五所川原の散策
はい、散歩しながら喋ってみるPODCAST2回目、始めたいと思います。
今日は、遠藤卓也さん、わざわざ東京からお越しいただいて、
そして五所川原の立根豚の見終わった後、五所川原の街を歩きながら喋ってみたいと思います。
じゃあ行きましょう。
はい、お願いしまーす。
吉井九蔵なんですよ。
吉井九蔵が立根豚の歌です。
なんか、吉井九蔵の施設…
そのミュージアムね、これハードコアなんですよね。
あの、着た衣装とか。
ああ、アイタマリアックですね。
あっちに歩いてたんですか。
そうですね。
はい、行きましょう。
いやぁ、遠藤さん、どうですか立根豚は。
いやぁ、良かったですね。
面白かったですか?
うん。
なんか、昨日青森に…
はい。
根豚…
根豚。
根豚。
を見て、今日は五所川原。
はい。
その違いがね、やっぱありますよね。
ああ、そうですよね。
雰囲気も違いますね。
雰囲気も違いますね。
街の規模感とか。
ああ、そうそうそう。
そうですよね。
そう、五所川原は五所川原の良さだなと。
掛け声も。
やってもあれ。
街終わるとこんな静かな。
祭り終わるとこんな静かなんですね。
そうですね。
音の巡礼の意義
有名です。
ボンジュそばっていうのは。
ボンジュそば。
うん。
すごい柔らかくて切れるんですよね。
えっと、すごい沢山茹でてるっていうことですかね。
わかんないけど、柔らかいそばですよ。
あのね、福岡のうどんが柔らかいみたいな。
ああ、はいはいはい。
そうですね。
いやー、祭り終わった後こういう歩くの初めてですね。
今日はなんか、ちょっと風があって。
暑いんですけど、風は少し涼しい。
いいですね。
そうですね。
この辺まで、止めてあるんですよね。
うん。
こっち側は。
もう祭りエリアではないって言われてる。
そうそうそうそう。
そうですね。
いやーエンドさん、あの僕ら、あのー、
あんまり海外の方は、
エリアではない。
そうですね。
エンドさん、僕らはずっと月1回で音の巡礼っていう
何?集まり?
じゃあ講王、音巡り講王みたいなこと言ってますけど。
そうですよね、言ってますけど。
実際はZoomで集まっておしゃべりをするっていう感じですね。
そうですね。もう何年くらい経ちましたかね?1年くらい経ちましたかね?
1年はもうすぐましたね。毎月1回やって。
そうですね。
僕もずっと参加させてもらってるんですけど、1ヶ月に1回?
なんかいろんな適当なこと喋って、いろんな頭の整理できる
良い機会になってるんですけど、なんか
エンドさんにその音の巡礼の話とか聞きたいなと思って。
あんまりちゃんと聞いたことないんですよね。
そうですね。
僕がエンドさんにインタビュー受けるっていうのは何回かあるんですけど、
僕はエンドさんの話聞くってことはあんまりなくて、
ちょっとそういう話をしてもらえたらなと思って。
そもそも。
そうですね。でもその巡礼って言っても、なんか自分も
こういうことをしたいっていう形が決まって始めたというよりは、
割とすごい柔らかいものとして始まっていて、
その活動をしながらどんなことになっていくかなっていうのを
ちょっと実験的にやってるみたいなこともあるんですが、
その音の巡礼っていう言葉からわかるように、
大切にしているのは音と巡礼というですね、
ある種、祈りとか、どこかを巡るとか、
結局今はそれはローカルとナラティブみたいな。
ローカルとナラティブ。
僕は仕事柄、本当にいろんなお寺さん、
小山さんもそうですけど、いろんなお寺さんとの付き合いがあって、
今日も法営寺さんにお参りさせていただきましたけど、
全国各地のいろんなお寺に行って、
そこの住職さんとか副住職さんとか、お坊さんのお話を聞いたり、
一緒に今日みたいにこの土地のお祭りに参加してみたり、
おいしいものを食べに行ったりとか、
なんかそういうことをさせてもらってですよね。
お寺のそういう存在、
現代のお寺という存在がどう成り立っているというか、
そういうことを考えるわけですけど、
すごくそこでキーワードとしてローカルであるということと、
あとはナラティブ、物語性といいますか、
その2つのキーワードがすごい重要だなというふうに、
いろんな人の話を聞きながら思っているところがありますね。
結構大人巡礼の活動というのは、音ということに注目しながらも、
お寺の持つローカル性とか、
そこにいるお坊さんたちのナラティブみたいなところに目を向けて、
そういう音を集めていくような、そんな活動になっているかなと思っています。
文化の記録
なるほど、なるほど。
そうですね。
音といっても、いろんな音があると思うんですけど。
そうですね。例えば?
