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近藤淳也のアンノウンラジオ
はいこんにちは

こんにちは

こんにちはお願いします
はい今日はMIYAさんがゲストにお越しいただきました
はいMIYAですお願いします

よろしくお願いします
そして今日のアシスタントは

はい飯田です

飯田さんです

3回目ですよろしくお願いします

先週というか前回に続いて

だいぶ最近頻出キャラになってますけど
いきなり

すごい
飯田さんもありがとうございます

ありがとうございます
今日はミヤさんにたっぷりツッコミをします

お願いします

じゃあ早速ミヤさんなんですけども
先週というか前回BAR KRYPTOの立ち会議の回を撮りましたけど
その関連のメンバーということで

そうですね

クリプト続きですけども
今日はミヤさん来てもらいました

はいお願いします
ミヤです

なかなかいいノリですね

昨日もクリプトにいて
11時過ぎまでバーテンやってましたね

じゃあちょっと早速ですけど

簡単な自己紹介をしてもらっていいですか
ミヤと言います
最近はもっぱら金曜日の夜にバーテンをしてるんですが

それがメインの仕事

それがメインの仕事ではなくて
某ITメガベンチャーでweb3の事業部にいるので
そこで事業開発をしながら
あとクリプトとかですね
いくつかのweb3のプロジェクトに関わってるような
web3にどっぷり使ってる毎日です

お漬物になってるんですか

お漬物にはなってないです朝漬けぐらい
一応乗っていました

何て名乗ってるんですか

何ですか

何て名乗ってるんですか
こうなんか職業はって聞かれたら

職業ね
でもなんか自分がメインでやってるメガベンチャーのところが
結構社名が有名なんで
それを分かりやすくしたい時は言いますし
そうじゃないとなんかまあいろいろ
ブロックチェーンで色々やってますみたいな
ぼんやりさせる時も
ブロックチェーンで色々やってる人

会社員ではない

でも一応週4の会社員って感じですね
一応社員ではあるんですが
いろいろ他でもやってるよみたいな感じですね
本当新卒の時の1年間ぐらいしか
なんかどっぷり一社で働いたことがなくて
なんか基本的にはなんかあれこれやってます
そうなんですね

クリプトでもね
まあ産みの親というか

いやいやいやとんでもない
一番最初に色んな人が自分を引っ掛けて
最近ねいい感じで諸説出てきたんで
それはいいかなと思って
昨日の夜もね

クリプトができたのは俺のおかげで

俺が育てた

いやでもねそういう説が

言いながりの人がたくさん

説が分散していった方がね
諸説ありにして

それだけたくさんの人が関わって

みなさんのクリプトですから

たくさんいるんですよね
誰やねんって

みんな存命で生きてるのに諸説あるっていう

面白いね

それがねいいと思いますよ
03:00

でも最初ね
ミヤさんが僕を訪れてくれて

そうですね
最初は僕もともとアドレスっていう
サブスクの会社にいたんですけど
その時のユーザーさんとなんか仲良く話してて
その方が近藤さんの共通のお知り合いで

えじけんさんですね

あそうそうそう
えじけんさんで繋いでくださったんですよ
それで最初普通にお話しして

そうかやっぱえじけんさんから
君たち二人は会った方がいいよって

あそうかそんな感じでしたね
メッセが来た気がする

じゃあえじけんさんが産みの親

あそうそう間接的には

産みの親の割に現れるのか

ホルダーなのか
それが見事ハマったんですね

すごいっすね

そうそうそれで会って
でも最初普通にあれですよね
なんかランチながらブロックチェーンの話して
でそれでなんかある時こう
それで近藤さんを知り合ってて
でなんか一緒にやりたいですね
みたいな話ぐらいしてて
でなんかある時
あこれ僕の説なんで
諸説あるうちの一説なんですけど
なんか僕の中の説だと
鴨川でなんか歩いてる時に
そのあそういえばと思って
なんかその関東はそのピアツピアさんっていう
まあ結構有名なクリフトバーがあるんですけど
関西ってそういう場所がないなと思って
あだったら作ればいいんじゃないかと思って
で近藤さんにもうなんかすぐメッセンジャー送って
話しましょうみたいになって
で結構ほんとなんか雑なアイデアを持っていって
そっから本当にいろいろスタートした
みたいな感じの
僕の記憶だと

じゃあミヤさんが鴨川歩いてた時に思いついた

鴨川や

まあでも僕が思いついた時に
同時にいろんな人が思いついたのかもしれない
それが諸説につながってるのかもしれないですけどね
僕ルートはそんな記憶だったですね

まあいろんな人のことがね

それぞれ欠けていたらなりたくなかったと思う
最初はね本当近藤さんと2人で話し合いだけだったんですけど
そっからね新田さんも含めいろいろ
本当いろんな方が加わり
あれよあれよって多分それが
10月とかぐらいだと思うんですけど
もう本当年末ぐらいには
NFT売り出してみたいな感じでしたからね
そっからすごいペースで進んでいきましたね

そうですね
こんな謙虚なキャラでしたっけ

いやいやいや謙虚ですよ

ラジオバージョンになってない

いやいやいや謙虚じゃないバージョンが知りたい方は
バーに来ていただける

いつもどんな感じなんですか

いつもなんか俺っすよって

いやいやいやいや
断定ですよ
それは結構真面目な話すると
諸説あるのがいいなと思ってるんですよ
僕もあんまり言いたくなくて
みんなが自分が作ったって言えるぐらい
なんかその自分のバー
なんか今までってバーって基本的にその
バーのオーナーがいて
オーナーの店にみんな行くみたいな感じだったんですけど
なんかそれってすごい中央集権だなと思ってて
なんかみんなホルダーの人たちは自分のバーって言って
しかも同班1名連れてこれるじゃないですかクリフトって
自分のバー
俺バーやってるから俺の店来いよっていう
あの男なら1回言いたいフレーズを
その誰もが言えるっていう
俺のって言える人がいっぱいいる方がいい
06:01

