そうなんですね。
インタビュー自体はしてないんですけど、いろんな過去のインタビュー記事とか、インタビュー本源とか、
そういったものを手がかりにして、ラッセンっておそらくこういうことを考えて描いたんじゃないかっていうのを考察した本と、
どうしてあんなに日本で爆発的に流行ったのかっていうのとか、
ただ一部の、大衆っていう言い方はあれですけど、すごく流行ったけど、
アート業界からめちゃくちゃ叩かれるっていうか、すごい嫌な目で見られてたって評価はされてないんですよね。
なんでそれが評価されないのかとか、あとラッセンの現在っていうのをまとめた本で、
ラッセンについて書かれた本っていうのは、まとめて書かれた本っていうのはこの本ぐらいかなと。
ただこの方は、1989年生まれ、だから今30半ばぐらいですかね。
だから直接すごいラッセン流行ってた頃って、まだ小学生ぐらいだったみたいなふうに書いてあって、
家にラッセンの絵があってみたいなことを言ってるんですけど、
だからそのラッセンの本、前世紀の時にそういうアート業界にいたとか、そういう方ではないんですけど、
ラッセンのブームって何だったんだろうねっていうのを、2010年代ぐらいに振り返ろうと思って、
学生時代にラッセンテンみたいなのをやったらしいんですよ。
そういう関心のある人たちと一緒にラッセンテンをやって、それがちょっと話題になって、
ツイッター上とかでも少しラッセンについての批評というか、そういうのはちょっとかわされたりとかして、
それがきっかけで、ラッセンとは何だったのかっていう評論集みたいなのを出したりするんですね。
結構10人ぐらいの人がラッセンについて書いてたりする本を出していて、
その後に撮るに足らない芸術っていうので、もうラッセンを取り上げてて。
もうちょっと言い方よ。
これもちょっと気になる本なんですよ。心霊写真とか、そういうのと一緒にラッセンを取り上げてて、
なんの汚染でそれを評論してるのかなっていうのがちょっと気になる本ではあるんですけど、
この方にとってはラッセンの本は、でもラッセンについて書いた本は2冊目でラッセンボーニーって書いてあるんですけど、
たぶんこんなにまとめてラッセンについて書いてる本ってこの2冊ぐらいしかないんだろうなっていう。
2冊ぐらいあれば十分じゃないかとも思いますけどね。
でもわざわざこれを取り上げたかっていうのが気になって。
気になってっていうか、その前に。
気にならないですか。気になりますよね。
気になりますよねと言われたら、まあ気にならなくはないですけどっていう感じですけども、
なんていうか、これそんなにニーズ自体がないんじゃないかって、ラッセン本のね。
そうなんだ。でもこれすごく画期的だなと思って。
だってあんまり流行った。
うちの母親とかジグソーパズルめっちゃやってたなとか。
あとそのよくテレビで、
夢メッセ宮城でラッセンの展示販売会がやりますみたいなニュースをやってたな。
やってましたよ、山形も。
すごくいっぱい、そうビッグイーグとかですよね。
そうです。よくご存知で。
そうです。すごくやってたなっていう。
でも本当に最近全然もう聞かなくなっちゃったなっていうのもあって、
どうしてるのかなラッセンっていうのを思って読んだんですけど、
これ図書館で探したときに、最初美術系の本置いてある棚を探したんですよ。
いやいやいやいやいや。ないでしょ。
で、なかったんですよ。
ですよ。
いやだってあるでしょ、美術本のとこにって思って。でもなくて、
で、どこにあったかっていうと、これ仙台市民図書館で借りてるんですけど、
その仙台市民図書館っていうか仙台図書館って震災関連の本のコーナーって結構あるんですよ。
どこの図書館でも。
そこの震災関連の本のコーナーにこれ置いてあって、
え、なんでって思ったら、プロローグで、
ラッセンが311の起きた4月29日、
2011年4月29日に仙台の避難所に来て、
オマティアしてるんですよね。
はいはいはいはい。うんうん。
え?って思って。
あれ、的さんから聞いたからだっけ。
あれ違ったっけ。
その話前にしたと思いますね。
しましたよね。うんうん。
そうそう。で、なんていうか、だからまだ半年も経ってないですよね。
半年っていうか、1ヶ月半ぐらいしか経ってないのに、
ラッセン来てるんですよ、仙台に。
で、本人としてはテレビで何回も自分もプロモーションとか販売会で来た、
夢めして宮城が津波に襲われる映像が私に与えた衝撃は決して小さいものではありませんでした。
っていう話から始まるんですよ、この。
びっくりして。
なるほど。
って思って。
で、しかも、しかもなんという運命なのかわかんないですけど、
3月11日ってラッセンの誕生日なんですよ。
ほう。
え?って思って。
それは審査の棚に置くしかないですよね。
で、ラッセン自体も、絵を見てもらえばわかりますけど、海を題材にしてずっと絵を描いてきていて、
で、自身も、生まれはもともとアメリカのカルフォルニア州で生まれた、
で、メンドシーノっていうところらしいんですけど、そこの海結構近いらしくて、
で、11歳の時にハワイに移り住んでるんですね。
あ、そうですよね。なんかハワイの人のイメージありました。
そうそう、ハワイの。
なんかハワイのサーファーみたいなイメージが。
そうそう、ハワイに移り住んで、で、その移り住んだ先の大の故郷ですよね。
そこはダイハナなんですよね。
