2025-08-20 1:10:46

ep.101|実写『リロ&スティッチ』――大人になって考える、きれいごとじゃない「オハナは家族」


今回はディズニー実写版『リロ&スティッチ』の感想を、スティッチシリーズ大好きオタク目線で語ってます。

学生時代に出会った原作アニメから約20年、子どもと一緒にシリーズを追いかけてきた今だからこそ見える「オハナ」の姿。

改変にモヤッとしたところもあれば、リスペクトに震えた瞬間もあって、気持ちが大忙しの回になりました。


大人になった今だから語れる「家族」ってなんだろう。子どもたちにとっての幸せってなんだろう。

きれいごとじゃない『オハナは家族』を一緒に考えてもらえたら嬉しいです。


番組の感想・おたよりはこちらから👇

https://bit.ly/3v49UX9

サマリー

実写版『リロ&スティッチ』では、親子の絆や家族のテーマが深く掘り下げられています。リロとスティッチの関係やアニメ版との違い、ハワイの文化が紹介され、大人になって再評価された作品の魅力が語られています。ポリコレや制約を考慮したキャスティングやシーンの変更が行われており、原作へのリスペクトが感じられます。キャラクターの設定やセリフの改変を通じて、現代性や家族についてのメッセージが強調されています。キャラクターや設定が大幅に変更され、新しいキャラクターであるエンジェルやデイビッドの母親が追加されています。また、コブラ・バブルスのキャラクターも改変され、ジャンバ博士がヴィランとして扱われ、物語の根本的なテーマ「オハナは家族」に影響を与えています。新たな追加シーンにより、スティッチとリロの「オハナ」の重要性がより深く掘り下げられています。特に、海洋生物学を学ぶナニの設定や、家族を守るための選択が描かれ、背後にある社会問題や福祉制度についても言及されています。さらに、現実的な問題や視点が描かれ、ヤングケアラーの観点から地域社会や福祉の重要性が強調されています。リモート通話技術が取り入れられ、現代的な繋がり方が示されています。

ラジオの紹介と再生数の話
とるにたらんラジオあそびへようこそ。この番組は、私、縹はなが、映画やドラマ、推しの話など、大したことないけどなぜか覚えている、そんな感情についてゆるく語っていくラジオです。
今回は、ep.101をお送りしていくわけなんですが、前回ep.100聞いてくださった方、本当にありがとうございました。
まあね、告報について話したからっていうのもあると思うんだけど、ちょっと前回の再生数が半端じゃなくてですね、とるたラジオ比でいくと本当に、配信開始から1週間とかで、いつもの倍以上回ってるみたいな感じだったんですが。
告報について聞いてくださって、初めてとるたラジオを触れてくださったというリスナーさんも多くいらっしゃるみたいで、そこからフォローしてくださった方もいるみたいでね、本当にありがとうございます。
でね、何が怖いって、ep.74なんですよ。びっくりしたんだけど。
これは、私が前回ep.100を配信する前の時点でもう分かってたことなんですけど、ダントツ今までのとるたラジオでの配信したエピソードの中で一番聞かれてるんですよね。
というのも、今までとるたラジオの中で実は一番トップ10エピソードっていうのが見れるんですけど、私が管理画面の中でね。
今まで一番聞かれてたのが、ep.85なんですね。映画カラオケ以降の話をした回で、カラオケ以降もね、じわじわ伸び続けてずっとトップを突き進んでいた回なんですが、
これをね、軽く倍にしてきたわけで。その前の時点で、これがね、国語がどれくらいの場所にいたのかちょっとわかんないんだけど、たぶんね、トップ10に入ってなかったんですよ。
なので、突然ボンと出てきて、ガンって抜いて、トップにね、2位に倍の差をつけて踊り出たっていう感じの化け物エピソードになってしまったんですが、私のそんな話で良かったのかなとかも思いつつ。
でも、前回の映画国語エピソード100の回も、じわじわと伸び続けているのでね、これは国語フィーバーをめちゃめちゃ私は肌で感じているわけなんですが。
ちなみになんですけど、現在ですね、とるたラジオの中で、トップ5、今まで聞かれているものをお伝えしておくと、これね、だいぶ前に、今聞かれているトップ10みたいな話を、
去年、去年じゃない、おっとっとしかな、だいぶ前なんだけど、したことがあって、その時はね、大河ドラマ鎌倉殿の13人の話をした回はめっちゃ聞かれてるんだよねっていう話をしたんですけど、それもまだいまだにトップ10に入ってるんですが。
今トップ5なのが、1位が断トツ国宝の原作版の話ですね、エピソード74が断トツ1位で、2位がエピソード85の映画カラオケ以降、そして3位がエピソード67日曜劇場美版なんですけど、美版もね、続編制作が発表されましたね。
美版回、結構あるんだけど、これ67は多分美版について、一番最初かな、語った回だと思います。美版回、とるたラジオの中に3回ぐらいあって、その中の1つですね、が3位です。で、その次がエピソード92、割と最近ですね、ドラマアンメットの話。で、その次がエピソード90、ドラマアンナチュラルの話をした回ということで、そんな感じのトップ5になっています。
いやでもね、ここでまさか原作国宝の回がこんなズガーンとくると思ってなくて、私管理画面を開いてめっちゃびっくりしてしまいました。そして先週分の回転の仕方とストリーミング再生の量っていうのを見てビビってるんですけど。
でね、ツイッターでも全然フォローも何もしてない方からお勧めをしてもらったりとかしてね、すごい嬉しい会話をさせてもらったりとかもしてめっちゃ嬉しかったので、国宝ほんとすごいなと思っています。国宝がいろんな出会いになってくれればいいなと思いながら、まだね劇場でそろそろ終わるのかなと思いながらというのもね、鬼滅が始まったんでね、鬼滅がスクリーンを圧迫してますね、今ね。
私もめっちゃ見たいんだけど、鬼滅が始まったことによって終わった映画が結構あるので、私まだあれが見れてないんですよ、バンバンバンバンバンパイアが結局見れてなくて、終わっちゃいそうなんだよね。もう私がいつも行く劇場が1日1回になっちゃって、見れるかな、どっかで見たいなって思ってるんだけど、みたいな感じで、鬼滅より鬼滅以前に公開された映画っていうのはかなり圧迫されてるのでね、見たい作品がある方はお花やめに。
劇場に足を運ばれることをお勧めしておきます。国放もだいぶ、上映回数が減ってきてるみたいなので、全国いろんなところで、本当ね、見たいときに見とかないと絶対もう本当に劇場で見てほしい作品になってるので、ぜひね、まだ見てないという方は劇場に足を運んで、映画国放を見ていただければなと思います。
実写版リロ&スティッチの概要
で、今回も映画の話をするんですけど、本当であれば国放よりこっちの話を先にしておくべきだったので、公開日からすると今日お話しする実写版のリロ&スティッチの方が先だったので、正直もう公開が終わってる映画館も結構あると思うんですよね。私がいつも行くとこも1箇所はもう公開してなくて、終わっちゃってて、ちょっと見れないんだけど。
私、スティッチはね、原作すごい好きなのもあって、ちょっとね、話したかったので今日話しておきたいと思います。
というわけで、今日もとるたラジオスタートです。今日もぜひ最後までよろしくお願いします。
では改めて、今日お話しする映画は2025年公開の映画リロ&スティッチです。つまり実写版リロ&スティッチの話を今日はしたいと思います。
原作にあたるのが2002年公開、全米公開が2002年、日本では2003年の春に公開されたアニメ版のリロ&スティッチです。
ちょっと前に私がディズニーランドに行った話をしてる回があるんですが、その時にちょっとだけスティッチの話触れているんですけれども、言わずと知れたディズニー作品ですね。
日本で2003年の春に公開されてるんですが、私その当時高校生でして、なので私にとってリロ&スティッチっていうのが、だいぶ感性が大人に近くなってから見た作品なんですよね。
もう20数年前の作品ではあるんですけど。なので子供の時にスティッチに触れて、スティッチって結構シリーズがあるんですけど、映画としてはリロ&スティッチのみなんですが、
その後ですね、OVAっていう形でリロ&スティッチ2、スティッチThe Movie、リロイ&スティッチっていう3作品が映画作品として作られているのと、
あとアニメシリーズでそれぞれ60話ぐらいずつあるリロ&スティッチTheシリーズっていうのと、スティッチビックリって書いてスティッチっていうシリーズがあって、
その2つを合わせるとめちゃめちゃ長い、結構歴史のある作品なので、子供の頃にテレ時計とかで見てたんだよなスティッチみたいな若い子たちの感想とかを見てると、
私が持ってる感想とはもしかしたら違うのかもしれないなみたいなことを思ったりはするんですが、私自身は公開当時に映画館に足を運んでみた思い出があるっていうのと、
あとはですね、うちの子供たちも結構スティッチ大好きで、なので私大人になってから全部見たんだよね、リロ&スティッチ2以降と、
