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2024-09-25 17:07

ささきるの水曜回帰φ瑠 [2024.09.25]

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サマリー

最新のニュースとして、小林よしのりのギャグ漫画『おぼっちゃまくん』がインドで大ヒットし、新作アニメが制作されることが紹介されます。また、高田大輔の『図書館の魔女シリーズ』の最新作が発表され、日本科学未来館でのオードリー・タンらのパネルディスカッションが話題になっています。このエピソードでは、シンギュラリティやAGIに関する議論が日本とシリコンバレーで異なることが語られ、AIの利用方法について考察されます。また、プロレスやアイドル文化、そして公共空間におけるアニメ風の表現についての視点も紹介されています。

おぼっちゃまくんの新作アニメ
おはようございます。2024年9月25日、水曜日、ささきるです。
水曜回帰ファイル始めていきたいと思います。 今日は心を動かされるニュースがあったので、それを紹介したいと思うんですけれども、
小林よしのりのギャグ漫画、おぼっちゃまくんが 新作アニメになると。
しかもそれがインドで大ヒットしてるみたいで、それが成長続く社会、そのインドの中の社会にマッチしてるみたいで、
すごい流行ってるらしいんですけど、それでその追い風を受けて、新作アニメをインド市場向けに制作することになったと。
ということで、すごいそんなことがあるんだなと思いましたね。おぼっちゃまくん、私40代なんで、子供の時はちょうど連載やってるのを見てた頃です。
すごい流行ってたし、僕もすごい好きだったんですけど、まさかそれが今も、今インドで流行ってるとは。
で、これ成長続く社会にマッチしたってあるんですけど、80年代、これね連載した時1980年代ですけど、
80年代の日本、成長続く社会、いやそうだったのか。バブルのピークに向かって、
どこだから、社会にマッチしてたところなのかな。 だからギャグ漫画っていうかね、ちゃまご、ちゃまごとして
笑って見てましたけど、それどうやって翻訳されてるんでしょうね。 これあのアサヒデジタルの記事で、これはどこで翻訳されてるんだ。
過去にはヒンディ語、タミレ語、テレグ語などに引き換えられているということなので、このちゃまご、
友達インコみたいなやつですね、そういうのも訳されてるんでしょうね。 面白い。
ちなみにテレビ朝日の藤本幸子取締役は会見で、主人公がお城のような自宅に住んでいる設定や、
くったくのない言動が現地の方に刺さったのではと言ってますね。 まあ確かにインドとかだと、あの階級社会というか
アッパークラスのそういう社会が残っている社会だと、意外とああいうお城のような邸宅みたいなもので、ちょうどいいリアリティがあるのかもしれませんね。
東京だと全然そんなことないんですけど。 ちなみにそういう理屈で言ったら、
ツルセコ、ツルピカハゲマル。 ツルセコじゃない、ツルセコは政府ですね。
ツルピカハゲマルとかも流行っても良さそうな気がしますけど、そういうのはどうなんだろう。 ツルセコってやつね。
こういうのが流行るんですね。もしかしたらその10年後にはゴーマニズム宣言とかが流行ったりしてね、インド版の。
はい、というニュースが上に入りました。 もう一つは、この1週間のニュースを見返してたら、個人的に大興奮して
高田大輔の図書館の魔女
リポストしてたやつがあって、これはですね、高田大輔さんという小説家の最新作の予告が出て、
これがですね、図書館の魔女シリーズの最新作、高い塔の道心っていうやつだそうなんですけども、これはね、
高い塔の魔女って、メフィスト賞を取ってデビューしたファンタジー小説なんですけども、なんていうの、これ言語学者なのかな、本職の言語学者で
ものすごい博覧狂気のとんでもない分厚い小説を書いて、でもそれがね、結論というか、中身ちょこっと言ってもいいと思うんですけども、
最終的なボーイミーツガールのね、なんか青春物語みたいなところに落ち着くんですけど、パッと見全然そんな感じじゃないっていうのがね、
良くてね、すごくもう言葉で、これに凝った言葉で書いた小説が、最後言葉じゃないものを描くために、その言葉じゃないものを描ききるために全部言葉で
書けることは書いて、そこに書けなかったものを唯一見せるっていうね、そういう手法のすごい、
僕、過去に読んだ小説の中でもトップ10に入るような面白い小説、図書館の魔女ってやつがあるんですけども、その最新作、3作目ですね、
出るっていうニュースが出て、界隈はファンというか読者は大盛り上がりしてたんですけども、内容はエピソード0ってことなんで、第1作の前の話だったことですね。
だから正式な第3部の前にエピソード0みたいなのがね、やられるらしいんですけども、
まあこれはめちゃくちゃ楽しみだな。これいつ出たんだろうな。図書館の魔女っていうのが、
多分メフィスト賞を取って最初の作品としてリリースされたのは10年前なのかな。
ギリギリ10年前じゃないかもしれない。ちょっと調べてみよう。
