1. 双子母コーチのごきげんラジオ
  2. 『頑張らなくても良い』が逆効..
2026-02-12 18:38

『頑張らなくても良い』が逆効果になる怖い話

頑張っても良いのよね

自分がそれをやりたいなら


#挑戦 #自分軸 #思い込み #コーチング #自分らしく生きる
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サマリー

このエピソードでは、「頑張らなくてもいい」という風潮に異論を唱え、内発的な動機に基づく「良い頑張り」と、エネルギーを消耗させる「悪い頑張り」を区別することの重要性を説いています。話者は、他者からの評価や義務感ではなく、自分が本当にやりたいことへの情熱こそが、成長や価値創造の源泉となると主張します。コーチングの観点からも、クライアントの可能性を信じ、自己決定を尊重することの重要性を強調し、誤った思い込みや先入観から挑戦を諦めるのではなく、自分の心の声に従う勇気を持つことを推奨しています。

「頑張る」ことへの異論と二種類の頑張り
みなさんこんにちは、きなこです。今日は何喋ろうかな、あ、そしたら
頑張れるって悪いことだけじゃないよっていうテーマでお話をしていこうと思います。
このラジオを聞いてくださっている方は、何か自分の生き様とか生き方とかあり方とか、そういうのを大切にされている方が多いかなと思うので
実際に自分ってこれでいいのかなとか、その目標に向かっていろいろ軌道修正したりすることもあると思うんですね。
その中には学びもあるし、そこに対して自分が合っているのかなっていう試行錯誤を繰り返して、今を大切にされている方も多いんじゃないかと思います。
ただ、その中で世の中の風潮として、実際に頑張りすぎていることがあまり良くないと、特に日本人は真面目で頑張り屋だから
頑張ることが美徳とされている、それはつまり良くないみたいなね。もちろんその通りだと思うんですけど、今日はこのテーマについてその異論をちょっと唱えたいなとあえて思います。
確かに頑張りたくないことを頑張るっていうのは私は
聞かれると思うんですね。ただ、頑張りたいことをやりたいことをやっちゃう。ついやってしまう。他の人からもうそれやらなくてもいいんじゃないとか、よくそこまでやるねって言われることを
それでも気がついたら夢中でやっちゃう。これはむしろ良い頑張りなんじゃないかと。だから世の中には
エネルギーが満たされる頑張りと、エネルギーがすり減る頑張りの2種類があると私は考えています。
このエネルギーが湧いてくる、どんどんやりたい、次に次々次々やりたいっていうのは内的
なんだったっけ
自分の中でね、動機か、内発的動機。だから外から言われてやらなきゃいけないからとか、義務感でやるわけではなく、どうしてもこれがやりたいんだっていう、ただそれだけっていうのは、これはその人にとってのある種のゴールだと思うんです。
その方向性がね。だってそれをすることで、自分自身がまずやってる最中も楽しい。楽しいからどんどんやりたくなる。
勝手にレベルも上がっていく。そしたらスキルも上がっていく。もしそれが仕事の分野だったら、マーケットとそこが合致したら価値、付加価値が生まれて、お金に変えられるっていうところもあると思うんですね。
ただその一方で、やりたくないこと、やらなきゃいけないことっていうところは、自分のエネルギーがどんどんすり減ると思うんです。だから体があまり乗らない、動かない。それだけじゃなくて、もう思考停止になっちゃってるとかね。
うん、なんか行きたくない会社に行くとか、やりたくないことやるとか、正直別に気持ちは乗らへんねんけど、まあまあまあ、やらなあかんしやるかみたいなっていうので、一生懸命残業したりとか、やりたくないけどやっちゃうかって言ってやる。
で、そこに対しての感性をもう閉じちゃうっていうのは、その人がそれで納得してるならいいんだけど、まあ別にないならない方がいいよねって思ってることは、これはやりたくないことを現状維持させるために自分で都合のいい理由をつけて、そのままその場所に居続けてしまうっていう、まあ脳は変化を嫌いますから、そういうのは多分長い目で見るとエネルギー的には自利品になっていくから、ここを見分けることが大事かなって。
良い頑張りの具体例と境界線の尊重
