1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #07 看護師として京都に来て、..

UNKNOWN KYOTOの別館 本池中の大家さんであり、昭和の時代から五條楽園エリアを知る佐藤正子さん。元々は看護師として京都に来ましたが、紆余曲折をを経て「女将」としてお茶屋を切り盛りすることに。かつての花街としての雰囲気や、佐藤さんが結婚されてすぐの頃のお話、施設を経営するうえで大切にしていたことなどを伺いました。


【ホスト】
近藤淳也
株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。
2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。
https://ond-inc.com/


【UNKNOWN KYOTOについて】
築100年を超える元遊郭建築を改装し、仕事もできて暮らせる宿に。コワーキングやオフィスを併設することで、宿泊として来られる方と京都を拠点に働く方が交わる場所になっています。
1泊の観光目的の利用だけではなく、3泊〜1ヶ月以上の長期滞在される方にも好評いただいています。
web: https://unknown.kyoto/


【おたより募集中】
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サマリー

今回のエピソードでは、佐藤正子さんはアンノウン本池中の住人として、アンノウンラジオに出演いただいております。彼女はアンノウン本池中の2階を創業時から利用しており、本池中との縁を感じられているようです。佐藤さんは看護師として京都に来て、「お茶屋」の女将になられたエピソードについて語られています。このエピソードでは、看護師として京都に来て、「お茶屋」の女将になった佐藤さんのお話をご紹介しております。佐藤さんは看護師として京都に来て、「お茶屋」の女将となられました。お茶屋での経験は彼女にとってとても貴重であり、多くのことを人間模様や人との関わりを通じて学ばれたとおっしゃっております。京都で看護師として働かれていた佐藤さんが、かつてのお茶屋の女将となられました。佐藤さんは75歳で現役の看護師としてご活躍いただいており、その間に二組のカップルが誕生し、結婚に至ったという素敵な出来事もございました。看護師として京都に来られた佐藤正子さんは、かつての「お茶屋」の女将としてご活躍いただくために、オフィスの募集も行っております。

アンノウン本池中での出会い
近藤淳也
こんにちはアンノウンラジオです
今回はアンノウン本池中の佐藤正子さん
大家さんである佐藤正子さんにお越しいただきました
佐藤正子
こんにちはこんにちは
近藤淳也
はいはいえっと本池中の1階にお住まいなんですよね
そうですねはいで2階をアンノウンで今のシェアオフィスとか
はいマンスリーで使わせていただいていて
という形でもう創業の当初からお世話になっています
佐藤正子
はいこちらこそお世話になっております
近藤淳也
あの是非あのちょっとアンノウンラジオに出てくださいということで
あのお願いをしていてついに
佐藤正子
いやもうね、おこがましくって、ちょっとこう、
固くなるかもわからないんで、
ちょっと聞きづらいかもわからないんで、どうかな。
もうちょっと、感認してくださいって言ってたんですけれど。
近藤淳也
いやもう、そこをね、どうしてもということで、
お越しいただきました。ありがとうございます。
佐藤正子
こちらこそ。
アンノウン本池中との関係
近藤淳也
会場も本池中の、今2階の会議室で収録させていただいていて、
はい、大体このラジオはいつも佐藤さんのご自宅でもある本池中で録ってるんですけども
佐藤正子
ケガしていただいております
近藤淳也
そうですかありがとうございます
じゃあ一応ちょっと
佐藤正子
名前な
近藤淳也
簡単な自己紹介をお願いしてもいいですか佐藤さん
佐藤正子
はい
アンノウン別館本館
本館じゃない、間違って
大丈夫ですよ
別館本池中の佐藤正子です
駐輪場探しから
平成23年お茶を辞めて2階の空いてる座敷を
座敷の部屋をオフィスとして使っていただくことになりました
近藤淳也
ちょっとじゃあもう少し会話っぽく聞いてもいいですか
そうですね最初もともと本池中は
アンノウン自体は本館だけで最初話が進んでいて
で駐輪場がなかったので探している中で
佐藤さんのご自宅のその1階の駐車場のところが空いていたので
ちょっと駐輪場で使わせていただけないでしょうか
っていうところからのお話だったんですよね
佐藤正子
でもその時は
あのなんかもう一つ
私もお務めも出ておりましたし
ではっきりなあまり詳しいことがわからなかったんですけれど
あのあののプロジェクトチーム
ねでしょうかねなんかあの近藤さんと
落海さんと菊池さんと仁下さんが何度か家に 4人で家に来てくださって
世間話をしながらコンタクトを取りに来ていただいたように思います。
近藤淳也
最初どんな印象でした?
佐藤正子
いやー、なんでそんな4人もつらってきはる、その意味がちょっと、
おー。
なんかね、その、
うん。
ちょっと私も、
アンノーン自身の店の、
どういう形のものか
いうことも、何もわからないまま、
なんかね、その駐輪場の時に
お声かけていただいて、
ちょっとお二階を見ていただいて、
その時に、
オチウミさんが、
あの、
あの、
こんなお部屋があるんだったら何か利用できることがあったら
いいですねっていうような話から
それでとりあえず
オフィス、民泊、泊まることとかそんなのはちょっと大変だから
そのままで使えるっていうことは
まあオフィスとしてシェアオフィスとして
使う使えるんかなっていうようなことをおっしゃって
近藤淳也
そうですよねはいなんかあの
結構あれですかそれまでもそのこの建物を使わせてくれ
佐藤正子
みたいな話はそうでしたねありましたね
それこそちょっとあのシェアハウスかなシェアハウス
とか、学生さんの下宿でもされたらどうとか、
いろいろな形でちょっと言うては来てくれたんですけれど、
でも、まだそういう気持ちは全然なんとなく起きなくって、
うん、このお店も平成23年頃にちょっと廃業を全国の中をすることになって、
それから、もう全然お二階も使わずに、
まあ10年ぐらいかな、二階もそのまま置いてたんです。
近藤淳也
その割には最初から綺麗でしたけどね。
佐藤正子
うん、だから。
近藤淳也
いつもずっとお掃除されて、
佐藤正子
掃除から2回もほとんど上がってなかったんですけどね。
はい、でも、建物は、
本館の安能さんの建物は、
昔の有格の建物をリノベーションされるような形な建物でしたけど、
私の家は昭和の35年ぐらいでしたかね
この頃に建て替えてお茶屋としての
お部屋の作り方をしてましたから
なんかそのままの形で使えたと思うんです
近藤淳也
本館は100年以上前の建物のままなんで
そうですまあそれって言えば歴史があっていいように聞こえますけど
まあ使うにはねもうほとんど廃墟まではいかないけど中はだいぶボロボロだったんで
まあ本当にもうゼロからリノベーションが必要でしたけど
まあ本意見の中の方はかなり綺麗な状態でね
佐藤正子
なんか結構そのままでねこれやったら使えるからって言って
近藤淳也
はいもう落海さんの最初の声が目に浮かぶようです
佐藤正子
どうですか?