ダイハナも去年の山火事で甚大な被害を受けているところなんですけど、
だから、ずっと海の近くで育って、
だから、引っ越してからもう、なんていうんですかね、
引っ越し先の小学校で、最初ちょっといじめとかにも合うんだけど、
サーフィンとか飛ばすとやりにくいなってからは、
みんなと仲良くなって、もう毎日海に潜ってサーフィンしてたみたいな、
なんていうんですかね、
日本の海辺の小学校が毎日海に潜ってるとかも言うような、
あれと同じような生活を子供の頃からしてて、
で、絵を描くのも好きで、
毎日見てた美しい海の風景を絵に描いてた。
で、それを大人になってから10代の頃からずっと絵を描いてて、
最終的にはその絵で生計を立てようっていうふうに思って、
仲間たちと画家が集まる、画家の卵みたいなのが集まるところで共同生活しながら絵を描いてて、
でもこのままだと、なんか土産物の絵を描くだけの画家で終わりそうだなって思って、
で、俺はもうちょっとこれでちゃんと生計を立てたい、
ビジネスとして成功したいっていうふうな野望もあったらしいんですよ。
で、会社設立して、
で、その時付き合ってた彼女、彼女なのかなこれ、
ビジネスショーでもあり、プライベートでもパートナーだったっていう人がいたんですけど、
その人と、その人は結構やり手のビジネスパーソンみたいな感じの人で、
ちょうどそのバブルで弾け飛んでた日本に目をつけて、
絵画市場に売って出ようかっていう話で、
売り込みをかけるっていうような話だったらしいんですけど、
それで日本に渡っていくというか、
ビジネスを展開していくっていうような流れに日本に伝わってきたらしいんですけど、
日本に紹介されたきっかけって、
絵じゃなくてサーフィン、サーファーとして紹介されたのが初めてだったっていうのが、
これ読んでてちょっと面白かったんですけど、
有名なサーフィン雑誌があるんですよ。
それこれサーフだったかな、サーファーだったかサーフだったか、
そういうタイトルの雑誌があるんですけど、
それに17歳の時に秘書誌に載ってんですよね。
でも若きサーファーとして日本に紹介されたのが、
日本への初めての紹介されたきっかけみたいなのが載ってて、
そうなんだっていう。
じゃああそこらへんの界隈から?
そうそう、あの辺の波乗り族みたいな。
人たちから?
には多分流し入れてた人なのかもしれないですね、最初の方は。
そこらへんからじゃあ、かっこいいねみたいになって広がってきた感じ?
ただ実際に本当に画家として繰り出していくっていうのは、
さっき会社立ててパートナーと組んだ頃の1986年、
もう日本がバブル景気真下なのかっていうところあたりからみたいですね。
この時に日本の方ではどういう状況だったかっていうと、
すごくやっぱりバブルで景気も良くて、絵画ブームみたいなところもあったので、
いろんなそういう紹介する会社とかもあったし、
画廊とかもすごい、画廊文化みたいなのがまだすごい盛んにあったし、
あとは陶器目的みたいな感じで、
絵を買うみたいな、
そういう時代だったじゃないですか。
会社がそれこそ5本の絵を何億円でセレ落とすとか、
そういう時代でしたよね。今だと考えないですけど。
いや、まあわかりますけど、でもそことラッセンが結構ね。
でもラッセンの日本で契約した会社っていうのが、
これもなんか懐かしいなと思ったんですけど、アートビバンっていう会社。
アートビバンじゃなくてアールビバンですね。
っていう会社がラッセンと契約をして、そこからプロモーションをかけていくんですけど、
このアールビバンのマーケット戦略っていうのは、今までだとその画廊とか銀座の画廊で、
そこにお客さんが来てっていうような商売の仕方だったのは、
やっぱそれだとやっぱ一般の人ってすごく資金が高いじゃないですか。
でもなんかよくわかんない現代美術よりやっぱりラッセンの方が人気っていうのも、わからなくはないなとも思うし。
だからそこがパラドクス的ではありますよね。
そう、なんかそれがすごい、確かにあの時期ってそういうのもあったし、
あとこれを読んですごい思ったのは、その嫌悪感のところを読んで思ったのは、
一部のわかってる人たちが取り上げてるものがいいとされてて、いいっていうか、
そういうのじゃなくて、なんかみんな知ってる人気のあれが好きっていうのはちょっと恥ずかしいみたいな。
あるじゃないですかっていうか。
はいはい、わかりますよ、それも。
そういう人気ってあるじゃないですか。
ラッセン好きっていうのが堂々と、それ堂々と、自分ラッセン大好きなんだよねって言える人はいいんですけど、
なんか好きなんだけど、なんかそれ言うのダサいと思えたらどうしようみたいな。
みんなが好きって言ってるものを好きって言うのなんかちょっとダサいかなみたいな。
安心って何なんだろうなとか、ちょっと思ったりしたんですよね。
なんかみんなが知らなそうな、なんか一部の人にすごい認められてるものを自分は好きだからこれ、
こっちの方がいいって思ってるからみたいなふうに動いて上がる。
中二病こり出してるだけではって思ったりはするんですけど、あの気持ちって何だろうなとか。
まあね、インディーズバンド的なね。
そうそう、Jポップの今流行ってるやつ好きっていうのちょっと恥ずかしいみたいな。
でもなんかね、それも時代ですよね。今だと全然そういうことないじゃないですか。
そう、確かに。今は本当に細分化が進みすぎてて。
