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みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない日記すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する、読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。的文子です。
改めまして、こんにちは。梶原浩美です。
よろしくお願いします。
今回紹介するエッセイは、『女ふたり、暮らしています。』という、著者が、キム・ハナさんとファン・ソヌさんという、お二人とも韓国の方で、韓国で暮らしている方のエッセイです。
CCCメディアハウスから出版されている本ですね。
翻訳の方が、すみずちさこさんですね。
この本の内容なんですけれども、タイトルにあるように、一緒のマンションに暮らしている、これはキム・ハナさんがエッセイストでいいんですかね?
キム・ハナさんは編集ですかね?エッセイスト。
エッセイストで、あとはなんかポッドキャストとか、いろいろ講演とか、そういったことも広くされている方、フリーランスで働いている方ですね。
そうですね。どっちかというと、文章系の方なんですかね?
そうなんでしょうね。
お二人とも文章系って文章系なんですけど、どっちかというとファン・ソヌさんの方が、雑誌とかそういう感じなんですかね、エディター。
会社の当面の出版社のエディターをされているっていう方ですかね。
そうですね。
この二人がどのように出会い、そして一緒に暮らすことに至って、どういう暮らしをしているかっていう意味の出来事をエッセイに、そして交互に書いているのを収録した本ですね。
そうですね。
この交互に書かれているエッセイというのも、すごく読みやすくていいなって思いましたね。
この本を実は読む前に、「女の答えはピッチにある」っていう、やっぱり韓国のエッセイを読んでいて、その流れでこの「女二人暮らしています」に私は辿り着いたんですけれども、
女の答えはピッチにあるっていう方も、それとも小説かなと思ったら、エッセイで割と明るい。この「女二人暮らしています」もどっちかというと明るいテンションじゃないですか。
そうですね。
私は韓国文学にハマってから、キム・ジオンから始まり、フィフティ・ピープルとか読み続けていったんですけども、全体的に暗いイメージというか。
そうですね。ちょっと深刻な感じですよね。深刻というかシリアスな感じの。
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テーマも重かったし、意外と全体的にグレーっぽいっていうか、重みがすごくある。質度と重みのある本が多かったので、この女の答えはピッチにあるを読んだときに全然暗さがなくて、そこにまずすごく感動して。
暗くないみたいな。暗くない。明るいみたいな。さっぱりしているみたいな。
それですごくその本も良くて、この女二人暮らしていますも、表紙も女の答えがピッチにある。ちょっとピンクっぽいんですけども、それで手に取ったらこっちもまた明るいみたいな。
松本さんこれからお話しするかもしれないですけど、この女二人暮らしていますが、マンションを買うじゃないですか。
そうですね。
その時に半地下じゃないみたいな。半地下じゃないところに住むみたいな。
半地下じゃない。
そう。景色とか日当たりとかをすごく優先して選んでいる部屋をとか、そういうところに私感動してしまって。
地下室に変な人住んでないみたいな。
大屋さんとかが住めたくないとか、変な人がうちの前を通ったりしないとか、そういう本当どうしようもないあれなんですけど、そういうところにすごく救われたというか、ずっとその韓国文学を読んでいて、好きなんですけども、やっぱり重くなるじゃないですか。
そうですね。
それがないっていう、この軽さ。
私、学生の時に、20年ぐらい前になるんですけど、多分、ウエストなブームってあったじゃないですか。
それと同じ時期かな。だいたい同じ時期かもわからないですけど、大学の授業で韓国ドラマを見る授業っていうのがあったんですね。
で、韓国ドラマを見て、韓国の社会とか文化について抗議していく授業だったんですけれども、ちょっと雰囲気的に思いテーマとかもあれば、ギャグもぶっこんでくるっていうような、感情の起伏がすごく激しいなっていうのを、どのドラマを見ても思ったんですよ。
確かに。
で、面白いけど、日本のドラマとかよくある映画とかと比べて、やっぱりこの感情の起伏が激しい分、見た後結構疲れるなっていう感想はありましたね。
ああ、でもあの頃の韓国ドラマ、今なのかな、ちょっと私、韓国ドラマの方はあまり見ないのであれなんですけども、お昼のドラマっぽい感情の起伏のある感じ?
そうですね。
なんか突然女の人が男の人を叩くとか、強く閉められるドアとか。
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そうですね。
なんかそういう雰囲気がありましたよね。
そうなんですよね。
あとは結構ちょっと裏切りがあって、過去ひどい目に遭った人が復讐をするみたいな話とか。
たまたま見た話がそういう話が多かったのかもしれないですけど、暗い話が多いなっていうような、暗いかつ感情の起伏が激しいっていうイメージがちょっと韓国の小説ですとかドラマにはありまして。
今回エッセイを紹介されて読んでみたんですけど、なんか全然今まで抱いてきた韓国のお話とは全然違う世界だなっていう。
エッセイではあるのでそれも違うと思うんですけど、意外だなと思って読みましたね。
韓国ドラマ、今どうなんですかね。
今はもう韓国ドラマ、若い人にすごく人気ありますけど、ちょっと最近のは全然終えてなくて、愛の不時着とか去年だったかな、それこそ。
流行りましたね。
流行りましたよね。
今だとイカゲームですか?
