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絶望の窓際族。
こんばんは、じょるのです。
この番組は、貧困・不登校・メンヘラ・リストラを経て、
現在窓際族としてなんとか生きているこのじょるのが、
みなさんにくすっと笑える絶望の中のユーモア、生活の知恵をお送りする番組となっております。
前回は、電力業界の内情をお話しして、
この話を聞いてくれる方に、話の解像度を上げてもらいたいというか、
なかなか知る機会がないものだと思うので、
聞いてもらって、いろんなことを知ってもらえたらなという目線でお話をしました。
今日は、あの日何が起こったかというところを軸に話をしていきたいと思います。
あの日ですね、震災が結局起こったのって11時代だったと思うんですけど、
その時ちょうどですね、打ち合わせしてました。
ただ、まだ情報がそこまで届いてなかったというところと、
本当にまだ何も分かってなかったので、その時間帯はいつも通りに打ち合わせというかして帰りました。
自分たちがいたところというのは、電力会社の真裏にあるビルに拠点があって、
そこから行き来して、内線も通じましたし、お話するという状態でした。
当初は全く本当に分からなかったんですけど、戻って、当時ですね、2011年だったので、
iPhone3GSかiPhone4Sか忘れたんですけど、iPhoneにしてたような気がします。
スマホが本当に普及機に入ってて、それを見て、すごいことの重大さにある程度気づき始めるというところがありました。
確か午後の打ち合わせに行ったときには、結構電力会社の中は周りがざわざわしていて、
印象的だったのが、組織のリーダーというか課長クラスの人だと思うんですけれども、
そういう方たちがこぞって、部長室という、部長さんが持っている部屋というか、
その方専用の質問室というのが当時あったんですけど、今もあるんじゃないかなと思うんですけど、
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そこに入っていって、ちょっと信用の持ちで入っていって、何か話をしているというような状態でした。
今思えば、災害の時の電源車の派遣であったりとか、もしかしたら人の遊途とかを計画していたのかもしれないです。
私は、地理的にも東北と九州というのはかなり遠いですし、あまり影響はないだろうと高く食っていて、
映像を見た後も、本当に日本の映像なのかなという現実感がなかったですし、
災害が起こったのでちょっと不謹慎ですけど、金の値段が上がるだろうなとか、
本当にちょっと良くないことばかり考えていました。
それぐらいでした。あまり局地的なものという認識だったので、その日は。
徐々に、その週とかにテレビもACのCMしか流さなかったりとか、震災の話だけしかなかったので、
徐々にそれから先、深刻さをわかるようになってきます。
次に、原発が停止していくというところを話したいと思うんですけれども、
当時の3月で年度末ということもあって、その年の前半というか、その月ぐらいまでは何の動画もないですし、
電力の被害の規模とかも徐々にわかってはくるんですけど、
どこかまだ自分たちとはちょっと遠い話というか、そのように思ってたんですが、
やっぱりあの震災で大きなニュースだったのは、津波というのもそうですし、地震で家が崩壊する津波で流されるというのもそうなんですけれども、
大きなトピックとしてやっぱりみんなの頭の中に残ったワードというのが原発というのがあると思います。
それは東日本大震災の時に、海沿いに原発が建っているんですけど、
海沿いに建っている原発に津波が被ったりとか、津波が被ったために電源が消失してしまうという事態が発生して、
電源が消失して何が困るかというと、原発ってずっと水で冷やしとかないといけないんですけど、
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水が汲み上げられなくて、原子炉で発電している放射性物質を冷やすことができなくなりますと。
冷やすことができなくなったら何が起こるかというと、暑くなり続けて、
イメージとしては鍋の中にとても暑いものが入っていて、それが鍋を突き破って出てくるみたいなことが起こると。
