1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #25 会社を1年で辞めてモンゴ..

今日のゲストは、BAR KRYPTOに携わるMIYAさんです。

・新卒で入った会社を1年で辞めてモンゴルへ

・コミュニティの中心にいるよりも、少し離れたところで眺めているのが好き

・誰か1人がトップにならない集団の思想、それがweb3だった

サブゲスト:飯田さん(⁠#21ゲスト⁠)


【ホスト】 近藤淳也 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。 ⁠⁠https://ond-inc.com/⁠⁠

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サマリー

MIYAさんは1年で会社を辞めて、web3の世界に入りました。彼は某ITメガベンチャーでweb3の事業部に所属し、事業開発やクリプト関連のプロジェクトに携わっています。モンゴルで1年間働いた後、MIYAさんはモンゴルの教育制度に興味を持ち、モンゴル人の学生たちの進路指導をサポートする仕事を始めました。モンゴルでは観光業や鉱山などの産業が盛んであり、エンジニアも様々な分野で活躍しています。20歳で農耕民族としての生活を経験したことで、自分のキャリアや生き方について考え始め、教育とキャリアを結びつけるビジネスを立ち上げることを決めたMIYAさんのストーリーです。 アドレスは、全国で定額料金で泊まれる住まいのサービスであり、コロナ禍の影響もあり、急速に会員数が増えています。アドレスの創業メンバーや初期会員の一人であるマッサンさんや江次賢さんも活躍しており、サービスは壮大な社会実験として注目されています。 MIYAさんは、カスタマーマネージャーとして働いていた時に、オンラインとオフラインのコミュニティをつなげる仕事に興味を持つようになりました。実名感に違和感を感じつつも、複数のアイデンティティを持ち、多重の社会やコミュニティに所属し、自由な人格で生きられることが面白いと考えるMIYAさんです。そうした価値観に基づき、MIYAさんはWeb3の世界やメタバースの可能性に興味を持ち、その中でトークン経済やコミュニティの価値を見出しています。 中央集権やヒエラルキーに対する承認欲求の違和感から、MIYAさんはWeb3の世界に興味を持つようになりました。会社のヒエラルキーから離れ、コミュニティを独自の形にすることを思い立ち、トークンを通じた価値交換が行われるコミュニティを構築しました。 自己本位的な欲求から他者への貢献への意識を持つことや、感性を磨く重要性について話しています。MIYAさんは現在、ブロックチェーンを活用した新しい事業を企画する中心的な仕事をしています。ポスト資本主義により、ブロックチェーンが資本主義社会をドライブすることが検討されています。大きな会社の事業とは別に、プロジェクトを立ち上げ、若いメンバーたちと経験豊富なベテランたちが共同でブロックチェーンの活用を考えています。

MIYAさんの経歴とキャリア
近藤淳也
近藤淳也のアンノウンラジオ
はいこんにちは
飯田友広
こんにちは
MIYA
こんにちはお願いします
はい今日はMIYAさんがゲストにお越しいただきました
はいMIYAですお願いします
近藤淳也
よろしくお願いします
そして今日のアシスタントは
飯田友広
はい飯田です
近藤淳也
飯田さんです
飯田友広
3回目ですよろしくお願いします
近藤淳也
先週というか前回に続いて
飯田友広
だいぶ最近頻出キャラになってますけど
いきなり
近藤淳也
すごい
飯田さんもありがとうございます
飯田友広
ありがとうございます
今日はミヤさんにたっぷりツッコミをします
MIYA
お願いします
近藤淳也
じゃあ早速ミヤさんなんですけども
先週というか前回BAR KRYPTOの立ち会議の回を撮りましたけど
その関連のメンバーということで
MIYA
そうですね
近藤淳也
クリプト続きですけども
今日はミヤさん来てもらいました
MIYA
はいお願いします
ミヤです
近藤淳也
なかなかいいノリですね
MIYA
昨日もクリプトにいて
11時過ぎまでバーテンやってましたね
近藤淳也
じゃあちょっと早速ですけど
MIYA
簡単な自己紹介をしてもらっていいですか
ミヤと言います
最近はもっぱら金曜日の夜にバーテンをしてるんですが
近藤淳也
それがメインの仕事
MIYA
それがメインの仕事ではなくて
某ITメガベンチャーでweb3の事業部にいるので
そこで事業開発をしながら
あとクリプトとかですね
いくつかのweb3のプロジェクトに関わってるような
web3にどっぷり使ってる毎日です
飯田友広
お漬物になってるんですか
MIYA
お漬物にはなってないです朝漬けぐらい
一応乗っていました
近藤淳也
何て名乗ってるんですか
MIYA
何ですか
近藤淳也
何て名乗ってるんですか
こうなんか職業はって聞かれたら
MIYA
職業ね
でもなんか自分がメインでやってるメガベンチャーのところが
結構社名が有名なんで
それを分かりやすくしたい時は言いますし
そうじゃないとなんかまあいろいろ
ブロックチェーンで色々やってますみたいな
ぼんやりさせる時も
ブロックチェーンで色々やってる人
近藤淳也
会社員ではない
MIYA
でも一応週4の会社員って感じですね
一応社員ではあるんですが
いろいろ他でもやってるよみたいな感じですね
本当新卒の時の1年間ぐらいしか
なんかどっぷり一社で働いたことがなくて
なんか基本的にはなんかあれこれやってます
そうなんですね
近藤淳也
クリプトでもね
まあ産みの親というか
MIYA
いやいやいやとんでもない
一番最初に色んな人が自分を引っ掛けて
最近ねいい感じで諸説出てきたんで
それはいいかなと思って
昨日の夜もね
近藤淳也
クリプトができたのは俺のおかげで
飯田友広
俺が育てた
MIYA
いやでもねそういう説が
飯田友広
言いながりの人がたくさん
MIYA
説が分散していった方がね
諸説ありにして
近藤淳也
それだけたくさんの人が関わって
MIYA
みなさんのクリプトですから
飯田友広
たくさんいるんですよね
誰やねんって
MIYA
みんな存命で生きてるのに諸説あるっていう
近藤淳也
面白いね
MIYA
それがねいいと思いますよ
近藤淳也
でも最初ね
クリプトバーの始まり
近藤淳也
ミヤさんが僕を訪れてくれて
MIYA
そうですね
最初は僕もともとアドレスっていう
サブスクの会社にいたんですけど
その時のユーザーさんとなんか仲良く話してて
その方が近藤さんの共通のお知り合いで
近藤淳也
えじけんさんですね
MIYA
あそうそうそう
えじけんさんで繋いでくださったんですよ
それで最初普通にお話しして
近藤淳也
そうかやっぱえじけんさんから
君たち二人は会った方がいいよって
MIYA
あそうかそんな感じでしたね
メッセが来た気がする
近藤淳也
じゃあえじけんさんが産みの親
MIYA
あそうそう間接的には
近藤淳也
産みの親の割に現れるのか
MIYA
ホルダーなのか
それが見事ハマったんですね
飯田友広
すごいっすね
MIYA
そうそうそれで会って
でも最初普通にあれですよね
なんかランチながらブロックチェーンの話して
でそれでなんかある時こう
それで近藤さんを知り合ってて
でなんか一緒にやりたいですね
みたいな話ぐらいしてて
でなんかある時
あこれ僕の説なんで
諸説あるうちの一説なんですけど
なんか僕の中の説だと
鴨川でなんか歩いてる時に
そのあそういえばと思って
なんかその関東はそのピアツピアさんっていう
まあ結構有名なクリフトバーがあるんですけど
関西ってそういう場所がないなと思って
あだったら作ればいいんじゃないかと思って
で近藤さんにもうなんかすぐメッセンジャー送って
話しましょうみたいになって
で結構ほんとなんか雑なアイデアを持っていって
そっから本当にいろいろスタートした
みたいな感じの
僕の記憶だと
近藤淳也
じゃあミヤさんが鴨川歩いてた時に思いついた
飯田友広
鴨川や
MIYA
まあでも僕が思いついた時に
同時にいろんな人が思いついたのかもしれない
それが諸説につながってるのかもしれないですけどね
僕ルートはそんな記憶だったですね
近藤淳也
まあいろんな人のことがね
MIYA
それぞれ欠けていたらなりたくなかったと思う
最初はね本当近藤さんと2人で話し合いだけだったんですけど
そっからね新田さんも含めいろいろ
本当いろんな方が加わり
あれよあれよって多分それが
10月とかぐらいだと思うんですけど
もう本当年末ぐらいには
NFT売り出してみたいな感じでしたからね
そっからすごいペースで進んでいきましたね
飯田友広
そうですね
こんな謙虚なキャラでしたっけ
MIYA
いやいやいや謙虚ですよ
飯田友広
ラジオバージョンになってない
MIYA
いやいやいや謙虚じゃないバージョンが知りたい方は
バーに来ていただける
近藤淳也
いつもどんな感じなんですか
飯田友広
いつもなんか俺っすよって
MIYA
いやいやいやいや
断定ですよ
それは結構真面目な話すると
諸説あるのがいいなと思ってるんですよ
僕もあんまり言いたくなくて
みんなが自分が作ったって言えるぐらい
なんかその自分のバー
なんか今までってバーって基本的にその
バーのオーナーがいて
オーナーの店にみんな行くみたいな感じだったんですけど
なんかそれってすごい中央集権だなと思ってて
なんかみんなホルダーの人たちは自分のバーって言って
しかも同班1名連れてこれるじゃないですかクリフトって
自分のバー
俺バーやってるから俺の店来いよっていう
あの男なら1回言いたいフレーズを
その誰もが言えるっていう
俺のって言える人がいっぱいいる方がいい
それが大事かなと思ってるんで
近藤淳也
まさに自立分散のウェブツリーっていう
MIYA
あんまりその影はね消していった方がいいかなっていうの
飯田友広
昨日来られたホルダーさんもね
奥様連れてこられて
これ俺作ったんやでって
MIYA
そうそうそれが大事ですよね
飯田友広
そりゃあ素敵ってなってましたからね
MIYA
そうですね
web3のマスアダプションについて
飯田友広
飯田さんもね結構ね
同班の方はね
MIYA
奥さんとか連れてきて
飯田友広
そうそうそう毎週連れてきて
いろんな方はね
確かに確かに
近藤淳也
飯田さん同班率高いですね結構
MIYA
まだまだほんと
近藤淳也
そういうのがねいいなと思います
じゃあまあみんなが俺のって言えるように
MIYA
自分が先陣を切って俺のって言ってるっていう
まあまあまあ
飯田友広
みんなが言いやすいように
近藤淳也
なるほどなるほど
素敵ですね
MIYA
じゃあ全員俺のって言ってくれって
そう本当にみんなのね
近藤淳也
でも昨日なかなか盛り上がりましたね
MIYA
昨日すごかったですね
昨日はほんと半分ベリロン半分ステップンみたいな感じで
奥がステップンエリアで
で前が
近藤淳也
前側がベリロンエリアで
真ん中に両方めっちゃやってる人が
MIYA
そうそうそうそう
めっちゃよかったですね
なんかその昨日はなんか面白かったんだ
昨日はそのそういうweb3ネイティブ系の人が集まって
なんかもうガンガンそのトークだったじゃないですか
なんか普段は結構その初めて
それと同班で来る人とかって
初めてウォレット入れましたみたいな人とか
なんかそういう人が来て
なんかそれもそれで結構大事だなと思うんですよね
なんかマスアダプションするっていうか
なんか普通はただワードだけこう暗号通過とか聞いたら
ちょっと怖いとか難しそうみたいな人が
なんか目の前に知ってる人がいるからとか
バーで顔が見えるからやってみようみたいな
なんかこれはすごいマスアダプションに効くなと思って
ちょっとまだちっちゃい規模ですけど
なんか面白いなと思って
まあ両方良さがありますよね
近藤淳也
初めて仮想通過で決済しますっていう人
MIYA
結構いらっしゃいますよね
近藤淳也
まあ実際確かに仮想通過で物が買えるお店って
MIYA
そんなにないんで
近藤淳也
まあどれだけ詳しくても
そもそも場所がないっていうのも
あるかもしれないですけれど
MIYA
まだ初めて来た人が
円が使えないことに戸惑うっていうことから
始まりますからね大体ね
近藤淳也
まあなかなかでも面白いですね
MIYA
そうですね
そこら辺もなんかね
最初は僕は意外と日本円使えた方がいいんじゃないか
みたいな思ってたんですけど
ちょっとディフェンシブに
近藤さんめっちゃ攻めだったじゃないですか
絶対もうクリフト決済しかしないみたいな
でもなんか結果それで良かったなって感じで
やってみてすごい思いますよね
近藤淳也
それ自体がねちょっとこうアトラクションじゃないけど
一回試してみたいみたいな体験になってて
MIYA
なんかあの送るっていうトランザクション一つが
結構アトラクションになってますよねみんな
あんなお会計が楽しい場がないと思うんですけど
近藤淳也
メタマスクで結構簡単に送れるんだなみたいな
昨日あのGMT払いが初めて発生しました
MIYA
そう初めてステップナーにより
ステップナー達の
近藤淳也
ステップナーが来たんで
まあちょっとさすがに今日は
GMTの支払い受け入れようかということで
当日のレートを換算して
MIYA
急遽急遽レートで
1GMT=0.18クリフト
0.18かな
近藤淳也
レートを決めましてGMTでの支払い受け付けて
初のGMT払い
外を歩いてGMTを稼ぐと
夜にバーでお酒が飲めるって
MIYA
健康的な日中歩いて夜飲めるっていう
近藤淳也
すごいですね
全国のステップナーの方も是非
MIYA
確かに
近藤淳也
フォルダーさんを見つけて
来ていただければと思いますけど
その日はねGMTでも受け付けますんで
MIYA
やりたいですね
近藤淳也
はいじゃあそんな感じでいいですか
昨日の話は
MIYA
はい昨日楽しかったです
近藤淳也
はいじゃあちょっとミヤさんの
これまでについて
MIYA
振り返っていきたいんですけど
キャリアというか
近藤淳也
お仕事はどんな感じで
MIYA
キャリアは僕は結構本当なんか
最初こそ割となんか
大企業みたいなところに入ったんですけど
なんか割ともうストリートで
戦ってきた感じで
ストリート
あんまりもう1年ちょっとやめちゃったんですよね
なんかそれはなんか昔からやっぱ自分で
なんかこうやってみたいみたいな思いが強くて
でなんか一番最初大学3年生の時に
それはフランチャイズだったんですけど
塾のフランチャイズみたいなのを始めて
あそうそれがなんか一番最初に
法人を作った
一番最初
大学3年生で塾のフランチャイズを始めたんですか
そうですそうです
飯田友広
びっくりした
近藤淳也
いやいや感じた
MIYA
それが一番最初に法人をね
近藤淳也
20歳とかでってこと
MIYA
大学そう20、21ぐらいですかね
それが最初だったんですけど
近藤淳也
え何それそんなことやります普通
MIYA
まあでもそれ自体結構あの若い感じだったんですよ
塾の経営とフランチャイズ
MIYA
その経営人とかも若めの塾で
近藤淳也
あー一人じゃなくてってことですか
MIYA
あそうですあのもともと塾の本体はあって
でなんか僕が新しいそのコースみたいなの作って
それをちょっと校舎として独立して
でフランチャイズでこう回してたみたいな感じだったんですけどね
飯田友広
すごいですね
MIYA
そうそれが3年生の時でしたね
近藤淳也
昔からそういう企業願望みたいなのあったんですか
MIYA
うんなんかやりたいなと思ってましたね
はい結構思って
近藤淳也
子供の頃から
MIYA
あーでも確かに子供の頃の夢僕経営者って書いてましたね
そうですか
経営者か作家選手って書いてましたね
近藤淳也
えーなんで
MIYA
なんでなんすかね
なんかやっぱり自分でやりたいみたいな思いが強かったですよね
近藤淳也
あーそうですか
そのなんか親御さんの影響とか
MIYA
親は全然普通に公務員とかなんですけど
なんなんですかね
近藤淳也
でもうちも公務員ですわ
MIYA
あ本当ですか
近藤淳也
市役所勤務
MIYA
あ本当ですか
近藤淳也
硬い
MIYA
意外とね反動で子供がそうなるのかもしれない
近藤淳也
そうかもしれないですね
なんか頑張った分だけなんか変化があるみたいな
MIYA
そうなんですよね
近藤淳也
なんかちょっといいかもって僕は思ってましたけど
MIYA
はい
そう思ってましたね
だからそれでもう本当に1年ちょっとで最初の会社辞めて
そっからもうノラノラですね
近藤淳也
あーそうですかちょっと待ってください
その塾の塾はどうなったんですか
MIYA
塾をもうずっとやってました
だから新卒で会社入った時も
多分副業しちゃいけない会社だったんですけど
副業的に週末はその塾をずっとやってて
そうなんですか
やってましたね
近藤淳也
フランチャイズをやるってどういうことですか
先生じゃなくて
MIYA
先生は全部やってました
フランチャイズ的な校舎の経営から
いわゆる全部教えることも
何人かバイトの子がいましたけど
基本的には
近藤淳也
じゃあそのなんていうか
1店舗全部やるみたいな
MIYA
そうですねそうですね
そうやってましたね
近藤淳也
物件選んだりとかからしましたね
人も宿ってたんですか
MIYA
一応バイトですけど
大学生の子たちとかにちょっと講師のサポートで
近藤淳也
入ってもらったりとか
すごい
うまくいきました?