すごく大きいのはお経がありますよね。
また別の活動で、テンプルモーニングラジオというポートキャストを、
僧侶の松本翔平さんと一緒にやっていて、
それは平日毎朝6時にお坊さん同士の対話を配信するというポートキャストバンドなんですけど、
その後半のコーナーを音の巡礼のコーナーということで、
お坊さんのお経を配信しているんですね。
はい、そうですね。
これはいろんな各地のお坊さんが撮った。
その撮ったっていうのも、マイク立てて綺麗に撮りましたっていうよりは、
スマホ1個置いて、割とラフに録音した、いわゆるフィールドレコーディングですね。
お経のフィールドレコーディングみたいなものを配信していて、
それも本当にいろんな宗派として各地の、
それこそお山田さんのお経はちょっと黙ってたりとか、
宗派によって微妙に読み方とか抑揚が違うみたいなこととか、
そういう違いを楽しめるのをやっていて、
お経も集めているし、お経の音源を集めていることもあっていますね。
そうですよね。
それはとっても面白いですよね。
一つのプラットフォームでいろんな宗派で、
しかもいろんな場所の人のお経を聞けるっていうのが、まず唯一の2でしょうかね。
最初はそんな考えずにやり始めたんですけど、
聴いている人の声を耳を傾けてみると、
意外に仕事しながら聴いてますとか、家事しながら聴いてますとか、
お寺じゃない場所でお経というものが流れることによって、
またその聴かれ方っていうのも変わってくる部分があったりとかして、
それもちょっと面白いことだなと思って、
それも本当にすべてのお経を集めるじゃないですけど、
そういう感じで今、いろんなお坊さんにお願いして、
本当はラフでいいんで撮って送ってくださいみたいな感じでやってますね。
いや本当あれまさしく大人巡礼って言っていいですよね。
それをそのお坊さんの居るお寺でグーグルマップ上にマッピングして、
地図上から選んでお経とかお坊さんのトークが聞けるみたいな、
そういうこともちょっと今準備していたりとかしています。
旅行しながらそのマップをチェックして、そのお寺に行けるっていう。
そんな風に使ってもらえたらいいかなと思うんですよね。
やっぱり現場に行くのが一番なので、
お寺の朝のお勤めとかに参加するとかして、
そういうこと繋がったらいいなとやってますけど。
そうですね。
なんか、僕すごいお山さんにはずっと喋ってますけど、
子供の頃から水木しげる先生が大ファンで。
妖怪の話ね。
ある種、妖怪っぽさがあるんですよ。
何がですか?
全国各地のお寺の音を収集して、ピンを置いていくみたいな。
なんかそういう作業が。
子供の頃は水木しげるの妖怪大百科みたいな、そういう本が出てて。
なんで自分が妖怪好きになったのかなって思うと、
よくある日本地図があってですね。
そこに青森県なら水子様という妖怪がいますとか、
秋田県なら伸び上がりという妖怪がいますとか、
なんかそういう妖怪の出没マップみたいな。
東北地方の妖怪とか。
やっぱり妖怪も本当に同じで、さっき言ったキーワードで言うと、ローカル&ナラティブなんですよ。
今回その中で語られてきたことじゃないですか。
地域性。
そう、地域性と語りなんですよね。
なんかそう考えると、僕は結構その前例でやろうとしていることって、
現在のお寺を妖怪的感覚で、そういう観覚というかそういう視点で集めていくというか。
だから小山さんもその妖怪好きというか、
今日僕からもインタビューさせてもらったんですけど、
公園でもね、妖怪の住みからなっていう風に語られてますから。
そっかそっか、そういうことですね。
そういうのを巡っていくみたいな。
そのキーとしてあるのが、こういう語りの音源であったり、
まだ声ですよね。
もあるし、お経も声ですけど。
とか、お寺の鐘の音とか、周囲の環境音、そういうものも含めて。
その音として記録していく、集めていく、そんな活動に今はなってます。
これからはどうですか?
