テレビを捨てた経験
こんばんは、ワクワクラジオ森口です。 三田村です。第273回目の配信です。
WAKURAJIネーム、やすうりまじめさんからお便りいただきました。ありがとうございます。 いつも楽しく拝聴しています。
私は2年ほど前からラジオにハマり、その流れでWAKURAJIにもたどり着いたのですが、ラジオを聞くようになってからテレビを全く見なくなりました。
私にはもう必要のないものだと思い、思い切ってテレビを処分したのですが、今まであって当然だったテレビがなくなっても何の不自由もなく生活ができています。
最近お二人は何かを得るために何かを捨てたものはありますか? ということです。ありがとうございます。
テレビ捨てた? 思い切りましたね。
こっちに俺の人生行くから、これはもういらないみたいな? うん。潔くてかっこいいけどな。
何かありますか? 直近直近ですけど、大量に捨てたものがありまして。
断捨離みたいなこと? まあ断捨離っちゃ断捨離か、詰め替え容器って言うんですかね。
タッパー? タッパーじゃなくてね、調味料系のボトルって言うんですかね。
みりんとか料理酒だったりかお醤油だったりとか日常の料理で使うような調味料って言うんですかね。
を買ってくるじゃないですか。きめいの瓶とかで。 それを取り回しがいいサイズのボトルに1つ詰め替えてたのよ。
へー、なるほど。 家を新築したくらいかな、周りをちょっときちっと整えておきたいなっていう思いもあり、
ラベルをみりんとか醤油とか貼ってやってたんですよ。約1年くらい前までは。
はたっと気づいたっていうか、気づくの遅って思ったんですけど自分的にも。それが自分の中で結構ストレスになってるなっていうのに気づいたんですよ。
あー、なくなってきたらまた詰め替えなあかんっていう。 そうやね。シャンプーとか洗濯用の洗剤とかあの手は詰め替え用として売ってるじゃないですか。
パウチ的なもので。だから、おのずと詰め替えるっていう動作が発生してしまうんですけども。
まあ確かに。 その調味料、お醤油みりんとかっていうのはなんかデフォルトボトルとか瓶で売ってるじゃないですか。
なぜ僕はこの約8年間くらい、なぜ詰め替えてきていたのだろうと。 液体を移動させてきたんだろうって。
なぜだろう。 でもずらっと同じ形のボトルだか瓶だかが並んでる状態になるわけでしょ。 まあそうです。
まあ絵的には何か言ってることはわかる。 そうやね。いわゆる映えですわ。 映えだね。 一番支障になったのが詰め替える前のボトルの中身がもうなくなるぞっていうのに気づくのが遅くなるというか。
2段階になったから。 そうなんですよ。 馬鹿ですね。 馬鹿でしょ。
そうなんですよ。で、なんかそのそれをね、まあ実際今も多分やっていらっしゃる方って大勢いらっしゃって、否定するわけではなく僕の性格上フィットしなかったっていうだけの話であって。
もうなくなる、次買いに行かなきゃっていうこのモーションが脳と直結するようになったんですよ。単純な話ですけど。 これがねもう本当に快適すぎて。
でも急にさ、容器にやめてもともと売られているボトルになったわけでしょ。なんか自分の中で失われたものとか感じないですか? 何も感じない。
そのビジュアルで言ったらさ、やっぱり前の方が良かったなとかはないね。 ないね。これ不思議やろ。 ほんまにないね。 じゃあ何やってたんですか?
もうそれを上回ったんだよね。快適さが。逆シンプル。見た目はもうごちゃごちゃになりました。さすがに。動作処作がもうシンプルです。もう買ってきてキャップ開けたら使えるんですもん。
けどさ、なんか完全に100%楽な方に振り切っちゃう生活っていうのを、またそれはそれで味がないよなみたいなのもさ、完全に消えはしないじゃん。
どこかにそれ以上行くと味気ないよっていうラインが多分あるよね。 まあね、だからその線がどんどんどんどん変わっていくんでしょうね。
サラリーマンからの選択
甘くなっていくよね。 そうなんです。で、最終おばあちゃんおじいちゃんが住んでた家みたいになっていくんだろうなと思うんですよ。 おばあちゃんが住んでた家?
なんていうか、もうおばあちゃんの台所って言ったら生活感っていう、やはり見栄みたいなのがなくなっていくんでしょうね。 今歩いてる道の先にはそれがありそう?
