1. ボイスドラマで学ぶ「日本の歴史」
  2. 「赤穂事件 内蔵助の流儀」 第..
江戸5代将軍綱吉の時代に、江戸城松の廊下で起こった刃傷沙汰を起こした赤穂藩主”浅野内匠頭”に対する一方的な裁定に、赤穂藩国家老”大石内蔵助”他46人の浪士が奮起した事件。
浅野家再興が不首尾となり、浪士たちは、次々と内蔵助のもとから離れていく。内蔵助と生死をともにすると誓った同志は、最盛期には百名に迫ったが、その数は、いまや半数近くに減っている。そんななか、内蔵助だけが、眠れる獅子が目覚めたかのように動き回る。吉良家討ち入りに方針転換してからというもの、その瞳に力が宿る。

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●脚本:齋藤智子
●演出:岡田寧
●出演:
 大石内蔵助:田邉将輝
 大石りく:柏谷翔子
 竹田出雲:吉川秀輝
 寺坂吉右衛門:大東英史
 大石主税:大内唯
 堀部安兵衛:本山勇賢
 浪士:濱嵜凌
 間重次郎:望生
●選曲・効果:ショウ迫
●音楽協力:エィチ・ミックス・ギャラリー、甘茶
●スタジオ協力:スタッフ・アネックス
●プロデューサー:富山真明
●制作:株式会社Pitpa

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00:00
朝のけ最高が不守備となり、老子たちは次々と倉之助の下から離れていく。倉之助と生死を共にすると誓った老子は、最盛期には百名に迫ったが、その数は今や半数近くに減っている。
そんな中、倉之助だけが眠れる獅子が目覚めたかのように動き回る。
きらき打ち入りに方針転換してからというもの、その瞳に力が宿る。
十月七日、ついに倉之助は山品の仮住まいを畳んで江戸へ向かう。友は寺坂吉江門である。
途中、立ち寄りたいところがある。
かしこまりました。
北海道を下る途中、倉之助は箱根神社に立ち寄った。
敵討ちで有名な曽我兄弟が、この地で戦勝祈願をしたことで知られる神社で、倉之助は匠の神の恥を注ぐことを誓った。
縁起物だから、みくじでも引こう。
そういたしましょう。
大吉だ。
ようございました。
旅、急がぬが吉。願望、正しければ叶う。子だから恵まれる。
子だから、奥方様はお元気であらせられますでしょうか。
そうさな。
江戸下港に先立つ半年前、倉之助は陸を離縁していた。
あこうじけん。倉之助の流儀。
第四話。江戸下港。最悪を考え、最高を手に入れる。
これが利縁状である。
はい。
これが、大石家とは何の関わりもないという証になる。大事に保管するように。
はい。
実家のお父上にも文を書いた。万事よろしくとしたためである。
堅毅で暮らせよ。
はい。旦那様は、そう言って私の腹にそっと手を添えました。
倉之助様、黒戸様、私は兄輩ですから、お家老様のような立派なお家の敷き足りは存じ上げません。
03:08
けれども、長年連れ添ったご夫婦が、そのような紙切れ一枚でお別れだなんて、本当によろしいんですか。
良いのですよ。お気持ちありがとう。
偽りでございましょう。よう欺くための。
日の暮れるうちに出発いたそう。里まで送る。
はい。
吉江門も口ばかり動かしていないで、荷物を運んだらどうだ。
かしこまりました。
父上!