それが大事かなと思ってるんで

まさに自立分散のウェブツリーっていう

あんまりその影はね消していった方がいいかなっていうの

昨日来られたホルダーさんもね
奥様連れてこられて
これ俺作ったんやでって

そうそうそれが大事ですよね

そりゃあ素敵ってなってましたからね

そうですね

飯田さんもね結構ね
同班の方はね

奥さんとか連れてきて

そうそうそう毎週連れてきて
いろんな方はね
確かに確かに

飯田さん同班率高いですね結構

まだまだほんと

そういうのがねいいなと思います
じゃあまあみんなが俺のって言えるように

自分が先陣を切って俺のって言ってるっていう
まあまあまあ

みんなが言いやすいように

なるほどなるほど
素敵ですね

じゃあ全員俺のって言ってくれって
そう本当にみんなのね

でも昨日なかなか盛り上がりましたね

昨日すごかったですね
昨日はほんと半分ベリロン半分ステップンみたいな感じで
奥がステップンエリアで
で前が

前側がベリロンエリアで
真ん中に両方めっちゃやってる人が

そうそうそうそう
めっちゃよかったですね
なんかその昨日はなんか面白かったんだ
昨日はそのそういうweb3ネイティブ系の人が集まって
なんかもうガンガンそのトークだったじゃないですか
なんか普段は結構その初めて
それと同班で来る人とかって
初めてウォレット入れましたみたいな人とか
なんかそういう人が来て
なんかそれもそれで結構大事だなと思うんですよね
なんかマスアダプションするっていうか
なんか普通はただワードだけこう暗号通過とか聞いたら
ちょっと怖いとか難しそうみたいな人が
なんか目の前に知ってる人がいるからとか
バーで顔が見えるからやってみようみたいな
なんかこれはすごいマスアダプションに効くなと思って
ちょっとまだちっちゃい規模ですけど
なんか面白いなと思って
まあ両方良さがありますよね

初めて仮想通過で決済しますっていう人

結構いらっしゃいますよね

まあ実際確かに仮想通過で物が買えるお店って

そんなにないんで

まあどれだけ詳しくても
そもそも場所がないっていうのも
あるかもしれないですけれど

まだ初めて来た人が
円が使えないことに戸惑うっていうことから
始まりますからね大体ね

まあなかなかでも面白いですね

そうですね
そこら辺もなんかね
最初は僕は意外と日本円使えた方がいいんじゃないか
みたいな思ってたんですけど
ちょっとディフェンシブに
近藤さんめっちゃ攻めだったじゃないですか
絶対もうクリフト決済しかしないみたいな
でもなんか結果それで良かったなって感じで
やってみてすごい思いますよね

それ自体がねちょっとこうアトラクションじゃないけど
一回試してみたいみたいな体験になってて

なんかあの送るっていうトランザクション一つが
結構アトラクションになってますよねみんな
あんなお会計が楽しい場がないと思うんですけど

メタマスクで結構簡単に送れるんだなみたいな
昨日あのGMT払いが初めて発生しました

そう初めてステップナーにより
ステップナー達の

ステップナーが来たんで
まあちょっとさすがに今日は
GMTの支払い受け入れようかということで
当日のレートを換算して

急遽急遽レートで
1GMT=0.18クリフト
0.18かな

レートを決めましてGMTでの支払い受け付けて
09:03

初のGMT払い
外を歩いてGMTを稼ぐと
夜にバーでお酒が飲めるって

健康的な日中歩いて夜飲めるっていう

すごいですね
全国のステップナーの方も是非

確かに

フォルダーさんを見つけて
来ていただければと思いますけど
その日はねGMTでも受け付けますんで

やりたいですね

はいじゃあそんな感じでいいですか
昨日の話は

はい昨日楽しかったです

はいじゃあちょっとミヤさんの
これまでについて

振り返っていきたいんですけど
キャリアというか

お仕事はどんな感じで

キャリアは僕は結構本当なんか
最初こそ割となんか
大企業みたいなところに入ったんですけど
なんか割ともうストリートで
戦ってきた感じで
ストリート
あんまりもう1年ちょっとやめちゃったんですよね
なんかそれはなんか昔からやっぱ自分で
なんかこうやってみたいみたいな思いが強くて
でなんか一番最初大学3年生の時に
それはフランチャイズだったんですけど
塾のフランチャイズみたいなのを始めて
あそうそれがなんか一番最初に
法人を作った
一番最初
大学3年生で塾のフランチャイズを始めたんですか
そうですそうです

びっくりした

いやいや感じた

それが一番最初に法人をね

20歳とかでってこと

大学そう20、21ぐらいですかね
それが最初だったんですけど

え何それそんなことやります普通

まあでもそれ自体結構あの若い感じだったんですよ
その経営人とかも若めの塾で

あー一人じゃなくてってことですか

あそうですあのもともと塾の本体はあって
でなんか僕が新しいそのコースみたいなの作って
それをちょっと校舎として独立して
でフランチャイズでこう回してたみたいな感じだったんですけどね

