そうそう、どうしてもつながり的にPHPをやっている方が多かったりはするんですけど、
それだけじゃなくて、エンジニアの方もそうですけど、エンジニア以外の方とかもちょこちょこ呼んだりとかして、
いろいろ話を進めて結構楽しくやっております。
そうそう、すごい羨ましいというか、つながりだったりだとか、ネタの幅も広さというか、
面白いなというか、赤城さんのキャラが出てるなみたいな感じで。
本当ですか。
僕のキャラ、何なんでしょうね、出てますか?
いやいや、何でしょう、抽象的に言うと包容力とか、そういうことだったりするわけじゃないですか。
まあ何とかね、続けてやってますね。
話から行こうかなと思うんですけど、さっき久しぶりに香川でお会いしたという話があったんですけど、
久しぶりになんかこうカンファレンスとか、そういうコミュニティ活動を再開したというとあれですけど、
いやでもそんなイメージですね、コロナ禍とかあって、あと僕も転職して現職についたのもコロナ禍ぐらいの時だったんですけど、
なのでちょうどなんかいろいろあったのもあって、
そもそもそのカンファレンスとかがあんまり開催されなくなったっていうのもあったと思いますし、
自分のその忙しさだとかそういうのもあって、別に意図的に距離を置いたわけではないんですけれども、
なんかちょっとご無沙汰してる状態になっちゃったんですよね。
自然と足が遠のいっちゃってた感もありますし、
なんかその間にコミュニティで活躍されてる方々もちょっと変わってきたというか、
以前と違う方々がやってるなぁみたいな印象にもなってきてて、
その辺もちょっと僕の中に心の壁みたいなのが生まれてたかもしれないんですけれども、
なんか今年あれですよね、その月刊PHPカンファレンスみたいに言われてますけど、
なんかすごい勢いでやってて、それ自体すごいいいなと思ってましたし、
自分もなんか何ですかね、ちょっとこうなんだろうな、混ざってみたいなってみたいな、
そういうちょっと右鼻のりというか、今まで喋ったことない人たちとやっぱり喋ってみたいなとか、
そういう単純な欲求みたいな感じで、
コミュニティ活動再開みたいな大げさな言い方じゃなくて、
単純にちょっと皆さんともう一度話してみたいなみたいな感じで参加し始めたっていうぐらいで、
ただそれでもやっぱり忙しかったりしたので、なかなか機会作れてなかったんですけど、
チャチーさんが香川っていうのを初めてやられるっていうところで、
香川って実は僕なんか人生で一度も行ったことがない県だったんですよ。
で、なんかこれはちょっと行かなきゃいかんだと思ったんですよね、香川はなんとなく、たまたま僕にとっては。
なのでちょっと香川に行こうっていう感じで、
なんで香川が久しぶりのカンファレンス参加っていう感じになりましたね。
そうだったんですね。だからあれ、後藤さんいらっしゃると思って、
すごい嬉しくなって速攻声かけに行きましたもんね。
そうだったかもしれないです。もう完全にレアキャラになってたんで。
ですね。びっくりしましたね。
カンファレンス良かったですね。
めっちゃ良かったですね。
それでまた福岡にも来ていただいて、
そこでね、スケジュール調整させてもらって、この日程を、収録の日程を。
そうですね。だから香川に行ってる最中ぐらいに福岡の参加を申し込んだんじゃなかったから。
本当ですか。
これはもう続けていこうみたいな感じで、決めたんだと思います。
だから福岡でも会えたんで、めちゃめちゃ嬉しかったですね。
そうですね。福岡もなかなか熱い会でしたね。
おかげさまで無事に終わりまして、良かったです。
福岡は福岡で楽しみました、僕も。
本当ですか。それは良かったです。
個人名出していいのかどうか分からないですけど、
新平さんが話されたんですよね、あの登壇者として。
で、新平さんとは過去何年前だったかな。
2018年ぐらいの時に、一回なんかひょんな繋がりから、
ちょっと一緒に飲もうぜってなったことがあったんですよ。
コミュニティ全然違うんですけど。
僕はストリートの原則の発表をした年で、
新平さんもなんかちょっと似た話題のトークを別のカンファレンスでやられてて、
そんなところでなんかちょっと一緒に喋ったら面白いんじゃねっていうので、
TwitterでDMし合って、東京のどっかのお店に一緒に行ったんですよ。
なんかそんな過去があったんで、なんかすごい久しぶりに新平さんと会えて、
すごい良いトークもされてたんで、
やっぱやんなきゃね、こういうのはみたいな話を2人でしてましたね。