力か。母上の実家である豊岡までは長旅だ。体操山深い地だとも聞いている。
母上も普通の体ではない。頼むぞ。
普通の体ではないって。
旦那様からおっしゃって。
陸が言いなさい。母親ではないか。
え、ということは。
母上は五人目のお子を宿しておられるのです。
左様でございましたか。それはめでたい。おめでとうございます。
ありがとうございます。
父上、力は豊岡には参りません。
いかがしたのだ。
私は昨年末に厳服いたしました。もうどんなお役目も立派に勤めることができます。
父上と共に浅野家のために働き等ございます。
ならぬ。
なぜでございますか。
母が悲しむ。
私は。
力が三平のように苦しまないとも限らない。
旦那様は卑怯です。何もかも私のせいにして、本当に悲しいのは旦那様でございます。
力、お父上はお前が心配でたまらないのですよ。
可愛がって育てたお前につらい思いをさせたくないのですよ。
父上、母上、お二人のおかげで力はこんなに大きくなりました。
だからどうか心配なさらないでください。
老い家のため、父上のために母上が一人でお子を産むのであれば、大石家の長男である私も覚悟を決める時だと存じます。
もうこれからは大人として扱ってください。
06:01
大石家の生き討ちに参加させてください。
そう言って力は深々と頭を下げました。
倉之助は一人背を向けて、しばらく無言でおりました。
きっと息子に涙を見せたくなかったのでしょう。
倉之助は息子に背中を向けたままで問いました。
同じ志を抱く同志として生きるからには、これよりは父でもなければ息子でもない。
よいか。
はい。
容赦はしないぞ。
はい。
こうして倉之助は息子の願いを聞き入れました。
私が豊川の実家に戻ってから間もなく、元気な男の子が生まれました。
倉之助との五人目の子。
大サブローと名付けました。
倉之助が朝野の殿様の名誉を回復するために何をするつもりなのかは、見当もつきませんでした。
ただ何かあった時に、私たち家族に類が及ばないよう利縁した。
その心はずいぶん前からわかっていました。
その証に倉之助からは赤子の誕生を喜ぶきめ細やかな文が届きました。
そして倉之助が文をしたためたのは妻の私ばかりではありません。
11月上旬、倉之助はついに江戸に入り、一足先に江戸入りしていた力とともに日本橋の旗子に腰を下ろした。
つくなり倉之助はせっせと筆を走らせた。
文の内容は老子に向けて打ち入り時の小白いや武器について細かに定めた挿図書からこれまでにかかった費用を記した会計帳簿、今回の打ち入りの理由と目的を記した工場書まで多岐に渡った。
なぜここまで細かくお決めになるのですか?
指示の細かさに駅役した老子が尋ねると倉之助は筆を走らせながら答えた。
最悪の事態を想定して備えることが望みを叶える早道だ。
堀部様、御免くださりません。
おお、力殿か。どうぞお入りください。
父、ではなく倉之助より伝言があり、まかり越しました。
本日クレムツより会合を催しますので、是非堀部殿においでいただきたいとのことでございました。
受けたまわった。まだ何か?
09:03
一つお伺いしたいことがありました。
私も一度力殿と話したいと思っていたところだ。
本来なら酒を組み交わしたいところだが、対岸成樹の逆立ちをしている。茶でもしんぜよう。
高田の場場で真剣で果たし合いをしたというのは本当ですか?
そのことか。
ええ。十八人もの豪の者を倒し、江戸中に堀部康平様のお名前が轟いたと聞きました。
実際に戦ったのは二人だ。
時が経つにつれて尾ひれがついて話が大げさになっていく。
この度の討ち入りでは、実際に人を斬ったことのある者は堀部康平様とフワカズエモン様お二人のみと聞いております。
そうらしいの?
先日の会合によると、喜良邸には百人ぐらいが常駐しているとのことでした。
敵が百人で、我らは五十人余り。そのうち真剣を抜いたことがあるのはわずか二人。
弱音を吐くわけではないのですが、これは本当に大変なことだなと。覚悟を新たにしている次第でして。
怖いか?
怖くはありません。
俺は怖い。
え?