あとアニメシリーズのリロ&スティッチTheシリーズとスティッチは全部見たのは大人になってからというか子供を持ってからでした、子供をきっかけで見たっていう感じの作品ですね、
日本人的にはアニメシリーズのスティッチの方、リロ&スティッチTheシリーズじゃなくてスティッチの方ね、こっちは沖縄県が舞台になっているというところもあって、
見るとこんなところにいたの、スティッチ沖縄にいたみたいな感情になるところもあると思うので、見たことない人はスティッチ見るのもいいかなと思います、
そういう長いシリーズの一番入り口になっている映画が今回は下敷きになっているというか、結構原作に忠実に作られている部分が多かったなという作品なので、
とりあえず原作版のアニメリロ&スティッチと実写版リロ&スティッチに共通するあらすじっていうところをちょっと軽くお話をしておこうかなと思います、
違法な遺伝子操作で凶暴な生物兵器試作品626号というものが生み出されました、この生みの親である悪の天才科学者ジャンバ博士が銀河連邦に逮捕されます、
そして626号は宇宙追放の処分を、宇宙追放というか宇宙追放の処分を待つ身でしたが、この626号、コンピューター並みの知能と破壊衝動というものを持っていて、自分の能力を駆使して脱走します、
銀河連邦議長はジャンバ博士を釈放するとともに、その監視役で地球の第一人者であるプリークリー庁報員とともに、626号が漂着した地球のハワイカウアイ島に向かわせることにしました、
一方カウアイ島では事故で両親を亡くした少女リロが姉のナニと2人で暮らしていました、リロとナニの2人での暮らしは家庭崩壊寸前、福祉局からはリロを施設に入れることを勧められるレベルです、
わんぱくで変わり者のリロには友達がおらず、犬をもらおうと足を運んだ保健所でリロがもらったのは犬ではなく車とぶつかった後保護されていた626号でした、
みんなの反対をよそにリロは626号を引き取り、スティッチと名付けて行動をともにするようになります、
破壊のためだけに生まれたのに大自然に運ばれたカウアイ島にはスティッチが壊すものは何もありません、そしてスティッチは泳げないので海に囲まれたカウアイ島から外に出る手段もありません、
自分の存在意義を失ったスティッチはリロから家族を意味するお花という言葉を教えてもらいます、
そしてリロやナニと過ごす中でお花を知ることでスティッチの内面がどんどん変わっていくというのがリロ&スティッチの見どころですね、
キャラクターと設定の考察
そしてリロとナニも引き離されることが決まってしまいお花の危機が訪れます、
そしてスティッチにも銀河連邦からの追手の手が伸びてきてというのがある程度のリロ&スティッチの背景情報とあらすじになるんですが、
ここまで喋ったところでリロ&スティッチ序盤の部分喋った感じにはなりますね、
アニメ見たことある人も結構多いのではないかなと思うので、その辺まではネタバレではないなと思いつつこのあらすじご紹介をしたんですが、
本当にあの説明だけでめちゃ長になってしまったんですけど、
本当に私にとってはスティッチ本当に大好きな作品で、子どもたちと見たりそれとか高校時代の思い出とかも考えると、
今回の実写版良かったなって思うところ結構あって、何が良かったかっていうと、ざっくり大枠で言えば原作に忠実ではあるっていうのは大きかったなっていうふうには思います。
後の方でちょっとお話をするんですが、個人的にはちょっと残念な設定変更みたいな部分があったりとか、
でも設定変更によって実写映えするなって思うようなシーンもあったりとかして、
今の期間はあるかなっていう感じはしましたね、全体的には。原作に忠実ではない部分も含めて良かったのではないかなと思います。
でもアニメとは別物?
イフなのかなっていうね、そういう感じで見ればみんな傷つかないのかなみたいな、そういうところはありましたね。
あとはディズニーの実写化の映画って言えば、白雪姫トラウマになってる人結構いるんじゃないかなって。
私は喋らなかったけど、白雪姫は見たんですが映画館で。
白雪姫ねーってなっちゃったんですよ。
これはディズニーが過度なポリコレに寄ってしまったっていうのが、良くなかったって思ってる人は多いと思うんですよね。
私も実際そう思っている一人なんですが、今回ですね、リロ&スティッチにおいては過度なポリコレがなかったのは良かったところかなぁとは思います。
リロも何も演じたのがハワイの子だったりするっていうのも結構いいところなのかなって思いますね。
まあ何せリロを演じたマイヤケアロハちゃんと、あと何を演じたシドニーアグドンちゃんめっちゃ可愛いんですよ。
この2人が演じるだけで正義って私は思ったんだけど。
でも何を演じたシドニーアグドンちゃんの方ですね、彼女ホワイトウォッシングって言ってバッシングされたっていう経緯はあったりはします。
キャストが公開された時に。
マイヤケアロハちゃんは純粋なハワイの子だったはずなんですけど、シドニーアグドンちゃんの方が一応カウアイ島出身ではあるんですが、
白人とも根欠なんですよね。
ハワイの血も入ってるけど、白人の血も入ってるっていうことで、実際のリロ&スティッチのアニメ版の何よりもシドニーアグドンちゃんの方が肌が白いっていうね。
なんかそれでちょっとホワイトウォッシングだって言ってバッシングされたっていう経緯があるんですが、
それでも言われるんだなっていうふうに思っちゃうのは私が日本人だからなのかもしれませんが。
あとデイビッドですね。
アニメ版では何のボーイフレンドっていうふうに描写をされているデイビッドなんですが、
実写版は彼氏って感じじゃなかったもんな。
友達って感じでしたけど、
そのデイビッドを演じたカイポキュドイドっていう子がいるんですが、
彼がめっちゃイケメンだなって思って。
実はデイビッド役はキャスト変更があって、
キャスティングと制約
これもホワイトウォッシングのバッシングがあったりとか、
それとか前に、カイポキュドイドの前にキャスティングされていた人物がちょっと差別的発言をしてしまったがために、
キャスト変更が起きたっていうようなちょっと経緯があったりもするんですが。
ちょっとそういうバッシングが起きたりとかしたっていう経緯もありつつも、
やっぱりハワイの子が演じたとかそういうところもあって、
過度にポリコレが起きなくてそこは良かったのかなっていうふうに思います。
ただ現代の作品なので、
現代の実写画作品なので、
いろいろ制限があったのかなっていう部分もありまして、
例えばリロとか何がね、
海に行くシーンで水着を着てるっていうシーンは結構あったんですけど原作の方で、
これがね水着が基本的にはウエットスーツに全て変更されていたとか、
それとか私何の格好がすごい好きなんですよって、
これはなんか平成レトロ的な部分もあって、
今もちょっと流行ってるさ、
へそ出しルックみたいな、若い子たちもしてるけど、
そういうところにもこう、
通ずるものはあるんじゃないかなって思うんだけど、
何結構おへそを出してる服装が多かったりするんだけど原作の方ではね、
今回実写版の方ではほぼなしでした。
ゼロではないですがほぼなしでした。
そういうところはやっぱりこうね、
いろんな問題があって制限がされたのかなというふうに思います。
設定の変更と原作リスペクト
で、あとちょっと設定変更の部分にはなるんですが、
ジャンバとプリクリですね、地球に潜入した時に、
アニメ版はジャンバとプリクリがエイリアンのビジュアルのまんま服装だけを人間にして、
地球人にすることによってなんか変装してるみたいな設定だったんですけど、
実写版の方は人間に変身するっていう形を取っているんですね。
これは人間に変身することによって実写映えするなっていう感じはあったし、
地球に潜入してる感っていうのが、
エイリアンが地球に潜入している感みたいなやつがさ、
人間の体になれない感じを描写されたりとか、
そういうところを見ると、
実写化することによって実写映えするように作られた、
いい改編だったんじゃないかなっていうふうには思いました。
ただね、プリクリがアニメ版では変装する時に助走するんですよ。
基本的には助走しかしないんですけど、
実写版のプリクリはただ普通に人間の男性に変わったっていうだけで、
助走するシーンっていうのはなかったので、
こういうのもいろいろいろんな制限を考えた結果なのかな、
LGBTQ的な問題とかそういうところも考えてやらなかったのかな、
助走っていうのがあんまり良くないのかな、
みたいなことはちょっと考えたりもしました。
ただプリクリの助走っていうのは、
リロ&スティッチの原作のシリーズ中では、
結構重要な要素というか、
お遊び要素みたいな感じになっていて、
リロとかナニが自分の家に遊びに来た他の人間たちに、
プリクリのことを説明するときに、
この人はプリクリおばさんって言うんですよ。
プリクリってもう女性の設定なんですよね。
ただプリクリ庁報員として、
連邦議会にいたときには、
プリクリって格好も男性だし、
一人称も僕だったりとかするし、
確実に男性って言っていいの?