MIYA
それはそれなりにうまくいって
結局1店舗のフランチャイズが2店舗にして
別の人にパスするんですけど
そうなんです
僕その頃は本当教育がやりたかったんですよね
教育に目覚めてて
で、2店舗パスした後に
モンゴルに行くんですよ僕は
モンゴルへの挑戦
MIYA
え?
ちょっとまた話がどんどん
あ、そうそう
それはもう野良時代なんですけど
会社辞めた野良時代に
モンゴルに行って
近藤淳也
モンゴル
はいはい
MIYA
日本で結構教育をやりながら
なんかでも日本人って
とはいえ恵まれてるじゃないですか
だからなんか
いわゆる日本の結構それも
高校生教えてたんですけど
高校生の中でもトップ層の子たち
なんかすごいこう
例えば帰国種類で英語ができるとか
あと企業の経験があるとか
なんかそういうこう
自分の位置限が結構ある子たちだったんですけど
なんかもうちょっとこう海外で
なんか本当にこう
その人たちが国を背負っていくみたいな
ぐらいのこう危機感が
割とあるような国で
なんか挑戦したいなと思って
はいでモンゴル行きましたね
飯田友広
単身で
MIYA
単身でしたね
何の繋がりもなく
乗り込んでた
はいただ僕はモンゴルで
教育のなんかをやるぞって思って
モンゴルに行きましたね
近藤淳也
えー
MIYA
片道の
近藤淳也
ちょっとちょっと待てよちょっと
MIYA
展開が早すぎる
近藤淳也
えーとちょっとちょっと
えーとその新卒で入った会社っていうのは
教育系
MIYA
それはITとか
通信とかインフラとかそっち系でしたね
近藤淳也
それはじゃあ普通に新卒で
MIYA
新卒で入りました
近藤淳也
入社されたんですよね
MIYA
入りましたね
近藤淳也
で1年で辞めちゃったんですか
MIYA
1年で辞めましたね
結局でもそれもICTとかその
ITと教育を絡めるみたいなことを
やりたいみたいな話をして
結構本当になんか教育系の部署に
部署というか仕事に行かせてもらえたんですけど
やっぱりその自分でやりたいというかね
その塾やりながら
こっちの方が面白いなみたいな思いが
結構強くなったんですよね
なんかその割と高校生で
たぶんじゃあ起業したいですみたいなことか
将来こんなことやりたいですみたいな
結構こうビジョナリーな子たちが
来るんですよその塾に
そうすると僕はなんかもう
本当に正面から向き合いたかったんで
人によってはもう大学行く必要ないじゃんとか
おー
近藤淳也
親に怒られるやつやん
MIYA
そうそうそう
でもなんかそういうことを言ってたんですよ
えー
それって結局守りだよねみたいな
なんか今まで
飯田友広
自分大学行ってる
MIYA
そうそうそれででもそうずっと言ってたら
なんか自分って結局
なんかこういうふうに会社員やりながら
なんかこう今
なんかこういうふうに
ちょっと安全な場所から
彼らに話してるって
なんかそれ全部自分に返ってきちゃって
これ守りだなみたいな
近藤淳也
説得力ないなみたいなこと
MIYA
でなんか自分で挑戦しようって
近藤淳也
えー
MIYA
やってましたね
近藤淳也
ちなみにそれで大学行かなかった高校生いたんですか
MIYA
みんな行きましたよ
それこそねハーバード行った子もいたし
近藤淳也
あー
そういう外し方もいいですね
MIYA
そうそうそう優秀でしたねみんなね
近藤淳也
えー
MIYA
はい
近藤淳也
それはその生徒さんは
結構ミヤさんの言うことは
そうだなって感じだったんですか
それともいやいやさすがに大学は
あでも結構
MIYA
結構尖っている子たちが多かったんで
あの結構はい
まあそうですよねみたいな感じ
近藤淳也
あーそうですか
MIYA
ありつつ
まあでも最終的には
まあでもあの大学行って
あの将来を考えたいって子が多かったですけど
まあでも中には僕がサポート結構して
大学受かったんですけど
決定大学行かなかったっていう子もいますね
まあ後にその子と一緒に会社やることになるんですけど
近藤淳也
おおー
あーそうですか
それは親からはなんか言われませんでしたか
MIYA
あでも結構その子はなんか割と
まあ起業したんですよね
近藤淳也
はいはい
MIYA
大学行かずに起業して
近藤淳也
えー
MIYA
そうそれ自体は
まあその後いろいろ何回か
あのピボットした後に
出会って一緒にまた会社やるようになるんですけど
近藤淳也
えー
MIYA
なんか親御さんは
そのこの親御さんも
えっと公務員だったと思いますね確かに
近藤淳也
あーそう
MIYA
でもなんか何も言わず
近藤淳也
それよう認めましたね
すごいですね
大学行かずに起業っていうのはすごいな
まあ応援してるんでしょうね
MIYA
はい
近藤淳也
えー
MIYA
すごいですね
近藤淳也
追いついてきました?
いださん追いついてきました?話に
飯田友広
ようやく
ようやく海渡れそうです
近藤淳也
海渡れそう
MIYA
確かにね
年表がないとなんかいつの話してるのか
よくわかんないですよ
近藤淳也
じゃあ1年で辞めて
選択と挑戦への怖さ
近藤淳也
それ辞めるのはまあじゃあ
説得力ないなみたいなところが思うんです
MIYA
まあそうですね
はい
結構なんか
まあ僕中学から私立に入ったんで
なんかもう言って中高大ってまあ私立にいて
なんかやっぱちょっとこう
なんていうんですかね
道を外れることの怖さみたいな
ちょっとあったんですよね
10年ぐらい
それなりに親にお金もかけてもらったし
みんなそれなりにいい会社に入ってるし
なんか今
まあわかんないけどなんか
自分が本当にじゃあ
例えばわかんない
まあそういうあんまり言い方よくないですけど
受験に失敗してとか
なんか挑戦したいことがあって失敗して
そっからもう一回立ち上がるぞ
みたいなことあったらいいんですけど
なんか今までこう
割と全部うまくいってきたのに
それを本当に捨てるのかみたいなことって
なんかある種の怖さみたいなものもあって
なんかそれは最終的にはでもなんかその
捨てなきゃいけないな
みたいなこともどっかであって
その狭間で結構多分揺れてましたね
近藤淳也
1年間
MIYA
1年間
でもまあ最終的にはその
教え子たちが背中を押してくれるような形で
辞められたって感じですけどね
飯田友広
なんか経営者っぽいこと言ってるよね
MIYA
いえいえいえいえ
今は何にも経営してないですから
近藤淳也
いやいやでも結構揺れている場合には
決断早いと思いますね
MIYA
まあ確かに
1年
でも逆にあれ1年だから良かったのかもなと思って
あれで結構本当にじゃあ5年とか3年5年いたら
ちょっと考え方変わってるのかもしれませんね
近藤淳也
まあね仕事も慣れてきて
ちょっとこう活躍できるようになってきて
まあ面白くもなってきて
MIYA
そうなんですよね
近藤淳也
やったんでしょうね
そうですか
MIYA
まあ若い時だからできるっていうのもあったかもね
そうですね
はい無茶して良かったですね
今思うとね
近藤淳也
じゃあ辞めてで塾も辞めたんですか
MIYA
その
塾に割と専念したんですよね
最初はちょっと
でそれで1個自分の塾を
だいたい1年が1シーズンなんですよ
受験のシーズンなんで
でそれを1年間ぐらいやって
で次に店舗をもう1個店舗を
なんかフランチャーズやってみないかみたいな話になって
2店舗になって
でもなんかその頃からもうちょっと僕はその海外
もともとなんとなくその都城王国みたいなものが
好きというか挑戦してみたいなって思いが
ぽんやりとあって
それで海外に行きたいなと思い始めたんで
別の人にちょっとフランチャーズをお願いして
でモンゴルに
何のつてもなく
飯田友広
道場破りじゃないですか
MIYA
あそうそうそう
近藤淳也
モンゴルって何語
MIYA
モンゴル語ですね
モンゴル語
モンゴル語って喋れるんですか
いや全然喋れないですね
わかる
僕本当はベトナムに行きたかったんですよ
それもなんとなくイメージでベトナムだったんですけど
でもなんかベトナムから
たまたま僕の司令の旅行会社の人が帰ってきた時で
ベトナムはもうあんまり行っても大丈夫っていう
なんかそのやってる人いっぱいいるから
あなたが行かなくても大丈夫みたいな
近藤淳也
その教育を
伝えなきゃいけないみたいな課題があんまりないってことですか
MIYA
そうでなんかじゃあどこ行ったらいいんですかみたいな
僕本当1日でも早く海外行きたかったんで
そしたらモンゴルがいいよって言われて
でモンゴル行ったんですよ
後々知ったのはその人がただ次旅行先で
モンゴルに行きたかっただけだったんですけど
近藤淳也
じゃあミヤさんを訪ねて行けるかなみたいな期待があって
MIYA
そうそうそう
なんかその次旅行先で行きたい時って
テンション上がるじゃないですか
たぶんその人はバーってモンゴルの話してくれたんですけど
僕はもうそれで行きますみたいになって
近藤淳也
まあでもいろいろね
なんかなんていうか牧歌的な国っていうか
MIYA
そうですねノマド
モンゴルでの教育活動
近藤淳也
イメージがありますけどどうだったんですか
行ってなんかできるもんなんですか
MIYA
あそうでも僕結構なんかアグレッシブだったんで
当時本当すごくなんか本当たまたま行きの飛行機の隣が
日本人だったんですよ
だからもうその人とはめっちゃ話しかけて
とりあえず教育やりたいんですけど
なんかないですかみたいな感じで言ったりして
その人ともなんか後々スリランカで学校を作るみたいなことを
やるようになったんですけど
そうなんかそれはまた別の話なんですけど
それでとりあえずも知り合いもいないんで
あってたまたまその時に
ジャイカの協力隊ってあるじゃないですか
あの協力隊の人たちが
モンゴルの首都ってウランバートルなんですけど
ウランバートルで最後集合研修みたいなのやって
帰るっていうタイミングが僕がちょうど行くタイミングだったんですよ
その人たちに1回聞こうと思って
その別の協力隊で僕は知り合いがいたんで
その協力隊の人経由でその人たちに連絡取ってもらって
でその1回ご飯食べましょうみたいな
それで教育やりたいんですみたいに言ったら
その中の1人がみんな結構言ってたかな
なんかモンゴルで日本人が教育やるんだったら
この学校は絶対見といた方がいいっていう学校があって
それはすごい日本語教育を
ほんと幼稚園から大学まであるのかな
ずっと一貫してやっていって
っていう本当にで結構壁にこう習字が書いてあったり
あとなんか日本のセイラーフみたいなのが来てるんですよ
っていうなんかそういうジャパナイズされた
もともと日本の大学を出た方が作られた学校だったりして
でそこでとりあえず視察に行ったらいいんじゃないってことで
その協力隊の人がそこの先生をつなげてくれて
じゃあこの先生と連絡取って
日本語できる先生だったんで
今度何日に見に行きますみたいな感じで行って
行ったらそこの先生になりましたね自分が
就職
そこで働いてましたね
近藤淳也
あそうですか
MIYA
それで僕らのとこもともと日本でこういう受験を見てたんだ
みたいな話をしたらその学校の高校3年生
だから結構ほんとずっと日本語学んできた
特に結構ちょっとエリート層の子たちは
日本に留学に行く子が結構多いんですよ
今もいるのかな
その子たちの受験の指導をサポートしてほしいってことで
一応学校の先生って言えば進路指導室の
なんか一担当みたいな感じで
上司日本語話せるモンゴル人の上司みたいな人が
一応いて一緒にやってました
近藤淳也
じゃあ日本語で指導してたってこと
MIYA
日本語ですね
彼ら日本語喋れたんで
進路指導室に受験した子たちが訪ねてきて
なんか新しい使える先生入ったらしいぞみたいな感じで
意外と日本のこといろいろ知ってる
マネーネイルっていうらしいぞみたいな感じで
結構みんな訪ねてきてくれるんですよ
いろいろこういう大学受験したいんだけど
どういうことを気をつけたらいいかとか
あと面接の練習したり
志望理不調検索したりみたいなことをやってました
でそのなんか学校の寮に住まわしてもらいながら
やってましたね
近藤淳也
すごいいきなり見つかったんですかそれが
MIYA
そうですね
近藤淳也
国に乗り込んでいって
MIYA
本当に何にもなく乗り込んでったら
近藤淳也
わらしべ長者みたいな2つ目ぐらいで見つかって
MIYA
よかったですね
飯田友広
何がそれ確認あった様子だと思うんですか
MIYA
何がよかったかって
どうなんですかね
でもやっぱりなんかそもそもまずその学校自体が
日本語に力を入れたいけど
日本語ネイティブの先生が確かに
2、3人ぐらいしかいなかったんですよ