なんかそういうの好きって言う人のことを、え、ダサいって思うこともないし、
ああそうなんだ、人気あるよねみたいな感じで結構受け入れられてて。
昔みたいになんかそういう感じって今ほんとないですよね。
そうですね。あんまり昔ほどそういう流行ってるかどうっていうのとかはないのかな。
なくなってきてるのかなっていうか、自分の好きなものしか興味がなくなってきてるっていうのはあるかもしれないですけど。
そうかもね、そうかもしれない。
昔ってでも売れてるものダサいみたいな、イコールちょっとダサくねみたいな、
そういうのってなんて言うんですか、オタク文化とかでよくありがちだったかなっていうのは。
でもつい最近までなんかあった気はしますけどね。
そうなんですよね。
10年ぐらい前にまたそういう風潮があったような気も。
ありましたよね。
ありましたよね。とってふわっとなくなりましたけど。
そうそう、あったなとか、あとなんかやっぱり自分が好きなものでも確かにこれはみんなに流し入れてるよなとか、
自分こういうの好きなんだよねとか言うと、それ売れてるよねみたいな感じで返されたときに、
売れてるよねとかじゃねえんだよみたいな。
なんかその人の中では、あの売れてるやつでしょみたいな、そういうなんか出てるしかないんだなとか思うとちょっと悲しい気持ちになるみたいな。
売れてるからとかじゃないんだよねっていうね、分かる分かる。
なんかそこにネガティブな価値観を見ちゃうみたいな。売れてるやつでしょって言われることに対して。
でもそれこそ今売れてるやつでしょって言われるとムカッとしないかもしれないですよね。
そうですね。
そうそう、売れてるのみたいな。
売れてるのとか再生回数めちゃくちゃすごいのとか、そういう感じですかね。
やっぱりそれって数の正義じゃないですか。
今は。
今はTikTokとか、どれだけフォローされてるか。
YouTubeとか、そこら辺のフォロワー数とか、そこら辺が出てきてからそこは逆転した気がしますよね。
そうか、そういうのは確かにあるか。
売れてないものよりは売れてるものの方がいいみたいな。
どっちかというとインディー好きな方がカッコつけててカッコ悪いみたいな。
それは確かにちょっと逆転してきてるとこありますよね。
わかりやすいものが好きなんでしょうね、きっと今。
みんながわかるものとか、みんなが知ってるものとかの方が安心だし間違いないし、
損しないみたいな。
だから今、ラッセンはいけるんじゃないですか。
ラッセンも多分当時も絵とかよくわかんないけど、教科書に載ってるみたいな絵とか、
最近のよくわかんない暗い絵とか見てもよくわかんないけど、
ラッセンってすごいわかりやすいじゃないですか。
綺麗な海でイルカが泳いでてとかだから、わかりやすいじゃないですか。
これから何か深いメッセージを読み解く。
でもラッセン一応これちゃんとメッセージ性を持たせて描いてはいるんですけど、
なんか深いそのメッセージを受け取らなくてもわかるじゃないですか。
イルカが描いてあるなっていう。
そうですね。
なんか宇宙かな、みたいなね。
宇宙と海とみたいなね。
キラキラしてるし、みたいな。
キラキラしてない。
なんていうんですかね、全然絵とかを今まで見てこなかった人にとっても、
わかりやすいから入りやすいっていうところがあって、支援されてたり、
あとみんなやっぱりすごい人気あるから、目につきやすいからそこから入ってって支援されたりとかしてたのかなとか。
今ほどたぶんすごいいっぱい情報がある時代じゃないから、
メディアで取り上げられてて、今これ流行ってるんですよとか、ラッセンすごいんですよみたいな。
展示会のCMとかもバンバン打たれてたりとかすると、すごいのかなって思って、
みんな見てるからいいのかなと思って見てた人たちっていうのも結構いたのかなと思うんですよね。
なんかでもラッセン買う人はオレオレ詐欺に引っかかりやすいような気がしますね。
なんとなく。
なんとなく言葉の誘惑というか、勧誘に弱いというか、
オレと一緒に成功しようみたいな。
さっきのマイルドヤンキー的な。
そうそう。何人かラッセンを実際に買ったという人知ってるんですけども。
マジで?
あと、ちなみにラッセンを売っていたという人も知ってます。
マジで?そんな人もいるのか。さすが東京に住めた人は。
ちなみにラッセンを買ったという人は、2人とも山形です。
あ、そっちか。
売ってた人は、出身ちょっと忘れちゃったんですけど、前働いてたアパレルのところで入ってきた女の子が、
私ラッセン売ってたんでって言って、即採用しました。
ラッセン採用。
絶対ガッツがあるに違いないっていうことで、どこでもやっていけるみたい。
ラッセンが決め手でした?
そこが決め手ではないけども、なんかわかるわーっていう感じの。
ただ、ラッセンを買った方の2人に関しては、やや心配だなーって思う人たちが買ってたので、
私の中でラッセン買う人はやや心配です。イメージ的に。
そうか。
大丈夫かなーみたいな。でも2人とも優しい感じの男性でしたが、両方とも。
そうですよね。
それだからさっき、色が低い売り方っていうのがあったじゃないですか、話が。
で、売ってた女の子から聞いた話では、もうその頃はラッセンなんて全然耳にしなくなってきていて、
もう目にもしなくて、ラッセンって言うぐらいだったんですよ。もうその当時ですでに。
いつぐらいの話ですか?