近藤淳也
何ですかこれとか言いそうですよね
ゴチームさん
めちゃくちゃいいじゃないですかとか
佐藤正子
興奮していいそうな様子が見に来ますけど
最初
はい
おかげでねそれが5円で
アンノーン2回使っていただくことになって
近藤淳也
はい
なんかそのそれまでは
その他の誘いっていうのは断られてたというか
見送られてたと思うんですけど
なんでそのアンノーンのプロジェクトは
佐藤正子
認めていただけたと、なんか済んだんですかね。
近藤さんとね、菊池さんたちがこうして足下に何かコンタクトを取るっていうのか、
うちに来ていただいてて、そうしてるうちに、
それでもまだなんかなんでこんなに4人でこんなに人のそういうプロジェクトチームができてるとか、
そういう待ち起こしっていうか
なんかそういう企画っていうか
なんかそういうの全然知らなくって
でなんとなく聞いてるうちに
まあそうして
まあとりあえず丘林場と2階を
そしてお筆でどうでしょうね
っていうところで
まだちゃんと決まってもいなかった
それでなんとなく人柄じゃないですけどお互いに
こう信頼関係を作るために
なんかこうコンタクトを取ってくれてはいはいはいなるほど
でまあそうしてるうちにそうしてるうちにね
あのあのあのさんがね別館として
あのオフィスであの佐藤さん使わせていただきます
ショーですって言うていただいて
んで空空いてるよりも少しでも私も助けにもなりますので
ありがたいですって言って
ぜひよろしくお願いしますっていうことで
でもうご縁いただいたんですありがとうございます
近藤淳也
本当に嬉しかったです
多分最初は何するんやろうっていうのはちょっとあったんじゃないかと思うんですけど
実際はゲストハウスとかコワーキングって言っても
なんなんやろうみたいなのがちょっとあったと思うんですけどどうでした実際で来てみて
佐藤正子
本館の方ももね元々本館のオーナーさんとは私もずっと昔から
すごく親しくしてまして
そういうご縁もあったんでしょうか
お孫さんがちょうどもう今おじいちゃんおばあちゃんも亡くなられて
あのお孫さんが落ち海先生とちょうどそのね
なんか丘林の話があって
近藤淳也
でまぁ落ち海先生になってるんですねもう先生なんですね今
落ち海さんのこと全然いいんですけど先生
佐藤正子
落ち海さんはいはいはいはいで
そんな感じでねあのご一緒においでなって
だから本当にあのまああの何かやっぱりなんか縁があったんでしょうね
いっぱい界隈全部お家はずっとそこそこね空いてるとこもあるんですけど
でもまああのちょうど距離的にもね2,3件ちょっと下でしたし
でそのやっぱ前の前のおじいちゃんおばあちゃん
まあ私親しくしてましたんですけど
なんかもういつも私の家にもちょっと来たりしてくれてありましたんで
私もちょっとお世話に行ったりしてましたし
だからなんかやっぱそういうのも不思議に
やっぱ安能さんのね
のお店とつながっちゃったんか
つながったんだろうかなと思ったりして
近藤淳也
元々お付き合いがあった感じなんですね
佐藤正子
そうなんですよで
本館と別館の関係
佐藤正子
まああの娘さん一人おいでやったんですけど
埼玉の方においでやったんで
あの誰もこっちで見る人がなかったので
おじいちゃんとおばあちゃんを私が近くでしたので
で結構最後まで結構私もお世話させてもらって
面倒を見てきましたので
だから娘さん夫婦とか
そのお孫さんもそういうことをすごく
ちょっとお世話になってることわかってらしたんで
何かあちらの方からおいでになったら
必ず私の方においでなってご愛媒ちょっと
そんな感じでいつも感謝して
近藤淳也
はいそんな今のその本池中の本館と
本館の本館と本池中のお付き合いが
元々佐藤さんとその本館の
本館の女性とのお付き合いがついでるというか
佐藤正子
あったんですよあまり他のお家の人たちとは
あまり私もちょっとあの看護師で仕事に出かけたりしてて
まああんまりこうあの親しく近くの人ともあまり知ってなかったんだけど
唯一そのあのあのの本館のオーナーのおじいちゃんおばあちゃん前のね
とは本当になんかまあ私の若かったですし
だから頼なんて言うかな私をすごく頼るっていうっていうわけっていうのか
だから本当に最後まで亡くならはるまで私もずっと世話しておりましたんで
近藤淳也
そうですか本当じゃあその語源をね今も引き継がして抱いてるというか
その中で僕たちも事業させてもらってるんだなと思うんですけども
なんかね開業の時は結局その本館の改造工事が終わらなくて
佐藤正子
本池中が先にオープンしたんですよね。
近藤淳也
で、なんか別館とか言ってたのに、その本池中のシェアオフィスはもうすぐにね、入居者の決まって。
佐藤正子
それがね、そうだったんですよね。
最初がクレドシップさんが割と大きな部屋を借りていただいて。
あの早速なんか見に来ていただいて
んであの
気に入っていただいて
でまぁあのアンノーウの本館に先に開業することになるように
ね そうでしたねあれ9月から入らなかったのか
近藤淳也
9月でしたっけ
まあアンノーウの本館が11月末に開業で
佐藤正子
10月頭から
その前に投資家の人たちのなんか
近藤淳也
そうですね
そうですね
佐藤正子
そういうので農家を見てもらうために皆さん集まって
1回の座敷でイベントさせていただきましたよね
1回の座敷の方でイベントをちょっと使っていただいて
その時に、皆さん来ていただいた中に
クレドシップの社長も来ていただいておりまして、
で、早速にクレドシップの社長が、
なんかちょうど向こうのオフィスの方に、
のちょっとこう、ね。
引っ越しを考えられてて。
引っ越しを考えられてたのか。
ほんで本当にご縁いただいて
そうですね
近藤淳也
まあ1の5部屋あるんですけど2階は
その中の1の間と2の間という
まあ一番広くて続きで
佐藤正子
6畳と4畳の間をね
近藤淳也
まあ続きで入居されて
佐藤正子
初期の本池中の一番メインの会社というか
近藤淳也
一番広いスペースで
人数もね、結構万一のように
佐藤正子
でね、あのー、結構そのクレイドシップのね、 委体社長さんね
看護師として京都に来て
佐藤正子
もう本当にこの時にケーキ付けにオフィスとして 結局入所していただいて
まあ、あのー、本当にそのまた社長さんの 委体さんって、委体さんなんですけれど
あのー、人間味がすごく豊かで
社員の人もねみんな若くてね明るくて
明るい雰囲気で
まあ勢いと力をいただいて本当に
なんかあのね皆さんもそれで
スタッフのスタッフの近藤さんたちも本当に
みんなそれでわーとりあえず本館よりも
先に入所になったんやけどって言いながら
みんなに助けられてみんなで力を合わせて
2回も全部掃除したりして
とりあえず入所していただいて
それがすごく勢いをつけていただいて
それは本当に感謝やったかなと思うんですよ
あの頃はまだコロナの前でしたから
もうすごく勢いがついて
社員の人も結構10人ぐらいの方がもうね もう出たり入ったりしていただいてて
本当になんかこれからね
近藤淳也
確かに懐かしいですね
なんかちゃんと開業日というか
お酒も買ってきて
佐藤正子
鏡割りして
近藤淳也
ちゃんとね、本当クリエイトシップの皆さんも
佐藤正子
そう、みんな
近藤淳也
一緒にやっていただいて、結構懐かしい感じ
佐藤正子
懐かしく、まあ
近藤淳也
華やかな会場
佐藤正子