すごいですね

そうそれが3年生の時でしたね

昔からそういう企業願望みたいなのあったんですか

うんなんかやりたいなと思ってましたね
はい結構思って

子供の頃から

あーでも確かに子供の頃の夢僕経営者って書いてましたね
そうですか
経営者か作家選手って書いてましたね

えーなんで

なんでなんすかね
なんかやっぱり自分でやりたいみたいな思いが強かったですよね

あーそうですか
そのなんか親御さんの影響とか

親は全然普通に公務員とかなんですけど
なんなんですかね

でもうちも公務員ですわ

あ本当ですか

市役所勤務

あ本当ですか

硬い

意外とね反動で子供がそうなるのかもしれない

そうかもしれないですね
なんか頑張った分だけなんか変化があるみたいな

そうなんですよね

なんかちょっといいかもって僕は思ってましたけど

はい
そう思ってましたね
だからそれでもう本当に1年ちょっとで最初の会社辞めて
そっからもうノラノラですね

あーそうですかちょっと待ってください
その塾の塾はどうなったんですか

塾をもうずっとやってました
だから新卒で会社入った時も
多分副業しちゃいけない会社だったんですけど
副業的に週末はその塾をずっとやってて
そうなんですか
やってましたね

フランチャイズをやるってどういうことですか
12:01

先生じゃなくて

先生は全部やってました
フランチャイズ的な校舎の経営から
いわゆる全部教えることも
何人かバイトの子がいましたけど
基本的には

じゃあそのなんていうか
1店舗全部やるみたいな

そうですねそうですね
そうやってましたね

物件選んだりとかからしましたね
人も宿ってたんですか

一応バイトですけど
大学生の子たちとかにちょっと講師のサポートで

入ってもらったりとか
すごい
うまくいきました?

それはそれなりにうまくいって
結局1店舗のフランチャイズが2店舗にして
別の人にパスするんですけど
そうなんです
僕その頃は本当教育がやりたかったんですよね
教育に目覚めてて
で、2店舗パスした後に
モンゴルに行くんですよ僕は
え?
ちょっとまた話がどんどん
あ、そうそう
それはもう野良時代なんですけど
会社辞めた野良時代に
モンゴルに行って

モンゴル
はいはい

日本で結構教育をやりながら
なんかでも日本人って
とはいえ恵まれてるじゃないですか
だからなんか
いわゆる日本の結構それも
高校生教えてたんですけど
高校生の中でもトップ層の子たち
なんかすごいこう
例えば帰国種類で英語ができるとか
あと企業の経験があるとか
なんかそういうこう
自分の位置限が結構ある子たちだったんですけど
なんかもうちょっとこう海外で
なんか本当にこう
その人たちが国を背負っていくみたいな
ぐらいのこう危機感が
割とあるような国で
なんか挑戦したいなと思って
はいでモンゴル行きましたね

単身で

単身でしたね
何の繋がりもなく
乗り込んでた
はいただ僕はモンゴルで
教育のなんかをやるぞって思って
モンゴルに行きましたね

えー

片道の

ちょっとちょっと待てよちょっと

展開が早すぎる

えーとちょっとちょっと
えーとその新卒で入った会社っていうのは
教育系

それはITとか
通信とかインフラとかそっち系でしたね

それはじゃあ普通に新卒で

新卒で入りました

入社されたんですよね

入りましたね

で1年で辞めちゃったんですか

1年で辞めましたね
結局でもそれもICTとかその
ITと教育を絡めるみたいなことを
やりたいみたいな話をして
結構本当になんか教育系の部署に
部署というか仕事に行かせてもらえたんですけど
やっぱりその自分でやりたいというかね
その塾やりながら
こっちの方が面白いなみたいな思いが
結構強くなったんですよね
なんかその割と高校生で
たぶんじゃあ起業したいですみたいなことか
将来こんなことやりたいですみたいな
結構こうビジョナリーな子たちが
来るんですよその塾に
そうすると僕はなんかもう
本当に正面から向き合いたかったんで
人によってはもう大学行く必要ないじゃんとか
おー

親に怒られるやつやん

そうそうそう
でもなんかそういうことを言ってたんですよ
えー
それって結局守りだよねみたいな
なんか今まで

自分大学行ってる

そうそうそれででもそうずっと言ってたら
なんか自分って結局
なんかこういうふうに会社員やりながら
なんかこう今
なんかこういうふうに
15:00

ちょっと安全な場所から
彼らに話してるって
なんかそれ全部自分に返ってきちゃって
これ守りだなみたいな

説得力ないなみたいなこと

でなんか自分で挑戦しようって

えー

やってましたね

ちなみにそれで大学行かなかった高校生いたんですか

みんな行きましたよ
それこそねハーバード行った子もいたし

あー
そういう外し方もいいですね

そうそうそう優秀でしたねみんなね

えー

はい

それはその生徒さんは
結構ミヤさんの言うことは
そうだなって感じだったんですか
それともいやいやさすがに大学は
あでも結構

結構尖っている子たちが多かったんで
あの結構はい
まあそうですよねみたいな感じ

あーそうですか

ありつつ
まあでも最終的には
まあでもあの大学行って
あの将来を考えたいって子が多かったですけど
まあでも中には僕がサポート結構して
大学受かったんですけど
決定大学行かなかったっていう子もいますね
まあ後にその子と一緒に会社やることになるんですけど