そういう繋がりもあるんですね。
そういうのが生まれるのもカンファレンスでいいなと思っていて、
やる側としては。
そうそう、想像してない繋がりができますよね。
うん、ありますよね、そういうの。
では、話題の方をですね、
ちょっとなかなか話されてないというか、
これまであまり聞いたことがないところだろうと思うんですけど、
そこ行きますか。
太田さんのエンジニアの原点というか、
エンジニアになったきっかけとか、
社会人1年目からエンジニアだったのか、みたいなところを聞いてみたいなと思うんですけど。
この辺ね、あんま話す機会ないですよね。
ですよね。
皆さんそれぞれいろんな歴史があるんだと思うんですけど、
僕もなんかちょっとした小話的なのがあって、
決してストレートに順風満帆でエンジニアになって今があるわけではなくて、
結構うよ曲折がある人なんですよって感じなんですけど、
たまたま僕、1975年生まれで、
多分すごいラッキーな世代なんですよね、きっと。
ソフトウェアエンジニアというか、IT系の人にとって。
ちょうど僕が小学校1年生の時に、
マイコンっていうのが出始めてたんですよ、当時。
今で言うパソコンなんですけど、
当時はマイコンと呼ばれていて、
家で結構高いんですけど、
家庭用に扱えるコンピューターみたいなのが発売され始めてた時期で、
僕の父親がフジツーのFM7っていうのを買ってきて、
父親が遊び道具として遊んでたんですけど、
僕も何これって感じで興味があったんで、
触らせてもらってたって感じなんですよね。
当時のマイコンっていうのって、
なんだろう、OS的なものがほぼないっていうか、
あるんだけど、
ベーシックっていうプログラミング言語。
ベーシックで何か入力して実行する以外、
何もできないんですよ、基本的には。
だから電源ポチって入れると、
いきなりあのターミナルの真っ黒な画面が出るイメージです。
で、もうカーソルがチカチカしてて、
何か入力してください的な感じなんですよ。
そこにもうベーシックのソースコードを打ち込んで、
実行ってやって遊ぶっていう遊びをしてたんですね。
それが僕の小学生時代の遊びだったんで、
たまたまそういうのが出てきた時に、
僕が時間が無限にある子供時代を過ごしてたので、
ラッキーですよね。
プログラミングをすることが遊びだったんで。
この後、お父さんの世代はマイコンなんですね。
僕は自宅に、
自宅にMSXがあったんですよ。
だからちょっと、
中学生ぐらいの時かもですね。
でもMSXも似たような感じで、
電源を入れるとカーソルチカチカする感じで、
その時僕プログラミング全然分かんなかったですね。
教科書的なやつが一緒に付属で付いてたんですけど、
読んでも全然分かんなくて、
真似して入力してたんですけど。
たくさんカセットとかがあって、
ゲームができました。
僕はゲームを買ってもらってやってたんですよね。
プログラミングにそこまで。
でも家にありはしたっていう事実はあったんで。
だから後から、
MSXが後から出てきて、
あれゲームがすげーできていいなって思ってて、
自分が持ってるやつはそんなにできないから、
ベーシックマガジンとかに付いてくるソースコードを
何千行みたいなのをひたすら入れて、
それでやっとそれを実行すると、
しょぼいゲームができるっていう感じだったんですよ。
だいたいその頃のは、
最初はそういうのから入って、
ソースコードの中のパラメータとかを変えたりすると、
ジャンプ力が変わったりとかするんですよ。
そういうのいろいろ試すわけですよ。
ここ変えたらどうなるかなみたいな。
そんな感じでプログラミングを学んでて、
めっちゃできるやつは機械語入力モードっていうのがあって、
アセンブラで各方まで行ってるやつも中学生とかになるといましたけど、
そこまで行くやつはほとんどいなかったですね。
僕もそこは全然教えてくれる人がいなかったんで、
機械語っていうものがあって、入力モードがあって、
ある時ベーシックマガジンか何かに機械語のソースコードが載ってたことがあって、
入れて実行したことあるけど、
その中身がどうなのかは当時は僕は分からなかったですね。
でもとにかくプログラミングに触れてたっていうのが結構早い時期からあったし、
MSXじゃないけどファミコンとかそういうのも出始めて、
将来このプログラミングっていうのが仕事になるんじゃないかみたいな。
それで仕事できたら面白いよなってほんのり思い始めてた気がしますね。
それはもう子供の頃からってことですか?