燃料棒というのが出てくるという話がありました。
そこで他の原発というのは大丈夫なのかと、地震が起こった時に事故が起こって同じようなことになるんじゃないのかと、
という話になって、日本全体が原発をやめなさいという状況になりました。
この頃、本当に原発の話が出始めた時に、電力会社のビルの前に泊まり込みでデモ隊みたいな人たちが現れるんですよね。
結局、本当に1年以上そこにいらっしゃったんですけどね、その方たちは。
なぜかちょっと高齢者が多くて、これって何でだろうなと思ったんですけど、やり方とか事態とか見てもやっぱり全長等世代の人たちなのかなと。
その影響がやっぱりずっとあるのかなって思っていて。
なぜかちょっと御多分にもらえず、左側の人を持っていらっしゃる方は反原発一遍倒だなというふうに、今でもそうなんですけど思っています。
結局、2011年に震災があって、徐々に原発というのは停止していって、2015年くらいまでずっと停止してたんです。
4年くらい停止してました。
その間、本当にいろんなことがあったんですけど、電力の話でいうと、自然電力をもっと見直そう、作ろうという話が出て、
例えばドイツだと風力発電とか、オランダかな、オランダとかだと風力発電であったりとか、
そういったものに電力使うインフラが入れ替わっているのに、なんで日本だけ原発を作っているのか。
これは原発を作ってお金を稼いでいる人たちがいるんじゃないかという悪者になっていて。
とはいえ、原発で作る電力というのは、電力全体でいうとそんなにパーセンテージは大きくなくて、
一番大きいのは石炭火力発電というのが一番大きいです。
一番大きかったんですけれども、原油とか石炭の価格というのがかなり高い状態になってしまっていたので、
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なかなかそれを買って発電するというのもコストがかかってしまっていて、経営状態を圧迫するということになっていました。
燃料高が進んでコストが増えることによって、当時オイルマネーとか結構注入されていて、
陶器の対象に石油とか石炭とかガトリンがなってしまっていたことによって、やっぱりより買いにくくなったんですよね、燃料というものが。
やっぱり発電するコストがすごい増えていて、それでも電力会社って潰せるかというと、我々が現代人っぽく生きていくためには電気がいないとかなり厳しいですよね。
なので潰すこともできないので、原発使えないとか燃料も高くなって電気供給できないという戦後みたいな状況に戻るとまずいということで、
公的資金を注入するとか、いろんな話が出たんですけど、メガバンクにお金を出させるとか、そういった話がありました。
これ後から思ったらおそらく銀行から言われたのかもしれないんですけど、我々外注というか子会社というかへの委託費というのをかなり減らすという形になりました。
正直言うと、いまだから言いますけど半分で情報システム回せみたいな形になってたそうです。
その影響は後々お話しするとして、働く我々にとっていろいろ変わったなと思ったところがあって、電力をできるだけ使わないようにしましょうみたいな運動というかムーブメントが起きました、あの当時。
9時以降は早く寝ましょうとか、エアコン使うときはみんなで集まって9時に行きましょうとか、パソコンはピークシフト設定にしましょうとかいろいろありました。
事務所のエアコンは39度設定とかにされてしまって、パソコンはピークシフト設定といって省電力モードみたいな形で使いなさいと言われまして、
挙句の果てには事務所の冷蔵庫もいろんなものを飲み物とか入れてる人もいたんですけど切られそうになって、それはさすがにちょっと弁当腐るということでどうならなかったんですけど、
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そういう涙ぐましい努力というか、本当従業員のパソコン12,000台くらいあるんですよね、12,000人くらいいるので、それ以上パソコンの中にあるんですけど、それ全部ピークシフトの設定にして回るという仕事も逆に増えたりして大変でした。
さっき言ったように我々の委託費用を減らすということがあったんですけど、その当時流行り始めた言葉なのかなと思うんですけど、企業の削減のことを圧縮という言葉が流行ったんですよね。