えっとね、こっち来るのが15、6年前かな。20年前いかないぐらい。
じゃあ、2000年代最初か。
そう、雑貨感高い。あるある。
雑貨感があるっていうか。
でもこれも、ラッセンが先なのか、雑貨が先なのか、卵が先か鶏が先かみたいな話ですけど、
ラッセンの絵が流行ったことによって、ああいうマリンモノっていうか、
雑貨として人気が出たのか、波及していったのか、
もともとそういう雑貨があったから、ラッセンもその延長性で雑貨のように、
雑貨的に家に置かれるようになったのかっていうところも。
わー、難しいけどめっちゃ面白い。
めっちゃ面白い、それ。
で、ラッセンってやっぱりその後でから結構コラボ商品とかでジグゾーパズルとか、あと風船。
イルカの風船。
風船?
うん、バルーンみたいな浮くやつ。
あー、ちょっとそれはわからないかも。
すごいいっぱいいろんな商品をコラボして出していて、
うち確かにその母親が5000ピースぐらいのラッセンのパズルやってたなっていうのは覚えてるんですけど。
あー、ジグゾーパズルファンにはたまらなさそうですよね。
難しそうじゃないですか。だって色が結構、どうなんだろう。
そう、いろいろあったから、でかくてそれどこに置くのって思いながら。
飾らないでくれ的な。
ハマると、何ももうその後のことを考えずに黙っとパズルをやり込んでた時期があって、
飾ってはなかったんですけど、パズルとかでよく見たなっていうイメージはすごいありますね。
絵画っていうよりは。
パズル、うん。
そういう雑画っこさが買いやすかったのかなとか。
そうですね。
例えば国立美術館とかに展示されてるみたいなおももし絵とか、買います?
もし買えるとしても、買って家に置けるかっていうと、ちょっと置くの、
それこそ重厚な、なんか辛いの家じゃないと負けるじゃないですか。
でもラッセンって多分お茶の間に置いても、雑貨的な感覚で置けるんですよ、おそらく。
なるほど。
っていうのがあるんですよね。
なんだろうな、見慣れすぎてて雑貨っぽく感じちゃってるのかな。
まあでもその雑貨っぽさが、それこそマイルドヤンキーの心を捉えて離さない。なんだろう。
なんかあんまり絵として見なくてもいいのかもわかんない。
絵ってじゃあ何?っていうのも、ちょっとこの本を見ながら思って。
なんかじゃあ、いい絵とかアートとして、芸術作品としてすごい素晴らしい絵とラッセンの絵の違いって何なんだろうなとか。
すごく難しいですよね。
だってラッセンの絵って別に下手なわけじゃないじゃないですか。
結構ちゃんと見るとすごい緻密だなっていうか、細かって感じの絵だし、下手ではないんですよ。
上手いっちゃ上手いので、でもなんかその重々しさとかっていうのはちょっとないかなっていう。
なんだろう、あざとい?
それをちょっと感じちゃうんだよな、確かに。
あまりにも軽々しい平和感なんだろうな。軽々しい平和感もあるし、
あとなんかわかんないけど、スピリチュアルな匂い。
それはすごく、この本でもやっぱりスピリチュアル、神話性みたいなのは指摘されてましたね。
ありますよね。なんか音が聞こえてくるような、オカリナ的な音が聞こえてくるような。
エンヤっぽい感じですね。
エンヤというよりはもうちょっと高いキーの宇宙っぽいシンセの音が聞こえてくるような。
あんまりいいイメージがないんですね、きっと私ね。
でもなんだろうね、このラッセンに対してあんまりいいイメージが持ってない人っていると思うんですよ。
たぶん私と同じような今。
別にラッセンに石を投げられたわけでもないのに。
親の敵というわけではないんですけど。
親の敵というわけでもないし、ライバルとかでもないんだけども、なんかラッセンに対して苦々しい気持ちになってしまうっていう。
さっきの奈良さんみたいな感じの、ちょっと過激な感じもしなくはないですけど、そういう虚偽反応というかちょっとなっていう。
なんですよね、不思議、ラッセン。売れてる。
売れてるんですけど、そして別にラッセンはただ金儲けのためだけに絵を描いてたわけではどうやらなかったようで。
もちろんビジネスと割り切って描いてた部分もあるんですけど、
ラッセンはあの絵に込めた、まず絵を描くってことのラッセンの姿勢っていうのは、あれがその絵を通しのコミュニケーションなんだと。
自分が伝えたいことを伝えるためのコミュニケーション手段なんだっていうふうに考えてたらしい。
で、何を伝えたいかっていうのはやっぱり海の美しさ、素晴らしさ、母なる海の素晴らしさっていうのを伝えたいっていうのはやっぱり大きい原動力だったようですね。
で、やっぱり海の、そこ笑うとこじゃないですか。ラッセン本気ですから。マジですから。
ごめんなさいラッセン。
何回もこれは言われてることで、小さい時から海に親しんできて、海というのはやっぱり素晴らしい母なる海だっていうふうに思って、
ただそれがね、今だと環境破壊とかで、なかなか危ぶまれてる状況なので、地球を大切にしようねっていうような環境保護のメッセージとかも込められてる、込められてるというか、
そういうような話も語ってたりするんですよ。すごく真面目にいいですよ。ただ、日本での受け止められ方って、そこまで読む、近読みっていうか、ラッセンとそこまでのコミュニケーション取れる人いなかったみたいで。
そうですね。
いた人もいたかもしれないですけど、そういう捉え方で買ってた人っていうのはほぼいなくて、やっぱり犬か可愛いねとか、犬か綺麗だよねとか、そういう感じ、なんかキラキラしてていいよねっていう感じでの受容のされ方だったのではないかと。
そういう意味ではラッセンと日本のお客さんたちとの間には、大きなコミュニケーションの溝があったのではないかと。
ずれがありましたね。
