2023-02-28 28:57

#004 被害者と加害者の対話〜修復的司法とは?被害者支援の可能性〜

刑事政策・犯罪学を専門とする大学教員で一般社団法人刑事司法未来の丸山泰弘と、刑事司法未来の山口裕貴が「被害者と加害者の対話」についてお話しします。
<トークテーマ>
・被害者参加制度
・刑事裁判での被害者支援の難しさ
・修復的司法と回復のための取り組み
・被害者の望むものの変化
・修復的司法と応報的司法の違い
・伝統的な刑事裁判に対するオルタナティブ
・修復的司法の起源
・修復的司法の運用と課題

<犯罪学の視点から語るエンタメ作品>
・『すばらしき世界』

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00:00
ところで山口さんは、過去の学校生活の中で、一日の最後のホームルームが長引いたこととかってありますか?
山口 誰かの上書きがなくなって、先生がみんな目閉じて、犯人探しみたいなことをやって長引いたことがあります。
例えばその上書きの時だと、取った人が謝って仲直りしましょうみたいな感じに持って行ったりしますよね。
これが結構犯罪の話とかになってくると、加害者とか犯人と疑われる人の報道っていうのはよくされるんですけど、加害者と被害者の仲直りっていうようなことってあんまり聞かないじゃないですか。
確かに、犯罪の種類によっては仲直りのような解決方法で解決できるといいですね。
そうですよね。重大犯罪だと結構難しいんですけども、結構軽微なやつだと被害者と加害者の対話が可能な事件っていうのもあって、それを対話を通じて解決を図っていくっていうような手法が行われていて、それを修復的手法って言うんですよね。
ということで今日は被害者と加害者の対話について改めて考えてみようと思います。
丸ちゃん教授の罪な話 市民のための犯罪学
刑事政策犯罪学を専門とする立証大学教授で一般社団法人刑事司法未来の丸山康博です。
同じく刑事司法未来の山口由紀です。
このトーク番組は一般社団法人刑事司法未来が送るこれまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学刑事政策の話についてわかりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですがなるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで今日のテーマは被害者と加害者の対話になります。
起こった事件では被害者と加害者が当事者なんですけども、刑事司法の現場では特に刑事裁判とかになってくると、
そこでいう当事者っていうのは国の代理として基礎してくる検察官と加害者と言われる被疑者被告人というのは当事者になっていってて、
事件の当事者である被害者ってそういう裁判のところでは当事者っていう位置づけにはなってないんですよね。
2008年12月から被害者参加制度っていう制度が始まって、被害者が希望すると刑事裁判で被告人質問、被告人に対して質問ができたりっていう制度ができたっていうことですが、手続きによっては参加が許されない場合もあります。
そうですね。刑事裁判でやっぱり被害の回復っていうのは結構難しいことがずっと指摘されてて、事件が起きてしまうとやっぱり被害者の支援っていうのはとても重要で、それに対するサポートってすごいたくさんあるんですけど、ただ実際に刑事司法、刑事裁判でその被害者が求めているサポートをどんだけできるかって結構難しくって、
例えば事件に巻き込まれた時に不安になることっていうのは、いろいろあると思うんですけど、明日から生活どうしようかとか、収入がどうなるのかとか、仮に重大犯罪で大事な人を亡くした時に、その人を亡くしたことによるカウンセリングとか、その後の、さっきも繰り返しになるんですけど生活をどうするのかっていうようなところのサポートが欲しいとか、いっぱい今から困ることってたくさんあるんですけど、
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ただそれのサポートっていうのは刑事司法でやれることって結構限られてきて、例えば山口さんが被害に遭った時、もしくは家族に何かがあった時って、今一番助けてほしいこととか困ることってどんなことだと思います?
おだしょー とにかく相手と話をしたい。
珍しい人ですね。僕が想像してた、どんなことしてほしいかっていうと、例えば車ぶつけられると車修理してもらいたいし、そのための弁償費を払ってもらいたいし、家に落書きされたら消してほしいとか、そういうことを想像したんですけど、そんな恨みを晴らしたいとかあります?
大平 恨み。恨み話すために話すとかじゃなくて、直してほしいから直してくださいっていうお話を直接したいなって思いました。
あと何でそれやったのかとかも聞いてみたいですよね。
大平 聞いてみたいです。
となるとやっぱり今までの刑事裁判とか刑事司法っていうのが引き離してたんですよね、被害者から。さっきも言った通り事件の当事者ではあるんだけども、刑事裁判とかの当事者ではないっていうところに被害者が置かれてたので、
この事件がなぜ起きたのかとか、その後どういうふうにこれは損害が賠償されて回復されていくのかっていうようなところから置かれがちだったので、このようにどうにかしようっていう話が出てきてるんですよね。
大平 そういう考えが冒頭でおっしゃってた修復的司法っていうのにつながるんですか?