そうそうそう、会店イマイみたいに
そうですね
入所会社会店イマイみたいな感じで
本当になんかもうみんな一丸となって
何かもう本当に勢いがあれで
なんかきっかけで
そうですね
なんとなくあれでまだ入所の人が決まってなかったら
近藤淳也
またなんとかだったと思うんですけれど
その後あの本池中のすっかり名物となったのは
佐藤さんからの差し入れっていう
本当においしいこの今も実はいただいてるんですけど
かつての「お茶屋」の女将になった
近藤淳也
お茶お茶といつもお菓子とかなんかご飯
佐藤正子
まあ 私もすっかりおっしゃらなってるんですけど
まあねちょっとねちょっと差し入れっていうか
ちょっとお菓子とかちょっとお茶とかね
少しちょっとこうお仕事の合間にちょっと差し入れしてもらって
やっぱりちょっと食べるものってやっぱちょっとね
少しいただいたりすると嬉しいじゃないですか
で、もう私もそれこそ押し付けみたいなもんでしたけど
近藤淳也
いいよいいよ、クレドシップの方からは
こんなサービスついてるんですかみたいな
最初びっくりされてましたけど
佐藤正子
まあね、それも
私もちょっとね、お茶屋でちょっとお店をしてるの10年余り
ちょっと、もともとはちょっと朱輪の親がしておりましたけど
まあ主人の親も亡くなりまた主人もちょっと亡くなったりしまして
その後まあここの界隈もだんだんお茶屋さん
もともと私がお嫁に来た頃はこの今の平井町通りっていうかね
この通り本当にもうのきずっと入り口から全部お茶屋さんで
はいもう今駐輪駐車場とかばっかりになってきてるんですけど
もうぎっしりもう50軒ぐらいもありましたし
近藤淳也
50軒あったんですか
佐藤正子
いやもっと全部全部寄せたら150軒ぐらいあったみたいですよ
近藤淳也
お茶屋さんで
佐藤正子
お茶屋さん
だからねもうもう本当に
あのここの町自身が私がお嫁に来た頃は
うん、すごくもう賑わってたって。
それは華やかでしょ。
華やいてたんですよ、すごく。
はい、はい。
まあね、あの、まあ、昔はね、ここ一応遊客でしたけど、
まあ、昭和35年ぐらいからね、
お家屋、お茶屋、芸光町とちょっと変わりまして、
でお茶屋はお座敷貸し席営業となって
でお茶屋さんは芸妓さんを置く店となって
芸妓さんはカブレン場で踊りとか写美戦などの稽古をして
お茶屋さんにお客さんが来られ
来られたらお茶屋からお家屋さんの店へ
芸妓さんって芸妓ばなっていうっていうか
芸妓さんにいろいろ名前
まあ京花さんとか
近藤淳也
はい
佐藤正子
まああの吉子さんとか
いろいろな名前を一人ずつ付けて
で芸妓花をかけて
で芸妓さんを置屋さんから呼んで
でまたあの時間花って言うて
まあ1時間とか2時間とかね
お茶屋の歴史と衰退
佐藤正子
でそういうシステムの中で
まあ、楽しくまあ、シャミセンとか、歌遊びとか、
まあ、今のあの人はこういう遊びがない、 なかなかできないんでしょうけど、
サラリーマンの方でも、あのまあ、 二次会とかで、あの結構4、5人とか5、6人で、
はい、あの来ていただいて、で、散財遊びって言うんだけどね。
近藤淳也
散財遊び?
佐藤正子
散財って言うんですね。
でまあ、お金をふっぱっとつかぶっていうことなんでしょうけどね。
で、ゲコさんに呼んでシャミセンとかね。
で、まあ色々とそういうお遊びする。
で、そういうおもてなしを受けてね。
で、受けて結構時代も今と時代が違うんですけど、
もうその頃は結構もうそういう男さんの、そういう方がどんどんどんどんこう、どのお店もね結構ありましたけど、
もう結構お客さんありましたのでね。
はい、華やいでましたよ。
またお一人でお忍びで癒されに来ていただくところでもあり、まさに歴史のある五丈楽園でした。
そうですよね。それが本当に五丈楽園の前世紀というか、かつての様子だったんですね。
近藤淳也
佐藤さんは元々はこの地区のご出身ではないんですよね。
佐藤正子
そうなんですよ。
近藤淳也
元々はどちらですか?
佐藤正子
元々は島根の出雲なんですけれど、
看護師になるために京都の方に行きまして、
それからずっと京都の方でおりまして、ちょっとご縁があって、
でまあ初心も一人っ子でしたので
でもう最初から一緒に住む
まあ昔のことですから
まあ一緒に住んで
一緒に住んでくださいというような感じで
それでまあ結構普通の
あのなんでかな
家とは違うんで
私も結構あの大変な思いはしましたけど
近藤淳也
それはその出会った時からわかってたんですか
佐藤正子
そういうお商売やられてるんですね
それがねやっぱし私も田舎の人間ですし
最初はここがそういうね
こう街でそういうお商売っていうその意味もわからなく
近藤淳也
はいはいどの辺でわかったんですか
佐藤正子
もうね最初の頃私もあのちょっと離れがありまして
あのこの今のねあの使っていただいてるオフィスで使っているところの方の
ちょっと庭があってその離れにまあ30坪ぐらいの家がありましたので
そちらの方でまあ主人もお勤めに出ておりましたし
もうこっちとあまりそういうのにタッチせずに
あのちょっと私もお勤めしたりしてたんですけれど。
近藤淳也
看護師をされてたんですね。
佐藤正子
そうしてるうちにでもね、結構中井さんって言うて、おばちゃんもいてくれたんですけれど、
まあそうして今の散財とかそういうことになると、
結構ね、飲み物のビールやらお酒やらをどんどん持ってお出ししてないかなんで、
時たま手伝ったり、だんだんするようになって、
はい、ほんで、なんか面白い、違う世界のものを見て。
近藤淳也
ちょっと待ってください。
じゃあ、結婚されて、
とつがれるまで、どういうお商売か、あんまり分かってなかったってことですか?
佐藤正子
あんまりね、その…
そうなんですか?
離れ住んでても最初は分からなかったってことですか?
その深くは、そういう街だ、いうことは大体分かる。
最初からちょっとは普通の私、仕事屋さんっていうか
普通のサラリーマンのうちとかそういうのとは違う。
近藤淳也
それ見たらね、わかりますね。
佐藤正子
花、花町のっていうか、なんかね、ちょっとね、
それはちょっとあるなとは思ってたんですけど、
でも、深くそういうことがどういうお仕事で、
どんなんでっていうことはあまり深くちょっとわからなくて
近藤淳也
そうなんですか。何年目ぐらいにだんだんわかったんですか。
佐藤正子
だからまあそうですね。
やっぱりまあ1年目ぐらいやったらまだ新婚ですから
あまりこっちのことにもタッチもせずに自分たちの
3年2年3年してるうちにその頃がね結構本当に
店も皆お客さんも結構繁盛してたような気がするんですよどこのお店もね
だから結構入れ替わり立ち替わり結構お客さんも入れやったんで
結構ちょっと手伝ってっていうような感じになって
じゃあ手伝うようになって何を見たんですか
日本だからあの細かいそのこの個別の一応座敷で個別のあの部屋もありますし
の散在するような部屋もありますしんでまぁお人お一人でお見えになった時などは
ゲコさんを呼びになってんでおビールとかあのお飲み物取ってもらったり
まあまあね、そんな形で二人の時もありますし
だけどそれから酒、そのね、なんか深くあまり
どういう、ただお酒とかおビールとかね、飲んで
芸子さんと楽しくその時間を過ごしになって
お時間、花台の時間花みたいになってましたから
もうその時間になったら帰っていかはる?
