新しい環境での発見:数の計算が苦手な自分
つばめのひとりごトーク! どうも、つばめです。
これも4回目の収録を今しておりますが、 もう4回もやってんだと思ってびっくりしてます。
この前、突発的にちょっと仕事が入って、イベントのサポートみたいな、お寺とか神社みたいなところの、なんか、貸切特別配管のサポートみたいな仕事をしてたんですけど、
新しい環境っていうか、いつもと違う環境とか、 いつも関わっている人と違う人と関わると、いろんな自分が見えてきて、
面白いなーっていう感じでした。 その中で2つ、ちょっと面白い発見があったので、今日はその話をしようかなと思います。
1つはね、私、物数えるのがすっごい苦手だなっていう発見。
シンプルに、1,2,3,4,5,6っていう数をランダムに並んでいるもの、その時は靴箱に並んでいる靴を数えて、何人お客さんが入ったかっていうのを数えるっていう作業だったんですけど、
本当、マックス50人ぐらいのはずなんですけど、バラッバラに、いわゆる靴箱に靴が入れてあって、最初目だけで頑張って数えようとしてたけど、もう10人、10がマックス、限界。
もう10を超えてくると、あれ今どこまで数えたっけとか、どの棚まで行ったっけとかっていうのがもう混乱してきて、数えられないってなって、数えられない自分にびっくりをしました。
で、もっと距離を詰めて、指差ししながら、1,2,3,4って指でちゃんと数えるとギリギリ数えられるんですけど、多分何回か間違えてる。
受付の人数と若干合わなかったりして、うわー何でこれ、分かんないってなってて。
で、それも何でだろうって思って、じゃあ逆にどういう計算なら得意かっていうと、決まった数が決まった数だけ置いてあってっていうのはすごい得意なんですよ。
例えばその時に机を並べなきゃいけなくて、じゃあ50人入るようにしましょうってなった時に、1つの机が3人掛けで最大4列作れます。
ってなったらもう3掛け4掛けってことは12ですよね。で、それを4つ作って48?
で、プラスじゃあ2つの席、2人席作ればじゃあちょうど50だよねっていうのはススススって計算できるんですよ。
でもほんとシンプルに数数える、1,2,3,4っていうのが、もうどれだけやっても目だけではできなくて。
なんかこれは多分脳の特性というか使い方というかの違いなんだろうかって思ったんですよね。
確かに考えてみると机の上とかもごちゃごちゃしていると全然作業ができないタイプで、
一旦片付けましょうみたいな、一旦ちょっと綺麗に並べていいですかっていう結構ちょっとそのへん潔癖なところもあるのかもしれないんですけど、
一旦一旦並べさせてみたいな。
なんかこう同じようなものを例えばピアスとかなんかアクセサリーとかっていうのも数数える前に一回並べさせてってなるんですよね。
並べちゃえば数えられるんですよ。結構すぐに。
今まで自分ってそうやってこう自分の数えるのが苦手っていうところと折り合いつけてきたんだなっていうことに改めて気づいた。
ていうか数えるのが苦手すぎる私ってことに気づいたっていうのが一つありました。
お金に対する思い込みと解放
で、その発見がまあ一個あって、もう一つがお金っていうものに対する考え方っていうか自分の思い込みが一つあったなーっていうまあいつもの話なんですけど、
とあるお金持ちそうなご夫婦の奥様の方とちょっとお話しするタイミングがあって、
ご主人がなんかすごいこう何かをずっと置物みたいなものとかかなお庭とかをすごいじーと長く見てらして、
その間奥様が待ってらしたので暇そうだなと思って話しかけて喋ってたんですけど、
なんかどちらからおいでなんですかとかって言って話をしてたら、
まあいわゆるもう超超高級ホテルの私でも知ってるようなお名前がポンと出てきて、
まあそことこのホテルに泊まっててみたいな。
そこからハイヤーで送ってもらったのよねーみたいな話になって、
送ってもらったはいいけど最初そのもう特別配管の時間帯は他のところは全部閉まってたりするので真っ暗なんですよね周りが結構。
だから最初ここで合ってるのかしらと思ってすごい不安だったのよねーみたいな。
場所も分かりにくかったしーって言われて、
ああそうですよねーって言って私はその真っ暗な状態っていうのも意味はわかるので確かに怖いよなーと思って、
しかも他が閉まってるから余計に本当にここで合ってるのみたいな不安感があったのかなって思って、
そこにすごい共感を示してみたんですね。
なんとなく私も分かる分かると思ったから。
