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はい、みなさんこんばんは。2024年9月27日、金曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが、日々の仕事や生活の中での学びや気づきをシェアする番組です。
みなさんこんばんは。
えー、今日はね、あの、また、えー、飲み会の帰りの収録をしております。
まあちょっと今日もね、ハードな一日でしたけれども。
さて、えー、今日のテーマはですね、心理的安全性って何なんだと。
僕らにとっての心理的安全性は何ですかと、いうテーマで話したいと思います。
まずですね、最近僕が思っていることをシェアしつつ、心理的安全性の正体は何なんだっていうね、シェアをしたいんですけども。
最近ね、思うことがありまして、それは、心理的安全性、心理的安全性って、僕の周りでも言われるようになっておりますけれども。
えー、そしてね、えー、なんでしょう、役職が上の人ほど言いたくなっちゃうんだけど、じゃあ何だと、心理的安全性って。
上の人はね、そりゃあなんとなくだけど、その、えー、有料企業の通行手形的なね、使い方をしているところもあるかもしれませんけども。
そうじゃないんだろうなと思うんですよね。
そして、約束が上になればなるほど、それを正確に掴んでいるかどうかっていうのは、結構ね、わからないというか、掴めてないんじゃないかっていうのは、僕の現場の感覚です。
なんでかっていうと、これはね、心理的安全性がない状態を、まず、まあ捉えていかないと、その正体は掴めないんじゃないかと思ってて、心理的安全性がない状態は何なのかっていうと、
例えばだけど、この一番わかりやすいのは評価制度なんだけど、それが全くもってできていないような会社、まあ例えば数値だけで見えているような、まあ評価をね、見ているようなところにおいて言えばね、
営業の人はいいですよ。だけどそうじゃない人たちは、どこでどう評価されているかよくわからない人たちにとって、評価の基準が曖昧だから、どうやらこれをこうすれば、こういうことが上司から評価されるらしいぞみたいな、そんな流れになっちゃうわけですよ。
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そうすると、上司の知らないところでゴマをすり始めると、ところが上司はそんなのわかんないから、なんとなくいい気分になっちゃうわけですよ。
で、そうなってくるとね、今度はあいつらゴマを吸ってるらしいとか、あいつを落とし入れようみたいな感じになってくるわけだよね。落とし入れようっていうのはちょっと極端だけど、出し抜いてやろうみたいなね。
それこそが心的安全性がない状態だと思うんですよね。
一方で、評価基準が明確になればどうなるかっていうと、特に数字でわかるようになってくると、数字に傾き始めるからですね。
努力の方向性とか、リソースを向けていく方向がね。
すると、何が起きるかっていうと、めちゃくちゃギスギスしてくるんだよね。
わかりますかね、これ。目に見える成果以外のことはやってられっかみたいな感じになるわけですよね。
すると、誰でもできるお仕事、例えば掃除とか電話応対とか、窓口対応みたいなこととかね、そういったことをやりたがらなくなっちゃう。
これはこれでね、今度はギスギスしてくるんですよね。
誰でもできる仕事は誰がやるんですか問題が勃発しちゃうっていうね。
そうなるとですよ、今度はそれはそれで心理的安全性というかね、ギスギスして、それはじゃあ安全というかね、何なんだって話になるわけですよね。
すごい生きにくくなっちゃう。
じゃあ、この状態をちょっとね、もうちょっと因数分解してみたらどういうことなのかっていうと、
目に見えるデータ、評価、その公平性っていうものは定量的であって、それについてフェアであること、公平であること、公正であること、そういった評価基準があればあるほど心理的な安全性が保たれると。
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理不尽な解雇はないわけですね、そうすると。
よって、何というかね、納得回のある評価だから、評価されてもされなくても議論しやすいわけですね。
目に見える評価に向かって成果を出そうとするから。
だけど、一方でこれがない場合、目に見えないところを目に見える化しないで評価されない場合はですね、そういったことをしなくなるということで、
心理的な安全性というかね、要するに駆け引きが、目に見えない駆け引きが始まるわけですよね。
これは全く心理的な担保をされないということになるわけですね。
だから、それを忖度しながら会話をすることになるわけで、忖度抱えたまま面談しても何の心理的安全性もないっていうことなわけです。
面談やってりゃ心理的安全性が保たれてるわけじゃないっていうね、そういうことだと思うんですよ。
そうなると、じゃあ心理的安全性は何なんだっていう話なんだけど、それは評価基準が明確化している。
それは定量的なものも定性的な部分も両方とも評価の基準があって、それが見える化しているっていうね。
そしてその見える化したものが公正に行われている状態が心理的安全性が担保されている状態っていうことだと思うんですよね。
その上で評価されるわけですよ。
あなたはこうですと、こうじゃありませんというような、それはもはや納得解っていうやつだと思うんですよね。
納得解っていうのは説明を尽くされた上で、これじゃしょうがないよねと。
これはこういう評価で言ったら仕方ないっていう風に受け止めざるを得ない状況。
解じゃないんだよね。答えじゃなくて不都合な真実も含まれている状態が納得解で、それらを払った、いいも悪いも払った状態で納得しているものの状態が納得解、納得している状態っていうことだと思うんですよね。
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だから心理的安全性が担保されれば納得している解が得られている状態を受け入れられるっていうことだと思うんですよね。
ゆえに評価が高かろうが低かろうが、そこは心理的安全性と両立できるということになるんじゃないのかなっていうふうに僕は思っています。
だからGoogleが心理的安全性というのを会社でめちゃくちゃ打ち出したのが大体10年くらい前だと思うんだけど、そうは言ってもむちゃくちゃ解剖しているわけですよね。
それなんとなく一見矛盾しているように見えるけど、実は矛盾はしていなくて、それらが両立するのはこういった納得解という状態を生み出している。
その根幹が評価の公平性であって、それこそが心理的安全性というものを生み出しているんじゃないのかなっていうような話でした。
この放送はボイシーの田目瀬大さんの2年くらい前の放送を参考にして、僕がインスパイアされてずっと大切にしている考え方の一つなんですけど、皆さんにもこの放送が参考になったらうれしいなと思ってシェアしました。
ということで今日の放送は以上です。この放送が皆さんのお役に立ったら嬉しいです。それではまた皆さんさよならバイバイ。