千葉雄介さんの訃報
静かにして!
孤独なPodcasterが毎日一人で平日語る平日回帰φ 火曜MCは、アヤコPです。
こんばんは。2023年12月5日火曜日です。
今日はですね、またね、ちょっと悲しいニュースが飛び込んできましてですね、
先日、ニュースレター、リベルタスっていうのを書いているんですけど、
その先日書いた記事の中にもですね、取り上げたばかりのですね、千葉雄介さんがですね、亡くなったというですね、知らせが今日も入ったんですね。
そうですね、いやーちょっとですね、私個人的には初めてまともに楽曲を聴いたばかりで、すごくかっこいいな、エモいなということで、最近ね、結構聴いてたんですよね。
The Michelle Van Elephantとか、あとLostとかThe Birthdayとか、そういったいろんなバンドで活動をしていてですね、
最近だと私見てないんですけど、スラムダンクの映画のオープニングの主題歌で使われたりとかして、知ってる人も多い、というか聞いたことがある人も多いと思うんですけども、
いやーなんかですね、今年立て続けだなということもあるし、千葉さんはですね、食道癌を患っていたと。
4月にですね、それが発生。
判明して治療を続けていたということで、なかなか治療の甲斐なく、残念ながらという形だと思うんですけども、千葉さんもそうだし、何度も言ってますが、桜井さん、そしてXジャパンのヒース、みんなですね、
なんか、50代の、90年代。
20年代、90年代から活躍をしていた、ベテランのですね、ロッカーたちが天国に行ってしまうというですね、
まあ、なんかね、今年立て続けとかいうのは別にそんな、なんか、意味があるとかそういう話じゃもちろんなくて、
そういう話をしたいわけじゃなくてですね、たまたま重なっているということだというふうに私は思っているし、
それ以上でもそれ以下でもないですけれども、まあ、あまりにもですね、あまりにも続いているので、ちょっとですね、なかなか耐えがたいものがありますね。
えー、人はいつかね、死んで天国に行くので、あたかもなんかね、自分なんて永遠に生きるんじゃないかぐらいの感覚でしかね、今ないんですけどね。
大きな病気とかもないし、
うん、特に健康診断で何か大きなねこと言われるわけでも自分はないので、どうしてもね、その死というものが非常に遠遠いoe
人生のはかなさ
もちろん親戚とかはね、あの、亡くなっていたり、あの、叔父も叔母も亡くなっていたりですね、するから死というものは当然あるんですけど、ま、私はあの両親は健在で。
うん。
あとおばあちゃんはこう、
おばあちゃん、父方のおばあちゃんが今100歳、もうすぐ101歳で、そうやって大王女、大王女じゃない、まだ亡くなってないからね、長生きしてる人たちもいるし、こうしてね、100歳の半分ぐらいですかね、人生100年時代とか言って言われるけど、やっぱり50代で亡くなるっていうことは本当に短いなと思うし、
いつそれがね、本当に自分の身の回り、そして自分にもやってくるかって本当にわからないので、改めてなんだか不思議な感じというか、そろそろやっぱりね、自分の、何でしょうね、千葉さんは最近知ったばっかりっていうのもありますけど、
自分の人生ですごく重要な、
まあアイコンだった人たちがですね、亡くなっていくと、自分もね、いつそういうのがやってくるかっていうのは本当にわからないですよね。
なんかあの、ダイビーズゼロっていう本があって、読んでないんですけど、あの、友達のポッドキャスト聞いてたら、ダイビーズゼロっていうのを読んですごくよかったみたいな話があって、
えー、どんな本なんだろうと思って、まあタイトルからね、ダイビーズゼロ、まあゼロで死ぬっていうことなんで、どんな本かうすうす想像はつくんですけど、まあちょっと調べてみたらね、
あの、まあお金をね、貯め込むんじゃなくて、その生きている間に、とにかく経験、いろんな経験ができるように、どんどんお金を使っていく、投資をしていく、まあ自分に投資をしていくみたいな感じですかね、自分の経験とか思い出を作っていく。
死ぬときは、あの、お金をね、いっぱい残して死ぬんじゃなくて、ほぼゼロに近い形で死ぬのが理想的なんじゃないかっていう提言の本だということなんですけども、
でもなんで人ってお金をどうしても節約したり貯め込んだりするかっていうと、いつ死ぬかわかんないからですよね、自分が。いつ死ぬかわからないので、長生きするかもしれない。