オス?よくわかんないけど、
エイリアンの性別の種別がよくわかんないけど、
男性として描かれているにもかかわらず、
人間の格好をしたときは、
女性の扱いを受けてるんですよね。
なので、これって結構重要なファクターだったんじゃないかなとは思うんですよ。
でも、これ多分一つの原作リスペクトではないのかなって思ったのが、
映画版のリロ&スティッチにおいて、
実写版のリロ&スティッチにおいて、
プリクリが人間になった後、人間の変装をした後、
結構動きがフェミニンというか、
やってることがフェミニンだったりとか、
お風呂に入ってるシーンとかもあったりするんですけど、
シャワーキャップ被ってたりとかね、
ちょっと可愛らしい感じのシーンもあったりとかして、
そこはある意味、原作リスペクトなのかなっていう感じは受けました。
で、もう一つ制限なのかなって思ったのが、
私はアニメ版の方のリロ&スティッチでは、
割と好きなシーンというか、好きなセリフだった、
ラストのスティッチのセリフがあるんですけど、
リロと何の家族のことを指して、
スティッチが自分のことも含めた家族のことを指して、
家庭崩壊っていうふうに、
家族のことを指し示すセリフがあるんですけど、
この家庭崩壊っていうセリフが、
完璧じゃないっていうふうに言い換えがされていたんですね。
家庭崩壊がよろしくないと思われたのか、
そこは吹き替えとして、
家庭崩壊残しといてほしかったなっていう感じはしました。
これももしかしたら何かの制約のせいで、
変わってしまったのではないかなという邪推ですけどね。
そういうところはちょっと思いました。
ちょっと制限があったのかなとか、
変わったなっていうところの話を今のところしてきたんですけど、
やっぱり全体的に原作リスペクトがあったなっていうのは、
本当に良かったところだと思ってるんですよね。
ストーリーのキーモーメント
ザクザクといくつか良かったなと思ったシーンを、
お話をしていきたいんですが、
まずは冒頭の連邦協議会のシーンというところなんですけど、
ここは実写ではないよね。
ある意味で。
エイリアンの実写って何なんだって話になるじゃないですか。
この辺は実写というよりは、
アニメのCG化みたいな感じに取った方が正しいのかなって思ったんだけど、
でも、あの連邦議会のスケール感っていうのを、
2025年現代に出せる雰囲気にブラッシュアップしたっていうのが最高だなっていう。
20年の時を経てブラッシュアップして、
ああいう感じに作ることができるんだよっていうのを見せることができたのが最高だったなっていうふうに思います。
この子、原作にいないんですけど、
すぐ地球を吹っ飛ばしたがるね、
ウーパールーパーみたいな感じの連邦議会で勤めてる子がいるんですよ。
あの子可愛いなって。
あの子のビジュアルめっちゃ可愛いなって思いました。
あの子、似たような形のエイリアンは、
アニメ映画版にも出てくるんだけど、
地球を吹っ飛ばしたがるセリフっていうのがなかったので、
追加シーンとして面白いなっていうふうには思いました。
でも、やっぱり原作リスペクトがあるからこそ、
違和感はなかったですね、その子がいることによって。
そして、その後、その直後に出てくるスティッチ。
そのシーンではまだ626って呼ばれているスティッチが、
連邦議会から逃亡するシーン。
あそこも良かったですね。
あそこはもうあって良かったというか、
あそこはもうなきゃいけないんですけど。
私も今回、あらすじの最初ら辺でちょっとお話をしてますけど、
逃げ出したっていうところですね。
逃走したシーンのところなんですが、
あれって原作版でも遺伝子を追いかけるレーザー銃っていうのが存在して、
その遺伝子を追いかけるレーザー銃が、
スティッチの626の遺伝子を追いかけるような仕組みになっているっていうのを、
626自身がちゃんと理解をしているからこそ、
自分がよだれを垂らして、626がよだれを垂らして、
その垂らしたよだれにレーザー銃が向くっていうことを確認して、
銃口の向きだったりとか、発射させることっていうのを操作をした上で、
誤作動させてドアをぶっ壊して逃げるっていうね。
これも完全に626がどれだけ賢いかっていうのを示しているシーンだと思うのでね。
これはもうなくてはならないシーンだったと思うんですが、
今回も実写版にしっかり生きていたと。
しかもアクションシーンとしてものすごく秀逸なので、
あのシーンがあれはしっかりあってよかったなっていうふうに思いました。
それ以外にも、原作にあって今回もシーンは微妙に変わってるんだけど、
生きてるセリフだったりとか、それとか同じような形で出てきたシーンだったりとかっていうのがちょこちょこあって、
例えばリロが一人で死なせてっていうセリフを言うシーンがあるんですけど、
これセリフだけ聞いたら何なんだって感じなんだけど、
一人で死なせてはこれはもしかしたら制限的に出てこないんじゃないかなとか思ったんだけど、
ちゃんとこのセリフ生きてましたね。
それとか、私ここのシーンすごい好きなんですけど、
ナニとリロが喧嘩をして、リロに対してナニが部屋に行きなさいって言って、
リロがもう部屋に入ってるって言ってバタンって部屋の扉を閉めるっていうシーンがあってね。
その後、ナニは部屋の外でリロは自分の部屋の中に別れるんだけど、
二人ともクッションに顔をうずめてギャーっていうシーンがあるんですよ。
ストレスを発散するためにね、同じことをしてるっていうシーンがあるんだけど、
これ完璧に再現されてましたね。
カメラワークとか違ったりとかするんだけど、やってることは全く一緒っていう。
その前のシーンが若干変更があるシーンなんですよね。
結構いろいろこの辺、前は変わったよね。
福祉局の人が女性になってたりとか、福祉局から小倉さんが来たことになってないみたいな感じで、
ちょっと原作アニメを見てた勢としては、あれなんか話ちょっと違うなみたいな、
登場人物変わっちゃってるなみたいな違和感を感じた後に、原作と同じシーンを入れ込んできたので、
ここはすごい安心したシーンではありました。
あともう本当に何でもないシーンというか、ちょっとおふざけシーンだったりはするんだけど、
スティッチが爪でレコードを触ってお口をガバッと開くと、口がスピーカーになるっていう。
蓄音器みたいになることができるっていうね、スティッチが。そういうシーンがあったりとか。
あとリロのことをいじめてるいじめっ子たちから車を奪って、リロとスティッチがタンデムして暴走するっていうシーンが、
自社映画版にはあるんですが、アニメ映画版の方はいじめっ子から奪ったサンリー車だったんですけど、
やってることはほとんど一緒でしたね。やってることはほとんど一緒っていうシーンが残っていたっていうのも良かったし、
あとは何がちゃんと原作と同じようにサーフィンができるっていうのは、これはもう本当にこれなかったら悲しかったなって思うんだけど、
でもちゃんと何役のシノニー・アグドンちゃんがサーフィンが得意っていうね、ちゃんとご本人の特性もちゃんと生かして、
何というキャラクターの特性も生かして作られたシーンだったり、何のサーフィンシーンがあったのも良かったですよね。
そんな感じでちょこちょこお遊びシーンがあったり、そのお遊びシーンが原作からちゃんと輸入されているっていうのもしっかり良かったなっていうふうには感じました。
ここは原作リスペクトというよりかは、アニメ映画版のリロ&スティッチを見ていたというよりは、その後のスティッチシリーズをずっと追い続けて好きだったっていうようなファンタジーに向けてのファン差なんじゃないかなっていうシーンがほんの一瞬だけ存在して、
