脈の問題でもあると思うんですよ
例えばこの例だと
すごい分かりやすいと思うんですけど
サーファーいるじゃないですか
海辺で上裏の男の人たちが
板を抱えて歩いていても
別に誰も文句言わないですよね
自然に受け入れられてるじゃないですか
なのでその行為が
どこで誰によって
どういう文脈で行われているかによって
許され方も変わってくる
っていうことですよね
これが文脈の問題っていうことになる
と思うんですけど
なのでやっぱ上裏で走ってるっていうことが
まだ見慣れないものとして
ざわつかれるっていうのは
単純にこの文化がまだ定着してないだけ
なのかもしれないなとは思いますよね
ルッキズムの影響
さっきの女性の話で
ルッキズムが出ましたけど
なんでルッキズムの話
ルッキズムの問題なのか
みたいなところも
喋っていきたいんですが
脱げる体じゃないと脱ぐんじゃないよ
っていう感覚
それがルッキズムですよね
ルッキズムっていうのは
見た目による価値の判断のことになると思うんですけど
さっきのリアクションの話で
ニヤニヤしてくる人たちっていうのは
いわゆるルッキズムですよね
別に上裏になってるというのは
発表してるわけでもないわけですよね
見せたくて脱いでるわけでもなくて
とことんダメな
違法なことでもないから
暑くて快適だから脱ぐとね
それだけなんですよね
やってるのはね
俺あんまり最近本屋行かないんで
知らないですけど
昔はターザンとかのスポーツ雑誌でも
この夏は脱げる体を作るとか
シックスパックガランチャラとか
表紙に書いてあったり
中連れで見たりしたと思うんですけど
あれがそもそも完全に見せる前提の発想じゃないですか
何度も言いますけど
気温とか快適性の問題なわけであって
別に見せたいわけでも
見せるに値する体であるべき
でもないと思うんですよね
俺がアメリカに仕事で行ってた時に見たのはね
どんな体型でも
全然上裏でみんな走ってて
堂々とっていうか
そもそも堂々とっていうのは
恥ずかしいことの対極にあるわけで
自然に走ってる人いっぱい見たわけですよね
それっていうのは
アメリカのことを褒めすぎなのかもしれないですけど
誰もそういったことで他人をジャッジしないし
いやもちろんアメリカにもルッキーズもありますよ
あると思いますよ
ただ日本よりはそのあたりの
あれが違うんじゃないかなと思うんですけど
誰も体によって見せる資格があるかどうか
っていうところまでは考えてないんじゃないか
と思うんですよね
なので俺もその自由さに非常に感動して
日本でもやろうと思って
上裏を輸入したわけですけど
そんだけで上裏輸入総代理店を
50年ぐらいずっとやってるわけなんですけどね
イラストまで描いて
もらったりして
だからルッキーズムっていうのは
要するに見る側の都合だけで
他人の自由を制限するような
考え方なんじゃないかなと思います
勝手に見るっていうところが始まって
勝手に評価するっていうところにつながって
さらには勝手に不快になって
文句を言うっていう
そういう考え方ですよね
この例えが適切かちょっとわからないですけど
今思いついたのは
例えば映画館に行って
俺3日くらい前に子どもたちと
マイクラの映画館に行って
子どもたちが見てきて
すげえ面白かったんですけど
映画館に行った時に
例えば自分の好きじゃないような
映画の予告編が流れたからって
上映やめろっていうことですよ
これこう例え見ると
ちょっと違うでしょって話になると思うんですけど
それで中止しろっていうのは
ちょっと違うでしょ
そうじゃないでしょって話になると思うんですよね
それと同じですよね
脱げないから脱ぐなっていうのはね
美しくないなら見せるんじゃねえよみたいなのは
美の基準を押し付ける暴力にもなると思うんですよね
美しいって価値観ね
それすら何なのよって話になっちゃって
これも話が無限に問題になっちゃうんだけど
その基準って一体何よ
雑誌なのかテレビなのかソーシャルメディアなのか
周りの反応なのかって話じゃないですか
多分全部なんですけど
結局このどれもね
誰かが作った価値観でしかねえじゃん
っていうところですよね
それに気づかないままね
美しくないなら黙ってろよみたいなね
デブは喋んなよみたいなね
空気が流れてるっていうのは
怖いと思いますし
その辺りは壊していたほうがいいよな
って思いますよね
そのために俺はジョーラー推進運動をしてる
っていうわけでは全然ないんですけど
単に気持ちいいからやってるだけなんですけどね
女性もね
その美容体重の話とか首レーとか
すごくいろいろ大変だと思いますけど
実はこういうのもちょっと男性にもあるんですよね
こういう体じゃなきゃ脱ぐんじゃねえよ
みたいなプレッシャーがね
あとは毛が濃いとか
もちろん腹が出てるとか
年齢的にどうのとかってのもあると思いますし
でもそこって実際はさ
なんか自分が快適かどうかだけで
決めていいんじゃないの
っていうふうには思いますよね
このルッキーズムの話と密接に関係してくるのが
やっぱりね
同調圧力と社会の多様性
同調圧力になってくると思うんですよ
