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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日記過ぎる本まで、ゆるいトークで紹介する、読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文子です。 改めまして、こんにちは。梶原コーヒーです。
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
今回はいつもは、本を紹介するポッドキャストなんですけれども、
ちょっと趣向を変えまして、先日ですね、10月の7日から14日まで、山形で開催されていた、山形国際ドキュメンタリー映画祭ですね。
この映画祭で上映されていた、ドキュメンタリーの作品ですとか、
あとは今まで、山形国際ドキュメンタリー映画祭、略して山ドキュで上映された作品で何か思い出のあるものをお話ししていく回にしようかと思います。
はい、かすこまりました。
ちなみに今回なんですけれども、コロナの感染の拡大の影響で、全作品オンラインでの上映となったと。
えー、すごい。
ちなみに前回の、2019年でしたっけ、前回が。
そうですね。
これも確か、台風19号でしたっけ。
そうなんです、直撃だったんですよね。
直撃して、私は見に行けなかったんですよね。
あの時なんですけど、その時たまたまですね、ドキュメンタリー映画祭で、ちょっとした軽食をマルシェ風に出そうっていう話があって、私はコーヒーでその時にお店を出すことになったんですね。
山形市民会館がメイン会場で、その中庭でコーヒーのブースを出すっていうのだったんですけども、
台風なので、市民会館の中でコーヒーをサービスすることになったんですけど、台風じゃないですか。
そうでしたよね。
なのに、来るんですよね、人が。
すごい勢いで、海外から、東京とか、他の県からなんですけど、
もうその時確か、朝早くの新幹線が、東京から山形までの便があって、その後から運休になりますよっていうアナウンスがあったんですよ。
ちょっといつそれが解除されるかもわかりませんよっていう時に、もしかしたら途中で止まるかもしれないし、来たものの帰れないかもしれないっていう新幹線にですよ。
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乗って、本当にたくさんの方がいらっしゃったんですよね。
海外からも、監督とかプロデューサーの方とか、そういう方もたくさんいらっしゃるんですけども、やっぱり成田に着いたのはいいけれども、
もうこれを逃したら山形行けないっていう思いで、みなさん総新幹線に乗って、来場されてて、陸路の方もいたし、飛行機の方とかいろいろいらっしゃってたんですけども、
さすがだなと思ったのが、ドキュメンタリー映画祭じゃないですか。もう台風なんか全く問題じゃないと。
そうですよ。中には戦場を飼い潰ってカメラ回してる人もいますからね。
そうなんですよ。だからこんな台風ぐらいでは全くくじけないと。
いやいやいやいや。
いやいやいやいやと思いながらコーヒーをサービスしてたんですけど、もうすごいやっぱり情熱がすごくて、どこかの国、ちょっと国を覚えてないんですけども、
生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、来たものの泊まるところが決まっていないとか。
でもその山時の係の方とかも慣れたもので、そうなんですよみたいな。だからうちに何人かと、他の方のお家にも何人かホームステイしてみたいな。
そうなんですね。
なんかすごくいい経験を私はその台風の時にさせていただきました。
山形によくこんなにいろんなところから人が来るなっていうぐらい来てますよね。
本当に山形県内でのこの映画祭に対する思いと、外から来られる方の思いの熱量の違いがすごすぎて。
確かに。
意外と山形の普通の人たちっていうか、なんて言うんですよね。ちょっと言葉が思いつかないんですけども。
私もそんなに重要視してなかったところとかがあって、以前は。こんなすごい映画祭だって知らなくて。
なんか近くにあって、東大元倉的な感じなんですけど。
なんか今回ね、オンライン会社ですごく残念だったんですけど、みんないらっしゃらなくて。
でも逆に東京とかで行きたいけどもう行けなかったって人たちはすごく喜んでくださったみたいですね。
確かに。
気軽に見れるという。
中止しないっていうのはすごいですよね。
この時に上映しないと、なんて言うんですかね、闇に葬られてって言うタイプですけども、そういうふうにもう二度と日の目を見ることができないっていうフィルムもやっぱり中にはすごくあるっておっしゃってた。
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2019年に賞を取った、ミッドナイトクラベラーっていうタイトルで上映してるんですけども、今映画館で公開してるんですけども、スマートフォンで家族が亡命するところを、監督自身が亡命するんですけど、それをずっとスマートフォンで撮ってたっていう作品があって。
それなんかもう命を狙われている的な感じだったりしたので、これを開催しないっていう選択肢は山時の方々にはないと思います。
ドキュメンタリーってやっぱりリアルタイムで出すっていう、報道的な意味合いっていうのもあったりする部分もあるでしょうしね。
そうですね。
だから今の状況をとって世界に広めるっていうか、知ってもらうっていう部分も大いにあるでしょうから、今起きているっていうのをすぐこのタイミングに出さないとっていうのは大きいのかもしれないですね。
そうですね。
にしても山形みたいな地方都市でよくそういうことができるなっていうのは、毎回やっぱりこれだけの大きい国際のコンペをやってるっていうのは、しかももう30年ぐらい続いてますしね。
そうなんですよね。すごい歴史があるんですけど、山形の市民にはそこまで浸透していないっていう。
そうですね。なんかやっぱ好きな人が見に来てるなっていうちょっと印象はありますけどね。
そうですね。
とはいえやっぱり世界的にはすごく注目されてるコンペではあるっていう。
やっぱりちょっとクレイジーだなって。何時間だったか、2019年の時に6時間、8時間、なんかそういう映画がありましたもんね。
いや確か過去には10時間近くある映画が、作品もあって、何回転かつづりの剣全部使うっていう。使ってみないと見れないみたいな作品もありましたね。
