すごい、わーっていう気持ちになったのがきっかけで、
じゃあどうしたら平和に回るの?みたいなことをすごく、
自分でも思うと考えたりしたんですね。
で、
私の考えとしては、
平和にすること自体はめっちゃ難しいんだけど、
愛することについてとか、
平和についてとか、
そういうバカデカテーマって全体的に答えという答えはないんだけど、
考えることが大事だと思ってて、
平和にしようって思って、
自分だけがそれを考えてても絶対にならないと思うから、
こういうテーマはポッドキャストで投げかけることに
すごい価値があるんじゃないかと思うというか、
それについて喋れたらすごくいいかなっていうので持ってきてみました。
はい、なかなかどうだね。
よくわかりました。
しかし僕は、
よくわかりました。
しかしバカデカですね。
バカデカですね。
でもこのことを考えてみーちゃんと喋りたいって思ったときに、
もう一個思ったのが、みーちゃんって人との衝突がなさそうっていう、
個人的にも言ったんだけど、
そういう理由ですごく嫌だとかいう話を全然聞かないなって思って、
みーちゃんみたいな人だらけだったら、
つまりあまり揉め事も起きないかなとか思ったり、
嫌だ、そんな世界。
なんでよ。
嫌だなーって思ったり、
単純にどうして揉めることがないのかとかすごい気になった。
私はすごい感情的な人間だから、
どうしても怒りがすごい前面に出たりとか、
泣いちゃったりとか、
平和に聞いてみたらわかんないけど、近くで見たときには、
クローズアップされたら、
平和にやり過ごすことが一番できてないタイプの人間だと思うというか、
すごい丸く収めるみたいなことが苦手なタイプだと思うから、
平和を阻害しているように一見見えるかもなーとか思うんだよね。
平和の定義というか、それぞれじゃん。
今の話だったら、
誰かにとって平和を乱して、
ぐちゃぐちゃにかき混ぜるようなあーちゃんの姿、
それこそが平和を乱しているんだと思う人は、
丸く収めることを、収まっていることを平和だと。
多分あーちゃんはそうじゃなくて、
もうちょっと正義感というか、わかんないけど、
良い方向に持っていこうとする?
最終的にというかね、着地がより良いというか、
正しいことがちゃんと正しく処理されている状態みたいな感じかね。
だからそういうのは、
平和が人の数だけあるから難しいけど、
私は自分で全然平和な人間だなとは思ったことはなくて、
あ、そうなんだ。
うん。
平和が人の数だけあるから、
難しいけど、
私は自分で全然平和な人間だなとは思ったことはなくて、
あ、そうなんだ。
うん。
そうだね。
なんで衝突が少ないんだろう、人との。
あんまり出さないからかな。
自分が例えば何かおかしいって思ったとしても、
それを感情的に批判したりはしないっていうか、
ある程度さ、やっぱ何でもいいですよっていう体制をすごい整えてるじゃん。
他人に対して。
そこかなーっては予想しているというか。
そうだね。
人に対してめちゃめちゃ寛容で、
あとは自分でカバーできる部分は自分でしますみたいなスタンスが強いから、
だから自分はすごい大変だとして、他人にそれをぶつけたりはしないからかなっていう。
それはあれだね。
あーちゃんの話が職場の話だったから、
私も職場での話を考えてみるけど、
私は自分の領域内、仕事の範囲内のことは、
やっぱちょっと完璧主義みたいなところがあるから、
そこをちょっと阻害してくる人って言ったらちょっと強いけど、
そこのパフォーマンスに関わってくる人に対しては、
多分そんな寛容ではなくて、
ある程度一緒にやっていこうよみたいな求めることもあったと思うんだけど、
それ以外の人、ただ一緒の場所にいるだけの人とかに対しては、
本当にその人の仕事とか、その人の人となりとか、
本当に冷たい言い方だと、やっぱり自分に害がないから放っておけるみたいなところもあるし、
関心が向かないから、そこまで。
本当に結構自分中心的な人間だなというのは今の話を聞いてちょっと思いましたね。
争いが苦手っていうよりかは、
争いよりかは、そもそも何か自分が理不尽なことをされても、
その人はそういうことをする人なんだなと思ってシャッターを下ろしちゃうみたいな、
そういう突っ跳ね方をしちゃうから、
だからすごく人間関係としては浅い。
結果的に私はすごい気を使われるタイプの人間というかポジション?