イカゲームあれ韓国ドラマだったんですか?
あれネットフリックスの韓国ドラマなんですかね。
8話9話ぐらいまでのかな。
イカゲーム、イカ出てくるんですか?
そうなりますよね。
そうなるんじゃないですか。
日本でいうとジントリゲーム、小さい時に、私小さい時だとカカシの絵とかで三角と丸と四角でカカシみたいな絵を地面に描いて、何人かで先に三角まで行った方が勝ちみたいなゲームがあったんですけども、確か。
でもそれと似た感じでイカの絵を描いて最初に三角のとこだったかな、行った人が勝ちみたいなゲームがあるらしいんですよね、韓国には。
それがイカゲームって呼ばれていて、デスゲーム系なんですね。
私あんまり見ないんですけど、日本のだとカイジとか、あとバトロワとか、あの感じので、一番最初のエピソードはダルマさんが転んだから始まって、最後はそのイカゲームで終わる。
そういう系の話か。
私全くデスゲーム系見れないので、ホラー系全く見れないので、ネットでネタバレの4週ぐらいして、完全に見た人と同じくらい話します。
あれですね、時代を生まないように先に読みたい話ですね。
ネタバレで涙してました。
だから多分、今の韓国ドラマとか韓国映画は、昔のとまたちょっと違うかもしれないですよね。
パラサイトも見ていないんですけど、実は。
そうなんですね。
あれもドキドキするじゃないですか。
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ドキドキしますね、かなり。
見れないですよね。
でもまあ、ああいう感じになってきてるのかな。
やっぱり問題定義。イカゲームとかも結局は問題定義がテーマの中に裏テーマで入ってるらしくって。
だからそこら辺が上手かなっていう気はしますね。
小説もそうですけども、大体問題定義があるじゃないですか。
だからそういう資本主義に対する何かとか、そういうのが組み込まれているのが今、韓国では多いのかなって。
格差社会とか。
あとジェンダーの話とかですよね。
そうですね。
なるほどね。
で、この女二人の方に戻るんですけれども。
そんななんか読んだら意外と明るかったっていう内容ではあるんですけれども。
まあ大人二人が住んでどうなんでしょう。
10年ぐらいは経ってるんですかね。
一緒に暮らし始めて。
そうですね、結構長いんじゃないですかね。
なんだかんだで、多分2010年ぐらいに一緒に暮らしませんかって回しになって。
多分今に至るだと思うので。
そうですよね。
10年ぐらい暮らしていて。
途中で、この二人は友達の友達みたいな感じで、最初は知り合いみたいな感じで。
前からなんとなく知ってたっていう方同士。
お二人とも仕事ですごく有名というか、その界隈ではすごく名の知れた人だったので、
ああ、あの人ですねみたいな感じでお互い知ってたけれども、
あとちょっと憧れとかあったけれどもっていうような話が最初の方に書いてあって。
で、だんだんこう人を介して、1年に2、3回顔を合わせるぐらいになって。
で、そのうち飲みに行ったりするようにもなり、
そのうち飲みに行って、今度充電逃したからとか、
あとあのお家で飲みませんかって話になって、
そのうちに泊まったりっていうような話が出てきて、
で、なんか走行するうちに、この二人のまた共通の友達夫婦みたいな方がいて、
で、その夫婦のマンションに遊びに行くんですよね。
マンションに遊びに行った時のそのマンションから見える風景がすごく良かったっていうのと、
あとこのご夫婦がDIYが得意な夫婦で、
そして酒飲みかつ居酒屋が大好きで、自分家を居酒屋にしちゃうっていう。
すごいですよね。
そう。そういう楽しいことをやってるっていうのを見て、
でも一人暮らしのマンションではちょっと難しいんですよね。
そうですね、二人暮らしとか、あとはお子さん一人いるぐらいの家族が住むぐらいのマンションだと、
その条件には当てはまるんだけど、ただそれを一人で住むのはね、っていうような時に、
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この人と一緒に暮らしたら楽しいんじゃないかなっていうのを、
最初、キムさん、キムハナさんの方からが思い始めるんですよね。
そうですね。
一緒に暮らしたら楽しいんじゃないかっていうのを、一生懸命ファンソムさんにアピールするんですけど。
プレゼンするんですよね。
そう、プレゼンしまくるんですよ。
確か、二年に一遍の契約料っていうか。
更新料みたいなやつですよね。
そうですね。
多分、ハナさんもソヌさんも結婚するっていう気持ちはなくて、
でも、二年に一遍の更新っていうのをずっとしていったら、
年を取った時に、それができなくなってくるところがあるんじゃないかっていう問題と、
それだったら今のうちにマーションを買ってしまった方が安心ではないか、
みたいなところも確か出てくるんですよね、下りに。
ありましたね。
だから、たぶんそこらへんも最終的なプッシュにはなったのかなっていう。
そうですね。年齢的にも、たぶんそういうことを考え始めたのが40手前ぐらい。
確かそんなですね。
この先のことを考えていくとってなった時に、家を買うべきなのかっていう。
ただ、家を買うってなると、一人で暮らすために家を買うのはちょっと敷居が高いけど、
ただ、もしここにもう一人一緒に暮らす人がいたらという時に、
一緒に暮らしたら面白そうな人がいるなというところで、
なんやかんやありつつも、結局二人で暮らすということになった。
そうですね。この役者解説、最後の役者解説にも書いてあったんですけれども、
私もよく身近にあるんですけれども、
この女同士だと、ちょっとした冗談とか本気でなくても、
年とって、もし二人とも結婚してなかったら一緒にしてはないみたいな話に、
結構女性同士ってなりません?
