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    人生は「乾杯」のためにあるのかもしれない
2026-05-18 12:32

人生は「乾杯」のためにあるのかもしれない

田植え作業の過酷さや高齢の父親の姿を通して、「人生は後から振り返って意味が生まれるものだ」と実感した話。
人は長い人生を生きる中で、小さな達成や節目を重ねながら自己肯定感を育てている。そして、その象徴の一つが「乾杯」ではないかと語る。

高校バレー部の同窓会で、すでに学校自体はなくなっていても、仲間との思い出によって「良かった」と感じられた経験から、

「人は、誰かと良き思い出を共有し、振り返って乾杯するために生きているのかもしれない」

という気づきをシェアした配信。
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サマリー

高橋ツカサさんは、高校のバレーボール部OB会での恩師の退任を祝う会をきっかけに、「乾杯」は一人では成立せず、誰かと共に生きた証であると語ります。人生の節目を自分で作れる「乾杯」は、過去の思い出を振り返り、自己効力感を高めるためのアクションであり、共に生きた証でもあると締めくくっています。

朝の田植えと父への感謝
はいみなさん、おはようございます。 2026年5月17日日曜日、高橋ツカサです。
この放送は、現役ベンチャー企業の管理職、高橋ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
みなさん、おはようございます。 今日も元気よくやっていきますが、今日は朝から暑かったんですよね。
岩手県の私の家があるところは、しわ町というところで、そこは29度まで温度が上がりまして、
そして、そんな中、朝から田植えをするというね、そんな感じだったんですけど、暑かったです。
父親と一緒にやったんですが、父親と母親と私と妻とですね、
ちょっと雑談ですけど、この暑さの中、よくやってるよと、父親も81歳ですよ。
田植えって、田植え機械でやるんだけど、結構大変で、
怖いのはね、水田って縦横、結構うちのは大きい方だと思うんだけど、大きくもないかな。
例えば30メーターかける50メーターとか、そのぐらいの広さなんですけど、ざっくりね、ざっくり。
田植え機械で、水田の泥のところをチャカチャカチャカチャカ植えながら往復していくわけね。
途中で真ん中で倒れちゃったら、助けるのも一苦労なんだよね。倒れたことはないけど。
今暑いから、水面からの照り返しもあるし、そんな中、水分補給とかもしながらやるけど、
本当にね、大変ですよ。本当に頭が下がる。
そんなお手伝いをずっとやってて、今日はその後、父親と乾杯をするというような感じだったんですよね。
乾杯:誰かと共に生きた証
乾杯について今日はシェアしたいんだけど、
乾杯はテーマとしては、乾杯は一人じゃ成立しないと。
誰かがいるから乾杯できるっていうね、そんなシェアなんですね。
高校OB会と恩師の退任
実は昨日なんですけど、高校の同窓会、ざっくり同窓会がありまして、ちょっとこの同窓会は特殊だったんですね。
それは高校のバレーボール部のOB会なんだけど、僕らのバレーボールのOB会って、
普通は前後1年の同窓会か同学年の同窓会かみたいな感じだと思うんですよ、クラブ活動だと。
だけど、1期生から14期生まで一緒のバレーボール部の中の同窓会っていうのがあったんですよね。
それは何でかっていうと、この1期から14期までの間、14年間高校バレーボールを指導してくれた先生が、
定年退職も終わって、その後、再任用も終わって、今65、さらに延長、教授カードが何回あったんで、67かな、で引退されると。
その時の先生とコーチと呼ばせていただいて、同窓会みたいな感じで、退任を祝う会みたいなことをやったんですよね。
消滅した高校と野心
この時にすごく思ったことなんだけど、この高校はちょっと特殊だったんだけど、
僕が入学した時に、創立4年目だったんですよね。
今は当配合があって、名前がないんですよね。
名前がなくなっちゃったんで、もうこの世には存在しないっていう感じの高校になっちゃったんだけど。
だけど、この高校の名前っていうのが面白くて、小塚田高校って名前なんだけど、
来るっていう漢字に、不思議のふって書いて、方向のほう。
これはレテンがついているような感じで、ずこかたって書いて、小塚田って読むのね。
だから小塚田高校ってすごく珍しい名前で、ユニークな名前で、
昔から周りに覚えてもらえない名前だったんで、
工夫としては、雰囲気としては、この名前を全国にどうやって知らしべてやるのかみたいな、
先生も生徒も野心的というか、すごく燃えてたんですよね。
