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#119 これから先の世代も読書をしたほうがいい?
2026-09-25 39:41

#119 これから先の世代も読書をしたほうがいい?

(話者: のぞみ、⁠ゆん、上水優輝⁠)

本は読んだほうがいいと思いますか?


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サマリー

のぞみ、ゆん、上水優輝が「次の世代も読書をしたほうがいいのか」を話し合う。動画やポッドキャスト、オーディオブックが広がった現在、軽い情報収集のための読書は必須ではなく、難しい文章を自分のペースで読み解く体験にこそ本の独自性があるという意見が出る。読書や教養は、過去の人と時空を越えてつながる救いになる一方、社会的な足場がないまま教養だけを得ると周囲から孤立し、生きづらさにつながる可能性も論じられる。YouTubeなどは共感できる人やコミュニティを見つけやすいが、再生数の少ないニッチな本や情報には届きにくいという限界も指摘された。契約書や同意書を理解するには、文章の構造や漢字を読み取る基礎的な読解力が必要で、ChatGPTに説明させる場合にもその力が要るという話になる。結論として、次世代に本一冊の読書を強制する必要はないが、文章を読める力は必要だという方向にまとまる。後半は書く行為にも広がり、手書きには思考をゆっくりにし充足感を得る面がある一方、目的が文章を作ることならキーボードや音声入力でもよいと語られる。将来、読書は万人の必需品ではなく、哲学書や専門書を読む人、趣味として本を楽しむ人のための専門的・趣味的な営みになるかもしれないと展望して終わる。

読書は次世代にも必要か
みなさんこんにちは、のぞみです。 ゆんです。上水優輝です。
討論カフェは、お題についてみんなで語り合う 価値観の交換の場です。
この番組を聞いている間、ほんの少しだけ余白を持って 様々な意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて今回は、次の世代も読書をしたほうがいい? というお題で価値観の交換をしていきたいと思います。
お願いします。
これはね、特に振ってきたやつ。
あ、そうなんだ。めちゃくちゃメッセージ性ありますけどね。 振ってくんだ。
読書してきました?ちゃんと。
大人になってしてきたって感じですかね。 子供の時はしてこなかったかもしれない。
仕事上頑張ったけど、中高生とか青少年の時はほとんどしてないと思う。
一緒ですね。
あ、そうなんだ。
まあでも今もやっぱり苦手ですね、読書。
私も苦手。絵本はめちゃくちゃ読んだよ、小さい時。
絵本、読書って言うんですかね。
ねえ、言わんよね。
あんまりね、読書の枠。
自動書からじゃない、読書は。
そうですね、文章がいっぱいあるからですね。
絵本は絵本っていう感じですね。
ずっこけ三人組とかいう自動書。
ギリ読書だと思います。
あれ読書か。
あれ何、小説?みたいな。
ストーリー。
読書じゃない?
読書。
小学1年生とかいう雑誌は読書じゃない?
微妙ですね、読書ではないです。
パラパラ見る感じ。
大人になっても週刊スファーとか別に読書じゃない。
図鑑は?
微妙ですね。
全部読んでいく感じだったら読書だろうけど、パッと見るだけだったら。
結構なボリュームあるもんね、実は全部読もうと思ったらね。
文字がメインのものじゃないですか、やっぱり。
文章がメインのものじゃないですか、読書って。
まあ、そうね。
図鑑はやっぱり絵の方がメインになる。
図だもんね。
図だもん、うん。
まあ今写真やけどね、ほぼ。
動画・音声時代の読書体験
次の世代も読書した方がいい。
インスピレーションでもいいよ。
した方がいいなのか、死んでいっちゃない?みたいな。
例えば、次の世代の子に会った時、本読んどきってよく言われてたんよ、私。
よく大人に言われてたよ、本読んどいた方がいいよって。
子供の頃にね。
子供っていうか中高生になって、本は読んどいた方がいいみたいな。
ふーんぐらいしか持ってなかったんやけど。
今ってなんか、それを絶対読んどった方がいいよって言うほどな感じもせんじゃね?
