ふと自分のnoteを読み返して、血の気が引いた。
「あれ、私、書きすぎてる…?」
この回では、私のnote記事をAIたちが深掘りします。
読む人の役に立ちたくて、ひとつずつ丁寧に書いた。
気づけば、「出さない」と決めていたはずの内容まで、詳しく書いていた。
気づいた瞬間、頭が真っ白になった。
そこで私は、人に慰めてもらう代わりに、AIに頼った。
・「全部伝えたい」が、いつの間にか自分を守るための鎧になるメカニズム
・パニックの時、AIを「冷たい鏡」にして冷静さを取り戻した理由
・自分の手で記事を削る辛さ
・日付が変わる前に「今日はここまで」と作業を打ち切れた瞬間
全部を語り尽くすことだけが、誠実さじゃない。
どこまで伝えるか、線を引き直すことも、誠実さのひとつだった。
📝 元になったnote記事はこちら→ https://note.com/mizumakaori/n/nb823ceada68c
VOICEVOX:東北きりたん
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サマリー
水間香里さんが、出版社に応募した未発表の企画に関わる情報を、過去のnote記事へ詳しく書きすぎていたと気づいた体験を振り返ります。読者の役に立ちたいという思いが、情報量イコール誠実さという基準にすり替わり、自分を守るための完璧主義として暴走していました。パニックになった水間さんは、企画書と記事をAIに比較させ、感情を交えない指摘を「冷たい鏡」として使い、記事の修正に取り組みます。書き手の熱量を自分で削る苦しさを抱えながらも、日付が変わる前に残りを翌日に回せたことを、先延ばしではなく自分でブレーキを踏めた成果として捉え直します。全部を語り尽くさず、公開範囲を見極めて線引きを守ることも誠実さだという気づきが示されます。
書きすぎに気づいたnote記事
よかれと思って出し続けた努力が、ある日突然、自分を追い詰める罠に変わる。 あなたも、一生懸命頑張っている最中にあれ?私、やりすぎてるかも?って、血の気が引くような瞬間を味わったこと、ありませんか?
今日は、その完璧主義の正体と、暴走した手を止めるための小さな秘密について、じっくりと紐解いていきます。
こんにちは。こんばんは。瑞馬かおりです。 動ける完璧主義ラジオ、未完成の取り扱い説明書へようこそ。
完璧を求めるあまり、つい足を止めてしまう、私たちが、未完成のまま、それでも一歩を踏み出すための実験室です。
私自身の試行錯誤を、そのままサンプルとしてお届けします。動くことでしか、見えない景色があります。
今回は、出版社の企画書を応募の直後に、ノートの記事をほぼ全部修正することになった私のドタバタな実体験がテーマです。
全部伝えたいという真面目さが、なぜ裏目に出てしまうのか。
そして、パニックになった私が、人間の慰めではなく、あえてAIを冷たい鏡として使って冷静さを取り戻した理由とは、何だったのか。
さらに、全部やりきりたい衝動の中で、日付が変わる前に今日はここまでとスパッと作業を打ち切れたブレイクスルーの瞬間まで、未完成のまま進むためのリアルな手綱の引き方を、一つ一つ紐解いていきます。
それでは、いつもの二人にバトンを渡します。
少し熱量高めな彼らと、一緒に、あ、ちなみに彼ら、たまに読み間違えたり、滑舌が怪しくなったりします。
まあ、完璧を目指さないラジオですので、未完成な愛嬌として、ゆるーく楽しんでもらえたら嬉しいです。
あなたの取扱説明書を作るヒントを見つけてみてください。どうぞ。
あのー、何かを作っている時とか、あるいは誰かのために一生懸命作業をしている真っ最中にですね、ふと手が止まった経験、あなたにもありませんか?
何でしょう。
あれ、私、やりすぎてるかもって気づいた瞬間の。
あー、ありますね。
あの心臓がバクバクするような、血の気が引く焦りというか。
ええ、わかります。良かれと思って足し続けていたものが、いつの間にか想定していた枠を大きくはみ出していることに気づく瞬間ですよね。非常に恐ろしい体験です。
まさにそれなんですよ。今回取り上げるのは水間香里さんが書かれた記事なんですけど、
タイトルが、私、やりすぎてる?完璧主義が裏目に出て、ノートの記事をほぼ全部修正することになった話。完璧主義製作ログ4というものでして。
製作ログの4回目ですね。
そうです。この焦りのメカニズムがですね、もう一体ほどリアルに描かれているんです。
なるほど。
状況としては、水間さんは未発表であることを前提とした本の企画書を出版社に応募したばかりだったんですね。
大きな山場を無事に越えた直後ですね。
はい。数日後に自分のノートの過去記事を見返していた時に、ある重大な可能性に気づいてしまうんです。
それが今回の出来事の発端ですね。
そうです。本にするなら、まだ公には出さないでおこうと当初は決めていたはずの情報の流度。
はい。情報の流度ですね。
いつしかその流度までノートに詳しく書きすぎてしまっていたんじゃないかという疑念なんです。
それは焦りますね。
ただこれって単にうっかり書きすぎちゃったみたいな笑い話じゃないんですよね。
単なる不注意ではないですね。
もっと深い心理的な罠というか。
そうです。真面目さとか誠実さが暴走して引き起こされる完璧主義の構造的な罠とでも呼ぶべき現象なんです。
構造的な罠?