そういう中で、この独特な校名を広めようとやってたんだけど、
だから、その先生がいる代のOBたちは、やっぱりその後輩を応援しようとしてたし、
またその後輩も先輩の思いを引き継いでやっていくみたいな、
そんな流れがあったんですよね。
人生の振り返りと自己効力感
高校の先生が退任、当時の僕らのことを見てくださったバレエ部の監督が退任されるっていうところの、
この節目でみんなで会って、お酒を飲んだりするっていうことをしたんだけど、
これを見た時、この経験の時に、今までは普通に同窓会みたいな感覚だったんだけど、
こういうのって、おそらくいろんな実生活にもあるんだけど、人生もきっとこうなんだろうなみたいな、
ちょっと引いてみちゃったりしたんですよね。
人生なんて語るにはおこがましい年齢だけれども、
だけど、やっぱり良かった悪かったみたいなところで、
一体どこで振り返ってみれるのか、みたいなことを考えた時に、きっと究極死ぬ前だと思うんですよね。
自分の体験で、これが良かった辛かったとかっていうふうに思えて、
結局僕らは良い人生を送ったよなっていうのは、死ぬ間際だと思うんですよね。
その時に、もっとやっとけばよかったなとか、そういう後悔感があるかどうかっていうのは、
分かんないよね。いつ死ぬか分かんないからね。
だけど残されているのは、その時の思い出だったりして、
それを振り返ることでしか、僕らは良かった悪かったかみたいなことは考えられない。
でも、辛い時は、これが本当にどうなっちゃうんだろうという不安もあるわけですよね。
だから、まだまだいけるんだろうなっていうね。
自己効力感みたいなものは、死ぬ間際じゃなくて今欲しいっていうね。
そうじゃない?辛いんだもんだって。
それがあれば、もっと乗り越えられるという気持ちになれると思うのね。
それのもっと細分化したものが、習慣化みたいなもので、
毎日毎日ベビーステッドを積み重ねて、継続していって、結果習慣になっていくっていうことだと思うんだけど、
そこの次の段階って、時間軸で見たときに、やっぱりどのタイミングで過去を振り返っていくのかっていうことだと思うのね。
乾杯は人生の節目
その節目を作るのは、僕ら自身が作れるんだけど、
そのアイコンみたいなものが乾杯なのかなって思うんですよね。
都合のいいタイミングで決められるから、自分たちの乾杯って。
今回思ったのは、たまたま先生が退院されるっていうことと、後は高校名がもうなくなっちゃったっていうこと。
そういう中で高校名がなくなったかといって、僕らの記憶が嘘だったのかっていうと、そういうわけじゃないよね。
そういうわけじゃないから、確かに人生と一緒で、これから生まれてくる子どもたちが、僕らの人生を動画とか温泉コーナーとかで振り返って、
例えば僕らが同じように戦争を映像とかで振り返ってみて、これが本当にあったんだねみたいなことってあると思うんだよね。
だけどそれって、実際僕らは体験、その映像を見た人たちは体験できないけれども、確かにあったという事実がそこにはあると。
僕ら自身、個人においても、やっぱり他の人は体験できないけれども、僕らの中には確かにある事実なんだよね。
僕にとっては、例えば高校での生活っていうのは、名前もなくなり、先生もいなくなり、校内で語り継ぐ人もいなくなったとしても、でも確かに僕の記憶の中にはあると。
そう思うとね、やっぱり僕らは記憶というか思い出のために、思い出があって生きていたという実感もあるんだろうなと思うんだよね。
その思い出が良かったか悪かったかというジャッジはできないけれども、勝手に良いタイミングで振り返って自己効力感を上げていくっていうのが完敗なんじゃないのかなという風に思うんです。
だから、完敗っていうのは振り返りの節目を、自分で作れる振り返りの節目のアクションで、かつ相手がいないとできないから良かったよねっていう風に共有する瞬間を作れるっていうことでもあって、
誰かと共に生きましたというね、そういう証でもあるのかなという風に思うんですよね。
リスナーへの問いかけ
皆さんはどんな風にお考えでしょうかね。
その時に、僕にとってはビールがあったら最高だなっていうのが僕のまとめなんだけど、皆さんにとっての完敗とは何なのか、あとは何をその時飲んでますかっていうね、そんなことをお聞きしたいなって思っています。
はい、ということでね、今日のシェアは以上です。
この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいです。
それではまた皆さん、明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。
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