まあどうなるかわからんけど。
そうですね。
どういう本かにもよるんでですね。
ライトな本なら読まなくていいんじゃないかなって感じしますね。
へー。
別にYouTubeでいいっていうか、ライトなやつだったら。
YouTubeとか、それこそポッドキャストとか。
耳でも映像でもなんでもいいんじゃないか。
でも重たい、しっかり考えながら読むみたいなやつは、読む体験でしか得られない筋肉みたいなのがある気がするんで。
ちょっと難しいやつを読むっていう体験自体は、できるんだったらした方がいいけど苦手だったらしなくていいって感じかな。
そうですね。難しい本読んでみる体験はやった方がいいと思うけど。
日常的に本をたくさん読む必要はない気がしますね。
強制されてまで読まんでいい気もするけどな。
学べるコンテンツがあまりにも増えすぎてるんで。
それこそ動画でもいいし。
読書ってエンタメだったんじゃないの?
一番最初はそうでしょうね。
小説とかそうだね。
いつの間にか勉強チェックになったんでしょうね。
いつからか。
いつからかはわからんけどね。
私たちの頃にはすでに読書イコール。
勉強っぽくなってましたね。
読書感想文とかもあるしね。
読書ってちょっと句が連想されるっていうか。
わかりますわかります。
屈辱ともなるけど学びになるっていうのが。
勉強やんと思って。
あんまりエンタメというよりは
勉強の路線で読書という枠組みだった感じがしますね。
逆になんのりもなくて
ボンボンボンボンいろんな本を読んでる人は
本当に好きとかエンタメどうかもね。
ちょっと句を伴って読んでるのに
内容がどうでもよかったらやっぱ読まんもん。
本当に好きじゃないと読めんやん。
そうですね。
YouTubeでいいってやっぱ思っちゃうな。
YouTube強いね。
YouTubeも最近勉強っぽいのあるもんねいっぱいね。
そうですね。
YouTubeで本の紹介とかを見て
実際の紙の本ではないんですけど
自分はオーディオブックなんで
オーディオブックを聞いたりとかは
よくしてますね最近は。
なんかあの
本を通じた過去とのコミュニケーション
罪と罰ってなんだったっけ
昔の人が書いた
あれね私最初の10ページぐらい読んで
毎回その10ページをひたすら読んでる感じなんよ。
まず登場人物が全部カタカナやん。
ロシア人の名前だからなじみがない。
なんとか好きみたいな感じも難しい。
ひたすら盗みに入るシーンしか知らんのよ。
そういう意味で言うと
難しい本が読めないんだな。
小説はまず読めないですもんね。
なんで?
気持ちの描写が多いじゃないですか。
どうでもいいなって思ってしまう。
映画とかだったらこういう気持ちなのかなってことが
言葉じゃなくて映像で感じるけど
文字にされるとすごい嫌だなって感じがする。
気持ちの描写を。
例えば原作を読んでみたら
あれ?ってなったりせん?
読んでないんだよ。
小説はほとんど読んでない。
今や原作として書かれてるかもね。
映画の。
それを意識してるでしょみんな。
それを夢見て書いてるんじゃないかなと思いますけどね。
映画の小説家って。
そうだね。
SFとかは?
SFはジャンルとしては好きですけどね。
けどやっぱり本よりは映画とかのほうがいいですね。
そういう物語だったら。
それで言うとやっぱり
昔の人が書いた本っていうのは
基本的には読みたいかも。
昔の人とコミュニケーションとってる感覚だから
そういう意味では面白いなって思うけど。
でも今YouTubeって2005年くらいからあるけど
10何年前の動画ってあるじゃないですか。
それを見る。
もっと言うと自分たちの子供が大人になった時
10年後とか20年後になったら
30年前の人と動画を通して会話できるような
コミュニケーション取れるような感じになると思うんですよ。
確かに。
だからまた本がさらにいらなくなる。
そうね。
でもやっぱり私が読んだら2000年前くらいのだからさ。
2000年前厳しくない?