圧縮ってなんだよって思うんですけど、作業は減らさずに企業だけ減らすみたいな、ZIPファイルで圧縮するみたいなイメージでできた言葉なんじゃないかなと思うんですけど、僕はあの言葉が本当にすごい嫌いでした。
あたかも削減って言ったら悪いから圧縮って言ってなんも逃れてますみたいな言い方に聞こえてしまって、
そういうふうに言っているやつを見ると本当にこいつ汚いんだなと思ってしまっていました。
電力業界の大きな流れでいうと、走行しているうちに太陽光発電というのがとても増えます。
それと限られた電力を必要な場所に必要なところだけ届けて無駄をなくすという意味で、スマートグリッドという言葉が入りました。
この2つが結構結びついていて、太陽光発電のパネルの発電状況を見たりとか、それをどこに持っていくかという、発電と管理という2つのシステムがくっつくことが多いんですけど、このシステムはかなり増えました。
今、美しい山の景色を削って、畑を削って太陽光パネルができているという問題にもなっているんですけど、その流れって一番最初はこの辺から生まれてきたなと。
怪しい太陽光発電の会社が増えて、詐欺が増えるみたいな。
この頃、やっぱり学びましたね。新しい産業ができて儲かる人が増えると、そこに生じた詐欺がすごい増えるなって思いました。
何も太陽光発電だけじゃなくてもよかったと思うんですけどね。
日本海に埋まっていると言われているメタンハイドレートどうなったんだろうとか、いろいろあります。
そうこうしているうちに、ちょっと説明しましたけど、電化の砲塔の再エネ付加金というのがあります。
これはちょっと前回説明したかもしれないんですけど、太陽光発電であったりとか、要は電力会社以外が自然電力として発電したものを、
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電力会社のモーですね、つまり電線に入れないと一般家庭に届かないので、それを接続させて買い取るということを電力会社がやります。
やったときにコストがあまりにも高いと、我々一般消費者にそのコストを負担させることができるという制度があります。
これも活用されました。
ただ、昨今この2024年の原油高のようには、そこまでは上がらなかったかなという体感です。
人口とかを考えていただければわかると思うんですけど、90年も東京でもいいんですけど、
一家庭100円でも1000円でもいいんですけど、そこから少しずつ元気だわみたいに集めたら、積もり積もってものすごい金額になりますよね。
それはかなり助けになったんじゃないかなと思います。
ただ、さっき言ったように陶器とかで物の値段、燃料の値段がかなり上がってしまっていたので、効果はある程度限定的だったのかなという見方もあると思います。
そんな状況だったので経営状態も厳しくなってきて、お金の切れ目が円の切れ目かわからないんですけど、これまでの親会社との密接関係が僕らと壊れていってしまいます。
機嫌を損ねないようにとか、なんとなくよく思われるっていうので、僕らは右往左往してたんですけど、前回のお話でも言ったように、
土日でもその人のメンツっていうのを立てるためだけに動いたりとか、仕事もいつまでにやっておけよって言われたら100%やっておく。
それは当然なんですけど、やってたんですけど、そういうのをやって、それだけ尽くして、これも俺たちのつながりだよねみたいな強調をいつもしてたんですけど、それでこれなのかっていうのをとても学びました。
平時だと良かったかもしれないです。そういった震災であったりとか、ピンチになった時に人の本性であったりとか、ビジネスの本質って出るのかなと思っています。
当時少なくとも拡大路線でしたし、給料が滞ることもなく、当然昇給もずっと続けていて、中にはニューヨーク研修に行かせてもらったりとか、部長レベルまで上がれば年収600万くらいなのかな。
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だから当時、生産人口の上位4分の1くらいがそれくらいの給料だったと思うんですけど、それくらいまで行ければいいんじゃないみたいな話で、次は外国行けるのお前だなみたいな話もあったんですけど、全てなくなりました。変に書いた文字でしたね。