ような感じでしたんで
近藤淳也
そうなんですか
佐藤正子
うーん
だからなんかそんなに深く
まあ若かったからそれを
どういうあれなんでどうっていうのも
そこで本当に今から思うとあんまりわからなかったですね
近藤淳也
そうなんですか
僕ちょっと今聞いて初めて知ったんですけど
逆にそのお一人じゃない
佐藤正子
宴会みたいなのも結構あったんですよね
そうそうそうそれがこの部屋なんですかそうそうそうここをねはいはい
そこなんですね
もうみないろいろ役所の方とかいろいろな方たち結構ね
あのまあ帰るどっかでさあのこう
宴会があった宴会があった帰りには必ず寄っていただいて
もう終電に間に合わなくなったりして
U-GRAIMでここでね、もう本当にもう、バカしちゃいました。
近藤淳也
もう朝まで寝てるとかもあったんですか?
佐藤正子
いやいや、それはないんですけど、だから、
もう帰れなくなって、どうしようって、
ここでごろ寝させてもらって、
近藤淳也
朝ここから出勤しようかとか言って、
佐藤正子
そういうこともあったんです。
近藤淳也
お座敷なんでね、なんかもうそのまま、
佐藤正子
そのまま、そうそうそう。
近藤淳也
そうですか。なんかちょっとすみません、僕はわかってなかったのは、そういう個人のお客さんだけだと思ってたんですけど。
佐藤正子
いやいやいや、もうその頃は、そのために、それはもう昔の遊楽の形だったんでしょうけど、
お茶屋になってから芸妓町になりましたから、だからやっぱしね、
シャミセンとか踊りとかそういうものを
今の五丈海下のカブレン場あそこでみんなお稽古してましたんでね
だから結構シャミセンとかでね
いろいろなお遊びしてましたね
近藤淳也
なるほどその佐藤さんのところがお茶屋さんってことですよね
その稽古さんはじゃあ置き屋さんから呼ぶ形ですよね
佐藤正子
昔の遊客はそのお家に、働く女の方がおいでやったと思うんですけど、
今の遊客さん、それはもう亡くなって、
それが昭和の33年ぐらいで亡くなったと思うんですよ。
それからお茶屋っていう、だから今京都でもね、
日本の神戸と大通部とか宮川町とか上司県とかポント町とか
そこらもみんなお茶屋ですよね
だから稽古町ですよね花町ですよね
京都で看護師として働き始める
佐藤正子
まあそれの一件として
だからあの五条のここできるときも宮川町さんと一緒に
なんかあのこうそういうふうになったようなことができましたよ
近藤淳也
はいはいちなみにその宴会の時はお料理はどうされてたんですか
佐藤正子
お料理はここらへんもね料理屋さんとか結構あのお寿司屋さんとか
近藤淳也
この界隈にあったんですよ
しだしで
佐藤正子
しだしではいはいだからあのみんなしだし屋さんとかが結構この五条のこの
この平井町でも結構フグ屋さんとかねちょっとしたねそういうなとこもありましたね
だから本当いろんな業種の人が結構はい
それに携わってちょっとねそういうお店だからお寿司屋さんもありましたし
近藤淳也
ちょっとしたし出し屋さんみたいなっていうかちょっとねお料理なんですね
佐藤正子
いやちょっと見てみたいわ
で料理をとってねだいぶ華やかだったんでしょうね本当にそれは本当にね
私も最初の頃ねその意味のわからずに
おもし楽しいじゃないの!お酒が入ってますし
毎晩なんか賑やかですね
私なんかちょっとまだ若かったですし
置いたらもう上がってきて上がってきてとか言われて
近藤淳也
お雑誌で出たんですかそれで
佐藤正子
お雑誌の方でね同じようにちょっとね
本当にその中にくわらくわらしてもらって
そうですか
なんか楽しく
私もあのね、男さんとかまあね、別に女の人も来れないことを花台で来れる場所なんで
でしたんですけれど、まあね。
近藤淳也
いやー面白い。
いやその今ね、その残ってるお茶屋さんだと
こう2階の日差しのところにこう蝶鎮の形の
まあライトっていうかついてますね。
佐藤正子
蝶鎮が五条会館の五条楽園としてお茶屋さんを
お店をしてますっていう感じでおちょうちんをつけて
だから結構風情がありましたし
近藤淳也
あれがずっと並んでた感じなんですか
佐藤正子
ずっと並んでたんですよ
夜来たら
だから独特というかね
あのちょっと独特で普通自動車とかそんなあまり通らないような感じで
で結構あの人が結構ちょっとあの賑わってましたね
近藤淳也
見てみたかったなあ
佐藤正子
結構酔っぱらった人もいっぱいおりましたしね
今の年中人たちは酔っぱらったりして歩いてると少ないですけど
昔はもうとことん酢いも酔いつぶるまで飲んでありましたか
近藤淳也
まあねそういう時代でしたよね
その本がつくのは池中が一時期増えたのですか
佐藤正子
そうそうそう3原あって
3原まで
あのとこが本家でだから本池中で
で支店ができまして支店があって
んで今度は新池中っていうのもまたでちょっと3件あったんですよ
それは佐藤さんがで私の子が本気本意もともと
おじいちゃんとかね主人の両親がちょっとしておりましたからね
近藤淳也
じゃあその親御さんがされて親御さん代の時に3つに増えたってことですか
佐藤正子
その時そうそうそうそうなんですね
そのそうですね、その時はもう3件ともお商売しておりました。
近藤淳也
その残りの2件って今どうなってるんですか?
佐藤正子
ん?
近藤淳也
残りの2件、他の2件は今どうなってるんですか?
佐藤正子
もう今はもうみんな誰もいなくなっちゃって。
近藤淳也
はいはい。建物はあるんですか?