そしたらなんかすごいでねーみたいな。
今ハイヤー渡してるからまた帰る時呼ばなくちゃいけないのよねーみたいな話そっちの話が続いて、
ん?と思ったんですけど、
でも無事楽しんでいただけてよかったですーみたいな感じでお話を終わって、
ご主人も来られたのでじゃあ次の場所案内しますねーって言ってご案内をしたんですけど、
後から考えてなんかすごい違和感があるっていうか、
ザワザワしてる自分がいるなーって思って。
どこにザワザワしたんだろうって後で考えてみると、
多分そのなんちゃらっていう超高級ホテルの名前が出てきたとか、
ハイヤーがねとかっていうところの、
あとお庭がーとか、
あとそのご主人がそれを見てる理由もそういうものをお家に置きたいからどういうものがいいか、
いろいろ悩んでるのよねあの人みたいな話だったので、
うおーめっちゃお金持ちアピールされてたじゃんって後から気づいたんですよ。
そして多分あの奥様は、
暗くて怖かったっていうところではなく、
その超高級ホテルに泊まっていることと、
ハイヤーで来たのよ私たちっていうところに反応を示して欲しかったのかもしれないって思って。
おーこれはなんかなんだなんだーってなって、
そのお金持ちアピールみたいなところに反応しなかった私もそうだし、
そこにこうザワついてる自分の心もそうだし、
なんだこれはと思って、
改めていつもの通り何の思い込みが私の中にあって、
そこを理解するのを拒否ってたんだろうっていうのを考えてみたんですよね。
なんかこのお金の話に関してはあんまりスムーズに、
あーそこが根本的な問題だなっていうのがなかなか最初出てこなくて、
もうなんかチャットGDPとジェミにそれぞれにいろんなことを聞いたりとか、
一人で考えたりとかしてたんですけど、
一つ思ってたのは、
お金持ちアピールをされたことに対して、
自分は何かコンプレックスだったり何かをきっと刺激されたんだろうっていうところは一つ思ったんですよね。
そこからじゃあそもそもお金持ちの人とお金持ちじゃない人の違いは何なんだろうとか、
お金持ちになれる人となれない人の違いは何なんだろうっていうのをその後考えてて、
結局なんかお金を稼ぐっていうことをどういうものと捉えているかの違いはあるよなっていう話で、
お金を稼ぐことが最終的な目標になっていれば、やっぱ最終的な目標ってなかなか達成できないものだなっていうところもあって、
ほらよく100点目指したら80点しか取れない、120点目指してやっと100点取れるみたいな話があったりすると思うんですけど、
まさにそれだなと思って、お金を稼いでどうしたいのかっていうところまで見えてないと結局お金を稼ぐことはできないんだなって思ったんですよ。
ってなった時にじゃあ私は果たして今のお金では例えば満足してないとするならば、
これ以上お金が稼げればどういうことをしたいんだろうって考えた時に、
お金を考えなくてもいい生活になりたいなって思ったんですよね。
これ買っていいかなとか、これ食べていいかなとか、
そういうお金を常に意識して物事を選択するっていうところから解放されたいっていうことなんだなっていうところにやっと至って、
結構時間かかったんですけどこれに関しては。
ってことはつまり選択肢が狭まるっていうか、
そのお金があるないによって自分が我慢してる?制限を受けてる?っていうのが嫌だったんだなって思ったんですよ。
でそのさっきのご夫婦の話でいくと、
私も泊まってみたいホテルにサラッと泊まって、そこでもしかもハイヤー出してもらえるような特別待遇してもらってるみたいなことが、
それそのものが羨ましいわけではなく、そのホテルに泊まるという選択ができることが羨ましい。
そこの2つの考え方の違いって結構大きいなって思ったんですよね。
で私はそこのホテルに泊まりたいわけではないんですよ別に。
でも泊まるっていう選択ができるかどうかは大事だなって思って。
でそこからじゃあ制限されたくないんだ私はって思って。
でその制限がじゃあ、なんでお金がないことは制限につながるのかっていうところを結局深掘りしていった結果、
やっぱそれもまあ幼少期の話で一緒なんですけど、
お金がないからこの選択はできないんだっていうのを親が言ってたりとか、
まあそういう自分自身がそういう経験をしたりとか、
お金があればこれができるのにお金がないからできないみたいな経験をしてたからこそ、
そこのそういうお金がないイコール自分の行動が制限されるっていう思い込みがあって、