そうですね。だから今日小山さんに僕からインタビューして音を録らせてもらったんですけど、
本当にそういう今、このコッドキャストの活動とか、お経を集める活動みたいなのもやっていて、
やっぱり聞いた人が実際自分を巡ってみようとか、録音してみようとか、
なんかそういう行動に繋がっていったらいいなっていう風に思ってるのがあるので、
例えば、高栄寺さんだったら、
今日高栄寺を二人で歩きながら、いろいろお話を聞きましたけど、
そういう僕が実際に行って現地で具体的に感じたこととか、そういう音がありますよね。
そこで聞こえる音みたいな。
なんかそういうのを現地で集めていって、
そういうものを聞いてもらって、また人々が音の巡礼に旅立つっていう。
旅立っていくっていう。そういうちゃんとガイドとして成立し得る、
プラットフォームなのか、そういう一つの現れというか、
そういうものを作ってみたいなっていうふうには思ってますね。
もう一つ、失われていく文化とか、
そういうことにもすごい興味がある。
失われていく文化とか。
風習とか。
本当にお寺さんでお話してると、
やっぱり今日も話が出ましたけど、風習とかね。
こういうちょっと変わった信仰があってとか、
そういう、なんだろう、ちょっとこう、
これからもう途絶えていってしまいそうな、なんか独特の、
こうなってしまっているみたいな。
そういったものが集積している場とも捉えてるんですね、お寺さんとか。
お寺だけじゃないんですけど、
昨日山田さんと行った居酒屋とかも多分そういうもので溢れていたと思うんですけど。
でもそういうものってやっぱり時代の変化とともに、
失われていってしまうもので色々ある。
このままこれは今はすごく面白いけど、
このまま失われていくんだろうなとか、
今は大事に信じられていることだけれども、
信じる人が少なくなってしまうんだろうなとか。
なんかそういう、今こうなっちゃっているものみたいな、
なんかその記録。
それを音で起こしていけるんじゃないかなって。
社会学みたいなものですよね。
それこそ青森で言うと、コーン和次郎先生とかいらっしゃいますけど、
講言学みたいなことを言っていらっしゃったじゃないですか。
そういうお寺講言学じゃないですけど、
学問にできるほどのものではないんですけれども、
路上観察学会ぐらいの感じで、お寺観察学会じゃないですけど。
あ、そうか。文字とか映像じゃなくて音声で。
そうですね。文字も映像または写真とかも、
そういったものも別にそれを補助するものとして、
音の記録と共感
残す方法として、レコーディングという意味ではもちろん有用だと思いますけれども、
僕はもともと音楽がすごい好きで、音にこだわりもあり、
そういったものを音で残せるっていうね。
今そういうものを音を気軽に残して公開するみたいなこととかって、
そういうPodcastとかYouTubeとか使えば簡単にできてしまうとか、
そういったものを音の巡礼という名前で発表していくことで、
そういう部分に共感してくれる人たちが現れて、自分も録音するとかですね。
そういう運動につながっていったら面白いなと思って、
最初に話した音巡り校っていう大山田さんと一緒にやってるグループも、
サークルですけど、サークル活動からそれぞれの行動みたいなことに
結びついていったらいいなと思いながらやってます。
最近フィールドレコーディングがだんだん注目されるようになってるような感じがして、
いろいろ本とかも続々出てますしね。
そういう音音とかも注目されるようになって。
どうなのかわからないんですけど、記録を残すっていう力が強いのか、
あるいははたまたクリエイティブなのか、どんな感じしますか?
そうですね。でもなんか、
僕、最近プライベートな記録っていうものが個人で発表しやすくなっていて、
そういう小さな声みたいな、プライベートな声だけれども、
なぜかいろんな人が共感するみたいなことって起きてるんじゃないかなっていう。
これもすごく感覚的なことなんですけど、思っていて。
文字でいうと、やっぱりリトルプレスみたいなところが結構みなさんできるようになってきて、
一人出版社とか個人書店とか、文字だけ見てもそういう小さな声。
これまでは本当に表されていなかったような気持ちとか気分とか、
でも案外そういった言葉にこそ共感性を秘めてるものがあったりとか、
だからそういう個人の日記みたいなものをリトルプレスで出して、
そういうのがちゃんと売れてるみたいな、そういう状況もあるなって思っていて。
だからフィールドレコーディングっていうのも、
例えば今までの歴史の中でフィールドレコーディングのCDがミリオンヒットみたいなことはないじゃないですか。
だからこれまでそういう記録が作品として発表されたとしても、
こんなに一部の愛好家のところがあったかと思うんですけども、
なんかわかんないです。本当に感覚なんですけど、
そういうプライベートな声、音、文字みたいなものを発表して、
それに対して共感が集まるみたいな、
そういう時代の雰囲気感みたいなものはありそうだな、
ありそうだなぐらいになってくるっていうのもあって。
