起業の実態/時間管理の罠/独立1年目の現実的な収入/三国無双という現実逃避/討論カフェの看板は集客できず/起業家の孤独な挑戦/貯金残高15万円の危機/パニックから学ぶ財務管理/根性論より考える力/自画自賛タイムの効果/4人でのルームシェア生活/起業初期の苦労話/唯一のケンカ/エアコンのない夏/経済的に助け合う/
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サマリー
このエピソードでは、歴史におけるビッグトリーや討論カフェの体験についての考察が展開されています。特に、古代の三国時代と現代のマーケティングのつながりや、自由な働き方における挑戦と楽しさが語られます。また、三国無双を通じて生活の困難に向き合う様子が語られ、ルームシェアや貧困の経験を踏まえたマーケティング事業の苦労と友人との日常が描写されています。 三国時代のエピソードでは、経済的な危機と精神的な苦労を乗り越える過程が描かれ、自己肯定感を高めるための「自画自賛タイム」という手法がキャリアの発展に寄与したことが語られます。
歴史とビッグトリーの探求
やっほー!
やっほー!
番外編です。
今日も、私のいろいろ歴史を話す前に、みんなのコメントからね、紹介していただいていいですか?
もういいですね。もうビックトリーの歴史だよ。もう私の歴史にね。
ごめん。これ何だったっけって、今わかんなくなってさ。
大丈夫です。
なんか最近でも、番外編聞いてます?とか声もよくもらうようになって。
そうですね。感想あって感想もらうのって、番外編の感想多いですよね。
そうそう。なんでね、ちょっとここもね。
今まで発信してきてないですから、そのビッグトリー、謎に包まれたこのビッグトリーっていうのはね、ちょっとずつ、こうやって今があるみたいなのは。
正直、上水くんがそれを言ったときは、何を言ってるんだと思ってました。
誰が聞くん?ぐらい思って。
まあね、4,5回に1回じゃないですか、この番外編。まあでいいかなぐらいに思ってましたけど。
みなさん聞いてくれてありがとうございます。
じゃあちょっとコメントお願いします。
先にね、歴史に入る前に。
こっぺパンさん、昨日はビッグトリーさんが運営する討論カフェの公開収録&実践に参加しました。
印象的だったのは、お題を見てすぐに話が浮かぶものと全く浮かばないものが極端だったこと。
特にキレイごとと思うことは、キレイごとセンサーがないのか全く浮かばなかった。楽しかった。とのことです。
ありがとうございます、こっぺ。こっぺさん?
こっぺパンさん。
なんか、ほんと楽しかったですね。
楽しかったですね、ほんとに。
で、そのあと感想、こっぺパンさん以外もいっぱいもらったんですよね。
で、討論カフェそのあと来てくれたり。
来てくれましたね。
ただ、ぶっちゃけ反省も多かったよね、公開収録。
初めてやりましたけど、ちょっとね、ありましたね、反省点。
正直さ、この3人のテンション上がりすぎて、討論カフェしすぎたよね。
交流。
そうですね、なんか交流会としてはちょっと弱かったというか、討論カフェちょっと深すぎるというか、もっと浅い交流もあってもいいのかなとか。
企業家生活の始まり
途中のね、15分休憩とかすごい盛り上がってたじゃないですか、それから話したい人に話し合わせて。
ああいう本当はイベントの後半に、後半というか最後に、430分まで作ってたんですけど、タイムスキッシュの通り全然行かずに、追い出すような形でね、終了しちゃいましたよね。
今度はさ、やっぱタイムキーパーだよって一人決めといていいかもね。
かもしれないですね。
なんかこうね、その。
あと、まあ飲み会とかやってもいいかもしれないですよ。
終わった後ね。
夕方まで。
そうだね。
そのやり方もありますね。
確かに。
討論カフェしかしたことないけどさ、正直、ああいうイベントがね、ちょっと経験的になかったんですよね。
すごい、ある意味。
でもみなさん、すごい素敵な人ばっかりで。
本当に楽しかった。
本当にね。
速攻で価値観の効果ができてましたね。
あれはね、すごかったですよ。
結構苦しそうにしながらもね、頑張って余白を持って語ろうとする方とかもいて、
いた。
結構それ胸を打たれましたよ。
いいなあって。
あとなんか、みなさんが出すお題とかもね、なかなか普段は話さないようなね、来た人。
自分たちでは、なんか浮かびにくいお題も結構出してくれた気がするな。
あと私が大好きなのが、大好きだった感想が一つあって、なんか共感というコミュニケーションがほとんどなくて、
バンバン言い合う感じでしたっていう感想があって。
共感したときは共感していいんですけど、無理しなくていいというかですね、バンバン言ってもらうっていうのはできたかなと思います。
ただちょっと運営面での反省がね。
そうですね。
今後ね、生かしていければね。
タイムキープですね。
また行こう。
また行きましょう。
行きましょう行きましょう。
また来てってやってもらえる。
参加できなかった人もいるかもしれないんで。
でもアンケートの結果としても、結構また行きたいですっていう声も多かったんで。
嬉しいです。
また早いうちに行けたらと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ今日もこのまま歴史に入っちゃいますか?