2000年前は無理です。
2000年後ももうツール変わってそうじゃない?
2000年レベルのコミュニケーションができるって
本ならではだと思ったけど。
確かにそれはそうですね。
100年前とか1000前とかはもう無理ですよね。
そうね。
1000年後だったらまだテレビとかが出てきたりしてるから。
そうそうそう。
1000年とかはだいぶ厳しいですね。
2000年前の本を読んでて面白かったのは
本を印刷する技術がないから
たった一冊が重要だから
読書っていうのはある一人が声に出して読んで
それを20人とかで聞いてるんだって。
2000年前だったらもっと読書してただろうなって
オーディオブックよだけ。
ガチオーディオブックみたいな。
私は本と自分だけで向き合わされると
結構挫折しやすかったんよ。
2000年前の人を誰かが読んでくれてたんだって
思ったことがある。
良かったですね。2000年経って
誰かが読んでくれる時代に今生きてるから。
遅い。
遅いよ。
学生の時からめちゃくちゃ良かったですね。
人生変わったと思う。もっと読んでたら。
もしもオーディオブックだけ
のんさんが学生の時あったとして
結局試験とかが全部読んで書いての世界は変わってないから
きついんじゃないですか。読んでるのに
なんか問題きちいなみたいになる。
テスト、国家資格レベルのものを受験するならね。
本を読もうが読まよいが。
教養は救いか、生きづらさか
何のために本を読むかよね。
どっちかというと教養とか
いろんな英知みたいなところで生き方が変わったり
もっと深い思考ができたりとかいう可能性はあったな
とか思うけどね。
これ言うと怒られるけど教養だけあっても
ただ生きづらいだけみたいになる可能性があるから
難しいですよね。
その意見もちょっと深掘りしたい。
要は
教養だけあっても意味ない?
意味がないというか生きづらい。
結局いろんなものの見方ができるということと
ニアリーイコールだと思うんですよ。
教養があればあるほどいろんなものを
いろんな見方が深くできるとなったら
いろんなことが単純化されているのが社会だから
社会のいろんなことに疑問を抱いてしまう可能性が
上がっていくっていうか確率が。
だから
そこをちゃんと確保した上で教養があれば
まあいいんでしょうけどっていう
教養だけあっても現実と向き合うのに
しんどいんじゃないかなみたいな。
教養があったことがないからさ
パチンコの話と風俗の話だけでしかいらない
それ以外の知識ない方が
生活しやすい職場って多分あるんで。
マジであるんですよ。
罪と罰読みました?とかもうダメじゃん。
でもさ、そこは確率的には
それ読んでる人少ないかもしれないけど
だから読んでないという話ではない気がする。
じゃなくて教養だけあっても生きづらいから
めっちゃ本読んでたら
教養身につけてたら
そんなに
開けた大人になってたかっていうと
そうではなくて
たぶん現実の、さっき言った
何でしょうね
何かの試験に受かるとか
何かの面接を通るとか
結局この社会の中で
足場を作っておかないと
稼げる人になっておかないと
結構しんどい。
頭脳で稼げる。
そういう教養がある人って
親もお金持ってたりすることが
確率者多いって言われてるじゃん
統計的に見て
良い教育を受けてる人の方が
教養があるというか
より勉強してると確率が上がっていくから
層が違うって感じ。
文化レベルの。
でも教養だけあって
例えば中卒で工場で働く時に
逆に誰ともコミュニケーション取れない
みたいなことが起こりそうだ。
というより私の中で
教養って救いなんだよね。
もし目の前の人と価値観が合わなくても
教養って
共有して楽しむっていうイメージじゃなくて
今の世界の人と
どことなく自分は合わないところがあっても
どこかの時代の人と
自分がしっくりきたりして
2000年遡れば
自分と気の合うやつおったやん
っていう結構救い系やったよね。
だからツールとして使ってるんじゃなくて
逃げ場として教養を使ってるイメージだったから
教養があったらよかったな。
それだったら教養である必要はないというか
YouTubeとかに
今の時代に無限に
有象無象がいるから
この人っていう
それはやっぱり今起こってる気がする。
2000年前に行かなくても
YouTubeの中で
例えば自分のコンプレックスみたいなもので
検索をかけたら
同じ人だみたいな
そこにコミュニティがあって
ここに同じ悩みを持った人たちがいるって
確かに2000年遡らずに住んでるって
ソクラテスみたいな人いないけどね。
YouTubeやってないだけじゃないですか。
確かに。
ソクラテスYouTubeやらんのか。
哲学系のチャンネルはいろいろありますからね。
哲学を伝えてる人と
哲学してる人は別じゃない?