だから音の順で、お経の音源配信とか、
そういう地域のお寺のローカルな、そしてナラティブなことみたいな、
そういったものを発表して、どれぐらいの人が面白がってくれるのかなみたいなものもあるんですけども、
でもなんか時代の雰囲気感的には、
なんかこういうのいいねって言ってくれる人って、
いそうだなっていう。
そうか。
だからみんな撮ってほしいなみたいな気持ちもあって、
自分もまだやり始めたばっかりで全然上手くないんですけど、
上手くないなりに撮って、
お寺と地域性
インターネットとかで聞けるようにしたりして。
そうか。そういう捉え方なんですね。
そうですね。
確かにイトルプレスとか。
ジンとかね。
イトルプレの音声版みたいな。
そんな気持ちですけどね。
そっか、そうですね。
そうも考えられますね。
だから僕も本当に日常的にいろんなお寺に行って、
こうしてお坊さんと喋ったり、一緒にご飯食べに行ったりとか、
他のお寺を一緒にお参りさせてもらったりとか。
そこで見聞きする様々な、
これは面白いなっていうのがいっぱいあるんですよね。
そういうものの面白いよねっていうのを、
音でうまく表せたらいいなっていうのもありますね。
ある種、日記的な感覚かもしれない。
ただ単に日記っていうよりは、少し捉えやすく、
自分なりに分析をしてみて。
今のキーワードとしては、さっき言った地域性とか物語性みたいなことを、
軸を作れると、わりと面白く、
妖怪大百科みたいな感じで表せるんじゃないかなっていうのを、
なんとなく気づき始めた。
でもまたね、3ヶ月後、半年後、どんなことやってるかちょっと分かんないですね。
やっぱりそういう、未だこれだっていうことの巡礼とは何ですかと言われて、
これだっていう形はまだ分かんなくて、
未確定な巡礼
実験しながら色々やっているっていう。そんな感じです。
なんとなく頭にあるのは妖怪大百科なんですね。
そうですね。妖怪大百科は結構大事ですね。
今日何回か和田さんに話してましたけど、
こうなっちゃってるっていう。今こうなっちゃってるみたいな。
なんか、そうなっちゃってるなーっていうことに、
本人が気づいてる場合もあるし気づいてない場合もあるし、
でもそういうことに気づき、今なっちゃってる状態を記録するみたいな。
ちょっと全然意味わかんないと思うんですけど。
和田さんがお寺法営寺で、法営寺に循環するものを見るようにしたいみたいなことを前におっしゃってたじゃないですか。
それはそれこそわかりやすい例で言えば、境内の自然とかもあるでしょうし、
がらんの状態でもあるでしょうし、
時間が止まってない感じっていうか、
時間は止まらないので、どんな場所でもちょっとずつ変わりながらそこにある。
和田さんが言ってる、循環を意識してお寺をやっているっていう、お寺を作っているっていう、
それは本当にデイリーしてる人々もそうでしょうし、
循環を意識しているっていう、その循環のありようみたいなのを、
なんとなく僕は生態系っていう言葉で表していて、
こうなっちゃってるっていう有様を記録し残していく。
それを主に音でっていう。
そうですね。
全国各地、特にそういう、自分のテーマとしてはやっぱりお寺っていうものがあるので、
お寺とかね、そういう、山みたいな。
そうですね。
遠藤さん、こういう子たちと一緒に電車に乗るんでしょう、今。
やだな。
私たちは自分じゃないですか。自分本人だから。
そうかな。
走って家帰りますよ。
いやー、でもちょっと今の話はあれです。ちょっと抽象的すぎますね。
まだわかんないですよね。
わかんない。何か掴みそうな。
それでもわかりますね。
そういう、まだ生贄状態の。
どうやったら掴めるんですかね。
なんかどういうタイミングに。僕もいつもそれ、わかんなくなっちゃうんですよね。
うまく言葉にもできないし。
うん。なんか言葉にできたからいいってわけでもないし。
言葉にできたところで、だからどうするみたいな場合。
そうですね。
どうやってやるの、それみたいな。
それで本が一冊書けたらいいのか。とか。
わけないですけどね。
どうなんでしょうね。なんかついつい名前つけたくなっちゃうんですけど。
そういうことでもないんですけど。
名前がついて名前が認知されるとわかりやすいですよね。
どの巡礼っていう名前ですらまだ。
確かに。
知られていないし。
わかりやすいようで結構抽象度高いのかも。
わかりにくいと思います。
自分もまだちゃんと説明できてないので。
そして具体的にこれだっていう何かの活動があるわけでもない。
そんなぼんやりですね。
8月がある場所がわからない。
いやーなんか結構駅って寂しいですよね。
寂しい。
なんかあれだ。車とかよりも駅の方が断然寂しさがある。
そして大型バスとかの音とか。
止めます。
駅に着いたのでそろそろもうここでお別れで。
ちょっと残念ながら。
今回はこれで。
また毎月喋りましょう。
次は静かなお寺とかで。
そうですね。
なんか寂しい感じします。
今日はこれでお別れです。
エンドさんありがとうございました。
ありがとうございました。