はい、そうですね。行きましょうか。
前回あれでしたっけ?焼き鳥屋で白ご飯食べてたみたいな話終わったんですけど。
そうですね。貧乏生活の始まり始まりですね。
そこまで行きましたね。大学卒業して。
そうですそうです。大学卒業しました。卒業後の最初の初期ですね、の話を今日はしようと思うんですけど。
どこからすればいいのかな?
一番その、何してたのってみんな思うと思うんですよ。
マーケティングは辛うじでリピートしてもらってた会社さんもあるので。
座談会を通じてその参加者の声を拾うというマーケティングの代表さん。
トロンカフェを使ったマーケティングっていうのをいくつかしてたんで。
ただ最初の年の年賞は確かね、300万あったかな。
うれげ300万。
ぐらいだった気がする。
なんかでも正直、あ、意外とやってるやんって思いました。
ちゃんとやってるんじゃないか、上から言ったじゃない、あれですけど。
意外とちゃんとして、ちゃんとっていうか走り出したいなって感じがします。
そこはちょっと100万とかゼロとかであってほしかったぐらいまで。
記憶の範囲ですけど、確かそうだったと思いますよ。
でもなんか、一応事務所を協力してくれてる建築会社の社長さんから貸してもらって、
その、家賃も払えなくて3万円ぐらいだったんだけど、
当時は結構出してもらってたと思いますね。
払ったり払わなかったりだったと思います。
うまくいってるときはちょっと払ったし、うまくいってないときは払ってない、みたいな状態で、
とりあえず事務所があったってことです。
小さな小さな事務所がですね。
で、一応学校にディスカッション打っていこうっていうのが最初のプランだったんで、
その中学校とか高校とか。
企業の案件をやりながら、本丸は学校への授業なんだって考え方で動いてたみたいな。
そうですそうですそうです。
で、討論カフェをすごい自分たちの中で、私の中でビビッと来てたじゃないですか。
だからその討論カフェを、私は大学時代にやったんだけど、
中高生から全然これやっときたかったぐらいの気持ちだったから、
中高生向けに売るっていう単純な自分の思いをそのまま、
事業転換したって感じだったんですけど、
まあ、そりゃそうですね。卒業して23ぐらいでしょ。
行く先行く先男子来たって感じなんですよ。
で、当時コミュニケーションとかディスカッション。
学校の営業でどうやって行ったんですか?
いや、学校に飛び込みに行きました。
すいませんって。
校長先生に会ったり、京都先生に会ったり。
で、大学卒業したばっかで、別にコミュニケーションの研究の博士号とかもないし、
で、当時はコミュニケーションとか学ぶものとかディスカッションを与えられるものじゃなくて、
自然と身についていくものっていう発想が強かったんですよ。
コミュニケーション言われてましたね。
コミュニケーションわざわざ学ぶってどういうこと?
ちなみに2000何年ぐらいの話なんですか?
2006年。
20年前。
社会人1年目がどうですかね?
そう。
で、しかもコミュニケーションを学ぶ、100歩譲って経験ある人たちから学ぶなら私も、経験ある人がそのディスカッションをやるにしろ、
なんで卒業してすぐのあなたに、そんな子どもたちに教える能力があるわけないじゃないっていうスタンス?
をかなり受けて、結構早々にね、ガーンってなった記憶がありますね。
もうそこの記憶が曖昧なぐらい忘れ去りたいんだろうなっていうぐらい記憶にない。
でもやった記憶はあるんだけど、もうなんか結構絶望的でしたね、初っ端から。
ゲームと企業家の現実
なんで、どうなるかっていうとですね、ここからが皆さんにまた恥ずかしいお話になるんですけど、
我々人間ですよね、就職してないでしょ?
私とトモカちゃんの2人でしょ?
