感じることの重要性
みなさん、おはようございます。きなこです。さて、きょうもきなこのラジオを始めていきます。よろしくお願いします。
さて、きょうも洗濯物をたたみながら雑談をしていこうかなと思うんですけれども、
私は2歳の男の子と女の子を育てているフリーランスの漢方ライフコーチです。
このラジオでは、ライフコーチの私がですね、日々をどんな感じで機嫌をとりつつ、
漢方なるゆるい暮らしっていうのをね、テーマに人生楽しく、ゲームのようにそんな毎日送ってるんですけれども、
そんな私の暮らしをシェアすることでですね、みなさんがもっとこう、気持ちをゆるめて楽しく生きられるヒントにしてもらえたらと思っております。よろしくお願いします。
きょうはですね、何喋ろうかな。あ、そう、これを言おうと思ってたのよ。考えるな、感じろ。を改めて大切にしようと思った話ですね。
Don't think, feel なんて言いますけれども、これ結構、なんか有名じゃないですか。うん。
だけど、なんか私たち人間って、特に大人かなって、やっぱりこう考える方の回路がめちゃくちゃでかくなってると思うんですよね。
感じる前に考えて、理論から行ってしまうっていう。だけど、例えば体の疲れとか、そうだな、嫌だなーって思った感情とか、本当はこうしたいんだとか、これが欲しいとかって思って、
瞬間的に湧き上がってくる感情っていうのを、思考でなかったことにマスキングできてしまうんですよね。思考が発達してるからね。
思考が時として勝ってしまうと、自分の心や体の声っていうのを無視してしまって、本当は右に行きたかったのに、気がつけば左に向かって頑張っちゃってたとかね。
頑張る方向が報われなかったりとかね。っていうことがあると思うんですよね。だから、自分をしっかりチューニングすることってめちゃくちゃ大事で、
そのツールの一つとして、瞑想だったり、耐性だったり、グラウンディングっていうものがあると思うんですけど、
これって、生き方一つにしてもそうだし、何か物事に取り組む時にも結構現れる癖みたいな、思考型になっちゃう癖って結構あるなぁって、私自身が思ってて。
私自身、ライフコーチという仕事をしているので、Don't Think Feelは結構意識してきている方ではあるんですけれども、
どちらかというと、無意識的に感じることを優先することを、無意識にそっちを優先にするような体になってきてたとは思うんだけど、
ピアノの練習を、練習っていうかレッスンをしてた時に、すごく先生の言葉で響いたことがあって、
音楽っていうものをまず楽しむ時に、理論から入りすぎてしまうと、そっちの頭というものになってしまうから、
理論はもちろん大事なんだけれども、この響き、何かいいなぁとか、このスケール、音楽の流れ、ここで膨らませて、ここで落とすとか、
なんかわからんけど、ここのフレーズっていうのがすごく好きとか、そういう感じることをまずは大切にしてほしいし、これからどんどん音楽っていうのを楽しまれていく中でね。
もちろん理論の習得っていうのは、ある程度必要にはなってくるとは思うけれども、それよりも、まずは音楽を聞いて、肌で感じて、こういうの好きだな、なんかこの感覚すごくいいっていう、
そういう音楽そのものを感じるセンサーというか、感覚っていうのをどんどん磨いていってほしいんですっていうふうに言われて、そうだなーって思ったんです。
それを言われた経緯っていうのが、私がちょっと思考によりかけてた発言をしたのを、多分先生がね、上手にキャッチしてくれたからだと私は思ってるんですけど、
今回私の課題曲を一緒にやってきた時に、これは本当に言い訳なんですけど、練習が全然進んでなかったんですよね。
で、今回J-POPでアイコンのキラキラを課題曲にしてて、コード進行がめちゃくちゃ難解、難しいんですよね。
で、私はコード進行っていうものを、あんまりきちんと学習する前にピアノを辞めてしまったので、
例えば、ドレミファソラシドがこれね、ハチョウチョウかとかね、言いますけど、よく音楽の授業であったと思うんです。
ハチョウチョウもしくはCメジャーとかね、Dマイナーとかね、色々あったと思うんですけど、
これの進行がどういう音色で固定されるのか、みたいなシステムみたいなところですね。
っていうのをなんとなくしかやってなかったんだけど、特にJ-POPの楽譜ってね、コードがすごく上に降ってくれてるんですよね、一小節ごとにね。
で、そのコード進行をわかっていれば、多分指の動きっていうのももっとスムーズになるんだろうなと思いつつ、
やれ帰国したてでなんやかんやで全然練習が進まずですね。