そう。で、やっぱりそれが後半の、ちょっとラッセン氏の2010年代以降のつまづきの石になってったのではないかっていうふうに。
え、日本のせい?それ。
日本のせいというわけじゃないんですけど、ちょっとそういうところもあったんじゃないかと。
で、そのつまづきの石になったっていうのは、もしかすると3.11のつまづきの石になったのではないかっていうので、これ結構なかなかちょっと強い、なんていうか、ちょっとそれはなかなか強い主張なのよみたいなところもあったりとかはするんですけど。
でもその、やっぱり自分が親しんできて、海って素晴らしいんだよっていうのをずっと伝えてきたラッセンにとって、その海が全てを破壊していって人を犠牲にしていくっていう。
ラッセンはその映像で津波を見てたっていうのもありますけど、実際現地に来てるんですよね。
で、何回か来てるんですよ。チャリティーとか、あと日本のNHKのなんかドキュメンタリーとかで。
宮城の仙台とか、あとは七ヶ浜だったかな。
すごく津波の被害は大きい地域ですね。
何度も何回か訪れていて、すごく印象的なインタビューがあって。
2012年の11月に放映されたドキュメンタリーで、宮城県の七ヶ浜っていうところ。
で、その辺って、あの辺とか、あと福島の相馬あたりって、めちゃくちゃ波がいいらしいんですよ。サーファー的には。
サーファー結構聖地らしくて、大会とかやったりするんですよね。世界大会とかあったりするんですよ。
で、結構いい波が立つっていう有名なメリアらしくて、そういうのもあって螺旋、もしくはつながりあったのかもしれないですけど。
そういう七ヶ浜っていう町を訪れて、地元のサーファーとか子どもたちの前でライブドローイングとかしたりして、地元の中学校に行ったりとか、そのサーファーたちにインタビューしながら。
インタビューというかサーファーたちに話を聞いているシーンがあるんだけれども、やっぱりすごく辛い話を聞かされるわけですよ。
みんな流されちゃってとか。で、そういう話を聞きながら、すごく苦虫を噛みつぶしたような顔をして次の絵に語ったっていう。
みんな辛い経験をしたのに、笑顔でサーフィンをしている姿を見れて嬉しいよ。やっぱり海は友達だ。自分もすごく元気をもらったし。
本当は海は美しくて良いところなんだよっていう風に言ってるんですけど、その後に中学生に会って、その中学生は家を津波に流されてしまったと。
で、海をテーマにした絵を描いてたんだけれども、その中学生が描いたのは、昔私の家があったところから見えた風景を描いたんですって。
ただそのお話を聞いてると、津波は見ていないけど、津波が引いた後の全体見てしまって、家は土台しか残ってないですっていう。
そういう話をすごく聞かされて、でももうどういう言葉をかけたらいいか分からないっていうのが、そのドキュメンタリーで伝わってくるみたいなんですね、脱水が。
なんとか海はすごく怖い目を見せることもあるんだけれども、普段は穏やかな場所だし、まだやっぱり海行くの怖いかもしれないし、それはそうだと思うんだけれども、
いつか海に行って水遊びができるようになるように願っていますっていう風に言うんだけど、やっぱり僕たちが反応が全然果敢ばしくないというか。
まだ1年も経ってないから、1年経ったぐらいだから、とてもじゃないけどそういう状況じゃない。
だから今までラッセがすごく信じてた海が、これだけ子供とか地元の人たちに深い傷跡を残してしまったっていうのを目の当たりにして、やっぱりちょっとショックが大きかったんじゃないかっていう。
ただ個人的には、ラッセンの神経はともかく、実際海っていうか被災地に来てこういう話をしてたんだなっていうのは、結構意外だなって思った。意外というか知らなかったので。
ね、わりとそういうのは取り上げられていないですよね。
あんまり聞いてなくて、そこだけでも私はラッセンポイントちょっと上がったんですけど。
ラッセンポイント。何もしないよりはね。
そう、私もそんな感じするんですけど。
うん、だからもうずっと自分は愛されてると思っているし、愛されているんだろうし、きっとお友達とかも多いタイプかもしれないけども、かなり楽観的な人ですよね。楽観的な絵を描きますけど。
そう、闇を抱えてる感じなんですよね、あんまり。
あんまりもないし、どっちかっていうと、うちにこもるとかそういうタイプとか、なんかそういう感じはない。
そう、ないからこそ、この次々と審査の時にショックを受けて、しかも自分の気持ちと現地の人の気持ちがどうも噛み合わないぞっていうところとか、
あとはバラエティ番組で本当にもう自分はみんなから忘れ去られてるのかっていうのを目の当たりにして本当にショックを受けたりとか、
あとはそのネタキャラみたいな感じの扱いを始めると。
それはそれでかわいそうだけども。
そう、あんなに一世を風靡してもてはやされてたのに、だからこそ、ある一点を超えてしまうとネタとして消費されてしまうっていうのが、なんていうんですかね。
まあそこは日本らしいですけどね、すごく。
だから。
日本の突然の手のひら返し的な持ち上げて。
エピモノバトルみたいだなって感じ。
まず、商業無常やんかっていう。
無常の悲劇がね。
本当、無常だ。
調査必須ですよ。
そう、調査必須の脱線だったなっていう。
さっきのヤンキーの話もここで触れられてるんですけど、ヤンキーの暴走族の人たちが自分のバイクとか単車とかに脱線の絵を描いてくれて。
なるほど。
それは一見すると、ヤンキー受けしそうな絵だよねっていう風に見がちなんだけど、あれはまた違うのだと。
そういう読み方はもちろんできるんだけど、ヤンキーもそれ分かってやってるんだと。
あえてヤンキー的なファッションをなぞっていて、ちょっとダサいのをあえてやってる。
誰が?ヤンキーたちが?