ただ子供の頃の仕事のイメージってそんな大したイメージないじゃないですか。
解像度が低いっていうか。
ゲーム作ってる人がいるんだから仕事になってるんだろうぐらいの。
面白いことを仕事にできてたらいいよねぐらいの単純な考えしかないんで。
それぐらいのことは思い始めてましたね。
ただそれでずっとプログラミングで突き進んでいったかっていうと、そういうわけじゃなくて、
高校とかになると大学受験とかがあって、その頃はプログラミングからはちょっと離れてて、
普通に受験勉強ばっかりやってたみたいな感じで、そのまま大学に入ったんですけど。
大学に入ってからしばらくすると、あれ俺って何がやりたかったんだっけみたいになってきて、
なるほど、そういう感じでエンジニアが始まったんですね。
そうそうそう。そこもなんかだからすげえ一流企業みたいなところじゃないから、
社長と僕だけみたいなちっちゃいソフトウェアハウスで。
めっちゃいろいろやったんじゃないですか。
本当プログラミング言語も、当時Webが出始めぐらいだったんだけど、
その会社としてはWebもちょろっとやりつつ、他の業務っぽいシステムもいろいろやってたんですよね。
その社長との出会いは専門学校行ってたときにバイト先として紹介されたっていうのが出会いで、
なかなかハードな感じの社長ではあったっていうか、
その人が僕の最初の師匠なので、その人のおかげで今があるみたいなところがかなりあると思ってるんですけど。
紹介してもらって、じゃあバイト始めましょうっていうので、
そこに毎日出社するみたいな感じじゃなくて、
もう家で仕事してくれていいからみたいな感じで、今でいうリモートワーク的な感じでバイトしてましたね。
最先端じゃないですか。
メールでやり取りしてみたいな感じでした。
Zoomとかないから。
ただパソコン持ってたけど、仕事する上で、
ユニックス的な環境、Linux的な環境でやれと。
Web 系に関しては。
それを始めるにあたって、君の最初の仕事はこのお下がりのPC 981機に
FreeBSDをセットアップしろと。
だから初日に社長が僕の実家まで、
お下がりの981持ってきてくれて、
あとFreeBSDのインストール用のCD-ROMが付いてるような本とか持ってきてくれて、
やれと。
いうところからスタートでしたね。
そんなのその当時、専門学校の知り合いで好きでLinuxとかユニックスとかいろいろインストール
たくさんしてるやついましたけど、そんな使いこなしてるやつもいない中で、
982にFreeBSD入れるの結構ハードルが高くて。
今だと多分そういうインストールってそんな問題なくシュッシュッシュッと進む感じだと思う。
待ってりゃ進むみたいな感じじゃないですか。
当時の全然そんなんじゃなくて、
大抵もうメイクとか自分で打たなきゃいけないんだけど、
もういろいろエラーが出るんですよ。
これどうしたらいいの?みたいな。
なんかデバイスドライバーが違うとか、
なんかそういうの一個一個組みながら。
とてもその日では終わらなかったです。
1週間ぐらいずっとセットアップで格闘して、
なんとか入りました、みたいな感じ。
そういう感じの社長でしたね。
じゃあそのPC982に乗っけたFreeBSDで開発するんですか?
そうそうそう。たまたまウェブ系の仕事みたいなのが
本当始まった、スタートしたぐらいの時期だったんですよ。
まだだからPHPの仕事はなくて、
PHPもたぶん3かもっと前ぐらいの時期ぐらいかな。
その会社としては、
インターネットのホームページのお問い合わせフォームとか、
あとちょっとした掲示板とか、
そこからさらにもうちょっと高度なことをやりたい会社もあって、
なんかちょっとした管理システムみたいなのもあったんだけど、
ただデータベースとか使わずに全部CSVですね、後ろは。
言語はPerlで、
ApacheからCGIでPerlを動かしてみたいな感じでした。
それをPC98のFreeBSDの環境上で、
基本的にはApache立ち上げて、
Perlで書いたところは基本的には最初作っているときはApache経由じゃなくて、
普通にPerlスクリプトだけ実行して、
スペックとかめちゃくちゃ低いから、
ちょっとでもなんか気の緩んだループを書くとむちゃくちゃ遅いんですよ。
みたいなところでやってましたね。
でもそれはある意味良いというか、
最初からサーバーとプログラムどっちも触るようになるわけじゃないですか。
Webで言えばそうですね。
ですよね。スタート時点でフルスタックエンジニアみたいな感じですよね。
ある意味そうですね。
今で言うフロントエンドみたいなのってそんな大したことやらないんで、
ほぼバックエンドにHTMLの革をちょっとかぶせているぐらいの本だから、
フルスタックって言ってもあれなんだけど、
ただサーバー側は結構自分でなんとかせいみたいな感じでしたね。
その経験は認めますね。
バンディションの管理とか、
Apacheの設定はどのコーナーとか、
その辺一通り自分でやらなきゃいけない感じでしたね。
今はですね、なんか分業が進んでて、