というのは、ジャンバ博士が6265、つまりスティッチの生体データを確認するためにデータをピピピピって見ているシーンがあるんですけど、そこで626を呼び出すときに、その前の625だったりとか、その後ろの627だったりとかが出てくる。
シルエットだけチラッと出てくるというシーンがあるんですが、この625だったりとか、627だったりとか、628だったりとか、結構後ろの方とか前の方とかも存在するんですよ、実はスティッチの兄弟みたいな。
兄弟じゃないんだけどさ、遺伝子操作でできたエイリアンだから兄弟ではないんだけど、ジャンバ博士が作ったエイリアンたちっていうのが実験体たちっていうのがスティッチシリーズの中では実は存在をしていて、この中で多分最も有名なのが627号なんですよ。
エンジェルとキャラクター設定の変更
スティッチシリーズをちゃんと見たことがないっていう人も、スティッチのグッズの中にピンク色のスティッチみたいなやつが、女の子のスティッチみたいなやつがいるのを見たことがある人も結構いると思うんですけど、あれエンジェルっていうキャラクターで、スティッチシリーズの中で別でまた出てくる、後々出てくるキャラクターなんですよね。
エンジェルのシルエットが、エンジェルは627号なんですけど、627号がピッて出てきた時にエンジェルのシルエットがチラッと出てくるんですよ。あれエンジェルじゃんっていう風に見てるスティッチファン、スティッチシリーズファンは気づくだろうなっていう。
実際私も見てて気づいたし、うちの子供たちも全員気づいてました。エンジェルいたねって言って後で言ってたので、気づく人はしっかり気づいたシーンにここはなってるんではないかなと。ここは完全にファン差ですねっていうふうには感じました。
そんな感じでエンジェルとかは、例えばアニメ映画版のリロ&スティッチには影も形も存在しないわけなんですが、この辺は原作リスペクトとして挙げたわけなんですけど、そんな感じで原作アニメとアニメ映画版のリロ&スティッチと今回の実写映画版のリロ&スティッチ、もちろん違うところもたくさん存在します。
この中で重要そうなところというか、私にとっては結構重大な違いだったなっていうところを5個ぐらいチラチラと挙げていきたいなと思います。
まず一番大きかったのは、これはリロとナニの生活において一番大きかったところだと思うんだけど、リロとナニが生活している家、お隣さんがデイビッドの家だったっていうのがかなり大きな改変だったと思うんですよね。
しかもその家ちゃんとお母さんも存在する。なので原作アニメにはいなかったデイビッドのおかんがいるんですよ。
私がここでおかんと言ったのは、おかんっていうビジュアルだったからなんですけどね。ビジュアルもだし、キャラクター造形もお母さんとかママとかいうよりはおかんって感じだったんですけど。
でもこのデイビッドのお母さんっていうのはすごく実写映画版では救いになるキャラクターだったというのもあるので、私は無駄なキャラクターにはならなかったと思ってます。
ただ、ここデイビッドというキャラクターにおいて可哀想だなって思うのが、デイビッドはただの幼なじみとしての造形になってしまって、ナニのボーイフレンドっていうザカラは離れてますね。今回、実写映画版では。
恋人、彼氏ではなくて、お友達というか、幼なじみというか。でもデイビッドはナニのことを多分好きなんだろうなって、片思いっぽいなっていう感じになってる。デイビッドというキャラクターにおいてはちょっと可哀想だなっていう感じがしましたね。
ただ、これ原作アニメ版でもセリフだけ出てくるシーンなんですけど、ナニはデイビッドの髪型とお尻が好きっていうふうに、リロがデイビッドにこっそり教えてあげるシーンがあるんだけど、これは実写映画版にもちらっと存在しましたね。お尻っていう話はもしかしたらなかったかもしれないけど、髪型が好きっていう話はしてましたね。
ただ、言った通り、最終的に伏線としてすごく良かった。伏線としてしっかり生きてきた。というのも、実写映画版リロ&スティッチのオチとしては、お隣さんがいないとオチが作り上げられなかった。造形が不可能な形になっていたので、最終的にはこのデイビッドの家にあって良かったですね。デイビッドとデイビッドのお母さんがいて良かったですね。
ただ、スティッチを保護犬施設に行って、リロが見つけて自分の家に連れて帰るっていうエピソードが、アニメ映画版ではナニが一緒にその施設に行くんだけど、実写映画版ではデイビッドのお母さんと一緒にリロが行ったっていうふうな設定になってるので、スティッチ取得エピソードはナニにとってはもう本当に事故みたいな感じなので。
ナニはOKしてないわけじゃん。だから、ここはちょっともしかしたら微妙なのかな。ナニにとってはね。ナニの視線に立つとちょっと微妙かなって思ったりはするんだけど、それ以外の部分においてはデイビッドの家があったりとかデイビッドのお母さんがいたりとか、その辺の設定周りっていうのはすごく良くなっていたのではないかなと思います。
コブラ・バブルスの立ち位置
もう一つ、私大好きなキャラクターなんだけど、このリロ&スティッチシリーズにおいてはコブラ・バブルスですね。コブラ・バブルスの立ち位置っていうのは今回もう大幅にごろっと変わってるので、私はちょっとバブルスさんについては残念だったかなというふうには思ってます。
というのも、原作ではかつてエイリアンから地球を守った元CIAで現福祉局員っていうふうな設定なんですね。実写映画版ではエイリアンを追いかけている現役のCIAで福祉局には潜入捜査で入っているっていうふうな設定に変わっているんですよ。
なので、原作アニメ版ではリロを助ける人っていうのがバブルスさんの立ち位置なんですよね。なんだけど、実写映画版ではスティッチを追いかける人っていうふうに変更されているっていうのが大きな変更点なんですよ。
あと、エイリアンから地球を守ったっていう原作における過去のエピソードっていうのが、蚊の生息地として地球がいかに重要なところなのか。
蚊っていう生物が宇宙においてどれだけ重要な生物なのかみたいなことをエイリアンに解き伏せたことで地球を守ったっていうエピソードがあるんですよ、バブルスさんに。
これってプリークリー諜報員の伏線だったやつなんですよね。プリークリーが蚊の一大繁殖地で地球の説明をするときに、連邦議会の議長に言うんですけど。そこの伏線なんですよね、バブルスさんの存在って。
そこがちょっとエイリアンを追いかけてる現役CIAっていう実写版の設定でも、できなくはないんだろうけど追い払った?みたいになってきちゃうので、なんかちょっと違うなみたいになっちゃうんですよね。
で、リロを助ける人っていう福祉局の人としての立ち位置っていうのが、新キャラクターであるケコアさんっていう女性の福祉局員のキャラクターが出てきている。そこにリロとナニの精神的なケアだったりとか、それとか実際の福祉回りのケアだったりとか、その辺は全部任せた形になってるので。
コブラバブルスは福祉局員としての仕事は、実写映画版では全くしてないっていう形になってるんですよね。原作版のコブラバブルスの優しさっていうのが私はすごく好きで、だからこそこの話が一見落着した後に、リロとナニのお家にバブルスさんが結構入り浸ってるみたいな描写が、原作版でも実写版でも存在するんですけど。
原作版ではバブルスさんがずっとリロとナニの生活に関わってくれるっていうことへの安心感っていうのは、やっぱり一作目の映画版があったからこそ良かったなって思うんだけど。