平時であればこの中にいて家族同然に暮らしていて、人間関係さえ円満だったらそれだけで食べていけたんだなと。当然技術はある程度ないと話にはならないんですけど、こういう震災が起こってみると本当に何の意味もなかったんだなと思いました。
日頃は絆とか繋がりとかっていう関係性を強調して、親分に従っておけば飯が食えるみたいな、そんな状況だったんですけど、完全に崩壊しました。
一番考えさせられたのは人の絆っていうのは、ビジネスで繋がっている以上はビジネスの絆なんだなって思いましたね。家族とはやっぱり違うので。
そんな中で、割と僕は当時から冷ややかな目で見てたんですけど、人形ごっこみたいなことやるんですよね。
誰々ジョーンの背中を見て俺は育ちましたみたいなことを言うおじさんがいたりとか、誰々重役に褒めてもらうのが俺は誰に認めてもらうより一番嬉しいんだよねって言うとか、
一応猛烈社員がそこにいて、当時でさえ時代作法だなと思ったんですけど、今考えてもやっぱり滑稽だなって思いました。
ましてや、何は牛みたいなことを言っておきながら、後でもまた言うんですけど、自分たちだけ助かって、いざとなるとこぶん海に吹き落とすみたいな、そういうやり方っていうのは本当に嫌だなって思いました。
これまでの流れを少しおさらいしながら話すと、原発停止しますと、東アジア中心に燃料の需要が高まってて、陶器とかといった影響もあって、燃料費が高くなって発電するコストが上がって、燃料会社もすごくコストが増えます。
これで我々が苦しめられて、部門のコストがすごく少なくされて、外注費を削られるので、すごくきつい生活になります。
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この時にやっぱりこれによって自分のところの社員とかが結構くびきられたんですよね。
特に契約社員なんかはほとんど打ち切られて、彼らをずっと社員にしていって拡大していったんですけど、自分が例えば課長になるとするならば、課のメンバーっていうのを確保しておかないといけないんですけど、そういったメンバーも当然全部くびになるので、そういった話もないですし、
拡大路線も停止します。
会社が暇になりました、正社員も自社に戻されて、どうなりますかというと、よくあるんですけど、会社がピンチになって仕事がなくなると、何かさせないといけないので、謎の研修を受けさせたりするんですね。
アクセンチャーっぽい人が来て、プロジェクトのマネジメントのことを教えたりとか、厳しいマナーの講師みたいな人が来て、ビジネスマナーを叩き込んだりとか、いろんなことがありました。
電力だけに頼っちゃダメだよねとはなったんですけど、そこの仕事しか、当然親会社がそこなんでそこの仕事しかやってないんで、他に手があんまりないんですよね。
割と無茶な仕事も受注して、何でもやらないといけないので、私もそういったプロジェクトにアサインされて、例えば九州地方から関東地方に行って数ヶ月、先が見えないですよね、その作業をやっても。
数ヶ月やって、帰ってきても、戻る先っていうのは電力しか祈ってないんですし、そこにも戻れなかったらまたどっか行かないといけないんですけど、そんなのが続くと、自分のやりたいことではなくて受けれる仕事をやるっていう風になって、何のキャリアパスも描けなくなり、将来も見えないということになります。
かといって自分が仕事を取ってこれるかというと、今まで内勤のシステムの人間なので、取ってくるというのはなかなか難しいですと。
そんな中、じゃあ仕事をどこからどうやって取ってくるかみたいな提案書を作りなさいという風に言われて、自分と同じくらいのポジションにいる人がみんな提案書を作らされたんですけど、結局どれも採用されず、時間だけ使われて、当然というか今だったらありえないかもしれないんですけど、
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それも詐欺さんで作らされて、報われない提案書作りみたいなことをさせられるっていう日々を送ってました。
本当にこういうことになるのって、一社フルコミットの会社の、本当に脆弱さが全部悪い方向に出るパターンの社会状況と、社会状況というかそういった状況でした。