いや違うなと。それを制限ではなく、それを選択してる。
お金がない状態も自分が選んでるし、
ある意味それで何を買うか買わないかも自分の全部選択。
別にお金がなくてもお金借りて何かを買うこともできれば、それをするしないもできる。
っていうことはなんだろう、前提条件として違いがやっぱりあるなと思って。
そこの思い込みを外せたというか気づけたことによって、
別にお金がないとかあるとかが自分を制限するしないんじゃないんだなって思ったんですよね。
改めてそれで自分の今の生活を振り返ってみると、
めちゃくちゃ自由にやってるんだと。
なんなら会社員でも正直ないし、
別に普通に一人で一人暮らしで生きていく分には困らない程度には。
お金はあるからこそ生きてるんだし、
それがないってことはもうもっと困ってるはずだし、
こんなことしてる余裕もないはずだし。
もっとお金が欲しいって本当に本気で思ってる、そこがネックだとするならば、
もっとお金がもらえる仕事を選んでるはずなんですよね、選択肢として。
でもそうじゃないってことは、
私はそのお金がたくさんあるっていう状態よりも自由である、制限されてない、
自分で選ぶっていうことを優先してるし、
私にとっての優先度の高さはそこなんだっていうところに気づいたっていう話なんですよね。
そのお金持ちご夫婦のおかげで私はそこに気づけたので、
すごい感謝してます、そのご夫婦に。
スーパーに行っても今までだって、
今本当にその出会いがあってそこを深掘りする前だったら、
これお金ないし買えないなっていうものも、
別に自分にとってそれが必要かどうか必要じゃないかで決められるようになったっていうか、
高い調味料でもこの先自分が必要とするのであれば別に買えばいいし、
どれだけ安くても自分にとって必要じゃないものは買わないっていうことができるようになったので、
これは大きいぞと思いました。
やっぱりそれが2つ目の発見でした。
この2つ、数数える話はちょっとどうでもいいかもしれないですけど、
あと料金の計算苦手です。
基本絶対電卓使う。
ランダムなものが苦手なんですよね結局。
値段ってバラバラじゃないですか。
それがすっごい苦手。
まあそれはいいんだけど。
この2つの気づき、お金の話に関してはすごいありがたいなと思って、
めちゃくちゃ感謝。
そのご夫婦に。
って今も思ってます。
年齢や肩書きに囚われない人間関係
あともう一つだけ最近思った話をさせてもらうと、
年齢?
年齢によっていろんな物差しが変わったりするけど、
こっちが自分がいくつだからと思うのと、
相手の評価する年齢って全然意味がないなって改めて思って、
単純に人って年齢じゃないなって思ったって話なんですけど。
たとえ18だろうが21だろうが、
そのくらいの若い、いわゆる若い人であろうが、
めちゃくちゃ思考して、いろんな頭使って体験して、
あーすごい、私自分がその年の時にそんなこと思ってなかったよってことを考えてる人もいるし、
逆に40、50、60になっても、
同じ世界でずっと生きてきたんだろうなみたいな人もいるし、
別にそれが悪いって意味じゃなくて、
まあでも、人によるよなって改めて思ったっていう。
お金持ちだからとか、この人若いから若くないからみたいな色眼鏡で、
やっぱり人を判断することって、
自分にとって損だなって改めて思ったんですよね。
いくら若くても自分にとって学びがある話ができる人もいるし、
別になんか、逆に歳いってるからって言って、
必ずしも、この人すごいって思うかどうかは本当に場面と人と状況によるなっていうところで、
よく今の若いやつはどうだこうだみたいな話とかありますけど、
確かにいるよ。
なんで?みたいな。
小学生?みたいな大学生とかも山盛りいるけど、
でも逆に、わーすごいねーっていう人もいるし、
なんか結構、昔からどっちももちろんいるんだろうけど、
二極化はしてきてるのかなーっていうのは肌感覚であくまでね。
実際統計取ってどうこうしたわけじゃないんで、わかんないですけど、
でも肌感覚的になんかその辺、どっちもいるのは変わらないけど、
結構そこが二極化は激しい。
できる子はめちゃくちゃできるし、できない子はできないみたいなのが、
結構多いのかなーっていうのを最近改めて一つ思いました。
だから私自身、目先の条件とか役職とかね、
そういうものにとらわれず、
素直に目の前の人と向き合えるような存在というか、
人間でいたいなーって改めて思ったよっていう話です。
それではちょっと長くなりましたが、
今日はこのあたりで。
では。