僕もなんか別に全然交代具じゃなくて
80万トゥグルクって日本円で4万円とかぐらい月で
働いてたんで
それでも別に向こうだと暮らしていけたんですけど
家もあったし
でもそもそもそこに
そのモンゴルのウランバートルに
教育やりたいっていう日本人がいないですよね
そもそも
だからなんか飛び込んだら多分少数になるから
それが大事だったんじゃないですか
近藤淳也
貴重な存在
MIYA
そうそうそう
意外とね
近藤淳也
日本一歩出れば意外と貴重な存在だったりするかも
モンゴルってなんていう
産業とエンジニアリング
近藤淳也
日本に対してそういう感じなんですね
MIYA
日本好きですよ
それこそ朝鮮流とか
相撲もあるし
近藤淳也
やっぱりすごい影響大きいですよね
エリートの人が海外留学するとなると
どういう順位なんですか
MIYA
アメリカとか
今は多分結構インターナショナルスクールとかできて
アメリカとか行かす子が多いと思うんですけど
そのちょっと前は結構やっぱり日本ブーム
近藤淳也
そうなんですね
中国でもなく
MIYA
日本ですね
やっぱ中国はあんまり関係性が良くないんですよ
モンゴルは
近藤淳也
そうなんだ
MIYA
そうで日本
その前はロシアですね
優秀な人はみんなロシアに行って
ロシア語もできてみたいな
近藤淳也
どっちかって中国よりはロシアよりイナーか
MIYA
ロシアよりですね
ロシアはお兄さんみたいな感じですね
近藤淳也
そういう感じなんだ
MIYA
それも結構国自体は面白くて
もともとロシアをお兄さんみたいな感じで
ちょっと社会主義だったんだけど
途中で90年代民主化するんですよね
モンゴルは
そうするとお兄さんだと思ってたんだけど
国の体制が違くなっちゃって
でもなんか民主化でもロシアはお兄さんだし
民主化のモデルは何を真似たらいいんだろうみたいな感じ
その時に結構日本人が入ってって
割と教育のシステムとか
このようなことがあるみたいですよね
それで割と日本人とか日本式とかに対して
割と好意的だったりするし
近藤淳也
じゃあ今もそういう感じで割と新日的な
MIYA
新日ではあると思いますね
どんな産業があるんですか
いろいろありますね
飯田友広
何でしょうね
MIYA
なんか馬に乗って走り回ってるイメージが
そうですね
モンゴルの社会とアイデンティティ
MIYA
観光業みたいなの結構あるんですよ
それでいわゆる観光発達して
飯田友広
ゲルに泊まって
MIYA
そうですね
やったり本当にゲルに泊まってみたいな
昔の日本の田舎みたいな生活ですよね
そういうのやったりとか
都市部は結構韓国系の企業とかが
割と参入してるんで
近藤淳也
そういうところで働く人もいますし
それはITとかですか
MIYA
ITとかもありますね
近藤淳也
そうなんですね
MIYA
あと電話とかも結構韓国の会社の
電話通信会社とかが入ってきたりとかするし
あと鉱山とか鉱物とか
ありそう
そういう系
それも結構中国の会社が割と採掘入っちゃったりしてるんですけど
モンゴルで結構そういう採掘系の会社に行ったりとかもしてますね
面白いのなんか
これちょっとモンゴル人に聞いたら
違うってかもしれないですけど
僕が当時いろんな大学生と
割と話してたりしてたんですよ
進路とか将来やりたいことみたいな
みんなエンジニアって言うんですよ
そう日本だと結構ITのエンジニアと
電子のエンジニアと
いろんなエンジニアで別れてるじゃないですか
結構彼ら一緒くたにエンジニアって言うんで
みんなもう右も左もエンジニアなりたいみたいな
近藤淳也
そう
MIYA
感じでしたね
近藤淳也
それ何のエンジニアですか
MIYA
なんか割と本当に電子的なエンジニア
IT系のエンジニアもいれば
もうちょっとこう例えば鉱物とか
そういう系もエンジニアなんですね全部
その
近藤淳也
はいはい
MIYA
そうだからなんか広い
近藤淳也
採掘技術とかそういうことですか
MIYA
そうそうそうそう
そういうので
近藤淳也
のエンジニアに
MIYA
そうだから工学系の人もエンジニアだし
理学系の人もエンジニアだしみたいな
近藤淳也
みんなエンジニアって言ってましたね
なるほどね
MIYA
でもやっぱりそんなにこうなんて言うんですかね
目立ったものすごいこう世界的にリードできるみたいな
ものは産業はそんなにはないですよね
それもやっぱりすごく
なんか自分も行ってみてそうだったんですよ
感慨深いところがすごくあって
やっぱり彼らもともと
チンギさんの頃から大帝国だったわけで
本当にヨーロッパの端からアジアの端まで
モンゴルみたいな時代があって
それが今ねロシアと中国に挟まれて
人口300万ぐらいの国なんですけど
近藤淳也
300万なんだね
MIYA
はい
ちょっとやっぱり日本人も
日本人なりのアイデンティティが
色々あると思うんですけど
またこう特殊なアイデンティティっていうか
自分たちはチンギさんの子孫であり
もともと大帝国だったんだけど
今はそういう国で
さっきも言った通りロシアと方向性も違くて
国自体じゃあ中国とロシアに挟まれて
どうしようかみたいなところっていうのは
やっぱりなんかすごいこう
あの帝国思いっすらじゃないけど
なんかやっぱり彼らの原動力になってるな
っていうのはすごく思いましたけどね
近藤淳也
そうかあんな広いのに300万なんですね
MIYA
そうなんですよ
だから土地はめっちゃあるんですよ
近藤淳也
それは大草原になるわ
MIYA
そうそうそう
遊牧しても全然足りる
近藤淳也
300万ってだって
大阪とかより少ないですよね
ぐらいですかね
MIYA
そうかそうか
飯田友広
でミヤさんが後々
MIYA
いや文吾郎俺が育てたんですよって
飯田友広
言うねん
MIYA
いやいやそんな別に言いたくはないんです
そんな恩恵がましいことは言いたくないんですけど
でもやっぱりなんかその情熱に触れたっていうのは
なんか若い自分にとって大きかったですね
なんかそれ別にいい悪いってよりは
やっぱ社会のなんか
よくも悪くも社会の影響だなと思ったのは
やっぱりこう日本の若者って
そんなになんかなんていうんですか
渇いてないっていうか
頑張りたいんだみたいな人が少ないみたいな
結構言うじゃないですか
近藤淳也
なんかみんなこう 生み出されてるみたいな
MIYA
そうそうそうなんか
なりたい職業第一公務員みたいな
そうでもなんかそれが割と悪いみたいな風潮とか
僕もその自分でやりたいみたいなのあったんで
なんかそう思ってたんですけど
それってある意味こうすごい成熟した国家だなと思って
なんかそれになる過程は
絶対日本もまあそういうことバブルの時とか
なんか俺がやってやるんだみたいなことが
いっぱいあったと思うんですよ
なんかそれを乗り越えて
ある意味みんな今ちょっとそういう渇きから
結構別の渇き
なんか社会を自分が良くしたいとか
なんか本当にZとかミレニアルトの世代
みんなそういうこと言うと思うんですけど
なんかそういうふうに移ってこれてるってのは
ある意味すごい幸せなことだなっていうのを
思いましたね
近藤淳也
なるほどね
そのじゃあ学校入ってどうなったんですか
MIYA
学校で働いてでも受験シーズンが
僕が言ったのが9月10月ぐらいだったんですけど
1月2月ぐらいで終わっちゃうんですよ受験シーズンが
なんで受験シーズンまでは頑張って
でまた結局日本に1回帰国して
で結構モンゴルの生活って大変なんですよ
冬ってマイナス30度とかぐらいになるから
近藤淳也
マイナス30
MIYA
そうそうそうそう
近藤淳也
危険ですねだいぶ
MIYA
そうそうであんまりこう野菜とか取らないんですよ
その肉ちょっと体の作りが違うっていうか
肉食べとけばなんかこう冬はそれがエネルギーになるから
モンゴルでの生活経験
MIYA
元気出るよねみたいな
そもそも作るのが難しそうですよね
近藤淳也
マイナス30度で野菜とかちょっと
MIYA
そうねしかも彼ら農耕民族じゃないんで
そうっていうのはあるんですけど
そうだから結構みんなね体調崩すんですよ
冬は日本人が行くと
近藤淳也
あそうですか
MIYA
僕も思いっきり体調崩して
はいっていうのあったりして
で改めてなんかその1回海外に出たからこそ
なんか自分ってこう何がしたいんだろう
みたいなことを考えて
でなんか今までは憧れでその途上国とか
海外のためにみたいなこと思ってたけど
なんか本当になんかこの国のために
この人たちのために
自分ってそういうこうある意味
日本よりも大変な生活をしながら
なんか頑張っていきたいのか
みたいなことを結構自問自答し始めて
でその時にやっぱり
あのまあそうではないっていう
まあ自分の中で結論にはなったんですよね
やっぱり自分は日本で生まれて
まあ日本で生きてきて
でこの日本の中で
なんかもっと頑張れることがあるんじゃないか
っていうことを改めて思って
その後もあのスカイプとか通じて
あのその次の年とかも
いろいろ教えてはいたんですけど
1回ちょっと日本に腰を据えて
キャリア相談事業の立ち上げ
MIYA
もう1回頑張ろうみたいな感じになって
はい戻ってきましたね
近藤淳也
いい機会だったですね
MIYA
そうですね
近藤淳也
それはなんか経験できたのは良かったですけどね
なるほど戻ってきましたよ
MIYA
はい帰国しました
飯田友広
僕も船乗りました
飛行機か
近藤淳也
えーじゃあ戻ってきて
MIYA
戻ってきて
はいでそっからまた
じゃあでもとはいえ
じゃあ自分は日本で何をやるのか
みたいなことを
まあいろいろあの模索しつつ
なんかいろいろそれなりに
こうできそうな事業をやりつつ
みたいなことを
ちょっとちょこちょこやってたんですけど
その時にあのさっき言った
教え子と出会うんですよ
教え子のことをその久々に
あのご飯食べようみたいな時に
彼は彼で
大学行かずに起業した
で彼がまあ大学行かずに起業して
で結構そのしばらく会ってなかったんで
何回もこう会社を作ったものを
何回かピボットしてやってた中で
で僕自身もこう次は何やろうかな
みたいなことで話してる中で
そっからこうキャリア相談
みたいな事業を法人向けに作ろう
みたいな当時そういうアイデアだったんですけど
そういうアイデアの話を聞いて
自分自身もなんかこうある意味教育って言うと
すごいこうまあアンダー20ぐらいの
ものな感じがすると思うんですよね
二十歳以下みたいな感じがすると思うんですけど
なんか教育っていう言葉を大人に当てはめると
キャリアだなと思って
なんか今もまあ理科練と学び直し
みたいなことあると思うんですけど
なんかそのある意味教育とキャリアって
すごいこう一直線上に繋がってるっていうか
だなと思って
なんかその当時その受験で
彼らに教えてたみたいなことは
あの大人が自分の教育とか進路とか転職とか
なんかそういうキャリアに迷った時に
どういう風にしていくかっていうことの
相談に乗る相手っていうことと
なんかほぼ役割同じなんじゃないかなと思って
僕自身はそうじゃないんですけど
なんかそういう建設的な対話が
いろんなところで生まれるためには
そういうインフラになるシステムが必要だよね
っていうことで
なんかそれをこう
当時結構2Cのそういうサービスあったんですけど
2Bで僕らやってこうっていうことで
その会社にがっつり入って
で一緒にやっていくっていうことになりましたね
近藤淳也
じゃあ言っても一貫してますね
その10分で教えて
MIYA
繋がってますね
近藤淳也
次モンゴルで進路指導をやって
それで戻ったら大人の進路指導の
会社に入ったって感じなんですね
MIYA
ある意味そういう感じ
でも当時本当にその会社もまだ何も
プロダクトもその本当に一番最初の
ベータ版を作り中みたいな感じだったんで
そこからいろいろ一緒にやっていきましたね
近藤淳也
その教え子の方とミヤさんと2人
MIYA
エンジニアが何人かいたので
そのエンジニアの子たちと一緒にやって
近藤淳也
ほぼ創業メンバーみたいな感じですか
MIYA
の一人みたいな感じで
その会社自体の創業メンバーは
何回ピューボーとしてるから別なんですけど
近藤淳也
その事業自体の立ち上げ
俺が作ったじゃないですか
いやいや僕はまだ何も作ってないんで
MIYA
立ち上がったんですか
ですね結局それ自体はサービスも
少しずつグロスしていって
そうですか
メンバーもちょっとずつ増えていって
っていう感じですよ
それが結局後にバイアウトすることになるんですよね
っていうのが去年かな
近藤淳也
でもそれまではすごく軸足を据えてやりつつ
じゃあミヤさんも結構ずっとそこ
MIYA