うーん。
ならないかな。
そうそう。
それがですね、人と一緒に暮らしたいっていう人と、
そんなに人と一緒に暮らさなくてもいい人っていうのが、もしかしているのでは?
その中でも確か、ファンソーズさんはどっちかというとそのタイプだったっていうような、
個人主義で一人で暮らすのがそんなに苦じゃないっていうタイプだったみたいなことを言ってはいたような気がするんですけれど、
私もどちらかというと、そんなに家に他の人がいなくても危惧にならないタイプで、
誰かと暮らしたいねっていうのはそんなに考えたことがないっていうのはあるんですけれど、
そうなんですよ。
なのでそんなに結婚もしなきゃとか、将来一人暮らしでいるのはどうしようっていうのはそんなに不安には思ったことはないんですが、
老後も今と同じように働いてガチンを払ってっていうのはできないとか、
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やっぱり身体的に弱っていて、このまま病気をせずに過ごせるとは限らないじゃないですか。
そんな保証はないので。
そういったときやっぱり一人だとちょっと心細いんだろうかっていうのは、ぼんやり考えたりはしますよね。
そうですね、多分私が友達とそんな話をするのは38歳ぐらいから、
私今結婚はしていますけども、結婚しててもわからないじゃないですか、老後って。
そうですね、どうなるかは。
そうそう、そうなったときにたまに友達とご飯を食べながら、
お互い、なぜか自分たちの方が長生きすると思っているけども。
そんなもんですよ。
なぜか自分たちの方が長生きすると思っているけども、お互い一人同士になったらどっちかの家に住もうみたいな。
別にそれは誰かと一緒にいたいというよりも、どっちかというと安心感とかかな。
あとはお家賃のこととか、そういうところで結構女性同士って、男性同士ってそういう話にならなさそうな気がするんですよね。
あんまり聞かなそうですね、なさそうですね。
サンドイッチマンがずっと売れない時代に同じ部屋に住んでたっていうのぐらいしか思いつかないですね。
そういうのはあるかもしれないですけど。
多分なんですけども、それって雇用の問題も絡んでくると思うんですけども、
結婚してれば結婚してるで、その順次にキャリアを重ねられる人はいるんですけども、
大概女性って一回結婚とか出産とか、そういうところでキャリアが一回折れてしまうので、
そのままの年収で定年まで、今定年っていうのも怪しいですけども、
キャリアをずっと重ねていった男性に比べれば収入が落ちてくるっていうのはあると思うんですね、最終的な。
そうですね。
そうなった時に、やっぱり男性はある程度までは一人で生きていけるだけの収入が得られる場合が多いですけども、
多分女性って収入面で意外と一回悩むんじゃないかなって、年を取った時に。
確かにそうですね。
働いてても、学前と老後みたいな時に一緒に住もうよみたいな、
なんか話がしらっと出たり、シェアハウスじゃないですけども、
なんかそういう話が出やすいのかなとは思うことがありますね。
あとはパーソナルスペースとかの問題かもしれないですけども、
そうですね。
男性よりは女性同士の方が近くにいても嫌にならないっていうか、
だからこういう一緒に共同生活をしましょうっていうのが割とハードルが低いんじゃないかなっていう。
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確かに。
あとはなんとなくなんですけども、
なんか男性同士で部屋を借りるっていうよりは、
女性同士で部屋を借りるって言った方が借りやすいっていうのは圧倒的にあると思うんですよね。
それはありそうですね。
今ちょうど私も引っ越しを検討しているところで、
何年ぶりだろうって感じなんですけど、
最近はもうさすがにちょっと年内ぐらいを目途に引っ越そうと思って、
引っ越し情報とか見てるんですけど、
十数年前には見なかった単語っていうのは結構ありまして、
その一つにLGBTフレンドリーだったか、
なんかそんな感じの単語があったんですよ。
なので要するに同性同士でも大丈夫ですよみたいな、
そういうことはと思うんですけれども、
10年前というか私が今の家を検討したときには、
これは見なかったなっていうのはすごく思ったんですね。
そうですね。確かに10年前東京にいたので、
それはなかったですね。別段。
時代の流れなのかなと思いつつ、
逆に言えば本当に今まではその部分で部屋を借りるのが難しかった人たちもいたんだろうなとか、
実際難しかった、ゲイの方の話とかで、
やっぱりその男同士で住むってなると変な目で見られたり、
最悪契約できないとかいうのはあったっていうのは、
何かの本で読んだりとかしましたね。
本がちょっと変わりますけども、
昨日何食べた、あれじゃないですか、
あれでちょうど最新刊かな、
それぐらいのところに、
大谷さんから一緒に暮らしているのは恋人なんですか?って聞かれるっていう。
あれありましたっけ?
