-
-
近藤淳也
会場も本池中の、今2階の会議室で収録させていただいていて、
はい、大体このラジオはいつも佐藤さんのご自宅でもある本池中で録ってるんですけども
佐藤正子
ケガしていただいております
近藤淳也
そうですかありがとうございます
じゃあ一応ちょっと
佐藤正子
名前な
近藤淳也
簡単な自己紹介をお願いしてもいいですか佐藤さん
佐藤正子
はい
アンノウン別館本館
本館じゃない、間違って
大丈夫ですよ
別館本池中の佐藤正子です
駐輪場探しから
平成23年お茶を辞めて2階の空いてる座敷を
座敷の部屋をオフィスとして使っていただくことになりました
近藤淳也
ちょっとじゃあもう少し会話っぽく聞いてもいいですか
そうですね最初もともと本池中は
アンノウン自体は本館だけで最初話が進んでいて
で駐輪場がなかったので探している中で
佐藤さんのご自宅のその1階の駐車場のところが空いていたので
ちょっと駐輪場で使わせていただけないでしょうか
っていうところからのお話だったんですよね
佐藤正子
でもその時は
あのなんかもう一つ
私もお務めも出ておりましたし
ではっきりなあまり詳しいことがわからなかったんですけれど
あのあののプロジェクトチーム
ねでしょうかねなんかあの近藤さんと
落海さんと菊池さんと仁下さんが何度か家に 4人で家に来てくださって
世間話をしながらコンタクトを取りに来ていただいたように思います。
近藤淳也
最初どんな印象でした?
佐藤正子
いやー、なんでそんな4人もつらってきはる、その意味がちょっと、
おー。
なんかね、その、
うん。
ちょっと私も、
アンノーン自身の店の、
どういう形のものか
いうことも、何もわからないまま、
なんかね、その駐輪場の時に
お声かけていただいて、
ちょっとお二階を見ていただいて、
その時に、
オチウミさんが、
あの、
あの、
こんなお部屋があるんだったら何か利用できることがあったら
いいですねっていうような話から
それでとりあえず
オフィス、民泊、泊まることとかそんなのはちょっと大変だから
そのままで使えるっていうことは
まあオフィスとしてシェアオフィスとして
使う使えるんかなっていうようなことをおっしゃって
近藤淳也
そうですよねはいなんかあの
結構あれですかそれまでもそのこの建物を使わせてくれ
佐藤正子
みたいな話はそうでしたねありましたね
それこそちょっとあのシェアハウスかなシェアハウス
とか、学生さんの下宿でもされたらどうとか、
いろいろな形でちょっと言うては来てくれたんですけれど、
でも、まだそういう気持ちは全然なんとなく起きなくって、
うん、このお店も平成23年頃にちょっと廃業を全国の中をすることになって、
それから、もう全然お二階も使わずに、
まあ10年ぐらいかな、二階もそのまま置いてたんです。
近藤淳也
その割には最初から綺麗でしたけどね。
佐藤正子
うん、だから。
近藤淳也
いつもずっとお掃除されて、
佐藤正子
掃除から2回もほとんど上がってなかったんですけどね。
はい、でも、建物は、
本館の安能さんの建物は、
昔の有格の建物をリノベーションされるような形な建物でしたけど、
私の家は昭和の35年ぐらいでしたかね
この頃に建て替えてお茶屋としての
お部屋の作り方をしてましたから
なんかそのままの形で使えたと思うんです
近藤淳也
本館は100年以上前の建物のままなんで
そうですまあそれって言えば歴史があっていいように聞こえますけど
まあ使うにはねもうほとんど廃墟まではいかないけど中はだいぶボロボロだったんで
まあ本当にもうゼロからリノベーションが必要でしたけど
まあ本意見の中の方はかなり綺麗な状態でね
佐藤正子
なんか結構そのままでねこれやったら使えるからって言って
近藤淳也
はいもう落海さんの最初の声が目に浮かぶようです
佐藤正子
どうですか?