毎年そのもう4時間ぐらいの作品は1本ぐらいあるんですよ。またこの耐久レースみたいなやつ出てきたなとか思いながら。
いつもその耐久レース作品の常連のフレディック・ワイズマンがまた3時間半以上の対策を引っさげて持ってきたりとかも。こんなの見たらWi-Fiの通信制限全部ずっと上とか思って。
そうですよね。
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前回確か図書館のニューヨーク市立図書館の2017年の回で見たことはあるんですけど。
正直眠気との戦いみたいな感じになってきましたね。最後のあたりは。
すごく面白かったのは2019年の時に休憩時間みたいにドアが開くじゃないですか。そうするとわーっとコーヒーを。もう1店舗も出てたんですけども。コーヒーを求めに来る人たちが来て、コーヒーを待ってられるとかお話しするんですけども。
だいたいこういうのは見てるとわかるんだけどね。今が寝るタイミングだからわかるんだよ。これをずっとそんなに力を入れて見てたらもう何本も見れないんだよみたいなことを笑いながら話してらっしゃる方々がいて、ああプロだなと思いながら、全然それは悪い意味じゃなくて本当にわかるって言ってましたね。
そういうなかなか普通の映画館では見れないような作品が見られる貴重な機会ではありますよね。今回オンラインなんで意外といろいろ見れるかなと思いきや、1本しか見れなかったっていう。
そう、私も1本しか見れなかったんですよ。 あと上映時間を間違ってたっていう、通婚の。よくこれも映画祭でやりがちな、会場間違ってたとか、こことベッキングしてたっていうあれですよね。フェスのステージが被ってたとか。戻るには遠すぎるっていう。
あの現象がここでも起こるっていう。でもこれちょうど19時とかからいいのが始まってるんですけど、19時ってなかなか見れそうで見れなかったりするんですよね。あとなんか3時とかね。そうなんですよ。そんなところに持ってこられてもっていう。なので1本見るのがやっとだったっていう。
私が見たのは、スペインの監督のアルフォンソ・アマドルさんが監督のタマグロガという作品ですね。これはどういう内容かと言いますと、スペインの海外農業の作家のバレンシア地方っていう、オレンジの名前で有名なバレンシア地方の都市の近郊にある農村が
あるんですけど、農村というか農家をやっている農業地帯があって、そこの農家、代々タイガーナッツっていう、なんて言うんですかね、豆みたいな食物を育てている農家がいるんですけども、お父さんと娘さんとあと孫がいるんですよ。
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で、その3人が1年農作業してる風景を淡々と撮ってるっていうドキュメンタリーなんですけども、本当にもう淡々と撮ってる作品なんですよ。
春はこれをやって、で、作物を植えていって、土をこして、水やりを、用水路から水引っ張ってきて、夏はビニールがけをして、秋は収穫の時期でっていうのを、本当に淡々と撮ってるので、若干ちょっと眠たくなるような淡々ぶりなんですけども。
この風景がですね、私これどこか見たことあるぞっていうような風景なんですよ。どこかっていうのはこれ山形の農村の風景そのものというぐらいそっくりなんですよ。
こういう用水路があって、用水路をパカッて開ける石の仕切りみたいなのがあってとか、この時期になると田んぼにだんだん水を溜めていって、そろそろ稲作とかやってるとこだったら5月ぐらいになると、4月の初めぐらいもう雪溶けてきたなっていうあたりで、幸運期で土をこし始めて、
だいたいゴールデンウィークの後ぐらいに水を張って稲の苗を植えるかっていう感じの。 そうですね。ああいう風景が延々と続くんですよ。
で、そこで働いているお父さん。お父さんってもうだいぶ年も60とか70近くなんですかね。で、そのお父さんの顔に刻まれているシワがですね、すごくひにやけて、でシワも深くて、もう普通のシワとかじゃなくて、なんていうかブロックみたいになってるんですよね、シワが。割れ目がすごいんですよ、シワの。
はい、皮膚が固くなってる的な? そうだと思います。スペインってすごく乾燥するところなので、そして日の光も強いじゃないですか。はい。だからその乾燥した地域の人特有のシワの刻まれ方と、で、黙々と無表情で黙々と畑仕事をしているお父さんっていうのが、
あー、なんかこれ東北の畑仕事をするおじいちゃんにこういう人いるなっていうような、この顔見たことあるっていうような。で、娘さんもやっぱり黙々と仕事をしてるんですよ。淡々と毎日同じことを繰り返しっていう。
同じことっても、まあ毎日だんだんやることは変わってきて、この季節は収穫した豆を苗からトラックに入れるために下に落としていってとか。
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そういう風景を淡々と撮ってるんですね。ただ、その農村の美しさっていうのももちろん、この映画のテーマではあると思うし、その淡々と働く人たちの、なんていうんですかね、仕事に対する誇りみたいな、まあ確かに大変な仕事、肉体労働だし大変な仕事だけど、でも私たちはこれを代々やってきたんだっていうようなプライドみたいなものも感じる一方で、
やっぱりその、これも山形の農村によくあるような開発の波っていうのも迫ってくるわけですよ。で、ここも都市均衡なので、都市からこう道路を作ってショッピングモールを作ろうっていう計画が立てられてるんですよ。
計画の道路が通る沿線上にこの人たちの農地があるんですね。ただ、この人たちにとっては別にそんなショッピングモールができたところで、そんなにメリットはないんですよ。だからまあ反対運動みたいなのもしてるし、別に反対運動がこうそうしてってわけじゃないんですけど、その計画っていうのはちょっとストップしてる状況なんですね。
ただ、また今後これは計画が動き始めるっていうような話も出ていて、収穫が終わった後にこの人たちパエリアを農協みたいなところで作るんですけど、それを食べながら、来年はこのパエリア作れんかもしれんなみたいな話をしてるんですよ。
そういう今のままの暮らしがもうできないかもしれないっていうような話も織り込まれてはいるんですけど、ただそれもだからといって熱く道路建設反対とかいうわけでもなく、反対運動はするんだけど、ただやっぱり淡々と結局これ言ってしまうと最後には建設工事の計画が始まって、
みんなが今まで語り合っていた農協が取り壊されるっていうシーンで終わってしまうんですけれども、
そこで終わるんですか?