今回の実写映画版の2人への関わり合いを考えると、どっちかっていうとリロとナニを助けるっていうよりかは、エイリアンを追いかけるっていうふうにかなり軸足を置いてるキャラクターなので。
どっちかっていうとリロが危なくなってしまった時とかも、リロを助けたいっていうよりかは、それを利用してエイリアンを捕まえたいみたいな感じの方に思考が行ってるキャラクターになってしまってるので。
今回の実写映画版のラストシーンで家にいるんだよね、リロたちの家に。バブルスさんいるんだけど、お前なんでいるん?みたいになってしまうのが。なんでお前いるんよみたいな。エイリアンと競争してるしお前なんなの?みたいになってしまうので。
なんかそれはそれでちょっと残念だなーっていうふうに思っちゃいましたね。この立ち位置変更はちょっと微妙だったなっていうふうに感じました。
ジャンバ博士の改変
でも私このバブルスさんよりもさらに残念だった立ち位置変更っていうのが一番大きいところがありまして。
というのも、まず原作から今回消えてるキャラクターがいます。これが原作のアニメ版リロ&スティッチのヴィランですね。悪者ポジションのキャラクターガントゥー大尉っていうキャラクターがいるんですけど、このガントゥー大尉が存在しないんですよ、今回実写映画版に。
ガントゥー大尉に連邦議会議長があなたを解雇しますっていうセリフがあるんですけど、アニメ版でね。あなたを解雇しますっていうセリフがめっちゃ聞きたかったの。聞けなかったじゃんと思って。残念だったなっていう。
これは私が原作においてすごい好きなシーン、好きなセリフだったので、これ実写で見たかったなっていうのが残念だったのがまず一つ。続編でもガントゥー大尉、実は重要キャラクターなんですよね。
その後に作られたOVAだったりとか、アニメシリーズにおいてもガントゥー大尉は626を捕まえたいっていうキャラクターとして。その後ちょっとリロとココロを通わせたりするシーンがあったりとかもして、結構重要なキャラクターなんですけど、ずっとシリーズ通じてヴィランとして存在するキャラクターなので。
彼がいないということはこの先のこの世界は…っていう感じなんですけど、作る気はないのかな、実写版の続きはっていうような感じはしました。
これ実写版続き作る気がないのかなっていう感じがしたっていうのは、今回ガントゥー大尉の代わりに実写版リロ&スティッチのヴィランになったジャンバ博士っていう存在に対してもすごく思うんですよ。
私ね、原作のジャンバ博士すっごい好きなんです。今回ヴィランになっちゃったことによって、ジャンバ博士がかなりマトサイエンテストみたいな感じになってしまったので、あまり好きポイントが今回実写版のジャンバ博士に対してはないなっていう感じなんだけど。
例えばね、アニメにおいてはスティッチとちょっと気持ちを通わせるみたいなシーンがあって、スティッチにとってはジャンバ博士って自分の想像主であって、本人たちはそう思ってないかもしれないけど、ジャンバ博士ってスティッチのお父さんみたいなもんなんですよね。
なので、アニメ版ではスティッチと無言で分かり合うシーンがあって、そこに結構サラッとしたシーンなんだけど、不正を思えば、ああなるほどって感じられるようなシーンがあったりとかもするんだよね。
で、その後、ジャンバ博士がその後のシリーズにおいて、お花っていう概念を理解をして、スティッチだったりとか、リロとナニだったりとか、プリクリだったりとかと家族になっていくというか、一緒に生活をする。
血が繋がっていなくても、この生活共同体っていうのはお花、家族なんだよっていうのを体現していく共同体の一人として、すごく重要なポジションだと私は思ってたのよ。その後のシリーズに出てくるジャンバの立ち位置、すごい好きだったの。
結局さ、さっきも話したんだけど、プリクリはおばさんなわけじゃん。ジャンバおじさんってよく説明をされてるのね、アニメシリーズの中で。ジャンバおじさんとプリクリおばさんってよく言われるんだけど、そうやって対にされるぐらい、ジャンバはお父さんだしプリクリはお母さんだしみたいな感じの立ち位置になっていくわけなんですよ、後々のシリーズで。
なのに、今回、ヴィランとしてジャンバ博士が扱われてしまったことによって、そして悪が葬り去られてしまったことによって、次回作を作ろうとなると、もうジャンバ博士がヴィランであるしかないみたいな感じになって、結局、原作におけるガントゥー大尉イコールジャンバ博士みたいになってきちゃってるわけですよ。
でも、ガントゥー大尉ってスティッチを作ったわけじゃないし、仕事をしてるだけなんです。結局、連邦議会のお仕事をしてるだけなの。危険分子としての626を消してしまおうと思って動いてるのがガントゥー大尉。
だけど、原作ではガントゥー大尉の行動理念ってそこなのね。でも、原作のガントゥー大尉の行動理念と、今回の実写版のジャンバ博士がスティッチを消そうとする行動理念っていうのはまた違うんだよね。
ジャンバ博士は創造主としての行動理念があるわけで、だからガントゥーイコールジャンバではないんだよね。なんか違うなって思ったんだけど、結局、今回ジャンバ博士をヴィランに置いた制作側の狙いっていうのがあるらしく。
インタビューかなんかで読んだだけなので、無責任なお父さんっていうのをジャンバ博士にコーティングしてるらしいのね。やっぱり創造主イコール父っていうのは元々の原作のジャンバ博士の立ち位置とは変わってないんだけど、無責任なお父さんとしてのジャンバ博士っていうのを描きたかったっていうのが制作側の狙いらしいんですよ。
これさ、私大好きなものを思い浮かべてしまったのは、ティム・バートンなんですよ。ティム・バートンが描く不正に関しては、私の過去の配信の中でチャーリーとチョコレート工場を探していただいて聞いていただければ、このティム・バートンが描く不正っていうことに関してはお話をしているので、ぜひ遡って聞いていただきたいんですが。
実写版の新たな表現
ティム・バートンも父親と子供の画質みたいなのを描くのが好きなんですけど、結局今回の実写版リロ&スティッチのスティッチとジャンバの関係性ってティム・バートンにもしかしたらあるんじゃないかと思ったらちょっと燃えてきたんだけどさ。でもな、私は原作のジャンバが好きなだけにちょっと残念だったなっていう感じはしますね。
あともう一個、これちょっと違うところだけど私は文句があるわけではないというシーンがもう一個ありまして。実写版のラストの感動シーンなんですが、これあんまり深く語ると完全なネタバレになってしまうのであれなんですけど。
フル追加シーンがありましたね。原作には全く存在しないフル追加になったシーンがあって、ここがまあまあ泣けるんですけど。私は原作のサラッとした終わり方も好きだったし、どっちがどうっていう感じはなかったんだけど、割と子供たちは好きだったって言ってましたね、この追加シーンに関しては。
スティッチがリロたちから離れることを選ぶっていうシーンが一つと、それとリロたちがスティッチのために大集結するっていうシーンが一つ。フル追加シーン2シーンあるんですけど、この2シーン、実写らしくてよかったかなというか、原作にはないんだけど、実写ならではのお花の表現なのかなっていう感じはしましたね。
原作アニメ版ではお花というか家族がいない独りぼっちっていうスティッチの心境を語るために、見にくいアヒルの子の絵本のシーンがあるんですよ。リロが見にくいアヒルの子の絵本を持っていて、このストーリーをスティッチに教えてあげるっていうシーンがあってね。