近藤淳也
何ですかこれとか言いそうですよね
ゴチームさん
めちゃくちゃいいじゃないですかとか
佐藤正子
興奮していいそうな様子が見に来ますけど
最初
はい
おかげでねそれが5円で
アンノーン2回使っていただくことになって
近藤淳也
はい
なんかそのそれまでは
その他の誘いっていうのは断られてたというか
見送られてたと思うんですけど
なんでそのアンノーンのプロジェクトは
佐藤正子
認めていただけたと、なんか済んだんですかね。
近藤さんとね、菊池さんたちがこうして足下に何かコンタクトを取るっていうのか、
うちに来ていただいてて、そうしてるうちに、
それでもまだなんかなんでこんなに4人でこんなに人のそういうプロジェクトチームができてるとか、
そういう待ち起こしっていうか
なんかそういう企画っていうか
なんかそういうの全然知らなくって
でなんとなく聞いてるうちに
まあそうして
まあとりあえず丘林場と2階を
そしてお筆でどうでしょうね
っていうところで
まだちゃんと決まってもいなかった
それでなんとなく人柄じゃないですけどお互いに
こう信頼関係を作るために
なんかこうコンタクトを取ってくれてはいはいはいなるほど
でまあそうしてるうちにそうしてるうちにね
あのあのあのさんがね別館として
あのオフィスであの佐藤さん使わせていただきます
ショーですって言うていただいて
んで空空いてるよりも少しでも私も助けにもなりますので
ありがたいですって言って
ぜひよろしくお願いしますっていうことで
でもうご縁いただいたんですありがとうございます
近藤淳也
本当に嬉しかったです
多分最初は何するんやろうっていうのはちょっとあったんじゃないかと思うんですけど
実際はゲストハウスとかコワーキングって言っても
なんなんやろうみたいなのがちょっとあったと思うんですけどどうでした実際で来てみて
佐藤正子
本館の方ももね元々本館のオーナーさんとは私もずっと昔から
すごく親しくしてまして
そういうご縁もあったんでしょうか
お孫さんがちょうどもう今おじいちゃんおばあちゃんも亡くなられて
あのお孫さんが落ち海先生とちょうどそのね
なんか丘林の話があって
近藤淳也
でまぁ落ち海先生になってるんですねもう先生なんですね今
落ち海さんのこと全然いいんですけど先生
佐藤正子
落ち海さんはいはいはいはいで
そんな感じでねあのご一緒においでなって
だから本当にあのまああの何かやっぱりなんか縁があったんでしょうね
いっぱい界隈全部お家はずっとそこそこね空いてるとこもあるんですけど
でもまああのちょうど距離的にもね2,3件ちょっと下でしたし
でそのやっぱ前の前のおじいちゃんおばあちゃん
まあ私親しくしてましたんですけど
なんかもういつも私の家にもちょっと来たりしてくれてありましたんで
私もちょっとお世話に行ったりしてましたし
だからなんかやっぱそういうのも不思議に
やっぱ安能さんのね
のお店とつながっちゃったんか
つながったんだろうかなと思ったりして
近藤淳也
元々お付き合いがあった感じなんですね
佐藤正子
そうなんですよで
佐藤正子
でそういうシステムの中で
まあ、楽しくまあ、シャミセンとか、歌遊びとか、
まあ、今のあの人はこういう遊びがない、 なかなかできないんでしょうけど、
サラリーマンの方でも、あのまあ、 二次会とかで、あの結構4、5人とか5、6人で、
はい、あの来ていただいて、で、散財遊びって言うんだけどね。
近藤淳也
散財遊び?
佐藤正子
散財って言うんですね。
でまあ、お金をふっぱっとつかぶっていうことなんでしょうけどね。
で、ゲコさんに呼んでシャミセンとかね。
で、まあ色々とそういうお遊びする。
で、そういうおもてなしを受けてね。
で、受けて結構時代も今と時代が違うんですけど、
もうその頃は結構もうそういう男さんの、そういう方がどんどんどんどんこう、どのお店もね結構ありましたけど、
もう結構お客さんありましたのでね。
はい、華やいでましたよ。
またお一人でお忍びで癒されに来ていただくところでもあり、まさに歴史のある五丈楽園でした。
そうですよね。それが本当に五丈楽園の前世紀というか、かつての様子だったんですね。
近藤淳也
佐藤さんは元々はこの地区のご出身ではないんですよね。
佐藤正子
そうなんですよ。
近藤淳也
元々はどちらですか?