多分そんな気がすると思って、徐々にその自分の中で固執してたこだわりみたいなのが削ぎ落とされる度にそう思いますね。
今日の晩ご飯マクドナルドにしようってなったら、マクドナルドを得た代わりに普通の晩飯を捨ててることになるわけでしょ?
何の話でしょうか。 何かを決めたら決めてない方を捨てるっていうことにはなってるわけじゃないですか。
選択というものはそういうことですからね。 そうそうそうそう。そういう目線で見た時には多分いっぱいあると思うんですよね。
毎日がそうでしょ。 その中で記憶に残ってるような分岐点、サラリーマンは捨てたな。
サラリーマンとしての安定した生活みたいなのは捨てたっていうことになりますかね。
捨ててはりますね。それは思い切った選択でしたよね。
今でもでもサラリーマンに戻りたいなという時あるもんね。 あるの?
全然あるよ。 えーそう?
ありますあります。 どういう時にあるんですか?
その決めなあかんことが重すぎる時があるんですよ。
あーまあそうか。火事を切るとなると会社全体が火事を切ることになるんだもんな。
半年後うちの会社ってあるんかなと。 あーそうかそうか。
そうかって思ったのは黙ってても仕事来ないってことね。
それはそうよ。それはさでもサラリーマンを捨てて会社を起こそうって選択をした時に良いものも手に出てるはずでしょ。
まあね裏返しで本当に結構重大な決断をしないといけないケースもあるんですけど、
俺が嫌だったら断っていいみたいな。
なかなかサラリーマンだったら会社がいやこの案件は受けてくださいって言われたらやらないといけないじゃんお仕事だから。
そこは気楽にはなるよね。
もうこの人にはもう最悪嫌われてもいいかって思ったらその通りに振る舞えてしまう。
まあ気楽ではある。
三田村さんの性分としては僕はすごく合ってるなと思ってますけどね。
あーでもそうかもね。
大学の頃からかななんかその誰かに使われるみたいなことは嫌だみたいなことをちょいちょい言ってたような記憶はあるんですよ。
そんなこと言ってた?
いや言ってたと思うよ。何回あるごとに何か言ってたよ。
大学生で?
大学生で。
無表情でパソコン叩きながら言ってた気がする。
あーでもほんまに舐めてたと思う。
そうだろうな。
だいぶ舐めてたと思うわ。一人で何でもできると思ってたからね。
うわー怖い。怖い怖い。
怖いでしょ。
歳を重ねてちょっとずつ謙虚になり、いろんな選択をして三田さんはきっと大人になったんでしょうね。
大人になった確かにそうかも。あの得たものは大人になったということかも。
かもしれない。どっしりとしたなっていう気はしてます。畑目から見てると。
そうかも。
ほんまになんかこう、シガのおっちゃんっていう感じがもう日に日に日に日に増していきますから。
それいいんすか?
いいように言っておきましょう。
シガのおっちゃんって感じ?
シガのおっちゃん。
はい今週のわくわくラジオそろそろお別れの時間が近づいてまいりました。
はい。わくラジネームリリパパさんからお便りいただきました。
ありがとうございます。
第272話はすごく面白く何回も唇を噛みながら家族のいる寝室で聞いていました。
葉書を読まれてトークが始まるのもリスナーとしてはすごくすごく嬉しいですが、
わくラジの真骨頂は二人の日常に起こる出来事のトークなのだと改めて感じました。
これからも応援していますということです。
ありがとうございます。
272話。僕が大変な目に遭ったやつ。
え?どんな話だったっけ?
鈴鹿に行った話じゃないですか。
アウェイの味わったやつね。
あんなもんだから僕もオンエアを聞きましたけど、ごく一部ですからね。
そうです。これはもう実はごく一部しか出していません。
ごくごく一部ですからね。
ノーカットでお届けしたいですよ。会う人全員に言ってるもん。
まさかね、社長もこんな高級の電波に自分の話が載ってるなんて思ってませんから。
まあ思ってないでしょうね。
見つけちゃったら怖いですよ。
いや別に全然構わないですよ。
あ、そうですか。
嘘言ってないから俺は。
長らくエピソードトークが続いたんですけど。
ああ、そうか。なるほど。
それがね、面白いと言ってくださるの、これはまあ本当嬉しいじゃないですか。
真骨頂ですからね。
真骨頂ですからね。
本当におっしゃる通りで。
本当にありがとうございます。励みになっておりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございます。
はい、それでは次回ですけども、11月の15日土曜日また21時にお目にかかりたいと思います。
はい。
それでは和歌楽ラジオ本日も最後までお付き合いありがとうございました。
お相手は森口と板村でした。