例えば多分これ聞いてる方も山口さんも想像するのが重大犯罪ってこれなかなか実現難しいんですけど、もっと考えてもらいたいのは警備のやつ。
さっきも言った車が擦られたとか、あとは家の壁に落書きがあったっていう時って、もちろんそれは腹立ちますよ。僕だってされたら腹立つと思うんですけど。
ただそれによってそれをやった例えば少年に少年院に行ってほしいとか、少年刑務所に行ってほしいとか、そういうことを思う人ももちろんいるでしょうけど、僕としてはその子がちゃんと壁直してくれたらいいし、車の修理する分ちゃんと費用出してくれてすいませんでしたって謝ってくれたら、それで僕としては回復するし、
何も回復、自分にとっては回復されないまま、やった犯人は刑務所に入れましたんでって言われても、今までやってきた一つの解決ではあるんでしょうけど、被害者としても回復しきれてない部分が残るし、加害者に対してもそれで次何に繋がるのかなっていう場面っていうのは起こりうるんですよね。
当然今従来やってる刑事司法で大事な部分っていうのはあって、その罪を償うっていうところは大事な手続きとしては残っていくんですけど、ただ今言ったような刑罰与えておしまいっていうような終わらせ方じゃなくて、被害者とか害者が対話をして、より回復する、損害が回復していく、被害者が回復していく、何なら地域社会で起きたことなんで地域社会が回復していくような取り組みっていうのがあって、
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それを修復的司法って言われてるようなものですよね。
たとえば落書きとかだったら話し合いで解決できると思うんですけど、重大な犯罪例えば家族殺されたりとかっていう時には被害感情って回復しきらない恨みって残っちゃうと思うんですけど、どうでしょうか。
やっぱりそうですよね。事件に巻き込まれてこういう犯罪医学の話をしてても、ちょうど中間の立場でいろいろ話しますけど、実際事件に巻き込まれた被害者だとすれば、そういう話も当然自分でもこうやって話してても被害感情が出てくるでしょうし、そういう議論は起こると思うんですよ。
実は興味深い研究があって、例えば僕が交通事故に巻き込まれて、まず何してほしいかって考えた時に、もちろんその罪を償ってもらうってことは大事なんですけども、例えば子どもがこの後食べていけるようにしてほしいとか、大学卒業できるように支援してほしいとか、僕がもし亡くなってたとしたら父親を失ったことのカウンセリングしてほしいとか、やってほしいこといっぱいあって、
当然そういう生活を強いられたことで、犯罪をやった人に対して恨みが出てきて罰を与えたいっていう思いは当然出てくる概念だと思うんですけど、一方で今言ったような実際起きてくる生活の中で出てくる支障を何とかしてほしいなっていう思いもあって、
さっき言ったこの面白い研究っていうのは、事件直後と数年経って、もっと言うと長期になってきて、被害者が望むものって変化があるのかっていう研究があるんですよね。これを見てたらやっぱり僕が思ってた仮説としてですけど、思ってたような傾向が出てきてて、事件直後っていうのはやっぱり今言ったんですけど、
そういう生活を強いられたことに対する恨みつらみを加害者と言われる人たちに向けて原罰をっていう思いがあるんですけど、やっぱり時間が経ってくると実際に生活の中で困っていくことが出てくるんですよね。例えば、やっぱり稼ぎ頭の人が動けなくなったとかもしなくなったとかなると、じゃあ今からとか明日何食べていったらいいのっていうような心配が出てくるし、
もっとこんなサポートしてほしいっていうのがどんどん出てくるんですけど、それがどんどん時間が経ってくると被害者の方たちが望むものっていうのが刑事司法でどうこうできるっていう問題じゃなくて、生活のサポートしてほしいっていうような面がやっぱり強くなってくるっていうのが出てて、この辺のサポートをしていくことで被害者の支援はできるし、
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だから、加害者を強く罰することと被害者支援って実はイコールではなくて、被害者支援は徹底してちゃんとやる。加害者の立ち直りに関する力を入れるっていうのも徹底する。これは全然相反するものじゃなくて同時並行でやってっていいことかなって僕は考えてるんですよね。
ちょまど 修復的司法ってどういうもんなんでしょうか?