渋谷の方が同性愛に対しての条例が新しく、
できたから先生そっち渋谷に移っちゃいやですみたいな感じで、
大谷さんから聞かれるシーンとかが出てきてて、
なんか時代の流れにすごい沿ってるなぁなんて思って見てたんですけども、
やっぱりそういうのがきっと書くことっていう風になってきてるんですよね。
逆にそれを書けば、もしかしたらこう言っちゃうんですけど、
仕事になるっていうところはあるかもしれないですね。
確かにそうですよね。
それはすごい変わってきてるんですね。
そうですね。
ただでも必ずしも、同性同士で暮らす方が恋人かどうかっていうのは、
別にそんなことはないでしょうし、
別に一緒に暮らすっていうと、なんか結婚でもするの?みたいな感じとか、
そんな風に思われるかもしれないですけど、
別に一緒に暮らす人が必ずしも、
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そういう今までの社会のイメージの中での家族っていうものとは別に違ってても、
それは別に何か問題があっているところじゃないですか。
そうそう。
この女二人暮らしていますは、実際別に恋人同士なわけではないし、
本当にフレンドリーシップというか、
お互いの生活の質を良くしていこうっていう感じで一緒に暮らし始めるじゃないですか。
だからそういうのがいいなと思って読んでたんですけども、
それって別に本当は男女でもできることではあると思うんですけども、
ただ、男女だと男女でまた周りからね、
恋人じゃないのかとか、結婚はしないのかとか、
そういう余計なことを言われてしまう。
またこれもちょっと違う話なんですけども、
大豆田戸箱っていうドラマがこの間やってたんですけども、
その中に出てくる台詞で、男女だとどうしても恋愛になってしまって、
それが嫌だっていう、この人のことすごくいいなと思ってて、
向こうも自分のことをいいなと思ってくれてても、
どうしても男女だと恋愛っていうものがついてきてしまう。
それがどうしても嫌っていうシーンがあって、
すごいわかるなと思いながら。
そうですよね。
だから、女同士で暮らすって言った時にも、
私たち別に恋人同士じゃないんですとか、
私たちは恋人同士なんですっていう告白じゃないですけども、
広告をしなくてもいいようになればいいのになって。
本当それはそうですよね。
それとはちょっとまた違うんですけど、すいません。
それとばっかりで申し訳ないんですけど、
なんか最近小説を読んでいると、
友達というフレーズだけが出てきて、
そこに男友達か女友達かっていうのを書いていないっていうことがすごく増えたんですよね、なんとなく。
それで、男友達であるとか女友達であるっていうのを、
わざわざ言う必要って本当はなくて、
それって第三者の興味を満たすものだったりとか、
あとはもしかしたら自分の優越感を満たすためのワードだったりするじゃないですか。
なんか夜中に友達にLINEしたっていうと、
その友達は男友達なの?女友達なの?って、
気になるところが若干人間あるじゃないですか。
夜中にLINEをする相手に対しては好意があるんじゃないかとか、
なんかそういう文章になってない文章をみんな読みたがるっていうか、
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だけどそこが詳しくは書かないっていうことが割と最近あって、
それも時代の流れだなと思って思ってたんですけど、
それが私の友達が男だろうが女だろうが、
それはこの文章とか話の流れには一切関係ないでしょっていう潔の歌がいいなって。
それが小説だとちょっと難しくなったりとかする場合もあるんですけども、
ジェンダーとかそういうのに関する読み物に、
なんかそれが最近流行ってるのかなって思いながら流行ってるっていうかそうなってきたのかなって、
性別を詳しくは書かないっていう、関係性だけを書くっていう、
これも一つのジェンダー文学の何かなのかなと思いながら読んでたんですけど、
今私が話したのは桜庭和樹さんの少女を埋めるっていう小説があるんですけど、
それがまさにそれなんですよね。
だからこの女二人暮らしていますとかも、
もう少しなら二人暮らしていますになるのかなとか。
実は女二人の女っていうところ結構重要って思いながら、私はこれを読み進めましたね。
それはあるかもしれないですね。
なんていうんですかね、女二人で暮らしていて、
でも別にそれは兄弟とかではなく、だからといって恋人同士というわけでもなく、
友達同士で10年ぐらい暮らしているっていうのは多分あるんでしょうけど、
改めて言われてみれば、そういうパターンもあるのねっていうようなところもあって、