はい。
上司はいないんですよ。
はい。
出勤時間とかなくなります。
あったんですか?なくなるっていうの。
なんとなく9時とか?みたいな感じでは思ってたんだけど、
夜バイトもしてたし、とにかくぐちゃぐちゃ、働き方が。
朝起きて、昼頃行ったり、昼まで寝てて、昼からやったり、とかそんな感じ。
で、ちゃんと行った日は、朝から晩までずっとフル回転でやるとか、
もうランダムすごい。仕事があるときとか、トロンカフェのマーケティングがある3日ぐらいはもう徹夜レベルでやるとか、
とにかくぐちゃぐちゃな状態なんですよ。
だから本当にね、上司がいるってすごいなって最初思ってた。
みんな絶対、会社というものがあるから絶対行くじゃん。
そういう習慣を自分たちで作んなきゃいけないから、めちゃくちゃきついんよ。
はい。
でもね、仕事がない時期もめちゃくちゃあるよね。
たいして売り上げてないから。
だからさ、早く帰ったりもするんやけど、
何する?もっと経営の勉強とかすればよかったんだけど、人間ね、やっぱ不安があるんよ。
その不安を解消するときに何するかって、ゲームしちゃうんですよ。
ゲーム逃避をしてる感じ。
当時、私の彼氏もトモカちゃんの彼氏も一緒に住んでたんで、
4人で住んでた。
どっちかの彼氏が持ってたプレステかなんかで、三国無双っていうソフトがあったんですよ。
それでトモカちゃんと毎晩めったギリギリするんですよ、みんなも。
それで今日も一日、やっつけたねって終わるんですよ。やばいでしょ。
全家統一しようとしてたのね。
だからね、みんなが思ってる企業家で、もうガンガン寝るまま死んで、っていう人はアスリートですね。
普通に私みたいに、全く企業家アスリートでもない私が独立をすると、ただただ適当な毎日になるという現実でございます。
でもね、それは難しいですね。フリーマンスの人とかも周りにいますけど、独立した最初とかがそうなるみたいな人よくいますね。
友達もなんか、ゼルダの伝説が発売されたタイミングだったから、
ちょっと2ヶ月くらいはずっと世界作ってたとか言ってて、なんか仕事してないみたいになっちゃうよね。
リズムを自分で作るんだってことを。
三国無双との向き合い
もっと言うと、仕事がない不安に向き合えないんですよ、現実で。
仕事がない、じゃあどうするってとこに行き着くまで相当なメンタルがいるんで、
多分それを向き合わない唯一の方法が、三国無双だったんですよ。
本当、救われました、三国無双にある意味。
なんかやってる気になるんですよ。
だからトモカと謎に、明日帰ってきてさ、あそこまでさ、やっつけようとか言って、謎の戦略会議があるんですよ。
だから、なんですかね、現実です、これが。
もうカッコつけてもしょうがないので、現実ですね。
学校から断られたとかいうショックやら、何やら、もう一気に来てるんですよね。
お金がないし、やり方もわかんないしっていう状態なんで、
現実どういう状態だったかっていうと、そういう状態です。
で、一応、討論カフェをやりたかったんで、
その事務所の前に討論カフェっていう看板を手作りで作って、
誰でも来ていいですよっていう状態で始めたんですよ、暇な時は。
イベントみたいな感じで。
イベントじゃなくて、普通に。
プラッと来たら討論会議が始まるみたいな。
それで看板を出したんですけど、一人しか来ませんでした。
一人来たんだ。
だってね、発信とかしてないから誰も知らないわけじゃないですか。
でも通りすがる人がさ、プラッと来る可能性はあるよね。
一人だけ来たってことですね。
そうです。
プラッと何やってるんですか?って言って。
いや、討論カフェって看板があったんで、って。
すごいなんかやんちゃなお兄さんが。
なんかガラス張りだったっすよね、前の事務所って。
だから一階やし。
そうそうそうそう。
なんか見えるんですよね、どういう中の様子。
そう、だから結構来るかなって思ったんだけど、
まあそのお兄ちゃんも楽しくは話したんだけど、
たまたま通りかかっただけだから、近くの人じゃなくて、
もう二度と来なかったし、
まあとにかく誰も私がやってることを求めてないんだってことを突きつけられた感じでしたね。
もちろんやった場所もあるかったかもしれんけど。
学校でね、門前払いされてるみたいなのは結構来ますよね。
で、討論カフェってとりあえず看板出してやってもダメ。
っていうので、記憶から消えております。悲しい思い出が。
覚えてないの?ほとんどその頃のこと。
ほとんど覚えてないんですよ。
すごいよね、人間って。
その時ほんとずっと三国無双してどうにかしてるみたいな感じなんですか?
落ち込んだりとか、そういうのとかないんですか?