ちょっとはその後続くんですけど、ただそのシーンっていうのはなかなかちょっと切ないものがあるんですけど、なんかそれも含めて私はこの風景を見たことがあるなっていうのを終始感じさせる映画ではありましたね。
そこも含めてね。
一番これとても山形の人にグッとくるシーンだなと思ったのは、さっきのパエリアを作るシーンなんですよ。
収穫が終わった後に、なので秋に畑仕事が終わると農協みたいなところにみんなで集まって、しかもその農協は多分手作りのみんなで建てましたみたいな手作りの素朴な感じの農協で、壁になんか畑は人生って書いてあるんですよ。
で、そこの農協にみんなで集まって、そこに大きい窯があって、そこで男たちが豪快にパエリアを作るんですよね。
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で、それをみんなで分け合って、飲みながら今年の収穫の話とか、これからの道路建設の話とかを、別にすごい大して盛り上がるわけでもなく、黙々とご飯を食べながらみんなで語るっていうシーンが出てくるんですけど、
これは山形の芋煮だねって思いながら、
そうですよね。それは芋煮ですね。
すごく、なのでものすごく親近感の湧く映画ではありましたね。
ただやっぱり、そういう風景がなくなってしまうっていうのも寂しさっていうのもあるし、
だからといって、その人たちもものすごく反対運動をするかというと、どこか諦めっていうか、平年を諦めの気持ちを抱えながら、
でもこの今の暮らしも維持したいし、でも変わっていくものにどうやって上がっていったらいいのかっていうところで悩むっていうようなシーンがやっぱり淡々として描かれているっていう。
まあ生活の記録ですよね。
そうですね。
でも生活ってね、もう人生ですからね。
なんていうかこう、ドキュメントのしつないところっていうか、それが劇的に何かハッピーになったりがしないっていう、劇的に悪くなることはあるか。
なんかこう、例えば反対運動とかをとって抵抗の記録みたいな映画もあると思うんですけれども、
なんかこの映画本当にそういうのが、そこはそんなに強く描いてはいないんですけれども、
ただもしかするとその大きい声を上げて抵抗するっていう、それはしたいんだけれども、なかなかそうすることもできずに変わっていく波に押し流されて、でもそれでも生活はしていかなきゃいけないしっていうような感じで暮らしている人の方が実は多いのかなっていうような。
圧倒的にそうですね。
思っていても、そうやって座り込みをしてみるとか、デモに参加するっていう人なんかはほんの土握りで、そういうのに参加しない人たちをまた撮るっていうところがいいなって思いますけどね。
それも一つのドキュメントとして、そういう変わっていくものに流されつつも自分の日常を粛々と過ごしていくっていう静かな対比になっているのかもしれないですよね。
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そうなんですよね。やっぱり風景がとても綺麗なんですよね。
乾いた土地特有のこの空の色の鮮やかさというか、全部が絵みたいな感じの描いたような綺麗な風景で、ただこれをもし地元の、地元も結構そういう映画になりがちな土地ではあるんですけれども。
そうですよね。
自然が綺麗でとか、そういう感じで撮られるような土地ではあるんですけれども、やっぱりこれ地元がこういう感じで撮られてたら、私映画見に行くかって、多分それはそんなに見ないと思うんですよ。
なんかあんまりちょっと綺麗すぎるなっていう感じに思っちゃうなと思うんですけど。
ただやっぱりこの映画、私はスペインのところには全然縁がないので、やっぱり他人事として見てるから美しく見えるっていうのもあるのかなっていう。
なんかドキュメンタリー映画っていうと、イメージ的にすごく泥臭いっていうか、激しいとか泥臭いとか、ぶつかり合いとか、そういうののイメージがあるかもしれないけれども、
実は絵の構成だったり音楽だったり、そういうのをすごく作り込んでいるんだよ、今はっていう話とかも聞きました。
だから持ってるドキュメンタリーっていうイメージと違って、これはすごい風景とか色合いとかに力を入れている監督なんだなとか、なんか裏テーマがあったりするとは言ってましたけど、
こういう田舎のことってどうしても自分も田舎に住んでるから、あちこちシンクロしてグッとくるとは思います。
ステインの映画だと思ってみたら山形だったっていう。
都会もそうなのかもしれないですけど、田舎って、九州の田舎も山形の田舎もちょっと海外もそんな行ったときないんですけど、ハドソン、ニューヨークからハドソンに向かったことがあったんですけど、
その時の風景も見たときあるなと思ったら、アガサに向かう道だなと思って。
ハドソン川が流れてるんですけども、これはモガミ川だよねって思いながら。
運転してくれていた地元の方が、そこウッドストックだよって、ウッドストックフェスティバルやったところだよって教えてもらったんですけど、
うーんみたいな。何もないみたいな。あれ、あの映画の雰囲気と全然違うなみたいな。
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思ったんですけど、田舎の風景って意外に、火山があったりするところだとちょっと岩の感じとか違うかもしれないですけど、
普通の田舎だったら、針葉樹か紅葉樹かの違いとかで、見える山がちょっと違うかなっていう程度で、