佐藤正子
元々は島根の出雲なんですけれど、
看護師になるために京都の方に行きまして、
それからずっと京都の方でおりまして、ちょっとご縁があって、
でまあ初心も一人っ子でしたので
でもう最初から一緒に住む
まあ昔のことですから
まあ一緒に住んで
一緒に住んでくださいというような感じで
それでまあ結構普通の
あのなんでかな
家とは違うんで
私も結構あの大変な思いはしましたけど
近藤淳也
それはその出会った時からわかってたんですか
佐藤正子
そういうお商売やられてるんですね
それがねやっぱし私も田舎の人間ですし
最初はここがそういうね
こう街でそういうお商売っていうその意味もわからなく
近藤淳也
はいはいどの辺でわかったんですか
佐藤正子
もうね最初の頃私もあのちょっと離れがありまして
あのこの今のねあの使っていただいてるオフィスで使っているところの方の
ちょっと庭があってその離れにまあ30坪ぐらいの家がありましたので
そちらの方でまあ主人もお勤めに出ておりましたし
もうこっちとあまりそういうのにタッチせずに
あのちょっと私もお勤めしたりしてたんですけれど。
近藤淳也
看護師をされてたんですね。
佐藤正子
そうしてるうちにでもね、結構中井さんって言うて、おばちゃんもいてくれたんですけれど、
まあそうして今の散財とかそういうことになると、
結構ね、飲み物のビールやらお酒やらをどんどん持ってお出ししてないかなんで、
時たま手伝ったり、だんだんするようになって、
はい、ほんで、なんか面白い、違う世界のものを見て。
近藤淳也
ちょっと待ってください。
じゃあ、結婚されて、
とつがれるまで、どういうお商売か、あんまり分かってなかったってことですか?
佐藤正子
あんまりね、その…
そうなんですか?
離れ住んでても最初は分からなかったってことですか?
その深くは、そういう街だ、いうことは大体分かる。
最初からちょっとは普通の私、仕事屋さんっていうか
普通のサラリーマンのうちとかそういうのとは違う。
近藤淳也
それ見たらね、わかりますね。
佐藤正子
花、花町のっていうか、なんかね、ちょっとね、
それはちょっとあるなとは思ってたんですけど、
でも、深くそういうことがどういうお仕事で、
どんなんでっていうことはあまり深くちょっとわからなくて
近藤淳也
そうなんですか。何年目ぐらいにだんだんわかったんですか。
佐藤正子
だからまあそうですね。
やっぱりまあ1年目ぐらいやったらまだ新婚ですから
あまりこっちのことにもタッチもせずに自分たちの
3年2年3年してるうちにその頃がね結構本当に
店も皆お客さんも結構繁盛してたような気がするんですよどこのお店もね
だから結構入れ替わり立ち替わり結構お客さんも入れやったんで
結構ちょっと手伝ってっていうような感じになって
じゃあ手伝うようになって何を見たんですか
日本だからあの細かいそのこの個別の一応座敷で個別のあの部屋もありますし
の散在するような部屋もありますしんでまぁお人お一人でお見えになった時などは
ゲコさんを呼びになってんでおビールとかあのお飲み物取ってもらったり
まあまあね、そんな形で二人の時もありますし
だけどそれから酒、そのね、なんか深くあまり
どういう、ただお酒とかおビールとかね、飲んで
芸子さんと楽しくその時間を過ごしになって
お時間、花台の時間花みたいになってましたから
もうその時間になったら帰っていかはる?
ような感じでしたんで
近藤淳也
そうなんですか
佐藤正子
うーん
だからなんかそんなに深く
まあ若かったからそれを
どういうあれなんでどうっていうのも
そこで本当に今から思うとあんまりわからなかったですね
近藤淳也
そうなんですか
僕ちょっと今聞いて初めて知ったんですけど
逆にそのお一人じゃない
佐藤正子
宴会みたいなのも結構あったんですよね
そうそうそうそれがこの部屋なんですかそうそうそうここをねはいはい
そこなんですね
もうみないろいろ役所の方とかいろいろな方たち結構ね
あのまあ帰るどっかでさあのこう
宴会があった宴会があった帰りには必ず寄っていただいて
もう終電に間に合わなくなったりして
U-GRAIMでここでね、もう本当にもう、バカしちゃいました。
近藤淳也
もう朝まで寝てるとかもあったんですか?
