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スピーカー 1
ほう。
むしろ他者と一緒にいる公共の場、そこで行われる活動こそが人間を人間たらしめる、と。
スピーカー 2
公共の場での活動。
スピーカー 1
ええ。単に生き延びるんじゃなくて、人と関わって言葉を交わして、何かを一緒に作り上げていく、そういうプロセスそのものなんです。
スピーカー 2
なるほど。でもその活動っていう言葉、対話の中だとちょっと誤解されかかってもいますよね。
スピーカー 1
あー、ありましたね。
スピーカー 2
それって結局、居酒屋で上司の悪口言ってるのと何が違うの?みたいな。
スピーカー 1
そうそう。そこがね、一つポイントなんですよ。
はい。
アーレンとが言う活動は、そういう単なる不満の表明とか、ガス抜きとは本質的に違うと。
違う。
ええ。自由な個人がそれぞれの違う意見や視点を持ち寄って、言葉でやり取りする。
うん。
時には協力したり、時にはぶつかったりしながら、私たちみんなに関わる公共の世界、つまり社会を形作っていく。その行為自体なんです。
スピーカー 2
行為そのもの。
スピーカー 1
そうです。この対話とか共同で何かをやるプロセスにこそ、人間らしさが現れるっていう考え方なんですね。
スピーカー 2
うん。でもそこでまた、現代ならではの難しさっていうのが出てくるわけですよね。
スピーカー 1
ええ、まさに。
スピーカー 2
対話の中でも言及されてますけど、今の時代にそんな意見交換して社会を形作るなんて本当にできるのか?って。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
例えばほら、SNSで何か発信するじゃないですか。あれはここで言う公共の活動になるんですかね?
スピーカー 1
あー、SNSの問題。
スピーカー 2
なんか結局みんなバラバラに言いたいこと叫んでるだけじゃないかみたいな。
スピーカー 1
ええ、それは非常に現代的な問いかけだと思います。アーレント自身がもし現代を見たらどう言うか考えてしまいますね。
はい。
この対話記録の中でもまさにそこが課題として捉えられています。単に自分の意見を一方的に言うだけじゃ活動としては足りないんじゃないか。
スピーカー 2
足りない。
スピーカー 1
そこにはちゃんと他者と対話してお互いを理解しようとしたり、あるいは具体的な行動で社会に働きかけたり、そういう側面が必要だと。
なるほど。
そして、もし人々が自分の私のことだけに閉じこもっちゃうと、公共的なことへの関心が薄れて社会全体を考える場がすごく貧弱になってしまう。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
そうなると知らないうちに自由が制限されたり、もっと極端な話、全体主義みたいな一つの考え方に社会が染まっちゃう危険もあるんじゃないかという警告ですね。
スピーカー 2
うーん、なるほど。そう聞くとなんか話がすごく大きくてちょっと重たいなって感じちゃう人もいるかもしれませんね。
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
対話の登場人物も途中で、いや社会を良くするとかそこまで大げさに考えなくても、みたいな。
スピーカー 1
言ってましたね。
スピーカー 2
個人的に平穏に楽しく暮らせればそれでいいんじゃないのって、これも正直な感覚かなと。
スピーカー 1
その気持ちはすごくよくわかりますよ。
でも、アーレント的な視点から見ると、まさにその個人の中に閉じこもるっていう傾向自体が問題視されているとも言えるんです。
つまり、社会全体が効率とか生産性ばっかり重視するようになって、人間がなんか大きなシステムの歯車みたいになっていく中で、本来の人間らしさってものが失われていってるんじゃないかと。
スピーカー 2
人間らしさが失われる。
スピーカー 1
ええ。自分で考えて、判断して、他の人と関わって世界を作っていく。そういう自由を手放して、ただ受け身で日々を過ごすのが本当に人間らしい生き方なのかっていう問いかけですね。
他者と意味のある言葉を交わして、一緒に行動することこそが人間の本質なんだっていう考え方が示唆されているわけです。
スピーカー 2
なるほど。でも対話の中でも、実際問題、今の社会でそんな風に活動してる人って周りにそんなにいるかなみたいな意見も出てきますよね。
スピーカー 1
ええ。現実としてね。
スピーカー 2
日々忙しいし、個人の時間も大事だし、なかなか難しいっていうのは確かにそうだなと。
スピーカー 1
その難しさはもちろん議論の中でも認識されています。でもだからこそなんですよ。
だからこそ?
こういう時代だからこそ、意識して公共の間で意見を交換したり、社会のことに目を向けたりする。つまり、活動を通じて人間らしさを保つ努力がむしろ大事なんじゃないかと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
社会って放っておいて勝手に良くなるもんじゃないですからね。そこにいる一人一人が関わって働きかけることで初めてより良い方向へ動かせる可能性があるんだと。
スピーカー 2
そっか。対話を見てると最初ちょっと懐疑的だった人もだんだんと考えが変わっていく様子がありますよね。
そうですね。
つまり、人間であるっていうのはただ生物として生きてるだけじゃないんだなと。他の人たちと関わって意見言ったり一緒に何かやったりしながらこの社会を作っていく。そういう存在ってことなのかなみたいに。
スピーカー 1
ええ、まさにその理解が革新に近づいてる感じですよね。
はい。
対話の終わり近くではもっと身近な例も出てきて、例えばこうして話を聞いてくれているあなたの意見をぼつってみるとか、そういうのもありじゃないかみたいな。
スピーカー 2
ああ、なるほど。完璧じゃなくてもいいからとにかく他者と意見を交わす場を持って社会に関わろうとすること自体が活動の第一歩なんだという考え方ですね。
スピーカー 1
じゃあ、この対話から見えてきたことを改めてまとめると、人間の条件っていうのはただ生存するだけじゃなくて公共の場での活動にこそ見出されるものだと。
スピーカー 2
そうですね。他の人と言葉を交わして社会に関わっていくことを通じて私たちは人間らしさを保てるし、ひいてはより良い社会を一緒に作っていけるんだということですね。
スピーカー 1
ええ、そういうことになりますね。そしてこの議論の最後は私たち一人一人へのある種の参加の呼びかけみたいにも感じられます。
スピーカー 2
参加の呼びかけ。他人任せにしないでみんなで関わっていきましょうよと、そうやってより良い社会を築いていこうじゃないかっていう結構前向きなメッセージがあるように思います。
スピーカー 1
今回はハンナ・アーレントの活動という概念について一つの対話記録をもとにあなたと一緒に探究してきました。ただ生きるだけじゃない、人間ならではの在り方。何か考えるきっかけになりましたでしょうか。
スピーカー 2
最後にですね、あなた自身にちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
今日を見てきたように、アーレントが大事にした活動というものがありましたよね。一方で、例えばオンラインで瞬間的にパッと自分の意見を表明するという行為もある。
スピーカー 1
ええ、ありますね。
スピーカー 2
この単なる意見表明と、今日議論したような対話を通じて社会をつくっていくっていうその意味のある公共的な言論、この2つの間にはどんな違いがあるとあなたは考えますか。
スピーカー 1
あなた自身の生活とか周りとの関わりの中で、その境界線ってどこに引けると思いますか。ちょっと考えてみていただけると嬉しいです。