1. チョロっとラジオ
  2. #14 お便りに答えてみよう①【..
2024-07-01 25:53

#14 お便りに答えてみよう①【親ガチャという言葉】

00:13
チョロQさんとポカポカおしゃべり、チョロっとラジオ
パーソナリティの俳優、小松大介です。
この番組は、歌手、占い師、里親、主婦など、
様々な人生経験のあるチョロQさんと、
いろんなテーマでおしゃべりしてみようという番組です。
よろしくお願いします。
はい。ちょっと先にですね、私、謝んなきゃいけないことがありまして。
何でしょう。
前回、親離れ、子離れって何だろうっていう回で、
自分の子供の時の旅の話をしたと思うんですけど、
あ、聞いた聞いた。
ちょっといい感じだったんで。
先日ちょっと実家に帰った時に、母親に確認してみたんですよ。
こういうことあったよね。
全く覚えてませんでした。
おー、お母さん。
意図的ではなかった可能性が大で、
しかも、僕、小学校3年とか行ったような気がするんですけど、
さすがにそれはないだろう。
あ、お母さんにだっけ。
3年間では行かせない。
で、おそらく小学校6年の、5年から6年になる間の春休みだと。
冬は岩手で雪が降って動かなくなる可能性があるから、
それも危ないから冬はないと。
なので春休みで、小学校6年生だったらもう大体覚えてるから、年間。
だから行かせるんだったら、5年から6年の間の春休みじゃないか。
あらあらあら、季節も変わり、小学生の年も変わり。
だいぶもっちゃった可能性があるんですよね。
盛り盛りだね。
すいませんでした。
でも行ったのは間違いないよね。
行ったのは間違いないんですけど。
そっか、やっぱ思い出バイアスがすごくかかってて。
僕は小さい頃にこんなことやったんだぜって。
冒険ってやっぱ盛られますね。
やっちゃったな。
やっちゃいましたね。
でもそれが小学校5、6年だとしても、やっぱりそれは大冒険でしょ。
まあそうだと思うんですよね。
ちゃんと心の中に残ってるんで、すごくいいことだったと思うんですけど。
冬じゃないのはよくわかる。
岩手には私も常があるから、岩手によく帰ったりするけど、
小学生1人なんてよっぽど慣れてないよね。
そうね。
なかなかね。
場所によっては雪がすごいから、森岡の近くとかって言うなら別だけど、
03:05
そうね。よし、持った。
持った。すいませんでした。話でした。
で、今回なんですけど、ちょっとどこからともなくお便りが来てまして。
初のお便り。
どこからともなく来てまして、ちょっとそちらにチョロQさんとお答えいただければなと思いまして。
これが杉並区にお住まいのあらかわさん。
あらかわさん。
はい。いつも楽しく会長をしております。
チョロQさんに質問です。
つい最近、ちょっと前か。
ちょっと前。
流行った親ガチャという言葉について、どうお考えですかということで来てるんですけども、どうですかチョロQさん、親ガチャ。
どうお考えですかっていうよりは、今の子ならではだなと。今の子ならそうだろうなって思うところ。
なんでかっていうと、私たちの時代はやっぱり自分の親は見ている。でも外部の情報はそこまで入ってこない。今の子はネットでも入ってくる。
その他に、私たちの時と同じように、周りの親たち、自分と他の親との違いを目にする。
その中で自分が当たり外れ。
そんな感覚をより深く持つ。だから今時ならではだなって思う。
だって私たちだって、じゃあ覚えてないかもしれないけど、中には少なからず、
あのお母さんみたいに優しければいいな、なんか言った時にあんなにいつも買ってくれる親だったらいいなとか、ちょこっという思いはあった。
それをもっと激しく親ガチャ。
親ガチャ、ああこんな親じゃないのかガチャ変えちゃいたいとか、こんな親逆に自分から捨てたいとか。
そういうところの思いが今の子ならでは出てくる。
だけど、私は否定まではしないけど、あ、怖いなって。
そういうふうに思ってしまえること。
心の中の、やっぱり高校生ぐらいまでって、やっぱりそういう思春期で思いっていうのはどんどんどんどんあふれるのわかるけど、
人に対する冷たさだったり、簡単に物事を捨ててしまえる、そんな気持ちもポンと言葉に込められてしまうのが怖い時代だなあ、そう思うかなあ。
なんか取り替えられる、取り替え可能っていう認識が見え隠れするよね、ガチャっていう言葉に。
06:03
前ね、違う子供とちょっと話をしたことがあるんだけど、親ガチャできたらって、その子は切実に考えるのはわかる状況なんだけれども、
でも、その子自体は変えられないからこそ親ガチャしたいと本当に思うんだって。