こういうタイトルなのかなって思ったんですよね。
この本を書いたっていうのも多分そういうことなんじゃないですかね。
別に家族とか恋人とかそういう繋がりとかじゃなくても、
別に暮らしたい人と暮らせばいいじゃんっていう。
暮らす人っていうのは別に何か制度とかそういうもので、
規定された人とだけしかしてはいけないわけではないじゃんっていう。
もっといろんな人と暮らせばいいじゃんっていうような。
その一つとして友達同士で、あとは猫が4匹いるっていうような話なのかなって思ったりはしましたね。
あとこの中に両親の話も出てきて、
両親が同居人に対する接し方とかのところも結構印象的だなと思って、
同居人の両親に会って一緒に食事をすることがあったりとか、
そういう時に向こうのお母さんが、相手のお母さんが焼いてくれるお肉を食べ、
お父さんが添えてくれるビールを飲んで、
別れた後、しばらくすると二人はまた会いたくなって電話をする。
でも家まで行って果物の皮を剥いたり、洗い物をしたりする必要も、
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親孝行しなければと悩む必要もないっていう、そういう下りっていうか、
料理をしてご飯を食べることが世の中で一番大事だと思っている私の母が、
我が家の料理担当である私が残業したり、長期出張に行くことになると、
話しといてご飯はどうするんだい?と同居人の食事を心配するとか、
それが嫁とかではないことの気楽さっていうことが書いてある節が結構あって、
そこもすごくキム・ジオンとかと対比を感じたっていうか、
本当それがもしも奥さんとか、嫁と言われるものだったりしたら、
多分向こうのお母さんとかお父さんはそこに来てくれただろうかっていう、
そういうのの投げかけとか、ちょっとソフトに入っているのがまたいいなと思いながら、
この本の良さだなと思うんですよね。
確かに、これがまた結婚とかいう話になったら、多分こういうことにはならないでしょうね。
ならないっていうか、あれはなんかすごく不思議ですね。
私は人とそんなに暮らしたくないっていうのもあって、そんなに結婚に対しても、
本当に若い時からそんなに憧れがなくて、憧れもないし、しなきゃいけないものだと思ったこともなくて、
ここまで来たんですけど、ただなんか不思議だなと思うのは、
嫁姑問題とか、結婚すると何か人間関係が全然変わったりとか、
その人の扱われ方が全然変わってしまう。
まあ大体はその突入先に入る、いわゆるお嫁に行く方がそういう結構ひどい、
私からするとなんでそんな扱いをされなければいけないのかっていうような、
ひどい扱いをされたりっていう話を聞くたびに、なんでそんなことになるんだろうかっていう、
そうするために結婚するってなんか不毛だなって思ったりはするんですけれども。
そうですよね。私は結婚しているので、
まあ相手の配偶者の実家に行くことがあるんですけども、
私割とダメな嫁、料理はできません、みたいな。
直線機のスイッチを押します、みたいな。
ちょっと重いものなら持てます、みたいな。
割と最初からできないアピールしてたので、どっちかというと息子認定されてるというか、
息子。
なんかみかんを食べなさいとか。
なるほど。
一般的な多分嫁姑的なものを感じずに生きてる、どっちかというと幸せのタイプだと思うんですけども、
ただ自分の母には感じるときがあります。
自分の母からは、なんであなたが皿洗いをしないんだとか、
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なんであなたの配偶者が皿を洗っているんだ、
なんであなたがテレビを見ているんだ、みたいな。
そっちですね。
そっちの方があるので。
そうですね。だからそれに対しても、そういう取り決めだから大丈夫です。
言える環境を最初から作っておくっていうのは必要なのかもしれないですけども、
そうですね。
やった時それは韓国文学だけではなく、世界的にそこの問題っていうのは、
欧米どうなんですかね。
欧米なさそうですけどね、あんまり。
やったら絶対怒りますよね。
多分。
地域差はあるんでしょうけど、それこそ地方の方に行ったらやっぱりまだすごく保守的な環境のところだと、
女性がすごく地位が下というか、扱いがすごくまだ下に見られるというか、
そういったところとかはもちろんあるでしょうけど、
でも最近私ポッドキャストで、国有野外学習センターのやっている人類学のインタビュー集みたいなのがあって、
アフリカの人類学の先生の話がすごく面白くてですね、
それを聞くと全然日本とか、それこそ日本がいつも触れているような欧米社会の常識とは全く違うような話が展開されているっていうような絵画感ではあるので、
例えば?