そうですね最初は結構メインで関わってて
ただそこでもう1回また壁に当たって
それが今まで自分って
いわゆる大企業みたいなとこに最初入って
その後辞めて自分なりにやってきたけど
それでいわゆるスタートアップみたいなことを
挑戦し始めたんですけど
スタートアップの色派も何にも分かんないなと思って
で本当に結構怖いっていうか
自分がこうした方がいいんじゃないっていう風に
会社とか物事が進んでしまうので
変なことを言えないなと思って
で本当にこういう風に事業をグロスさせていくんだとか
そういうことも何にも分からない中で
ある意味すごい自分の足りなさみたいなことも感じて
この事業はこの事業と関わっていくんだけど
1回ちゃんとサービスをグロスさせるとか
スタートアップってこうやってやるんだよねってことを
一方で経験したいなという風に思うようになって
それでさっきのアドレスっていうサブスクの会社に
関わるようになりましたね
近藤淳也
じゃあ被ってるんですか
MIYA
それ被ってますね
近藤淳也
キャリアの
MIYA
被ってます被ってます
近藤淳也
そうなんですね
でもあれですねその教え子の方は
MIYA
何回もフィボットしてたっていう話でしたけど
近藤淳也
ついに当たったんですね
スタートアップへの参加と成長
MIYA
そうそれはね結局はい
素晴らしいです
近藤淳也
何回目ぐらい
MIYA
それは5回目じゃないですか
5回目
近藤淳也
どうやって持ったんですかそこまで
MIYA
でもそれも結構ストーリーがあって
結構そのフィボットする中で
彼自身が本当に自分の生き方とか
なんかキャリアみたいなこととか
本当にこれでよかったのかみたいなこととかを
結構本当にどんどん心がすり減っていって
悩んでいた時に
たまたまその友人がそのキャリア相談の
キャリアコンサルタントって
資格を取ったんですよね
それでとりあえずその資格取りたいだから
壁打ちに参加してくれないみたいな
一生協力してくれないみたいな感じで
ちょっとそのセッションをしたら
割と自分の心が楽になって
これっていろんな人に必要だよね
みたいな感じで
その最後の当たる事業に行き着くわけなんですけど
近藤淳也
それ何年ぐらいですか
MIYA
だってその高校出て18とかで始めたんですよね
2年後とかですかね
近藤淳也
でも2年後なんですか
MIYA
2年3年とかぐらいですかね
2,3年で5回ぐらいピボットして
近藤淳也
ついに成長するもの見つけたっていう時に
ちょうど入れたんです
MIYA
ちょうどその時に一緒にやってて
近藤淳也
その方もすごいな
飯田友広
すごいですよね
近藤淳也
どうですか
MIYA
いや本当にすごいと思う
飯田友広
今自分の目に置き換えて
MIYA
確かにねこれから挑戦しようとして
飯田友広
すごいすごいなって
近藤淳也
なんかね
前回飯田さんのラジオ撮ってから
ちょっと変化があったって聞いてますけど
MIYA
変化
飯田カンパニー
飯田友広
今日は僕の回じゃないんで
MIYA
また
近藤淳也
またにします
飯田友広
謙虚ですね今日は
当たり前っしょ
MIYA
お互い謙虚で
飯田友広
やっぱり今日はミヤ回だから
近藤淳也
いやそうですか
よかった
じゃあ結局ミヤさんが関わってたのは何年ぐらい
そのキャリアの
MIYA
でもそれは3年
この3月までやったんですけど
3年半やりましたね
近藤淳也
でもそんなもんなんですか
はいでもそのそうですね3年半ぐらい
で結構大きくなってるんですか
MIYA
そうですね今あの上場会社にバイアルとして
結構その上場会社とシナジーがすごくあるので
その上場会社のいろいろネットワークとか
営業のチームとかいろいろ力を借りながら
近藤淳也
伸びていっているという感じですね
なんかその創業メンバーの皆さんは
そのまま今もいるんですか
生徒も結構入れ替わって
MIYA
もうだいぶ入れ替わってますね
もともといたエンジニアの子たちとかは
そのサービスが出た後ぐらいに
普通に就職して
近藤淳也
就職
MIYA
はいまだ学生だったんですよ
学生ですごい技術強かったんで
CTO的にやってたんですけど
その後普通に就職してって感じですね
僕がそのチームの中で一番古い状態だったですけど
この3月いったん僕も辞めたので
いろいろ人が入れ替わってますね
近藤淳也
そうですか
楽しかったですか
MIYA
楽しかったですね
なんか本当にこう一番最初は
本当こう文化祭みたいな雰囲気っていうか
なんかこうインキベートオフィスで
ずっと仕事してたんですけど
本当にもう終電のギリギリまで
みんなでずっと話して
終電で帰って
また朝行ってみんなで話してみたいな
なんか本当に一つのことを
みんなで作り上げるっていうことは
すごく面白かったですね
ただいろいろ壁に当たって
なんか自分の限界も知れて
なんかこう楽しかった部分もあり
なんか一個成長させてもらった部分も
あるなというふうには思いますね
近藤淳也
あんまりでも大変そうじゃない
大変な思いとかはなかったですか
MIYA
いやいや大変でしたよ
あまりにとこ潤風満帆に聞こえるんですけど
まあそう話すとねそうかもしれないですけど
まあでも本当に結局
ねサービス作るってなると
やっぱりどこまで
最初ちょっとキャリアコンサルタント側の人たちは
結構バーっと伸びたんですけど数字が
まあでもその企業はなかなか
こう導入が進まなかったりとか
あとはそのチーム
まあね1TEAMのメンバーも若いので
チームの中でもまあいろいろあったりとか
結局考えることは本当に山のようにあって
でなんか日々そういうことを
まあ自分もCEOみたいな立場だったんで
会社の中ではこうポジションを取って
いろいろ発言しなきゃいけなかったんですけど
まあでも一方では自分のこう
足りなさもそういう感じるしみたいな中で
なんか振り返ると楽しいですけど
なんか日々の中ではなんかもうもがき
もがいてもがいて
まあしかもねいつ会社のお金消毒するか
わかんないみたいな中で
やってた部分もあったんで
アドレスの成り立ちとVCによる支援
近藤淳也
お金はどうしてたんですか
MIYA
お金は普通に資金調達してやってましたね
近藤淳也
VCかなんか
MIYA
VCも入ってもらって
まあ一番最初はエンジンの人たちとか
でVCも一緒に入ってもらって
やってましたね
近藤淳也
じゃあそのずっとピボット繰り返した時も
そういう
MIYA
あそうですそうです
はい初期のVCがずっと支えてくれて
近藤淳也
よく集めましたね最初ね
MIYA
あそうですね
まあそれも元々あの高校卒業した後に
その子が起業する中で
まあいろいろ人脈を広げて
その中で結構ね彼氏魅力的な人間なんで
割と応援したいみたいな人も集まって
でまたサービスをグロースしてから
また別のあの結構
起業家の方たちがこう出資してくれたりとか
近藤淳也
すごいね18歳で会社作るんですって言って
出資したVCさんもすごいですね
MIYA
すごいですね
飯田友広
すごいですね
近藤淳也
でしかもねそう目にちゃんと答えるまで
やり遂げたって本当すごい
MIYA
すごいですよね
飯田友広
登場人物みんなすごいですね
近藤淳也
ねえなんかうまくいきませんでした
てへって言って
飯田友広
てへてへ
近藤淳也
終われるじゃないですか
MIYA
まあまあまあ確かに
近藤淳也
てへお金なくしちゃいました
MIYA
てへって言うんです
近藤淳也
ちょっともう若かったんですいませんみたいな感じで
MIYA
あそうですよね
近藤淳也
生産することもできると思うんですけど
MIYA
やっぱり期待に応えるまでやりにいったってのは
すごいですね
すごいですね
近藤淳也
じゃあまあね全体的には結構ハッピーな
バイアウトになったんですか
MIYA
まあ最終的にバイアウトに行き着けたから
ハッピーって感じですかね
結構途中はあのいろいろ本当どうなるんだろう
みたいなことがあったけど
はい最終的にはまあ
結局ね本当はもっとサービス自体がすごく伸びて
IPOとかを目指せればよかったんですけど
一旦あのバイアウトするって形になって
今もサービスは結局そのバイアウトした後も
伸びてるので
それ自体はいい選択だったと思うんですけど
近藤淳也
ほとんどなくなるんで
MIYA
スタートアップは
近藤淳也
それに比べたらバイアウトしてちゃんと
今も伸びてるなら大成功だと思いますけど
アドレスホッパーという新たなライフスタイル
近藤淳也
なるほどなるほど
やってますね
MIYA
でじゃあそれをやりつつアドレスか
アドレスね
またすごい最近の話になってきましたね
なんかようやく
アドレスは
はいなんかスタートアップについて
自分が勉強したいみたいなことを
一つ思ったのと
あと僕昔からその関わりたいサービスって
あんまなかったんですよ
なんかこう新卒の時も
本当入りたい会社が一社もないぐらい
なんか自分が好きなサービス
みたいなことがあんまりなくて
例えばこのアプリケーションがなくなっても
別のアプリケーションで十分だいたいできるよね
みたいなことを考えると
なんかこの世にすごくなくてはならないサービスって
まああんまりないんじゃないかみたいなことを
結構思ってたんですけど
なんか初めてアドレスというサービスに
出会った時に
これめちゃめちゃ面白いなっていうふうに思って
当時そのコロナ禍にちょうどなって
自分がこう家からなかなか出られないような状況もあったので
なんかこういうこう住まいとか暮らしみたいなことを
なんか今までは全然考えなかったんですけど
ようやくしっかり考えるようになって
その頃にこういうそのサービスに出会って
めちゃめちゃ面白いコンセプトと
サービスだなと思って
最初僕取締役に
いろいろ面接してもらって入ったんですけど
なんかその時も
なんかこれってもう僕会社じゃないと思いますって話をしたんですよ
なんかその壮大な社会実験だと思いますって話をして
日本中にこう家があって
その人はなんかをてんてんとしながら
それぞれにコミュニティがあって
その地域のコミュニティだけじゃなくて
その全体の日本全体が
一個の大きなコミュニティになってるみたいな
なんか壮大なこう社会実験だなと思って
なんかある意味社員っていうかな
社会実験の研究員みたいな
そうなんか漢字でなんか僕は捉えてますみたいな話をして
最初参加しましたね
近藤淳也
ちょっと補足するとあれですね
その定額でお金を払うと
MIYA
そうです定額が全国住み放題
今ちょっとコンセプト変わったのかな
近藤淳也
いろんな施設に住めるんで
いろんな場所てんてんとしながら
MIYA
そうですね
近藤淳也
定額で住んでいける
MIYA
300ヶ所ぐらい多分今全国に家があって
今ちょっと料金変更したけど
昔僕入った時は4万4千定額で払うと
全国泊まり放題
住み放題っていうサービスでしたね
近藤淳也
今違うんですか
MIYA
今ねちょっとあの重量課金的に変わって
滞在者分だけお金が加算されるように
近藤淳也
ちょっとなったんですけどね
結構ね割とニュースになって
MIYA
そうですね
サービスの拡大と社会実験の成功
近藤淳也
会員さんがすごい一気に増えて
MIYA
そうですね割とクローズアップ現代とか
NHKのとか取り上げてもらったりとか
割といろいろメディアには出て
意外と僕も入った時は
なんかアドレスってあんまり
みんな知らなかったんですけど
なんか最近は元々アドレスにいてみたい話とか
今もちょっとアドレスの仕事はしてるんですけど
そういう話すると
アドレスですかみたいな
知ってますよみたいな人は
近藤淳也
そうなんですね
MIYA
なんか本当に増えましたね
実感して思います
近藤淳也
まあやっぱ定額っていうのが衝撃的っていうか
MIYA
なんか
そうですよね
近藤淳也
その額なら確かに払えるなみたいな
若い20代の方とかでも
まあ4万千円だったらまあまあ払えるし
家賃の代わりにこれ払って
全国でいろんな場所行こうっていう人が
多かったんでしょうね
MIYA
そうなんですよ
結構やっぱタイミングも
まあコロナになったのもすごく
僕らの会社的には後押しになって
リモートワークできる会社員の人とか増えたり
あとは学生さんとかもいましたね
なんかもう今大学行けない
どこでもリモート授業だから
だったらもう友達とかできないじゃないですか
大学で
だったらもう日本全国回って
いろんな人と知り合おうって方が
充実するよねみたいな
僕も本当それはすごい賛成でしたけどね
近藤淳也
アドレスホッパーとかもね
その頃ですよね
MIYA
ですね
言葉としてアドレスホッパーって知ってます?