そうじゃないと自分の中に憎んでしまったり、自分の中に悪のような気持ちが芽生えることを感じてしまう。
だから親ガチャって使う子もいれば、もっと軽く使う子いるよね。
ちょっとイライラした、話が合わない、もう親ガチャ。
見方を変えるとちょっとこう、視点の視座が一個高いっていう、高いってことじゃないな。
メタ認識されている、ちょっと嫌だけどしょうがないか、みたいなくらいで使う人もいれば。
もっと重い感情の子もいて。
親からしたら、親ガチャって言われるのはきついよね。
自分がガチャの対象って言われるんだよ。
SSレアかレアかみたいな言葉。
ゲームかよ、みたいな。
でもそういう子たちも、あともうちょっと経って、親にならない子もいるけれど、
親になった時に初めてわかることだと思う。
今の時代で親ガチャって言われるんだから、その先になったらまた発展したものが出てくるんだよね。
想像つかないような言葉だ。
その時に初めて自分たちが言った言葉の重さだったり、それに対して傷ついた親の気持ちがやっとわかるんだと。
子供にはまだそこまでわからない。
友達親子の話があったときも感じたんだけど、
ちょっと親とこの関係性が上下から相対化されている感じはするんだけれど、
なんかそれがちょっと軽いというか薄っぺらいって言われる言葉に俺は行き着くんだけど、
考えが浅いという風な感じを持っちゃうんだよね、親ガチャ。
子供から見たときに、毒親っていう言葉もちょっと流行ったんだけど、
それは多分昔からある認識。
ひどい親だし、子供と親のずれみたいなことから生じることはたくさんあってきたと思うんだけど、
子供が親を判定して軽んじるみたいな感覚は割と最近だよなっていう感じ。
09:00
私たちが年を重ねることによって親がやってきたその年代になったときに、
その親に対しての気持ちがそれぞれあったと思う。
感謝だったり、なんでうちの親はこんな風だったんだろう、こうしてくれたらよかったのに傷つくなとか、
両方の思いがこの年になって湧いてくるのはわかるような気がする。
でも子供たちには本当はまだそこまで本当は見えないはずなんだよね。
でも今、中にはちゃんと親に対してありがたいと思っている子もいるけど、
尊敬とか親のようになりたいって思っている子が少なくなっているのも確かなのね。
やっぱりそこからも親がちゃって生まれるんじゃないのかな。
軽いんだよね。
すごい軽い。
だから本当にゲーム感覚で怖いなって。
でもそれを今の若い子たちに言うと、だから昭和はとか。
軽い上に狭いよね。
認識が、子供だからしょうがないっちゃしょうがないんだろうけど、
そこの家族の空間だけをゲーム世界みたいに捉えているのは、
それはちょっと狭いなという捉え方になっちゃう。
いくら今親がちゃとちょっと違うかもしれないけど、
その子供たちの視線を見ていても、
じゃあ学校なり塾なり、何でも習い事なり、何でもある。
その中で友達関係っていうのはあるけれど、
やっぱりネットやSNS、小さな頃から、
じゃあ子供がちょっとうるさいからタブレットでこれ見ててもらって静かになってもらおうって。
そういう中でネット社会に小さい頃から入っていく、そんな世代になっているから、
そうなると頭の考え方が、みんな外での私たちの時代と違って、
ギュッと固まった凝縮された部分だけの見方が広がっていくんだよね。
そうすると大きな見方じゃなく小さなところで、
よくチャットでわーって話しているみたいな感覚。
一つのことでわーって、悪口でもいいことでも盛り上がる。
そこの感覚で全てが、全てのことが移動していく。
そうすると親がちゃって、あ、わかるなって思うでしょって。
そうね。
そうなんだよ。
もうこれはね、時代の流れ、私はいいものだと思わない。
はっきり言ってね、古い人間だからね。
たぶん、子供の言葉の綾みたいな扱いでいいと思うんだよね。
あんまりいい気分はしないだろうけど、気にしないって欲しいかなっていう感じはしますね。
よく家族の会話の中でも、子供なんか親と喋ってくさーっとか言ったり。
12:03
でもそれは子供たちの間での会話と同じもの。
何考えても、もう深く考えてもどうしようもないんだよね。
親がちゃってできるものだったりしてみたらできないからとか。
それぐらいでさらっと流しといて、後になって感謝するからねって思って流すしかない世代なんだと思う。
これを言ったらものすごく怒られるし、とっても不謹慎な言葉とわかってあえて言うんだけど、
子がちゃっつったらものすごくやばいじゃん。
そうね。やばいね。
それはすごくやばいじゃん。
子供が親に親がちゃっていう認識とかものっていうのは許されるか、
逆の言葉は許されないっていうことをわかってほしいかなという気がしますね。