ヤンキーたちがですよ。
ヤンキーってこういう感じだねみたいな。ちょいダサな感じって、今の感じはどういうやつだっていうと、まあ、脱線かなって。
で、脱線がなんでそういう風に受け止められたかって、ちょっとこれ話し忘れたんですけど、脱線いろんなところとコラボしてるってさっき言ったんですけど、脱線パチンコ台になったりしちゃうのって知ってます?
え?脱線パチンコ台?どういうこと?イルカが?イルカがジャンプしたりするの?
イルカのメディアミックスで脱線ワールドっていうパチンコ台を出してるんですけど。
パチンコねー。侮れないパチンコ。
しかも、CR脱線ワールドっていうタイトル、脱線ワールドMJっていうタイトルらしいんですけど、ここでわざわざ断りを入れてるのは、このCRっていうのはクリスチャン・ラッセンの略ではなくて、
CRはカードリーダーの略。1992年に登場したプリペイドカード式のパチンコ台にCRという名称をつけるのが流れなので、
別にクリスチャン・ラッセンの頭文字を取って略称ではありませんっていうふうに申し添えがあるんですけど、それいるんかなって思ったんですけど。これがちょっとポイントでしたね、個人的に。
すごいですね。
これ、恐ろしいパチンコ。
意外に。
こういう内容だったかっていうと、「何が起こるか予想もつかないのが世界。突然訪れる脱線チャンスは新規格から生まれた試み。30回転のチャンスタイム。あふれる光の演出と紅葉煽るBGMに一発逆転の期待は最高潮に達する。」っていうコンセプトのもとですね。
脱線チャンスっていうのがあると。で、その通常プレイに7分の1の確率より脱線チャンスの文字が出現すると、サウンドとランプの演出が一変し、大当たりの予感が高められる。
そういう台があったみたいなんですよ。なんとなくこれ、記憶にあるなっていう。やったことはないですよ、もちろん。CMとかでよく流れてるじゃないですか、パチンコ屋の。
で、脱線はちょっとおぼろげですけど、たぶんそこからの派生系で海物語っていうパチンコ台あったなっていう。
有名、有名ですよね。
たぶんすごいヒット作だと思うんですけど。で、たぶんそういうところからのこのヤンキーたちの脱線。
それこそ鶏が先か卵が先かな感じもしますけどね。でも何もないところから脱線チョイス。すごい、なんだろう、パチンコ屋さんの目の付けどころすごいですね。
パチンコ屋って何でも大事にしますもんね、そして。だって、エヴァンゲリオンとかも脱線するんだもんみたいな。
そう、だから脱線でパチンコ台の話が出た時に一番最初に頭に出たのが、やっぱりエヴァンゲリオンだったんですよ。
どうやってパチンコと合わせたような話を。
わかんないんですけど、でもパチンコからエヴァンゲリオンファンになった方がすごく多いんですって。
すごいとか輸入してきたな。
そうそう、だから、「え、あなたがエヴァンゲリオン見るんですか?」みたいな人が、「なんで?」ってなったら、きっかけがパチンコだったっていう人がすごく多くて。
だからパチンコは結構貢献してるんですよ。ファンの集客に。で、埋蔵ヤンキーっていうのはやっぱり経済を動かすので、一番。
だから、脱線はいいところに目をつけてもらったなって。
そういうところもあえて取り入れてやってたのではっていう。
でもあのラインだったらもう芸術性。
そうですよね。だからもう雑貨ですよね。
雑貨というか、本当に大衆側にかなり消費されていくものに組み込まれたなっていう。
だから、あそこが悪いね。間に入った、なんでしたっけ?
RBバンですか?