そしてコードというものもよくわからないまま、私はピアノを辞めてしまっているので、
一つ一つ楽譜を見て、ここはレファラだなみたいな感じで音をね、和音を練習するっていうようなやり方をしていたんだけれども、
いざレッスンの時に、練習がちょっとそんなに進んでないんですっていう話と、
あとコード進行のこともわかっていれば、もっとスムーズに練習できるんだろうなと思いましたっていう風に言ったら、
先生が、じゃあせっかくなんで、今回の課題曲キラキラを使って、コード進行についても一緒に解説していきましょうかってなって、
そのレッスンは、私が指を動かすというよりも、私が練習できてなかったからね、
演奏面というよりも楽譜の背景から何を読み取れるかとか、どう感じるかっていうところの座学メインになって、
それはそれでめちゃくちゃ素敵だったし、やっぱり生徒のその時の状況に応じて柔軟にレッスンを調整する先生の技量もさすがだなと思ってね、
すごく感動したんですけど、その時に理論的な話にはなるんですがとか言うので、いろいろ話をされたんですね。
で、こういう進行の時に、こういうスケール、進め方っていうのが音楽の鉄板になるんですよね、みたいな話になった時に、
これを聞いても何のこっちゃ想像がつかない方いらっしゃると思うんですけれども、
起立、礼、着席のピアノの音を覚えてますかね。
ああいう1回基本の音を鳴らして、ちょっと下がったりとか上がったり膨らませるんだけど、最終的にまた元の形に戻すっていう、
そういう基本の型みたいなものが音楽っていうのはあって、作曲家っていうのはそういうところを考えてやってると。
そういうのを感じながら音楽を聴いたり演奏したりすると、ここは膨らみの和音を持たせてるから、もっと膨らみのイメージを持って、膨らみの感情や膨らみの気っていうものを乗せて、
歌ってみようとか演奏してみようとか、そういうことができるんですね。
そうするともっと表現の幅っていうのが、ただの音符だけではなくて、音符の持つ意味っていうものも演奏に乗せられるので、
もっと感情が豊かな、彩りが豊かな表現ができるようになるわけですね。
感覚の研ぎ澄まし
そこで私はついつい思考に走ってしまうくせに出ちゃったわけですね。
そこで私が先生に言ったのが、じゃあこういうスケールとかね、1度、5度、4度とかあるんですけど、
ドミソドファラミソシレーカとかそういうのを1度、4度、5度とかっていう呼び方があるんですけど、
こういうのを頭に叩き込んでおけば弾けるようになりそうですね、みたいなことを言って、
私はもう理論からその時に行こうとしていたんですね。
じゃあその言葉の裏にある私の気持ちっていうのは、コード進行とは何かとかね、
コードが持つ意味は何かとか、もちろん大事なんですよ。
でもそこから、そこをメインに楽譜に切り込もうとしていたんですね。
これも結構バランスが大事なわけで、あくまで大事なのは演奏することそのものであって、
そこの音楽的理論を突き詰める甲斐ではないと、あくまで私はキラキラを演奏したいだけなので、
手段と目的を取り違えてはいけないわけですね。
ついつい思考に走ってしまう私の部分っていうのを、先生はそこを敏感にキャッチされて、
もちろん大事ですと、理論も大事なんだけど、でもって、
それで最初に序盤に私が言ったことに繋がってくるんですけど、
もちろんそれが理論があっての音楽だけれども、
理論だけっていうわけではなくて、大事なのはいかに表現し、いかに感じること。
だから理論が逆に言ったら分かんなくてもいいと。
理論は分かんなくてもいいけど、なんか好きだな、なんかここの悲しそうな雰囲気素敵だな、
ここの表現好きだなっていうのを感じること、フィールを先に先行すると。
で、なんかここのフレーズ好きなんですけど、ここのコード進行って何なんだろうねっていう、
フィール先行のシンクだったらいいんですけど、シンク先行のフィールだと、
表現の幅っていうものが狭まってしまうんですね。
だからまずは何も考えずに、本当に感じること、ただただ感じること、
っていうことを意識すると、どんどん感覚っていうものが自然と研ぎ澄まされていく。
で、理論っていうものは後から後からどんどんと、技術ですからね、ついてくるから、
自然とここ4度だなっていうのは分かってくるようになると。
なので、これ本当に大事だなって思ったんですよね。
やっぱり時として私たちって感じることよりも、思考から行こうとしたり、
どうしても大人って賢いですから、良くも悪くも、なんかこう理論から攻めてしまう部分があるんですよね。
