日常の過ごし方
14時15分、今日の声日記です。 今日は6時半頃に目を覚まして、朝食を作りました。
今朝は白いご飯と納豆と味噌汁です。 その後に洗濯をして、朝を
慌ただしく過ごしていましたら、電話が来て、 その対処に慌てていました。電話の内容は
大したことはなかったのですが、そもそも朝に電話が来るというのが珍しくて、 一体何があったんだと思いながら、
知っている番号だったので、出たら、これこれこういうことがありましてという話があり、 頭をかかえていました。
あと、その時は自分がまだパジャマだったので、 電話の向こうの人はこんなにしっかり
外に出ているのに、私は何をしているんだろうという、 いたたまれない気持ちになりました。 その後は
引き続き、途中だった洗濯を干したり、 出かけるために身支度をして、
その後は、 用事を出したり、あと気分転換も兼ねて出かけました。
今日は珍しく、 人がいる
ところへ出かけました。 見たい映画があって、
ミニシアター的なところでそれを見てきました。 私の住む地域はすぐに行ける範囲ではシネコンがないので、
よくCMで流れるような、現在上映中の映画というのは、 見に行くのに時間と費用が結構かかる地域です。
最寄りのシネコンまで行こうとすると、 最低でも映画
1回、2回、下手すると3回分ぐらいの 追加料金がかかる感じです。
一方ミニシアターは、 映画の券というか、映画を見る分よりは少ない交通費で見に行けるので、
シネコン以外でも、 シネコンでは見られないような作品も上映していたりするので、 年に何回か足を運んでいます。
その後は、 用事を出したり、食事を取ったりして、
家に帰ってきました。 今日は天気も良くて、久しぶりに日の光を浴びたなぁという感じがします。
カバージャケットの変更
話が変わります。 最近というか、この日記の数回前から
カバージャケットを変えました。 色は最初のカバージャケットのままで、ままというか、一部元のカバージャケットの
色を取り入れて、 所々やや色味を変えています。
これ、最中央に描いたのが納豆ご飯なんですけども、 この日記を始めて、私は大抵朝食べたものを喋るのですが、
納豆と言っている率が自分で多いなぁという気がして、 それで、納豆ご飯を描くかという感じで、納豆ご飯を描いてみました。
描いてみましたというのは、この生成AIが盛り上がっている時代に手描きで描いております。
手描きというと語弊がありますが、自分の手を使って描いています。
色なんですけれども、どうにかして暗いなぁという感じを出したくて、というのも、
ジャケットだけ明るくすると、カバージャケットとこの喋りと喋っている内容の差が、 明暗の差がひどいかなぁと思いまして、
だったら最初からカバーも暗さというか、 近づくのなんか嫌だなぁという感じが出したいなぁと思ってかといって、
黒、黒一色というほど割り切れなくて、 間を取って紫。
でも暗いんだけども、たまには誰か聞いてくれないかなぁという欲も出てきて、 少し目立つようにビビットな色にしてみました。
今回からは納豆ご飯を書いたので、 茶系というかオレンジというかそういうのも取り入れています。
こうやって手を動かして描いているのは、 結構楽しい、いや楽しいとは違う気がします。
なんとか無、何も考えずに、 考えてるけど何も考えずに手を動かせるというのがいいなぁと思うところです。
でも最近、いろんなジャンルの人が口を揃えて、 生成AIを楽しく面白く便利に使ってきている先行者の人たちでさえ、
AIは自分の得意分野あるいは自分自身を取り込むというか、 成り変わるというかしてしまうかもしれないというようなことを喋っていて、
そういう時代に自分がこうやって手で何かを描いているのは、 一体何でだろうとふっと思うことがあります。
まあ元々イラストとかは、昔からはるかに上手い人が周りにいて、 なんでこんな状態でずっと続けてるんだろうというのがいつも思うことだったんですが、
それがまさか今になっても続いているとは思わなくて、 昔はその人間が描いたものを見て、
ああこの人上手いなぁと思いながら、 なんで描いてるんだろう私はと思っていたのですが、
今はもうAIに対してそれを持ってきて、 じゃあなんででも描いちゃうんだろうなぁと、
別にうまく言語でAIに任せてもいいのになんでだろう、 しかも自分で描いても決して、
上手いとか味があるとか特徴があるとか個性があるとか、 そういうのでもないのになんでやってるんだろうという、
趣味という言葉を通り越して本当、 なんでだろうという不思議さだけが残っているような気がします。
今日の声日記はここまでです。