これをまたちょっと違う視点で見ると、
じゃあ、今全員とは言わないけれども、結構な多さで出てきているのが、
新しく会社に入りました、辞めてしまいます。
すごく早く辞めてしまう子も増えているし、
辞める時に自分で退職しますっていう連絡もなしに代行者に頼んでしまう。
それも増えているし、それと同じ並びだと思うんだよね。
それも自分が率先して関わらない。
だって会社に入った時だって親がちゃ親を変えてしまう発想でしょ。
会社の根本は自分が嫌だから辞めよう。
でもね、ものの1、2ヶ月、長くても3ヶ月で辞めてしまったら、
本当のことを言って、ここの会社で何が必要とされていて何ができるのか何もわからない。
せめて半年、1年いなきゃわからない。
本当はそれでもわかるかどうか。
でもね、今の世の中は何をするかって会社側もいけないよね。
その子たちが辞めないようにしよう。
注意したらダメだよね。
注意しないで、ここはできるね。
だからこうした方が良くなるよねって。
そうやってフォローしながらやっていこうね。
もう全てがそういう世の中になってきているから、
結局彼らにとって本当に人間として成長するのは何だろう。
親ガチャから変わらないまま大人になっていく。
そうね。そのガチャが良いのが出るまで引くみたいなことになって、
どこに自分のエネルギーを注ぐかみたいなのを待ち続けて終わっちゃうみたいな。
できる子は本当にできる。
そうでなく、マニュアルの通りにはできるけれども、
それ以上ひらがなことができない子もたくさん出てくる。
全てにおいてその子の持っている感覚で、
15:02
親ガチャって言ってるのも軽いままだとそのまま流れちゃうし、
それがちゃんと考えて物事を発して変えていこうという発想からちゃんとやっていける。
前向きな考えの子に関しては悪じゃなくてね。
その言葉一つの良い方向に向かう。
そこがもう少し社会に出る時の意味のある言葉になればいいなと。
全てがゲームなんだよね。軽いんだよね。
擬似体験じゃなくて本当の体験だからね。
理社会ではね。
早く新認識できたら親ガチャって言葉が良くない言葉だったなってわかると思うんだけど、
そうなることを願いますね。
そうだね。そういう経験をしていってほしいなと思う。
親ガチャで傷つかないでくださいね。そんなもんです。
ありがとうございます。
続いてのお便り。
小金井市のカネヤンさん。
佐藤屋制度に興味を持っています。
質問なのですが、お預かりした後、佐藤子さんとの関係はどうなるのでしょうか。
実際のところをお聞きしたいです。
まず、根本的な考え方なんですけど、
この佐藤屋って、もともと実親さんに必ずお戻しできるようにしようねっていうのが前提なんですよ。
なので、お預かりしても、親と交流があればちゃんと親へ戻す。それが前提。
でも、親とうまく交流ができなかったり、今後も難しいなっていうことになってしまえば、
そういう子は18歳、高校を卒業するまで、どちらかまで佐藤屋のお家だったり、どちらかの保護施設にいるので、
その時にも佐藤屋にいた時には、18歳過ぎても、それは佐藤屋さんの考えもあるけれども、
18歳以降もつながって、個人的に、児童相談所は抜きにして、個人的につながっていくということもあります。
じゃあ、お預かりして期間が終わって、その後、チョロキュウさんを頼って会いに来るみたいなこともあるってことですか。個人的に。
実際、本当はこれは、いけないことなんで、内緒なんですけれども、
うちにたまたま18歳までいた子というのは、実親さんが近くに住んでいらして、逆にそこに戻ってもらって仲良くするために、
一緒に、私たちはフェードアウトをして、距離を上げて、会わないようにしていきました。
18:05
それで、親とちゃんとうまくできるようにしたんですけど、
本当は最初に言った通り、実親さんとつながりがある子というのは、必ず親に戻そうという。
これも国でも、それぞれの都道府県でも、皆さんそう考えていらっしゃるので、その通りにやっているんですが、
中身は、お家に帰った後に、やっぱりどうしてもつらくて、うちにふらっと訪ねてきた子もいたし、
あとは、これは本当にいけないことなんだけれども、
お家に帰って、実親さんも病床の上でたまにうちに遊びに来たりする子もいます。
これは児童相談所は絶対に行けないと言っていることだから、本当は内緒。
うちは実親さんに内緒では絶対に会わないようにする。
実親さんがOKであれば、じゃあうちに遊びに来て、その時にいいよ、親の愚痴も聞くよって言いながら、それで工事を持っている子もいます。
なるほど。