思ってて、で、その今日のテーマはあれって異論を唱えるので、その良い頑張り、私的な良い頑張りに対して、そこに全ての頑張りを、その頑張りの中の質を見極めずに、なんかあなたそれ頑張りすぎだからやめた方がいいよっていうのは、これはちょっと違うんじゃないかと、まあ冒頭に戻りますけど、先ほどもお話ししたように、頑張ることっていうのはその人の中でエネルギーが湧いてきて、
自然とどんどん上に上にね、極めたくてしょうがないっていうことも、その人一人一人がね、あると思うんです、それぞれが。そんなこと極めてどうすんねんみたいなね、あのシール集めとかね、まあ子供たち今夢中ですけど、ボンボンドロップシール、そういうこのシールをこう着たいとか、例えばうちの息子くんの早ちゃんとかだったら、トミカをめちゃめちゃ綺麗に並べるんですね。
いかに綺麗に充填注射をさせるかみたいなところに、全集中、何の呼吸か知らんけど、やってるんですけど、それは彼がやりたくてやっていることやし、それを例えばちょっとずれたら、ここをもうちょっと綺麗にしたいって言って夢中でもう目がギラギラ光ってるわけですね。
これはいいエネルギーの出方だと思うから、私は止めないんですね。それをそんなにトミカなんか縦に並べたってね、もうそんな頑張らなくていいよ、適当でいいやんっていうのは、親の私の価値観であり、判断軸であり、それは早ちゃんの判断軸とは異なるんですね。
それをもうそんなにやらなくていいよ、そんなに頑張らなくていいよ、もう疲れてるでしょ、たまには休みも必要だよ、ほらトミカをやめてこっちでアイスでも食べなって言ってたら、せっかく彼はトミカに集中したくて一生懸命やってたのに、その手を止めてしまうっていうのは、これは彼がせっかく夢中でやりたかったことを私の都合によって彼の楽しい時間っていうのをある意味奪ってしまうとも捉えられるわけです。
そうなってしまうと、アドラー心理学でいうと境界線を超えていることになりますね。境界線の侵害と言いますけれども、それを楽しいと思うかどうか、頑張りたいと思うかどうかは早ちゃんの課題であり、母である私の課題ではない。
これは私がコーチングセッションをする上でもものすごく大事にしていて、やっぱりコーチとしてすごく大切なこと、私が考える大切なことって、やっぱりクライアントさんの可能性を誰よりも信じること、その人の未来を信じること、その人がまだ今は発揮しきれてないかもしれない、でも潜在的な能力みたいなもの。
コーチングにおける信頼と可能性の尊重
それが必ずその人が本当にやりたいのであれば、その人には必ずそれを達成できる力がある。私はまずその信じることっていうのがものすごく大事なんじゃないかと思ってて、理論的な科学的な裏付けは色々ね、コーチングを仕事にされている方だったらご存知かと思いますけれども、私の個人的な体験にもやっぱりあります。
信じられている人に信じられる、なんか言葉が変だね。自分が信じている人に信じられることっていうのは、やはり勇気が湧いてきます。そうやって内側から勇気が出てくるように、いやできるよっていう、その人の中の潜在的な思い込みっていうのを外す上でもとことん信じ抜く、その態度で互換を通して接するっていうのをものすごく大事にしているんですね。
だからこそ、私が、例えば私の目線で、それって本当に別にしなくてもいいんじゃないって思ったことがあって、それをフィードバックとして、例えばそのクライアントさんが思い込みによってやりたくないことをやり続けるがゆえに、それで悩みが生じているのであれば、それって別にいらないんじゃないとか、本当にそれしか方法がないのかなっていうような伝え方はするし、
何かこう、なんて言ったらいいのかな、どつぼにハマっている時とか、これしかやり方がないとかね、っていう風になっているならば、いやまだまだ道はたくさんありますよっていう風に言うために、そういう意味では私の目から見えている視点の共有はしますけれども、だけど共有はしないです。
共有はするけど、私にはこう見えているんだからこっちの道で行きなよとか、例えばクライアントさんがこういうことをやりたいんですって言った時に、いやそっちなんかやったって意味がないから、なんかそんな頑張らなくていいっしょとか、それをやったところで何になるんだっていうのは一切言わないんですね。