スティッチ独りぼっち、僕独りぼっちっていうシーンがあって、このセリフすごい可愛くて好きなんだけど、独りぼっちっていうのなかったですね。ただ、独りぼっちって語るシーンはなかったんだけど、スティッチがリロとナニの2人の会話を遠くから盗み見て、自分はここにいるとこのお花を壊してしまうかもしれないからって言って、一旦2人から離れることを選ぶっていうシーンがあるんだけど。
そこはそこで良かったですね。見にくいアヒルの子の絵本のシーンが差し込まれてたらもっと感動したのかなとか思ったりもしたんだけど、それは無しにして作るって考えたのが今回の実写の制作陣だったと思うので、深くは言いませんが。
実写ならではのお花の表現として、このフル追加シーン2シーンあったと思えば良かったのかなと思います。
この最後の感動シーンに関わるワンシーンなんですけど、スティッチが泳げないっていうふうにしっかり描かれたシーンっていうのが1個ありましたね。
原作版でもスティッチ泳げないというか、水に弱いっていう設定はあったんですが、水が嫌いなんだよね。水が好きじゃない。海にはできれば入りたくないっていうシーンはアニメ版でも存在するんだけど、今回実写版では実際に海の中に落ちて沈んでいって、ほぼ死にかけてしまうみたいなシーンがありまして、分かりやすくそういうシーンが追加になっていて。
原作アニメ版ではスティッチのことをデイビッドが助けるんですよ。これを実写版では何が助けると。
しかも、何が自分が海のことを学んで、海の中をどうやって動けばいいのか、体の使い方とかを学んだっていうようなことをちゃんと体現してスティッチを助けているんだろうなみたいなシーンが追加で出てきていて。
ここは何のキャラクター造形の強化っていう部分でも、いい造形の追加で良かったのかなっていうのと、スティッチのことを何が助けるっていうのは重要だったと思うので、お花としてすごく重要なシーンだったと思うので、それはそれで良かったのかなというふうに思います。
今回、原作アニメと実写版映画の最大の改変っていうのが何が秀才だっていうことなんですよね。実写版の何ってめちゃめちゃ賢いんですよ。海洋生物学を学ぶっていうシーンが、実写映画版のリロ&スティッチでは何に関して。
すごいもう序盤からめちゃくちゃ出てくるんですけど、序盤で何が持ってるパンフレットを見るとUCSDって書いてあるんですね。大学のパンフレットが。これUCSDってどこかっていうとカリフォルニア大学なんですよ。カリフォルニア大学のサンディエゴ校っていうところでめちゃめちゃ頭いいとこなんですよね。
しかもそこに小学生で行けると。お金は大学側が出してくれるから勉強しに来いと言われているという、そういう説明台詞もあったところからして、何めちゃめちゃ賢いです。
だけどそんな秀才のこれからの進学、これからの人生設計っていうのを捨ててでも妹リロの子育てのためにハワイに残ろうとしてるんですよね。カウアイ島に残ろうとしてるんですよ。
これUCSDがどこにあるのかっていうところも考えたら仕方ないのかなって思うんだけど、UCSDが存在するカリフォルニア大学サンディエゴ校っていうぐらいのサンディエゴっていうところにあるんですね。アメリカ本土のサンディエゴっていうところにある大学なんですが、サンディエゴっていうのがアメリカ本土においてハワイから最も遠い都市なんですよね。
ほんと一番遠いところにあるんですよ、サンディエゴって。なのでリロと一緒に生活を続けるなら、もちろん大学生をしながらサンディエゴにリロを連れて行くっていうのは何にとって不可能な選択だと思うし、かつちょこちょこ帰ってきながらリロの様子を見ようなんてまた難しいんですよ、遠いから。
だから進学は無理。つまり何がリロを育てよう、リロに対して責任を持とうと思うと進学蹴ってしまうのは差もありなんていう感じなんですよね。ここで原作と実写版の最終的な福祉局の選択っていうのが変わってくるんだよね。
福祉局は実写版においても原作版においても最初は施設を進めてるんですよ。リロを施設に入れて何は自分の生活をしなさい、あなたは若いんだからとか、実写版においてはあなたは大学に行くっていう選択があるんだからみたいなことを言うんだけど。
結局原作版においては施設を進めてたんだけど、最終的には何は仕事をしながらリロと一緒に生活をして、施設に入れないでお花取りしてみんなで一緒に生活をしていくっていう着地点になるんだけど。
実写版においては最終的に何は、ここもう大ネタバレですけど、サンリエ語に行きますね、何はね。お勉強しに行くんだけど。実写版においては隣の家、つまりデイビッドのお家の里号にリロをすることによって、いろいろな福祉も受けることができるようになるし、何も進学をすることができるようになるよっていう選択肢を福祉局が与えます。
福祉制度と家族のつながり
これね、隣のお家の里号にするっていうのが何でかっていうと、リロが海で溺れるシーンがあるじゃないですか。リロが海で溺れるシーンってアニメ版にも実写版にも存在するんだけど、実写版だけ病院に連れて行かれてるんですね、リロは。ここもすごい重要なんですよ。
というのも、ここからはかなり、やっぱり実写版においては現実に即したシーンになってしまっているっていうのがポイントで、アメリカには日本みたいな国民解保険制度っていうのがないんですよね。みんな何らかの保険制度に入っているっていうわけではないんですよ。だから保険証を出したら3割負担で病院に行けるみたいな日本の制度っていうのはアメリカには存在しないわけなんですね。
日本みたいな保険会社の保険ではなくて、国民保険とかそういう保険に相当する民間の保険サービスを提供している会社っていうのがアメリカには存在をして、そういう民間の保険に入る必要があるんですね、アメリカで生活をするにおいて。
これって序盤で何に対して福祉局のケコアさんが言ってるんですけど、保険の手続きしなさいよ、みたいな忘れないようにね、みたいなセリフがあるんですけど、これちゃんと入っておかないと病院にかかるときに10割負担になってしまうから、全額払わないといけないから、膨大にお金が必要になるから困るでしょ、ちゃんとしときなさいよっていう。これは完全に伏線だったわけなんですよね。
最終的に病院に利路がかかってしまって、お金がめっちゃかかるどうしようってなってしまうというような伏線になってたんだけど、この民間の保険に入る必要があるみたいなことで、やっぱり国が提供しているサービスではないんだけど、やっぱりみんな病院にかかれないと困るからみたいな感じで、アメリカは政策上いろいろしたことがあるんですよ。
割と最近というか、最近ではないんだけど、アニメ版リロ&スティッチが公開された後のアメリカの現実の世界線ぐらいの話でいくと、オバマ大統領がやった政策の中で、オバマケアっていうのがあったんですよ。
個人の保険加入を義務付けますっていうような政策があって、保険未加入者に罰金をするっていうね。保険入ってなかったら罰金払ってもらえますよみたいな政策が出て、かなり保険に加入している人っていうのが、保険の加入率っていうのが100%に近いぐらいまで上がったんですね。
なんだけど、2019年に保険未加入者の罰金っていうのが廃止されてるんですよ。ただ、雇用主に医療保険提供っていうのを義務付けるみたいな感じの政策はずっと続いていて。
全米で、アメリカって日本と違って州によって法律が違ったりするので、州によってちゃんと制定してる、制定してないみたいないろんな決まりがあるから、一概には言えないんだけど、今回ハワイにおいてだけの話をすると、
ハワイって全米で唯一、今でも雇用主に医療保険提供を義務付けているっていう州なんですね。リロ&スティッチの話に戻ると、何はお仕事をなくしてるわけじゃないですか、話の中で。