佐藤正子
いやいや、それはないんですけど、だから、
もう帰れなくなって、どうしようって、
ここでごろ寝させてもらって、
近藤淳也
朝ここから出勤しようかとか言って、
佐藤正子
そういうこともあったんです。
近藤淳也
お座敷なんでね、なんかもうそのまま、
佐藤正子
そのまま、そうそうそう。
近藤淳也
そうですか。なんかちょっとすみません、僕はわかってなかったのは、そういう個人のお客さんだけだと思ってたんですけど。
佐藤正子
いやいやいや、もうその頃は、そのために、それはもう昔の遊楽の形だったんでしょうけど、
お茶屋になってから芸妓町になりましたから、だからやっぱしね、
シャミセンとか踊りとかそういうものを
今の五丈海下のカブレン場あそこでみんなお稽古してましたんでね
だから結構シャミセンとかでね
いろいろなお遊びしてましたね
近藤淳也
なるほどその佐藤さんのところがお茶屋さんってことですよね
その稽古さんはじゃあ置き屋さんから呼ぶ形ですよね
佐藤正子
昔の遊客はそのお家に、働く女の方がおいでやったと思うんですけど、
今の遊客さん、それはもう亡くなって、
それが昭和の33年ぐらいで亡くなったと思うんですよ。
それからお茶屋っていう、だから今京都でもね、
日本の神戸と大通部とか宮川町とか上司県とかポント町とか
そこらもみんなお茶屋ですよね
だから稽古町ですよね花町ですよね
佐藤正子
まあそれの一件として
だからあの五条のここできるときも宮川町さんと一緒に
なんかあのこうそういうふうになったようなことができましたよ
近藤淳也
はいはいちなみにその宴会の時はお料理はどうされてたんですか
佐藤正子
お料理はここらへんもね料理屋さんとか結構あのお寿司屋さんとか
近藤淳也
この界隈にあったんですよ
しだしで
佐藤正子
しだしではいはいだからあのみんなしだし屋さんとかが結構この五条のこの
この平井町でも結構フグ屋さんとかねちょっとしたねそういうなとこもありましたね
だから本当いろんな業種の人が結構はい
それに携わってちょっとねそういうお店だからお寿司屋さんもありましたし
近藤淳也
ちょっとしたし出し屋さんみたいなっていうかちょっとねお料理なんですね
佐藤正子
いやちょっと見てみたいわ
で料理をとってねだいぶ華やかだったんでしょうね本当にそれは本当にね
私も最初の頃ねその意味のわからずに
おもし楽しいじゃないの!お酒が入ってますし
毎晩なんか賑やかですね
私なんかちょっとまだ若かったですし
置いたらもう上がってきて上がってきてとか言われて
近藤淳也
お雑誌で出たんですかそれで
佐藤正子
お雑誌の方でね同じようにちょっとね
本当にその中にくわらくわらしてもらって
そうですか
なんか楽しく
私もあのね、男さんとかまあね、別に女の人も来れないことを花台で来れる場所なんで
でしたんですけれど、まあね。
近藤淳也
いやー面白い。
いやその今ね、その残ってるお茶屋さんだと
こう2階の日差しのところにこう蝶鎮の形の
まあライトっていうかついてますね。
佐藤正子
蝶鎮が五条会館の五条楽園としてお茶屋さんを
お店をしてますっていう感じでおちょうちんをつけて
だから結構風情がありましたし
近藤淳也
あれがずっと並んでた感じなんですか
佐藤正子
ずっと並んでたんですよ
夜来たら
だから独特というかね
あのちょっと独特で普通自動車とかそんなあまり通らないような感じで
で結構あの人が結構ちょっとあの賑わってましたね
近藤淳也
見てみたかったなあ
佐藤正子
結構酔っぱらった人もいっぱいおりましたしね
今の年中人たちは酔っぱらったりして歩いてると少ないですけど
昔はもうとことん酢いも酔いつぶるまで飲んでありましたか
近藤淳也
まあねそういう時代でしたよね
その本がつくのは池中が一時期増えたのですか
佐藤正子
そうそうそう3原あって
3原まで
あのとこが本家でだから本池中で
で支店ができまして支店があって
んで今度は新池中っていうのもまたでちょっと3件あったんですよ
それは佐藤さんがで私の子が本気本意もともと
おじいちゃんとかね主人の両親がちょっとしておりましたからね
近藤淳也
じゃあその親御さんがされて親御さん代の時に3つに増えたってことですか
佐藤正子
その時そうそうそうそうなんですね
そのそうですね、その時はもう3件ともお商売しておりました。
近藤淳也
その残りの2件って今どうなってるんですか?
佐藤正子
ん?
近藤淳也
残りの2件、他の2件は今どうなってるんですか?
佐藤正子
もう今はもうみんな誰もいなくなっちゃって。
近藤淳也
はいはい。建物はあるんですか?