おおー
あーそうですか
それは親からはなんか言われませんでしたか

あでも結構その子はなんか割と
まあ起業したんですよね

はいはい

大学行かずに起業して

えー

そうそれ自体は
まあその後いろいろ何回か
あのピボットした後に
出会って一緒にまた会社やるようになるんですけど

えー

なんか親御さんは
そのこの親御さんも
えっと公務員だったと思いますね確かに

あーそう

でもなんか何も言わず

それよう認めましたね
すごいですね
大学行かずに起業っていうのはすごいな
まあ応援してるんでしょうね

はい

えー

すごいですね

追いついてきました?
いださん追いついてきました?話に

ようやく
ようやく海渡れそうです

海渡れそう

確かにね
年表がないとなんかいつの話してるのか
よくわかんないですよ

じゃあ1年で辞めて
それ辞めるのはまあじゃあ
説得力ないなみたいなところが思うんです

まあそうですね
はい
結構なんか
まあ僕中学から私立に入ったんで
なんかもう言って中高大ってまあ私立にいて
なんかやっぱちょっとこう
なんていうんですかね
道を外れることの怖さみたいな
ちょっとあったんですよね
10年ぐらい
それなりに親にお金もかけてもらったし
みんなそれなりにいい会社に入ってるし
なんか今
まあわかんないけどなんか
自分が本当にじゃあ
例えばわかんない
まあそういうあんまり言い方よくないですけど
受験に失敗してとか
なんか挑戦したいことがあって失敗して
そっからもう一回立ち上がるぞ
みたいなことあったらいいんですけど
なんか今までこう
割と全部うまくいってきたのに
それを本当に捨てるのかみたいなことって
なんかある種の怖さみたいなものもあって
なんかそれは最終的にはでもなんかその
捨てなきゃいけないな
みたいなこともどっかであって
その狭間で結構多分揺れてましたね

1年間

1年間
でもまあ最終的にはその
教え子たちが背中を押してくれるような形で
辞められたって感じですけどね

なんか経営者っぽいこと言ってるよね

いえいえいえいえ
今は何にも経営してないですから

いやいやでも結構揺れている場合には
決断早いと思いますね

まあ確かに
1年
でも逆にあれ1年だから良かったのかもなと思って
あれで結構本当にじゃあ5年とか3年5年いたら
ちょっと考え方変わってるのかもしれませんね

まあね仕事も慣れてきて
18:01

ちょっとこう活躍できるようになってきて
まあ面白くもなってきて

そうなんですよね

やったんでしょうね
そうですか

まあ若い時だからできるっていうのもあったかもね
そうですね
はい無茶して良かったですね
今思うとね

じゃあ辞めてで塾も辞めたんですか

その
塾に割と専念したんですよね
最初はちょっと
でそれで1個自分の塾を
だいたい1年が1シーズンなんですよ
受験のシーズンなんで
でそれを1年間ぐらいやって
で次に店舗をもう1個店舗を
なんかフランチャーズやってみないかみたいな話になって
2店舗になって
でもなんかその頃からもうちょっと僕はその海外
もともとなんとなくその都城王国みたいなものが
好きというか挑戦してみたいなって思いが
ぽんやりとあって
それで海外に行きたいなと思い始めたんで
別の人にちょっとフランチャーズをお願いして
でモンゴルに
何のつてもなく

道場破りじゃないですか

あそうそうそう

モンゴルって何語

モンゴル語ですね
モンゴル語
モンゴル語って喋れるんですか
いや全然喋れないですね
わかる
僕本当はベトナムに行きたかったんですよ
それもなんとなくイメージでベトナムだったんですけど
でもなんかベトナムから
たまたま僕の司令の旅行会社の人が帰ってきた時で
ベトナムはもうあんまり行っても大丈夫っていう
なんかそのやってる人いっぱいいるから
あなたが行かなくても大丈夫みたいな

その教育を
伝えなきゃいけないみたいな課題があんまりないってことですか

そうでなんかじゃあどこ行ったらいいんですかみたいな
僕本当1日でも早く海外行きたかったんで
そしたらモンゴルがいいよって言われて
でモンゴル行ったんですよ
後々知ったのはその人がただ次旅行先で
モンゴルに行きたかっただけだったんですけど

じゃあミヤさんを訪ねて行けるかなみたいな期待があって

そうそうそう
なんかその次旅行先で行きたい時って
テンション上がるじゃないですか
たぶんその人はバーってモンゴルの話してくれたんですけど
僕はもうそれで行きますみたいになって

まあでもいろいろね
なんかなんていうか牧歌的な国っていうか

そうですねノマド

イメージがありますけどどうだったんですか
行ってなんかできるもんなんですか

あそうでも僕結構なんかアグレッシブだったんで
当時本当すごくなんか本当たまたま行きの飛行機の隣が
日本人だったんですよ
だからもうその人とはめっちゃ話しかけて
とりあえず教育やりたいんですけど
なんかないですかみたいな感じで言ったりして
その人ともなんか後々スリランカで学校を作るみたいなことを
やるようになったんですけど
そうなんかそれはまた別の話なんですけど
それでとりあえずも知り合いもいないんで
あってたまたまその時に
ジャイカの協力隊ってあるじゃないですか
あの協力隊の人たちが
モンゴルの首都ってウランバートルなんですけど
ウランバートルで最後集合研修みたいなのやって
帰るっていうタイミングが僕がちょうど行くタイミングだったんですよ
その人たちに1回聞こうと思って
その別の協力隊で僕は知り合いがいたんで
その協力隊の人経由でその人たちに連絡取ってもらって
でその1回ご飯食べましょうみたいな
それで教育やりたいんですみたいに言ったら
その中の1人がみんな結構言ってたかな
なんかモンゴルで日本人が教育やるんだったら
この学校は絶対見といた方がいいっていう学校があって
それはすごい日本語教育を
21:01