別の場合もあるし
被る部分もありますね。
現代という時間軸で空間を広くするか
時間を遡るか
その両方っていうのは
教養なんだと思うんですけど
なかなかそればっかりです。
相当大変だと思うから
相当そこに時間を使わないと
教養なんてものは見つかないと思うから
足場がないとできんよなと思う。
教養とは上水くんにとってどんな感じなの?
教養とは生きづらさはない?
生きづらさというよりは
世界をより複雑に見ることができるもの
っていう感じですね。
私は教養は友達探しだったから
今の人と友達になるっていうのも
YouTubeでいいと思うけど
時空を越えた感覚っていうのは
想像以上に
勝手に友達感を感じれるから
例えばYouTubeのないないさん
すごい意見があって
やったことないでしょってなるじゃん。
その人から認められてないでしょ
とか言われたら
現実いるから
確かに会いに行けばいいんかなとか
複雑にまたなってしまうけど
もう死んでるっていうのが結構強みで
勝手に友達にするみたいな
一人一人教養の使い方みたいな
あるそうな気もするなって今聞いてて
例えばそれを
友達との教養がある同士の
友達とのジョークにしてる人もいるって言ってて
やっぱりなんとかだよねみたいな
ニーチェだねとか言われて
ニーチェがわかる人は
いつか言っていいやるみたいな
楽しさで使ってる人もいるし
その楽しさを得ようと思ったら
わかる人が身近にいないといけないから
教養の階層性と排他性
それなりの今で言うと
大学に行くとかしないといけないけど
それのために努力ができない人だったら
結構しんどいって話なんですよね
でもサッカーの話が合う人と
ニーチェの話が合う人っていう感じじゃなくて
そこには島の違いではなくて
どっちかというと
フェーズの違いみたいなのがあるって感じなのかな
結構根深いんだと思う
サッカーだったら別に練習の差があっても
社会的にそういう練習だったり
学歴だったりとかっていうのが
あんまり関係なく好きな人は好きというか
分かんない
ばらつきあるかもだけど
別に大丈夫って感じするんですけど
教養はね
どうだろう
いわゆる上流みたいなとこに
行けば行くほど生きてくるし
下流であればあれほど
生きづらさにもつながってきそうな気がするなって思う
上流下流がね
なかなかね
多分自分がどこにいるかも分かんないんですけど
下流ですよ我々は
私下流なの?
上流の意識もないけど下流の意識もない
上流ではないですよ
庶民というか
全員庶民じゃないの?
天皇以外庶民じゃないの?
ことじゃないですよね
難しいな
私のイメージでは川に住んでます
海に住んでます
町に住んでます
みたいなレベル感で感じてたから
なんかね
教養が必要なエンターテイメントがあると思うんですよ
例えば美術館とか
美術館とパチンコは同じエンターテイメントだと思うんですけど
でも必要な教養レベルが上下があると思うんですよね
横並びじゃない
そんなに昔ほどそこをバシッと分かれてるの?