例えばこの間のシリーズで聞いて衝撃的だったのは、別に浮気はもう誰もがするものだから、別に悪いことだとは誰も思っていないし、
何だったら、その先生自身は女性の方なんですけど、私独身の時に第二夫人ならないかって誘われて、
一回第二夫人はちょっと2番目は嫌だからって断ったら、その次の日に奥さんと一緒に来て説得されに来たっていう話をしていて、
衝撃的すぎて、どういうこと?みたいな感じで話を聞いたりとか、
あとは子供も別に住みたい人と住みたいとこに住むっていう話にちょっとつながるかもしれないですけど、
自分の子供の友達が、私はここの家にで暮らしたいって言って、
そのままじゃあいいよって言って、自分の子供と一緒に面倒を見るっていうのも割と普通にあるっていう話が出てきたりとか、
もちろん血縁の家族の概念っていうのはあるんでしょうけど、
それにしてもその幅というか割と規定が緩い、緩いというか広いというか、
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そんなにガチガチに固まってはいないんだなっていうのを、
アフリカのカラハリ砂漠の人類学の先生の話を聞いていると思ったりはしますね。
毎回聞くたびに衝撃的すぎて、どういうことなのっていう。
なんだったかな、やっぱりアフリカの方の何かで、
一人でやっぱり子供を育てることはないよみたいなシリフが結構出てくるものを読んだときがあって、
みんなで育てればいいじゃないみたいな、あれ心強いですよね。
なんかそれもそうですね、子供がいるのがすごくいいことだからし、嬉しいことだからって言って、
もうその辺の子供を別に自分の子供だからっていうのではなくて、
みんなで育てるっていう、みんなで可愛がるっていうのは、
本当にごく自然に行われているっていうような、
家とか家族っていうのが結構本当に広く捉えられているのかなとも思うし、
さっきの不倫の話とかも本当に好きなら別に付き合えばいいじゃないっていうような、
ただそれで結構事件ももちろんあったりはするみたいなんですけど、
でも人って嫉妬とかするもんじゃないみたいな感じで、仕方がないよねっていう感じで、
話し合ったりはするっていうような話が出てきて、
でも日本とかだと本当に不倫をした段階でアウトじゃないですか、
もうそれは申し開き、話はもう何もっていうようなところでもあるし、
人としてどうだみたいな感じになっちゃいますからね。
一発アウトですよね。
あと子供もやっぱり昔はまた違ったんでしょうけど、
今はやっぱり自分の子供は自分で育てるっていうような感じになってきて、
人んちの子供をなんか下手に怒ったりすると大変なことになったりとか、
良かれと思ってやったことがすごく何なんですかっていうトラブルの元になったりとかで、
気軽に預かれないとかね。
ただ私小さい時って、なんかどんどん脱線していくような気がするんですけど、
知らない人と暮らすっていうのはちょっとつながるかもしれないんですけど、
私実家が商売やってるんで、
親がずっと子供の面倒見るなんて忙しい時できないんですよ。
なので私はもうしょっちゅう忙しい時は、
親戚の家をてんてんとしてましたね。
今日はここんち、今日はここんちっていう感じで、
親戚もちょっと預かれないっていう時は、
保育園の同級生の家で預かってくれるところに泊まりに行くとか、
そういったことは本当にしょっちゅうあって、
いろんな人に育ててもらったんだなっていうのは思いますし、
家にも商売やってるので、知らない大人がその辺にいっぱいいるっていうのが普通だったんですよね。
知らない大人からどうでもいい仕事の話とか、
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お前勉強最近ちゃんとやってるのかとか、
そういう話を聞いたり、
何だったらちょっと遊びに連れてってもらったりとか、
そんなの普通だったんですよ。
なんかでも私たちも小さい時ってちょっと、
的さんと少し私は年が離れ過ぎてるのであれかもしれないんですけど、
家族の時代っていうか、
親がやっぱり友働きで、
家で小さい時から一人でいるっていうのが結構当たり前で、
近所の友達のうちに、
両親が帰ってくるまでいるとか、
逆もあったりして、
地域で子供を育ててくれる感っていうのは、
すごくあったと思います。
割となんか、隣近所のうちにふわっと遊びに来て、
ちょっとご飯食べていくかぐらいの、
どこに入っていくかぐらいの、
そうそう、なんかそういうのはありましたけどね、
今は多分もう亡くなっちゃってるのか、
自分たちがそういう子供とかを持ってないから、
見えてないかもわからないですけど、
さっきのアフリカの話じゃないですけど、
赤ちゃんがバスの中とかで鳴くと、
おじさんたちが変わる代わりに抱っこをしてあやすっていう国が、
アフガニスタンだったか、なんかあっち側だった気がするんですよね。
ターバを巻いてるような国だった気がするんです。
イスラームの。
それも女の人じゃなくて、結構男の人たちが、
赤ちゃん抱っこしたくてしょうがないみたいな、
かわいいみたいな、
俺があやすみたいな感じで、
赤と取り合いになるみたいな光景を見て、
なんて平和なんだと思ったことがあったんですけども、
そういうのが、やっぱりちょっと今なくなってて寂しいですよね。
だから他人と暮らすとか、他人と何か一緒にするっていうことが、
もしかしたらこれから少しテーマになるのかもしれないですね。
そうですね、ちょうど今、こんなに他人と断絶してる、
ここまで断絶せざるを得なかった時代っていうのは、
なかなかなかったでしょうから、
人といるっていうのが、
それだけ大事だったのかっていうのを、