飯田友広
知ってます
MIYA
アドレスホッパー
今でこそなんか本当に
そういう住まいのサービスいっぱい増えたので
普通になってますけど
当時全然でしたね
近藤淳也
僕もあのマッサン
MIYA
京都のマッサンが昔から知り合いというか
前あの物件ファンの仕事で知り合ったのかな
そうなんです
近藤淳也
でお会いしたことがあって
で京都の拠点の何ですか
MIYA
開拓してますね
アドレスの家を
京都とか一部地域で増やしていくような
戦略的に家を増やすような担当されてますね
近藤淳也
そうなんですね
MIYA
マッサンさんもアドレスの社員なんですか?
もともと社員で
今は社員ではない
別の会社に移ったと思うんですけど
でも今はアドレスの仕事は続けてるのかな
でも本当に僕入る前の
初期の立ち上げメンバーの一人ですからね
近藤淳也
そうなんですか
なんかその伏見のその家を
マッサンが作ったちょっと後ぐらいに
MIYA
一回お邪魔させていただいて
最近再開しましたよ京都市
近藤淳也
あそうなんですか
あそこねとか立ち上げされてましたよね
MIYA
そうですね
それ僕はもう参加する全然前の話ですね
近藤淳也
そうなんですね
でそっから経由で多分江次賢さんとかが
関わってみたいな
MIYA
本当に江次賢さんも初期も初期の会員さんですね
そうなんですね
一番最初にクラファンをやったんですよアドレスって
そっからクラファンで集まった人が会員になって
その半年後ぐらいに一般の会員が
サービススタートしたんですけど
そのクラファンの時から残ってる方が
多分本当片手で数えるぐらいいたいて
そのうちの一人
近藤淳也
あそうなんですか
MIYA
超初期伝説的な会員ですね
近藤淳也
あそうだったんだなるほどなるほど
で皆さん入った時は
じゃあもうちょっともう人も増えてるような
MIYA
そうですね
第2創業期みたいな感じで
それまでずっと創業メンバーで
基本的にやっていたんだけど
なんかここから本格的に採用して
人を増やしますみたいな
シリーズBになった後ぐらいですかね
っていうタイミングで
で第2号ぐらいでその時の採用の2号ぐらい
一番最初は確か
カスタマーサポートの責任者だったと思うんですけど
僕もその後に入ってみたいで
そっからもう毎月
もう何人ずつとか人が増えていって
すぐリモートワークなので
みんな僕も知らない人みたいな
どんどん増えていって
その時多分20人いなかったかなぐらいのが
今多分全然50人とか60人とか超えてる
ぐらいの規模になってると思うんですけど
どんどん人増えてきましたね
近藤淳也
社会実験だと思いますって言ったら
なんていう反応があったんですか
MIYA
入るとき
その取り締めがあんまピンときてなかったですけど
でも代表がやっぱそういうビジョナリーだったんで
サベットさん
今でもすごいよく知っていただいて
頭が上がらないんですが
サベットさんにそういう話をすごいして
なんかすごいビジョナリーな
元々結構
今でこそ本当にサービスとして
グロースさせるって感じですけど
元々は結構
割と理念とか思想から入ってるような
サービスだったりするので
シェアリングエコノミー協会か何かやってましたもんね
近藤淳也
あの辺のメンタルはどういうあれなんですかね
僕はサベットさんね
サウスバイサウスウエストに行ったときに
オースティンで一緒にエアビーに泊まったんですよ
なんかそのスマートニュースの鈴木健さんとか
MIYA
一緒に一軒家借り切って
近藤淳也
みんなでここ泊まりましょうって言って
一軒家借り切ったときに
MIYA
一緒の宿っていうか家で過ごしてたんで
近藤淳也
それで一緒だったんですよね
MIYA
だからまさにシェアリングエコノミーの
近藤淳也
エアビーを一緒に体験したっていう意味では
MIYA
結構まあまあそこでいろいろ喋ったりもしましたけど
近藤淳也
ああいうのが面白いなっていうので
やってたんですかねそのシェアリングエコノミー
MIYA
だってそれこそその後サベットは
自分の家もシェアハウスにするぐらいなんで
本当にシェアに取り憑かれたんです
言い方悪いです
まあでもなんかシェアリングエコノミーっていうものに
なんかすごい未来を感じたんだと思いますね
近藤淳也
まあでもねアドレスはまさにちゃんと
それが体現されてますよね
カスタマーマネージャーからコミュニティマネージャーへ
MIYA
そうですねはい
だからもともとの4万4千っていうのも
全国の家賃の平均として4万4千にしたみたいな
なるほど
話もあったりして
近藤淳也
この額なら誰でも平均なんだから払えるでしょみたいな
MIYA
そうそうそうなんか日本のならして
でなんか今も全然言わなかったけど
昔はなんかその現代の三菌交代みたいな感じで
近藤淳也
なんかこう人が移動していくみたいな話とか
MIYA
あとシェアリングエコノミーもそうだし
割と本当ビジョンファーストの会社とか
創業の感じだったんですよね
そういう話とかで
一番最初は僕もそんなに頻繁に
あのサブネットとコミュニケーション
取ってるわけじゃなかったんですけど
途中から色々関わらせてもらうようになって
すごい理念とか考え方
今でもそうですけど
やっぱりなんか見てる目線とか
すごい勉強になるし面白いなと思いますね
近藤淳也
なるほどね
でなんですかカスタマー?
カスタマーサクセスの最初部署に入って
MIYA
その後ヤモリっていう一個一個の家の
なんですかねコミュニティマネージャー
兼地域の案内人みたいな人がいるんですけど
その人のヤモリを見る部署になって
近藤淳也
ヤモリを見る部署
MIYA
ヤモリの人とコミュニケーションを取る部署ですね
ヤモリチームみたいなのがあるんですけど
そこに行くようになって
結局僕はなんかずっと一貫してやってたのは
その会員さん向けでもヤモリさん向けでも
どっちも僕にとってあんまり変わらなくて同じで
コミュニティを作りたかったんですよね
なんかもともと壮大な社会実験と思ったのも
なんか小さなコミュニティがあって
それを大きなコミュニティが包括してるみたいなのが
なんかすごくなんか今的っていうか
インターネットもそういう感じだと思うんですよ
なんかちっちゃい集団が
すごくインターネット100人の村みたいなのができて
なんだけどそれが全世界と繋がってるみたいなことが
リアルも絡めて起こってるっていうのが
なんかすごい社会のあり方として面白いなと思ったんで
それをもうちょっと加速したり
なんかこの現場のリアルな世界で
人が寄りかかるにはどうしたらいいかとか
なんかそれは現場の地域の繋がりは結構リアルなんですけど
それを日本全体に広げるとオンラインになっていくので
そのオンラインオフラインをなんかどう繋げるかとか
そんな感じのコミュニティ設計を考えながら
いろんな施策を打っていくみたいなことをやってましたね
近藤淳也
なんかコミュニティが好きなんですね
MIYA
好きですね
なんか人人間とか社会みたいなのが
なんかこうちょっと引いて眺めるのが好きかもしれないですね
ちょっと引いてるんだそこ
近藤淳也
中心向じゃないの
MIYA
入ってもいいんですけどね
そんななんか自分が中心にいたいとかはあんまり思わない
なんかそのバーとかでもちょっと引いて
今こういう感じでみんなやってるなみたいな
ちょっと眺めるのが好きだったりしますね
まあそうですか
近藤淳也
そのちょっとした距離感面白いですね
MIYA
そうですね
近藤淳也
めっちゃ喋るのが好きとかじゃなくて
そのなんていうの
みんなが喋ってる様子を見てるのが好きみたいな感じですか
MIYA
そうですね
ちょっと引きたいんですよね
なんか自分があのど真ん中で
なんか喋ってみんなを回してみたら
それ楽しいんですけど
なんかそうするとすごいなんか
一人称になっちゃうじゃないですか
もうちょっとメタでいたいっていうか
なんか全体を眺めていたいなっていうか
近藤淳也
なんとなくわからなくもないですけど
MIYA
昔からですよそれは本当に
だから本当学校のクラスとかそういうレベルから
多分そういうタイプですね
飯田友広
なんかメタになりすぎて
昨日バーテンダーやってるはずなのに
お客さんって来てた僕のポテトを勝手に食べてる
MIYA
それメタじゃないです
それ全然
飯田友広
いやメタなんです
MIYA
それ逆に一人称になりすぎてるんです
近藤淳也
メタなんです僕からしたら
MIYA
気づかないんです最初
近藤淳也
飯田さんのポテト食べたんですか
最初気づかないんですよ
MIYA
バーテンダーが
飯田友広
最初気づかなくて
あ食ってんなと思ったら
いやいや待てよって
今日チャレやろって思って
なんでね
MIYA
それメタなんか
近藤淳也
外からこうなんかね
飯田友広
遠くから見てる感じなんですよ
MIYA
どの誰でもないからやれるっていう
中心にいたらなんかすぐ聞こえるんですよ
飯田友広
いや違うよ
でもボーッと見てて
MIYA
美味しそうに食べてんなって思って
外から入ってくるんで
飯田さんが心の広さに救われました
勝手にポテト食べたんです
なんかいい言葉言ってまとめようと思って
バレたバレたバレた
近藤淳也
逃げられなかった
飯田友広
面白いですね
近藤淳也
いや面白い
飯田友広
面白いし優秀で
MIYA
いやとんでもないです
近藤淳也
でもその各拠点の個別のコミュニティを
超えるコミュニティを作るとか
オフラインとオンラインを接続するみたいなのって
具体的にはどういう風にしていたんですか
MIYA
2つやってたんですよね
会員向けで結構やってた時は
オンラインのつながりを作って
リアルなときに会う時も
初めましてよりはなんとなく
今もクリプトンDiscordとかもそうですけど
Discordのアイコンだけど見たことありますとか
結構早いじゃないですか話が
緩やかなオンラインのつながりを作っておいてこそ
やっぱりリアルが盛り上がるなって思ったんで
オンラインの横のつながりを
どう作るかみたいな感じで
当時部活みたいなのもなかったんですよ
コミュニティとインターネットの関係
MIYA
部活制度みたいなの作って
まず趣味でみんなつながりましょうよ
みたいなこととかやったり
そういうのは結構今でもすごい部活って
2、30個できたんですよ結局
アドレスの会員さんの中に部活がある
ツリー部とかいろんな部活ができて
中には企業とコラボするような部活も出てきて
なんかすごく
やっぱりアドレスオファーにとって自由だし
発想も豊かだし主体的な方が多いので
僕はずっと黒子になることを意識してて
自分っていう人間が出るんじゃなくて
余白だけを提供すれば
あとはアドレスオファーの方たちは
自分たちでクリエイティブしてくれるっていうのは
分かったので
それ実は今話をしたのか思ったんですけど
Web3につながってるなと思いますね
自分が出ずに
ある意味中央の頭みたいなのをなくすことで
みんなが今自分のものだって
さっきもバーじゃないけど
自分のものだって活躍できるように
みたいなことを
オンラインとオフラインのコミュニティつなげる
MIYA
当たり前に意識し始めたのは
結構アドレスのコミュニティをやり始めたのが
大きいかなと思いますね
実は最初結構失敗したんですよ
自分が割とコミュニティマネージャーとして
頑張らなきゃみたいな思いもあったから
積極的に自分という人間を
ある意味覚えてもらって
好きになってもらって
コミュニティ盛り上げようとしたんですけど
ある意味その時いた会員さんとか
山森さんからすると
全員先輩なわけですよね
いきなりなんかよくわかってない
コミュニティもわかってない新参者が入ってきて
こういうことやりますみたいなこと言っても
誰もついてこないわけなんですよ
そういう時に自分という人と
こういう施策をしますっていうことを
分けてやっぱ考えなきゃいけないなと思っていて
なんで自分という人はなるべく黒子になりながら
例えばその部活もそうだけど
コミュニティ盛り上がり
いろんな施策自体に面白さを感じてもらって
で、あとは部活とかも
じゃあ例えば自分が部活を作りますってなると
もうその人は主体になるわけですよね
そうすると勝手にその人が盛り上げていってくれるので
なんかそういうのは今のバーとかweb3の発想に
すごいつながってるなっていうのを思いましたね
近藤淳也
自発的にみんなが部活とか立ち上げてくれてって
MIYA
続いていきますしね
みやさんがいなくなったら
近藤淳也
みやさんのファンクラブだったらね
MIYA
みやさんがいなくなったら終わっちゃうけど
ダオの発想ですよね
永続的に続いていく
飯田友広
みやさんはこういうのを体験として持ってるから
話してて面白いなと思うんですね
僕ら本は結構読むと思うんですけど
本で読んだだけじゃ
あそうだねって頭で理解して終わっちゃうんで
失敗するかもしれないですけど
これ体験で持ってるから
すごい話聞いてても勉強になる
近藤淳也
そうですよね
部活は
どうしたの?
MIYA
いやいやいや
急にめっちゃ持ち上げ始めたなと思って
飯田友広
なんか今日はあなたの回ですから
MIYA
後でお金
お金で見られるのかなって
近藤淳也
次上げてきたぞ
怖い怖い
ツールは何使ってたんですか?