宝大輔さんは1968年生まれ、日本の言語学者、小説家でフランス在住、博士論文執筆中ということなんですけども、
図書館の魔女は2013年に最初の作品が出てるのかな。
10年経ってますね。で、第2作が2015年、2年後ですね。
で、マホリっていう別の小説、これミステリー小説みたいな、民俗学ミステリーみたいなやつなんですけども、これも出たのが2019年なんで、今回2014年の
作品、出るのは来年か。2015年の作品は6年ぶり。久々。
もうこの方はもう、この方っていうか、この方の小説が
未来館でのパネルディスカッション
圧倒的ですね。なんか、ほんと一番好きだな。
今わざわざなんで文字だらけの小説という表現形態でエンターテイメントを楽しまいきゃいけないのかと、
アニメや漫画やドラマとか、いろいろな映像作品とかいろんな手法あるじゃないかってことあると思うんですけども、
本当に言葉でしか、言語でしかできないことをやっている。ほんと言語学者らしいというかね。
トールキンとかね、トールキンの指輪物語とか、
あとはジョイスのユリシーズみたいな、もうなんていうかな、言語を突き詰めたようなね、小説なのに、ボーイミーツガールの
ファンタジー小説なんですよ。それがね、いいんですけどね。 これはすごい楽しみができましたね。
例えば言うと、分厚い本で言うと、京福夏彦の最新刊楽しみにしてますって言ってるんですけど、それに比べると京福夏彦の
10倍楽しみにしてますね。村上春樹の25倍ぐらい楽しみにしてますね。
そんぐらい楽しみな話ですね。
あと3つ目ですね。これは
ワイヤードの記事なんですけど、開催されたイベントはちょっと前、8月だったと思うんですけども、そのレポート記事が9月になってたと。
これはオードリー・タンとグレゴワイルと鈴木健らが問う多元的な未来とその実現に向かってということで、
未来館でやってた、日本科学未来館でやっていたトークイベント、パネルディスカッションの様子を記事にしたと。
これ、鈴木健さんは僕の前の上司っていうか前の会社の創業者ですけど、共同創業者ですけども、
すごくね、このイベントの後すごく興奮したコメントとかをすごく面白かったっていうのをね、珍しく本当に楽しかったと思うんですけど、SNSに投稿してたんで中身気になってたんですけども、
これすごくダイジェストとはいえね、僕もねすごく面白いなと思って見てました。これ中身全部紹介できないんですけども、そんな中で特に自分心に残ったのがあって、
技術とかね、未来の話をしてるから、その当然最近流行りの生成AIの話もしてるし、ちょっと前のトレンドということになると思うんですけども、ブロックチェーンの話なんかもしてるんですけども、
みんなその中身をよく理解した上で、程よい距離を取ってるんですね。それは、なんていうんだろうな、
むしろもっと遠い未来を見てるから、もっと遠い未来を見てる人にとっての、今の生成AIとかのトレンドとかって、それに振り回されないというか、
それだけ見てると、こんなに毎日新製品の発表があってとか、あるいは期待と失望とが入れ替わるような時期ですけども、こんなにエキサイティングな時期はないとかって言うんですけども、
もっと遠く見てると、これぐらいの変化って他にもあるよねっていうか、もっと大きな変化の一部でしょうみたいなふうに見えてるんだと思うんですけども、
すごく冷静なというか、距離の取り方をしてるのは僕とっても好みでというか、振り回されてない感じでちゃんとみんな喋ってるのがすごくいいなと思ってますけど、
それが一番よく現れてて僕好きだなと思ったのが、オード・リターンが2016年にデジタル大臣に就任した時に、自分の仕事を説明するために次のような短い詩を書きましたって言って、
英語の語行詞みたいなものは載ってるんですよ。これすぐパッと読んでっていうか、意味がわかりやすくて、こういう内容なんですけども、
自分の仕事を説明するときに、自分の仕事を説明するときに、自分の仕事を説明するときに、自分の仕事を説明するときに、自分の仕事を説明するときに、
When we see user experience, let's make it about human experience. When we hear the singularity may be near, let us remember that plurality is here.
という詩なんですね。何を対象しているかというと、モノのインターネット、IoTとインターネットの存在のインターネットを対象している。
次はバーチャルリアリティに対して、共有されるリアリティっていうものを対比している。
次にマシンラーニングに対比させて、コラボレイティブラーニングだから、共同的学習みたいなものを対比させている。
UX、User Experienceに対して、人間の体験、Human Experienceを対象している。
シンギュラリティとAGIの議論
最後、シンギラリティはもう近い、みたいなことを聞くことはあると思うんだけども、それよりも多元性と複雑性と、そういったものはすでにあるんだよってことを思い出そう、みたいなことを言うわけですね。