職を失っているということは、つまり雇用主からの医療保険提供が切れている。つまり、セーフティーネットからこぼれた存在になってるんですよね。だから、州の保護課にどうしてもこの2人を置かないといけないっていうのが福祉局が考えたことなんですよ。
なので、何はお仕事を手に入れることさえできればどうにかなるんだけど、でも何もまだ学生じゃない?まだ子供のみじゃないですか。だって原作においてもそうだけど、何ってまだ未成年のはずなんですよ。
でも未成年っていうのは日本においての未成年なので、アメリカの例えばハワイ州においてはどうなってるのかっていうのはちょっと私はそこまで把握をしてないのであれなんだけど。ここで重要なのはリロなんですね。リロはもうどう考えても子供なので。
リロをハワイ州の保護課に置かなければならないっていうのがその実写版での病院にリロが収容されてしまったシーンにおいて重要な部分なんですよね。ここでリロを州の保護課に置くことによってハワイ州が保険の制度を使うことができるようになるっていうような状況に置くっていうのが福祉局がやりたいことなんですよ。
なので多分里親制度を使うことでリロはハワイ州の保護課に置くことができたんですねここで。なのでリロの医療費はハワイ州の負担になるっていうのが、音声がないシーンなんだけどケコアさんと何が病院で喋ってるシーンがあって。ここで多分そういうことを提案していたのではないかなっていうふうな想像ができました。
お隣に里親になってもらう。つまりデイビッドの家にリロの里親になってもらうっていうのもリロのメンタルケアっていう部分も大きいとは思うんですよ。だってほら生まれ育った家のお隣だからすぐ家に帰ることができるしね自分のね。
そういう部分でのリロへのメンタルケアだけではなくて、結局ハワイに何がサンディエゴから帰ってきた時に帰る家の隣に絶対リロがいるっていうふうな安心感がある。それとか元々幼い時から知っているデイビッドのお家にリロがお世話になっているっていうことを考えると何も安心するよね。
そういうところを考えると何のメンタルケアにおいてもここが一番の落としどころだったんじゃないかっていうふうに福祉局は考えたんじゃないかなっていうのが想像ですね。リロとナニが一番重要視していたっていうのが離れ離れになりたくないっていうことだったんですよ。
お花として離れたくないっていうことを考えた時、やっぱり一番近いというか、メンタル的にも距離的にも近いっていうのがお隣さんデイビッドの家だったっていうところをね、これ考えれば上手いところ福祉局は落とし込んだなっていう感じはします。
これはデイビッドのお母さんがすごいいい人だったっていうところもあるし、福祉局のケコアさんがかなり死後敵だったっていうところも考えられますね。それはすごい良かったのかなとは思います。
アニメだとお花っていうのが各家族っていう感じなんですよ。各家族っていう考え方が正しいのかどうかはわかんないけど、お花っていうのはあくまでも個人的な家族のつながりであって、地域だったりとか福祉の力っていうのは全くないんですよね。
だから福祉局の人間として、例えばバブルスさんとかも来たりするんだけど、でも福祉の力ってその後のリロとナニの生活においては全然働いていないし、なおかつお隣さんも存在しないのでアニメ版においては。なので地域の力みたいな、地域の助けみたいなのも存在しないんですよね。
地域社会の冷たさ
逆に言うと、ナニがお仕事を探している時の地域の雰囲気を考えるとすごく冷たいですよね。それとかリロが通っているフラダンスの教室、先生はわりと親身なのかなって思うんだけど、でも何かしてくれるわけではないし、なおかつお友達もすごい冷たいよね。
これは実写版においてもすごい冷たいんだけど、親なしになっちゃった子だからいじめてもいいやみたいな雰囲気がすごくあって、そこは地域って冷たいなっていうような雰囲気を受けたりもするんだけど、実写版だとナニを秀才にするっていうことにおいて、まずナニの将来だったりとか、ナニのその先の幸せっていうことにも焦点を当ててるんですよね。
だから、ナニのことをヤングケアラーにすることによってリロを幸せにして、ナニはそれでいいのかみたいな、ナニの生活、ナニのこの後の人生っていうのはこれでいいのかっていう、ちょっと考えてしまうようなアニメの大断言みたいな、アニメ世界だから皆さん幸せになりました、めでたしめでたしみたいな感じではなくて、現実に即した幸せに焦点を当てることで誰も置き去りにしない。
ナニのことも絶対に置き去りにしない。ナニにも幸せになってもらいたいっていうような視点があったのはすごくよかったなというか、地域社会による支えだったりとか福祉による支えだったりとか、そういうことをしっかり描くことによって貧困をそのままにしない、ヤングケアラーをそのままにしない、子どもだけの家庭をそのままにしないっていうような説得力がある。
保険加入の義務付けだったりとか、民間の保険制度だったりとか、そういうところを案に描くことによって、ハワイのアメリカの制度というのをある程度現実にリアルに即した形で描くことによって説得力も生んでいたっていうところは、この秀才ナニっていうものを使った最大の改変が良かった部分ではないのかなと思いました。
この後、ナニがエンディングのところでサンディエゴの方に進学のためにお引越しをして、リロとナニの別々の生活が始まるんだけど、離れて生活してるんだけど、タブレット越しに会話をしてるんだよね。
つまり2002年、リロ&スティッチのアニメ版が作られた時にはなかったリモート通話っていうものを使ってるんですよ。これがあることによって、二人は距離はものすごく離れてるけど、すぐに顔を見て話すことができるっていう、2025年ならではのお花のつながりっていうのも描くことができたっていうのは、大きな進歩ですよね。
これはやっぱり20年前にはなかったものを描くことによって、今だからこうやって幸せになることもできるよっていうね。そこにリモート通話にプラスファンタジーを加えていいエンディングにしてたっていうのも、またこの実写版リロ&スティッチの最後終わり方の良かったポイントでもあるので、ここは実際に見ていただきたいなと思います。
で、長くなったんですが、本編1時間ぐらい喋っちゃったな。ここまで喋ってきてなんなんですが、オープニングで一巻あったって言ってたんだけど、私が喋ってる間にアップロードを逃してしまいまして、喋り始めたのこれ実は8月前なんですよ。
今回アップするのがもうお盆明けなんですけど、そうこうしてる間に私の身近な映画館でもリロ&スティッチ公開が終わってしまいました。なのでなかなか見ることができなくなってしまっているっていうのが現状なんですが、多分早いうちにディズニープラスあたりで配信が始まるのではないか。そして早いうちにDVD化されるのではないかというのを見越して話としては残しておきたいと思います。
私にとってリロ&スティッチ本当に冒頭から言ってますが大好きなストーリーなのと、最後にお話をした秀才何に対して思うことだったりとか、ヤングケアラーだったりとか、お花だったり地域や福祉の力の話だったりっていうことをね。
原作アニメ版を一番最初に見た高校生の時には全然考えたことがなかったことだったんですよ。何って偉いなーみたいな。私結局最初にアニメを見た時って一番何が年齢が近い年だったので、自分とあんまり変わらないような年でそんなちっちゃい妹のことを見てあげて、なんかすごいなーお姉ちゃんとしてって思ったりもしたんだけど。
いざ今ね、子供を持つ母親になって何のことを見るとかわいそうでしかないんだよね。この子の人生あるやんって思ってしまうので。なので最後何のことを見て、実写版で何がちゃんと進学してるところを見たりとかして。