そう。いや、RBバンが悪いわけじゃないかもしれないけど、消費のさせ方がひどい。かわいそうになってきちゃう。それを知ると。
そうなんですよ。私もだから、2010年以降のラッセンの扱われ方っていうのは、ちょっと痛ましいなと呼んでて、痛々しいなっていう。痛ましいというか、痛々しいなっていう感じがしてきて。
ラッセンもそれを止められて、自分はこれもうやりませんっていうふうに言えばいいじゃんって思うんですけど。
でも多分わかんないんですよね。ラッセン自身もどこら辺までライセンス協定をしているかわかんないですけど、なんかザルっぽいじゃないですか。
いや、それもあるし、この著者の考えとしては、ラッセンは日本の市場については、ビジネスとして全振りで割り切ってると。これはもう仕事だと。割り切ってはいるんだけれども、どうもあまりにも振り切りすぎたのではないかと。本人にとっても良かったのかどうだったんだろうなっていう。
ラッセンは他の国ではどういう扱いなんですかね。
それがですね、ラッセンについての、まあこの著者の話によればですけど、ラッセンについての、ウィキペディアのページっていうのは日本語でしかありません。
お、つらいね。
だから日本以外では知られざる存在であると。
あー、出た出た。そういうやつありがちな。
そういうことで。
あー、日本そういうのあるね。
だから極東の、アジアの極東で謎に売れたっていう。
ないんじゃないですかね。どうだろう。今だって評価されてるのは日本だけですからね。シティポップも日本だけって言ったら日本だけですけど。
でもなんかちょっとシティポップっぽくないですか、ラッセン。すごい怒られるかもしれないですけど。
また怒られますよ。怒られちゃうからラッセンかわいそうね。なんか引き合いになると全部怒られちゃうんじゃないかって。
かわいそうな。なんかでも本当にこれ読んでて、ラッセンとラッセン以外の芸術的価値がある、高いって言われてる作家って何が違うんだろうなってすごい思って。
でも自分はじゃあラッセンにすごく芸術性があるかっていうと、やっぱそれまたうーんってなってしまう部分も正直やっぱあるんですよね。
すごいこれって何なんだろうな。私はなんかどこでその絵とか芸術の価値を見出してるんだろうとか、どっかで学習してきてるのかなとか。
でも好きなのって確かに、ラッセン的なの私やっぱり好きではないんだよなとか、でも好きじゃないと価値があるかないかってまた別だろうなって思うし。
違いますよね。うんうん。
なんかそれはすごく難しくて、しかも専門的な知識とかも、意表する知識とかもないので、完全に自分の感覚でしか見てないんですけど、絵は。
絵とか音楽とかって。でもいつもそれはちょっと不思議に思うんですよね。
そうですよね。だからああいう、まあラッセンはプリントだから、シルクスクリーンとかとも違いますけど、ポップアートでもないですもんね。
そうですよね。ポップアートとしては売ってはいないし、ポップアートとかでも、なんでこれがそんなにすごい人気あるのかよくわかんないなっていうものも私は多いし、わかんねえなみたいな。
結構ポップアートは好きなので、でもやっぱり、なんかノーラッセンみたいな子、一緒にかわいそう、一緒にしてもらうとちょっと困っちゃうなって。
そうですよね。
あと古典的な絵画とかは私、そっちの方が好きなんですけど、現代古典もね。
よくわかんねえっていう感じで、え?いや、戸惑いの方が先に来ることが、戸惑うために見に行ってんのかなとか思いながら、そういう、あとして見に行こうみたいな感じで、金払って戸惑うってなんだろうなとか思いながら見てる時があるんですけど。
まあまあ体験ですからね。
でもそういう意味では古典的な、古典絵画とかって、まあ近代美術、ある程度これはいいですよみたいな感じの評価を受けて、まあ古いものですよね。古い絵とかは、なんかそういう戸惑うものもあったりはするんですけど、
そういう感じで見に行かなくていいっていうか、なんて言うんでしょうね。どっちかって言ったら、昔の絵の方が好きですね。
昔の絵は昔の絵で好きですけど、なんかこう、やっぱり、あれじゃないですか。結局のところは、その絵そのものよりも、絵を押す人たちの層を見ちゃうんじゃないですかね。
だからやっぱりラッセン押しつつのマイルドヤンキーと思うと、なんかちょっとってこう。
あ、そうか。フォロワーをちょっとみんな見て、この方たちと一緒なのはちょっとっていう。
でも何度も言うんですけど、マイルドヤンキーが経済を回しているので、経済的には本当マイルドヤンキーの方々にはもっと頑張っていただきたいところもあるんですけど、
タバコを吸い、車を買い、車をいじり、いろんなことでお金を使ってくださっている方々なので。
でもマイルドヤンキーもだいぶ絶対少なくなってると思うけどな。
まあそれでもやっぱりパチンコをしたりね、そういうところに経済を回してくださっているので、悪くは言いたくはないですが、やはりちょっと好みではないっていう。
そうだな。
だからフォロワーを見ちゃうのかもしれないですよね。
いい、まあ確かにな。そういうのもあるか。好きな画家とか、やっぱり今の画家、全然知らない。小説もそうなんですけど、全然わかんないなっていうのも。
どうしても昔に書かれた絵とか、昔に書かれた小説とかの方に行きがちですね。
でもほら、今なんかだったらすごくわかりやすいのがバンクシーとか。
確かに。
でもバンクシーとかはまたやっぱりオシャレそうじゃないですか、フォロワーが。
そうですよね。オシャレそうな感じはするな。
あれがでもあれなのかな。日本だけ、他の国でもそうなのかな。
でもオークションとかに出るじゃないですか。
ああ、そっか。
ラッセンの絵はオークションにはちょっと出ないのではないかと。
雑貨っぽさがダメなのかな。
雑貨っぽさ落ちますね。
雑貨もあるなってすごく思うんですよ。
何だろう。だから他の茶の間の雑貨たちとの調和が取れるのかなって。
ただメッセージ性が、さっき的さんがラッセンのメッセージ性があるっておっしゃってましたけど、
そのメッセージ性っていうのが割と何となくですけども、
自然環境のことっていうのは何となく後付けのような気がして。