ちょっと分かりにくいので、従来の刑事司法と修復的司法の違いっていうのをちょっと対比させながら、対比というかぶつかり合う概念ではないんですけど、どういうふうに取り組まれているかっていうところを話していきますね。
さっき山口さんもおっしゃったみたいに、重大犯罪でこれやるって結構難しくて、当然、修復的司法を取っている国も全部をこの修復的司法、被害者と加害者の対話で解決しようとしているわけではなくて、やっぱりそれがうまくいかないところもあるから、重大事件に対しては普通の刑事裁判をやるし、そうじゃない対話で解決できるものはそういうふうにやろうっていうふうに分けていって、
どっちかというと件数は圧倒的に軽微なものの方が多いから、そういう意味では修復的司法を活用しているっていうところもあって、なのでここまで言ってきたんですけど、その違いについてちょっと見ていきたいと思うんですけど。
例えばこれまでの刑事施策ですよね。伝統的な刑事裁判とか刑事司法がやっていたっていうのは応法的って言われてて、応法的司法ってここでは呼びますね。それと修復的司法の違いについてちょっと見ていきたいんですけど。
例えば応法的司法っていうのはどういうものかというと、やっぱ犯罪をやった人、加害者を中心にして、その人の刑事手続きをどうするかとか、その有罪が決まったときに刑罰をどうするかとか、その犯罪に対して刑罰法の法違反をどうするかとか刑事司法と国と加害者の対立っていうのがあって、
その当事者って言われるのが、さっきも言った通り、検察と被告、それに代理となる弁護人がいて、この対立関係があって、この当事者主義を貫いて、有罪だとすると刑罰を決定するっていうシステムになってますよね。さらに応法的司法の説明をもう少しいくと、犯罪をやった人、加害者っていう人が犯罪を起こした際に、
この犯罪をやった人って言われる人に対して懲役刑を課したり罰金刑を課したりっていうことが主な目的として行われるっていうのが、これがもう皆さんがよく知っている伝統的な刑事司法で応法的司法って言われるやつですね。
もう一つの今日のテーマになっている修復的司法っていうのは、むしろ被害者と言われる人たちがこの司法の中の中心に来て、被害者だけじゃなくて、それが起きたコミュニティも含めてどういうふうな回復ができるかっていうことを注目していくんですよね。
例えばこの修復的司法の中では、犯罪が起きた理由っていうのを考えていって、例えばそこで関係してくる人々とか起きた侵害とかこれを把握していって、被害者当然加害者もコミュニティも入って、それらの修復がどうやったらできるかとか回復をどうやったらできるかっていうことちょっと前向きなんですよね。
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事件自体は起きてしまってるんで、これを過去に遡ってどうするってやっぱり難しいから、じゃあこの先にどうやって起きてしまったことから回復するかっていうときに、加害者にも回復してほしいし、被害者にも回復してほしいし、それが起きてしまったコミュニティも含めて回復してほしいし、せめて前向きに何かが進めばいいなっていうようなことを探求していくっていうのが修復的司法になってて。
そうなってくると、犯罪をやった人っていうのがなぜ起こしたのかっていう原因を解決していかないといけないし、当然そのコミュニティに戻ってくるか戻ってこないかっていうのは複雑ですけど、社会に復帰するための方法をどうやっていくのかっていうことを考えていくのも主な目的になってきますし。
これってそもそもですけど、別に加害者も被害者も望まないときに無理やりやるもんではなくて、当然さっき山口さんが言った通り重大犯罪だとあんまり望まれないというか、なってくるんですけど、別に自分の被害にあった部分、例えばさっき言った壁がどうかなったとか車が擦られたとかってそれだけ回復してくれたら別にいいよっていう人もいるんですよね、被害者であっても。
加害者であってもなんでそんなことが起きてしまったのかちょっと話したいっていうのがあって、この双方が望んだときに起こるんですよ。どっちもがやりたいって言ったとき、どっちかがやりたくないって言うとこのシステムっていうのは進まなくて、どっちもがやりたいって言ったときに対話を希望したときに行われるんですね。
だから無理やり何かよく加害者の回復のために被害者が使われるのかとか、ただ暴言を言いたいだけっていうのに使われるんじゃないかっていう不安があったりとかってあると思うんですけど、これは一応両方がこういうふうな話をしたい、対話をしてみたいっていうのが進んだときに行われるもんで。