ああよかったねっていう。もう私何の親の目線になってるわけですよ。何でかっていうともううちの長男が何ぐらいの年になってるからねって考えたらさ、20年ってすごい年付きは下手なっていうのも感じましたね。ということでそういうどうでもいい話をしたところで、今回リロ&スティッチのお話を終わりにしたいと思います。
やっぱりさ、その前回の国語の話の時もそうなんだけど、原作を知っていてで新たに作られたコンテンツとして新しく形を成したコンテンツとしての映画版だったりとか実写版だったりとかっていうのを見ると新たな視点ができて面白いと思うので。
なので原作あり作品、先に原作を触れても後から原作を触れてもいいと思います。どっちを後に見ようが先に見ようがいろんな発見があると思うので、エンタメに触れるときご参考にされるといいのではないかなと思いました。
これは何か前回の国語と今回のリロ&スティッチつながるものではないかなというふうに思います。私結構いろんなコンテンツが好きなので原作に触れてとかそれとか後から原作に触れてとかいう感じで同じ作品を2回見てること結構あるので、こういう感じの話もこれからもどんどんしていけたらいいなと思いつつ今日はメインコーナー閉めていきたいと思います。
というわけで今回は実写版リロ&スティッチのお話ししていきました。
エンディングです。
というわけでね、激長本編になってしまったのでもうエンディングはサクッと終わりたいんですが、さっき本編の最後ら辺でお話をした通り、この本編ですね、実は7月の半ばぐらいに撮り始めて1ヶ月ぐらい経ってようやく出せるという感じなので。
夏休みに入ってからマジ忙しくてねっていうの言い訳なんですけど、前回の配信の時にちょっとお話をしたんですが、私先月人雨人煙をやっておりまして本当に死の思いをしたんですが、めっちゃ痛かったのね。
めっちゃ痛くてもうしんどくって熱も下がんないしっていうような生活をしていたらすぐ夏休みに入ってしまい、うち小学生が2人と大学生が1人いるんですけど、小学生組が夏休みに入ったと思ったら大学生がテストに入ってしまってね。
テスト期間中に入っちゃって、そういうのでもあれこれ忙しかったりとかしつつのお盆に入っちゃって。お盆になると今度はさ、なんか今年のお盆長かったじゃん。長かったじゃんっていうか、私お盆全然休みじゃなくって、いつもの定休通りのカレンダーで生活をしてたんだけど。
子どもたちはさ、8月の9日から17日まで休みだったのね。小学生組も学童保育も全部休みになっちゃったので、かれこれ1週間以上お休みだったっていうのもあってさ、子どもたち家にいるじゃん、収録できないじゃんみたいな。
なってしまって、まだ夏休みあるあるだったりはするわけなんですけど。8月9日といえばさ、長崎はね、原爆の日で毎年登校日に指定をされてまして、私も子どもの時は8月9日は毎年学校に行っていて、今でも8月9日って長崎県はね、登校日になってます。
広島県はね、8月6日が登校日になっているという話を広島出身の友達から聞いたことがあるんですが、あとなんか8月15日を登校日に制定していたところもあるそうなんですが、割とあれですね、お盆休みなのでしないっていう自治体も多いみたいなので、そこはあんまり一般的ではないみたいなんでね。
8月9日は広島長崎では一般的なというか、みんな普通に登校日だよねっていうふうに感じている日で、なおかつ今年は8月9日土曜日だったんですけど、来年は日曜日にあたるはずなんですけど、普通に登校日ですね。土日関係なく8月9日っていう原爆の10日日っていうのは必ず登校日になるというふうに長崎県では決まっているそうで。
この間学校の先生に聞いたらそうだって言ってました。なのでね、私も多分学生の時土曜日とか日曜日に登校日当たったことあると思うんだけど、記憶になくてさ、なんで記憶にないかって多分8月9日普通に毎年学校に行く日だって自分自身も思っていたから、全然疑問に思ってなかったと思うんだけど。
ただね、今年8月9日大雨のためうちの地区は登校日が取りやめになりました。そんな日あったかって思ったんだけど、私今まで。記憶にないぞと思ったんだけど、なんか過去遡ったらあるみたいですね。
でもここ数年やっぱり大雨の影響だったりとか台風の影響だったりとか、ひどくなると学校結構すぐ休みにしちゃうので、やっぱり子供の安全をっていうところで休みにしちゃうのでなかったりするんだけど、なので8月9日の登校日もなく子供たちは17日までガッツリ休んでたので。
今週頭までガッツリ休んで、休みボケしていろんなとこ散っていきましたけど、習い事も全部休みだったりとかもしたからね。ようやく日常に戻りつつ、あと2週間で小学生組はもう夏休みリズムから二学期リズムに戻していかなきゃいけないので、親としてもしんどいですけど。
うちはもう学童に行ってるんで、毎日お弁当生活なので、お弁当もバリエーションがなくてね、大変だって思いながら作ってます。夏休み、世のお母さんたちは学童保育だったりとか、習い事だったりとかで、お給食ないとお弁当作んなきゃいけないっていうお母さんたちも多いと思うし。
それとか、普通に子供たちが家にいるよってなると、お昼ご飯準備してあげたりとか、3食準備するの大変じゃない?とか思うんだけど。私の番組聴いてるリスナーさんたち、どうも同世代の人多いみたいなので、頑張っていきましょう。頑張りましょう。
それがなくてもさ、今年の夏本当に暑いから、みんなバテないでね、頑張って生きていこうね。私もこの間ちょっと熱中症になりかけたりとかしてしんどかったんだけど、本当に体には気をつけて生きていきましょうね。そんな感じで、もうちょっとだけ夏を乗り越えて頑張っていきましょう。
今回エンディングのあれこれはお話せずに普通に締めたいと思います。こんなグダグダなことをする番組ですが、今回から3桁また1からやっていきます。101回になりましたので。
101回って言うと千葉雄大のラジオプレイですね。私の最推しがやってます。YouTubeと公式ファンクラブでやってるウェブラジオがあるんですが、千葉雄大のラジオプレイ第100回で終了になるそうですね。
私と同じ101回以降の歴史を刻んでいかないということはすごく残念なんですが、現時点で言うとあと2回ありますので、あと2回分の千葉くんを楽しみに。そしてウェブラジオ終わった後に次の展開を考えているみたいなことを千葉くんがどうも言っていたので、その辺はファンとしても楽しみにしつつ。
同じ100回以降の3桁の世界を一緒に刻んでいけないのはすごく残念ですが、勝手にすごく残念だなと思っています。
その辺も推しの活動もこの先も楽しみにしていきたいと思います。千葉くんは配信でアマプラ出てるのがあったりとかもするし、間宮くんはこの先の活動がまだあんまり不透明なので、この先ちょっといろいろ気になるなと思いつつ。
そして私は今年は足を運べない夏フェスなんて言っても、長崎に今回スーパービーバー来ませんので、今年は私スカイジャンボリーの日にちょっと用事があってスカイジャンボリーにも行けないので、今年夏フェス行かないんですけど、残念だったな。ビーバーも見たかったなっていう思いを抱えつつ、今年の夏は私はそろそろ終わりそうです。悲しい。
というわけで、そんな縹はなが今回もお届けしてまいりました。ではまた次回、よかったらお会いしましょう。お耳を貸していただけると嬉しいです。ここまでのお相手は縹はなでした。またお会いしましょう。バイバイ。
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