だってそれはクライアントさんがやりたいことだし、それが成功するかどうか失敗するかどうか、もちろんお仕事の場面においては過去の経験則からこうなる確率が高いだろうなっていうのはある程度あるかもしれないし、お仕事においては私がそれをある程度経験しているんだったら、私の目から見たらこういうやり方はちょっとこういうリスクがあるかもっていうのはあるかもしれないけど、
だけど、だからといってクライアントさんがそれをやらない理由にはならないかなと思っていて、なんかある種子育てと同じかなと、別にクライアントさんのことを子供っていうふうに思ってるわけじゃないけど、愛情をもって接するっていうところでは、やっぱりその失敗から学ぶこともものすごく大事だし、失敗だけじゃないと思うんですね。
トライしたことによって得られる収穫、そういう意味では失敗することそのものがネガティブなラベルを張りがちだけど、何よりもトライしたこと、今までの自分がやらなかったことをやったこと、それにより自分が誰かのやったことではなく自分のやったこととして一時情報を得たことっていうのは、それはものすごく尊い体験だと思うんですね。
それを次につなげていけばいいわけで、どんなことであってもね、お仕事だけじゃなくて、いろんなパートナーシップだってそうだし、趣味だってそうだし、ゲームだってそうだし、ゲームのコーチングはしないけど、私ゲーム下手やし、ゲーム下手やけど楽しくゲームをすることなら勝たれるんですけど。
だからやっぱり、その人がやりたい、頑張りたいって思ったことって、すごくその気持ちが湧いていること自体が尊いことだから、私はそこをとても大切にしたいし、それを使ってどういうゴールというか未来を作るのかっていうところを、私は全力で応援し続ける存在で今後もありたいなと思うんです。
誤った先入観と挑戦しない人生への懸念
そこで、例えば私が一番、ある種恐れているのは、あなたはこうだから、頑張りすぎだから頑張らなくていいよとか、その人にとっては良い頑張りだったかもしれないのに、なんかそうじゃないよっていうふうに言うと、その人の中であ、そっかと、頑張ったらダメなんだっていうある種の先入観みたいな、レッテルみたいなものが生まれてしまう可能性もあるんじゃないかなと。
そうしたら、それはその人が本当にやりたくてやっていたのに、頑張ることそのものが、頑張りの質そのものではなく、頑張ることは全部ダメみたいな、ちょっとこう雑な判定になってしまうと、それは自分の気持ちを無視した行動にもなりかねない。
その場合によっては、そのコーチというのは、私の中ではですよ、私が今まで関わってきて成長させてくれたコーチ、特にメンタル面では一番最初の漢方薬局の先生ですね、がやっぱりずっとやってくださってたのは、先入観をとにかく外すこと、思い込みを外すこと。
もちろん法律違反とかは良くないかもしれないけど、そうじゃないのに自分の中で選択肢を非常に狭めてしまっている、自分の可能性を小さく見積もっている、そういう過小評価の癖を解き直すことっていうのをものすごくやってくださってたんですね。
だからこそ、自分という存在がありがたくなったし、これを周りにもあげたくなったっていう、この注意額でいう気が満ちたりて、それを周りに分配してあげたいっていう自然な流れが生まれたわけですけれども、そこの第一歩っていうのはやはり思い込みを外すこと、メンタルブロックを解除することから始まるので、
このやり方をちょっと間違えると、悩みをどうにかしたくて来てくださっているクライアントさんにもう一つの先入観を植え付けかねない。自分の頑張りは良くない頑張りなんじゃないかとかね。
自分はこうやってたけど、例えば何々先生がこう言ったからこうなんじゃないかみたいな、だからやらない方がいいんじゃないかっていう風になると、どんどん挑戦しない人生になっていくじゃないですか。
いろいろ考えて自分が納得した上で挑戦しないを選ぶんだったらいいんだけど、他人依存の決定権で挑戦しないっていうのはすごくもったいないことだと思うんですね。
失敗から学ぶこととコーチの役割
だから私が恐れているのは、自分の一挙一動がクライアントさんに誤った先入観を植え付けてしまわないように、クライアントさんの意思というのをなるべく尊重して、そして誰よりも信じて、クライアントさんにとっての頑張りっていうのは全力で受け止めて、
挑戦して、例えばうまくいかなかったとして、そこの失敗に対してすごく強いフォーカスが当たって落ち込んでいるクライアントさんがいたら、それ以外にも光を当てるっていうのが私の仕事なんじゃないかなと。