佐藤正子
建物もみんなもう今、もうなんかもう家もそこに住んでないんで。
で、1件はまだちょっと家が残ってますけど。
一応お茶屋さんの建物で。
今ちょっと病気でずっと入院したりしてて
ちょっと空き家みたいな感じでずっと置いてあるんですけど
近藤淳也
なるほどなるほど
佐藤正子
はぁちょっとまあ本当今のね様子からはなかなか想像がつかないぐらいの時代だったと思うんですけど
そうなんですよでもまあ最初の頃ね私もあの
佐藤正子
看護師で働いていた方々をして
ちょっとずつお手伝いしたりしたりして
そのうちに主人が亡くなった頃は
もうここら辺のお茶屋さんの
やっぱりおじいちゃんのお年寄りの人が
皆亡くなっていって
だんだんする店も少なくなって
もうそうですね
ちょうど主人が平成14年ぐらい
近藤淳也
なくなったんですけどはいあのもう20年前ぐらいになる 20年前ですね
佐藤正子
もうその頃にはね本当にその50件ぐらいあって まあその頃ぐらいあったお茶屋さんがもう
近藤淳也
20件ぐらいなったんかな そうなんですかそれはなんで減ったんですか
佐藤正子
でもう随分少なくなったんででまぁあの組合でやっておりましたので
あのまあねあの私の子もそのままのあのお店は残ってましたので
なんかさあのぜひ私にもちょっとお商売ねしてほしいようにまあちょっと言っていただきましたので
でもう看護師をそれの時に辞めて
これでまああのここでお茶をね
ちょうど10年あまり私がお上として
近藤淳也
そうですよね
佐藤正子
はいでここらへんはみんなね
お母さんお母さんって呼ぶんですよね
あのはい
だからゲイコさんが
あのねあのこう
お上さん呼ぶときもお母さんで
またあのおきやさんとかお茶屋さん同士で
あのこうお互いにそういう時に
お互いにお母さんお母さんってそうして呼ばれて
呼んでそういうどこの多分花町の人たちはみんなそうじゃないかと思うんですけどね
近藤淳也
お母さんって呼ばれるような
佐藤正子
だからお客さんからはお神さんとか
お母さんとかはい
まあ最初の頃ちょっと抵抗があったんですけどね
でもいつも看護師の方ではお大事にって言ってますやんか。
もしたらね、急に自分がこのショベルになったら、
あの、ありがとうございましたって言わんなんのに、
帰らはるときに時たもお大事にって。
近藤淳也
(笑)
でもまぁ、あるい…
佐藤正子
あるいって言って、自分も思いながらね、
だからなかなか最初はなかなかそこまでちょっと板につかない状態でしたけど
まあでもそうしてるうちに
お客さんも私の中も馴染みさんっていうのが長くちょっと間が空いてたもんですからね
ほとんどなかったんですけど
でも何かあの私がお店をうまくして
このお店を営業するようになってから
まあ結構あのお客さんがお馴染みさんになっていただいて
はいすごいあの
本当に助けていただいたんですけどねお客さん
近藤淳也
いやいやそれはもう佐藤さんの人格
いやいやお神さんの力ですよね
佐藤正子
いやいやまあねあのどういうの私が素人なもんやから
まああの本当にもう真心で気張ったお客さん一人ずつを大事にして
はいでまぁ今のおもてなしじゃないですけれど
要素と同じことをしてたらやっぱりね
ちょっとでもなんかそういうこと
食らうものの一つでもちょっと余分に出してあげたりとか
まあ色々とそれなりにちょっと自分の気持ちの中で
差してもらったりしてるうちに
やっぱりお客さんも何となくね
あそこのお店行ったらまあねあのまあまあ
いろいろと心のこもったものをね
ちょこっとこう気遣いに出していただいたりするし
お茶屋業界の変化
佐藤正子
ってまあいうようなことで
まああの全部その最初から利益ばっかりじゃなくて
やっぱしねあの
損して得を取れっていうことありますやんか
だからもうビール代もたまねちょっと えーっていう感じだったら
もう1本ぐらいサービスしとくよとか言うたりして
まあいろいろとそれいろいろなお客さんに対して
いろんな人がありましたけど
まああのそういう感じでね
あのお客さんもうん
まあ予想予想とは違う
まあ同じ料金で行ってもちょっとね
違うなっていうようなことをやっぱり
みんな感じていただいたみたいで
近藤淳也
すごいですねなんか元々ね
そんなどんなお店かも分からずに
そうそう騙されてじゃないですけど
来てみたら突いてみたら
佐藤正子
なんかねお茶屋さんだったみたいなお茶屋さんで
近藤淳也
この頃からの。
佐藤正子
この芸妓さんの町で、なんかもうね、
あの全然今までの私の仕事と、
もうね、その水商売というか、そういう接客というようなこと、
私は全然したことないんでね。
だからもうどうなんだろうと思ってたんですけれど、
もうなんかみんな芸妓さんやら、
お客さんにいろいろなことを教えられて。
近藤淳也
でもやっぱそれは佐藤さんのお人柄だと思うんですけど
じゃあもかみさんになって
わりとすぐにじゃあその
卑怯してもらう方が増えていて
佐藤正子
おなじみさんでね
やっぱり
1回来てもらうの2回来てもらうように
でやっぱしそれは
やっぱ何か感じてもらうことがないと
なかなかね一緒なことしてたんではね
いかんのかなと思ったりもして
近藤淳也
なるほど、それがこのお茶につながっている。
今ここにあるお茶につながっているわけですね。
その時から仕入れられているお茶なんですか、これは。
佐藤正子
うん、お茶ですね。
これも、だからお茶でもやっぱり飲んでいただいておいしいお茶。
何でも出したらいいものじゃなくて、
お菓子でも果物でも、やっぱりみんな食べてみておいしいなというか、
やっぱりそれってすごく大事じゃないですか。
近藤淳也
まあそうなんですけどこのお茶本当においしいんですよね
佐藤正子
普通のお茶じゃないですかね
お茶屋のおもてなしと馴染みのお客さん
佐藤正子
いやいやもうね
でまああの
そうしてまあそういうふうなことをこう
あの自分なりでね
あの最初からずっとしてたわけじゃないし
はい何か何かちょっとね
要素と違うように表なしのものをしたら
またちょっとお客さんも違うかなと思ったりいたしましたね。
なるほど。
近藤淳也
そういうところはじゃあ他がこうやってるからって
いうんじゃなくて佐藤さんなりにいろいろ含ふされたところが
たぶんうまくいったんでしょうね。
佐藤正子
それとね、よく東京と全国の人ここはね
本当にあの業街あたりと違って
石原さんって言うたら石原さん。
もう本当気楽にもう寄ってもらえるとこやったんで
だから本当にあの結構いろいろな有名な方でも
反対にここはお忍びでちょこっと来れる場所なんで
でこちらの方が癒されるとかね
結構言うて聞いていただいてる人もありましたし
でまあここここのここの界隈に
あのねお母さんみたいな人いるんですかとか言う
近藤淳也
それはどういう意味で?