佐藤正子
建物もみんなもう今、もうなんかもう家もそこに住んでないんで。
で、1件はまだちょっと家が残ってますけど。
一応お茶屋さんの建物で。
今ちょっと病気でずっと入院したりしてて
ちょっと空き家みたいな感じでずっと置いてあるんですけど
近藤淳也
なるほどなるほど
佐藤正子
はぁちょっとまあ本当今のね様子からはなかなか想像がつかないぐらいの時代だったと思うんですけど
そうなんですよでもまあ最初の頃ね私もあの
佐藤正子
看護師で働いていた方々をして
ちょっとずつお手伝いしたりしたりして
そのうちに主人が亡くなった頃は
もうここら辺のお茶屋さんの
やっぱりおじいちゃんのお年寄りの人が
皆亡くなっていって
だんだんする店も少なくなって
もうそうですね
ちょうど主人が平成14年ぐらい
近藤淳也
なくなったんですけどはいあのもう20年前ぐらいになる 20年前ですね
佐藤正子
もうその頃にはね本当にその50件ぐらいあって まあその頃ぐらいあったお茶屋さんがもう
近藤淳也
20件ぐらいなったんかな そうなんですかそれはなんで減ったんですか
佐藤正子
でもう随分少なくなったんででまぁあの組合でやっておりましたので
あのまあねあの私の子もそのままのあのお店は残ってましたので
なんかさあのぜひ私にもちょっとお商売ねしてほしいようにまあちょっと言っていただきましたので
でもう看護師をそれの時に辞めて
これでまああのここでお茶をね
ちょうど10年あまり私がお上として
近藤淳也
そうですよね
佐藤正子
はいでここらへんはみんなね
お母さんお母さんって呼ぶんですよね
あのはい
だからゲイコさんが
あのねあのこう
お上さん呼ぶときもお母さんで
またあのおきやさんとかお茶屋さん同士で
あのこうお互いにそういう時に
お互いにお母さんお母さんってそうして呼ばれて
呼んでそういうどこの多分花町の人たちはみんなそうじゃないかと思うんですけどね
近藤淳也
お母さんって呼ばれるような
佐藤正子
だからお客さんからはお神さんとか
お母さんとかはい
まあ最初の頃ちょっと抵抗があったんですけどね
でもいつも看護師の方ではお大事にって言ってますやんか。
もしたらね、急に自分がこのショベルになったら、
あの、ありがとうございましたって言わんなんのに、
帰らはるときに時たもお大事にって。
近藤淳也
(笑)
でもまぁ、あるい…
佐藤正子
あるいって言って、自分も思いながらね、
だからなかなか最初はなかなかそこまでちょっと板につかない状態でしたけど
まあでもそうしてるうちに
お客さんも私の中も馴染みさんっていうのが長くちょっと間が空いてたもんですからね
ほとんどなかったんですけど
でも何かあの私がお店をうまくして
このお店を営業するようになってから
まあ結構あのお客さんがお馴染みさんになっていただいて
はいすごいあの
本当に助けていただいたんですけどねお客さん
近藤淳也
いやいやそれはもう佐藤さんの人格
いやいやお神さんの力ですよね
佐藤正子
いやいやまあねあのどういうの私が素人なもんやから
まああの本当にもう真心で気張ったお客さん一人ずつを大事にして
はいでまぁ今のおもてなしじゃないですけれど
要素と同じことをしてたらやっぱりね
ちょっとでもなんかそういうこと
食らうものの一つでもちょっと余分に出してあげたりとか
まあ色々とそれなりにちょっと自分の気持ちの中で
差してもらったりしてるうちに
やっぱりお客さんも何となくね
あそこのお店行ったらまあねあのまあまあ
いろいろと心のこもったものをね
ちょこっとこう気遣いに出していただいたりするし
佐藤正子
だからまあ私なんかも本当に真面目にもう真心もってお客さんにねもう決まった料金でいただいて
ちゃんとしとりましたしねだからまあ反対に安心感のさっきも来てもらったんじゃないでしょうか
近藤淳也
佐藤さんのところは安心ですよね。
佐藤正子
だけど他の人もまあね、そんなにいたごへんありますけどね。
だからなんかね、そういう意味で結構お客さんがね、
私のお店も結構たくさん来ていただくようになって。
近藤淳也
なるほど。なんか佐藤さんのもう一個、
結構目聞き力が割と効いてたっていう話も聞いたことがあるんですけど
男性の方と芸語さんとのマッチングと言いますか
佐藤正子
そうそうそう結局呼ぶ時にはお客さんを見てどの子を呼ぼうかなって
それはお茶屋さんのお神さんの言で呼ぶんで
お客さんが指名される場合もある
どういう形のどんな方がいい細い人がいいですかとか色々そういう形でね
で、だいたいそういうのんで、この人だったらあの下子さんがいいんじゃないかなとか
それはもう、それが私たちの仕事でした。
近藤淳也
そうなんですか。
佐藤正子
おかみの仕事でした。
近藤淳也
お客さんは自分では指名しないんですか?
