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2023-12-20 17:04

アヤコPの火曜回帰φ瑠「だれのための仕事」

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お若い方と働くことの意味について話した上で。


平日回帰φ瑠、火曜MCを担当いたします孤独なPodcaster アヤコPです。

80億人分の1人が、365日中の1日の火曜の出来事をもとに、孤独にニヤニヤ語ります。

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サマリー

アヤコPは「だれのための仕事」について語っています。彼女は仕事の意味や自己実現について考え、社会との関係性にも探求しています。私は仕事の意味や意義について考えることがあります。また、仕事とは労働であり、その苦しみに向き合い続けることが重要だと思います。

仕事の意味と自己実現
孤独なポッドキャスターが毎日一人で語る平日回帰ファイル、火曜MCは、アヤコPです。
2023年12月19日、火曜日です。
と言っても、ちょっとですね、日付回ってしまいまして、水曜日の深夜にお送りしておるわけなんですけれども、
今日はですね、ちょっと遅くなっちゃったのは、今仕事を一緒にやってるですね。
えー、お若い方とちょっとね、ご飯を食べておりました。
で、まあね、お仕事のことについてとか、なんかキャリアってとか、仕事の意味って、みたいなことをね、結構いろいろ話し込んでいて、
あの、だいぶね、あの、盛り上がってすごく楽しかったなと思っております。
やっぱりね、あの、その人はですね、私よりも10歳…
10歳…ちょうど一回りぐらい違うのかなという感じですね。
うん。かな?一回りぐらい。
で、なんかね、特に物欲もないし、なんかお金何使ってます?みたいな話もしたりとかして、
まあ確かにね、お金…ね、まあ最近ちょっとね、あの、家電を私は買いましたが、
うん、なんかそれ以外は本当にお金ってあんまり使わなくて、
まあ経験に使うと、
お金とかね、いろいろあったり、あとは、まあいろんな人とご飯を食べるとか、そういう時にね、使ったりとか、
まあそういう、あれですよね、物を買うというよりは、経験に使ったりするけど、
まあそんなにたくさんいらないよね、みたいなお金がね、っていう話もあったりとかしていて、
まあお金の話というよりは、まあまあ働くことの話とかをね、結構したんですよね。
まあ一緒にやってるプロジェクトがね、なかなかちょっとうまくいってなかったり、
うーん、なんかもやもやするとか、
そういうところがあって、まあそれをね、かなりお互い発散して、
えー、まあガス抜きみたいなね、まあこういう回もいりますよね。
もう絶対必要なので、まあそういう話を結構しました。
で、まあ家に帰ってきてですね、
うーん、なんか、本をちょっとそういえばと思い出してですね、
これ昔読んで、もうだいぶ忘れちゃってる本なので、もう一回、
これいいなと思ってですね、ちょっと手に取った本がありまして、
えー、ワシズ、違う、ワシダ・ギオ・カズさんの
えー、誰のための仕事、労働vs余暇を超えて、という本ですね。
でね、えー、ちょっとね、まあ働くことの意味ですよね。
まあそういうものを考える本なので、えー、すごい好きだったんですけどね。
だいぶ内容忘れてたので。
限界と社会の関係
もう一回、読んでいます。
読んでますっていうか、まあちょっとね、要点だけちょっとパパッと見返したりとかしてるんですけど、
ちょっとね、引用したいところがありまして、
結局、なんか典型的な人間なのかな、私っていうのをちょっと思ったんですよ。
っていうのが、えー、まさにね、ここに書かれている、
まあ人々の働くことにおける、えー、意味を求めることについての悩みみたいなね、
ところなんですけど、
ちょっと引用したいと思います。
えー、意味への疲れ。
まあ疲れっていうのは、取り疲れの疲れですね。
えー、人は自分をもっと活かせる仕事。
そう、自己実現できる場所を求めることになっていく。
自分にしかできないことへの過剰なまでのこだわりが前面に出てくる。
けれども、自己実現ほど実現しにくいものはない。
理由は二つある。
一つは、自分にしかないもの。
二つは、自分にしかないもの。
三つは、自分の素質、ないしは才能を生かそうにも、
素質や才能は自分ではなくて、自分の特質でしかないからだ。
記憶力がいいとか、協調性があると言っても、何かの資格を持っていても、
そういう人は自分以外にもいるわけで、
つまるところ、それらは自分が属している類型のことに過ぎない。
だから、私がそれをしていることの意味は、
そこではない。
それは最終的に確認できない。