例えば昔貴族がいましたと言う頃は分かるんだけど
貴族制度もなくなったし
だからタチ悪いんだと思うんですよ
分かれてたらそこに必要なものとして
勉強した方がいいよねとかパチンコ買った方がいいよねみたいなのが
ある程度規定されてたけど
規定されてなくてっていう状態で
例えば貴族じゃないのに貴族みたいなものを
内面化しちゃったら
貴族じゃないから生きづらいよねって話がするって感じ
なるほど
でもまさか下流みたいなの自覚してなかったですね
別に上流とは思ってないけど
外れてるって感じかもしれない
あんまり一般化できない感じ
どういうこと外れてる?
要は一般化しづらい感じで生きてるなって
別に社長って感じでもないじゃないですか
ああそういうことね
ステレオタイプの社長
例えば投資家社長経営者労働者
部長課長何とかみたいな
こうあるじゃないですか階層
なるほどそういうことか
とか大学でもエフランとかいうから
そのランクがあるわけです大学には
でも大学で判断するのも相当ちょっと微妙じゃない
本当はそこの大学で何してたかとか
そういう具体的なこと聞かんじゃん
そこで何勉強してて何を専門にしててって
全然聞かんじゃん
ただ大学のレベルが下がれば下がるほど
何も勉強してないっていう人の割合が増えていく
何もしませんバイトしかしてないとか
飲み会しかしてないっていう人が増えていくから
確率の話というか
個人に見せたらどこの大学でもっていうのはあるけど
集団で見るとかなり傾向が出るよねっていう話ですよね
貧しい人が教養を見つける意味がないとは思わないけど
別にそれは人によるだろうって話だから
けどすごい一般化しちゃうと
周りに話ができる人がいなくなっちゃうみたいな
自分だけ複雑に物事を見ててみんなすごい単純化してるように見えて
自分だけこの世界で孤立してる感じみたいになりうる
でも価値観の効果の時は
それがめちゃくちゃ面白いですって言ってる人がいたんよ
すごい哲学とかいろいろなこと詳しいんだけど
討論カフェに来ていろんな人の話聞いて
ここには現実があるなって言ってたよ
いろんな楽しみ方があるんかなみたいな
討論カフェはイレギュラーで異世界にその時間が来る
討論カフェに24時間365日住むんだったら
また話が変わってくるじゃないですか
要は思い込みがあればあるほど苦しい世界になっちゃう
思い込みがある人は90分2時間きついと思うよ
90分2時間きついとか365日24時間いたら苦しいじゃん
っていう話をしてます
要は会わないところに行くみたいな感じ
でも私ノーしてるんだけど
そんなにめっちゃ会うわけじゃないと思うよね
何人とですか
教養ゾーンの人たちと
教養のためにノーやってる人ばかりでしょ
というより教養が出てくるよね
例えば私はずっとおめんって言って怒られて
表ですよって注意されたりとか
例えばお月謝を渡すのも
お金そのまま渡して注意されたりとか
結構そういう意味では
なぜノーっていうのがこういう風にやってるかっていうと
もともと指定関係とか入門するとか
そういう文化的なものをいっぱい知ったから
できんはずだったんだけど
それを分かってる人たちといるんだけど
そんな違和感はないけどね全然
向こうは違和感あるんじゃないですか
なるほどね
向こうの違和感もしくは
ノーの業界は分かんないけど
想像するに人が減ってきてるから
そういう異文化の人も入ってきてもらわないと
維持ができないみたいな感じもあるかもしれない
教養って結構排他的でもあるのかな
かなり排他的だと思いますね
じゃあちょっとオーディオブックしか見れん
うちらはあれやねむずいね
ニッチな知識とデジタル媒体の限界
でもオーディオブックでも
YouTubeでも教養を身につけることできるから
だから最初の話に戻ると
やっぱ読書いらないような気がしてきましたけどね
教養身につける方法
例えばテーブルマナーとかYouTube探せば
いくらでも出てくると思うんですよ
探したことないけど
1回身につければ多分ずっと一生使えるし
でも今それ聞いて思ったけど
オーディオブックになるものYouTubeになるものは
やっぱ再生回数が重要やけ
ニッチなものはほぼならないよね
だから私が見たいなって思う本は
もうオーディオブックになってないとか多いよ
何にも読まないような本だったりするから
何にも読まないような本だからやっと出会えたのに