佐藤正子
で、それは最初はわかりませんやんか。
初めて気合った時は。
それですごくピタッと気に入られたら、もう足逆着ていただいてましたし。
なるほどなるほど。
近藤淳也
そこは結構自信があったというか佐藤さんとしては割と高いマッチ率だったんですかね
佐藤正子
いやいやなんかねそういうことを昔仕事のようにして
まああの男さんと女子さんのそういうのをちょっと見させてもらってたから
だからなんとなく近藤さんでも結構ねちょうどその頃に
ねえ佐藤さん佐藤さん言ったらあの僕の彼女ができたらちょっと見てもらいます
近藤淳也
あの人連れてきますとかって言ってたじゃないの相談してましたね
佐藤正子
ねえもう西田さんだっちゃってもし彼氏ができたらねあの佐藤さんまた
近藤淳也
みんなね恋愛相談をしにくいって
佐藤正子
そうそうそうでみんなねでみんな連れ結構ねあのちゃんとあのもうね
近藤淳也
つれてまあねお母さん実はこの方とこうなんですあれそうなんていうような感じで昔から
佐藤正子
いやいやあの近藤さんたちもそうじゃん
近藤さんでも今度さらにこんだけねたくさん色々な女性の方にもっててはるんですけど
その中でもね佐藤さんちょっと高校でね恋愛の話とかはねちょっとねなんかすごくこう
あの、なんちゃう、息子のようにちょっと言ってくださったりして
いやー、なんかもう本当に新鮮な感じで
すごく嬉しかったです。
そうですか。
近藤さんってすごい人じゃないですか。
それでも私も知らなかった。何にも知らなかったんで。
でも本当になんか素朴でね、もうなんかすごく人柄にもすごく
私も近藤さんにもね、ずいぶん世話になりましたし
もう本当にここをするきっかけにもなりましたんで
近藤淳也
はいでもそのはいあれですね
人の愛想を見るのはもうそれだけ培ってきた過去の
過去の経験が生きているわけですね
まあねその前のその看護師の経験とかも生きてるんですか
佐藤正子
それは関係ないというのはね結局看護師してるっていうのは
人としてねあの人と人の関わり合いですよね
おいたらわりにその人見知りをしない。
結構いろんな方とも常に接触してましたから。
だからお客さんがお目にあっても、
ちょっとそんなちょっと可難人もありませんか。
そんな初めての人に喋ったりとか。
けどその点はやっぱりね、看護師してたから。
お客さんの知らない人が来てももうすっと普通に話ができましたね。
近藤淳也
はいはいはい。
佐藤正子
だからそれは少しちょっとね、あれかな。
まあそれと、男の人と女の人の裏とか表のね、世界とかね。
佐藤正子
まあこういうお店をしてるうちに
まあ自分で普通の人だったら経験できないような
世界というか
んでまあ何が元原点は何ですかっていう感じね
そうでしょ
なんで何立ってるんですかっていうようなとこもありますよね
そういったらまあ元ね
やっぱなんていうか
女性と男の人と女の人がいないと
全てのものがそれが原点ですよね
近藤淳也
まあ男女がくっつくから
佐藤正子
人気が生まれてくるその本能っていうか
まあそういうねおもてなしの
心とか
からまあいろいろな人間模様やね
そういうのはねすごくこのお商売
ちょっとさせてもらって
でまぁ私の人生の中でね
まあ普通の人が経験できないこと
さしねそうこういう世界のことを少し
手伝わらせてもらったということはね
まあそれなりのまた糧になったかなと思いますし
はいはいまあ
そんな感じでね
なるほど
近藤淳也
いやーなんか貴重な経験を本当にされていて
お話も貴重で
佐藤正子
それは今度さんがそのお茶屋さんの
僕もあんまりこういうとこのことをあまり知らなかったんで
どういうとこだったんですかみたいなことってお聞きになってらしたから
なんか私も昔の古いことはわからないですけど
でも私がここでお商売ちょっと10年間でもした間の感じのことは
なんか伝えられるかなと思ったりして
本当貴重で
なんかしょうもないことですけど
近藤淳也
いやいやそんなことないです
なんかね、御城楽園って名前はねちょっと残ってるというか
それぐらいはたまに今でも見ることあるかもしれないですけど
ですけど結局本当にどういうお店があってとかっていうのを本当に知ってる人がどんどん減ってきてると思うんで
佐藤正子
特に今の若い人知らないんでね今の平成生まれの人とか
そういうことを話してもね現実全然わからないと思うんですよ
近藤淳也
あと本当今インターネットに何でも載ってるようでいて意外とそういうことって全然ちゃんと見えるとこにいらなかったりもするんで
佐藤正子