ほんと幼稚園から大学まであるのかな
ずっと一貫してやっていって
っていう本当にで結構壁にこう習字が書いてあったり
あとなんか日本のセイラーフみたいなのが来てるんですよ
っていうなんかそういうジャパナイズされた
もともと日本の大学を出た方が作られた学校だったりして
でそこでとりあえず視察に行ったらいいんじゃないってことで
その協力隊の人がそこの先生をつなげてくれて
じゃあこの先生と連絡取って
日本語できる先生だったんで
今度何日に見に行きますみたいな感じで行って
行ったらそこの先生になりましたね自分が
就職
そこで働いてましたね

あそうですか

それで僕らのとこもともと日本でこういう受験を見てたんだ
みたいな話をしたらその学校の高校3年生
だから結構ほんとずっと日本語学んできた
特に結構ちょっとエリート層の子たちは
日本に留学に行く子が結構多いんですよ
今もいるのかな
その子たちの受験の指導をサポートしてほしいってことで
一応学校の先生って言えば進路指導室の
なんか一担当みたいな感じで
上司日本語話せるモンゴル人の上司みたいな人が
一応いて一緒にやってました

じゃあ日本語で指導してたってこと

日本語ですね
彼ら日本語喋れたんで
進路指導室に受験した子たちが訪ねてきて
なんか新しい使える先生入ったらしいぞみたいな感じで
意外と日本のこといろいろ知ってる
マネーネイルっていうらしいぞみたいな感じで
結構みんな訪ねてきてくれるんですよ
いろいろこういう大学受験したいんだけど
どういうことを気をつけたらいいかとか
あと面接の練習したり
志望理不調検索したりみたいなことをやってました
でそのなんか学校の寮に住まわしてもらいながら
やってましたね

すごいいきなり見つかったんですかそれが

そうですね

国に乗り込んでいって

本当に何にもなく乗り込んでったら

わらしべ長者みたいな2つ目ぐらいで見つかって

よかったですね

何がそれ確認あった様子だと思うんですか

何がよかったかって
どうなんですかね
でもやっぱりなんかそもそもまずその学校自体が
日本語に力を入れたいけど
日本語ネイティブの先生が確かに
2、3人ぐらいしかいなかったんですよ
僕もなんか別に全然交代具じゃなくて
80万トゥグルクって日本円で4万円とかぐらい月で
働いてたんで
それでも別に向こうだと暮らしていけたんですけど
家もあったし
でもそもそもそこに
そのモンゴルのウランバートルに
教育やりたいっていう日本人がいないですよね
そもそも
だからなんか飛び込んだら多分少数になるから
それが大事だったんじゃないですか

貴重な存在

そうそうそう
意外とね

日本一歩出れば意外と貴重な存在だったりするかも
モンゴルってなんていう
日本に対してそういう感じなんですね

日本好きですよ
それこそ朝鮮流とか
相撲もあるし

やっぱりすごい影響大きいですよね
エリートの人が海外留学するとなると
24:02

どういう順位なんですか

アメリカとか
今は多分結構インターナショナルスクールとかできて
アメリカとか行かす子が多いと思うんですけど
そのちょっと前は結構やっぱり日本ブーム

そうなんですね
中国でもなく

日本ですね
やっぱ中国はあんまり関係性が良くないんですよ
モンゴルは

そうなんだ

そうで日本
その前はロシアですね
優秀な人はみんなロシアに行って
ロシア語もできてみたいな

どっちかって中国よりはロシアよりイナーか

ロシアよりですね
ロシアはお兄さんみたいな感じですね

そういう感じなんだ

それも結構国自体は面白くて
もともとロシアをお兄さんみたいな感じで
ちょっと社会主義だったんだけど
途中で90年代民主化するんですよね
モンゴルは
そうするとお兄さんだと思ってたんだけど
国の体制が違くなっちゃって
でもなんか民主化でもロシアはお兄さんだし
民主化のモデルは何を真似たらいいんだろうみたいな感じ
その時に結構日本人が入ってって
割と教育のシステムとか
このようなことがあるみたいですよね
それで割と日本人とか日本式とかに対して
割と好意的だったりするし

じゃあ今もそういう感じで割と新日的な

新日ではあると思いますね
どんな産業があるんですか
いろいろありますね

何でしょうね

なんか馬に乗って走り回ってるイメージが
そうですね
観光業みたいなの結構あるんですよ
それでいわゆる観光発達して

ゲルに泊まって

そうですね
やったり本当にゲルに泊まってみたいな
昔の日本の田舎みたいな生活ですよね
そういうのやったりとか
都市部は結構韓国系の企業とかが
割と参入してるんで

そういうところで働く人もいますし
それはITとかですか

ITとかもありますね

そうなんですね

あと電話とかも結構韓国の会社の
電話通信会社とかが入ってきたりとかするし
あと鉱山とか鉱物とか
ありそう
そういう系
それも結構中国の会社が割と採掘入っちゃったりしてるんですけど
モンゴルで結構そういう採掘系の会社に行ったりとかもしてますね
面白いのなんか
これちょっとモンゴル人に聞いたら
違うってかもしれないですけど
僕が当時いろんな大学生と
割と話してたりしてたんですよ
進路とか将来やりたいことみたいな
みんなエンジニアって言うんですよ
そう日本だと結構ITのエンジニアと
電子のエンジニアと
いろんなエンジニアで別れてるじゃないですか
結構彼ら一緒くたにエンジニアって言うんで
みんなもう右も左もエンジニアなりたいみたいな

