で、ご存じない方のために、ご説明しておきますと、もともと、美輪明宏さんって、長崎で生まれ育った方なんですね。
で、亡くなられたのが、91歳という年齢からわかると思うんですけど、戦争体験をされていて、長崎で被爆体験をお持ちなんですよ。
だから、反戦歌とか歌ってらっしゃるし、あと、亡くなる直前まで、戦争反対のメッセージを送り続けていたっていう方なんですよ。
コラムとかインタビューでも、いかに戦争が愚かれ、権力者とかね、偉い人たちの傲慢さに庶民が振り回されるかっていうのを訴えていらっしゃったんですよね。
それは実体験のある方だから、もう髪の毛も顔も皮膚もドロドロになったっていうね、被爆者を目にされている方だからさ。
ツイート番組とかで、そういうインタビューをピックアップしていたりっていうのを見た方もいらっしゃるんじゃないですかね。
まあでも、テレビの影響力少ないからな、どうだろうな、見てない方もいるか、戦争を止めなければならぬ、みたいな強いメッセージをね、発信されている方だったっていう紹介を、そう、結構テレビでね、してましたね。
さらには、同性愛者であることを公表している、みわさんがたしか15歳ぐらいで、歌手を目指して上京した後の話、でもまだ昭和の頃なんですよね。
昭和の頃ですからね、当時だったら、ほんとに珍しい、稀有な存在だったんじゃないですかね。
今のLGBTQという言葉が浸透するうんと前から、多様性とか平等、そして差別する人間の卑劣さとかね、訴えてらしたのよね。
だいぶ生々しい話するから、ちょっと気分悪くしたらごめんね。
私、みわさんの反省を振り返ったエッセイかな、読んだ時に、お付き合いしている男性がね、いいところのお坊ちゃんだったと。
で、そのお坊ちゃんだった当時のお相手さんが、その同性愛であることが家族にバレた時に、ものすごい怒られるというか、家族会議になって大事になってしまったと。
でた時に、直後、そのお付き合いしていた方は、自ら死を選んだ、という体験談をエッセイ本に書いてらしたのよね。
だから本当に、今でこそ同性愛者ってだいぶ浸透して、
きもいだの、怖いだのって、目の前では、目と向かっては言われなくなったけど、昔はもう本当に病気だとか言われてたり、公表なんてしようもんなら、何を言われるかわからない。
石を投げられたってね、みわさんおっしゃってたりしてましたね。
ある意味、パイオニアを公表したことにより、その同性愛者だって、普通に暮らし、生きて何が悪いんだ、ということね。
そのようにですね、濃い人生というか、想像を絶する、想像を絶するなんていう言葉が、本当に軽すぎて申し訳ないぐらいな、人生を送っていらっしゃった方でね。
91まで生きていらして、きっと今の時代を嘆いていらしたんだろうな。
世界のどこかでは、まだ未だに戦争が起きててね。
そういう深みのある方だから、お悩み相談とか、本当に人気だったんですよね。20年ぐらい前とか。
そんな中、三浦晃さんが出版された数々の本の中で、出会ったのが、政府の法則っていう本なんですよ。
政府の法則は、正しいに負けると書いて、政府ね、っていう本と出会って、もうね、これがね、私の支えとなったんですよ。
本当に簡単に説明すると、私のようやく力、語彙力でわかるかな、伝わるといいんですけど。
簡単に言うと、政府の法則って、世の中の出来事は、自分に起きる事象は、全て政府の法則があるんだよと。
プラスのように見えて、マイナスな面もあるし、マイナスなように見えて、プラスな面もある。
人間ってさ、隣の芝生は青いだから、ついつい羨ましいとか、嫉妬しちゃうっていう感情を抱いちゃうじゃないですか。
そりゃあ私も抱くし、きっとあなただって、皆さんだって抱くでしょう。
なんら普通のことだけど、でも肩書きとか見た目で、人を判断しなさんだっていう内容なんですよ。
もうざっくりね、本当にざっくりすぎる説明ですけど。
本を読めば、具体例がいくつかあるんですけどね。
例えばね、よくみわさんのもとに、恋愛相談とか、結婚するしないとか、結婚した後のお悩み相談っていうのが、やっぱりね、多かったイメージなんですよ。
で、こういうふうにね、書いてらして、独身で結婚願望がある人は、結婚している人に対して、
結婚者に対してね、いいなあ、幸せそうで、ってうらやましがると。
だけど、結婚者からすると、喜びだって2倍、大変さも2倍、心配事だって2倍、幸せだけ、なんてことはないんだよと。
で、それは家族が増えれば増えるほど同じで、子供が増えたら今度はね、パートナーと子供と、
幸せも3倍、大変さも3倍、心配も3倍、ね、生きていくお金だって3倍になる。
っていうように、一つの事象をね、プラスの面もあればマイナスの面もあるでしょっていう、まあそう言われれば、まあそうだよなって、皆さんもお分かりになるのではないでしょうか。
で、当時私は独身で、結婚願望あるけれど、なかなかいい相手というか、なんかこの人って人に出会えてなくて、どうなるんだろう、私孤独死すんのかしらと思ってたんです。
