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2025-01-23 09:29

その771、スタートもゴールもみんな違うでみたいな

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2025年1月23日木曜日、毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
昨日一昨日とテレビを見て思ったこと感じたことっていうお話をしたんですけれども、
事実をテレビを見て思った事実みたいなことを喋っても面白くないなと。
それを見て、タートルがどう感じたか、どう思ったか、こういう考えに至ったっていうことを話すチャンネルのはずなので、もうちょっと自分の思考の深いところまで喋れたらなぁと思います。
誰のためにでもないです。自分のために喋っております。よろしくお願いします。
そうそう、CMの差し替えがあるじゃないですか。AC公共広告機構のCMがよく流れているそうですよね。
この間、普段テレビ見ない僕が小一時間見た中で出会ったCM。ここに気づき、考えるヒントがあったので、ちょっとその話をしたいんですけど、
そのACの広告が流れていて、皆さんももし僕が今から言うそのCMを見られたこともあるかもしれないんですけどね。
どういうもんかというと、アニメーションで描かれていて、ナレーションではこういうことを言ってあります。
みんなスタート位置は同じだと思っていた。
なんかちょっとイントネーション変でしたね。みんなスタート位置は同じだと思っていた。みたいなナレーションから始まって、
その描かれているアニメとしては、50メートル層なのか100メートル層なのか知りませんけれども、
自分だけスタート位置がやたらと後ろからスタートさせられているようなアニメなんですよね。
で、そういうことを言ったはって、その後のCMの行く末とか、アニメがその後どうなったのかは覚えてないんですよ。
そこだけにすごく引っかかって、ちょっと自分の考えるきっかけだったなと思っていて、スタート位置はみんな同じだと思っていた。
けど違ったっていうことがその裏には隠されているんですよね。たぶん言いたいこととしては。
で、その50メートルでみんなが公平になるようにスタート位置を変える。
例えば走り早い人はみんなより早いからちょっと後ろからスタートねと。
運動苦手な人はスタート位置をちょっと前にして、要はゴール地点でみんなで一緒ぐらいになるような配置。
こういうことをしたいわけではなくて、なんか自分だけやたらと後ろからスタートさせられているなとか、
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みんなは横一列並んでいるのにっていうアニメなんですけど、
場合によっちゃスタート位置よりも前からスタートする人がいるかもしれないですよね。
ここでおかしいなと僕が感じたのは、スタート位置が違うんはまあまあ確かにあるはなそういうことって。
でもそれと同じようにゴール位置もみんな違って叱るべきなんじゃないかなって思ったんです。
スタート位置がみんな違ってゴール位置が一緒だったら、それはその自分が不利になったりしますよね。
後ろからスタートさせられていたとしたら、でもゴールってみんな同じやったっけみたいな。
このゴールが同じっていうところが、いわゆる義務教育ですよね。
小学校、中学校の教育っていうのは、その個々の能力っていうものはそれぞれあるものの、
勉強できる人は成績が良いと。通知表的な成績が良いと。
運動できる人は体育の成績が良いと。だからそれぞれに評価はされるけれども、
評価基準はちょっと僕は教員ではないのでわかりませんけれども、
同じように評価されますよねきっと。
評価基準が一緒っていうのかな。
相対的に見ているのか、個別に見ているのかはちょっとわかりませんけれども、
この子ものすごい運動できるから体育の成績が良い。
この子ものすごい点数100点ばっかりやから、学力の成績が良い、みたいな。
小学校、中学校の成績の評価っていうのはみんな同じだと思うんですよ。
これがさっき言ったゴール地点はみんな一緒じゃないかなと。
この基準に対してどれだけ自分が到達しているか、みたいなことになってしまってるっていうか、
そういうもんなんやと。
義務教育終わってからの、中学を出てからの人生、
高校に行く、行かないの選択がそこから始まるじゃないですか、みんなとの違いっていうものが。
この時点がスタートやとしたら、スタート位置ってみんな違って普通だよねと。
中学を卒業して俺はスポーツ選手になるんだって、陸上選手になるんだ、誰よりも走りが速いからってなったら、
そこに向かう道がありますよね。
むちゃくちゃ勉強が得意やけど、めちゃくちゃ走りが苦手な子がいて、
さっきの子と同じように陸上の道を目指したときに、スタート位置はめちゃめちゃ後ろになりますよね。
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もうその時点でハンデというか差があるわけですから。
こういうふうに見てみると、それぞれの向かうゴールに向かってスタート位置も変わってくるよねって。
だからスタート位置がみんな違うっていうのは当然のことなんやなと思うんですよ。
それと同じように小学校中学校の評価としては通知表の評価というのは先生として評価基準があるんでしょうけど、
中学を出て以降自分の人生のゴール、目指すものとしてはそれぞれ違うものを目指して進むんですよ、そこからは。
スタート位置も違えばゴール位置も違うんですよ。
だから50m走で例えるとスタート位置はみんなそれぞれ違っても、
用意ドンで決められたあなたは1レーン、あなたは2レーン、あなたは3レーンをまっすぐ走って同じゴール目指すんじゃなくて、
1レーンの人は用意ドンからビューンって思いっきり左曲がってあっちに行くんだみたいな。
2レーンの人は途中までは1レーンの子と同じように左にビューンって曲がるけど、途中から俺はこっちだってそっから湾曲して右に曲がっていくとか。
ゴール位置違うし、走る長さも違うし、スタートも違えばゴールも違うんだよって。
それが人生なんだよっていうことを考えましたよね。
そのCMを見てからあとしばらく。
何が良いか言って、それぞれの道はもうそれぞれですよと。
相対評価はなくなるんです、そこから。
自分は何を目指して、何を目標として、自分がどうなりたいかをイメージして、それが自分の幸せだと考えるようにすれば、
自分が目指すルートっていうのは出来上がるんですよ。
そのルートは人と全く違うものやから、相対評価に意味はないんですよ。
仮に全て同じものを目指している、同じ職業を志している人、同じ目標なんだとしたら、
その人との評価、相対的に比較するっていうのは意味があることかもしれませんね。
だから何となく生きてようが、自分はこの道で生きていくんだと一本道見つけようが、
自分で判断して、自分が志さえすれば、それが幸せへの道なんだと自分が強く思って生きていく、これが人生、幸せへの道。
たまたま見たCM、その日そこにいないと僕は多分見てなかったので、これもセレンディピティやったと思います。
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そしてそこからこういうふうに考えるに至った、自分の中ではもともと考えていたのであろうことなんですけど、
言語化するきっかけとしてそのCMがあった。
CMと出会えたっていうのは良かったなと思います。
そんな人生の幸福への道の話でございました。
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