佐藤正子
なんでしょうかね
真面目みたいな
真面目で
まだあの頃私も50代でしたから
だから
お客さんの
好みもあったんかも
近藤淳也
女性として魅力的
佐藤正子
いやいやじゃないんですけど
まあまああの結構ね私をまた気に入って来てくださるお客さんも結構あって
近藤淳也
そうですか芸工さんよりも佐藤さんがいいですっていう人いなかったですか
佐藤正子
いやまあそれはまあみんなあれなんですけれどでも
まあここはねやっぱ芸工さんが花の場所ですから
だからそれはね私は絶対に
ちゃんとそれは区切っておりましたけどね
近藤淳也
ちょっと突っ込んだこと聞きますけど
その芸術さんを読んで
まあお一人のお客さんが部屋に入って
そこで仲良くなったりもされる
佐藤正子
それは自由ですからねっていうことですよね
そこらへんまではこっちは立ちできないことですし
恋愛とお茶屋
佐藤正子
だからまあそれはもうみんな素人さんとも同じことじゃないですか
みんなねそこでじゃあ恋愛が起こってきたり
だからまた芸子さんのお馴染みさんね
芸子さんこの子も好きに行っていただいたら
ずっとその方を呼んでいた泣いたりして
まあなんかそういうね
近藤淳也
あの場所で男女の仲が発展するというか
こともあるっていうことですよね
佐藤正子
そうそうそうであの弾いてもらわはった人もあるしね
ああそうお客さんに気に入られて
はいそれは結婚結婚まで何人もありましたし
はいからまたちょっとこうあのに
まあにおさんじゃないですけど
ちょっとそういう形で言えよね
そんなことも結構ね
あの昔の男の方のお金の使い方の遊びって
近藤淳也
豪快でしたよそうですかそれが散在ってやつですか
佐藤正子
まあやっぱお茶遊びっていうかねそういうのは結構ね
でまたあの頃のまた何でしょうね
お金持ちさんのお客さんも結構来てたんか分からないですけど
結構もうすごくお金落として行ってくれてましたね
近藤淳也
どういうふうに使うんですかみんなに振る舞うんですか
佐藤正子
まあ男、気派とお客さんですか。
まあね、結局お金って回すもんじゃないですか。
そのお金がね、とりあえず芸子さんとかね、おきやさんお茶屋さんね。
で、まあみんなね、それなんその
お客さんが聞いていただいてお払いしてもらったお金で、
みんなが生活の 回っていってるわけでしょ
だからお金はもうね もう結構回すもんだから
だからまあそういう感じで
割に結構あの
使ってくださってましたね
近藤淳也
なかなかそういうのもね かっこいいというか
佐藤正子
いやだから今の若い人たちはもう自分たち
まあねスナックとか
そんなもあの頃も結構スナックっていうのとこも
すごくね賑わってましたけど
もう今はまあちょっとねもう
いかないんだけど反対に今の若い人賢いんじゃないですか
お金をあまり使うそういう無駄な結局ね反対に
まあ家庭の奥さんから見たらね
なんかそんな無駄な無駄遣いみたいになりますけどね
でもまあね、生きていく上にはね、みんなね、ちょっと気分転換もなかったら
みんな仕事も頑張れないじゃないですか。
近藤淳也
そうですね。最近ちょっと逆に難しいですよね。
そういう気晴らしというか。
佐藤正子
そうでしょ。コロナかもあるから余計かもわかりませんけどね。
五条楽園は割と名露会計で安心って感じですね。
確か確かねあのこう組合で料金もだいたい花台が
もういくらがいくら1時間がいくらとかやっぱりそういうのを決めてましたから
だからどのお店行ってもそれは予分に取るとかそういうことがないんで
でまあそれがまた延長されるとそれに対してなんぼっていうのも決まってましたし
それはもう五条楽園全体で統一料金統一料金だから私もそうじゃないと
組合があったから私もしたんですけど
個人でしてたらとてもとても難し大変やと思います
それは結構ねお客さんからしたら安心に来れる場所で
安心ですよね
近藤淳也
それでも抜けがけするお店とかなかったんですか
なんかオプション料金って言ったりですけど
なんかちょっとうちだけはちょっと追加料金の目にありますよね
佐藤正子
それはねまああったかも分かりませんけどね
だけどまああの
まあそういうことをしてるとやはりねあとあといろいろなことが起きてきますのでね
なんかやっぱ支援やっぱお互いにこれも信用ですしね
お金の使い方
佐藤正子
だからまあ私なんかも本当に真面目にもう真心もってお客さんにねもう決まった料金でいただいて
ちゃんとしとりましたしねだからまあ反対に安心感のさっきも来てもらったんじゃないでしょうか
近藤淳也
佐藤さんのところは安心ですよね。
佐藤正子
だけど他の人もまあね、そんなにいたごへんありますけどね。
だからなんかね、そういう意味で結構お客さんがね、
私のお店も結構たくさん来ていただくようになって。
近藤淳也
なるほど。なんか佐藤さんのもう一個、
結構目聞き力が割と効いてたっていう話も聞いたことがあるんですけど
男性の方と芸語さんとのマッチングと言いますか
佐藤正子
そうそうそう結局呼ぶ時にはお客さんを見てどの子を呼ぼうかなって
それはお茶屋さんのお神さんの言で呼ぶんで
お客さんが指名される場合もある
どういう形のどんな方がいい細い人がいいですかとか色々そういう形でね
で、だいたいそういうのんで、この人だったらあの下子さんがいいんじゃないかなとか
それはもう、それが私たちの仕事でした。
近藤淳也
そうなんですか。
佐藤正子
おかみの仕事でした。
近藤淳也
お客さんは自分では指名しないんですか?
佐藤正子
で、それは最初はわかりませんやんか。
初めて気合った時は。
それですごくピタッと気に入られたら、もう足逆着ていただいてましたし。
なるほどなるほど。
近藤淳也
そこは結構自信があったというか佐藤さんとしては割と高いマッチ率だったんですかね
佐藤正子
いやいやなんかねそういうことを昔仕事のようにして
まああの男さんと女子さんのそういうのをちょっと見させてもらってたから
だからなんとなく近藤さんでも結構ねちょうどその頃に
ねえ佐藤さん佐藤さん言ったらあの僕の彼女ができたらちょっと見てもらいます
近藤淳也
あの人連れてきますとかって言ってたじゃないの相談してましたね
佐藤正子
ねえもう西田さんだっちゃってもし彼氏ができたらねあの佐藤さんまた
近藤淳也
みんなね恋愛相談をしにくいって
佐藤正子
そうそうそうでみんなねでみんな連れ結構ねあのちゃんとあのもうね
近藤淳也
つれてまあねお母さん実はこの方とこうなんですあれそうなんていうような感じで昔から
佐藤正子
いやいやあの近藤さんたちもそうじゃん
近藤さんでも今度さらにこんだけねたくさん色々な女性の方にもっててはるんですけど
その中でもね佐藤さんちょっと高校でね恋愛の話とかはねちょっとねなんかすごくこう
あの、なんちゃう、息子のようにちょっと言ってくださったりして
いやー、なんかもう本当に新鮮な感じで
すごく嬉しかったです。
そうですか。
近藤さんってすごい人じゃないですか。
それでも私も知らなかった。何にも知らなかったんで。
でも本当になんか素朴でね、もうなんかすごく人柄にもすごく
私も近藤さんにもね、ずいぶん世話になりましたし
もう本当にここをするきっかけにもなりましたんで
近藤淳也
はいでもそのはいあれですね
人の愛想を見るのはもうそれだけ培ってきた過去の
過去の経験が生きているわけですね
まあねその前のその看護師の経験とかも生きてるんですか
佐藤正子
それは関係ないというのはね結局看護師してるっていうのは
人としてねあの人と人の関わり合いですよね
おいたらわりにその人見知りをしない。
結構いろんな方とも常に接触してましたから。
だからお客さんがお目にあっても、
ちょっとそんなちょっと可難人もありませんか。
そんな初めての人に喋ったりとか。
けどその点はやっぱりね、看護師してたから。
お客さんの知らない人が来てももうすっと普通に話ができましたね。
近藤淳也
はいはいはい。
佐藤正子
だからそれは少しちょっとね、あれかな。
経験と人間模様
まあそれと、男の人と女の人の裏とか表のね、世界とかね。
佐藤正子
まあこういうお店をしてるうちに
まあ自分で普通の人だったら経験できないような
世界というか
んでまあ何が元原点は何ですかっていう感じね
そうでしょ
なんで何立ってるんですかっていうようなとこもありますよね