刑事裁判のように、刑事裁判はもうさっき言った通り国の対立ある検察と被告人っていうのが対立感。これはどっちが嫌がってようと進んでいくものなんですけど、私服的資本は一応被害者とか加害者の両方が望んだときに進んでいく。なので望まないって場合は断って原罰を望むことももちろんできます。
対話が始まってからも、それはちょっともう無理ですって決別することももちろんあって、そこから通常の刑事裁判で原罰を求めるということももちろんあるんですよね。
ちょまど 今思ったのが、前回の結果に至る背景を見るっていうところに通ずるところがあるのかなって感じたんですけど。
これすごいいまい指摘なんですけど、やっぱり伝統的な刑事裁判に対するオルタナティブみたいなのが、ここ数年って言ったらあれですけど、10年20年かけていろいろ言われてるようになってきて、数十年って言ったんですけど、前回の話。
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問題解決型裁判所っていうのも、伝統的な刑事裁判とは違ったアプローチをして問題解決を図るっていうのがあるんですけど、主翼的司法も従来の裁判だと、例えば起きてしまった事件に対して全くそのコミュニティのことも知らなければ被害者の加害者も知らないところに連れて行かれて、刑事裁判が行われて刑事務所に入れるとかっていう一連の流れがあるんですけど、
この人が起こした事件ってこういうもんで、この人はこういう傾向にあって、そのよく知っている人たちが集まって、じゃあこの人に適した刑罰というか償いって何かとか、じゃあ被害者が本当に望む償いって何なのかっていうことを話し合って決めていくっていうのが、ちょっと伝統的な刑事裁判とは違った角度でやるっていうのが、さっき山口さんが言った通り、いわゆる本当の問題解決を図るような裁判として注目されたりしますね。
ちょまど そういう対話による解決を行っている例とかって、具体的な裁判とかってあるんですか。
事例としては、さっき冒頭でも話したんですけど、警備のやつですよね。壁にラグが消されたらそれきれいにしてほしいとか、車がへこんでたらその直す修理代が欲しいとか、そういうもんなんですけど、実は結構事例集とかを見ていくと、その少年が置かれているとか、その加害者と言われる人が置かれている環境もみんなが着目していくようになっていって。
例えば通常考えるなら、僕が見た事例でいくと、少年が事件を起こして、加害者も家族が来て、被害者と被害者家族も来て、そのコミュニティ代表の人たちが集まって、どういうふうにしていくかって話していくときに、普通考えるのは、加害者と呼ばれる少年事件だったんですけど、少年の親とか、親が多分来ますよね、普通に想像すると。
その次に親が来ないってなると、兄弟が呼ばれたりすると思うんですけど、ただその少年が来てほしいって言ったのは、おじさんだったんですよね。
これが何でかっていうと、家族でみんなで集まるときに、おじさんだけが唯一その少年の話を聞いてくれるし、何ならその親に虐待を受けてた経験があるとか、兄弟からもいじめを受けてたりとかするっていうのが、初めてそこで分かってくるわけですね。
地域コミュニティもだし、何ならその家族内でおじさんもたまにしか年に1回会うか会わないかっていうような少年が、そういう大事な場面におじさんに来てほしいって少年は言うわけなんで、普通に考えたら親じゃないのとか兄弟じゃないのっていうふうに思いがちだけど、そのおじさんが来て初めて、そういう家庭の問題をこの子は抱えてたんだっていうことが分かってくるし、
そのおじさんもその少年がどうやって回復していくかっていうことを今後考えていけるし、被害者になった人ももちろんね、そんな加害者の事情なんてどうでもいいやんって話もあり得るんですけど、それは重大な犯罪ほどそういうふうになってくると思うんですけど、ただそういう別にこの起きた損害を回復してくれるなら別にこの少年が回復してもらうほうがいいわけじゃないですか別にね。
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両方がプラスになるといいので、被害者としてももちろん自分の回復はしてもらうけども、この少年が次の犯罪をしないようにはどうしたらいいのかっていうことも一緒に考えていけるというような対話が繰り広げられていくっていうのがあったりするんですよね。
そういう考え方ってもう世界的にはスタンダードな考え方になってきてるんですか。
そうですね。新たな刑事司法に対するオルタナティブというか、解決方法として結構注目されてるんですけども、日本ではまだまだね、この後で話していけたらなと思うんですけど、そもそも今どういうところで言ってるかっていうと、機嫌的にはですね、カナダとかニュージーランドとかっていうところのあたりのいろんな、もっともっとその土地に住まれてた方とか、その集落というか小さな部族とかがあると、
