1. 平日回帰φ瑠
  2. 松浦シゲキの木曜回帰φ瑠[肉体..
2025-01-09 09:45

松浦シゲキの木曜回帰φ瑠[肉体にも精神にも負荷をかけていこう]

spotify

道具のおかげで生きていく上で限りなく肉体の負荷が減り、そしてAIのおかげで思考の負荷が下がった先、生存努力がなくなっていく世界観見据えてどう動くかみたいな話をみかけて確かになあ、という考察。

松浦シゲキ -> ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠SubStack⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ | ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠X⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ | ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Threads⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ | ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ | ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Profile⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

松浦シゲキは、年末年始の過ごし方や自身の健康について語りながら、現代社会における肉体や精神の負荷を減らすことについて考察しています。また、技術の進歩がもたらす影響や、人間関係における愛されることの重要性についても触れ、最後に肉体と精神の強化の必要性を説いています。

年末年始の過ごし方
孤独なポッドキャスターが平日一人で語るポッドキャスト、平日回帰ファイル、木曜日にし、担当は私、松浦シゲキからお送りします。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。今日は2025年1月9日です。
はい、年が明けましたね。年末年始いかがお過ごしでしたでしょうか。
私は昨年12月28日、29日ともう29日までですね、7日連続続いた忘年会の日程を終わり、スタートは基本的にはダラダラしてましたね。
30日から3日ぐらいまでは、まああんまり年末年始とか関係ない仕事でしたのでね。
ダラダラとか言いながら、それでもね、正月1日は晴れということで、気持ちに余裕があったら新年ぽいことはちょっとだけしようみたいな感じで、
東京ワンフェリーから初の日の出を見てきましたみたいなのをやりましたかね。夜中のうちに4時ぐらいかな、4時ぐらい、もうちょっと遅いか、4時半ぐらいにバイクで走り出して1時間半ぐらいかけて
三浦半島、栗浜に来ましてですね、そこから東京ワンフェリーに乗りまして、バイクは港の方に置くので、まあほんと単身乗り込んでフェリー、東京ワンフェリー600人ぐらい乗るんですけど、まあ結構パンパンに詰まるような感じで、
東京ワンから初日の出を見る、で千葉県の方まで渡るんですけどそこでは降りずにですね、そのまま折り返して帰ってきて、
栗浜港からまたバイク乗って自宅戻って大体11時ぐらいに戻ってきましたからね、はいそんなような新年を過ごしました。あと新春麻雀みたいな感じで2タック立てて打ちましたね。
内容はひどかった。最後の曲はですね、麻雀のルールご存知の方であればですね、飛んだらその終了みたいなのがまあ一般的なのかなどうなのかな、まあ大体そうなんですけど、
まあただ、飛びがあっても続行みたいな感じのルールでやったので、7万点を含めまして、いやーよく当たり早く掴みましたねみたいな感じになってひどかったというのがありました。
でね、まあ忘年会がそのさっきほど言った通り7回連続続いてっていうのがありまして、ちょっと飲みすぎたっていうところがあって、
あんまりですね年明けてから内蔵の調子が良くないなっていう気持ちもあったりとかするので、今年入って1月、新年会的なものは基本行かないようにしている1月になろうかなという感じですね。
健康診断毎年1月に入れているということもあるので、そのような形でいければかなというふうに思っております。まあそれでも一部行くんですけどね。
肉体と精神の負荷
はい、本編なんですけど、今年の年末高にですね、結構みんないろいろとですねフェイスブックに今年のまとめとかね、テキストとかにあれこれあれこれ
投稿される方々がいる中でちょっと見かけたんですけど、ざっくり言うとですね、道具のおかげで生きていく上で限りなく肉体の負荷が減りましたと。
便利になりましたからね、いろんなところで。そうして今やですね、AIのおかげで思考の負荷も下がっていると。
そういうふうになると、生きていく上ではね、昔本当に狩猟民族、農耕民族によって体を動かして獲物を獲ったりとかですね、米を作ったりとかっていうのがあった
肉体の負荷がありましたけど、それなくなりましたと。実際のところお肉も食べるけど、お米も食べますけど、両方とも肉体の負荷自体はゼロですからね。
今現時点において私で言うならば、大半の人はそうだと思うんですけど。そこに言及していた人がですね、