また志望でかくなっちゃいますけど
日本の社会って結構空気を読む文化なんで
見た目や行動が浮いちゃうことに
異様に敏感ですよね
これ聞いてるランニングをやる人たちってのは
割と短パン生えたり
少し自由な人たちが多いとは思うんですけど
普通はそうしないとか
みんなそうしてるっていうだけで
その範囲の外側に出ると
叩かれるようなね
同調圧力っていうのは
みんなと同じであることを求めるような
空気だったり
雰囲気のことじゃないですか
それに逆らっちゃうと目立っちゃったり
非難されたりするから
もちろん自然と合わせるようになるわけですよね
でも
ルッキズム的な価値観が定着する
その土壌として
同調圧力っていうのがあるんじゃないかな
と思うんですよね
見せるなら綺麗でいろよとか
人前で肌を出すなとかっていう
暗黙のルールも
そのようにして空気の中でね
同調圧力のある空気の中で
自然と強化されていくんじゃないかな
と思うんですよ
法律で禁止されてないのに
走ってるとき脱いだら非常識ってなるのは
まさにそれだと思ってるんですよね
俺はね
例えてみたら
赤信号みんなで渡れば怖くない
みたいのあるじゃないですか
これの反対バージョンですよね
青信号でも自分一人だけが動くと
俺だけが
あれ青なのに
って渡りだすと
なんでお前だけ
みたいなパターンですよね
こんな感じでやらない人が
やってもいいのにやってる人を
押し戻すような構造ができちゃってて
これがね
自分で喋るのかと思ってるんですけど
社会の多様性を殺してる
って思いますよね
俺は単に常羅で走りただけなんですけど
いつの間にか風呂敷がでかくなっちゃって
社会の多様性の話になっちゃったんですけど
自分はやらないけど
俺はやらないけどさ
あなたがやるのは全然自由ですよ
っていう視点がもっと
必要だと思うんですよね
そんな話でいろいろできたんですけど
そんな形で相変わらず常羅で走ってるんですけど
今このタイミングで常羅で走ってると
大阪の真似って思われそうだな
ってちょっと意識しちゃいますね
いや違うんですよ
俺はずっと前からやってるんですよ
って言って歩きたい
もう言いながら走りたい
これはもう俺にとっては
スタイルとかトレンドじゃなくて
単純な生活中間なんですよ
なのでこれを何か
誰も言ってないけどね
トレンドでね
誰も言ってないけど
これをトレンドで語られるっていうのは
若干不快ですよ
だからいいですよね
すごくいいと思います
でもあの夢人がやってたから
上裸ランニングの社会的意義
急に許され始めると
それはそれで
じゃあ今までは何だったの
って気にもならないでもないですよね
いやならないかな
別に俺は誰かに影響を与えたくて
常羅やってるわけではないですしね
別に社会構造を変えたくて
常羅になってるわけではないですし
個人的な快適さっていうのは
散々申し上げてまいりましたが
もちろん仲間とかには
まぁいいか
でもこういうきっかけ
俺が一人できっかけにしてるかもしれないけど
例えば大阪の話とかってのがあることで
議論が生まれるんだったらね
それはそれでいいことではありますよね
ただねそういう話題が出た時に
いろんな観点でちゃんと考えられるように
みんなしてほしいなっていうふうには
思いますよね
というわけで
俺にとって常羅で走るっていうことは
単純に気持ちよさと
自分のやりたいように
気持ち全体でやる
っていうだけのことなんですけどね
走ることをシンプルに楽しむ
そのための選択ですよね
なのでそれを見た人が
どう思うかっていうのは自由だけど
やめろとか
非常識とか
こうあるべきとかっていうのは
どっちかと言わないでほしいですよね
その不快を感じた人の感情が
そのまま
誰かの行動を制限する
根拠になってしまうのって
やばいと思うんですよ
不快だからやめろよ
っていうのがエスカレートすると
単純に不快感による
独裁になっちゃいますよね
常羅ランツーンは
けっこうしょうもない話題なんですけど
いろいろ話しましたけど
実はこの多様性とか
ルッキズムとか
社会の構造とか
いろんな圧力を映し出すような
鏡だなって思いますね
じゃあ今回のタイトルは
常羅は社会の鏡か
とかにしますかね
そうすると
別に俺が常羅で走っているのは
見せているわけじゃないですよ
単に気持ちいい格好で
走っているだけですよ
というだけなんですけど
それを言いたくて
30分も喋ったのかな
これもまだ話が終わらなくなっちゃうんですけど
こういった多様性とか
同調圧力の話っていうのは
他のいろんな画面にも
つながってきていて
例えば最近東京メトロが
社員の髪色を明るくしても
色が変わるのを
見たんですけど
そのスタジオでのキャスターとコメンテーターは
いやそれでもやっぱり清潔感は大事
とか言っててね
いや清潔感って
そういう不満にしたこと言うんだ
これも結局曖昧な圧力でね
という話が終わらなくなっちゃうので
その辺りはまた今度にしようかな
ということでした
それではまた
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