MIYA
ツールは基本的にアドレスのコミュニティじゃない
Facebookを使ってて
実名の
で今ちょっとまた独自でコミュニティを
ツール使って作ろうとかに
多分移行をどんどんしてきてるんですけど
近藤淳也
でもFacebookでやってましたね
MIYA
なるほどね
近藤淳也
まあそうかあの頃っていうか
だとFacebookが一番
MIYA
そうですね
でももう途中から若い会員さん
学生の会員さんとかは
Facebookアプリ自体入れてませんみたいな
出た
やっぱそういう感じなんですね
近藤淳也
今だったらどうですかね
MIYA
いやもうなんか僕
結構やっぱ衝撃だったのは
それでも塾やったら
昔の頃だと思うんですけど
Facebookって話したら
おじさんのアプリですよねって言われて
出た
近藤淳也
噂には聞くけどやっぱりそうなんだ
MIYA
いや本当そうですよ
近藤淳也
おじさんのアプリですよねって言われたんですか
MIYA
はい
おじさんのアプリですね
やばいですよ
近藤淳也
何使ってるんですかそういう人は
MIYA
まあだからインスタ、ツイッターとかですよね
近藤淳也
でもインスタはOKなら
まあ同じ会社でOKなんですね
MIYA
まあそうそう
会社が嫌いなわけではない
だからメタ社はね
インスタグラムをほんと買収して良かったですよね
近藤淳也
良かったですよね
世代交代がうまくいっている
そうか
今作るならDiscordとかですか
MIYA
Discordでやってもいいかもしれないですね
しなんか結構今サブスクで
そういうコミュニティマネジメントツールみたいな
結構出てるんで
そうですか
そういうの使ってもいいかもしれないし
あとはなんか
そこも難しいですよね
実名か匿名かみたいな
Web3でもよく議論されると思うんですけど
最近僕はもう匿名に振りたいって結構思ってるんで
近藤淳也
でMIAになった
MIYA
あ、そうそうそう
実名感に違和感
MIYA
あんまりもうフルネームとかもうやめてくださいみたいな
近藤淳也
そうなんですかなんでなんで
MIYA
なんかあんまりこういいことがそんなにないなと思って
なんかもう自分の名前がバーンって売れちゃった後だったら
まあ近藤さんもそうですけど
まあ多分いろんなところに情報が出てるんで
その人格で生きるしかないと思うんですけど
なんかある意味何者でもないからこそ
何者にもなれるっていうか
なんか一個のこういう
なんていうんですか人間でこういう経歴があってみたいなことが
どうしてもやっぱネット上とかにも残っていくじゃないですか
なんかそういうものをリアルな自分と
必ずしも結びつけなくていいっていうか
なんかそういうふうには思ってます
だからメタバース的な世界もそうだし
あの匿名的なWeb3の文化もそうだし
なんか僕はそういうその人が複数の人格を所有できるとか
いろんなアイデンティティを生きられるみたいなことは
結構面白いと思ってますね
近藤淳也
いや確かにねなんかWeb3系迷いますね名前
MIYA
まあそうですよね
近藤淳也
なんかいやあのこのラジオは
近藤潤也のアンノウンラジオってもう
MIYA
なるほど
近藤淳也
もう一気に実名でもうタイトルの一番最初に実名入ってるんで
めっちゃ名前出しなんですけど
でもまあこれを今音声でとって
飯田友広
最近リッスンっていう文字起こしのサービスを
近藤淳也
ありがとうございます
MIYA
そうなんですねありがとうございました
近藤淳也
出してたばっかりで今ベータリリース中で
AIでポッドキャストを自動的に文字起こしして
どんどんブログみたいなものが自動で作っていけるっていうのを
作ってるんですけど今
MIYA
まあそれにちょっとクリプト絡めたいんですよ
近藤淳也
なんか今文字起こしをPCで
ぶわーってぶん回して文字起こしさせてるんですけど
それを増やしていく時に
マイニングみたいな感じで
参加してもらった人にトークンを発行するとか
あとはまあそのみんなから投げ銭みたいな感じで
トークンが送れて
MIYA
トークンに投げ銭できるとか
近藤淳也
まあそのポッドキャスターだけじゃなくて
その出演者の人にそれでお礼を払ったりとか
MIYA
いいですね
近藤淳也
なんかいろいろそういうトークンを使えば
MIYA
トークン経済で
近藤淳也
そうそうそう作れるなと思ってやっぱりそういうのやりたいんだけど
なんかそこの時に
この実名感がなんか違和感が若干あって
MIYA
そうですね
近藤淳也
なんかクリプトになると若干なんか
MIYA
まあ元々の文化もやっぱありますからね
近藤淳也
そうなんですよね
MIYA
やっぱそうですか
結構僕がなんかそこ強い危機感として
なんかあんまり僕は出したくないなと思うのは
なんかまあそれを利用できる人は利用したらいいと思うんですけど
よくも悪くも人って
誰が言ったかを結構気にするじゃないですか
なんかその人の言ってる本質
言ってることと誰が言ってるかって
本当は別なんだけど
それってなんか人間の性質じゃ
あんまり区分できないから
なんかどんどん発言に色が付いていっちゃうと思うんですよね
でその人のバックボーンとか
その人を知れば知るほど
なんかその人の言葉が
全うに聞こえなくなるっていうか
僕それ結構気持ち悪いなって
個人的には思っていて
本来例えば何もなんか今までじゃ
成し遂げたことがないですって
人が言ってもいい意見はいい意見だし
なんかそのすごい経歴の人が言っても
間違ってることは間違ってるじゃないですか
みたいなことをなんかそう分けるって意味では
なんかどこの誰かも分かんないし
なんかどういう経歴かも分かんないし
男か女かも分かんないんだけど
単純にそのことで向き合えるみたいなことは
なんかそういう特面性のいい文化かなと思ったりしますね
近藤淳也
なるほどね
まああとそういう確かに
人格の使い分けみたいなのもね
MIYA
そうですね
近藤淳也
いいですね
MIYA
いいと思いますね
近藤淳也
ここではこの感じとかっていう
MIYA
まあ文人みたいな話する人もいますけど
近藤淳也
確かにななんかまあその
数感も色々出てきてるんで
MIYA
そうですね経済
近藤淳也
経済圏が違うなと本当に
色んな国に顔出してるみたいな感じも良かったです
MIYA
色んな国の色んな人格をね
持てるようになるっていう
近藤淳也
そうですよね
まあその感じはあるから確かに
MIYA
それはやっぱり昔アドレスで色んなコミュニティを
複数持ってこそ人が
なんか安心安全に生きられるっていう感覚と
やっぱすごい近いんですよね
なんかそのただそれがでも
一個のコミュニティだったものが
そこに経済圏通過独自通過もできて
さらにそこで匿名で
色んなところに出入りできるみたいなことは
より拡張版だと思うんですけど
でも本来それってやっぱ人間ってそうだと思うんですよ
なんか会社行ったら会社の役割としての自分とか
なんか家族だったら家族の中の自分とか
でじゃあ実家に帰ったら子供としての自分とか
本来色んな役割を持ってバランスよく生きてると思うので
それがインターネットですごい拡張したら
いいんじゃないかなと思います
近藤淳也
それぞれにだから名前があって
使ってるお金も違うぐらいの感じの
こうなんか
見た目もね別にメタバースで違くてもいいし
みたいな多重の社会に所属してるみたいなものが
MIYA
もう近づいてますね
近藤淳也
だいぶそれに近づいてきて
だからメタバースっていうか
そういう感じなんかなって思います僕は
MIYA
確かに必ずしもゴーグルかけなくても
近藤淳也
ビジュアルとしてのなんか仮想空間がどうこうっていうよりも
そのぼんやりした社会というかコミュニティというか
みたいな色んなものに属していて
それぞれに自分の人格があって
使ってるお金も変わってたりとか
アバターが違ったりとか
名前が違ったりとかみたいなものに
MIYA
なんか多重所属してるみたいな感じ
なってきてる気がしますね
その所属が多分今まではその昔は本当に
インターネットの前は
身体性のある領域しか多分多重所属できなかったと思うんですけど
それが世界中にできるようになったり
また仮想空間にできるようになったり
そこが拡張してるのはいいですよね
それこそだって地域に馴染めない
学校に馴染めなかったら
もう終わりみたいな世界だったりしたわけじゃないですか
なんか親ガチャみたいな世界
多重の社会やコミュニティ
MIYA
それがなんかね
心地いい 親はしょうがないけど
でも心地いい場所に所属して
その人がのびのびで生きるっていうことは
近藤淳也
いろんな人の生きやすさに繋がるかなと思いますけど
確かに
アドレスの部活は結構
自分が主役じゃなくしてから
MIYA
割と盛り上がっていったっていう感じなんですか
勝手に火がついていきましたね
近藤淳也
成功したんですねそこは
MIYA
良かったですね
やっぱり上手く
なんとなく本当に自分の立ち回りとか
近藤淳也
そういうのは肌勘で学べたのは良かったですし
でもなんかそういうのって
評価とかは難しいそうですね
難しいですね
MIYA
いくら儲かったんって言われてしまうと
近藤淳也
絶対その会員さんの貴族意識とか
MIYA
満足度とかに寄与してると思うんですけど
なんていうのめっちゃ数字で測りにくくないですか
近藤淳也
社内的にはどういう評価だったんですか
MIYA
それは本当にまさにブランドを作っていくみたいな話だと思うんですよ
短期的にどうこうっていうよりは中長期的に
結局そのコミュニティの力で
最終的には大会するはずだった人の大会率が減ったり
新しく人が入ったりっていうのは絶対
僕はあるって信じてるんですけど
そこを定例化するのはすっごい難しくて
割とちゃんと数字を見たいマネージャーとかからすると
あんまり評価良くなかったと思いますね
それも代表のサベットウがいろいろ話してくれて
すごいコミュニティに価値があるよねってことを
彼氏にずっと言ってくれたんで
近藤淳也
確かにサベットウさんは分かってそう
Web3の世界とコミュニティの価値
近藤淳也
それにすごい救われましたけどね
MIYA
結構でも会社の中でも
何やってんのみたいな感じだと思いますよ割と
僕はすごいそれ価値あると思ったし
今もあると思ってやってるので
今もコミュニティマネージャー別の人に引き継いだんですけど
近藤淳也
なるほどねそうなんだ
飯田友広
確かに目に見えないところは大きそうですね
難しいですね
近藤淳也
そうですね
なんかすごい具体的な話で言うと
例えば不動産会社さんとかで
やっぱシェアハウスとか企画してやって
てか実際僕は八重さんと一緒に
シェアハウス1個運営してて
MIYA
とあるんですけど
近藤淳也
その不動産会社さんからしたら
シェアハウスでイベントやって
住人さんと交流してパーティーしましょうみたいなことを
やるのがまさにその今の
なんかこうコミュニティ温める活動だと思うんですけど
MIYA
それやってもなんか別に一切儲からないみたいなのがあって
近藤淳也
それよりも家仕入れてきて人に売ったほうが
お金を儲かるみたいなところがあるんで
なんかどうしてもその
なんとなくやってる会社の方が面白いなって感じはあるけど
そこの評価どうしていくのみたいなの
あるんかなって感じがして
MIYA
そうですね
近藤淳也
結構ねそれの持続性っていうか
MIYA
なんか難しそうだなみたいな
思いますね
なんか本当にこうブランド的な考え方だと思いますね
なんか僕スタバすごい好きでスタバックス
よく行くんですけど
なんかスタバの店員さんに
出てってくださいって言われたことないんですよ
あの混んでるんで出てくださいって
でもそれって本当に売り上げあげようと思うと
開店率命で一応表記が書いてあるんですよ
忙しい時間は2時間出てくださいみたいな
僕ちょっとその仕事とかする時もあって
まあそれ以上言っちゃう時もあるんですけど
でも本当そういう嫌な顔されたことないんですよ
それって短期的な経営で考えると
絶対数字上げた方がいいわけじゃないですか
で他のね店舗さんとか
そういうこと言われたことあるんですけど
もう1回行きたくないんですよね
でなんかすごいサードプレイスとか
彼ら行ってますけど
スタバックスとかそういう
安心安全な場所だって思うから
また行こうって思って
結果なんかライフタイムバリューで言うと
めっちゃお金落とすんですよね
そうだからそれって
飯田友広
やっぱそういういいブランド戦略だなと思って
めっちゃわかるな
スタバ行くとあれ俺なんか
モテ期来たかもって思っちゃう
MIYA
モテ期声かけてください店員さんとかね
飯田友広
いらっしゃいませって言うの
じゃあ笑顔で
女性店員さんの愛想がいいって話
女性だけちょっと
MIYA
弁解しとくと女性だけじゃなくて男性の
近藤淳也
いやモテ期って言ったじゃん
でもあの笑顔は確かにちょっと勘違いするかも
そうそうそう
もしかしてなんか
飯田友広
俺来て喜んでくれるのか
思っちゃう
ヒエラルキー構造からの脱却
飯田友広
誤解を
近藤淳也
みんな思ってるってことは
飯田友広
全員大してあれやってるってことね
なんですけど
このコミュニケーションで来てくれるんで
近藤淳也
それは嬉しいなと思っちゃいますね
そうですね
MIYA
ボトルにメッセージ書くとかも
普通に考えたらコストでしかないじゃないですか
その時間自体も
全部それをやるっていうのは
近藤淳也
ブランドへの投資ですよね
なるほどね
そうかじゃあそうやってコミュニティを立ち上げて
もう結構な成果だと思うんですけど
なんかトークンも作った?
MIYA
そうですそれで今まさにそれをやって
去年ぐらいからやってるんですけど
それが僕の一番最初のWeb3に関わる
最初のきっかけなんですけど
そのコミュニティを
もう一個次の形に発生させられないかな
みたいなことをずっとモヤモヤ思ってて
それをなんか一個形にしたいなと思ってて
である時にWeb3とか
僕そうコミュニティが好きだったんです
DAOっていう概念までやって
すごくブロックチェーンとかWeb3面白いなって
思い始めて
そっから一個アドレスの中でやってみようと思ったのが
本当にアドレスの中の独自通貨みたいなものを作って
それで全く日本への経済圏とは繋がってないんだけど
そのコミュニティの中だけで価値交換ができる
みたいなものを作りましたね
でもそれ全くWeb3とも言わず
かつメタマスクとか絶対使えないんで
リテラシー的にすごいユーザー減っちゃうんで
本当に基本的に誰でも使えるような感じでやって
結構ね面白かったです
なんかそのトークンでご飯食べれますよとか
なんかいろんなこう結構専門性のある
特殊な方もいるので
なんかそのビジネスの相談に乗りますよとか
弁護の弁護士の相談に乗りますよとか
税理士の相談に乗りますよとか
いろいろなことがあって
近藤淳也
確かにいっぱいいそう専門家
MIYA
すごい面白かったですね
価値交換が行われましたね
近藤淳也
結構今もやりとりされてるんですか
MIYA
そうですね
今もやりとりされてる分も
結構その部活に絡めたりとかして
部活の中で何かやったらそのトークンをもらえるとか
そういうのが動いてたりとかもしますね
近藤淳也
その何をやったらいくらもらえるみたいなのを
ミヤさんが決めた
MIYA
それも全員ピアツピアで決めるんですよ
だからその掲示板に
こういう案件出したいですって言うと
誰でも出せるんですよね
でもそれはやっぱり高すぎると売れないわけですよ
なんとなくみんなの中で相場が決まっていって
近藤淳也
売れる?