こんな感じで言っておりまして、ペットになぞらえて愛顔性こそが生き抜け術みたいな感じで言ってたんですよ。
なるほどね、みたいな。いわゆるペットはね、生きるための肉体としての術ないですからね、それで言うとね。
志向としてで言うと、飯をよこせ、遊べしか言わないみたいな感じで、働くわけじゃないですかね、それで言うと。
なるほどね、みたいな感じに思ったりとかしたんですけど、いまいちど自分にこう、当てはめるところも含めてやっていく。
体を動かさない、志向もしない、みたいな形になってきた時で最後に何が残るんだろう。
となると、誰かから求められること、誰かに愛されることみたいなものが大きな意味を持ってくるのかな、みたいな感じになるのかもね、みたいなのは。
さっき言った愛顔性って誰かに愛されることですからね、それで言うと。
で、もし人としてあるんであれば、いままさにですね、Xとかでも出まくっている承認欲求。
だから承認欲求と愛され欲求みたいなところは、どれだけ技術が進んでも消えないんでしょうな、それで言うと。
コミュニティの中で、あいつがいてくれてよかったとか、あなたが必要だとか言われるとやっぱりね、すごく安心もするし喜びも感じるっていうところもあったりとかするんですけど、
それはさすがにAIさんやってくんねえなっていうところがあると思うんですよね。
いくらAIが万能になって何もかもやってくれても、人間としては認め合うとかね、愛し合うとかっていう関係っていうのは残るんじゃないかな、みたいな。
むしろ物質的に不自由ないのになぜか寂しいっていう人が増えるかもしれなくて、そこを埋めるために深いコミュニケーションへ寄り添いっていうところが大事になってくるんじゃないかなっていうところ。
能動的な判断と楽しみ
あと、努力が必要なくなった世界でも人がやりたい、挑戦したいっていう気持ち自体はやっぱり大事になってくると思うんですよね。
例えば芸術、アートとか創作活動なんかは、AIがどんだけやってくれるようになっても自分なりの表現っていうところは得らないと思うんですね、スポーツにしたって何にしたって。
ゲームやスポーツも昔は生き残るための訓練の延長だったかもしれないですけど、今は完全に娯楽としての側面もありまして、
別にそのスポーツである必然性、生きていく上にどこまであるんだっけみたいな話ありますからね、それで言うと。
必要ないのにやるっていうこの無駄な部分っていうところが、新しい価値化、もう既に価値化されてるんですけどもっともっと重要視されていくんじゃないのかなみたいな気がするんですよね。
あとさっき言ってた愛顔性みたいなところで言うと何が可愛いとか何が面白いという基準もですね、多様化するんじゃないかなと思うんですよね。
なんか年末M-1の話題もありましたよね、なんかハックされてM-1が一応に同じような方向に行くんじゃねえかみたいな、そうすると多様性なくドツボにハマっていくみたいな話とかちょっと見かけたりとかしましたけど、
これも結局美形とかスタイルがいいとか、そういう基準的なところまだまだ強いところあると思うんですけど、
まあこれも結構ね、人によって面白く変わるし、人によって不思議も変わるしみたいな、違う軸みたいなところで言うとそれぞれにパーソナライズされていくんじゃないですかね、それで言うと。
なんでまあコンプレックスみたいなところの特徴がむしろ個性として愛されるって形になっていくっていう話になるんだったら、それぞれもなんて言うんですかね、
トップワンとかベストワンみたいな形で賞を決めるとかそういうのがあるかもしれませんが、そういうのもある意味バラバラになっていく中で残っていくっていうのが強まっていくんじゃないかなというふうには思ったりとか、
なんだりするわけではありますが、そんな試行実験をですね、思いました。共感共有ってところが肝になるのかな、みたいな。
そういうふうにしないと、さっきペット愛顔動物って言いましたけど、動物園もまたあるじゃないですか、そうするとなんていうか仕組みに使われているみたいな形、表現はあるというか。
なので、ほったらかしてしまうとそういう意味では使われてしまうというところがあるので、だから生きていく上での必然はそこまでないけど、
やっぱりね、肉体は強化し続け、かつ判断する心とか、能動的にそういうふうに動いていく、楽しむ機会というのを作っていくことが大事であるのだなぁというふうに思ったりとかしました。
肉体の負荷が減って思考の負荷が減るっていうのは確かに楽しくなってくるし、コミュニケーションで生きていけばいいやっていうのもあるのかもしれないんですけど、だからこそ肉体の負荷が減るけど肉体強化しつつ、
思考の負荷が下がるけどあえて判断するっていう、能動的に判断しまくることで思考の負荷をちょっとだけでも上げていくみたいな感じが、生きる上で楽しみなんじゃないのかなっていうのは年末にですね、年末年始で
思ったりなんだりしたというような感じの話をちょっとしてみたいなというふうに思った次第です。
はい。
はい、まあそんな感じでございました。また今年一年もあれこれ適当な喋り、何をこいつは言ってんだっていう喋りをしていくのかもしれませんけども、そんな感じで喋っていこうかなというふうに思います。
目標回帰ファイルをお相手は松田刺激でございました。また来週この番組でお会いしましょう。
09:45

コメント

スクロール