そうねやっぱしねまあ本音と建前もありますのでねはいはいはいだからねそういうのは
まあねまあ私もいらんこと結構喋ってたかもわからないですけど
近藤淳也
いやいやいやもうあのなんか逆にはい貴重な情報だと思うんで
貴重な本当にあのねことだと思うんで
佐藤正子
いやいやいやまあねそこらへんでちょっとね
あのまあ私もあの人様との関わり合い人と人との繋がりで
やっぱしそこから生まれてくるものもありますし
やっぱり人を大事にしていくということ
やっぱりできることはさしても自分でできることはさせていただいて
まあ喜んでいただけることはね
やっぱり与えていくいうことそれは大事かなと思いますので
やっぱそれは心は通じますのでね
だからあの人ってみんな
いい人とか悪い人とか言いますけど元はみんないい人なんですからね
だからまあねそういうところで
いろいろな人とね
職種まあお客さんって色々ねどんなのいろんな方がおいでなんで
はいもうそれはずいぶん勉強させていただきましたね反対にねはい
近藤淳也
ちなみにちょっとこれ聞いていいかどうかわからないですけど
五条楽園はなんで終わっちゃったんですか
佐藤正子
うーんそれがねまああのあまり一般的にね
普通一般にこれここの中にある人たちもあるでしょうけど
まあいろいろな一応してはならないこと
そういう法律上のことありませんか
まああの呼び込みをしたら
いかんとか今でもありますやんか
やっぱまあそういうちょっとそういうことをしたお店があったんですよ
それでちょっと撤発されて
それでここを廃止になっちゃったんですよ
だからやっぱりね
守ることはきちっと守らないと
一見でもというのは組合でしてましたから
個人やったそこだけでいいんですけど
佐藤正子
5組もあるんですか?
いやでしょう、だからね、やっぱこの、ね、アンノーンの、
近藤淳也
やっぱ五丈楽園パワーかもしれないですよ、これは。
佐藤正子
だからそういうね、あの、癒されて、
何かそういう雰囲気なものが芽生えるのかもわかりますよね。
近藤淳也
佐藤さんはなんかそのキューピッド役はしたんですか、なんか。
こう二人が近づくきっかけとか。
佐藤正子
特にしたわけじゃないですけど、一組の人は、
面談で社員、入られた方が社長が面接して、
そのうちになんとなく、私も2回上がって時にね、
ちょこちょこお話したりしてるうちに、
何かそういう出来てるんかな、というようなものを感じながら。
あそうですかそれはその本人たちが言う前にもう感じてました感じましたはい
でもねちょっと電話やらあの携帯でパンと外へ出られて いたしばらくしたらまたね
女性の方がバーっと出て行ったりして
そういうのを見てるんですね
なんとなく感覚的にね
なんかあるんじゃないかなって思ったり
なんかやっぱ感でわかりますもんね
近藤淳也
ああそうですかさすが鋭いですね
僕は全く気づいてなかったです
佐藤正子
わからないそうですか
近藤淳也
なんならお付き合いしてるって聞く直前に
あの方どうなんですかみたいなことで
佐藤正子
言うの?
近藤淳也
なんかあのとかないんですかみたいなことを言ってたぐらい
なんで全く気づいてなかったです
佐藤正子
そうなぁ
近藤淳也
いやさすが
佐藤正子
いやでもねまあまあ
あのみんな第一回目のエンジョイワークスのね
あの福田さんも初めね
みんなあのねこう携わってくださっている人たちも
みんなあのお人柄でね
もうとっても言い方ばかりでね
本当に私もお力もいただいて
まあこうして親しんでいただけてるっていうのは
本当に感謝で
もう感謝しかもう塗り替えることありませんね
こちらこそ感謝でいっぱいです
本当にありがたく本当にいつもはい
近藤淳也
最近はねなんかあのオフィス
シェアオフィスとして始まりましたけど
まあちょっとオフィス利用も減ったんで
まあマンスリーで滞在される方もはいはじめねなんか今そっちが人気で
佐藤正子
いやでもねそれもねそうですね人気っていうかあの結構ね
この前も入って帰ってあのこれ貼って帰られたの出張った女の子もね
あのとってもあのねこういうあの雰囲気のいいとこで
あのこうすっす、ちょっとすまん、2ヶ月間ね
滞在させてもらったんやけど、本当によかったですって言ってね
ちゃんとお手紙書いて
近藤淳也
そうですか
佐藤正子
はい、触れはりましたんで、もう嬉しいじゃないですか
近藤淳也
もうそれは滞在する方はね
佐藤さんみたいな方がいたら本当に安心だと思うんで
佐藤正子
いやいやもうあまりね
近藤淳也
だいぶ心強かったんじゃないですか
佐藤正子
いやでもね、もう今はねちょっとね