そう

感じでしたね

それ何のエンジニアですか

なんか割と本当に電子的なエンジニア
IT系のエンジニアもいれば
もうちょっとこう例えば鉱物とか
そういう系もエンジニアなんですね全部
その

はいはい

そうだからなんか広い

採掘技術とかそういうことですか

そうそうそうそう
そういうので

のエンジニアに

そうだから工学系の人もエンジニアだし
理学系の人もエンジニアだしみたいな

みんなエンジニアって言ってましたね
なるほどね

でもやっぱりそんなにこうなんて言うんですかね
27:01

目立ったものすごいこう世界的にリードできるみたいな
ものは産業はそんなにはないですよね
それもやっぱりすごく
なんか自分も行ってみてそうだったんですよ
感慨深いところがすごくあって
やっぱり彼らもともと
チンギさんの頃から大帝国だったわけで
本当にヨーロッパの端からアジアの端まで
モンゴルみたいな時代があって
それが今ねロシアと中国に挟まれて
人口300万ぐらいの国なんですけど

300万なんだね

はい
ちょっとやっぱり日本人も
日本人なりのアイデンティティが
色々あると思うんですけど
またこう特殊なアイデンティティっていうか
自分たちはチンギさんの子孫であり
もともと大帝国だったんだけど
今はそういう国で
さっきも言った通りロシアと方向性も違くて
国自体じゃあ中国とロシアに挟まれて
どうしようかみたいなところっていうのは
やっぱりなんかすごいこう
あの帝国思いっすらじゃないけど
なんかやっぱり彼らの原動力になってるな
っていうのはすごく思いましたけどね

そうかあんな広いのに300万なんですね

そうなんですよ
だから土地はめっちゃあるんですよ

それは大草原になるわ

そうそうそう
遊牧しても全然足りる

300万ってだって
大阪とかより少ないですよね
ぐらいですかね

そうかそうか

でミヤさんが後々

いや文吾郎俺が育てたんですよって

言うねん

いやいやそんな別に言いたくはないんです
そんな恩恵がましいことは言いたくないんですけど
でもやっぱりなんかその情熱に触れたっていうのは
なんか若い自分にとって大きかったですね
なんかそれ別にいい悪いってよりは
やっぱ社会のなんか
よくも悪くも社会の影響だなと思ったのは
やっぱりこう日本の若者って
そんなになんかなんていうんですか
渇いてないっていうか
頑張りたいんだみたいな人が少ないみたいな
結構言うじゃないですか

なんかみんなこう 生み出されてるみたいな

そうそうそうなんか
なりたい職業第一公務員みたいな
そうでもなんかそれが割と悪いみたいな風潮とか
僕もその自分でやりたいみたいなのあったんで
なんかそう思ってたんですけど
それってある意味こうすごい成熟した国家だなと思って
なんかそれになる過程は
絶対日本もまあそういうことバブルの時とか
なんか俺がやってやるんだみたいなことが
いっぱいあったと思うんですよ
なんかそれを乗り越えて
ある意味みんな今ちょっとそういう渇きから
結構別の渇き
なんか社会を自分が良くしたいとか
なんか本当にZとかミレニアルトの世代
みんなそういうこと言うと思うんですけど
なんかそういうふうに移ってこれてるってのは
ある意味すごい幸せなことだなっていうのを
思いましたね

なるほどね
そのじゃあ学校入ってどうなったんですか

学校で働いてでも受験シーズンが
僕が言ったのが9月10月ぐらいだったんですけど
1月2月ぐらいで終わっちゃうんですよ受験シーズンが
なんで受験シーズンまでは頑張って
でまた結局日本に1回帰国して
で結構モンゴルの生活って大変なんですよ
冬ってマイナス30度とかぐらいになるから

マイナス30

そうそうそうそう

危険ですねだいぶ

そうそうであんまりこう野菜とか取らないんですよ
その肉ちょっと体の作りが違うっていうか
肉食べとけばなんかこう冬はそれがエネルギーになるから
30:02

元気出るよねみたいな
そもそも作るのが難しそうですよね

マイナス30度で野菜とかちょっと

そうねしかも彼ら農耕民族じゃないんで
そうっていうのはあるんですけど
そうだから結構みんなね体調崩すんですよ
冬は日本人が行くと

あそうですか

僕も思いっきり体調崩して
はいっていうのあったりして
で改めてなんかその1回海外に出たからこそ
なんか自分ってこう何がしたいんだろう
みたいなことを考えて
でなんか今までは憧れでその途上国とか
海外のためにみたいなこと思ってたけど
なんか本当になんかこの国のために
この人たちのために
自分ってそういうこうある意味
日本よりも大変な生活をしながら
なんか頑張っていきたいのか
みたいなことを結構自問自答し始めて
でその時にやっぱり
あのまあそうではないっていう
まあ自分の中で結論にはなったんですよね
やっぱり自分は日本で生まれて
まあ日本で生きてきて
でこの日本の中で
なんかもっと頑張れることがあるんじゃないか
っていうことを改めて思って
その後もあのスカイプとか通じて
あのその次の年とかも
いろいろ教えてはいたんですけど
1回ちょっと日本に腰を据えて
もう1回頑張ろうみたいな感じになって
はい戻ってきましたね