もう一つは、仕事は結局、独力ではやりきれないからだ。
どんな小さな仕事でも、社会の複雑なネットワークのどこかに位置しないと全うできない。
仕事を懸命にすればするだけ、他人のおかげということを思い知らされるのが仕事というものだ。
それを達成したとき、自己実現などという当初の目標自体が虚しく見えてくる。
とすれば、
自分の目的ではなく、限界にこそ向き合うことになるのが仕事だということになる。
もっと器用であれば、もう一つ体があれば、もっと効率的に作業ができるのに、という身体的な条件でもいい。
他人の力を借りないと何もできない、という社会的な条件でもいい。
そういう人としての限界をひしひしと感じながら、
それでも人としてしなければならない。
そういうことをしているという感覚が持てたとき、
私たちは働いているという実感に満たされることになるのだろう。
ということなんですよ。
これすごく一部だけの引用なんですけどね。
結局、あれですよね。
もう一回読むと、
自分をもっと活かせる仕事、
自己実現ができる場所を求めていると。
自分にしかできないことへの過剰なまでなこだわりが前面に出てくるけれども、
自己実現ほど実現しにくいものはないということなんですね。
理由は、自分の特質でしかないと、才能や素質は。
ということと、仕事は結局一人ではできないから。
なので、何か仕事を達成したときに、結局それって自己実現じゃないよね、というね。
むしろ限界に、
向き合っている、
限界を感じるということなんですよね。
それを感じながら、
それでもやらなきゃいけないという感覚が持てたときに、
私たちは働いているという実感に満たされるということになる。
誰しもが一部であり、自己実現の見え方
これはですね、本当に本それっていうか、
あの、
あれですよね。
結局そういうことなの?っていうね、
話なわけですよ。
つまり、
意味とか、
そういうことよりも、
もっと超えたところに常に向き合い続けていくことが、
なんて言うんですかね、
仕事の意味っていうね。
面白いですね。
結局一人では生きていけないっていうこと。
だから、
自己実現とかっていうことをね、
きれいごとのように、
言ったりとかしますし、
事実、自己実現したいって私もすごく思っています。
自己実現ってなんだっていう。
要は、私だからこれをする意味があるとか、
私だからできるとか、
これをするために生まれてきたとかね、
もっと大げさに言うと。
そういうことをですね、
どうしても思いがちなわけですけど、
すごく、
ものすごくパラドックス的な感じで、
そういうことを思いながらやることで限界を感じ続けること。
それが労働であるということなんですよね。
で、
常に結局人と一緒に仕事をしていくという、
人と一緒というか、
人と一緒ともに何か成し遂げていくとか、
その社会の構造の要素の一つになっていくことでしか、
社会が成長できない。
社会が成立し得ないっていうことなわけで、
まあまあなので、
なんですかね、
結局、
社会と交互しあっていく。
交互っていうのは、
お互いに影響しあっていくみたいな、
そういう一部であるということを、
まあまあ感じていかなきゃいけないということだとも思う。
そういうわけですね。
この本、すごくいいですよ。
特に結論が書かれているわけじゃないし、
結局そこなんじゃないかとか、
より自己実現、
自分の幸せって何だろうっていうのがわかるわけじゃなくて、
なんかこの今の時代の社会構造、
かなりシステム化されているシステムというのは、
構造という意味でのシステムですけど、
システム化されて成り立っている大きな社会の中で、
その一部に必ず誰しもがなっているわけだし、
一部にしかなり得ないっていうことでもあるわけなんですよね。
なので、
いくらね、
キラキラ輝いている人がまぶしく見えようとも、
ともですよ。
あんまり変わらないんですよ。
それぞれの人同士って。
単純に自己実現しているように見えますけどね、
そういう人たちって。
満足度としては高いのかもしれないですよね。
自分のやりたいことをやっている割合が高いと、
本人の満足度が高いし、
そういう人って自ずと素敵に見えるという。
でも、例えば、
Amazonで私たち物をよく買いますけど、
そこで、
仕事の意味と意義
最近はロボットが多分やってくれること多いと思いますが、
パッキングとかをしてくれる人たちだっているわけですよね。
ひたすらパッキングだけをする人たちがいて、
じゃあその仕事意味がないかって言ったら、
全然意味ありますよね。
ただ、そのパッキングしてくれてる人と私っていうのは、
全然顔が見えないし、
知り合いでもないわけで、
ありがとうって直接言うことなんてできないわけだし、
あちら側もありがとうって言われることないわけですよね。