制度的にはね、そういう社会復帰というか、正常な親子関係の修復に向かうようにっていうことなんだけど、
人と人との繋がり的なことで支え合う程度のことはありますよっていう感じ。
うちはもうくるこくるこに言っているのが、当院親戚だと思ってって言っているから、
それで生活をしていく上で、私たちが預かっている様々な期間がありますけど、
その中で子供が心を開いて、こちらから聞くことはなくても、自分の心の内をどんどん開いて、相談だったり、討論していくことがある。
そうやって培った信頼というか、その中で聞いてくれる大人。
そういう感じで思ってくれている子で、現実社会で辛くなっちゃった時に会いに来る子がいるっていうのが現実かな。
単純にね、僕は制度に入っていないし、制度をきちんと理解はしていないんだけど、
やっぱり一人の人間として心の寄り所が多くあるってことはとてもいいことだし、
それが許されているだけで、生きていくのがだいぶ楽になるんじゃないかなと思うんですけどね。
児童相談所の方も、もちろん18歳までも支援するし、その後とかでも、ちゃんと決まった期間、学生だったら何年ぐらいとか、
もう長いと10年ぐらいちゃんと相談員の方が聞いてらっしゃったりする制度も今はあるんだよね。
21:06
でもそこだけで話し切れない子もいたり、いろいろいるのが現実で、心がやっぱり開けない子は開けないから、
その相談所の人とかに関わった人にはあんまりっていう子もいる。
だけど児童相談所側が、じゃあ里親がそれ以上付き合わないよって、これ以上会わないって、
もうさよならしたらそのままでよっていうことの意味はわかる。
家とちゃんとつながりを持たなきゃいけないっていうものもあったり、
プラスじゃあ里親を何人も預かっていたら、じゃあ何人も今後ずっと?って。
何か他に誰か支援を私たちにしてくれるわけじゃないから、
私たちが全部自分たちの心だったり偽りだったりで、すべて一緒に関わっていくだけ。
それは絶対つらいことだっていうのがあるから、相手も児童相談所側も、そういうつながりはダメよって言ってるんだよね。
どこかでラインは引かなきゃいけない。
そう。だからほとんどの子が、それはそれで終わりって。
本当につらい子だけが来る状態かな。
里親に興味を持ってらっしゃるなら、一度研修とか受けてみるのはすごくいいと思う。
あとボランティアで長期で保護をしているところの施設とかに行ってみて、
こういう環境で暮らしているんだとか、そういうのを知った上でどうなんだろうってやってみると、
肩に力を入れずに子供を預かることができれば、子供の心を開いてくれるし、笑顔を増やしていってくれれば、
それが自分たちにとってもいい心の栄養になるし、幸せな時間を一緒に過ごせるし、とってもいいと思います。
ちょろきゅうさんがおっしゃったボランティアっていう感覚が、この里親制度とあまりリンクしてないように感じますよね、現代日本だと。
そうかもしれない。
やっぱりプライベートの感覚が強いじゃない、この里親制度って。
佐藤豪さんのプライベート執行ということだと、あまり表に出せないみたいなイメージがあるから、
あれだけど、やっぱりボランティア制度として捉えれば、もう少し広まって、
勝ち負けじゃないんだけど、ウィンウィンな関係性でやっていけそうな感じはしますけどね。
ちょっと話が長くなってしまいますけど、長期と一時保護っていうのがあって、
一人のお子さんと長く関わってやっていきたいのであれば、長期っていうのもある。
逆に長い時間一緒にいるのが辛いのであれば、やっぱり自分のプライベートをある一定期間で抑えたいのであれば、一時保護っていう手伝い方もある。
24:03
ただ一時保護は必ずその都度新しい子が来るということは、もちろん食べ物の好き嫌いも違う。
起きる時間寝る時間すべてが違う。その都度その子たちが違うからこっちの対応方法も変わる。
そんな大変さもあるし、長期保護のいいところはっていうと、長くいるから大変私にはできないっていう人もいるけど、
いやいや、大丈夫。犬や猫と同じで、自分の家に入ってくれば家族になるんだよね。
3ヶ月半年とかなってるうちにどんどん息が合ってきて、それが一つの家族になっていくから、そんなに重く受け止めなくても、
それはそれでやっていけると。両方私はやったのでそう思います。
なるほど。こんな感じですかね。
そうですね、じゃあ今回は第1週目こんな感じで。
次回もお便り来てるんで、これにお答えいただきたいと思います。
はい、分かりました。
今回はこんな感じで終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
25:53

コメント

スクロール