IoT、VR、ML、UX、シンギラリティ、そういった新しい言葉を思い出すときに、自分たちに関わること、存在に関係すること、現実シェアすること、共同で学ぶこと、人間の体験、そしてすでにこの現在が多元的で複雑であることを思い出そう、みたいな、
死が、死だと言ってますけど、メッセージがあって、これが2016年ってことですよね。
私は2016年に僕らのネクロマンシーという小説を書いて、その中にすでにIoTとVRとマシンラーニングとそういったものはたくさん出てくる小説を書いたんですけども、その技術の話じゃなくて、そこの、
死が起こった後に人がどうなるかみたいなことを、暇だったんで、というか暇じゃなかったんですけど、想像を巡らして時間をかけて小説を書いたってことを、そこに時間を費やしたっていう自負があるのもあって、
新しい技術とか未来とかっていうものを触れたときに、スタンスっていうかね、死という形で自分のステートメントを発表してるっていうことに近いと思うんですけども、
僕も同じような態度で思ってたんで、いやそうだよなと思ってこのメッセージを読みました。
読んだし、たぶんこの感覚って今、登壇者の間ですごく共有されてると思うんですね。
例えばね、それがどこに出てるかと、ケンさんが言ってることですけど、シリコンバールに住んでるとAGIに関する議論が盛んに行われては耳にします。
でも日本ではそこまでAGIの議論が活発ではありません。でもそれが健全なのかなっていう気がしています。
トップクラスの研究者が議論することは良いことだと思うけれども、社会全体がAGIに備えるフェーズには至ってないと思うからですと。
AIは道具として良いことも悪いことにも使えるわけで、日本はシンギュライティの議論に振り回されずに、人間の自発性を高めるような方向でAIを使う方法を考えられるのではないかと感じます。
プロレスと公共文化の視点
みたいなことを書いてるんですけど、この距離感ですよね。目の前の音に振り回されて熱狂するというかは。
なのでとても心地よい内容だったので面白かったです。
あとあれ見ました。極悪女王。
ネットフリックスでやってるダンプ松本をモデルにしたドラマのやつですね。
まあまあ面白かったです。
80年代のアイドルと女子プロレスが掛け合わさったようなシーンを再現する会場とかね。
プロレスラーの女子寮の風景とかね。そういうのがすごい面白くてついつい見に行っちゃいました。
あとは小学生みたいな感想ですけど、イリアンレットリーバーの演技がすごく良かったんですけど、
僕としてはすごく鍛えた身体の剛力や柔めがプロレスしてるのがすごく良かったですね。
ああいうところに作品への真剣さが出てるっていうかね。
あれがブヨブヨの、ふにゃふにゃの日本の若い女性アイドルって身体鍛えないイメージなんですけど、
ちゃんと鍛えた身体でやってるっていうのがすごく良かったですね。
僕なんかこうストレートに言うとあれですけど、ロリコン趣味的なビジュアルとかアートとかがすごい苦手なんで、
ちゃんと大人の女性が出てくるっていうかね。ちゃんと子供っぽさじゃなくて大人っぽさ。
筋肉もそうですけど、筋肉はどじゃがっと枝葉の話ですけど、
普通の大人として好きなんで、アイドル文化だからって言って小さくて可愛いみたいな、
そういうものになってなくてすごく良かったなっていうかね。見やすかったですと思いました。
ちなみにそういう関連で言うと、ラッパーのリョクカルマが日本の萌えアニメ文化に苦言を呈したとかって言って、
鳥取県の小居山形駅のあれはなんて言うんだろうな、ラッピング?ピンクにラッピングされて、
あとは鉄道娘らが何らかのキャラクターがいろいろ書き込まれてる、すごい真ピンクな、トピンクな駅があると思うんですけども、
それをなんだこの駅気持ち悪いってつぶやき3票呼んだみたいな話があるんですけど、
全く同感ですね。すごい気持ち悪いと思いますね。
それを気持ち悪くないと思う人もいるかもしれませんけども、駅みたいなね。
公共のとこがああいう風になるのは、すごい普通に考えて、僕は普通に考えてすごく気持ち悪いっていう感性を持っている方ですね。
なんかリョクカルマさんが話題になっているのは、発言の一貫性みたいなものとか、その後の随分口が悪かったみたいなこととセットになって延長しているとかっていうことですけども、
僕自体はあの感性に同意しますね。
むしろ駅の運営に関わる人が、あれはなんでいいって言ったんだろうってすごく疑問ですけども。
これでもね、メディアヌックでも取り上げたいなと思うんですけども、
ああいったアニメ風の絵に対する許容度、拒否感みたいなものって、
なんかある世代を境に、なんかちょっと違うらしいんですけど、いろんな社会学の本を読むと。
僕はどちらかというと古い方の人間なので、ああいったものが公共のところにあるものは非常に違和感を覚えるタイプでございますね。
でもこれね、言いっぱなしになるとよくないんだけど、宮本さんとかメディアヌックとかでも話してみたいなと思います。
はい、涼しくなってきてすごく過ごしやすくなっていますが、皆さんお風邪などひかないように、また来週お会いしましょう。
それでは良い一日を。
17:07

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