はい。この記事の背景を丁寧に読み解くことで、私たちが無意識に陥りがちな行動と基準のズレの正体が見えてくるんですよ。
行動と基準のズレって、なんかすごく心当たりがあります。
例えばどんなことですか?
あの、一泊二日くらいの短い旅行に出かけるとするじゃないですか。
ええ、よくあるシチュエーションですね。
最初は、まあ小さなカバンで十分だって思っているのに、準備しているうちに、もし寒くなったらどうしようとか、もし雨が降ったらって心配になってきて。
どんどん荷物を足してしまうわけですね。
そうなんです。あれもこれもって詰め込んで。
気づいた時にはカバンのジッパーが壊れそうなほどパンパンになっていて。
旅行中ずっと重い荷物を引きずって歩く羽目になるみたいな。
ありますね、そういうこと。
あとは映画の予告編を作る編集者とかもそうじゃないですか。
観客を喜ばせたいって思い詰めるあまり、この伏線もあの感動的なセリフもって要素を足していっちゃう。
そしてうっかりクライマックスの重要なシーンまで予告編に入れてしまうと。
そうなんですよ。どちらも最初はこれくらいにしておこうという明確な境界線があったはずなのに。
カバンのサイズや予告編の尺といった最初の基準ですね。
ええ、いつの間にかその線を越えてしまっている。
なぜ人は線を越えてしまうのかという疑問が湧いてくるんですよね。
ええ、ただここで一つ考えてみたいんですが。
はい。
旅行の荷物はともかく情報を提供することに関しては、読者に全力を尽くして最高の情報を届けるのって一般的には良いこととされていますよね。
そうですよね。私たちも普段から期待以上のものを出せってよく言われますし。
それがなぜ突然罠になってしまうのか。
情報量が誠実さにすり替わる仕組み
水間さんだって最初は確信には触れずに投稿しようという明確なルールを持っていたわけですよね。
そこが完璧主義が持つ厄介な構造なんですよ。
どういうことですか?
確かに期待以上を出すのは素晴らしいことですが、問題はどの基準に対する期待なのかがすり替わってしまう点にあります。
基準のすり替わり。
はい。水間さんはSNSなどの開かれた場所で公に自分の考えを発信するという経験がこれまで少なかったと書かれています。
つまり、慣れない公の場だったと。
ええ、その不慣れな環境において誰かの役に立てばとか、いい内容でなければ意味がないという強い思いが芽生えたわけです。
なるほど。
完璧主義の傾向を持つ人が評価の基準が曖昧な開かれた場所に出るとですね。
無意識のうちに情報量イコール誠実さ、あるいは価値という防衛本能に近い党式を作り上げてしまうんです。
情報量イコール誠実さ。
ええ。手を抜いていると思われたくないとか、批判されたくないという恐れがあるからこそ。
だからこそ。
とにかく情報を詰め込むことで自分を守ろうとするんですね。
ああ、それって読者のためじゃなくて実は自分を守るためだったっていうことですか?
そういう側面が強いんですよ。
その結果、未発表の企画を守るという自分自身の本来の強固な基準がですね、
目の前の読者を最大限満足させるという新しくて再現のない基準に無意識のうちに乗っ取られてしまったわけです。
乗っ取られる。怖いですね、それ。
ええ。情報を絞ろうとする理性を有益でなければという完璧主義的なプレッシャーが凌駕してしまった。
これが基準のすり替わりのメカニズムなんです。
無意識に乗っ取られるから気づいた時のショックが異常に大きいんですね。
その通りです。
私、やりすぎてるかもって気づいた時の動機について記事でも触れられていますけど、
読んでいて本当に胸が苦しくなりました。
ええ、リアルな描写でしたね。
良かれと思って身を削って全力でやってきたことの矢印が、
実は自分自身を追い詰める方向に向いていたと気づく恐ろしさ。
パニックになりますよ。
AIを冷たい鏡として使う
そうですね。しかしパニックになった時、人はどう行動するか。
ここからの展開がこの記事の非常にユニークで資産に富んでいる部分なんです。
そう、そこがすごく気になったんです。
普通こういうトラブルに気づいてパニックになった時って、
身近な人とか信頼できる仲間に相談しそうなものじゃないですか。
これ書きすぎちゃったかなとか聞いて慰めてもらいたくなりますよね。
そうなんです。
なのに水間さんは人間の感情的な慰めではなくて、
あえてAIに相談を持ちかけたんです。
ここが非常に面白いですよね。
応募した企画内容とノートの記事を比較させて客観的な分析を依頼したんですよね。
最初読んだ時、なんで友達じゃなくてチャットGPTなんだろうって驚いたんですけど、
なるほど。
考えてみたら、自分が仕事でパニックになっている時に、
友達から大丈夫だよ、気にしすぎだよって慰められると、
慰められると?