アプリケーションだけを触る感じもあるじゃないですか。
サーバーになかなか触れる機会がないっていうのは結構あったり聞いたりもするので、
そういう経験はいいなと思いますね。
あったほうがいいですよね、その辺で。
かなって思いますけどね。
すごいいい経験はさせてもらって、
そういうWeb系のを走りながら覚えてやったりもしましたし、
ただ全然それに特化してたわけじゃなくて、
Visual Basicでもうちょっと業務っぽいものを作ったりとか、
C++の仕事もあったかな、
ゲームの移植とかもやったことあるし、
あとホームページ系も色々やってたんで、
そのホームページでちょっと遊び要素があるので、
JavaでAppletを作るみたいな仕事とか色々あったんですよね。
言語も意外と色々やってた感じですね、柔軟に。
でもゲームを作る仕事につけたら、みたいなことを子供の頃に思ってたわけじゃないですか。
それも一応できてるから、いいですね。
ある種そうですね、ただ移植なんで、
ゲームに関わったっていう意味ではある種かなってるんですけど、
ゲームを作るっていうのとはちょっと違いましたね。
ゲームの移植も大変でしたね。
どんなことやるんですか、移植って。
その時はプレステで出てるゲームをWindows版にするっていう仕事。
プレステのCのソースコードがあって、
だからプレステはWindowsと違うんで、基本的には。
プレステの上で動くための専用ライブラリとか、
特殊なポリゴンをレンダリングする命令とかがあるんだけど、
動画を再生する命令とか、そういうのはないんですよね、
当然Windowsの方にはDirectXでないと。
そこを僕は出向でその会社に行ってその仕事をやってたんですけど、
その会社が似たような案件をいくつか受けてて、
プレステのライブラリをDirectXをベースにエミュレーションするような、
エミュレーションといってもパフォーマンスが良くないといけないから、
ネイティブに近いレベルの良いパフォーマンスが出るエミュレーションなんだけど、
そういうのを作ってて、だからすごい上手くいけば何も手を加えることなく、
ビルドすればゲームが動くっていう感じのイメージで作ってたんだけど、
ただ僕が入った時には過去実績は2Dのやつだけだったんですよ。
3Dの命令は関数はあるけど中身はないっていう状態だったんですね。
ビルドはできるが、そこに行くと画面真っ黒っていう。
で、たまたまその時に似たような3Dのゲームを3本ぐらい同時並行でやってて、
僕が1本担当してた感じなんですよ。
で、たまたま他の人がゲームのメニューとか最初のあたりを一旦どうにかしようって言ってやってたんで、
僕は何かちょっとやることがなかった時期があったんで、どうしようかなと思って、
勝手にじゃあもうこの3Dのポリゴンを描くところを作ろうかって思って、
プレステのSDKの方の仕様を読んで、プレステ側のポリゴンがどういうふうにデータとして並んでてみたいなところとか、
計算の仕方とかがあれこれ書いてあるんですけど、
そこら辺をDirectXの方の、だとこことここは違うからみたいな感じで書き直して、
表示されるようにしたとかやってましたね。
すごいな。
そういう仕事もやってました。
面白いですね。なかなか聞けない話なんで、そんなことやってたんだと思って。
しかもだからね、当時のなんだっけ、プレステだから基本テレビに映すんですよね。
テレビ用の解像度をいくつかのモード、横がちょっともう忘れちゃったけど720なのか、
テレビ用の解像度の数字があって、そのモードチェンジみたいなのがあるんですけど、
それをDirectXで動かすときに非常に中途半端なモードがあって、
DirectXの方でサポートしてた解像度にするには、ちょっと割り切れない数字みたいになるところがあって、
そこをじゃあどういう演算で描画し直すのかみたいなので、
5分の3かなんかしなきゃいけない変な演算を作って、そこを高速にやらなきゃいけないから、
そこだけインラインアセンブラーで書いたりとか、面白いことやってました。
ちょっとなんか口で説明してるだけで聞いてる人に伝わるかどうか自信が全然ないですけど。
後藤さんと呼んで、LL言語のイメージがあるので、そんなこともやってたんだなと思って。
結構そういうウェブ系じゃないのをやってましたね。
ちょっとびっくりですね。
そういう期間を経て、次のステップに進むわけじゃないですか。
この会社を作るっていうのはどういう思いで。
そう、そういう期間を経てなんですけど、多分そんなに長いことその期間をやってなくって。
やっぱりね、当時の僕はね、すごい自信過剰だったんですよね。
なんで、なんか言って、なんだろうな、自分で作れるじゃんみたいに思えてきて、
仕事取ったら自分でどんどん作れるよねって思っちゃって、若気のいたりでもう会社作って、
仕事を受け始めたみたいな時期がありました。
ただ、完全に受託会社として、2回会社作ってるんですけど、1個目の会社の方は受託もやってましたけど、
その当時、意気投合したパートナーの人がいて、その方は税理士の方だったんですよ。