どっちかっていうと、僕海大好きっていうメッセージしかなくて、
自分大好きみたいなところが出てきちゃってるから、どうしてもちょっと軽くなっちゃうのかなっていう気は。
耐性がないと。
消費されてしまうアイドルみたいなもんですよね。
ほら、今のアイドルたちはちゃんと自分を持ってたりするじゃないですか。
それこそメッセージ性だとか考えを持ってる人、アイドルたちしか多分今成功しないと思うんですけど、
そのかつてのアイドルたち、昭和のアイドルたちは割と消費されているというか、
消費されるためにいた存在っぽいところもあるじゃないですか。
それが消費されることが悪いわけじゃなくて、消費されることを良しとして世に出されるというか、
そういうふうにちょっと似てるかもしれないですよね。
だからアイドルたちが中年になってちょっと捕まってしまうとか、問題起こしてしまうとか、
そういうのとちょっと被るかなっていう気はしますけど。
だから大切にされなくてごめんなさいっていう感じがしますね。
もうちょっと大切にラッセン自身自体を扱ってくれる時代だったら、またちょっと違ったのかもしれないですよね。
そうですね。消費社会のど真ん中でしたからね。バブルなんて。金使ってなんぼだったしな。
やっぱり売る場所がね、スーパーではいかんのですよ。
スーパーってだから雑貨になっちゃうんですよ。
ファンシーショップになっちゃうわけですよ。
だろうっていうのは。
そこは守ってくれるわけですよ。アーティストとしてのプライドとか、思いとか。
そういうのを勝ちづけるってことですよね。
そうですね。
イメリコブターの話思い出したな。
そうですね。そういうことですよね。
大事に消費されないように、ちゃんと価値のあるものですよっていうのを。
売る側も、書く側も、みんなが価値があるものですよって扱ってあげないと、雑貨になっちゃうんですね。
確かにな。いかに売るかって大事ですね。売れればいいってものでもないし。
結局イメリコブターも日本で紹介された時に、その辺で失敗して上手くブランド付けできなかったって話が最初にありましたからね。
みんなが本物を知ってるわけじゃないから、入り口とかを作る人は責任重大なんですよ。きっと。そんな気がしますね。ラッセンとか。
やっぱりインテリアートとしてみんなが買えるようにっていうのは、一見すごく資金を下げて文化的なものをみんなに行き渡せるっていうのには、いいようには思えるけれども。
ただブランド戦略としては、やっぱりそれでは良くなかった。消費されるしかなかった。
そうですね。難しい。芸術難しいですね。
芸術難しいな。でもあの時期って本当、ラッセンもそうなんですけど、いろいろこの本を読みながら思い出したんですけど、
レアゴスティーニとか、週刊名画100選とか、クラシックのCD付いてるやつとか、めちゃくちゃ流行ってたなっていうのも一緒に思い出して。
あとなんか甲冑作るやつとか、恐竜作るやつとか、なんか親に買ってもらったり親が買ってたりしてたなっていう。
うちは別にそんな上流家庭的な家庭ではなかったので、そんななんかすごい家に画集があるとか、なんかめちゃくちゃ田舎なので、
美術館に行くのも、山形美術館に行くのも2時間かかるよっていう。
岩崎千尋とか、あと平和用展見に行ったなっていうのは。
お母様の好きな。
そう、なぜか母親がダダ浜にして、平和用のミニチュアがうちのいてあるところにあるみたいな。
そういうのが田舎の一般家庭の風景だと思うんですけど、でもああいうディアゴスティーニとか、それこそスーパーの片隅で売ってるラッセンっていうのが、
田舎の普通の家庭に育った子供にとっては芸術に触れるきっかけだったんだろうなっていうのも思うんですよね。
あと学校の美術の授業ぐらいですよ。
田舎になればなるほど、そういう美術の時間とか、そういう音楽の時間って本当に大切だったんですよね。
大事でしたね。
大切なんですよ、やっぱり。
インターネットとかまだ中学校ぐらいまではなかったので、本当にそういうディアゴスティーニ的なもの。
初回だけ250円みたいなやつ。
もうね、ダメ、絶対ダメ。
CD買ってきて、でもあれで、月光とか悲壮とか聴いて、すごい聴いてて、この間それこそ入院してるときになんとなく聴きたくなって、
スポティファイに久しぶりに月光とかレトベのピアノソナタとか聴いてたんですけど、めっちゃこれ中学校で聴いてたみたいな。
ぐっすり寝たんですけど、なんかすごく、あの体験ってすごく豊かな体験だったと思うんですよね。
でもそこにもラッセンはちょっと乗り切れなかったっていう。
うーん、そうか。やっぱりラッセンはそこには乗り切らないのか。
でもなんか、そこからなんか、でもきっとラッセンがきっかけで絵描いたとかいう人いると思うんですよね。いないかな。
いるんじゃないかなと思ったりするけど、でもラッセンがきっかけですって多分言いにくいなっていうところが。
そうですね、ラッセンがきっかけですって言えないね、きっと。
そう、でもいたんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね、そう願いたいと思います。ラッセンのためにも。
藻を広げる一端になってたのではと、田舎で10代を過ごしたものとしては思ったりするんですよね。
まあ、でもちょっと日本の風にはやっぱり合わなかったですね、あのなんかパーティーっぽい感じっていうかこう、なんだろう。
まあ、アッパーな感じ。
アッパーな感じ、そうそう。
しかもラッセンの絵ってこの本の中にも書いてあったんですけど、基本的に照明をめっちゃギラギラに照らしてみるのが前提で書いてあるらしいんですよね。
だからすっごい明るいライトの下で見るものだから、なんていうんですか、日本のそれこそ陰影雷散的な日本文化とはちょっと。
合わないわけ、合わないのよ、もともと。
ちょっと合わなかった。
うん、残念。だからね、やっぱりほら、ライトギラギラっていうのが好きな層に受けてしまったっていう。
真ん中でこっちゃう。
そうそうそうそう、だからちょっと残念な出会いでしたねっていうことで。でもね、好きだっていう人たちが今もいると思うから。