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2025-03-24 10:39

その831、人生は一瞬やったり長かったりみたいな

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サマリー

藤井和さんの特集番組を見たことから、彼は人生の一瞬一瞬について考察を展開します。また、インスタグラムの影響で感じた自己満足の象徴や承認欲求についても触れ、彼は自分の幸せについて再考する機会を得ます。

藤井和との出会い
2025年3月24日、月曜日毎度お気にタートルでございます。よろしくお願いいたします。
久しぶりにテレビを見たんですよ。録画してたやつの再生をしたんですけど、
NHKで3月20日に藤井和さんの5年間の奇跡、NHKがおったはったやつのダイジェストみたいなやつ、
紅白歌合戦とか、ライブする前のドキュメンタリーみたいな、つなぎ合わせたような、そんな感じのやつなんですけど、
45分の番組やったんですね。
テレビというか、いつもご飯食べるとき、晩ご飯食べるときとかって僕一人なんで、
だいたいYouTube見ながら食べてるんですよ。見ながら聞きながら。作った人には悪いですよ。
なんかしながらってね、作ってもらったご飯、食事のね、味わいそっちのけで動画に集中してしまってるわけですから、
非常に申し訳ないということを分かっていながら、効率を重視して見ながら食べたりするんですけれども、
藤井和さんの録画を見ているときね、おはぎ食べてたんですよ。
おはぎをお皿に置いて、温かいお茶入れて、藤井和さんの見ながら食べようと思って、
テレビで録画再生して、45分間見終わったら、お皿にまだおはぎ残ってました。
それぐらい魅了されたということです。おはぎが進まない進まない。
バクバク、先に食べてしまってテレビ見るとかじゃなくて、テレビに本当に食い付けになって、
アーティストのクリエーション、溢れる歓声、細かいこだわりですよね。
音楽の人だから歌唱力とかピアノ技術はもちろん僕が評価できないレベルですよね。
僕みたいな素人がすごいなって言ってるのが惜しいぐらい、
もっとどうすごいか、見る人が見たらそのすごさをもっと表現できるんですけど、
そういうのができひんぐらい、すごいなとしか思えなくて、すごいとは思ってるんですけれども、
話すことの一言一言とかが妙に確信ついてるっていうか、
本当に向き合ってるなこの人っていう作品、あるいは人生においてすごく向き合ってるなと思って、
もう釘付けになって、45分間のテレビ番組終わってもまだおはぎ残ってたっていうね。
すごい、おはぎに勝った藤井和さんやなっていう。
お茶は一回飲み干して温かいの入れ直しましたけどね。
インスタグラムの影響
いやすごいなと思って、僕はおはぎより藤井和さんやったということを思いましたということで。
NHKがトップアスリートとかそういうトップアーティストとかを追跡取材をして、ずっと密着をして、
それで一つの番組に仕上げたら、何でもそうなるんちゃうかなってちょっとだけ思ったんですよ。
僕みたいな一般人の末端の末端の過疎みたいな、そこまで詐欺すまんでいいと思うんですけど、
僕にしかり、ほんまに一般人、あなたあなたあなた、あなた、人生のドラマを作ってるじゃないですか、自分のドラマをね。
それを密着、こんなに普通の生活してて密着してもらって何もないですよとか言いながらも、ずっとカメラ回されて言ってる一言一言を録画され、録音され、
それが一つの映像作品となって、プロの手を使ってね、映像作品となって仕上がったものに音楽がそこについてたり、
言ったことをテロップつけられたりすると、結構見れるもんになるんちゃうかなって思って。
面白くないですか、自分のなんか情熱大陸みたいなことですよ、つまり。
プロの手にかかったらもしかしたら自分のっていう淡い期待を持ちながら、いやそんなことはないと。やっぱりそのプロ、藤井風さんやっぱり僕好きやなーって改めて思いましたということで。
えーっと、そういうことを思いましたよということだけですね。
あと全然話変わるんですけど、久しぶりにインスタを見たんですよ。
僕自分のインスタアカウントプライベートのやつがあってね、このweb3とかstifleとかそのタートルですじゃなくて、生身の自分がやってたやつが昔あって、