割と同じなんですよね、風景って。もうどこ走っててもガッサンに見えちゃうっていうか。
むしろ地元の記憶があまりにも強すぎて、何でも地元を見出してしまうとか。
ほらパエリアを見ても芋におかしくて。独特ですよね。田舎の人が田舎を見るっていう。
だから、こういうのを見て、もしかしたら都会の人はその映像とかに、中身は、話の内容はちょっと重いものだったりしても、
その綺麗に捉えた風景に癒やしとか感動を覚えるかもしれないですけど、田舎の人がそれを見ると、見てもそこの部分で美しいなって、
心を動かされることっていうのが2割ぐらい少ない気がするんですよね。
見たことあるなっていう。本当にこれは、田舎ってそんなに綺麗なものでもないんじゃないかみたいな。
やっぱり大変さね、知ってるから。栽培系とかはね、少しちょっと話が逸れるんですけど、コーヒーワンの産地とかの話を聞いても、
全部サクランボに聞こえてしまって、手で一つ一つ摘むんですとか、栽培とか大変な話も聞くんですけど、
全てがサクランボ、全てが農作物、豆であったり米であったりと、やっぱりシンクロしてしまって、農家に対する農員に対する感情移入がひどくって私。
だから多分そこら辺は都会のロースターの方とはちょっとだけ違うんじゃないかなって。
たまになんですけども、そのお豆のプレゼンを商社の方がしたりするんですよね。
その時に映像として、やっぱり水害があって農地までの道のりが水に埋まってしまったとか、
あとそういう大変な環境で育てているっていう映像を見た時に、やっぱり身近にあるのでそういうのが、
わかる、その大変さと思うんですけど、意外に一緒に見てる都会子たちは、その話はいいからみたいな。
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なんか味とか価格の話をみたいなことを言われると、ちょっと待ってみたいな。大切なことこれって思うんですけど、
やっぱり近くにあるものに対しての温度って高くなるので、人は。
だから何か的さんの気分がすごくわかります。この映画を見ている時の、私は見てないんですけども、多分こんな気持ちで見ているんだろうな。
そうですね。なんかこう、祖父母が畑仕事をしていたので、水やりの話とか畑の細かい手入れの季節ごとにやらなければいけない仕事とか、
農家ってやること本当多いんだよなって思いながら見てましたね。
冬の、いまだに思い出すんですけど、冬場に大根を掘って、それを雪が降ってる最中に、またそれを用水路で藁を使って洗うんですよ、泥を。
それを小さい時に、ばあちゃんの手伝いでやったんですけど、私はもう寒すぎて、寒いを虜しても痛いですよね。
もう帰りたい、やりたくないって思っても、でもばあちゃんはそれを無言で黙々と大根を洗ってるわけです、雪降ってる中、腰を曲げて。
私だけ帰りたいなんて言えないじゃないですか、そんなの。
あの、しんどさをいまだに思い出しますね。農家って大変って思いながら。
だからその、冬の東北の農業って、ほんと映画になりますよね。
確かに単純作業の積み重ねではあるけれども、災害だってあるし。
ねえ。
ねえ、果樹園とかだって氷が降ったらね、もう一発アウトみたいな感じになっちゃったりしますしね。
今年は台風がなかったなと思っても、なんかすごい地震で梨全部落ちちゃったとか、もう胸が締め付けられる。
そうですよね。うまくいくことなんてあるんだろうかっていうぐらい過酷っていう。
地震で落ちるみたいな。
そうですよね。何かしらは起こって、何かしらはその大変なことが起き続ける人生を、ずっと繰り返し繰り返し生きてきた人たちの、あの辛抱強い顔ですよね。
本当に。
だから何か確かに、すごくこの鎌倉が出てくる人たちっていうのは、おしゃべりな人って本当にいないんですよ。
まあ唯一笑顔でキャッキャ言ってるのは孫だけなんですね。
孫は元気なんですけど、お母さんとそのおじいちゃんはもう本当に黙々と仕事をするんですよ、目のんで。
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でも何かそれが本当、ああ農家だなっていう感じがするんですよね。
それも世界共通なのっていう。
明るい農家さんはもちろんいると思うんですけど。
もちろんいますけど。
もちろんいると思うんですけど、でも何かこう黙々と今やることをやってっていう。
それの大変なことがあっても、それの繰り返しで生活の一年が回っていくっていう。
でもそれを乗り越えてきてる人たちの顔っていう感じなんですよね。
昔のドライブインで、ドライブインの時に話した商売人の顔とちょっと通じるものがありますよね。
農業をやってきた、自然のそういうままならないものを相手にしてきた人たちの顔っていう。
だからある意味心がひどいところがあるっていうか、諦めをしてるっていうか、
もうどうしようもないことをしてるから、
なんか潔いっていうのとちょっと違うんですけど、
でも何かありますよね、そういう諦め上手みたいな。
諦めなんですよね。諦めってなんかすごく悪いイメージのある言葉かもしれないですけど。
前向きな諦めっていうか、まあしょうがないっていう。
こっちから見るとしょうがなくないんじゃって思うことも、まあしょうがないなみたいな。
来年みたいな、次行こうみたいな感じの強さっていうのはね。
やっぱりすごく長期スパンでものを見てるから、ここであんまりエネルギー使いすぎても続かないから、
