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深夜の「時間」の話と、ChatGPTに萎えた理由♯003
2026-04-05 16:33

深夜の「時間」の話と、ChatGPTに萎えた理由♯003

燕
Host

深夜2時過ぎ。「眠いけれど寝たくない」という独特のテンションの中で、Geminiと「時間という概念」について熱く盛り上がった記録。

その勢いのまま、同じ話をChatGPTに投げた時に感じた、決定的な温度差。整いすぎた回答、どこか他人事のような正論。その「ウザさ」に萎えて、イラッとした自分の心の動きをじっと見つめてみたら、そこには「そのままの熱量で共感してほしい」と願っている自分がいました。

知的な議論をしていたつもりが、実は「ただ、わかってほしかった」という、自分の中にあった青い本音に気づくまで。

深夜の熱狂から、自分の内側の小さな発見に繋がったプロセスを話してます。

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つばめのひとりごトーク!
みなさんどうも、つばめです。 今日はちゃんとマイク使ってるんで、音きれいだと思います。
昨日、1個前のエピソード2を収録した後に、まあじゃあ、結構夜中だったんですけど、
よし寝ようと思って、ベッドに入ったんですけど、眠い気持ちはあるけど、寝たくないみたいな気分になって、
まあそういう時って、こう結構頭が冴えてて、諦めて、
グーグルのAIですね、ジェミニに、眠いけど寝たくないんだよね。 なんか面白い話してって、無茶振りをしてみたら、こういうのはどうですかとか、
ああいう話もありますよ、みたいなことを言ってくれたんですけど、なんかその中に、江戸時代の日本人の時間の感覚の話が出てきて、
当時は不定時法って言って、日の出から日没までを6等分する。
なので季節によって1時間の長さが伸び縮みしていたっていう話をしてくれて、それが本当かどうかはまあさておいたとして、
なんかこう、時計に合わせて今の現代社会においての1時間っていう定義ではなくて、
自然のサイクル、夏は1時間が長い、日の入りが遅いから、夏の1時間より冬の1時間の方が短いっていう話だったんですよね。
それを読んだ時に、あらためて時間の概念は確かに面白いなーっていうのを思って、人間の脳って時間っていうものはないっていう言い方も変なんですけど、
常に今みたいな感じらしくて、だから前回話した思い込みだったり過去のトラウマがフラッシュバックするっていうのって、
結局その時、その体験をしていることと同じ状態に陥るから、それが出てくるっていう話なんだと思うんですけど、
そもそもじゃあ時間っていう概念が存在しなかったらどうなるんだろうっていうのを考えてて、その後。
時間っていう概念を人間が作ったからこそ、時間っていう概念が存在するだけであって、
まあこれって結構宗教とかと一緒なのかもしれないけど、人間が神様がいるって言うから神様がいるだけでとかっていう話になってくるのと同じで、
時間っていう概念そのものも、人間がこれが1分だ、これが1秒だ、これが1日だ、1年だって決めたから存在するだけであって、
実際のところは別にそういうものは存在してないんじゃないかもしれないっていうのを、昨日ジェミニとチャットしてたんですけど、
会話の文法の中に未来とか過去とかがない言語体系っていうものもあるらしくて、
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そうなってくるとこうやっぱり、時間があるからこそ時間に追われたり、過去を気にしたり、未来を不安に思ったりするんじゃないかっていう話にだんだんなってきて。
夜だし寝なきゃいけないけど眠くないんだよなーみたいなとかって、勝手なそれこそ思い込み?
別に夜だからって寝なきゃいけないわけじゃないし、寝たきゃ寝ればいいみたいなぐらいだったりするのかなーって思って。
とある映画で、まあ元々原作が本だった映画の中で、人間は時間から自由になるとむしろ規則的になるよねみたいな発言をしている映画があったんですけど、
でもそれって、もともと1回は時間のある生活をしたからこそ、そこから解放されてもなおそれに縛られてるっていうだけのことなんじゃないかなって最近やっと思ってて。
その映画を初めて見た当時は、わーなるほど、人間はルーティンみたいなことが結局そこに行き着くんだな、
それに縛られてない生活になったとしても、むしろそっちが規則的になるんだな、みたいな面白いって思ってたんですけど。