そんな中、党の電力会社であったりとか、その1個社の子会社くらいまで同じ労働組合とか、直接資本関係があるところはどうだったかというと、相変わらず自社の福利構成はかなり手厚かったです。
結局、働かないおじさんというか、当時まだやっぱりいたんですよね。
極端に生産性が低いというか、我々と同じ部署にいるんだけども、やっぱり仕事も遅くて、全然パフォーマンス上がらない方っていうのがいらっしゃるんですよね。
そういった方の介護というか。
ただこれが悪いことかというと、この方々もおそらく若い頃に当時のパフォーマンスが下がった方のお世話をされていたと思うので、
社会全体の仕組みとしてメタ認知したときに、これが全部悪いかと言われるとそこはどうかなと思いますが、当時の自分たちからするとちょっとどうかなと思ってました。
こんなときでも組合交渉も彼らはしてましたし、そんな僕らから見たら、組合ってやっぱり大企業しかないし、本当に既得権だなと思ってました。
当時はもうちょっと、本当に嫌悪感しかなかったんですけど、今はある程度冷静に見てます。
この嫌悪感の正体というのは、現代版身分制度みたいな、電力会社を頂点とした、電力村ってよく言われる、原発村とか言われるんですけど、
そういった身分社会的な上位形のところ、そこがやっぱり嫌でした。
ワンピースで言ったら天竜人みたいな感じだったので、何様のつもりだみたいなところで見てましたね。
当時ちょうど龍馬伝があったばっかりだったんですけど、第1話か第2話で坂本龍馬が岩崎八太郎に言う言葉があって、
日本はこれから上司も下司もなくなるがぜよって言ったんですよね。
上司と下司というのは四国の田村家の身分制度というか、どっちが上どっちが下というのがあって、
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もともと四国には長足壁という大名というかいたんですけど、長足壁を廃して徳川家康が送り込んだ山内氏が、
それからあと四国を治めることになるんですけど、もともといた、だから負けた方というか、
長足壁側だった侍は下司で、下司というのは上下の下の下と書いて、下の武士の下と書いて下司。
山内家の侍たちは上に武士の下と書いて上司。
上司は下司よりも偉いというか、そういった描写がされていて、本当僕らみたいだなと思って見てました。
ちょっと当日起こったことではないんですけれども、結局この問題というのは今も議論が続いているなというところがあって、
結局原発は悪化という議論があると思っています。
当時は私も原発のニュースをたくさん見て、日本を汚し、世界共通の海を汚し、原発消しからんなって当時思ってました。
あの頃は誰しもが、国中が、電力会社自身を除いてヒステリー状態だったと思います。原発ヒステリーというか。
メディアも本当に原発自身であったり、原発ができる経緯の悪い部分だけをかなり切り取って放送をしていて、一方的に悪者になっていたなと今考えたら思います。
メディアリンチは、あの時のメディアリンチは今考えてもまあまあひどい、見にくいなというふうには思います。
ただ、この問題というのは、前回の投稿で私がお話したことも踏まえて、なかなか一般の国民が知る機会がなかなかない問題だったので、問題提起には考えるきっかけとしてはとても良かったんじゃないかなとは思っています。
ただ、原発をどう捉えるのかというきっかけにはなっていいと思うんですけど、短期的にこれは悪だと言ってしまうのは良いことじゃないんじゃないかなと思っています。
というのは、戦争が今もロシアであったりとか、ロシア・ウクライナであったりとか、イスラエル・ガザーであったりとかで起こっていて、そうなるとやっぱり戦争って兵器を動かすために燃料が必要だったり、戦地にも人が住んでいて、弾を取ったり煮沸したりで、やっぱりエネルギーっていうのは必要になるんですよね。
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だから、エネルギーというのは現代人というのは切り離せないようになっていて、少しずつ手放すことはできると思うし、無駄を省くということもできると思うんですけど、電気をほとんど使わずに、今さらアーミッシュみたいな生活が本当に全員できるのと。