オーディオブックじゃないっていうので
オーディオブックにしてくれるアプリとかあるんだけど
まだそんなに進んでなくて
やっぱり読書いるなって思っちゃうっていうか
だから大多数が読むものしか読めないという現実はあるよ
オーディオブックYouTube
YouTubeはだいぶ広がってきたけど
ニッチなのもあるけど
ニッチっていってもある程度回らないと
やっぱりその人たちも作ってる
ひかわからするとさ
1000回回るもの
1万回回るものと100回しか回らないものだったら
だんだん1万回回るものになっていくじゃん
そういうものを作ろうという
力が働くんじゃないかみたいな
本を読まないと教養を身につけられないとか
知識を身につけられない時代ではないっていうのは
間違いないかなと思うんで
何かを得るための読書っていうのは
いらなくなるかなっていう気がしますよね
本を読んでいる時間が好きだとか
本を書くとか
本という物体が好きだとかっていう人は
残っていくんだと思うんですけど
絶対必須ですよねって話じゃない気はしてくる
あとは何回の本を読んでいる時にしか出ない
なんかその
長文と向き合っている
脳の使っている瞬間みたいなのは
多分あの漢字は
多分読書ならではって感じもするから
わざわざ難しい本を読むんだったら
わざわざ難しいことをオーディオでわーってやると
マジでわかんないっていうかさーって流れていっちゃうから
すごい自分のスローなペースで読まないと
行ったり来たりしながら読まないと多分
読めないような本だったら
読書で読む価値があるかなって気がします
それぐらいな気がする
ほぼ忘れるんよね読んだ本のこと
まあ何冊も読んでたらねどんどん忘れていきますけど
何十回って読んだ本だけぐらい覚えてるの
一回読んだ本全部忘れちゃうから
すごい意味あんのかなーとか自分の読書スタイルとして
どっかの英知にはなってんだろうけどね
どうなんですかね
情報収集っぽい読書はもうしてないですね今全然
読みたいって思った本しか読んでない
この知識があるといいだろうみたいな
情報としての価値じゃなくて
なんか面白そうみたいな
好奇心でしか読書しない
エンタメだね
エンタメになってますね
やっぱますます読書いらん気がしてきたね
なんかそのあるテーマについて読む
お茶についての本を読むとするじゃないですか
そうしたらお茶以外のことも結構出てきたりとかして
また教養として広がっていくとは思うんですけど
最近そのチャートシビリティを使うんですけど
これってどういうことなんやろって思ったこと
質問したらやっぱちょっとそれと外れた
ちなみに的な話も出てきたりするんですよ
ますますやっぱいらんなと思って
なんかその受験勉強以外いるのかなと思いましたけど
読解力と契約を理解する力
いやでも今思ったけどやっぱ次の世代のことを考えたときに
いる気がしたのが
保険の契約とかあらゆる同意書が動画になってないよね
文章ないよね
で分かんないで読んで読んだことにして同意とかをしてるじゃん普通に
そのちょっとしたネット上で出てくる同意とかさ
またそのリテラシーある子供だったら
文章を全部コピペしてチャートGPT貼り付けて
分かるように解説してって
それ私もめちゃくちゃするんだけど
ベースの読書の力がないと
チャートGPTが言ってることも分かんないんじゃないかっていうやっぱ解説だよね
何重にも聞けばいいと思うんだけど
なんか一定数の読解力みたいなレベルでもないかもしれんけど
全く読まなくていい気がしなくなったな
どっかのレベル間まではいる気がするなみたいな
小中学校の国語の授業をちゃんと受ける以上のことしなくていいと思うんですよ
小中学校で読書をしてたよね
国語の教科書で読むじゃないですか
それ以上のことはあった
別に3ページの短い話でも
それ以上何を言ってるのかとか
ここの筆者が言いたいことは何なのかとか
この接続詞によってどうこれの意味が変わるのかってことは
分かんないとチャートGPTが言ってることも分かんないと思うから
確かに3ページ読めればいいかもね
あと漢字をある程度知ってるとか
でもその集中力がいるね3ページ読むね
相当散乱する時代だと思うよ
でも授業がある学校に任せとけばいいんじゃないですか
学校が読書必要と思い続けないからね
読解力が必要だってね
思ってなくても仕事だから利権として守り続けるんじゃないですか