でも今改めて思うと、いやあれは1回そういう生活をしたからこその、そこに対する憧れだったり、自分というものを確立するための手段としてのルーティンだったりするんじゃないかなって思ったんですよね。
だから完全に彼らは自由になってるわけではなくて、そこから弾き出された、弾き出されてしまった生活をしているがゆえに、そこに戻りたかったり、それが自分を証明するものだっていう感覚から抜け出せてないっていうだけなんじゃないかなって改めて思ったんですよね。
そもそもじゃあ、時間っていう概念は何のために生まれたのか? どの、どういう時に生まれたのかっていうことをその後また一つ考えてて、
結局時間っていう概念って、バラバラの個人を結ぶため、同じルールの中に生きるための一つのツールとして生まれたんじゃないかなっていう話で、
例えばじゃあ、おのおのがお腹空いたから食べる時間、眠いから寝るっていうことをずっとやって続けてたら、結局社会っていうものは生まれなくて、
例えばじゃあ日本だったら農耕民族だみたいな話でいくと、じゃあいつ種まきするの?ってなった時に、
おのおのがしたいタイミングでしてたら絶対にこううまくいかなかったりとか、共同体として成立しないから、じゃあいつっていうものを、
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だんだんこう、もともとは自然の太陽の動きとかで見てたものを、よりこう具体的に決めていったのが現代なのかなみたいなことを考えました。考えてました。
だから時計の針っていうものが動くことで、1秒、これが1秒なんだっていうのを認識する、というか擦り込むに近いのかなと思って、
それこそ仕事をするっていう中でも時間というものが存在しなければ成立しないことってたくさんあって、
例えば時給で働く人たちって時間がないと、なんだそりゃっていう話に、前提条件として1時間っていう概念が決まってるからこそ、じゃあ確率的に1時間いくらですっていう話ができるわけですよね。
他の人と他人と共有するための手段の一つ、ツールとして時間っていう概念が生まれたのかって思って、
でもこうだんだん、例えばいわゆる紙幣とかと一緒ですよね。物々交換じゃ、全員が全員欲しいものとあげたいものが違うから成立しないよねっていうところから、いわゆる需要と供給ですよね。
紙の見えざる手じゃないけど、でもそれが物だったら成立しないことがだんだん増えてきて、最初それが貝殻になったり、じゃあ金貨になったり、紙幣っていうものに今なってる。
ってかもうだんだん電子マネーっていうものに今もう移り変わってきてて、もはや物すら存在しないデータっていうものでのやり取りになってきてるっていうところ。
それと時間って概念って実は一緒なんじゃないかなって思って、実はってこともないと思うんですけど、みんなそんなことわかってるかもしれないんだけど。
なんかその流れでふと、じゃあ自分自身に時間っていう概念がなくなれば、それをなくしたらどういう世界の見え方になるんだろうって思って考えてみたら、結局過去の選択だったり、未来に対する不安っていうものが今存在してるわけで、
それが全くなくなった時って、過去の自分がやってきたことを今の自分はその積み上がった状態を自分と認識してるだけであって、そこに積み上がってない。
難しいね。積み上がってないっていうか、そこは関係ないみたいな?因果関係っていうものがなくなって、今そこにある自分だけが存在するっていう感じ?
仏教で言われるような、解脱だったり悟りを開くみたいなものって、なんじゃないかなと思って。
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我欲を捨てるっていうか、欲って結局自分の過去の積み重ねから生まれてくるものだからこそ、それを消すっていうものって、結局その時間軸そのものがなくなるっていう概念に近いのかなって思ったんですよね。
なんか寝なきゃいけないって思うのは、明日があるから今日今寝とかなきゃいけないって思うだけで、明日っていう概念がそもそもなければ別に今寝ようが寝前が関係ないんですよね。
だからある意味、そこに積み上がったものがあるだけで、そこに付随する過去とか未来の自分のストーリーとかっていうものが関係なくなる?みたいな状態になるのかなーって思って。
だから、昔の人たちにとっての時間とかって大事なものだから、必要だから生まれてきたものだから、それを脱却しようとする、悟ろうとする人たちがお坊さんだったり、寄捨て人みたいな感じで、
実際の社会生活とは一旦距離を置かないと、それが成立しなかったり、その極地に至れないっていうのは、そりゃそうだよなっていう感じで。