で、税理士の方が、当時出始めたインターネットというものを使って、
ビジネスをやりたいんだっていうので、俺なら作れると思って一緒にやることにしてみたんですよね。
今でいうマネフォーさんとかみたいなことなのかもしれないんですけど、
税理士なのでクライアントさんいっぱい抱えてて、そこの帳簿を見ていくときれいにするみたいなことじゃないですか。
当時、専用のソフトみたいなのを入れてやったりもしてたんですけど、やっぱりお客さんのところに行ったりしないといけない。
インターネット上で完結するってものはなかったので、
データの受け渡しなのか、紙の帳簿をもらうなのか、紙の領収書をもらうなのかみたいなので、
もうぐるぐる回らなきゃいけないと。
それをなくしたいので、何かインターネット的なものを経由でやろうということで、
当時作ろうとしてたのは、最終的にFAXにしたんですよね。
インターネットっていうよりは。
帳簿自体を、紙の帳簿をですね、我々で設計して、
OCRにかけても読めるような文字サイズだとか、読めるようなマークが入ったような、
専用の帳簿の用紙っていうのを設計して、
それに手書きで書いてもらって、ほとんどのお客さんは手書きでやってたから、
それにいいでしょうってこともらったんだけど、
書いてもらったやつをFAXでこっちの会社の番号に送ってもらうと、
それを電話で受けて、それをファックスかな、受けたやつを電子化して、
その後電子化したやつをOCRに、あ、違うな。
電子化するところが、その当時直でデータになるものがなかったから、
一回FAXで出てきた紙をスキャナーにかけて、データ化して、
で、OCRにかけて、で最終、間違いとかもあるから間違いの修正した後に、
会計ソフトに取り込めるデータにするみたいなところを、
結構自動化とかしながら効率的に回せるようなシステムっていうのを、
どうだろうな、7割ぐらいまでは作ってたんですよね。
なんかそんなことしてました。
ただそれはね、ビジネスにはできなかったので、
まあその辺がうまくいかなかったので、
住宅開発自体は結構ちゃんとやってたんですけど、
ただパートナーと一緒にやる意味っていうのがなくなってしまった感じだったので、
その会社は立たんだって感じ。
そういう期間もあったんですね。
ありますね。
そんな、そんなのばっかりかもしれないです、僕。
そういうふうになんかその自分でビジネスしようとしたいみたいなのが意外とあるかもしれないですね、僕。
その辺が今はもうなんかそのビジネス側に染み出していくみたいなところのモチベーションっていうか、
そういうところにつながってるかもしれないですね。
なるほど。
最近はエンジニアリングはされてるんですか?
そこで言うとですね、もう最近で言うと、
まあがっつりはやってないです。
なので原則で言うと、バックエンドはRuby使ってて、
Railsなんで、コード読めるし、
どういうふうにすればいいとかアドバイスしたりとかするんですけど、
ただ、現場のエンジニアにやってもらった方が圧倒的に早いので、
そっちで基本的にやってもらってて、
ただ逆にみんな忙しすぎて手が付けられてないちょっとした修正とか、
そういうのをたまに拾って僕がちょっと直したりとかはやってます。
そのためにRubyを学んで、
あんまりこれまでの人生で書いてこなかったんで、
みんなに怒られない程度のRubyを書けないといけないからね。
そこで普通にみんなのレビューが通る程度のものは今書けるようになってます。
基本は今エンジニアリングっていうよりも、
マネジメントの方に思い切り置いてる?
そうですね。
そこの方が今の会社のエンジニアチームの規模だと、
僕の価値が発揮されるっていうふうには考えてます。
なるほど。ありがとうございます。
エンジニアのきっかけの部分もいろいろ聞いてきたんですが、
ちょっと話を戻しまして、
コミュニティ活動のところをちょっとお聞きしようかなと思うんですけど、
後藤さんというと、さっきちらっとお話もありましたけど、
ソリッドの原則みたいなところの登壇とかされてたじゃないですか。
その印象がすごく強くて、
あの登壇見てる時にちょっと先生みたいだな、みたいな感じを
印象として受けたんですけど。
この辺って狙いみたいなのってあったんですか?
いやー、そうっすよね。
あれは僕、今でもなんていうのかな、ある意味最高傑作っていうか、
たぶん代表作みたいな感じになってるプレゼンだと思うんですよね。
すごく見てくださってる方が多いやつだと思ってて、
言ってオープンクローズドの原則を分かりやすく説明したみたいなところはあるのかなと思ってるんですが、
あれっていろいろ右翼曲説があってあの形になってるんですけど、
あの形っていうのは、
分かりやすさっていうか、
聞いてる人にオープンクローズドの原則そのものだったり、
それがどういう状況で必要になる考え方なのかとか、
ちょっと生々しいとまでは言わないけれども、
状況的なところも含めて、
分かったっていうか、体験してもらうっていうか、
いうところを一つの目的として置いていたっていうことと、
プラスしてスライドっていうものがたぶん一番残る形ではあるので、