そういったらまあ元ね
やっぱなんていうか
女性と男の人と女の人がいないと
全てのものがそれが原点ですよね
近藤淳也
まあ男女がくっつくから
佐藤正子
人気が生まれてくるその本能っていうか
まあそういうねおもてなしの
心とか
からまあいろいろな人間模様やね
そういうのはねすごくこのお商売
ちょっとさせてもらって
でまぁ私の人生の中でね
まあ普通の人が経験できないこと
さしねそうこういう世界のことを少し
手伝わらせてもらったということはね
まあそれなりのまた糧になったかなと思いますし
はいはいまあ
そんな感じでね
なるほど
近藤淳也
いやーなんか貴重な経験を本当にされていて
お話も貴重で
佐藤正子
それは今度さんがそのお茶屋さんの
僕もあんまりこういうとこのことをあまり知らなかったんで
どういうとこだったんですかみたいなことってお聞きになってらしたから
なんか私も昔の古いことはわからないですけど
でも私がここでお商売ちょっと10年間でもした間の感じのことは
なんか伝えられるかなと思ったりして
本当貴重で
なんかしょうもないことですけど
近藤淳也
いやいやそんなことないです
なんかね、御城楽園って名前はねちょっと残ってるというか
それぐらいはたまに今でも見ることあるかもしれないですけど
ですけど結局本当にどういうお店があってとかっていうのを本当に知ってる人がどんどん減ってきてると思うんで
佐藤正子
特に今の若い人知らないんでね今の平成生まれの人とか
そういうことを話してもね現実全然わからないと思うんですよ
近藤淳也
あと本当今インターネットに何でも載ってるようでいて意外とそういうことって全然ちゃんと見えるとこにいらなかったりもするんで
佐藤正子
そうねやっぱしねまあ本音と建前もありますのでねはいはいはいだからねそういうのは
まあねまあ私もいらんこと結構喋ってたかもわからないですけど
近藤淳也
いやいやいやもうあのなんか逆にはい貴重な情報だと思うんで
貴重な本当にあのねことだと思うんで
佐藤正子
いやいやいやまあねそこらへんでちょっとね
あのまあ私もあの人様との関わり合い人と人との繋がりで
やっぱしそこから生まれてくるものもありますし
やっぱり人を大事にしていくということ
やっぱりできることはさしても自分でできることはさせていただいて
まあ喜んでいただけることはね
やっぱり与えていくいうことそれは大事かなと思いますので
やっぱそれは心は通じますのでね
だからあの人ってみんな
いい人とか悪い人とか言いますけど元はみんないい人なんですからね
だからまあねそういうところで
いろいろな人とね
職種まあお客さんって色々ねどんなのいろんな方がおいでなんで
はいもうそれはずいぶん勉強させていただきましたね反対にねはい
近藤淳也
ちなみにちょっとこれ聞いていいかどうかわからないですけど
五条楽園はなんで終わっちゃったんですか
佐藤正子
うーんそれがねまああのあまり一般的にね
普通一般にこれここの中にある人たちもあるでしょうけど
まあいろいろな一応してはならないこと
そういう法律上のことありませんか
まああの呼び込みをしたら
いかんとか今でもありますやんか
やっぱまあそういうちょっとそういうことをしたお店があったんですよ
それでちょっと撤発されて
それでここを廃止になっちゃったんですよ
だからやっぱりね
守ることはきちっと守らないと
一見でもというのは組合でしてましたから
個人やったそこだけでいいんですけど
看護師から女将への転身
佐藤正子
組合でみんなやってたから
こういったもうみんなにそれが全部影響になりましたし
近藤淳也
なるほど
佐藤正子
はいそれでまあね
一応ここはもうこういうのはもう
あかんということで
これで平成の23年かな。
近藤淳也
23年。
佐藤正子
10年前。10年ちょっと弱ぐらいかな。
近藤淳也
前ぐらいかですかね。
佐藤正子
それからまた私も看護師の方に復活して。
近藤淳也
そうですよね。
佐藤正子
もうなんか、貧乏症なんか何かわからないんですけど。
なんかでもねあのやっぱあの 人様に少しでも役に立つこととか
では自分の健康にもつながりますしね だからやっぱり社会的にも生きてたいですし
と思いましてあの結構この歳でもまだちょっと 一応はまだ
勤めてはいるんですけど、もうちょっとこう年の5月ぐらいにちょっと体をちょっと不調
今ちょっとお休みしてるんですけど、もうみんながそろそろね
もうゆっくりしたらどうやってやるか
近藤淳也
そうですね、無理しないでくださいね
佐藤正子
無理はダメだからって
近藤淳也
お年は聞いてもいいんですか?
佐藤正子
お年ですか?
近藤淳也
はい、やめておきますか
佐藤正子
はい、75歳です
後期、高齢者になりますので
近藤淳也
それで今でも現役で看護師で。
佐藤正子
でもね、近藤さんと出会ってる時ね、
まだね、70そこそこでしたやん。
ちょっと70なったとこぐらいですみたいに言うてたんか。
あれから4年ぐらいになってますもん。
近藤淳也
確かに。
佐藤正子
そうですね。
お互いにね。
近藤淳也
お互いに確かに。
佐藤正子
ね。
近藤淳也
言ってる間に、4年ぐらいはそうですね。
初めお話した時ぐらいから。
佐藤正子
そうなんですよね。
だからもうコロナにねあのあのもね本館の方もね
最初すごくねもう盛大に皆さんねたくさんの人がね
あの来ていただいて開店もできましたのにね
ねえ1ヶ月ぐらいでしたかちょっと
近藤淳也
まあ2月に会議をしてコロナが本格化したのがもう翌月ぐらいでしたね
佐藤正子
そうでしたね。
近藤淳也
まあ、しぶとくやってますんで。
佐藤正子
ね、でもね、本当にまあ、いろいろと、
近藤さんも大変な中をね、こうしてね、努力して、いろいろなね、こう、
みんな辛抱しながら。
でもまあね、ここ、あの、オフィスとしていただいて、
あのまあ、ここの場所はね、
交通の便もいいですし、
鴨川と高瀬川川があって散策してもすごく風情がある
癒やされるスポットですのでね
ここの小田敷のオフィスになるんですけれど
また興味がある人は是非ですけれど
さすがこういう花町の中のオフィスなんで
この場所なんでしょうかね
結構ここオフィスで入っていただいた中でね
オフィスの活気と交流
佐藤正子
なんか恋のキューピットとか
近藤淳也
そうですよね
佐藤正子
2組のカップルが誕生してね
近藤淳也
2組ですか今
佐藤正子
え?
近藤淳也
2組
佐藤正子
2組今まで2組
2組が結婚に至ったんで
何かねやっぱり恋の芽生えるところもかもねっていう
近藤淳也
そうですねいやそんなに出入りしてる人数も
そんなむちゃくちゃ多くはない中で
佐藤正子
なんかね結構みな癒されるって言うんですよ
いやほんまに
近藤淳也
二組ももう結婚してるんですもんね
佐藤正子
そうなんですよだからもう本館でも結構ちょっと何組か
近藤淳也
そうですね合計その二組と合計五組かな
結婚までしてない人も含めて5組ぐらい、今アンノーンでは。
感謝の気持ちと人間関係
佐藤正子
5組もあるんですか?
いやでしょう、だからね、やっぱこの、ね、アンノーンの、
近藤淳也
やっぱ五丈楽園パワーかもしれないですよ、これは。
佐藤正子
だからそういうね、あの、癒されて、
何かそういう雰囲気なものが芽生えるのかもわかりますよね。
近藤淳也
佐藤さんはなんかそのキューピッド役はしたんですか、なんか。
こう二人が近づくきっかけとか。
佐藤正子
特にしたわけじゃないですけど、一組の人は、
面談で社員、入られた方が社長が面接して、
そのうちになんとなく、私も2回上がって時にね、
ちょこちょこお話したりしてるうちに、
何かそういう出来てるんかな、というようなものを感じながら。
あそうですかそれはその本人たちが言う前にもう感じてました感じましたはい
でもねちょっと電話やらあの携帯でパンと外へ出られて いたしばらくしたらまたね
女性の方がバーっと出て行ったりして
そういうのを見てるんですね
なんとなく感覚的にね
なんかあるんじゃないかなって思ったり
なんかやっぱ感でわかりますもんね
近藤淳也
ああそうですかさすが鋭いですね
僕は全く気づいてなかったです
佐藤正子
わからないそうですか
近藤淳也
なんならお付き合いしてるって聞く直前に
あの方どうなんですかみたいなことで
佐藤正子
言うの?