いい機会だったですね

そうですね

それはなんか経験できたのは良かったですけどね
なるほど戻ってきましたよ

はい帰国しました

僕も船乗りました
飛行機か

えーじゃあ戻ってきて

戻ってきて
はいでそっからまた
じゃあでもとはいえ
じゃあ自分は日本で何をやるのか
みたいなことを
まあいろいろあの模索しつつ
なんかいろいろそれなりに
こうできそうな事業をやりつつ
みたいなことを
ちょっとちょこちょこやってたんですけど
その時にあのさっき言った
教え子と出会うんですよ
教え子のことをその久々に
あのご飯食べようみたいな時に
彼は彼で
大学行かずに起業した
で彼がまあ大学行かずに起業して
で結構そのしばらく会ってなかったんで
何回もこう会社を作ったものを
何回かピボットしてやってた中で
で僕自身もこう次は何やろうかな
みたいなことで話してる中で
そっからこうキャリア相談
みたいな事業を法人向けに作ろう
みたいな当時そういうアイデアだったんですけど
そういうアイデアの話を聞いて
自分自身もなんかこうある意味教育って言うと
すごいこうまあアンダー20ぐらいの
ものな感じがすると思うんですよね
二十歳以下みたいな感じがすると思うんですけど
なんか教育っていう言葉を大人に当てはめると
キャリアだなと思って
なんか今もまあ理科練と学び直し
みたいなことあると思うんですけど
なんかそのある意味教育とキャリアって
すごいこう一直線上に繋がってるっていうか
だなと思って
なんかその当時その受験で
彼らに教えてたみたいなことは
あの大人が自分の教育とか進路とか転職とか
なんかそういうキャリアに迷った時に
どういう風にしていくかっていうことの
相談に乗る相手っていうことと
33:01

なんかほぼ役割同じなんじゃないかなと思って
僕自身はそうじゃないんですけど
なんかそういう建設的な対話が
いろんなところで生まれるためには
そういうインフラになるシステムが必要だよね
っていうことで
なんかそれをこう
当時結構2Cのそういうサービスあったんですけど
2Bで僕らやってこうっていうことで
その会社にがっつり入って
で一緒にやっていくっていうことになりましたね

じゃあ言っても一貫してますね
その10分で教えて

繋がってますね

次モンゴルで進路指導をやって
それで戻ったら大人の進路指導の
会社に入ったって感じなんですね

ある意味そういう感じ
でも当時本当にその会社もまだ何も
プロダクトもその本当に一番最初の
ベータ版を作り中みたいな感じだったんで
そこからいろいろ一緒にやっていきましたね

その教え子の方とミヤさんと2人

エンジニアが何人かいたので
そのエンジニアの子たちと一緒にやって

ほぼ創業メンバーみたいな感じですか

の一人みたいな感じで
その会社自体の創業メンバーは
何回ピューボーとしてるから別なんですけど

その事業自体の立ち上げ
俺が作ったじゃないですか
いやいや僕はまだ何も作ってないんで

立ち上がったんですか
ですね結局それ自体はサービスも
少しずつグロスしていって
そうですか
メンバーもちょっとずつ増えていって
っていう感じですよ
それが結局後にバイアウトすることになるんですよね
っていうのが去年かな

でもそれまではすごく軸足を据えてやりつつ
じゃあミヤさんも結構ずっとそこ

そうですね最初は結構メインで関わってて
ただそこでもう1回また壁に当たって
それが今まで自分って
いわゆる大企業みたいなとこに最初入って
その後辞めて自分なりにやってきたけど
それでいわゆるスタートアップみたいなことを
挑戦し始めたんですけど
スタートアップの色派も何にも分かんないなと思って
で本当に結構怖いっていうか
自分がこうした方がいいんじゃないっていう風に
会社とか物事が進んでしまうので
変なことを言えないなと思って
で本当にこういう風に事業をグロスさせていくんだとか
そういうことも何にも分からない中で
ある意味すごい自分の足りなさみたいなことも感じて
この事業はこの事業と関わっていくんだけど
1回ちゃんとサービスをグロスさせるとか
スタートアップってこうやってやるんだよねってことを
一方で経験したいなという風に思うようになって
それでさっきのアドレスっていうサブスクの会社に
関わるようになりましたね

じゃあ被ってるんですか

それ被ってますね

キャリアの

被ってます被ってます

そうなんですね
でもあれですねその教え子の方は

何回もフィボットしてたっていう話でしたけど

ついに当たったんですね

そうそれはね結局はい
素晴らしいです

何回目ぐらい
36:00

それは5回目じゃないですか
5回目

どうやって持ったんですかそこまで

でもそれも結構ストーリーがあって
結構そのフィボットする中で
彼自身が本当に自分の生き方とか
なんかキャリアみたいなこととか
本当にこれでよかったのかみたいなこととかを
結構本当にどんどん心がすり減っていって
悩んでいた時に
たまたまその友人がそのキャリア相談の
キャリアコンサルタントって
資格を取ったんですよね
それでとりあえずその資格取りたいだから
壁打ちに参加してくれないみたいな
一生協力してくれないみたいな感じで
ちょっとそのセッションをしたら
割と自分の心が楽になって
これっていろんな人に必要だよね
みたいな感じで
その最後の当たる事業に行き着くわけなんですけど

それ何年ぐらいですか

だってその高校出て18とかで始めたんですよね
2年後とかですかね

でも2年後なんですか

2年3年とかぐらいですかね
2,3年で5回ぐらいピボットして

ついに成長するもの見つけたっていう時に
ちょうど入れたんです

ちょうどその時に一緒にやってて

その方もすごいな

すごいですよね

どうですか

いや本当にすごいと思う

今自分の目に置き換えて

確かにねこれから挑戦しようとして

すごいすごいなって

なんかね
前回飯田さんのラジオ撮ってから
ちょっと変化があったって聞いてますけど

変化
飯田カンパニー

今日は僕の回じゃないんで

また

またにします

謙虚ですね今日は
当たり前っしょ

お互い謙虚で

やっぱり今日はミヤ回だから

いやそうですか
よかった
じゃあ結局ミヤさんが関わってたのは何年ぐらい
そのキャリアの

でもそれは3年
この3月までやったんですけど
3年半やりましたね

でもそんなもんなんですか
はいでもそのそうですね3年半ぐらい
で結構大きくなってるんですか

そうですね今あの上場会社にバイアルとして
結構その上場会社とシナジーがすごくあるので
その上場会社のいろいろネットワークとか
営業のチームとかいろいろ力を借りながら