で、他のピアニストさんの方もね、YouTubeでもおっしゃってたんですけど、
大人からピアノを始めるってなった時にぶつかる壁っていうのが、
私の先生と同じことをおっしゃってて、
とにかく理論から、理論詰めで行ってしまうと、Dメジャーがどうだからとか、
じゃなくてまずは弾いてみなさい、まずは聴いてみなさい、それを感じてみなさいって。
音楽って音を楽しむって書くんだから、まずはあなたが音楽という音を味わわないと、
そこに演奏する時の深みが出ないと。
それが芸術だ、それがアートだっていうふうにおっしゃってたんですよね。
あーそうだよなーって思って。
まあこれはね、本当に今回はピアノの話でしたけれども、
まあ生き方とかにおいてもね、結構そういうところって出てくるんじゃないかなって思うんです。
なんかこう、本で読んだことをそのまま実行するっていうのはとても素晴らしいことだけど、
まずあなた自身の主体を持った世界っていうのを生きてみて、
あなたが何を感じるのか、なんかいいな、外へ出た時にさ、なんかいいなーって思うとかね。
うん、なんか空を見て、あーなんか綺麗なーとか、別にそこに意味を見出さなくてもいいんですよね、最終的には。
けれども、空を見上げるっていう行為自体が、私に何かしら解放感をくれるんだなーって。
それがね、別に科学的に裏付けられたどうのこうのこうのから、
あるから、それでエビデンスだけにのっとった24時間を送るみたいなものに一種の美学を感じているならば、
もちろんそれはその人の生き方だからいいんだけど、
心の声を感じること
あなた自身がそれを本当に求めているのかどうか、また話は別になってくるわけで。
っていうのは、やっぱり自分の心とか体の声っていうのをフィールですよね。
理論ではなく感じるっていうところをしていかないと、
なかなかそこの感覚っていうのは磨かれにくい。
だから、やっぱりシンク先行ではなくて、フィールの方ですよね。
っていうのを先行で生きていきたいなーっていう風に改めて感じましたね。
なので、このラジオを聞いてね、なんかわからんけどすごく刺さるなーっていう風に思った方っていうのは、
ぜひね、いいねを押して反応いただけると、私自身もとても励みになります。
難しく考えすぎちゃうとか、真面目に考えすぎてしまう方ほど、
一回そういうのをやめてみて、なんかいいなーとかね、なんか好きやなーとかね、
そこから何が良かったんだろうって、そこから掘っていく方が、
あなたの再現性が上がってくると思うんですよね。
そうなると、私はこういう時に良さを感じる人間なんだ、みたいなものが分かってくると、
今度はそれを再現性を持ってできるようになってくると思うので、
まずは難しく考えずにやってみること、感じてみることっていうのがいいんじゃないかなーと思いました。
ということで、今日は時としてね、思考型になってしまう方へ、
まずは感じることから改めて始めてみませんか、という提案でございました。
ピアノレッスンの体験
何か参考になれば幸いです。
さて、ここからはおまけトークですね。
ということでね、ピアノを練習し始めているんですけれども、
いろんなことを教えてもらったんですよね、今回のレッスンでは。
やっぱりコード進行がメインだったので、右手が同じ音色でも左手の音が違うだけで、
一気に曲の持つ雰囲気が明るくなったり、急に切なくなったり変わるんですよね。
それがやっぱりベースらしいんですね。
私はそれを全然体感としては知らなくて、
よくね、ベースってめっちゃ大事っていうのは、いろんなところでは聞いてたんですけれども、
私、前職の薬局で結構、バンドされている方が多かったので、ベーシストが結構多かったんですよね。
だから、ベースってめっちゃ大事じゃねーでっていうのをよくね、先輩方から聞いてたんですけれども、
そうなんやーと思いつつ、なぜ大事なのかっていうのを感覚でちゃんと体験したことがなくて、
この間のレッスンで、右手の音色が同じなのに、左手のたった一音が違うだけで、
ほとんど一緒のはずなのに、表現として出てくる形は曲の纏う雰囲気が急に変わるんですよね。
で、なんやろうって思ったら、それはベースの音が変わったから、急に曲の雰囲気が変わるんですね。
だから、メロディーラインというか、そういうものが同じだったとしても、そこで、ほんのそこでどういう音が鳴ってるのかっていうだけで、
急に表情ってガラッって変わるんですよね。たった一音で、わーすごいなーって、ベースの持つ力って、
こういうことやったんかっていうのを、改めて痛感した出来事でございました。
この話、誰が興味あるんやろう?