あまり2階の方に上がっていくのも 仕事の邪魔にもなるしね
近藤淳也
そんな気を使われてるんですか
佐藤正子
いやそれとコロナ禍でもあるのでね
ちょっとあまりと思いながら ちょっと遠慮はしてるんですけれど
でもなんかねみんなね
いい人にがみんなこう縁になるみたいで
まあそれは不思議とねありがたいなと思うんです
近藤淳也
本当言い方が多いですよね
佐藤正子
そうですね
でもこの人はっていうなこと全然なくね本当に本館のね
あのやっぱしあの近藤さんたちのね
やっぱり人脈の中からね
まあいろいろな語源ができてくるんだろうと思うんですけど
まあ本当にもうあの福田さんでも結構ね
あの心が大きいじゃないですか
そうですね
近藤淳也
いつもね福田さん来るとなんかタイミングがあって佐藤さんと一緒になりますよね
佐藤正子
そうなんよなんか相性もあるみたいでね
もうなんかね結構私好きなんですよ
好きですかもうはっきり言っちゃいましたね
そういう変な意味じゃなくてねだからなんかもう福田さんもいやーっていう感じだ
私もねなんかねそういう波動的にねなんかピタッとああああああなんかこう気持ち的にね
だからそういうのもすごく嬉しいですしね。
もう皆さんね、本当に私は歳いっておりますのでね。
まあもうね、この前も近藤さんじゃないけど
抱き合ってじゃなかったじゃないのって言ってありましたけど
まあこの歳ですからもうみんな許されるじゃないか。
若い人やったらね、ちょっとね問題になりますけどね。
もう全然大丈夫です。
だから本当にみんながね、かわいがっていただくっていうか、本当にね、ありがたいです。
いやー、こちらこそ、本当にありがとうございます。
本当に嬉しいですよ、こうしてご縁ができたっていうのはもうね、
これどこでもできるもんじゃないんでね。
本当にね、出会いがあってこそですもんね。
そうなんです。
私はまた立派な若い方たちばかりがこうしてね
接していただいてるんで
もう少しはね私もなんか
若返られるっていうか
少しは力になってますか
近藤淳也
力になってるんですよすごく
佐藤正子
それは嬉しいですけど
近藤淳也
なんかあの今後のことってありますか
佐藤さんは
佐藤正子
今後っていうかね、まあ結局はこういう全てですけど、人と人の
縁から始まって、
近藤淳也
いつもなんか幸せとか言う。
ライブラジオ聞いていただいてるんですね。
佐藤正子
言ってはるけど、
まあ私はまあまあ、普通
あの幸せとなんですかって聞かれたら 普通あの健康でありたいとかお金がたくさんね
お金が欲しいとかまあみんなそういうことを言いますやんか だけどもちろんそうなんですけど
近藤淳也
もうすべていいことも悪いことも 感謝
佐藤正子
かなってその気持ちを忘れずに
日々私は暮らしてるんです
近藤淳也
なるほど
佐藤正子
それしかもう全てのことに感謝ですね
はい
近藤淳也
いやー深い
佐藤正子
だってそうじゃない
もうね
健康でありたいとかね
それこそお金もちろん欲しいですけど
それよりも何よりも全てのこと
お金のこと、お金でも健康でも 今があるっていうことは、
やっぱ感謝ですよ。
なるほど。
だから、感謝。
近藤淳也
なんか、具体的にこう、日課にされたりしてるんですか?
なんか、わかんないですけど、感謝する時間があるとか。
佐藤正子
え?
もう、常にそういう気持ちでいるっていう感じですかね。
悪いことを、ちょっと例えば、体が悪くなったりしても、
あ、これがあって、無理はしちゃダメだよっていうようなふうに
そこで気づかされることあるじゃないの。
ね。そことん、それを無理してまだまだって思って頑張る頑張るとしてたりすると
また取り返しつかんこともあるから
だからまあ、いろいろなことも起きるけど
もうね、それをまあ、良いことも悪いことも良し。
それでよかったって、あとからそういうふうに思うように。
なるほど。
近藤淳也
じゃあ、病気になっても、そういうふうに感謝できるっていう。
佐藤正子
それで気づかされることがあるじゃない。
また人の痛みもわかるし、自分が経験せんとわからないことだしね。
なるほど。
いやいやいや、もうなんか私はちょっとね、肩苦しもね、
元々ね結構私ねマジマジマジメって言うとはおかしいんですけど
マジメだと思いますよ
だから皆さん肩暮らしいんじゃないかなと思うんですけど
近藤淳也
いやいやいやいやもうあのすごく
佐藤正子
だけど結構乗ったりしますけどね
近藤淳也
乗る?乗るっていうのは?
佐藤正子
乗るっていうのが雰囲気の中で結構はしゃいだり