逆にイラっとしちゃうことがあるなって気づいたんです。
ああ、わかります。
いや、私のこのヤバさを全然わかってないだけでしょみたいな。
もしかして水間さんもそういう心理だったのかなって。
まさにその心理だと思いますよ。
完璧主義でパニックに陥っている時って、
人は他人の大丈夫だよという気遣いを素直に受け取れないんです。
受け取れないんですね。
はい。私を慰めるために言っているだけだとか、
状況の深刻さを理解していないって疑ってしまうんですよ。
逆に、うわ、これ完全にアウトだねなんて言われたら。
そう言われれば深く傷ついて、さらにパニックが加速してしまいます。
人間が相手だとどうしても感情とか忖度とかあるいは同情が乗ってきてしまって、
それが今の極限状態の自分にはノイズにしかならないってことなんですね。
だからこそAIの特性がここで完璧な役割を果たしたんです。
と言いますと?
AIは事実、推測、提案を明確に分けた上で、
この部分は企画書と重複しているとみなされる可能性がありますと淡々と指摘してくれますから。
一切の感情を交えず、ただのテキスト処理として結果を出力するわけですね。
そのフラットな指摘をクッションにすることで、
初めて冷静さを取り戻し、自分の目でもう一度記事を読み返すことができたんです。
なるほど。
みずまさんはAIを単なる文章作成ツールではなくて、
自分の暴走した完璧主義をクールダウンさせる客観的な鏡として見事に使いこなしたと言えますね。
そういうことになりますね。
すごく理にかなっています。
文章を削る苦しさと認知の歪み
でも、冷静になって事実を確認した後の修正作業。
手戻りですね。
この手戻りの辛さがここから重くのしかかってくるんですよね。
ここからの作業は精神的に非常に過酷なフェーズです。
論理的なパズルなら間違いを見つけて直せば解決したって安心できるかもしれないですけど。
文章を書くという行為には書き手の感情と熱量が注ぎ込まれていますからね。
そうなんですよ。一生懸命、読者の役に立つように真剣に悩んで構成を練って丁寧に一語一句言語化した文章ですよ。
それを削るわけですからね。
はい。自らの手でバックスペースキーを押して削り落としていく。これは残酷な作業です。
記事の中にも自分が今まで一生懸命やってきた結果なのにと悲しくなったと書かれています。
単なる時間のロスとか肉体的な疲労だけじゃないんですよね。
自分が注いだエネルギーとか読者への誠実さの結晶だと思っていたものを自分で否定しなきゃいけない。
そうですね。さらに完璧主義の傾向がある人特有の認知の歪みがここで追い打ちをかけるんです。
認知の歪みですか。
はい。手を入れて情報を削った後の記事が本来は適切な情報量になったはずですよね。
そうですね。整えられたわけですから。
なのに以前の過剰に完璧だった状態と無意識に比べてしまうため、どうしてもスカスカで物足りないものに見えてしまうんです。
痛いほどわかります。これでいいのかとか、こんな薄っぺらい内容でお金や時間をいただく価値があるのかという強烈な虚しさと不安ですよね。
はい。
リスナーのあなたもせっかく作った分厚い資料や企画書を後から盛り込みすぎだから半分にしてと言われて削った時。
ありますね。
残ったものがなんだか無価値に見えてしまって落ち込んだ経験あるんじゃないでしょうか。本当はスマートになったはずなのに。
作業を明日に回すブレーキ
そうやって精神的にも削られながら、夜遅くまで公開済みの記事を優先して修正していった水間さんですが。
はい。
ここで彼女はある重要な決断を下します。ここがこの記事における最大のブレイクスルーと言っていいでしょう。
パニックになってAIを使って冷静になって、自分の身を削りながら過去の記事を修正して。
ええ。
そして次にこれから投稿する予定の記事の修正に取り掛かろうとした時ですよね。
はい。時計を見て日付が変わりそうになった時点で、よし、投稿予定の記事の修正は明日にしようと作業を打ち切ったんです。
正直ここが一番驚きました。
ほう、なぜですか。
だって完璧主義の人からすると信じられない行動じゃないですか。
確かにそうですね。
やり始めたからには今夜中に全部完璧に直してしまわないと絶対に眠れないはずですよね。
通常であれば不安を解消するために倒れるまで作業を続けてしまうでしょうね。