ゲームで言うと、ヒットポイントの回復と次に行くMPとHPを同時に上げるみたいな、傷ついた時は回復するし、いざ戦闘というかワクワクするような戦いはまだまだあるよっていうクライアントさんのワールドマップを広げるというか、そういうのを改めて大事にしたいなと思った話です。
というのが、薬剤師としてずっと仕事をしてきても、誰がとは言わないんですけど、患者さんの中でも、例えば主治医の先生とかにこういうふうに言われたからこういうことはいけないって、多分先生もそういうつもりで言っているわけじゃないんだよね。
ポロッと放った一言をすごく重く受け止めすぎちゃって、その結果自分の中でその言葉をこじらせてしまっていて、自分は挑戦しないほうがいい人なんだ、やらないほうがいい人なんだとか、やりたいけどもうやめておこうとかね。
っていう風になっている方をすごいたくさん見てきたんですよね。昔はそれを聞いて、ああそうですかぐらいで終わってたけど、やっぱり自分自身がコーチングを見出してから、待てよと。
これはこの人の中で思い込みになってこじらして煮込んでるかもしれへんと思って。もっと他の料理作れません?っていうところを、でも具材が、スーパーに行ったらええかなみたいな。買うお金が、いやそんな高くないよとかね。
そういうところから関わりを持つと、コーチングみたいな深いセッションでなくても、やっぱり10分、20分、今20分ね、結構メンタル系の方とかは20分とかがっつり喋ることが多かったけど、それでもやっぱりご自身の中の何かが外れて、
うきうきして、また次来てくれるってこともあったので、やっぱり敵は自分の中にありじゃないけど、それをちょっとでも緩められる。そしてそれをメインとできるお仕事ができたら、やっぱり尊いなっていうのを昔感じたことがあって。
だからこそ、その中での潜入感というものを、自分の中の常識かな。自分の中の常識を一回疑ってみるっていうところができるように。そしてそれを常識を疑った自分を認めてあげる。
じゃあ違和感を感じたら、ちょっと住む世界変えてみようかな。お引越ししてみようかな。ワールドマップ変えて、次の町に行ってみようかなっていう、そんな自分を認めてあげるのをお手伝いができればいいんじゃないかなと。
セーラームーンっていうルナみたいな役ですね。わかるかな?黒いうさぎなんですけど、そういう役が今後もできればいいなと思ってます。なんか長くなっちゃったというので、これを聞いてくださっている方が、なんかその
心の声に従う勇気と挑戦への許可
それやめたほうがいいよとか、そんなこと頑張らなくてもいいでしょうとか、もうちょっと休んだらとか。明らかにね、なんかもうめち走っててさ、バッキバキなっててさ、もうなんか今にも血吐きそうな勢いでとかやったらさすがにね、言うと思うんですけど、そうじゃなくて、本当にワクワクして楽しくてやりたくてしょうがないことなんだったら
それは自分の心の声を優先した方がいいんじゃないかと思います。なので、自分の思ったことを優先してあげる許可をぜひ出してほしいなと、誰かの何かの勇気につながれば嬉しいです。はい、ということで一人ごとお話しさせていただきました。
おまけトーク:楽しむことの重要性
ということでここからはおまけトークですね。
それこそ自分の可能性を信じようということで、ポケモンの初代トレーナーとのバトルを次のピアノの課題曲にしました。並行してJ-POPとかも弾いていくんですけど、相当難易度が上がってる。
先生の瀬戸さんに楽譜もシェアしたんですけど、相当難易度が上がってますと。ただ、難易度が上がってるからどうではなく、とにかく楽しんで難しく考えずに、ただ楽しく弾くことだけを意識して弾いてみてくださいってきて、これよなーと思って。
これよなーってなんやねんって感じなんですけど、急に言葉のIQが下がったんですけど、そうなのよね。やっぱり難しいから、今のあなたにはできないからダメよじゃなくて、じゃあそれで弾きたいから私がポケモンのBGMを弾いてて、そんな頑張らなくても弾いて何になるんだよじゃないのよ。弾きたいから弾くのよ。いいのよそれで。っていうお話でした。ではでは。
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