できるならいいけど、原発も含めてそういったエネルギーを作るっていう選択肢を減らせるのっていうところはとても思います。
ましてや日本って資源もないし、エネルギーもないので、原発に頼ってしまうっていうのはある程度しょうがないのかな。
石炭火力でCO2をいっぱい排出する方がどうなのかなと個人的にはとても思っていて、電気自動車であったりとかエコだっていうので流行ってましたけど、結局石炭火力で発電してCO2出して、その電気で走らせたんだったらあんまり意味ないなと思ってます。
業界の闇って、自動車業界も闇いっぱいあるので、これはいずれ話そうと思うんですけど、やっぱり電気自動車っていうのは結構ハイブリッドのトヨタつぶしとか、ヨーロッパ、中国のポジショントークもかなりあるなと思ってます。
話に戻すと何が言いたいかというと、原発をどうするのかっていう問題は経済と科学の問題であって、あの時やっぱり清掃の具になってたなと思っていて、そのやり方はちょっと違うんじゃないかなと思います。
ただ確かに原発には廃棄物っていうのはずっと出続けるっていう課題があって、これは確かに良くないので何か解決することを考えないとダメなんじゃないかなと思いつつも、そこにある原発をただ止めて、それで何か解決するのかなと思います。
それだったら、もっと安全な原発を作るようにするとか、廃棄物がかなり減るような原発を作るとか、もしくは動かしながらその電力で研究したりだとか、資金を電力を供給することで集めて、より良いものにしていくように研究するとか、そっちの方が生産性あるんじゃないかなって今となっては思います。
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ましてや、何回も言いますけど日本で資源何もないので、石炭火力に頼りすぎるような電気の作り方っていうのはやっぱり長くもたないし、世界的に見ても化石燃料っていつか枯渇するものなので、あと100年200年あったとしてもそれ以降どうするのっていうのはあると思うので、そこはやっぱり考えていかないといけない問題なんだろうなと思います。
一概に原発が悪いというふうには今は思わなくなりました。
今日は3.11ということで、今日中にどうしてもこの3.11に当時のことを考えるっていうのを毎年儀式にしていて、今回もちょっと儀式がてら音声に残していろんな人に共有しようと思って、今日残すことができました。
当時を考えても今考えても、やっぱり亡くなった人がいっぱいいて、とても気の毒というか、本当ご冥福お祈りいたしますし、家を亡くした人、亡くなるまでもないけど怪我を負った人とか、津波があってあの日屋根の上に逃れてね、携帯電話、明かりを頼りに夜を過ごした人とか、きっと寒いだろうなと思いながら僕テレビ見てたんですけど、
なんかね、やっぱり本当にちょっと、これもいずれ話したいと思うんですけど、じゃあ被災してマチって100%戻り戻るんだっけとか、そこも考えないといけないなと思うんですけど、やっぱり被災した人たちが、傷が癒えるじゃないですけど、より良くなるように本当にお祈りしたいと思います。
亡くなった人に対してもお祈りしたいと思います。
それとともにちょっと、こういうのを聞いていただいたきっかけで考えていただきたいんですけど、さらっと話した会社辞めさせられたメンバーたちとかね、九州でも、電力関係、その子会社、やっぱり影響っていろんなとこに出てるので、
東北とか、遠い場所で震災が起きました。
じゃあ我々何も関係ないかって言うとそんなことなくて、当時もリフトラにあったメンバーが帰って、実家の農業を継いで、今でもたまにすごくおいしい農作物、果物なんかを僕に送ってくれたりするんですけど、
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本当にいい道があってよかったなと思うとともに、やっぱりすごく広い意味で言ったら彼らの被災者であって、それで将来絶たれたというのもちょっと大げさすぎるんですけど、窓際に目覚めてしまった私もね、地震の影響を受けた一人かなと思います。
見えない形でも見える形でも、起こっていることってみんなに関係あることなので、これがきっかけで、震災であったりとか、いろんなことを考えていただけたらいいかなと思います。
今日は聞いていただいてありがとうございました。