中途半端な状態で作業を投げ出すなんて、普通ならなんで自分はダメなんだとか危機管理がなってないって強烈な自己嫌悪に陥るタブーですよね。
ええ。
そのまま徹夜して全部直してしまうのが、いわゆる完璧主義の典型的な行動パターンに思えるんですけど。
しかし彼女は急に精神的にドッと疲れが来たことを素直に認めました。
疲れを認めたんですね。
はい。そして作業を明日に回す決断をした。
何より重要なのはそれを先延ばしではないと断言している点です。
ああ、先延ばしではないと。
記事の中で彼女はもっと完成度を上げたいとか文字数を増やしたいという自分の欲求を止められたことを少し誇らしく感じていると書いています。
誇らしく感じている。ここを読んだ時ハッとしました。
視点が変わっていますよね。
はい。完璧主義を直すべき悪い欠点として自分を責めるんじゃなくて、まるで設計図を見るように俯瞰して捉え直しているんです。
まさにそこです。真面目すぎる自分がどういうプレッシャーを感じてどうやって境界線を越えて暴走してしまうのか。
そして一度パニックになるとどうやって自分を擦り減らしてしまうのか。その構造を客観的に可視化したわけです。
なるほど。
だからこそ、あ、今私は全部完璧にやらなきゃという波に飲み込まれそうになっているなと気づいて意図的にブレーキを踏めたわけです。
自分を責めるのではなく自分の特性としてうまく付き合っていくための手綱を手に入れたんですね。
ええ。
全部語らないことも誠実さ
もちろん手放しで全部解決したというハッピーエンドなわけではなくて。
そうですね。問題が完全に解消したわけでも応募への影響が確定したわけでもありません。
公開範囲への不安や手戻りの疲れを抱えながらも確実に自分のコントロールを取り戻している。
ええ。できたことを数えて残りの作業を翌日に回せた。この一連のプロセスから私たちが受け取れる中心的な気づきがあります。
何でしょうか。
それは有益さとは全部を語り尽くすことだけではないということです。
有益さとは全部を語り尽くすことだけではない。
それって最初は情報を足すことイコール誠実さだと思っていたけれど、実は違うってことですよね。
そうです。私たちは往々にして相手のためを思うわまり、自分の持っている情報をすべて提供しようとしてしまいます。
はい。
しかし、状況に応じて公開する範囲を適切に見極め、今出せる範囲で情報を整えること、
そしてその線引きをしっかり守ることもまた、情報を届ける上での誠実さの重要な一部なのです。
全部見せることが誠実さだと思い込んでいたけれど、実は見せない部分を守ることも誠実さであると。
ええ。まさにそういうことです。
これは本当に大きなパラダイムシフトですよね。
そうですね。
ノートで記事を書く人に限らず、誰かの役に立ちたいと思って情報やサービスを提供している全ての人に響く視点だと思います。
はい。普遍的なテーマですよね。
リスナーのあなたも相手のためを思って情報を足し続けてしまうとき、一度立ち止まってみてください。
ええ。
あなたの最初の線引きは本当はどこにあったのでしょうか。
何を目的としてどこまでを伝えるつもりだったのか。
はい。
その最初の基準を思い出すことが、完璧主義の暴走を防ぐ最大の防御線になりますからね。
そしてもう一つ考えてみてほしいことがあります。
もしあなたが水間さんのように完璧にやり遂げたいという衝動を意図的にコントロールできるとしたら、
今日抱えているタスクの中であえて未完成のまま明日に回すべきものは何でしょうか。
意識的に線を引き、自分なりに出せる範囲で整えながら明日へ繋いでいく。
はい。
そのプロセス自体が自分自身と他者に対する誠実さの証なんですよね。
完璧じゃなくても誠実でいられる。
水間さんが記事の最後で辿り着いたこの言葉には、
自分の境界線を引き直しながら進んでいく人への静かで力強い励ましが込められています。
…を語り尽くすことだけが誠実さではない。
そう気づけただけでも、今日あなたが抱えた葛藤へ出戻りは決して無駄ではありません。
完璧にやり遂げたい衝動に飲み込まれそうな時、
ほんの少し立ち止まって最初の線引きを思い出してみてください。
あなたはもう自分を責めずにブレーキを踏む力をちゃんと持っています。
このラジオは未完成のまま。
また次回お会いしましょう。
水間 香里でした。
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