先のことに思いを巡らせても、怖くなったり不安になったり、ろくなことはない。
だから、俺は今できることをやる。今だけに集中してやるだけのことはやる。
はい。
勝ち負けは時の運。到底人に操れるようなものではない。人間にできることは、目の前のことに全力で取り組むことだけだ。
そうか。常の勝敗は今なり、とはそういう意味だったのですね。
なんだね、それは。
山賀祖皇先生の教えで、父の口癖なのです。
俺は武から志官して阿皇に入ったから、祖皇先生のことは存じ上げないのだが、そう言われてみると、倉之助殿も確かに今に生きていらっしゃるな。
私は父から訓導を受けてきたにもかかわらず、全く身についておりませんでした。
力殿、無事打入を果たした後は、パンと酒を組み交わそう。
はい。
老子たちは聴人になりすまして、平屋敷の偵察を続け、遂に、屋敷の絵図面を手に入れる。
12:02
絵図面を見ると、平光助之助の親女は裏門近くにあることが判明した。
倉之助は老子たちを表門と裏門、二つの部隊に配置したが、裏門が激戦になることが予想された。
各々方、表門から撃ち入る表門組と、裏門から突撃する裏門組、それぞれの配属をお伝え申す。
私も待ってござる。
まず、表門隊の隊長は、私、倉之助が相に務める。
承知。
続いて裏門隊の隊長は、大石力。
お待ちくだされ。
何か?
ご身分からして、当然だと思うし、口を出すのも幅変えるが、重要なことなので、あえてお尋ねする。
力殿は、我ら老子の中で最も年が若いと聞いている。
いくら倉之助殿のご子息とはいえ、裏門の長には、荷が重すぎるのではないか。
この度は、親子で加わっている方も多くいらっしゃる。
実際、狭間殿、紀伝もお父上、五兄弟共に御参加となった。
誠に痛み得る。
支配にあたっては、表門と裏門で、極力親子、兄弟が別々になるように配属した。
親子兄弟、万が一どちらかが一方倒れても、もう一方は残って仮面を残すことができるようにという標本か。
その通りだ。その結果、力を裏門に回すことになった。
これでも極力、史上を挟まずに采配したつもりだ。
わかっております。倉之助殿の深いお考えにはいつも恐れいるばかり。
また、力殿の大将としての器を疑っているわけでもないのです。
力殿は、背丈もあり、若いのに落ち着いておられて、まさに大器。
しかし、裏門は広助之助の居室に近く。
ということは、守りも厚く、激しい癖になることは明らか。
せめて力殿だけでも、倉之助殿を近くに置かれた方が、ご心配であろう。
そのために、裏門には吉田忠財門殿に副長として立っていた。
忠財門殿は、これまでも私の右腕として、影に日向に支えてもらった御人だ。
さらに実戦の経験がある、不羽和英門殿にも、裏門隊として力の未熟を補っていただくつもりだ。
倉之助殿、一つお願いがある。
安倍か。
15:00
私も裏門に配備していただけないか。
の、力殿。
はい。
この堀部安倍が、責任をもって力殿をお支えする。
安倍殿がついておられるなら、鬼にかなおう。
俺は鬼か。
お頼み、教えあげまする。
お願いいたします。
よー!
脇が甘い!
以来、討ち入りの日まで、力は堀部安倍様から毎日、剣術の稽古をつけていただくようになりました。
よー!
腹に力を入れる!
よー!
よい、よい立ち筋だ。立派な剣士だ。
本当ですか。
十五で母の手を離れた息子です。
しばらくは、あの子のことを思うだけで、涙がにじみました。
ただただ不憫に思っていたのでございます。
けれども、赤尾老子の方々に弟のように可愛がられていたと聞くと、
力には楽しいひとときもあったのかと思い、少しは胸の疲れがおさまるような気がいたします。
典録十五年も始発を迎えた。
すでに十一月の時点で藩の金も釈財も底をついた。
打ち入りが先か、飢え死にが先かという極限状態。
日を追うごとに、脱落者が増えていく。
ついに、豪氏の数は四十七人にまで減った。
四十七氏の一縷の望みは、斬らの首を上げる、その一点のみ。
倉之助は最後の仕事に精を出す。
すなわち、四十七人が逆賊にならないための知恵を、
蜘蛛の糸のように張り巡らせていく。
凍てつく寒さの中、打ち入りの日が刻一刻と迫る。
武田出雲、菊川秀樹
寺坂吉江門、大東秀文
大石力、大内唯
堀部康平、本山武康
老司、平塚蓮
狭間中二郎、三尾
選曲・効果、松佐子
音楽協力、HMIXギャラリー
アマチャ、スタジオ協力
18:01
スタッフアネックス
プロデューサー、富山正明
制作、株式会社、ピトパ
18:16

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