近藤淳也
なんかあのとかないんですかみたいなことを言ってたぐらい
なんで全く気づいてなかったです
佐藤正子
そうなぁ
近藤淳也
いやさすが
佐藤正子
いやでもねまあまあ
あのみんな第一回目のエンジョイワークスのね
あの福田さんも初めね
みんなあのねこう携わってくださっている人たちも
みんなあのお人柄でね
もうとっても言い方ばかりでね
本当に私もお力もいただいて
まあこうして親しんでいただけてるっていうのは
本当に感謝で
もう感謝しかもう塗り替えることありませんね
こちらこそ感謝でいっぱいです
本当にありがたく本当にいつもはい
近藤淳也
最近はねなんかあのオフィス
シェアオフィスとして始まりましたけど
まあちょっとオフィス利用も減ったんで
まあマンスリーで滞在される方もはいはじめねなんか今そっちが人気で
佐藤正子
いやでもねそれもねそうですね人気っていうかあの結構ね
この前も入って帰ってあのこれ貼って帰られたの出張った女の子もね
あのとってもあのねこういうあの雰囲気のいいとこで
あのこうすっす、ちょっとすまん、2ヶ月間ね
滞在させてもらったんやけど、本当によかったですって言ってね
ちゃんとお手紙書いて
近藤淳也
そうですか
佐藤正子
はい、触れはりましたんで、もう嬉しいじゃないですか
近藤淳也
もうそれは滞在する方はね
佐藤さんみたいな方がいたら本当に安心だと思うんで
佐藤正子
いやいやもうあまりね
近藤淳也
だいぶ心強かったんじゃないですか
佐藤正子
いやでもね、もう今はねちょっとね
あまり2階の方に上がっていくのも 仕事の邪魔にもなるしね
近藤淳也
そんな気を使われてるんですか
佐藤正子
いやそれとコロナ禍でもあるのでね
ちょっとあまりと思いながら ちょっと遠慮はしてるんですけれど
でもなんかねみんなね
いい人にがみんなこう縁になるみたいで
まあそれは不思議とねありがたいなと思うんです
近藤淳也
本当言い方が多いですよね
佐藤正子
そうですね
でもこの人はっていうなこと全然なくね本当に本館のね
あのやっぱしあの近藤さんたちのね
やっぱり人脈の中からね
まあいろいろな語源ができてくるんだろうと思うんですけど
まあ本当にもうあの福田さんでも結構ね
あの心が大きいじゃないですか
そうですね
近藤淳也
いつもね福田さん来るとなんかタイミングがあって佐藤さんと一緒になりますよね
佐藤正子
そうなんよなんか相性もあるみたいでね
もうなんかね結構私好きなんですよ
好きですかもうはっきり言っちゃいましたね
そういう変な意味じゃなくてねだからなんかもう福田さんもいやーっていう感じだ
私もねなんかねそういう波動的にねなんかピタッとああああああなんかこう気持ち的にね
だからそういうのもすごく嬉しいですしね。
もう皆さんね、本当に私は歳いっておりますのでね。
まあもうね、この前も近藤さんじゃないけど
抱き合ってじゃなかったじゃないのって言ってありましたけど
まあこの歳ですからもうみんな許されるじゃないか。
若い人やったらね、ちょっとね問題になりますけどね。
もう全然大丈夫です。
だから本当にみんながね、かわいがっていただくっていうか、本当にね、ありがたいです。
いやー、こちらこそ、本当にありがとうございます。
本当に嬉しいですよ、こうしてご縁ができたっていうのはもうね、
これどこでもできるもんじゃないんでね。
本当にね、出会いがあってこそですもんね。
そうなんです。
私はまた立派な若い方たちばかりがこうしてね
接していただいてるんで
もう少しはね私もなんか
若返られるっていうか
少しは力になってますか
近藤淳也
力になってるんですよすごく
佐藤正子
それは嬉しいですけど
近藤淳也
なんかあの今後のことってありますか
佐藤さんは
佐藤正子
今後っていうかね、まあ結局はこういう全てですけど、人と人の
縁から始まって、
近藤淳也
いつもなんか幸せとか言う。
ライブラジオ聞いていただいてるんですね。
佐藤正子
言ってはるけど、
まあ私はまあまあ、普通
あの幸せとなんですかって聞かれたら 普通あの健康でありたいとかお金がたくさんね
お金が欲しいとかまあみんなそういうことを言いますやんか だけどもちろんそうなんですけど
近藤淳也
もうすべていいことも悪いことも 感謝
佐藤正子
かなってその気持ちを忘れずに
日々私は暮らしてるんです
近藤淳也
なるほど
佐藤正子
それしかもう全てのことに感謝ですね
はい
近藤淳也
いやー深い
佐藤正子
だってそうじゃない
もうね
健康でありたいとかね
それこそお金もちろん欲しいですけど
それよりも何よりも全てのこと
お金のこと、お金でも健康でも 今があるっていうことは、
やっぱ感謝ですよ。
なるほど。
だから、感謝。
近藤淳也
なんか、具体的にこう、日課にされたりしてるんですか?
なんか、わかんないですけど、感謝する時間があるとか。
佐藤正子
え?
もう、常にそういう気持ちでいるっていう感じですかね。
悪いことを、ちょっと例えば、体が悪くなったりしても、
あ、これがあって、無理はしちゃダメだよっていうようなふうに
そこで気づかされることあるじゃないの。
ね。そことん、それを無理してまだまだって思って頑張る頑張るとしてたりすると
また取り返しつかんこともあるから
だからまあ、いろいろなことも起きるけど
もうね、それをまあ、良いことも悪いことも良し。
それでよかったって、あとからそういうふうに思うように。
なるほど。
近藤淳也
じゃあ、病気になっても、そういうふうに感謝できるっていう。
佐藤正子
それで気づかされることがあるじゃない。
また人の痛みもわかるし、自分が経験せんとわからないことだしね。
なるほど。
いやいやいや、もうなんか私はちょっとね、肩苦しもね、
元々ね結構私ねマジマジマジメって言うとはおかしいんですけど
マジメだと思いますよ
だから皆さん肩暮らしいんじゃないかなと思うんですけど
近藤淳也
いやいやいやいやもうあのすごく
佐藤正子
だけど結構乗ったりしますけどね
近藤淳也
乗る?乗るっていうのは?
佐藤正子
乗るっていうのが雰囲気の中で結構はしゃいだり
看護師から女将への転身
佐藤正子
楽しい時あったらね
いいじゃないですか
はいはいはい
近藤淳也
ありがとうございます。こんな佐藤さんのいらっしゃる本池中に
オフィスも募集中ですし、秋が出るとマンスリーで滞在することもできますので
もし佐藤さんに会いたいという方がいたら、ぜひ応募してみてください。
佐藤正子
はい、どうぞよろしくお願いします。
近藤淳也
はい、じゃあこの辺で終わりにしたいと思いますけども、
佐藤正子
本当に佐藤さん、今日はお時間いただいて
すいません。
近藤淳也
素晴らしい話をありがとうございました。
佐藤正子
本当にもう話が取り留めもなくてごめんなさい。
近藤淳也
いえいえ。
はい、じゃあこれで終わります。
はい、じゃあどうも本当にありがとうございました。
佐藤正子
はい、ありがとうございました。
近藤淳也
さようなら。
佐藤正子
(笑)
01:13:03

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