国語の先生がいる限り
でも教科書いらないねとかなってきたらやばいね
教科書会社とか大変ですよね
教科書会社の利権があるか続くんじゃないですか
利権頼みじゃんここはもう
古文とか本当に利権だけだなって思いますけどね
古文を研究してる人のために古文が残ってるってこと
古文漢文が学校教育で残されてるのが
どこの権限が強いかってことよね
そうですね
教科書に何載せるかってすごい選択肢だもんね
もし3人が国語の教科書を作ってみようってだったら絶対バラバラやん
そこから統一していかないかわけやけ
相当揉めそうやね
ゴンギツネはいるやろとかそういうこと言うでしょ極端に言うと
ちなみに教科書を読むことは別に読書ではなさそうですよね
読書とは言わなそうですよね
本一冊何百ページみたいなのあって読書って感じがする
小冊子レベルだと読書って感じが
文章を読んだみたいな感じ
学校以外の学びじゃないと読書って言わない気がする
読むことから書くことへ
次世代に読書しなきゃいけないかって聞かれたら
今言った通り読書じゃなくてもいいけ文章は読めたほうがいいよっていう話になるね
めっちゃベストな学校さん聞くぜ
でも私は思ったんだけど文章を読めたほうがいいし
あと書くもできたほうがいいなって最近個人的に思うよ自分
書くって相当精神が統一するというか
手書きってこと
読書するより
パソコンとかじゃダメですか?
パソコンとかスマホで文章を入力する
語感なのか
それこそ作業をしてるからかわからないけど
鉛筆と紙と自分の行動で
それが成り立っていることへの充足感が10倍ぐらいある
1ページ書いただけで
思考のスピードがゆっくりになるみたいな話があるよね
手が遅いから
書けない?
字が汚くなっていくどんどん
書かなくていいやってペンで上げてますみたいな
考え事とかもし文字で書こうとしたらね
そうなんだ
落ち着きがないんだよ
小説とかさ
書いてみたら初めて書いてる人すげーなってなりそうよね
小説はすごいよ書けないと
読んでないからまずどんな書き出しで書いていいかわからないし
小説書くの大変そうよね
今日ある男がいました
どうするこれからってことやろ極端に言うと
でも最も個性が出てきそうな気もするけどな
書くって方が読むより
読むのに個性を出さないでしょ
だから受け取ってるのが多すぎるから
書くとかそういう
そっちやった方が落ち着くのかもな自分は
日々受け取ってるから
書く時間が結構めちゃくちゃ最近
誰かと交換日記したいって最近思ってるぐらい
書くにすごい魅力を感じてる
すごい
それも手でってことですよね
手で手で手で
いやだな
空洋の結構息かもしんない書くの
つらいですね手痛くなりますもんね
きつい
そうなの二人とも書くダメなの思考が早すぎるんだな
いやあんなことはないぞ書くのがめんどくさいんだ
普通に疲れる
疲れるね
力が入りすぎてる気もしますけどね自分自身は
書くに
最近タイダーが加速してもはや
パソコンのキーボードを打つのもめんどくさい
もう音声で喋って
それもうあれじゃん
物理的な身体的なものを失い始めてるじゃん
身体的なものを失ってるのかな
人間はもともと文字は書いてなかったですからね
いやいや模様を書いたりしてるからみんな
文字じゃなくても何か模様を書いたり手は動かすでしょ
手すら動かしたくなくなってきたって
手を動かしたくないというよりは文章を書くために手を動かしたくない
別に文章を書きたくないわけじゃないですよ
文章を書くということが例えば達成したいものだとしたら
その手段は何でもいいわけですよね
手で書いてもキーボードで打っても音声で打っても良くて
目的が達成されているかどうかだから
一番楽な方法を選ぶっていう
それで言うと何を書いてもいいかも
社教でもいいかも
書くということにめちゃくちゃ
行為自体が
めちゃくちゃ充足感があったっていう話
絵を書いてる人とかもこんな感覚なのかもしれないなみたいな
集中するって感じめちゃくちゃ
しそうですよね
全然わからん
ピンとこないですね正直
そうなんや
全然見たことない
集中だったら読書の方がいいかも僕は
唯一落ち着けるかもこの
読むっていう方が
だから中身面白くないと嫌だけど
興味あることじゃないと嫌だけど
読んでるという言葉がすごく落ち着く
落ち着くっていう手段は人それぞれなんじゃない?