そのスライドを後から見たときにも、
講演を聞いたのと近いインプットが得られるぐらいのスライドにしようっていう、
その2つの軸がありましたね。
なので、ほぼほぼ喋ることが全部書いてあるっていう感じになってましたよね。
その登壇スタイルいろいろあって、
スライドとその講演というか、
登壇をセットで見ないと伝わらない内容のものも当然あったりするじゃないですか。
そうではなく、スライドを見ても伝わる、分かるみたいなのを意識されているって感じなんですかね。
あれはもうそっちに振り切ったやつですね。
なのでそこを狙っているので、あの形になっているんですよ。
ただやっぱり良し悪しはあるというか、
読んでるだけじゃねえみたいな感じではあるので、
ぼうなんとか山さんからは、
それでいいんですか後藤さんみたいなこと言われたりとか。
僕、先輩後輩大好きなんですよ。
いやいや、面白いコンテンツだと思いますよ、あれ。
ちょっと2チャンネル的なノリでもあるし。
でもあるあるってなるパターンをいっぱい詰め込んだんで、
響きやすいですよね、きっとね。
今年、いくつかカモレンス参加されてみて、
また登壇みたいなことって考えたりされましたか。
それはもちろんですよね。
いくつかの意義というのを再発見していて、
設計の話とかって、
さっきのソリッドのやつだと一回話して、
それが後にも残るっていうような意図で作ってたんですけど、
ただ一回話すだけでは、
やっぱりなんかより多くの人に届いてるわけではないっていうか、
後から何年も経ってコミュニティに入ってきた人とかは、
やっぱり知らなかったりするんですよね。
そういう人に対して、全く同じ話だったり、
ちょっと話し方を変えて同じような内容のことを話すっていうのは、
普通に意味があるんだなっていうことを再発見したんですよ。
以前はそこまでそれは価値を置いてなかったんです、実は。
一回話せばいいかなくらいに思ってたんで。
だから何度もやるみたいなことは、
あまり自分では好んではいなかったし、
やる必要もないかなと思ってたんですけど、
改めて何か同じ話だとしてもやる意味があるだろうし、
他の人と被っている内容でもやる意味があるだとか、
いうふうに感じてきたっていうのがありますね。
なるほど。
また後藤さんの登壇見たいですね。
いやいやいや。
次のっていうのかな。
沖縄では何とか採択していただけたので、
PHPカンファレンスの沖縄ですね。
そうなんですね。
はい。
なるほど。
じゃあ沖縄に行くと後藤さんの登壇出るか。
沖縄に行くと。
ちょっと先輩後輩じゃないですけど。
そうなんですね。楽しみですね。
話す予定です。
なるほど。
そのカンファレンス出たりとか、
その登壇今度されるっていうことですけど、
ご自身でまた主催みたいなことっていうのも考えられてるんですか。
そうそう。
運営みたいなのもやるみたいな。
いやそうですね。
カンファレンスまでは僕は運営はないんですけど、
過去に勉強会とかは主催してたことがあって、
なんか自分でその自分のカラーでというか、
自分の趣味に走ったような、
何、集まりみたいなのって、
やっぱりやってみたいなとは再び思うようになってますね。
ただなんか昔ほどのなんかこう体力がないというか。
思った瞬間に行動するぐらいのエネルギーは今出せない感じになっちゃってて。
もうちょっと考えてからやろうかなと思うんですけど。
でもなんだろうな。
なんかちょっと他の人がやってないようなタイプのコンテンツの、
僕らしさが出るようなやつを企画したいなっていうのはちょっと温めてはいますね。
いやいいっすね。そういう活動も期待しています。
はい。ぜひぜひ。
それでは。
そうですね。
今日の目的と言いますか。
最初にお声掛けした理由でもあるんですよ。
ポッドキャストの話をしましょうか。
しましょうか。
やってますね。エンジニアリングマネージャーの問題集。
結構続いてますね。
ですね。何でこれ始められたんですか。
そうそうこれだから僕はそのポッドキャストやるとは全然思ってなかったんですけれども、
たまたまピトパさんという会社が運営している媒体上でスタートしたポッドキャストなんですけれども、
ピトパさんからエンジニアリング系のポッドキャストっていうのをいくつか立ち上げたいんだっていうことで、
どうして僕なのかはいろいろピトパさん側のリサーチに引っかかったってことだと思うんですが、
お声掛けいただいて、こういう感じのことなら話せそうですねっていうのでスタートしたっていうぐらいですね。
いやめちゃめちゃ中身の濃いポッドキャストですよね。
どうなんすかね。やってる本人としては緩さを出したいなってずっと思ってるんですけど。
いや協力コンテンツでしょ。
なんでしょうね、名前を出していいのかわからないですけど、
三所さんから前回大吉祥治に会った時に言われたのが、
ご父さんまたいい話してますねみたいな感じのことを言われるんですよ。
いやそれは素直にいい話だと思った。
これは嫌味なのかな。
そんなことないでしょ。
ごめんなさいね、タミノボロさん。僕がひねくれてるだけかもしれない。