MIYA
その案件自体が注文されないんですよね
近藤淳也
注文って何ですか
MIYA
例えばこういう何トークンで
じゃあこういうことしますよっていうものを
それを買いたいって人がいて
その人はそのトークンを払って
それを受けるわけですね
近藤淳也
それマーケットがあるんですか
MIYA
そうですマーケットを作ったんですよ
だからココナラとかクラウドワークスみたいな
ああいうのを
近藤淳也
買いますもあるんですか
買いますもあります
MIYA
買いますっていうかあれですね
こういうことをするんで
トークンをくださいっていうものと
逆にトークンを自分が払うんで
こういうことをしてくださいっていう
両方ですね
近藤淳也
じゃあアドレスの運営からのオファーだけじゃなくて
会員さん同士の仕事のやりとりがあるってことですか
MIYA
逆に言うと運営からのオファーは
基本的にないです
近藤淳也
ないんですか
MIYA
もうアドレス社とはちょっと切り離して
コミュニティの事情作業を作りたいと思ったんですよ
Web3への興味とトークンの導入
MIYA
っていうのも
どんどんどんどんアドレスの会員さんの人が増えていって
コミュニティが増える中で
何かこの会社がコミュニティを運営するっていう構造自体に
何かすごい違和感を持ったんですよね
それは初めて僕がジョインした時に
僕は会社のスタッフだから
このコミュニティを運営できるよねっていう
そういうヒエラルキーと
何か同じ違和感を感じ始めて
何かあくまで会社って
そのコミュニティを支える器なんだけど
コミュニティの方が上位の概念として
あるんじゃないかなって思った時に
何かそのコミュニティを会社は支えるし
逆に言うとコミュニティの中で
何か会社が変に圧力をかけたり
ってことをしない方が
いいんじゃないかなと思っていたんですよ
だからもう完全に
そこはもうサベットさんと話して
何か基本的にはここは
会員さんたちとかヤムリさんたちが
自由にできる環境としてやらせてください
って話をしてやってますね
近藤淳也
だいぶあれですね
中央集権とかヒエラルキーに対しては
MIYA
そうですね
近藤淳也
みなさんは拒絶感と言って
MIYA
あれあると思いますね
近藤淳也
何かあるんですか
そうなった理由とか
MIYA
何なんですかね
僕でも承認欲求みたいなのが
なんかすごいあんま好きじゃないんですよ
何かくだらないっていうか
それだけの理由なんですけど
どういうこと?
近藤淳也
繋がってるんですかそれは
MIYA
何か自分が目立ちたいみたいなこととか
自分が知恵を増やされたいみたいなことって
でもある種人によっては
すごいエネルギーになると思うんですけど
何かその人のために巻き込まれて
頑張る周りの人って
すげえかわいそうだなって思って
それってエゴじゃないですか
その人の
でも何か僕はそれを美しいって
あんまり思わないんですよね
何か何かあんまりそういう
承認欲求的なものがあんまり好きじゃなくて
でも何かそういう風な承認欲求とかって
突き詰めるとやっぱすごい中央集権になるなと思うんですよ
でも何かその分散って
ある意味その承認欲求との戦いっていうか
何かその承認欲求を捨ててこそ
分散させることができる
例えばバーも何か
僕が作りましたって言ってもいいんですけど
それって僕の承認欲求が満たされるだけなんですよ
別に何か誰も嬉しくないっていうか
それよりも何か諸説あって
いろんな人がこのバー作ったって言える方が
何か良くないですかっていう
これ何かロジックって言うよりも
感性の話なんですけど
近藤淳也
僕がそれが好きっていうことですね
MIYA
中央集権も承認欲求だけでもないとは思いますけど
経済的な合理性とかもあると思うんですけど
近藤淳也
なるほどね
MIYA
承認欲求ってめっちゃ多くないですか
何か承認欲求って
ものすごい多くの人を動かしてる
社会のドライバーだと思ってるんですよ
近藤淳也
結構敏感なんでしょうね
皆さんがそういう
分からなくも
確かにこいつの個人的な
自己承認欲求とメタな視点
近藤淳也
承認欲求だけじゃなくて
例えば金銭的欲求とか
何でもいくつかあると思うんですけど
この人の個人的欲求のために
一生懸命働かされるのは
ちょっと悲劇だなっていうのはありますよ
MIYA
それは
しかも立場によっては
承認欲求のために
国とか動かしてるわけじゃないですか
何か戦争仕掛けたりとかも
何か自分が偉人として
王国の話ですか
名前を残したいみたいなことだったり
するわけじゃないですか
そうだから
めっちゃくだらなくないですかっていう
何か逆に言うと
何かものすごい人って
結局何か
何て言うんですか
愛されたいみたいなことだと思うんですよ
自分をよく思ってほしい
誰もあるじゃないですか
そういう自分をこう称えてほしい
よく思ってほしい
モテたい
全部同じだと思うんですけど
何かそれを乗り越えた先に
結構何か面白いものがあるなと思ってて
逆に言うと何かみんながそこで止まってる時点で
何かあんまり面白い発想とか
何かいいプロダクトって
多分出てこないんだろうなと思ってて
飯田友広
それは
みなさんはそういう考え方ってこと
高い低いで言うと
次元的にはその先があるってこと
MIYA
そう何かそれを知ってた時に
初めて何か純粋にこう
社会と向き合えるっていう
何か僕の中のイメージは
何かその承認よく
何かそのさっきのこう
飯田友広
メタ
MIYA
そうメタにまさに繋がってて
何かそのバーの中にガッと入ってる時は
一人称なんだけど
引くとメタで見れるみたいなことと同じで
自分がモテたい
自分が評価されたいって時は
すっごい一人称だと思うんですよ
何か何かあんまりメタの視点って
出てこないなと思っていて
何かそれをある程度ちょっと捨てて
とか満たされてもいいんですけど
いってそれ乗り越えて
ちょっと引くと何かようやく
ちょっとメタになって
何かその人が自分事と思える範囲が
広がるので
何かそうするといろんな考え方が
できるのかなっていう
飯田友広
メタメタってある
MIYA
でもあると思いますよ
飯田友広
何が言いたいかっていうと
メタでいると
多分わからない人もいるじゃないですか
でも多分人が
人らとかどうだったか
わかんないですけど
降りてきてると思うんですね
そのメタのメタのあたりから
本当はメタでやってたら
今皆さん言ってるような話こそですけど
でもそれだとその
いわゆる民衆って人は
あの人なんかすごいっぽいけど
近藤淳也
何言ってるのかわかんないなって
飯田友広
でもそうすると
MIYA
降りてくる必要あるじゃないですか
飯田友広
そのさっきの欲っていうところに
承認欲求とか
それをやるとしたら
もうそのメタのその先にいる必要も
近藤淳也
あるのかなと思ったんですよ
飯田友広
そういう感覚ですけど
そんなの考えたことある
MIYA
何かそれと繋がってるか
わかんないですけど
結局メタも何階層もあるなって
すごく思います
何か自分がメタになった
その先にもメタの世界があって
何かいくらでもメタになれる
何かそれってどういう感覚かっていうと
何かその人の
何か自分ごとの範囲を広げていくことだ
と思っていて
自分を何かすごいハッピーにしたい
ハッピーにしたいというか
自分が評価されたみたいなところから
何かそれがわかんないけど
家族とか何かこのもうちょっと
本当に日本のこと考えられる人が
いるわけじゃないですか
僕はあのまあそのね
いろんな政治的な思想は別にして
何かすごいやっぱり
あのコロナの時の
あの安倍さんの何かこう働きぶりに
すごい感動したんですよ
何かみんなコロナウイルス大変で
で言ったらその結構な年齢だし安倍さんも
まあ自分のことも結構心配なわけじゃないですか
なんだけどもう
あの時って何百人いち
本当に公務ずっと連続で続けて
っていうのをやったと思うんですけど
自己本位的な欲求と他者への貢献意識
MIYA
何か本当に日本のことを考えて
何かこういうレベル間でものことを考えて
生きるってことは
可能なんだなみたいなことを
そういうのすっごい感動するんですよね
そういうのって何段階も目的にならないと
まあそれは立場が人を操作するのかもしれないけど
何か自分が評価されたいとかだけでは
たどり着けない
何か領域だろうなと思っていて
何かそう
何かそうなれた時に本当にいいものって
飯田友広
作れるのかなっていうのは思ったりします
その動機モチベーションって
そうなりたいと思ったらなれると思うんです
今は初にそのね
俺が俺がって感じの人がある時
多分気づきがないと
MIYA
そうですね
気づきが大事ですよね
でも慣れるか慣れないかって言ったら
全然好天的になれると思うんですけど
どうやってなるかっていうと
まあ難しいですよね
僕も何かその若い時
20代前半に文語居た時とかもそうだし
何か自分でやりたいって時は
本当に評価されたいというよりは
何者かになりたいみたいな
何かそういう欲求
だから何かその国に本当にいいことしたいとか
何かその事業でいいことしたいってよりも
その事業を通して自分が何者かになりたい
みたいな欲求だったんで
何かそれはすごい自分の中で強かったんですよ
何でそれを抜け出たのか
何か年齢なのか経験なのか
何かわかんないんですけど
でも絶対抜けられると思いますね
近藤淳也
そこは
飯田友広
でも打算的なところっていつでもありますよね
MIYA
うんいつでもありますよね
飯田友広
生きていかなきゃいけないとしたら
お金とか時間とか
MIYA
そうですねあると思いますね
何かそこに何か折り合いをつけていく
美しさみたいなこと
何か人間ってどこまで行っても
やっぱり自己本位的だし
何か本当に他人が苦しんでても
何か自分が苦しければ
その自分の命を優先するって
それは生存本能だと思うんですよ
だけど何かその理性を獲得した人間として
何かどれだけこう
そこと立ち向かい続けられるかみたいな
何かそういうことを何か
僕は美しいと思うっていう感じですかね
飯田友広
それをなくしたら動物
MIYA
に近くなるし
何かそういうものをなくした人たち
自己本位的な人たちだけで成り立ってる世界って
何かあんまり僕は住み心地がいいなと思わない
ので
飯田友広
そういうのあるのかな
そういう場所って
分からないけど
MIYA
どうなんですかね
でも本当にさっき一番最初に言った
社会の発展レベルじゃないですけど
やっぱり本当に国自体が貧しい時は
どうしてもそういう人間の生存本能は
強くなると思いますけどね
自分が生き延びなきゃいけないみたいな
でも日本はもう豊かなんで
あんまりそういうのじゃなくていいんじゃないかな
飯田友広
でもマスクが一時期供給不足になった時は
そういうのが垣間見えた気がするけど
MIYA
そうそうね震災でねみんな買い占めたりとか
全部そうですよね
企業がこうなんか価格つり上げるとか
飯田友広
確かにそれとか美しさっていうのは
MIYA
かけ離れちゃってるのかなって
そうですね
こういうのをなんかめちゃ偉そうですけど
なんか美しいか美しくないかっていう風に
もっとみんな議論した方がいいなと
僕は思ってるんですよ
みんなその正しいか正しくないかで
議論するじゃないですか
それってどっちかっていうと
ロジックの話っていうか
でもなんかその感性の話が
結構大事だと思うんですよね
なんかすごい僕もずっと仕事してるから
仕事ってもうロジックの世界だから
いろんなことをロジックで
考えたくなるんだけど
それってどこまで突き詰めても
なんか50%の世界だと思ってて
もう50%に感性の世界があって
でも感性を磨くって
今の本当に結構ビジネスとか
経済中心の社会で
意識的にやろうと思わないと
結構できないと思うんですよね
だからなんかその一般的にこう言われてて
どう考えてもロジックで
これは正しいよねってことは
それなりに賢い人だったら誰でも行き着くし
それこそAIが発達したら
勝手に答えを導いてくれると思うんですけど
なんか自分がそれを好きか嫌いかとか
なんか自分にとって美しいかどうかみたいな
感性ってまた別の話なんで
それを磨くためにはどうしたらいいんだろうな
みたいなことを結構本当にここ最近
数年ずっと考えてますね
近藤淳也
我が家の口癖はダサいですね
MIYA
でもいいですよね
そうそれのめっちゃいいと思いますね
近藤淳也
ダサいよねっていう
その美しいのそのいい方は
まああれかもしれないですけど
そうじゃないそのエゴが強すぎるとか
なんかお金儲けしか考えてないみたいな
ダサっていう
なんか
MIYA
そうでもそれの別に裏にロジックはそんなないじゃないですか
近藤淳也
それがすごい大事だと思うんですよね
のを言ってる
MIYA
めっちゃいいと思います
僕もちょっとそれで子供育てようかな
ダサいかダサくないかね
いいじゃないですか
近藤淳也
ロジックで言うと確かにいい
MIYA
そう
近藤淳也
なんかね
MIYA
ロジックで言うと喧嘩になるんですよね
やっぱね
なんかどっちが正しいかっていう
戦いになっちゃうんで
でも感性だと両方あり得るんですよね
近藤さんダサいって思ってるものを
僕はダサくないって思う可能性もあるし
それって同じ世界に共存する
だけどなんかロジック的にこっちが正しいって
ものと別の人の正しいって
いつか一つにしなきゃいけないんですよ
ロジックと戦わせて
それも
近藤淳也
なんて一つにしなきゃいけない
MIYA
あの結局こう
こっちが正しいこっちが正しいみたいなことを
ロジックで積み上げていくと
なんか論破みたいな話になるんですよ
どっちのロジックが正しいのみたいな話になるんですけど