長生きするんだったら、ね、あの、どうしてもお金、
お金がその分必要になってくるので、お金をね、そんなにやたらめったら散財するっていうことはなるべく控えて、もちろんなんか運用に回してお金を増やすとかはまた別の話ですけど、
あの、ね、なんか貯め込むっていうよりは、なんか将来に備えるみたいな形でお金を私は今考えてますけど、まあそう言ったって、ね、いつ、
いつっていうことですよね、本当に。そして自分の大事な人がいついなくなっちゃうかっていうのも本当にわからないし、
まあ明日や明後日じゃないだろうみたいな感覚で生きてると、あの、本当にあれですよ、あの、明日や明後日じゃないだろうって思って、
なんかずっとやりたかったこととか、ずっと行きたかった場所とか、ね、ずっと会いたかった人とか、
に、まあ会わずに、まあまたの機会でとか言ってね、忙しくなくなったらとか、ちょっと時間に余裕があったらやろうとかね、
やって後回しにしてると、本当に良くないなって思ったんですよ。
幸いなことにですね、あの、まあ爆竹に関しては私なんか、あの、ずっとね、追っかけてたわけじゃなくて、ずっとね、ウォッチをしてたんですけど、
ライブに行こうとかね、あの、毎回毎回ツアー行こうとかっていう感じではなくて、
まあどうしても生活からちょっと離れてる時期とかが結構あったんで、あの、ライブね、全然行ってなかったんですけど、
ちょうど一昨年ぐらいから急になんか、多分まあ会社辞めて、いろいろね、行きたい、行きたいところに行こうみたいな感覚になった時に、
あ、爆竹もちょっと行こうと、ちょうど35周年だしってことで。
大切な人との出会い
まあ行き始めて。
で、最近は結構行ってて、あの、近郊のね、横浜とか東京のやつとかは行ってての、まあ桜井さんのこのお知らせっていうのもあったりして、
うーん、まあなんかたまたま、あの、行っといてよかったなっていうか、なんかこういうのもあれなんですけど、やっぱり、やっぱり、
あ、会ってよかった、あ、会ってっていうか、会いに行ってよかったってすごく思っていてですね、
まあもう生きてる間のその、生の場に行くとかって、本当にその時じゃないといけないですよね。
うーん、それは別にライブでもそうだし、なんでもそうですよ。
あの、旅行に行くとかでも、ま、世の中もうどんどん変わっていってるし、ね、その今の、この変わる前の、今のその場所とかって、今行かないとね、見えないですからね。
だから、まあまあ、だからね、あの、まあ結論、行きたいところには行くべき、早く行くべきだし、会いたい人には早く会いに行くべきだし、
っていうことですよね。やっておきたいことは、後回しにせずに、やっていかないといけないわけですよ。
まあそうじゃないと本当に、本当にどうなるか、ね、わからないっていう。
っていうふうにこうやって喋ってても、
全然そういう実感がないのでね、まあなんか、正直、ちょっとね、後回しにしてもいい、なんか、仕事とかを優先してるわけですけどね。
まあ後回しにしていいっていうか、まあそれはちょっと語弊がありますけど、約束したのでやるんですけど、
だからやっぱり、自分の人生において何をするか、まあそれは仕事も含めてですね、仕事もそうだし、遊びもそう。
いろんなこと、何でもそうですけど、何を先にどんどんやっていくか、っていうことを、まあ私もね、このあたり誕生日が来て、まあ一個年を重ねたわけで、
あのー、刻一刻とね、時が過ぎていくんだなっていうのを、まあちょっとしんみり考えるんですよね。
まあ考えるって言っても、実感がまた湧いてないっていう、このね、あれですけど、どうにかしてね、それを自分の、なんか腹に叩き込まないといけないんだろうな、っていうふうに思います。
はい。
なんてちょっと思っていて、まあそれを毎日なんか覚えておこうとかね、なんかめめんともりとか言って、こう、まあめめんともりっていう言葉大好きですけど、
まあ死を忘れないで毎日過ごすなんて、ほんと無理な話なんでね、あのー、無理な話だけど、やっぱりね、こう、じゃあ一日一日をすごく、もう噛み締めるように味わってるかって言ったら、まあそんなことないんでね、ほんとに。
時間すごく無駄にしてるし。
なんかね、時間もすごい無駄にしてますよ、ほんとに。
ねー、スマホを片手に何をしてるんだかっていう感じなわけですけどね。