思い知らされたっていうのもあるでしょうし、
人といなくて気楽だなっていうのも、
自覚しちゃったっていう部分もあるんですけれども。
そうそう、だから一人で生きていく気楽さとか、
人と関わらない楽さを知っちゃダメなんですよ。
だから今回、こういうコロナで人と会わない時が、
すごく楽な人とストレスになる人で、
結構もう自分で自覚できたと思うんですよね。
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そうですね。
みんな各自が一人最高みたいな人と、
人と会わないと狂いそうみたいなことを言う人もいたので、
意外にうちの会社の職場のおじさんたちは、
人と会わないと鬱になりそうだっていう寂しがり屋さんが多かったです。
そうなんですね。
みんなとリアルに会いたい、リアルに会議したいみたいな、
嫌だよみたいな。
若者に100%拒絶されてましたけど、
妹でいいじゃないですかって言われてましたけど。
でもそうですね、私もともと人といなくても、
一人で平気なタイプではあったし、
普通かって言われると、
多分いつも人といたいっていう人に比べたら、
まだなんとかなった方なのかなと思うんですけど、
やっぱり人といつもしょっちゅういたいっていうのはないし、
むしろそれは普通なんですけど、
人と時々会って何かやるっていうのは、
あれはやっぱり求めてやってた部分なんだなっていうのはありましたね。
精査できたという、精査じゃないですけど、
例えば読書会とか、読書会の後飲み会とかですね、
あの時間がすごく幸せな時間だったんだなっていう、
飲み会で人とみんなでわちゃわちゃだらだら喋ってる時間っていうのは、
これはもう家のみでは再現しようがない時間だなっていうのを、
この1年半作ると思わされましたよね。
なんかこの女二人暮らしていますって、
もうそれですよね、それを凝縮した暮らしだから、
すごく羨ましいなって思うんですよね、読んでると。
もうほんといいとこ取りっていうか、
喧嘩する話も出てきますけど、
でも、わちゃわちゃした感じっていうのを、
リアルに生活に組み込んでいる。
二人ともちゃんと仕事を持ってて、
時々お金で解決することとかもあったりして、
家事がおどそかになった時に、
ソヌさんが料理上手で、お掃除が下手なんですよね。
で、ハナさんがお掃除上手で、
ハナさんはソヌさんの買い飯的な掃除ができない加減を、
カバーする代わりに、
ソヌさんのおいしい料理を試させてもらって、
ハッピーみたいな感じなんだけれども、
ソヌさんがちょっと低息して、
いろいろなことが回らなくなって、
どっちかというと、
ハナさんの負担だけが増えていった時に、
ソヌさんが家事代行サービスを使うっていう、
後押しするソヌさんのお父さんの言葉も好きで、
お前の気持ちが楽になるなら、
いくらでもお金を使えばいいみたいな。
自分の稼いだ金なんだ、みたいな。
そういう後押しをされるところとか、
別にその時に直接言われるわけじゃなくて、
42:00
それをいつも思い出すっぽい感じの書かれ方をしてたような気がするんですけど、
ソヌさんがその父親の言葉を思い出して、
家事代行サービスだ、みたいな。
それででも、
二人の平和が保たれるんだったらいいじゃないか、みたいな。
何も後ろめたく感じることはないっていう感じのことが書いてあるところも、
前向きでいいな、今まで読んできた韓国文学と違う。
これ、さっきの掃除大好きなハナさんと、
掃除が壊滅的にできないさんの組み合わせ。
ハナさんが掃除上手か。
で、ソヌさんができない。
しかも物も捨てられないっていう。
また、上手いことハマったのか、
それともよくこういう人とやっていこうって、
特にハナさんなんですけど、やっていこうと思えたなっていう。
私どっちかというとハナさんのタイプなので、
私これ同居人がもしソヌさんだったら、
ちょっと耐えられないなっていうのは思ったし、
うちの母親もどっちかって物捨てられなくて、
片付けあんまり得意な人じゃないんで、
実家に帰るたびになんだこれはっていうような、
そして片付けをし始めるっていう。
そうですね、私はもう圧倒的に料理もできないソヌさんなので、
人としては結構大変。
やっぱり仕事がすごく好きだったので、
仕事をしている時はもうバサマのように働いて、
鬼のように買い物をして、
部屋にはうずたかく、
洋服やら本やらCDやらが積まれていて、
そこで寝るだけみたいな。
働きに行くっていうダメな暮らしをしていたので、
すごくハナさんいいなって。
こんなに荒れた、本当に掘っていくような感じで、
掃除をするシーンが出てくるじゃないですか。
ありましたね。
もう愛じゃないかって。
自分もなんか書いてましたけどね、
あれは何だったんだろうみたいな。
その憧れっていうか、ソヌさんに対するファンみたいな感じだったんですかね。
そうですよね、最初はハナさんはツイッターで確か、
ソヌさんのツイートを見て、
なんて素敵なツイートをする方だろうっていうのと、
あと仕事も完璧だったので、
なんて素敵な人なんだろうと思って友達になって、
お部屋に入ったらお部屋だったっていう正直。
そうそう、ソヌさんのハンガーラックが崩壊するっていうくだりとかも、
わかるわかるって思いながら、
あれぐらい服をかけちゃうと崩壊するんだよねっていうのとかも、
私アパレルだったので、
自分の部屋もそうだし、
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宿場のストックルームとかでもよく崩壊するハンガーラックをパンといって、
全部洋服が床に落ちるっていうのを体験してたので、
いろんなことが浮かんで、
面白くそこも読みましたけどね。