緩さ出したいんですか。
緩さ出したいんですけどね。でもなんかダメかもしれないなと思ってて。
まあなんかなんでしょう、そんなに聞いてる人に毎回学びを与えたいとか、そういうふうに思ってるわけではないんですけど、
自分がこれまでに悩んできたこととか考えてきたこととかをまとめて喋りたいなっていう思いはあって、
それをやるとああいう感じになってしまうっていうところなんですよね。
めちゃめちゃタメになる話ですもんね。
いや、あかんなと思ってますけど。
あかんなと思ってるんですか。
いや積極性おっさんやなって思われてるんじゃないかなみたいな。
そんなことはないですよ。
声かけがあったんですね。
ゆるすぎるっていうのを僕のはあるんですけどね。
いや羨ましいというか、僕のポッドキャストなんかは、なんかここまで続くとは正直思ってなかったんですよ。
本当ですか。
無理だろうなっていう。
いやでもね、聞いてて、一人で喋る回ももちろんあるじゃないですか。
はい。
あれが僕できないですよ多分。あれすごいなと思って。
すごいなと思って。
何度か言われます。一人でやってるのって珍しいっすねって言われますね。
ちゃんとね、しっかりしたテーマで、とうとうとこう340分喋られてるじゃないですか。
あーとかえーとか言いながら話してますよね。
あれは能力だなと思ってめちゃめちゃ感心してるんですよ。
そうだね。でもあれができるとは思ってなかったですよ。
そうなんですか。
最初っからは。
なんだろう僕、喋り苦手だなって思ってて。
聞いてらっしゃる方は分かると思うんですけど、
まぁまぁなんかこうね、フィラーみたいなのが入ったりとか詰まったりとか、普通にするんすよ。
で、なんかだから喋るのに苦手意識は普通にあります。
あとなんか筋道立ててとかも、そんな得意じゃないと思ってんすよね。
僕は聞いてますよ。
いやありがとうございます。それは嬉しいです。
でもほんとなんかやっててちょっとずつ、なんかできるようになってる部分もあるかなって思ってます。
続けてるから。
なるほどなるほど。
マネジメントの話っていうとどうしても難しいイメージなんでしょうね。
あーそうなんすかね。
分かんない。
なんすかね、僕からすると、
まぁマネジメントに限らずソフトウェア設計とかでも現場で仕事してたら、なんかありとあらゆることが起きるじゃないですか。
起きますね。
事件というか問題というか。
起きます起きます。
それってこういうことだったよねって話してるだけなんすよ大体。
で僕はそういうのが、事件が好きっていうわけじゃないんだけど、
現場の本当に起きてるその状況ならではの問題っていうか課題っていうか、
なんかそういうのをちゃんとこう味わいたいんですよね。それが好きというか。
その時にどうするかって考えることが一番大事だと思ってるんで。
なんでそれをポッドキャストでもやってるんだと思ってるんですけどね。
課題解決が好きなんですよね。
単純に言うとそういうことです。
ただまぁそれが自分のポッドキャストでも話してますけど、
その良くない方向に出ちゃう時もあるなっていうのはいろいろ反省してるので。
単純に課題解決っていうだけ思ってるとダメな時もあるなっていうか。
例えばなんか、今解く問題じゃないとか、
全体最適で見るとそれじゃないっていう問題に囚われちゃったりとか、
いろいろあるわけですよ。
それ難しいやつですね。
そうそう。
まぁでもそれもいろいろ経験してきて分かってきたみたいなところがあるんで、
そういうのを話してちょっとでも皆さんのヒントになるといいのかなみたいな感じで話してますけどね。
マネジメントって急に来期からお願いねみたいに言われることもあるわけじゃないですか。
ありますね。
そういう人たちにとってアドバイスみたいなのありますか。
マネジメントね。
僕がそっち寄りの人間ってだけなのかもしれないんですけど、
ソフトウェア設計にしろマネジメントにしろ、
なんていうのかな、一つの正しいやり方があることじゃないと思ってて、
なんでしょう、何らかの手法みたいなのがあって、
その手法マスターしたらできるっていうやつじゃない仕事だと思ってるので、
つまり経験して、いろんな場面でどういうふうに考えるのかっていうのをひたすら繰り返して訓練するしかない。
って思ってるんですね。
なんで、練習しましょうよっていうのがまず一つですね。
そういうのを僕のポッドキャストでも喋ってるんで、この辺聞いてくださいねみたいなことだったり、
あと欲を言うと、いい師匠を見つけられるとラッキーですよねっていうのはありますね。
いい師匠ですね。
それはね。
これは運要素が強い。
そうですね、出会いは運要素がありますね。
その辺はだからコミュニティとかに出ていくと確率が上がるかもしれないですよね。
それはそう思いますね、確実に思います。
その辺りがおすすめポイントかもしれないですね。
なるほど、あとちょっとこれ聞きづらいというか、難しい質問ではあるかもしれないですけど、
マネージャーというか、マネジメントする人として向いてる人向いてない人っていうのはあると思いますか?