これはもうしょうがないと思うしかないんだみたいな。
そういうのもあるかもしれないですね。だから小さい失敗に苦力をしすぎないっていうか。
あとやっぱりこちらがどうあれこれしたところで、どうしようもない相手を相手にしてるので、自然という。
それはもうやっぱ諦めの気持ちにならないと続かないっていう。
持たないっていうのはあるでしょうし。
鎌黒が山形視聴者を取ってますね。
そうですね。山形の人が見たら何かこう。
そうですね。ここに集約されてますよね。山形視聴者を取っているというところで、これをあげずにはいられませんでしたねっていう。
やっぱりスペインの人にとっての芋にはパエリアかっていう。
そこだけちょっとオシャレな感じでいいですけどね。
ちなみにこの鎌黒がって何なのかっていうと、出てくる家族のヤゴウが鎌黒がっていうヤゴウで、あっちにもヤゴウっていうのがあるらしいんですよね。
日本でも、うちもそうですけど、農村とか行くとヤゴウがあるんですよ。
あそこはドコドコAの家とか、あそこは何米の家とか、うち彦英もなんですけど、あそこは彦英の家とか、ヤゴウでみんな呼ぶんですよね。
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山形市の方どうかわかんないですけど、たぶん古い農家とか行くとヤゴウ持っていると思いますよ。
それもあって、ここでもヤゴウあるんだ、山形って思って、そこも面白かったですね。もし見る機会があれば。
そう撮ったのって再演したりする時もありますからね、映画館で。山形フォーラムとかで。
そうですね、あと本気で見に行きたい場合は、山形の北の方にあるビッグウィングのアーカイブ室に行くと、今まで上映したドキュメンタリーフィルム全部そこにあるので。
そうなんですか。
そうですそうです。確かビッグウィングにアーカイブがあったはずですね。そこで見れたはずですよ。
ドキュメンタリー映画祭の、なんかドキュメンタリー映画の部屋みたいなのがあって、ここは何だろうと思ってたんですけど。
アーカイブ出るんですか、すごい。
なので、ちょっと見逃してたっていうのがあれば、ここに見に行くっていうのも一つの手ですね。
そうですね、いい情報でした。素晴らしい。
お客にお住まいの方に活用していただくっていう感じでしょうかね。
そうですね。
梶原さんが今回見た映画は。
そうですね、私ももう全然見れなくて、ただ受賞作品をアンコールで最後に14日の日に上映して、夜の9時半からだったかな。
リダイイチョウっていう、香港のデモの映画を見ることができて、あれはすごく自分の中でも気になっていたデモだったので、見れてよかったんですけども。
ドキュメンタリー映画って本当答えがないっていうか、答えもないし、ハッピーにしてもバッドにしても終わりもなかったりするじゃないですか。
そうですよね。
まだまだ続く中の途中だから、なんかこう見た後の辛いっていうか。
解決してないっていうか。
そうそう、もう現在進行形だし、あれに携わった学生たちが理大ですね、大学に牢屋をする話なんですけども、結局。
小牢攻めですね。
小牢攻めキャストと同じ感じで、大学の360度、地下、地下水とかの方から逃げるにしても、そっち側を固められてしまっていて、中でどんどん疲弊していく学生たちっていう。
だけども、諦めたくない気持ちはあるんだけども、もうなんかこう、なんて言っていいんでしょうね、大人たちのずるさっていうか、国のずるさっていうか、なんかすごいタイミングで外に出してあげるよって来る優しい顔をした人たちっていうのが現れたり。
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なんかこう、そこで自分は弱いから逃げるんだって泣く学生がいたり、でもそれを弱さじゃないよそれはっていう大人がいたりもするんですけれども、もうその大人も本当にいい人なのかがわからないじゃないですか。
そうですね。
見てる方も。
もしかしたらっていう。
だから結果がもう全然わからないので、それで撮っている人も監督もあがされず、この映画の後にあったQ&Aも監督の写真とかはなくて、動画とかはなくて、声だけのやりとりだったんですけども、声だけのやりとりもリスキーなんじゃないかなと思いながら見てはいたんですけれども。
なんですかね、ああいう国が変わってしまうってやっぱり自分たちは体験したことがないことじゃないですか。
だから感情移入っていうのともちょっと違うし、ただただ怖いなっていう。もうミャンマーとかもそうですけども。
昨日までは自分を守ってくれると思っていた警察とか軍隊とかが敵になってしまうっていう恐ろしさ。じゃあ誰が守ってくれるんだろうとか、これを解決してくれるのは誰なんだろうっていうのがもう全くわからない中で抵抗していくって結構地獄ですよね。
圧倒的外から見てるわけじゃないですか、私たちはそれを。だからね、また思うところが何もできない歯がゆさというか。ただちょっとツイッターとかにも書いたんですけど、映画の中で今の時代ってすごいじゃないですか、全部動画で世界にリアルタイムで配信できるので、
警察とかから攻撃を受けているところとかも全部動画で配信していて、これは1万人が見ているぞ、世界が見ているんだみたいなことを叫ぶシーンが出てくるんですけども、やっぱりそういうのをちゃんと見ておくっていうか、ああいう時にこうやって学生たちを追い詰めた人たちがいるとか、