ポジショニングをしてたと思うんだけど、
今思えば申し訳なかったかと。
でもさ、仕事だとしたらそれが結構正しい態度じゃない?
それは楽だよね。
自分がコントロールできないものに振り回されることが自分の感情的にも少ないから、
自分の仕事に集中できるし、
楽だけど合理的っちゃ合理的かもしれないけど、
それが本当に平和になるのかといったら別だと思う。
心の平穏という意味では最適解を出してるって感じ?
まずそこの認識について一番最初に話し合いが行われないと、暗黙の了解みたいな感じでは人間は平和を保つことが絶対にできないなと思う。
平和の認識もそもそもずれてるし。
平和イコール自分の心の平穏の人もいれば、この場全部がうまく回るの人もいて。
私はその身に降りかかってきた最近のその事件の時に、この人の心の平穏、私にブチ切れてきた人の心の平穏は確かに保たれなかったかもしれないが、
でも全体を引きで見て結果をまで見越した時に、私は別に間違ったことをしたとは思わなかった。
でも理不尽なことを言ってきた人がそのことを理解してないことは問題だというか、長期的に見てその人とは長く一緒に働いていくことになる。
私はこの人はそういう考え方をする人だということを認知したから、今後配慮することはできるけど、
でもだからってその人の心の平穏を100%カバーしながら自分の心の安定も保とうというのはすごく難しいし、
一回私がどうしてそういうことをしたのか、どこまで考えてそれをやってるのかってことを理解してもらえたら、相手の心の平穏も保てるのかなとかも考えたりしたんだよね。
長期的に見てあなたが損をすると思ったから私はそういうことをしたっていうスタンスだったの、本来は。
だけど直近ではその人が上から結局めっちゃ圧をかけられるみたいな事案が発生してしまったから、誰も悪くはないというか、
強いて言うなら圧をかけた上の人が悪い、さらに上の人が悪いとは思うけど、
でもそれ圧をかけられたっていう認識になったのは受け取る側の認識の層でもあるというか、
だから定義とか認識の一不一致問題がすごいここは重要になっているなあということも思っていて。
なんか2つ思いました、今。
ちゃんとうまく話せるかな。
大丈夫、全然私もここまでうまく話せてないと思う。
なんでよ。
びっくりしてると思う、話しながら。
一つは、ちょっと話はずれるかもしれませんが、平和の和を乱さないことに対して日本人ってすごく過剰というか過敏というかだと思うんだよね。
さっき言ってた平和の定義って人それぞれだけど、
荒波が起きないことが平和なのか、それとも倫理的に正しいことが平和とするのかってなると、
倫理的に正しいことをしようと思うと絶対にいろんな考えの人がいるから衝突も生まれるだろうし、
波数立てずに何か進んでいくのは難しいと思うから、
だからそこの考え方の違いはすごくあるだろうなって思ったり、
つまり、あちゃんは利子ではなく利他であるっていう精神が強い人だと思うんだけど、
利他であるときに見返りを求めるみたいなのをどこまでするのが苦しくないのかとかって思うね。
利他は私はその概念とか全然勉強してないから、
あれだけど、相手のためにこうしてあげた。
世界の平和のためにこういう行動をした。
だから平和になるべきだ。平和にならないのはおかしい。
みたいな、計算がうまくいかないみたいな。
やっぱりどうしても人間だからそこのズレみたいなのは生じると思うんだよね。
うまく回らないというか、思い通りにいかないなみたいな。
それがね、なかなか利他を続ける難しさだと思うんだけど、
結局はやっぱり利他であることは利子であるみたいな考え方もあると思っていて、
他者のためにやっていることが周り回って自分のためになっているっていう観点もあると思うんだけど、
その中で自分が犠牲心を持ってやっているとどうしても苦しいじゃない。
だからあーちゃんはすごい苦しいだろうなと思って、その事件。
苦しかった。