だから寄り添うそれに染みちゃったんだけど、こういうことも書いてあってね、独身の人は孤独とか寂しさを抱く時もあるでしょうと、だけれど一人だからこその気楽さとか自由さだってあるんだよ。
要はプラスの面もあるんだよ。
もしかしたら、そういった一面を他人が見たら、いいな自由で、いいな気楽で、羨ましいなって思われるかもしれないっていう具体例が書かれてたんです。
え、早坂さんそんなんで感動してたの、え、当たり前じゃんっていう人生たっかんした方からすると鼻で笑われそうなんですけど。
いややっぱりね、なんかね、20代後半、28、29、30あたりってやっぱね、なんやかんや不安になったりするんですよ。
結婚願望のある人はね、結婚願望が私あったからさ、全然ない、もう私一生独身でいたいんだよねっていう友人知人からしたら、そういう悩みはなかっただろうし、まあでも悩みがないように見えて、その人たちも別の悩みがあったかもしれないよね。
というように、人のたった一つの側面だけを見て、幸せそうだな、不幸そうだな、いいなーとか、うらやましいって、勝手に判断しない方がいいよって話です。
で、この政府の法則をわかっていれば、心が楽に生きられるよっていうことを、宮さんはずーっとこの政府の法則っていう本でおっしゃってたんですよね。
なんで、三浦晃さんのそのね、言葉が、本が心の支えだったかって言うと、まあその20代後半の気持ちも体調も揺らぐ頃だったからってのはあるんですけど、
私ね、中学2年生の時、全クラスメイトから無視されるっていういじめを受けてたんですよ。もうそこから私、人が怖いわけ。人間って怖いなって思っちゃうんですよ。
あまりね、すぐには信用できないの。もうこの世に信用できる人って、私ね、今2人しかいないかな。あ、3人。3人しかいないかな。
っていうのと、あとね、親族にお寺関係者がいまして、このお寺ってのは、あれね、
善財さん、団家さんから奪うような、あの例の統一なんちゃらとかじゃないからね。はい、違います。違うんですけど、まあちょっと、
お寺の名前は出さないでおくけど、で、母親の実家だったから、結構、繁忙期の頃、お彼岸とか、そういう忙しい時期は、私も一緒にお手伝いに行ってたんですよ。
で、具体的に何をお手伝いするかっていうと、もう50人とか100人とか多い時、集まるので、
団家さん、つまりお客さんがいらしたら、お座布団を出すとか、お一人お一人にお茶を入れて、お茶菓子出して、
こんにちは、ようこそいらっしゃいました、みたいな、少々お待ちくださいね、お待たせして申し訳ございません、みたいな感じの対応をしてたんです。
で、そこで多くの人たちと出会って会話するっていうのは、すごくいい経験だったんですよ。
もう本当にね、80、90のおじいちゃん、おばあちゃんから、母親、父親ぐらいの世代の人から、自分より年下の幼稚園とか、小学生ぐらいの子どもと出会うとかね、それはね、めちゃくちゃいい経験だったなって思うんですよ。
ただ、一方で、肩書きによって、人ってさ、対応とか反応を変える人いるんだなっていうのを知っちゃったんです。
それは何かって言うと、私は、住職、つまりお坊さんね、お坊さんの娘とか孫ではないんですよ。
で、私の鳩子が、お坊さんの、そこの住職さんの孫だったんですよ。
で、その孫にあたる鳩子っていうのが、私と一切しか違わなくて、ほぼ同年代の女の子いたんですよ。
普通にいい子だったんですけど、お客さんからすると、その男家さんからするとね、同世代だから、私がそうやって接客をしてると、
あ、あなたが住職さんの?って、まごと間違えられてたんですよ。
で、あ、いえいえ、私はなくて、あっちにいるあの子ですって紹介して、言うと、あ、なんだ?みたいな感じで、
それまでニコニコ笑顔だったのに、ぱっと無表情になって、こいつに話しかけても何にも得ねえや、みたいな態度をされたってのが、一度や二度じゃないんですよ。
何十回もあったんです、正直。それで知っちゃったの。
あーなるほどねーって、お坊さんの孫だったら、ちょっとなんていうの、多分ね、マッスルじゃないけど、
あの、いい態度をとっておけば、あの人、かんじいい人だったよって、おじいちゃんに向かってね、孫が言うかもしれないから、でも私のね、鳩子はそんなこと言う子じゃなかった。
いちいちあの人いい人だったよとか、あの人悪い人だったよなんて、言うようなね、子じゃなかったんですけど、そういう意味でもいい子だったね。
そんな鳩子だったんですけど、まあ私はそういう対応されるとさ、
あーやだやだ、大人ってそうやってね、自分にメリットない人間には笑顔すら見せないんですが、へいへいそうですかっていう、まあひねくる者に育っちゃったわけなんですよ。
でそれね、母親にもね、相談というか言いましたよ、こんなことあったんだよねーって、まあそうしょうがないから笑い飛ばしなさいって言ってました。
というような経験からね、まあ卑屈になってたわけですよ、早坂は、10代後半の頃。
でそんな時、大学生の頃とか、社会人成り立ての頃に、三浦晃さんと出会って、政府の法則と出会って、
あ、なるほどな、と前向きになれたんですよね。