そういうのを知っておくっていうのは大切な支援の一つなんじゃないかなって、支援というか何ですよね、応援とも違うんですけども。
なかったことにはしないというか。
学生たちが一番恐れていたのは、自分が自殺だと思われることが一番怖いみたいな。だからカメラに向かって取り押さえられたりするんですよね、警察に。
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そうするとカメラに向かって自分の名前とIDを叫ぶっていうシーンがいくつか出てくるんですけども、自分はここにいるっていう、なかったことにはされたくないっていう、そういうシーンとかが結構出てきて。
ただそういうシーンもありつつ、警察が暴力を振るっていうところとかをいくつかのカメラが撮ってるんですよね。
でもそのカメラの人たちに攻撃はなかったりするので、どういう話し合いっていうか。
中には記者の方でも逮捕されたりとか、そういう方がいたっぽいんですけども、なんかこれこんな風に撮ってて大丈夫なのかなっていうシーンがいくつかあるんですよ。
だからその海外記者に対しては手を挙げないこととか、何かあったのかなとか。
取り決め的な。
ちょっとそういうのを知りたいなと思いながら見てましたけど。
民主化運動っていうんですかね。
ああいうのって成功したことはあるんですかね。
一瞬とかだったらあるのかもしれないですけど。
なんかこんな時代なのにって思っちゃうんですけどね。
そうですね。
大人になってからの方が複雑だなって思います。
でもこう、人ごとのように見てはいるところは、まあ言い方あれかもしれないですけど、やっぱりでも他の国の人っていうのはやっぱり大変なんだなって思うところは昔はあったんですけれども、
でもなんか最近そんなに人ごとでもないのかなっていうのは、ちょっとね、思ったりはしますよ。ちょっとっていうか。
かなりしますけどね。
そうですね。
だから嫌な感じが残るんですよね。
そんなに遠い話ではないっていう。
残念ながら。
だからその時に私たちは何ができるのって思ってしまうっていうか。
そうですね。
まあね、答えが本当に出ないんですけど、あんなパワーが今の日本の人たちに残っているんだろうかとか、
そこまで国に対しての何かっていうのがあるのかなーって考えちゃいましたね。
なんていうか、まあ私もそんなになんていうか、声を上げて政治側っていうようなタイプの人間ではないんですけれども、
でもさっき梶原さんおっしゃったみたいに、やっぱり知ることってすごくなかったことにしないっていうのは、
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あったことなかったことにしない、そのあったことを知ってるっていうのは、それだけでも結構。
ですね。
なんか、それであの監督のQ&Aの時に、監督の方からの話で、警察の中にも、
これは天和門になる、天和門に沼になるぞって心配してる人がいたのも事実ですっていうのを聞いて、
私も結構甘い人間なので、そういう考えを持って学生を心配していた警察の人もいたんだなっていうところにだけちょっと光を見たっていうか、
私は2対6対2の法則を信じているので、2割とは言わないですけども、何割かは心ある警察がいてくれたら良いなっていう甘い希望を抱いてます。
ただなんかその後の学生たちがほぼほぼ逮捕されているし、その後がどうなったかっていうのはやっぱりわからないので、それもちょっとなんかわからないですよね。
日本だって警察はまだ守ってくれるかもしれないところに今立場的にはありますけど、
まだ使用ありますよね、もちろん。
まだね、まだね。だけど入管のこととか、そういう自分たちの目に見えないところとかでのことがそうやってニュースで流れてきたりすると、どんどん信頼がなくなっていくじゃないですか。
だから自分が見ているものが本当に正しいのかとか、信じられるものなのかとか、信じ続けるっていうのもしんどいなって、そういうまとまりのない感想で。
ドキュメンタリーの映画祭って結構そういうシビアなテーマのものもあるんですけど、ここでそういうことが世の中にあるのかっていうのを知るっていう機会にもすごく本当になってるんですね、毎回。
そうですよね。だからさっきちょっと話した、前回ショーを撮ったミッドナイトトラベラーの監督たち、監督含め大勢の人たちが亡命できるようにクラファンが立ってたりするんですよね。
だからそういうのってもう本当に進行形じゃないですか。それがやっぱりドキュメンタリー映画祭のこのすごさっていうか、終わってない話がいっぱいあって。
そうですね。そこがきっかけになるっていうのは。
だから知るっていうことと、覚えてるっていうか、意識し続けているっていうことが小さいながらも役に立ってるのかもしれないなと思います。そういう個人個人のね。
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なんかその大きい声を上げるとかじゃなかったとしても、知ってることによって小さなことでも支援ができる行動に取れたりとか。
そうなんですよね。ちょっと思ってるだけでやっぱりそっち側に足が向いたりするじゃないですか。全く知らないと手も伸びないし、そっち側に足が向かなかったりするんですけど。
ちょっと知ることによって、クラファーが今あるんだなとか、ちょっと気づくことができるようになるっていうのは、すごくこのドキュメンタリー映画祭の持つ力っていうか、一つ大きいパワーになってるのかなと思いますけどね。