伸びていっているという感じですね
なんかその創業メンバーの皆さんは
そのまま今もいるんですか
生徒も結構入れ替わって

もうだいぶ入れ替わってますね
もともといたエンジニアの子たちとかは
そのサービスが出た後ぐらいに
普通に就職して

就職

はいまだ学生だったんですよ
学生ですごい技術強かったんで
CTO的にやってたんですけど
その後普通に就職してって感じですね
僕がそのチームの中で一番古い状態だったですけど
この3月いったん僕も辞めたので
いろいろ人が入れ替わってますね

そうですか
楽しかったですか

楽しかったですね
なんか本当にこう一番最初は
本当こう文化祭みたいな雰囲気っていうか
なんかこうインキベートオフィスで
ずっと仕事してたんですけど
本当にもう終電のギリギリまで
みんなでずっと話して
39:01

終電で帰って
また朝行ってみんなで話してみたいな
なんか本当に一つのことを
みんなで作り上げるっていうことは
すごく面白かったですね
ただいろいろ壁に当たって
なんか自分の限界も知れて
なんかこう楽しかった部分もあり
なんか一個成長させてもらった部分も
あるなというふうには思いますね

あんまりでも大変そうじゃない
大変な思いとかはなかったですか

いやいや大変でしたよ
あまりにとこ潤風満帆に聞こえるんですけど
まあそう話すとねそうかもしれないですけど
まあでも本当に結局
ねサービス作るってなると
やっぱりどこまで
最初ちょっとキャリアコンサルタント側の人たちは
結構バーっと伸びたんですけど数字が
まあでもその企業はなかなか
こう導入が進まなかったりとか
あとはそのチーム
まあね1TEAMのメンバーも若いので
チームの中でもまあいろいろあったりとか
結局考えることは本当に山のようにあって
でなんか日々そういうことを
まあ自分もCEOみたいな立場だったんで
会社の中ではこうポジションを取って
いろいろ発言しなきゃいけなかったんですけど
まあでも一方では自分のこう
足りなさもそういう感じるしみたいな中で
なんか振り返ると楽しいですけど
なんか日々の中ではなんかもうもがき
もがいてもがいて
まあしかもねいつ会社のお金消毒するか
わかんないみたいな中で
やってた部分もあったんで

お金はどうしてたんですか

お金は普通に資金調達してやってましたね

VCかなんか

VCも入ってもらって
まあ一番最初はエンジンの人たちとか
でVCも一緒に入ってもらって
やってましたね

じゃあそのずっとピボット繰り返した時も
そういう

あそうですそうです
はい初期のVCがずっと支えてくれて

よく集めましたね最初ね

あそうですね
まあそれも元々あの高校卒業した後に
その子が起業する中で
まあいろいろ人脈を広げて
その中で結構ね彼氏魅力的な人間なんで
割と応援したいみたいな人も集まって
でまたサービスをグロースしてから
また別のあの結構
起業家の方たちがこう出資してくれたりとか

すごいね18歳で会社作るんですって言って
出資したVCさんもすごいですね

すごいですね

すごいですね

でしかもねそう目にちゃんと答えるまで
やり遂げたって本当すごい

すごいですよね

登場人物みんなすごいですね

ねえなんかうまくいきませんでした
てへって言って

てへてへ

終われるじゃないですか

まあまあまあ確かに

てへお金なくしちゃいました

てへって言うんです

ちょっともう若かったんですいませんみたいな感じで

あそうですよね

生産することもできると思うんですけど

やっぱり期待に応えるまでやりにいったってのは
すごいですね
すごいですね

じゃあまあね全体的には結構ハッピーな
バイアウトになったんですか

まあ最終的にバイアウトに行き着けたから
ハッピーって感じですかね
結構途中はあのいろいろ本当どうなるんだろう
みたいなことがあったけど
はい最終的にはまあ
結局ね本当はもっとサービス自体がすごく伸びて
IPOとかを目指せればよかったんですけど
一旦あのバイアウトするって形になって
今もサービスは結局そのバイアウトした後も
伸びてるので
それ自体はいい選択だったと思うんですけど
42:02

ほとんどなくなるんで

スタートアップは

それに比べたらバイアウトしてちゃんと
今も伸びてるなら大成功だと思いますけど
なるほどなるほど
やってますね

でじゃあそれをやりつつアドレスか
アドレスね
またすごい最近の話になってきましたね
なんかようやく
アドレスは
はいなんかスタートアップについて
自分が勉強したいみたいなことを
一つ思ったのと
あと僕昔からその関わりたいサービスって
あんまなかったんですよ
なんかこう新卒の時も
本当入りたい会社が一社もないぐらい
なんか自分が好きなサービス
みたいなことがあんまりなくて
例えばこのアプリケーションがなくなっても
別のアプリケーションで十分だいたいできるよね
みたいなことを考えると
なんかこの世にすごくなくてはならないサービスって
まああんまりないんじゃないかみたいなことを
結構思ってたんですけど
なんか初めてアドレスというサービスに
出会った時に
これめちゃめちゃ面白いなっていうふうに思って
当時そのコロナ禍にちょうどなって
自分がこう家からなかなか出られないような状況もあったので
なんかこういうこう住まいとか暮らしみたいなことを
なんか今までは全然考えなかったんですけど