直接のお客さんであるにもかかわらず、
直接的にその物が届くのに、
関係性としては、
薄いネットワークで繋がってはいるけれども、
会うことができないっていうね。
そういう、全部そうですよね。
これAmazon。
わかりやすく言っただけで。
全部そうなんですよね。
全部そうですよ、本当に。
自分ちで農業とかしない限りは。
農業したってね、
例えばじゃあ肥料、
いりますよね。
肥料を作ってくれる人がいるわけだったり。
その肥料を作ってくれる人、
知ってるか、だいたい知らなかったりね。
現代社会は概ねそうなっていて、
一部のそういう、なんですかね。
例えば、
街の中で全部調達ができて、
全部顔が見えるよって言ったって、
じゃあ扇風機使ってないんですか?とかね。
極端な話言うと、そういうことになるわけじゃないですか。
だから、こうね。
年末になってですよ。
なんかいろいろ自分でも、
1年間の働いてきたこととか、
振り返ったり、
あと今日ちょっとね、
その人と話をしたりとかした中で、
なんかやっぱり仕事に意味をどうしても、
意味とか意義とか、
すごく見いだしたくなるし、
お客さんからもよく言われますからね。
意義をちゃんと考えろとか。
私もそれは、
ずっとね、
なんていうんですか。
考えてきたことでもあるし、
それをうまくストーリーにして、
物事を作ってきたりね、
しましたけど。
そこのね、いつもなんかこう、
意味が大事っていう話と、
いや意味が、
意味はあることが前提で、
自分だけの意味があるとか、
意義があるとか、
理由があるみたいなところに苛まれてると、
大体苦しくなっていくっていう話ですけどね。
さらにこの本は、
それが苦しくなっていくっていうのは、
もう分かりきっていて、
それに向き合い続けることが、
労働であるっていうね。
労働というか仕事であるっていう、
そういう結論なのかなと、
ちょっと私の中で思いましたけど。
いやなんか、
人間っぽいですね、すごくね。
人間臭いなと、
いう感じがしております。
だからといって、
うーん、
なんかね、
誰かの役に立つことが仕事でもあるし、
それだけをやってていいのかっていうと、
分かんない。
それは本当に分かんない。
もう人によりけりだし、
うーん、
何か仕事があるってことは、
誰かの役に立ってるわけで、
それになんか、
重いも軽いもない、
ないんですよね、きっとね。
って思うんですけど、
仕事と生きがい
まあまあまあ、
結局そこの堂々巡りでいるわけです。
お聴きいただいている皆さんは、
なんか仕事の意味とか、
考えたりすること、
ありますか?
なんか私が自分でいつも考えてもめめしていることが、
この本にそのまま書かれているので、
えー、
多かれ少なかれそういうふうな、
同じようなことを考えている方、
いらっしゃるんじゃないかなと思います。
思います。
で、えー、
逆にその遊びとかね、
趣味とかレジャーとか、
まあ要は余暇ですね、
この本でいうところの余暇を、
生きがいにしている人もいるし、
家族の成長とか、
家族団らんを生きがいにしている人もいるだろうし、
そのなんか仕事自体に、
えー、特にあんまりね、
もう割り切って重きを置かずに、
えー、淡々と、
そのさっき言った、
社会では絶対に必要なものなのだから、
っていうことを前提にして、
えー、
自分はやるべきことをやって、
で、他になんかね、
楽しみとか生きがいを見いだすみたいな、
まあそんな方もおそらくいらっしゃるんじゃないかなと思います。
はい。
私はね、結構仕事が好きなんで、
どうしても仕事の方にね、
意味を見いだしたくなっちゃうんですけど、
まあ仕事および、
この今の、
この社会の中で生きていくっていう中で、
なんかね、
こうもうちょっと身軽に、
面白みを見いだしていけると、
いいなーと、
改めて思いました。
なんかね、
まあプロジェクトが、
まだ終わんないんですけどね、それは。
終わんないんですけど、一旦の区切りみたいな、
節目、節目でもなんでもないですけどね、
まあ年末だから、一旦お休みに、
年末年始のお休みに入るという、
手前で、ちょっとね、
いろいろ振り返ってみたりしました。
えー、
そんなわけで、今日はこの辺で
終わりたいと思います。
来週が、今年最後の、
火曜回帰ファイルになるかなと、
思います。
というか、そうですね。
なので、なんかもうちょっとね、
いつもダラダラと話しちゃうので、
何か、ちゃんとした、
手前にしようかなと思っておりますが、
どうなることやら、
皆さん、またね、
年末お忙しいと思いますので、
一週間頑張って、
金曜日まで頑張りましょう。
あやこPでした。ありがとうございます。
17:04

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