アウトプットすることでね、私自身の血肉になるので、半分以上自分のために喋ってますけれども、
どの部分やったかな?あいこのキラキラの、めちゃくちゃニッチな部分なんですけど、
前奏の一番最初、歌い始めの前の、
チャン、チャン、チャン、チャラン、ララーの部分。これね、知ってる人しかわからへんね。
そこの、えっとね、チャン、チャン、チャン、チャチャチャチャの、1回目の、
チャン、チャン、チャン、チャのところと、2回目の、チャン、チャン、チャン、チャチャチャチャって、ちょっと違うんですよ。纏ってる雰囲気が。
雰囲気がでえっと 一発目のその前奏っていうのはちょっと両方明るいんだけどあの
ベースの音が例のフラットなのか c のフラットなのかっていうところでちょっと 2つ目の方が若干低めの響きを持たせてるんですね
なのでもしあの愛子のキラキラが好きな方は原曲ね ぜひ聴いてみてください1回目と2回目であの前奏の持つ
あの音色が含んでいる雰囲気っていうのが実は違うんですね あのこれを習いたての月明け場の知識で話しますと1回目が8
d マイナーですねディレイだからね d マイナーなんですけど 2回目は d じゃなくて b ねあのでデーから b に変わってるんですよね
右手の旋律は同じなんですだけど左手のベースの音が0 フラットから c フラットに移行してるんですね
そうなのでちょっとあの曲のを持たせている雰囲気っていうのがガッと変わってるんですね っていう細かいところを意図して作ってる
愛子さんすげーって思いましたね 作曲者やばいなぁと思って
っていうところをねあの改めてすごく思いました で私の先生っていうのが結構あの
楽譜通りにっていうカチカチの意味ではなくあの作曲者の方のあの気持ちを汲み取る っていう意味で原曲へのリスペクトがすごく強い方なんですね
なのでその辺のなんか意味も含めてあの 別にね自由なんですよ楽譜をどう読み取るかっていうのは自由なんだけどその先生の感性
的にあのここからこういうふうに移行してるっていうことはきっとこういう意味を持たせてるん じゃないだろうかっていう
読みもできるわけですねっていうことも合わせて言ってくれると音楽を聞く時のあのストーリー が変わるからまた聞き方がね全然変わってくるんですよね
そうだからなんか 前まではね小学校の時に何となく花水垂らしながらピアノに
やってた時っていうのはあんまりそういう深い意味を考えすぎずにねなんかただ弾け たらええわぐらいの感じでしたけれどもなんか
そういう曲の持つ意味とか作曲者がどういう意図とか気持ちを持って あの音にその人の世界っていうのを映し出しているのかとか
ここでちょっと寂しい音色にしてるっていうのは何回とがあるんだろうなぁとか 本当に小説の裏を読むじゃないけどなんかアート的な楽しみ方ができるんだね
って思うと面白えって改めてなんか ブランク20年超えてピアノを戻ってきてよかったなぁって最近は思っています
はいそんなおまけトークでございましたぜひあの 愛子のねキラキラ好きな方ぜひ聞いてみてください
きっと1回目と2回目の旋律の違いに気づいてわー ベースすげーってなると思いますぜひお試しをということでまた次回の放送で
お会いしましょう ほなまたねー