例えば想像してもらいたいのが、どっかこの少数で暮らされて生活されてる場面で、例えばやんちゃをした子供がいて、じゃあこの子のこと、この村のことも、この加害者も被害者のことも知らないどっかの中央集権的なとこに連れてかれて、
そこで何か裁判にかかって、どこかの少年院とか刑務所に入れるではなくて、いやこの少年はこういう問題抱えてるし、被害に遭った人もこういう問題解決してほしいし、じゃあそこで起きたことで解決できるか、具体的にどういうのをするかっていうと、もちろんさっきの直接的な被害の回復っていうのもやりますけど、同時に村のみんなに迷惑かけたんで、
真ん中の公園を通算100時間掃除しますとか、村のみんなの役にも立つようなことするし、被害の回復もするし、謝罪もするし、被害の受けた方もそういう理由があったのかって、もちろん許せる面と許せない面があると思うんですけど、ここは歩み寄って、じゃあこんだけのことをみんなのためにやってくれるんだったら受け入れるよっていうようなことが繰り広げられてて、
そういうのが結構ニュージーランドとかカナダとかで行われてたっていうのがありますね。日本ではやっぱりまだまだそういうのが進んでないって感じはしますね。
そういう村の中で解決するって、とても素敵な考えで、みんなの役に立つことで恩返しじゃないですけど、できるっていいと思うんですけど、それが刑事司法の話になると、なんかちょっとバランスが難しいような気がするんですけど、どんな感じですかね。
その多分疑問点っていうのはあれですかね、例えばその村の中で完全に隠しちゃって、本当ならちゃんとした手続きに乗っかって処理していかないといけないような問題も、声が大きい人のやり方で乗ってしまって、本当はそこまでの罰でもないのに受けてしまうとかっていう問題が起きるんじゃない。
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当然それはあって、なので一般的にじゃあ今行われている刑事裁判に完全にとって変わるようなものになるかっていうと、それはやっぱり難しくて、同時並行的に行われていくのがあって、やっぱりその今山口さんが心配してたような点ってあって、適正手続きに乗っかってちゃんとした刑事裁判はすべきだし、そうしないと、例えばほらちゃんとした捜査をしないと、お前やっただろうとかって言われて、
本当はやってへんかもしれないのに、無理やりその場の空気で謝らされるっていうのはあり得るわけじゃないですか。そういう意味ではこういう事件が起きたのかってちゃんと調べないといけないっていうのも当然根強いし、だからどっちがどっちっていう対比するものでもなく、どっちだけがいいっていうものでもなくて、当然そういう問題は出てきますよね。
そうなんですね。村での取り組みが、修復的司法の起源になってるっていうのはわかったんですけど、それをどういうふうに運用されてるのかっていうのが、もう少し教えてほしいです。
これやり方、いろんな国とか地域での方法っていろいろあるんですけど、例えばそもそも刑事裁判として起訴する前に、もう被害者と加害者の対話でこれが解決するんであればそれでいいよって言ってる国もあるし、もうちょっと進んで刑事裁判の中まで来て、じゃあ実際この事実としてありましたね、あなた犯人ですねって決まってた時に、じゃあ実際どんな刑罰を当てるかっていう事実が決まって、
両家の場面で被害者と加害者が対話になって、じゃあ被害者も別にそこまでの、こんだけのことを回復としてやってくれるんであれば、今までの刑罰とは違った方法でもいいですよっていうような話し合いもあって、それもいろいろあるんですよ。起訴前にやる時もあれば両家の時にやるっていうのもあります。
ちょまど そうなんですね。被害者が望む回復の形と、加害者の回復を対話の中で見つけていけるっていうのは、とっても素敵だなと思います。
そうですよね。理念的にはすごい良くて、じゃあ実際実現するにはどうするのかっていうところがやっぱりちょっと難しくて、やっぱり課題はあるんですよ。例えば、真摯な反省をしたいんで謝りたいんですって言いながら、もしかしたら被害者に対して暴言を吐く人もいるかもしれないし、
被害者の側も、実は本当は全然歩み寄る気はないんだけど、ただひたすら加害者と言われる人に暴言を吐きたいだけの人もいるかもしれないじゃないですか。かといって、じゃあ黙ってる人は怒ってないのかっていうと、実は本当は怒ってる度合いがそっちの方が高かったりとか、いろんなことがあり得るので、これ本当に実現していくっていう時はすごい課題がたくさんあって、いろんな国がやってるとは言ったんですけど、やっぱり日本で実現難しいっていうところもその辺に関わってきてて、
24:02