思います。
やっぱりそれはありますよ。
いろんな人にチャレンジしてもらってきましたけど、自分の経験の中でも。
向いてなかったねっていう結果になる人もいたので、
すごくエンジニアリングとしてスキルがあったり、いろいろなことが上手でも、
マネジメントにおいて一つ大事なスキルが、
自分のことを棚上げにするっていうか、
自分を脇に置いておける人っていうのが意外と大事かもしれないですね、スキルっていうのかな。
だからメンバーと自分を比較しちゃったりとか、
チームの中での自分の立ち位置とかそういうのを考えすぎちゃうとうまくいかなくて、
あくまで自分はちょっと外側に置いておくぐらいがたぶんちょうどよくて、
なんなら自分よりもメンバーがどんどんどんどんスキルアップして、
自分では追いつけないぐらいのIC、エンジニアとして強い人になってもらったら全然いいじゃんとか、
給料も自分よりどんどん高くなってもらったほうがいいじゃんとか、
そういうのを普通に何の抵抗もなく考えれる人は絶対向いてると思うんですけど、
その辺がたぶん壁があるんですよ、多くの人には。
いやーマネジメント難しいんだよな。
自分より強い人をマネージできるかとか結構壁ですよね。
これはちょっと僕のすごい個人的な相談なんですけど、
カンファレンス話をしたじゃないですか、
僕も主催というのをやっていて、PHPカンファレンス福岡の主催をしてますと、
これがなかなか毎年うまくできてると思ってなくて、
なるほど。
僕は実務でマネジメント経験はないんですよね。
マネージャー職というのはやったことがないんですよ。
そんな中でいろんなタスクをカンファレンスのスタッフの方にやってもらうんですけど、
どうしても僕はマイクロマネジメントしがちで、任せきれないっていうところがあってですね。
なるほど。
よくないのはわかってるけど、自分がやった方が早いと思っちゃってるんですよ。
どうしたもんかなと思って。
これそうですね。
いや、仕事でもこういうのあると思うんですよ。
難しそうっていう答えしかないかもしれないんだけど。
もちろん仕事の現場でもその悩みは普通にあるある話じゃないですか。
自分でやった方が早い病的なやつって本になってたりもするから。
あるあるですよと。
それはそれでいろいろ対処法があると思うんですけど、
カンファレンス運営ってなってくるとまたちょっと難易度が上がるなっていう感じがしてますね。
ボランティアベースの集団っていうんですかね。
マジそれなんですよ。
なんか強制力がちょっとないですもんね。
非常に難しいところでさじ加減が。
でもどうなんでしょう。これは逆に聞いてみたいですね。
うまく協力にやってる方がいるのかとか。
知りたいんですよね。
多分普通はちょっと遠慮しちゃいますよね。
仕事が忙しくてちょっと遅れちゃったんですよみたいなのが。
ボランティアベースだと許容されるというか感じかもしれないけど。
いやそんなのダメだぐらいの感じが必要なのかとか。
僕もこれ答え持ってないですよ。
どこまでその線引きをするのかみたいなのがあったりして。
仕事とは違うマネージメントのノウハウが求められるんでしょうね。
だから仕事の方だと責任をはっきりするとかそういうことをやるんでしょうけど。
ボランティアベースでどこまで求めるかなっていうか。
でもやらなきゃいけないってことかもしれないですよね。
そうなんかやんないとまずいタスクとかもあるじゃないですか。
締め切りがここを絶対支出しないとまずいみたいなのも当然あって。
でも強く言えないみたいな。
この辺の難しさは非常に感じてますね毎年。
そうですね。
まあでもなんか1回強めに出てみるっていう試しはしてもいいのかもですね。
最初にサインさせるみたいな。
今回の運営はこういうルールでいきますみたいな。
ちょっと冗談みたいなことを書いてますけど、
いい感じのカンファレンスリライアビリティエンジニアになりたいわけですよ。
新しいですねそれ。
カンファレンスリライアビリティエンジニア。
職種としてできる感じですね。
いや求められてるかもしれないですね。
結構みんなこういろんなカンファレンスでこういう問題起きてるんじゃないかなと思って。
問題っていうわけじゃないですけど。
カンファレンスを成功させるためには結構苦労をされてる方も多いと思うんですよね。
でしょうね。
あのフォルテとかできて、募集とかあの辺はいい感じに統合されてたんだけど。
そうですね。どうしても人の手が入るところが作業があるんで、その辺は難しさがやっぱあるなぁと思いながら。
そこらがね、まあでもどっかではそこのノウハウがいろいろ出てきて、
役職的なものがね、CREできてくるかもしれないですね。
いい感じにやってるCREのこと聞きたいですね。
そのカンファレンスが必要なんじゃないですか。
なるほど。
カンファレンスリライアビリティエンジニアのカンファレンスが。
そう、おもろいじゃないですか。
メタなやつですね、ちょっとね。
そうですね。だいぶ刺さる人少ないんじゃないですか、でも。
いるでしょうけど。
特定の人しか来ないみたいな感じが。
そうですね。めちゃめちゃニッチなカンファレンスですね。
めっちゃでも需要ありそうですよね。
そうですね。
僕のこの相談をしてると1時間経っちゃいましたね。
確かに。
余談みたいな話しすぎちゃいましたね。
なんか話し足りないことないですか。これ話したかったけど、ちょっと触れてないなって。
どこかな、話し足りない。
そうですね、もし今1個だけ話してなかったやつで言うとしたら、