でもあなたはそれが好きなんだね
私はこれが好きなんだねってやると
それ終わるわけですよ
だからなんか両方が共存しうるっていう
そっちの方が僕は好きですねっていう
近藤淳也
それもまた感性の話なんですけど
まああのなんかとはいえ
なんていうんですかね
その足らない
足りてるって大事な気がしますけどね
その心的にその
ある程度足りてるっていう感覚がないと
今そのメタっていう言葉でしたけど
リタっていうか
人のために生きるっていうか
まあなんか自分のためだけじゃなくて
他人を何に対してもっとなんか貢献しようっていう
なんかそういう気持ちのことを
言ってるのかなって思ったんですけど
まあそれってやっぱどうしてももうね
生存のそのさっきの生存の危機みたいなんとか
もうあの明日生きるのも難しいかもしれない
ってなってきたら
まず自分が生きるために
多分必死になっている人もいるかもしれないし
なんかある程度足りてるっていう状態が
いるのかなと思うんですけど
まあ一定のレベルを越え始めると
考え方次第っていうところがあるんですよね
多分その足りてると思えば足りてるし
MIYA
そうですね
近藤淳也
死にはしないしみたいなのと
まあ上を目指すほど
全然まだこんなに足りてないみたいな感じで
MIYA
どこに線を引くかみたいな
近藤淳也
そうですね
すごい一番上の方の人と自分を見比べて
こんなに自分は足りてないから
自分はこれを埋めなきゃいけないみたいな感じに
思うかどうかっていうのも結構
あるような気がしますけどね
MIYA
いやほんとそうですね
感性の重要性と美しさの追求
MIYA
いやメタじゃなくてリタっていいですね
金源
近藤淳也
本当ですか
MIYA
メタ社がリタ社になればいいんじゃないかって
思いましたすごい
近藤淳也
いやなんかこの前
キョウセラの稲森さんが亡くなられたじゃないですか
でなんかそのツイート番組集みたいなのを
NHKでやってて
見てて改めて素晴らしい人やなって
思ってたんですけど
稲森さんとか言ってるのもやっぱりそういうことで
同じような話してたんですよ
要は自分の欲を満たすために
仕事してる人が経営者だった会社の従業員は
悲惨だっていうことをはっきり言って
やっぱり人のために仕事しろっていうのを
ずっとあの方は言ってるし
キョウセラフィロソフィーとか言って
なんか手帳に書いてあって
全社員が胸ポケットに寝て持ち歩いてる
MIYA
ジャルもそうでしたよね
近藤淳也
はい感じですけど
おっしゃられてるその人に尽くそうっていうのは
結構なんかいい哲学っていうか
なんかちょっとね
あのなかなかそういう会社がどれぐらいあるんだろう
みたいな感じがあって
飯田友広
そうですね
近藤淳也
うんなんかすごいね
なんか大きな方だったんだなって
飯田友広
思ったんですけど
いやでも近藤さんもね
MIYA
いやそう思いますよ
飯田友広
近藤さんこそなんか俺がじゃなくてメタの
MIYA
いや僕が近藤さんと初めて会った時
びっくりしましたもんなんか
なんかこの近藤さんの今までやってきたことと
目の前にいる近藤さんの態度に
なんかこう乖離がありすぎるっていうか
なんかめっちゃ腰低いっていうか
えこの人あの近藤さんだよねみたいな
そういう感じだったんですけどね
飯田友広
それは多分他の誰もが思うところではないかと
MIYA
ミヤさんの会なんだよ
ブロックチェーンと新しい社会の形
近藤淳也
いいです近藤さんの会
MIYA
近藤さんゲスト会っぽくなってきた
最終回みたいな感じになってきてる
近藤淳也
じゃあどうしよう
その後の話はどうなるんですかね
MIYA
もうそっからはブロックチェーンにハマって
今はいどっぷりブロックチェーンっていう感じですね
近藤淳也
何が面白いですかweb3ブロックチェーン
MIYA
本当になんかここまで話してきて
こいつブロックチェーン好きだよねって思うと思います
なんかもう思想が
近藤淳也
なるほど
MIYA
なんか僕やっぱりその競争的なこともそうだし
資本主義的なこともそうだし
あとは本当に中央集権的なこともそうだし
なんかああいう今までの社会のOSに
自分があんまりあってなかったんだなっていうのはすごく思って
それ自体はすごくなんか
生きづらさとか難しさを感じたんですけど
なんかある意味すごく社会のパラダイムに
関わるとか見ていて
その中で新しい社会の形のOSの方が
なんか自分は好きだなと思うので
そっちにフローって思ってるっていう感じですね
近藤淳也
なんか具体的に紹介できる
やってることとかってあったりしますか
MIYA
やってることはですね
一個は本当にメインの会社の方で
ブロックチェーンを使って
いろいろ新しい事業企画をしようってことがメインのことで
それをやってるんですけど
あと別では本当にもうちょっと
本当に哲学的じゃないですけど
ポスト資本主義とブロックチェーン
MIYA
資本主義に対して
いわゆるポスト資本主義的な話はずっとあると思うんですけど
ポスト資本主義に
より今の資本主義社会が新しくドライブしていくために
ブロックチェーンをどういうふうに使えばいいんだろうみたいなことを
ちょっとそれはまだラボ的な感じなんですけど
なんか割といろんな人に出て関わりながら
考えていたりとかもしますね
一方ではゴリゴリ鋭利的にっていうか
プライベートカンパニーの中で
どういうふうにブロックチェーンを使って
ある意味稼ぐかみたいなことをやってるんですけど
一方では本当にブロックチェーンの本質に立ち返って
社会のためにどう使えるのかみたいなことを考えたりしてますね
大きな会社の事業とプロジェクト
近藤淳也
じゃあ大きな会社の事業と
それとまた別のプロジェクトを
MIYA
はい別でやってます
近藤淳也
2個
MIYA
2個やってますね
別の方は自分が主語になって
割と若いメンバーたちと
あと本当に結構経験を重ねてきた
web2的な割とモサみたいな人たちは
バックアップしてもらいながらやっていて
それはもともと今も3月辞めちゃったんですけど
一緒にずっと会社をやってきた
高校生卒業して起業したこと
それも別に一緒でやってるんですけど
近藤淳也
そこもまた一緒なんだ
若いメンバーと経験豊富なベテラン
近藤淳也
それはいいですね長くて
MIYA
そうですね本当に長い付き合いですね
彼と
近藤淳也
どうですかそれぞれ立ち上がりそうですか
MIYA
まあ難しさはすっごくありますけどね
やっぱり両方別の難しさがすごくありますね
なんかこうそのエリ企業の方は
やっぱりブロックチェーンを使って
ある意味一定ちゃんと
稼げるような事業だったりとか
あとはそのある程度
大きな会社が資本持ってやるので
多くの人に届けなきゃいけないっていった時に
やっぱりブロックチェーンとか
自体のまだマスアダプションの難しさってとこもありますし
なんかそれでどういうふうに
マネタイズしていくかみたいなところも
結構グローバルな事例見ても
割とそのトークンの経済圏もそうだけど
順調にちゃんとインフレしていってるみたいなものって
あんまりなかったりするので
なんかその成功事例みたいなものがない中で
どうやって作っていくかみたいなことの難しさはありますし
一方で自分たちやってる方は
本当に100%思想から入ってるみたいなものなので
それをどうやってプロダクトに落とし込んで
作っていくかみたいなところに
まだまだ難しさがあるんですけど
でもなんかすっごい楽しいですね
もう本当それこそ新卒の時に
やりたいことがなかったみたいなことを
言ったと思うんですけど
今はもう本当ブロックチェーンに出会えて
それ人生も変わったし
毎日のことを仕事でも考えられるし
そういう人たちとも一緒に関わってるもできるし
すごい楽しいですね
近藤淳也
すごい良かったですね
MIYA
良かったですね
近藤淳也
ブロックチェーンが出てきて
MIYA
本当そうですよ
里下仲本
近藤淳也
生きやすくなったんだなっていう
それが良かったなって感じました
MIYA
本当そう思いますね
近藤淳也
しかもねなんかその日本が何主義か
こっち主義かこっち
右主義か左主義かとかじゃなく
今のその社会もありながら
同時に共存してるじゃないですか
それが良いですよね
別にどっちかじゃなくて
MIYA
政治的な思想とかの話じゃないか
近藤淳也
なんかそこを戦うんじゃなくて
自分はこっちに所属してる比率が
ちょっと多いですとかっていう感じで
なんか選択できてるっていうのが
その人に全然迷惑をかけないというか
MIYA
勝手に好きな人たちが集まって
勝手にトークン作って
独自の経済圏やってたりしてるわけですよね
近藤淳也
なんかそこがなんかね
ちょっと過去の何主義かっていうのを
超えていってる
まあそれもメタなのかもしれないですけど
MIYA
面白いですねその視点は
近藤淳也
な気がして
そういうのもまた平和的でいいなっていう
MIYA
確かに
一方ではねちょっと原理主義っぽい人もいるから
なんか対立を生んだりするけど
それが本質ではないですよね
近藤淳也
そうですね
MIYA
なんか僕もブロックチェーンとか
Web3って言われてる世界が真っ進んだら
本当にWeb2とクロスオーバーするっていうか
なんかどっちかがどっちかを
ディスラプトするわけではないんだろうな
と思ってるので
近藤淳也
そうですよね
MIYA
それはね僕みたいなある種の人にとっては
ちょっと行きやすくなるっていうか
近藤淳也
選択肢が増えるっていうか
MIYA
そうなるといいなと思います
近藤淳也
まあ部活みたいなもんかもしれないですね
MIYA
一個の壮大な
近藤淳也
ブロックチェーン
MIYA
グローバルな
でもなんかベイシーとかも含めて
ブルーチップのNFTも
なんか部活みたいなもんですよね
なんか壮大な
なんか1億払って入る部活みたいな
なんかそういうでもなんか一個のノリが
昨日はベリーロンドステップの
人たちが来てましたけど
それぞれにそれぞれのなんか
大事にしてる価値観があって
いいと思うプロダクトがあって
で、その中に通貨があって
その中でいろいろ人間関係もあって
オンラインオフライン繋がってみたいな
近藤淳也
確かに
MIYA
なんかすごくある意味人間に
原理的にある感覚と
なんかほぼほぼ近いんだろうなって
感じはしますよ
飯田友広
確かに
近藤淳也
はい
MIYA
そうですね
飯田友広
なんか聞きたいことありますか
聞きたいこと
聞きたいことって
僕はミヤさんと出会ったの
1月が最初なんですけど
近藤淳也
ああそうか
MIYA
まあ今年の1月
飯田友広
あれあのレストランで新年会
MIYA
そうねリアルイエローであったのね
近藤淳也
あそうかめっちゃ最近ですねよく考えたら
飯田友広
まだね3ヶ月
1,2,3,4ヶ月ですけど
ずっと仲いい友達みたいな
MIYA
ありがとうございます
飯田友広
毎週また遊んでる感じはします
MIYA
そうなんですか
本当そうですよね家も近いから
飯田友広
で帰りがに次いつ会うって言って
次いつ会えるだけ
MIYA
確かに
彼女かみたいな
近藤淳也
会う前提なんですね
飯田友広
一緒にいて楽しいし
いろいろ勉強になるとこあるし
MIYA
こちらこそ
空気感っていうかね
飯田友広
いいなと思って
そういう場を設けてくださったね
近藤さんクリフトバーとかね
僕は感謝しているところで
これからも仲良くしていきたいなと
近藤淳也
そうですね僕も会社できて嬉しいです
ありがとうございます
えーとミヤさんにとっての幸せとは何ですかっていうのを
MIYA
いつも
近藤淳也
幸せか
飯田友広
幸せな
ボケてもいいよ
MIYA
いやでもなんか考えちゃいますね幸せ
でもちょっと直球の答えじゃないんですけど
幸せって自分個人を満たすことも
幸せだと思うんですよ
なんか大事なのって
その幸せが何かっていうこともそうだけど
その幸せの大きさを
どれぐらいの大きさに広げていけるかが
大事かなというのはそう思いますね
自分がハッピーになることを幸せと捉えるのか
自分の家族がハッピーであることを幸せと捉えるのか
あるいはなんか日本という国が栄えていくことを幸せと捉えるのか
世界平和を幸せと捉えるのか
なんかそれぞれ幸せの規模があると思うんですけど
それをなんか無理に広げようとすると
全くなんか実感のない話になっちゃうと思うんですけど
なんかそれを自分なりにちょっとずつ生きていく中で
なんかちょっとちょっとずつその輪を広げていって
なんか一人でも多くの人のなんか幸せを
幸せと思えるような自分になれたらいいのかなという風には思ったりします
近藤淳也
おー
飯田友広
スケールは大きいですね
近藤淳也
いいですねなんか
広がっていく感じがしたし
一緒にいたいなと思いましたよ
なんかそういう方と一緒にいたいなって思いました
嬉しいです
はいじゃあそんな感じですかね
飯田友広
はい
MIYA
このね幸せの答えは昨日から徹夜で考えたわけじゃないんで
近藤淳也
準備なしでやってますから
はいじゃあ今日はミヤさんの回でした
MIYA
はいありがとうございます
どうもありがとうございます
また皆さんあの聞いてる方は是非バーにもお越しいただいて
いろいろリアルでもお話しできればと思います
近藤淳也
そうですね
はいじゃあどうもありがとうございます
MIYA
ありがとうございました
近藤淳也
さよなら
MIYA
さよなら
01:37:27

コメント

はい。できますので、使いに来てください😊

飯田友広
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