いろんなNPOとかいろんなところで取り組もうっていう頑張ってらっしゃる方がたくさんいて、もちろんその取り組みは僕は応援したいんですけど、応援したいというか応援してるんですけど、たださっき言ったような課題は同時に起きていて、それを制度としてどうこうっていうところまではやっぱり日本ではまだ進んでなくて、これいっぱい課題があると思いますね。
さてここで、犯罪学をもっと身近に感じてもらうために、犯罪学の観点からエンタメを見ていきたいと思います。
今回は主翼的司法の大事なところでもあるんですけども、一度そういう過ちを犯したとか、あの人は刑務所帰りだっていうレッテルが貼られたりとかって、こういう人が頑張って社会に受けられていくっていうところにもつながってくるんですけど、そういう観点から見ると僕のおすすめは映画の素晴らしき世界だと思うんですよね。
すばらしき世界は2021年2月に公開された映画で、役所康二さんが主演の映画です。
直木賞作家の佐紀龍蔵さんが実在の人物をモデルに綴った小説、身分帳を原案に、その舞台を現代に置き換えて、人生の大半を裏社会と刑務所で過ごした男性の再出発の日々を描いています。
おすすめなんですけど、これが何か今回のお話とつながる場面っていうところでいくと、実はさっきの収益的司法がなぜ学術的に注目を集めていったかっていうところでいくと、オーストラリアにジョン・ブレスウェイトっていう先生がいらっしゃるんですけど、
ジョン・ブレスウェイト先生が指摘した理論の中で、昔ラベリング理論っていうのがあって、ラベリング理論っていうのは一度こう張られたレッテルが次なる犯罪に進んでいくっていうようなことを指摘されたんですよね。
例えばあの人は少年院外裏だからとか、刑務所外裏だからっていうようなレッテルが、その社会の中で役割が進んでいってしまって、そっちの荒れた方向に進んでいくっていうのが昔言われたラベリング論の流れなんですけど、
実はラベリング論の続きがあるんだとブレスウェイトは言っていて、そういう側面はあるんだけど、一旦そういう張られたレッテルを再び本人が頑張って社会の中で受け入れられていくっていう動きもあるんじゃないかって。
例えば、さっき言った刑務所外裏のあの人がとか、少年院外裏のあの人がっていうのが、一生懸命その街の中でいろんなことを手伝ったりとか、真面目に生活をしていくのを見ると、ブレスウェイトは恥のレッテルって言うんですけど、恥のレッテルを張られたこれを回復させるために頑張ったような行動っていうのを見せていくことで、
街の人は一旦確かに失敗と言われるようなものがあったけど、それを頑張っている姿を見せることで受け入れていくっていうものがあって、これは修復的手法の概念とつながっていくんですね。そういう意味でもこの素晴らしき世界ってこの映画っていうのは、一旦そういうヤクザの道というか暴力団の道に進んだ人が社会の中で出所してきたときにどうやって社会に受け入れられていくかっていうことを描いていて、とてもいい映画だと思いますね。
27:15
【森】丸山先生に解説してほしいエンタメ作品がありましたら、番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください。
【森】今日のテーマは被害者と加害者の対話でしたが、小学校の時に自分たちがやってた終わりの回での解決方法って、なんかすごい先生に無理やり犯人探しみたいなのをされてて嫌だなっていう思い出があるんですけど、こういう今日のテーマで伺ったような解決方法ができればよかったなっていうふうに感じました。
【森】そうですよね。小学校の時の終わりの回とか最後のホームルームでやった人と被害に遭った人っていうのが謝らなくちゃいけないとか、ごめんなさいって言ったらいいよって言わないといけないというか、許さなきゃいけないみたいな流れっていうのが嫌だったなって今の思い出として持ってる人もいるかもしれないんですけど、それがちゃんと本当に謝りたいと思える環境が作れて、それを本当に受け入れたいっていう環境が無理やりやらされるんじゃなくて、本人たちがやりたいと思ったときに話せるような場が作れれば、
それはありかもしれないですよね。
さて、この番組では感想や質問、リクエストなどお待ちしております。番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
ツイッターではカタカナでハッシュタグ罪な話をつけてツイートしてください。
また私が所属する一般社団法人刑事司法未来でも犯罪学や刑事政策について発信しています。刑事司法未来で検索してみてください。
またお会いしましょう。お相手は丸山康裕と山口由紀でした。
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