じゃあ落ち着くのはいつなの?
わかんないですね
ゲームしてるとか
落ち着かないゲームもあるけど
落ち着くゲームもある
落ち着くゲームあるんや
ロールプレイングゲームだったら時間に終わらないから
でも確かにゲーム集中するしね
いいよね
ゲームは集中しすぎる
時間が無限に溶けてしまうから
なるほどね
やらないようにしますね
本当はできるの?
やったらめっちゃやっちゃうから
仕事とかできなくなっちゃうぐらいやっちゃうから
もう止めどなくなるってことね
止めないと生活ができなくなる
なるほどね
読書の未来と結論
どうだった?
スタートラインは読書の話だったんだけど
書くに行っちゃったけど
次の世代も読書した方がいいか
私はね
文章は読んだ方がいいにたどり着いたかな
自分もそうですね
文章読む能力がないと
文字は読むけど
読書まではいかない行為ってめっちゃあるから
契約書読むって読書じゃないから
契約書は読書じゃない
チャットGPGの答え読むのも読書じゃないし
メール読むのも読書じゃないから
やめて読書って何ってなってきた
分厚さのだけじゃん
分厚さのイメージで言えばそうかなと思うんですけど
でも文章は確かに読める方がいいですね
そうね
それはそう思いますね
上水君はどうでした?
読書好きの上水君は
読み書きはもともと重要だと思ってますけど
本を読むというのは
かなり限定的になってくる役割として
なってくるんだろうなっていうのは
そうね
思いましたね
本当やね
だからいらない人にとっては
本当にいらないものになってくる
お抹茶レベルになるかもね
究極そこまでいくかもしれないですね
お抹茶飲んでるの?みたいなね
遠い未来ね
みんなコーヒーだよ
そんな難解な哲学書を読んでいるの?
今でもちょっとなるじゃないですか
哲学書のね
でもなんかその論文とか
今でも昔からそうですけど
ほとんどの人は読まないけど
でもめっちゃ大事なものだったりするじゃないか
まあそうだね
でも今も小説とかが
いろんな形で映像化されたりとかって
たくさんあるから
なんかそういう意味では
ずっと残る
専門職みたいな感じにね
専門スキルみたいな感じになりそうですよね
そうね
必要な人には必要
永遠にって感じがするよね
趣味レベル
趣味レベルのものになっていくんじゃないかな
そっか
じゃあ脳みたいになってるね
脳とかお茶とか
何ぐらいなんだろうな
スポーツショップぐらいじゃないですか
ああそういうことか
スポーツショップでも勢い出てきてない?
運動はこうどんどん
確かにな
カードショップぐらいじゃない?
カードショップぐらい
行かない人いっぱいいるじゃん
カードショップは
でも勢いあるじゃんカードショップ今
勢いあるね
読書勢いなくなってきてるんだよ
で議論がまた広がってますが
今日はここまでです
最後まで聞いていただきありがとうございます
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