でも憧れフィルターがだんだんなくなっていくと、
怒りに変わるみたいな。
でもすごく最初の方で印象的な話が書いてあって、
結局、自分に全く似てる人とは、
多分、相似点が人を互いに惹きつけ合い、相違点が互いの間埋めてくれる、
私とよく似た人がこの世に存在したとして、
果たしてその人と私は良い同居人になり得ただろうかっていう問いかけがあって、
その後に、きっと心の奥底で理解しながら、
うんざりし逃げ出してしまったに違いないっていうような続きになるんですけれども、
これはホモアチ関係とかもそうじゃないですか。
長く続く人っていうのは、
多分全く一緒だと続かないと思うんですよね。
でも全く違いすぎても続かないと思うんですよ。
そもそも設定がなさすぎると、
ちょっとこれはなかなか仲良くなりにくいかなっていうところはあると思うんですけれども。
だからよく言われる笑いのツボが同じとか、
あと共通の隅とかが一つ強くあって、
あと違うっていうのが理想的ですよね。
やっぱりなんか全部が同じだと、
結局自分のコピーっていうか自分を愛してるだけになっちゃうので、
最終的にうんざりするっていうのはわかると思うんですよね。
自己嫌悪になっていくっていうか。
そうですね。
自己愛から始まって自己嫌悪で終わるっていう。
結局自分とまるっきり同じタイプだと、
最初はやっぱり惹かれるけども、
最終的に自分と同じとこが嫌になっちゃうっていう。
だからこのバランスってすごく大事なんだろうなっていう。
この二人はそこがちょうど良かったんでしょうかね。
そうですね。あとは多分取り感の保ち方が上手なんだなっていう。
後ろめたさを感じない距離感の取り方とか、
自分だけがどっかに行ってしまって申し訳ないなって思わなくていい関係っていうか。
理想的だなって。
これやっぱり自立してるからですよね、お互いが。
そうでしょうね。
結局でもそこなんだなって。
どっちかに寄りかかってないっていうか。
そうなってくるとちょっとしんどいですよね。
寄りかかって依存みたいな関係になってきてしまうと、
居心地はいいって部分もあるかもしれないですけど、
ちょっとそれはあまり健全ではないですよね。
しやかししんどい。
もしかしたらこれから年をとっていって、
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何か判例ができた時にどうなっていくかっていうのがあるかもしれないですけど、
そういうのも信頼の貯金みたいな感じで、
たくわえてそうなので、お互いが。
そこはもう家族として乗り越えそうな気もしますけどね。
この続編じゃないですけど、この人たちのことはすごい気になりますね。
そうですね、今後どうなるのかっていう。
激推しです、この方が。
いろんな人に読んでほしい。
暮らすって別に結婚だけが正解ではないというか、
いろんな方法があっていいんじゃないかと。
もちろんずっと一人で暮らしていったってそれは構わないし、
誰か友達同士で暮らしたって構わないし、
ひょっとしたら明確に友達っていうわけでない人たちと暮らすのって別にいいじゃないですか。
今シェアハウスだってたくさんできてるので。
野町美音子さんでしたっけか。
もう今そういう感じで暮らしてますよね。
男性、相手男性ですけど、全然恋愛対象ではなく、
この人だったら一緒に暮らしていけるのではないかっていうので、
ほぼほぼ会ったこともないような、噂にだけ聞いていたような、
そういう人にプッシュして一緒に暮らそうって言って、
一緒に暮らしているはずですけど、
こういうのは意外に理想的だなって思いますね。
そしたらそんなね、この中にもあったけれども、
結婚しない人ってどうなのっていうようなプレッシャーとか、
周りのおせっかいとかもなくなっていくんじゃないのかなとは思うんですよね。
なんか実際やっぱり一人暮らしの人も増えてるってね、
これ後書きに書いてますけどどんどん。
それと創始家問題っていうのをどうリンクさせていくかっていうところなのかもしれないね、
最終的な課題は多分。
そこは確かにありますけれども。
多分もう最終的にはそこなのかなっていう、
世間がね、あんまりそういう同性婚とか認めないっていうのは、
だってね、なんとなくですけど、
同性同士とか友達同士とか、
そういうお互いにちゃんとメリットがある人と、
恋愛関係じゃなく暮らすっていう方が絶対人間楽なんですよね。
そうだと思いますね。
気づいてきちゃったんだなっていう。
気づいちゃったんですね、人類は。
人類気づいちゃいましたね。
どうでしょう、こんなね、なかなか。
そこを出してくると両立させるっていうのは難しいところではありますけれども。
難しいですね。
SFとかにどんどんそういうのが出てきそうな感じですけども、
別に人間を介さなくても子供が作れちゃうような話とかが、
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もしかしたら何年か後には出てきちゃうのかもしれないですね。
最終的な。
最終的には。
この落差加減を知ってしまった我々は。
じゃあ今回はこの辺りでしょうかね。
そうですね。
もう一度本の紹介を的さんお願いします。
今回紹介した本は、女二人暮らしています。
著者がキム・ハナ・ファン・ソヌで、CCCメディアハウスから出ております。
じゃあ今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
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皆さんからのお便りお待ちしております。
それではまた次回まで、さようなら。
さようなら。