なんか昔見たドキュメンタリーとかで、山形のドキュメンタリー映画祭見た映画で、何個かやっぱり心に残ってるものっていうのがあって、今まで見たそのドキュメンタリー映画祭見たドキュメンタリーの中で一番謎だったなっていうドキュメンタリーは、タイトルがチリっていう、英語で言うとダストですね。
ゴミとかチリとかあるじゃないですか。のドキュメンタリーっていうのが、しかも2時間半くらい。結構長いドキュメンタリー。何映してるか、延々とチリですよ。チリとか細かい粒子のゴミとか。
それがいろいろ産業廃棄物の、なんて言うんですか、噴煙とか、あとは放射性物質の核燃料の噴塵とか、なんかそういうのをひたすら取ってるっていう、いろんな工場に行ってそういうのを取って、これはこういうふうに処理してとか、あと一番衝撃的だったのは、ほこりを集めてる人っていうのがいて、
これは良いほこりだって言って、コレクターがいるんですよ。世の中って広いな。
くまなくいますね、そういうコレクターって。すごい、ある意味、どこにでもコレクターっているんだっていう。衝撃。っていう映画を見ましたね。あれは本当にドキュメンタリー映画祭じゃなければ絶対出会わないような、謎の作品ですね。
あとは、殺人の記憶だったかで、それこそ、クメルルジュのポルポトの政権の時に、政治犯と思われる人を殺害して回った民兵みたいな人の民兵たちに取材をして、あの時どうやってやったんですか、みたいな。
映画作りましょう、みたいな話を持ちかけるんですよ。どんなんやって思うんですけど、どんな企画なのって思って。
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メンタル読まず。
で、最初その民兵のおじいちゃん、まだ生きてるおじいちゃんが、ノリノリで乗ってくるんですよね。で、俺この時こういう格好しててさ、みたいな。で、実際にその場所とかに行って実演するんですよ。こうやってみたいな。
すごいちょっと見てて結構げんなりするんですけど、しかもそれを結構あっちは、もう俺は本当に英雄だからって、正しいことをやったんで100%正しいと思ってやってるので、あの時こういう感じでさ、みたいな感じで、笑いながらそれを実演してくれるんです、一個一個。
で、監督も、監督よくこのメンタルすごいなとか思うんですけど、もうずっとそれをカメラに回して、いいですね、みんなのカット最高です、みたいな感じで言いながら、じゃあ次はこのシーン撮ってくださいとか、次はこのシーンやってくださいとか、それをずっとさせるんですよ、その人に。
で、そうやっているうちに、ミンペイのおじいちゃんが、だんだんこのやってってあれはこういうふうに死んでたんだ、みたいなことを毎回毎回演技をしていくうちに、死んでいった人たちのことに思いを馳せ始めていくんですよ。
で、まさかなっていう。で、もう最後の方で、俺らなんかとんでもないことしてたんだな、みたいな。なんていうか、本当に残酷。いろんな意味ですごい。しかも確か朝一の上映で見たんですけど、朝からこれはきついって思いながら。
それは意図してやってるわけですか?それとも結果そうなったってことなんですかね?
どうなんでしょうね。反面、たぶん、あの結果になると思ってなかったのかもしれないですけど、監督も。ノリ的にはなんとなく、そして時々挟まるデビットリンチ的なシュールなマンカットが挟まれて、なんでこれここに挟んだのかわかんないというような映画だったんですけど。あれもなかなか衝撃的な。
いい意味で、本当に観客を考えずに撮ってるじゃないですか。ちゃんと編集とかはしてるのかもしれないですけども、撮りたいっていう監督の情熱が先走るから、観客がちょっと置いていかれる時があるっていうか、何を見せられているんだっていう。
ちりはまさにそうでしたけどね。これなんだろうなっていう2時間半っていう。
あなたが選んだんですよねって話になりますけど、だからちりからね、そんなね、民家のおじいちゃんまで広すぎる。
広すぎますね。あと、日本のドキュメンタリーも見たりとかもするんですけど、これはっていうのは、南三陸町の映画を撮った方がいて、ただそれは震災前の映像を撮ってるんですよ。
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ハデンヤに生きる人々だったかな、タイトルなんですけど、ずっと学生の頃から南三陸町のハデンヤ地区っていうところに通って、そこにあるカグラがあるんですね。
で、それお祭りで使うカグラとか、あとは元々残ってる、ちょっと古い風習みたいなのが結構残ってる地域で、それを元々大学で研究していて、記録で撮っていて、ドキュメンタリーにしようと。
で、ずっとその地域の人にインタビューもしていて、もうかれこれ10年ぐらい通ってたっていう。で、最終的にまとめたフィルムを、今度お祭りの時に上映しますので、持っていきますねって言った日が3月の11日だったんですね。
2011年の。で、12日がお祭りだったんですよ。でも、着いて数時間後に地震が起きて、最初のカットは津波から逃げるシーンから始まってます。
でも、その津波自体は映してないです。そんなの映す暇ないぐらい、もう逃げなきゃいけないので、カメラだけは撮ってるけど、ずっと逃げてるシーンが10秒ぐらい続いて、で、そこから津波に飲まれる前の、今までの映像が2時間半ぐらいあるんですよ。