ということもあってですね、昨日頼んでおいた本が届いたわけです、私の元に。
スマホ時代の哲学とは
スマホ時代の哲学ということで、失われた孤独をめぐる冒険というですね、サブタイトルがついていますけど、
他日課は、
えー、吉博さん、著作ということで、えー、昨年の11月に出た書籍ですね。
今の時点でサンズリだから、あんまり、あれですね、読まれてないのかな。
でですね、あのー、どういう本かというと、えー、常時接続の世界、今ですよね、常時接続の世界において、私たちはスマホから得られる、分かりやすい刺激によって、
自らを取り巻く不安や、
退屈、寂しさを埋めようとしている。
そうして、情報の濁流に身を置きながら、私たちが夢中になっているのは果たして、世界か、他者か、それとも自分自身か。
そこで見えてくるのは、寂しさに振り回されて、他者への関心を失い、自分の中に閉じこもる私たちの姿だ。
常時接続、常時接続の世界で失われた孤独と向き合うために。
哲学という未知の大地を巡る冒険をここから始めようということなんですけどね。
はじめにというページで、ニーチェという哲学者いますね。
あの人のですね、えー、一節が引用されているわけですよ。
ニーチェの書いた、ツラ・トゥストラ、ツラ・トゥストラという本ですね、そこからの引用です。
読みます。
君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか?
君たちはみんな激務が好きだ。
早いことや新しいことや未知のことが好きだ。
君たちは自分に耐えることが下手だ。
なんとかして君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。
えー、これはいつ書かれたんですか?
なんかね、いつだろう、もう超前ですよね、ニーチェだから。
例えば、スケジュール帳が空白だと自分が無価値に感じられるから必死で埋め、偉くなった感じがするから目先の業績を積み上げる。
生きることをこうして激務で取り囲もうとするのは、生きることの不安から逃れようとしていることの勝算ではないか、というわけです。
忙しく働いていることを誇らしく思う人は、私だな、これ。
読者の中にも少なくないでしょうし、休日にたくさんのイベントがあることを生活の充実だと考える人がいるかもしれません。
そういう人にとってニーチェの指摘は一言ではないはずですと。
まあまあ、そんなに私はスケジュール帳が空白でも無価値に感じませんけどね。
確かに、大昔、20代とかは予定のない休日として、
休日とかがね、本当に怖かったですね、でも。
というのをちょっと思い出しましたけど、さすがにこの歳になってそういうことはないけど、
激務で取り囲もうとするっていうこと、取り囲みたくて取り囲もうとしているわけじゃないはずなんですけどね、私は。
でも、やっぱり仕事がないと不安だとか、仕事がないとか、
仕事がないイコールお金を稼げるとか、そういうのがあるんですよね。
仕事がないということだから、それは不安だっていうふうにね、やっぱりずっとどっかで、私はあるんですよね。
ということをですね、切るという、そういう本です。
これは千葉さんの不法があって買ったわけじゃなくてですね、
最近ちょっとこれが気になっていて、哲学しようと思って、読もうと思ってですね、買いました。
それがちょうど届いたので、週末にちょっと読みたいと思います。
まあ、だからね、本当ね、仕事の話するのすっごい楽しいじゃないですか。
いろんな話がありますよ。なんかね、テクノロジーの話とかも楽しいし、
仕事でこういうことをやったとかっていうのをね、
いろんな人と共有し合って、すごい面白いことをね、どんどんやっていきたいっていうのもいいんですけど、
まあ、それ本当にやりたいことかっていうことをね、自問自答したいですよね。
私なんか本当特にそう。
だからもう来年はね、いろいろちょっと整理しなきゃいけないなというふうに思って、また思ったということですね。
はい、そんなわけで、
今日もね、ロッソの発行を聞いてですね、ちょっと染み入れたいと思います。
はい、というわけで、海洋回帰ファイルいかがだったでしょうか。
感想とかありましたら、
引用回帰ファイルのディスコードサーバーがありますので、そちらに感想などお寄せください。
それでは皆様、引き続き良い1週間お送りください。
あやこぴーでした。