で、もう投稿はほんまに1年に1回するかしーひんかみたいなぐらいしかしーひんし、で普段人の投稿を閲覧することは皆無なんですよ。絶対見ないんですよね。
で、なんか最初多分意図的に見ないようにしてたら見ないことが習慣化してるから別にいいかなーって見んでもいいかなーと思ってたんですけど、
久しぶりに見たんですよ。インスタ自分のプライベートの方を。
そしたら、自分のフォローしてる、要は友達ですよね。友達とか知り合いとか、同僚とかのプライベートの投稿が上がってくるじゃないですか。
それを見ててね、やっぱちょっとね、もやってするっていうか、羨ましいなって思うというか、ほんまにこのインスタの投稿って、なんか自己満足の象徴やなって思ったんですよ。
リア充の披露の場でしかないなって思いました。
営業とかクリエイターとかそういう目線じゃなくて、ほんまに普段の投稿してる人。
僕見てたのは、スノボ行ってきてめっちゃ上手く滑ってはるーとか、楽器の演奏をみんなでバンド組んでやってはるーとか、
あとは、なんかペットと戯れてるーとか、息子が卒業しましたーとか、
ほんま幸せしかないなと思って。
ネガティブ投稿とか、こんな見たくないなーみたいなのはなくて、
どれ見ても、ほんまにこの人のいい部分の切り取りみたいなことやって、
ちょっと持ってかれるっていうか、気持ちを。
なんでしょうね。
うわーいいなー幸せそうやなーって、楽しそうやなーとか思う反面、
自分はこの楽しいところに加われてないのかとか、
自分はそんなに楽しい日々を過ごせてるのかとかね、
やっぱちょっとね、人の幸せを見ると、
うわーいいな幸せやなーっていう気持ちと同時に、
自分はそんなに幸せに生きられてるんだろうかみたいなね、一瞬なったんですよ気持ち。
うわーと思って、こーわーと思って、こんな見たかんわー思ってね。
もうしばらく、しばらくというかまた見んとこうと思ってるんですけど、
すごいですよね、インスタの力って。
だから承認欲求みたいなものが多分に含まれるんですよね。
僕もこんな楽しいことしてるんですよーみたいなのを負けじとやらなあかんような、
幻想に参加せざるを得ないとかさせられてるような気持ちになってしまうんじゃないかなと思ってね。
こーわーと思って。
人生の一瞬
最近極力ね、やっぱ承認欲求とか自分の欲とかエゴとかをできればなくしたい。
大きな思想としてはなくしたい。
なんかその時その時のね、思いつきの動物的欲求で、
あるんですよ、欲がやっぱ出てくるし、あれしたいなこれしたいなーって。
でもなんか、それに意味あったっけとか、それをすることでどうやったっけとか、
いやいやいや、ありますよ、やっぱ満足感とか幸福感とかを得てまた幸せに生きていけるみたいなのあるんですけど、
なんかね、最近その行ったり来たりしてるんですよ。
今なんかしたい欲って、満たされたらすごい気分いいじゃないですか。
なんか、それは自分だけに対しても人に対して何かをして喜んでもらえたっていうのもね、
これもしかしたらエゴなのかもしれないなと思って。
めっちゃすごい欲があって、その欲が満たされたら自分も人もすごく幸せっていう今この瞬間をものすごい俯瞰したところから見たら、
それって別に意味あることなんかなーとか、なんか人生のうちのほんまに一瞬でしかないよねーってこれが、
次の瞬間も人生終わってるよねーみたいなことになると、
はてはて、はてさてやなーと思って。
でもこの一瞬一瞬を楽しく生きたいっていう気持ちと、
逆もしかすると、ものすごい落ち込んでめちゃくちゃショックなことがあってもう人生終わったみたいなことがあっても、
辛すぎる瞬間があってもそれをぶわーって俯瞰してみたら、その悲しみも一瞬だけよね。
次の瞬間、十数年後にはもうそのことはちょっと薄れてるよねーって。
100年後だったらもうあなた死んでるよねーみたいなことになるので、
なんかね、行ったり来たりフォーカスして、
ズームアウトしてみたいなことをね、最近思想の中で繰り返してて、
一旦私は何がしたいんだということを非常に楽しんで、これさえも楽しんでる。
なんか行ったり来たりして、すごい自分で自分を翻弄してる。
でもそれが楽しくもあり、すごく悲しくもあるっていうね、
謎な現象に最近苛まれてるっていうような花粉症のざれ事でございました。
以上でございます。
10:39

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