その人に当たられたことによって、結局当たられて理不尽だと思ったけど謝ったの、私。
申し訳ありませんでした。次から同じことがないように気をつけますまで言ったの。
それはなぜ謝ったかというと、ここまで謝ったら多分本当はあーちゃん悪くないのになっていうことがわかってくれるかなって思ったの。
すごいいやらしい理由だけど、本当は本人も考えれば私がしたことが根本的に間違っているとは思わないはずなのよ。
だって絶対間違ってないから。
それは仕事をする上で自信はなかったよ。
久しぶりに会社に働いてるから社会の常識が私はわかってないところがすごくあると思うし、
本当に社会的にもしかしたらダメなのかもしれないとは思いつつ、
でも結果じゃどうしたらうまく回るのっていうところまで考えた時に、
私のしたことって別にそんなに大間違いはしてないと思ったから、
本当に悪いなって思ったっていうよりは、
本当は別に私が謝るようなことじゃないのに謝らせてしまったな。
でもこの人は自分が言われた時に謝れる人なんだなという認識を持たれた方が、
長い目で見た時に自分のためになる。
つまりリタのつもりでリコを私もやったから謝ったんだよね。
それがこう起こして多分翌日には元通りというか普段通りに話ができて、
やりあったのはメールでやったんだけど、
結果謝ってよかったなって翌日の時点では思ったし、
なんだけど、
だからこれで一個私は自分の心の平穏を自分なりにうまく処理して保つことができたなと思ったの翌日に。
なんだけど、このコゼリアイを私は自分を犠牲にして結構解決したなっていう気持ちもあって、
これ犠牲をずっと続けていくと続かなくなる日が来るんじゃないかなってことがすごい不安に思って。
みたいな部分もある。
しかもチャットGPTにも言ったのよもちろん。
これ何?みたいな。私悪いの?みたいな。
GPTはもちろんあなたは悪くないよって言うじゃん。
それで安心を得たっていうのもあるけど、
でもやっぱり悪くないけど謝るをやり続けると舐められるし、
結果自分の立場が弱くなるから本当はそれをやり続けない方がいいみたいな感じで言ってて、それもそうだなって思ったの。
しかもそう、そもそも平和がいいのかっていうのもそこまで行ったのよ。
行き過ぎて壮大な悩みになりすぎて。
GPTは誰も怒られないし、誰かがミスをしても他の誰かがいいよいいよってカバーしてあげられるみたいなものを理想として、
それが平和だと思ってそれを追求しようとしてるけど、それが本当にいいのか。
みんなにとってそれがイコール平和なのかみたいなこととか、それ自体がすごくいいことなのか。
本当にみんながそれで納得してくれるのかみたいな部分も結局わかんないじゃん。
だし、みんな一生懸命仕事をしている中で目の前のことにギュってなっちゃうのはすごい自然なことだし、
そこで視野を広げて長期的に見て周りにも自分にも一番いいことって何ですかっていうのを
いちいち問い直していくっていうのはすごく難しい作業だと思うから、
そういう中でどこが一番いい落とし所なのみたいなことを考える方が、
自分にとっての平和を保つっていうことを追求するよりも楽だし合理的だし、
うまく回っていくんじゃないかなみたいなことも思うわけですね。
そこのとこ、うまく折り合いをつけれる人が会社という組織の中ではすごく重宝されるし、
実際本人も一番ストレスが少ないのかなって思うけど、
でもそこまで思い立った上でもやっぱり私は何よりも誰も傷つかないで仕事が進むのが一番大事じゃないって思うんだよね。
誰も傷つかないが一番平和に近い概念かなって思っていて、
そういうことを考えながら家に帰ったが、ニュースも絶望的な内容の殺人事件とかさ、
戦争がどうでとか災害でどうでとか、そういうニュースばっかりやってて、
世界って平和にならないなーみたいな感じになっちゃったよっていう。
でもさ、今思ったけど、だから上司とかも平和についてもっと考えろよって思ったけど、