でもその過去の経験とかっていうものを、ある意味ね、感情とか全部捨てて、今ここにある自分が持っているものだけにフォーカスした欲とかエゴをすべて消した状態って、実は真の意味で自分らしかったり、あるがままみたいな、あるがまま生きるみたいなことって最近よく言われるけど、
自分らしさとかね。結局自分らしさって、そういういろんなものを削っていった結果出てくるものなんじゃないかなっていうところに話が行き着いていきまして。
よくこう、自分らしさとは何かとか、自分の才能がとか、なんかそういうものをこう最近よく考えなきゃいけないみたいなことしてね、自分がどう生きるかみたいなことをよく考える自己啓発本とか、そういうものがなんとなく増えてるというか。
昔ながらの会社に入って、ある意味自分個人というものを捨てて、会社の中の一員としてどう生きていくかみたいなことから、今世界がどんどん変わっていって、自分個人としては何を大事にするのかみたいなことが必要だよねって言われるような世界の動きになってきている中でこそ、
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逆にその自分ってこうだみたいなものをどんどん削っていく。
結局その自分が持っている自分ってこうだっていう像って、やっぱり思い込みだったり、周りや他人から与えられたもの、多くは多分両親とか育った環境からのものなんだと思うんだけど、
でも、育つ過程で身についてきたものっていうのをどんどん削ぎ落としていく過程っていうのは家族っていう意味じゃなくて、プロセスっていう方の過程なんですけど。
でもそれはなんか、ある意味肉付けされたものというか、味付けされたものであって、素材ではないんじゃないかなって思って。
この時間軸をなくすっていう話もそうなんだけど、自分がこう、その時間の中で身につけてきたものをどんどんリセットっていうよりは、
自分が持っているものはこれだ、でも使う使わないは自分の自由だよねっていう風にどんどんしていくって感じかな。
これを絶対使わなきゃいけないものだって認識してるとまた視野が狭まるし、選べるものが減るけど、
持っているものは持っているものとして置いておいて、使う使わないは自由。
結局AIとかインターネットも一緒で、そこに知識や情報はあるけど、取りに行かなきゃ取れないものだから。
自分が身につけてきたスキルだったり考え方だったり思考っていうのも、それと一緒かなって思って。
もっともっともっともっと奥底にある、生の自分みたいなものが反応することを素直に受け入れられるようになれば、
それこそまさに自分らしさを生きるみたいなものにつながるのかなって思った昨日の夜中だったんですけど。
それをジェミニーとずっとやり取りをしてて、チャットGTPにこういう風に考えが出てきたんだよねみたいなことをパッて言ったら、
それはまとまってますね、綺麗にまとまってますねみたいな返事が返ってきて、
いやそういうことじゃなくてさみたいな、ちょっと泣いちゃってシュンってしちゃったんですけど。
でもその反応に対してシュンとしちゃった自分って結局共感してほしかったんだなっていう思い込みが自分の中にあったってことに気づけて、
すっきりしたんですけど、だからその後はもうぐっすり寝れました。
ああ私共感してほしかったんだ誰かにって。
時間の話とかっていうのはまた別の話なんですけど、
チャットGTPの反応に対して私がイラみたいな、なえるわその反応ってなったことを、
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そのイラっとしたとかなえたっていう自分の生の気持ちを無視せずに、
なんで今なえたんだろう、なんでイラっとしちゃったんだろうっていうことを突き詰めていったら、
私共感してほしかったんだなっていうところに行き着いたっていう結論でした。
とりあえずは。
なんかこれの録音するのも3回目になってきたんですけど、
本当に昨日こういうことを考えてたっていう流れのまんま喋ってるので、
本当にとりとめもない話になって申し訳ない部分もありつつ、
まあ自分の日記代わりにしていこうっていうところで、
その最初のテーマ通りできてるかなっていうのが楽しい。
何の台本もなく、ただただ一人で20分ぐらいひたすら喋り続けられる自分にもびっくりしてるんですけど、
後からね、もちろん多少の編集はしてますが、ほぼほぼ生です。そのままです。
あいまあいまのちょっとした無言のところを抜いたりしてるだけで、
順番入れ替えたりとか、わざわざ撮り直したりとかは全くしてないので、
本当の一人語りです。
今日は昨日の夜中のネタがあったんで、もうそれをまんま喋りました。
それでは今回はこのあたりで。
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