で、その街の人たちの話とか、いろんな話を聞いて、で、結構このシーンは別にカットしてもいいんじゃないかっていうような、編集としてはこれはもしかすると甘いのかもしれないなっていうふうに思ってみるんですけれども、最後にもう津波で何もかもなくなってしまった街が映って帰っていくっていうシーンで終わるんですよ。
だから、その震災が起きた後の話って、その映画の中では5分もないかなっていう感じなんですけど、今まで見てたあの映像は何?ってなってしまう。夢だったのかなって、ちょっとその最後に思ってしまうようなもので、ただあれは本当に作って撮れるものじゃ絶対ないし、
ああいうシーンが映してしまうっていうのもドキュメンタリーのちょっと怖いところでもあるし、現実の恐ろしいものっていう。
そうやって何もなくなってしまったっていう現実を知っているから、カットできなかったっていうのはあるんでしょうね。
そうだったと思うんですよ。最後のそのシーンを見たときに、あれはカットができなかったんだなっていうのを思い当たって。
だからね、そうやって自分にとっては不要なものかもしれないけれども、そこに確実に日常とか人がいたっていう、それこそやっぱ記録とか記憶とかなんですよね。
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だから、さっきの離婚大の逆戦路の話とか、亡命してくる途中の話っていうのは事件の最中の話じゃないですか。
でもその南三陸の映画については、もう日常が主役なんですよね。事件がある前の記録っていうことですよね。
ドキュメンタリーって事件が何かあってから撮られるっていうのは、何かをきっかけにして撮られるっていうことが多いと思うんですけど、何かがある前の映像っていうのは結構不思議な映像だなっていう、なかなかない作品なのかなっていうのもちょっと思いましたし。
偶然といえば、本当に偶然ですね。
恐ろしい偶然ですね。
だけども、その偶然があったから気づいたものもあるってことですよね、多分ね。
その偶然、言い方はあれですけど、その偶然があったからこそ、ただのその辺にある何の変哲もない日常がものすごく貴重なものになってしまったっていう。
だから震災があったから思うのかもしれないですけど、日常って本当に奇跡的なバランスで保たれてるんだなっていう。
こうやって普通に暮らしていて、別に何の変哲もない毎日だけども、ちょっと崩れたらもうね、あっという間になくなっちゃうような、本当に奇跡のバランスなんじゃないかなって思うようになりました。
たまたまの連続という。
そうそうそうそう。たまたま今こうやっているけれども、ああやって本当にものの何秒とか、ものの何分で世界って変わってしまうっていうのを知ってしまうと、
よりやっぱり日常ってすごいなって。ありがたいなっていうかすごいなっていうかね。かけがえがないものだなっていう気はしますよね。
次の回、2023年ですか、もしかしたらすごくコロナの話多くなるかなって。
2年間ぐらいで撮られることっていうのは多いでしょうから、そうなるともうここは。
今年もうちょっとあるかなと思ったんですけどね。
でもやっぱり制作が2020年とか2019年とかに設定してあったので、そのぐらいだと多分フィルム撮ってるのはもっと前ってことですよね。
だとやっぱりコロナの話っていうのはまだ出てこないかもしれないですけど。
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一つだけ、武漢私はここにいるっていうのが、でもこれがもうまさにその時みたいな時の映画でしたもんね。これ見たかったんですけど。
そう、なんかクルーが武漢に入っている時みたいな、突然封鎖される街みたいな感じじゃなかったかな。
それもやっぱり偶然の。
そうですね、偶然ですよね。
確かそんな話じゃなかったかな。でも次の映画祭2年後?また楽しみですね。
そうですね、どんなのが出てくるか。やっぱりコロナの話は絶対出てくるでしょうし、それをどういうふうに私たちが見るのかなっていうのも。
なんかコロナの話もですし、もしかしたらそのまだ引き続き続いているミャンマーとか、さっきのあの香港とか、そういうところの話とかも出てくるかもしれないですね。
もう少し何だろう、亡命的なところとかも結構動きがあるじゃないですか。
そうですね、アフガニスタンとかもまた。
アフガニスタンとかね、本当にアフガニスタンあたりは出そうですよね。
どういう気持ちでまた見るのか、2年後。
2年後、だって楽しみだよね。
2年後は、そう、チリみたいな感じが出てほしい。
そうですね、ちょっとこれ、鎮索が。
鎮索が、足休め的に出てくれること。
なんかこう、鎮索です、みたいなの書いてほしい。
鎮索枠。
鎮索枠、ちょっとなんか色で。
ほしいですね。
色分けしてほしい。
次回はでもみんな来れるといいですね。
そうですね、もうさすがに2回現地見れてないので、次回こそはスクリーンで見たいですね。
そうですね、映画祭の、まだグッズとかを販売しているようなので、
なんか一応私は支援かなと思ってお酒を買いました。
お酒いいですね。
はい。
今回はこんなところでしょうか。
そうですね。
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皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回まで、さようなら。
さようなら。