いや、この後やばいことになるよね、やっぱこういう生活をしてるから。
で、その何だろう、点でしか覚えてないだから。
だから日々っていうのを思い出そうと思っても、
あと、一応、建築会社の社長さんがコラボレーション的に仕事をちょっと作ってくれて、
一緒にやったりとかはしてたけど、
自分たちで生み出して、自分たちでちゃんと売れてるっていうものは、
マーケティングのたぶん100万円ぐらいしかないよ。
だから200万円は、周りの大人たちが気を使ってやってくれてる授業みたいなのしかないから、
けっこう厳しい時代、
ほんとに仕事で言える仕事かって言われたら、
助けてもらってるっていう状態だったと思います。
記憶にない中なんですけど、もう状況としてはそうですね。
討論カフェの挑戦
ただ、4人でシェアルームしてるんで、ルームシェアなんていうか、住んでるんで、
生活はなんとかできたんですよね。
お互いの彼氏同士っていう、彼氏はそれぞれちゃんと働いて、ちゃんと。
学生やね。
学生なんだ。
年下だったので。
2人とも。
じゃあ、もうみんな金ないじゃないですか。
でもみんなね、お金がある人が1人もいない時って気にならないんですよ。
みんなアルバイトとかで食いつないで、みたいな。
学生の2人は別にアルバイトしたり、別に。
家賃も一応私たちが払ってるから、そんな別に困ってる感じはない。
ただ、驚くほど喧嘩がないね。
そうなんですね。
喧嘩りそうですよね、状況的にはね。
そうね、ともかちゃんと、結局、ルームシェアをして、4年間ぐらいルームシェアしたのかな。
その生活は続いたとか。
4、5年、結構続いたんですよ。
1回だけ喧嘩したの。
ルームシェアではね。
ともかに突然、ある日、何の時か覚えてないけど、なんかタオルを投げられて、
タオルぐらい畳みよう、みたいな、打ち切れがあって。
突然?
突然。
前、洗濯物畳むの好きとか言ってなかったですか?
畳むときはこだわって畳む。
けど、日々ちょこちょこ畳むのは、ともかちゃんの方が気づいてやっちゃうよね。
だっけ、別にそれは、ためてくれとったらやるけど、ちょこちょこやれるわけじゃないから。
そんなありますよね、感じって。
ほぼ、たぶん、ともかちゃんがやってくれてて、
で、なんか、たぶん、ともかちゃんすごくて、ご飯とかも作ってくれて、すごいね、ほんとに。
だから、ちょっと私が、そんなご飯も作ってもらって、洗濯物も畳んでもらってる私が、
言うべきではないことを言ったんじゃないかな、っていう記憶があります。
ちょこくんさんは、あそこはすすめようよって。
そうね。クーラーもなかったんですよ、だから。お金がないから。
だから、クーラーがなくて暑すぎて、朝起きたらさ、網戸突き破って半分ベランダにいるの。
で、ともかちゃんが、のんのみ外に出てるよって、大爆笑した記憶ありますね。
この辺は、貧乏話しか正直ないんですよ。だから、おもしろくないんで、
もう、さっさと終わらせたいゾーンですけど、お二人からもし何か聞きたいことがあれば。
マーケティングとの格闘
4年間、じゃあ、結構苦しい生活をしてたって感じになるんですかね。4年ぐらい住んでたってことは。
うーん、そうね。
ちょっと今日、どこまで話すつもりなのかちょっとわかんないですけど、変化ってどこから訪れるんですか。
それともっと手前の話?今日は。
そうですね。いや、もうこれで終わりなんですね、今日は。
えー、もう。
はい、そうなんです。もう。
1年ぐらい。1年間は貧乏してましたみたいな。
今のはどこまで進んだんですか。4年分進んだと思っていいんですか。
いや、1年間ぐらいです。
3国無双だったって話ですね。
3国無双かつ、
学校の営業を頑張って、
300万円ぐらい売り上げあったけど、実質は100万円が自分たちの頑張った、受注した金額で、
200万円ぐらいは協力してくれる大人たちがプロジェクトをしてくれて、売り上げになってたっていうような状態になった1年。
そうですそうですそうですそうです。
2年目ぐらいからは少しずつ売り上げ上がってくるんですか。
あのね、会社の通帳がね、15万になるんよ、預金が。
はい。
その時に、
15万になるの?
会社の通帳ね、自分たちの貯金1円もないよ。
会社の通帳が15万になった時に、さすがの私も鳥肌が立った。
15万になる前に鳥肌立つでしょ。
毎月の支払いとかも無理じゃん。
うん。
でも、実質、電気代と家賃は社長さんに払えてない状態だったから、
電気代だけ払ってたのかな。
実質、自分たちのお金とちょっとした出す金との契約とか、ちょっとちっちゃいのしかないから、
たぶんもう、あと1か月分ぐらいの時に気づいたんじゃないかな。
なるほどね。
うん。
で、なんかこの時らへんは、もう私もらってないからさ、
私なんかね、年末に、12月に自分の給料が1万円しか取れなくて、
取れなくてというか、もうこれしかも、頑張ってもこれやなぐらいで、1万円だけ。
で、弟に、弟まだ学生だったから、
ごめん、私、今月1万しかもらってないけ、お年玉やれんわって言ったのだけ覚えておるよ。
で、うちの弟は、え?っていう衝撃を覚えてるって言ってた。
へえ。
だって自分の報酬が1万なのに、お年玉はやれんよ。
そりゃそうですね。
うん。
まっとうに。
うん。っていう状態になったんですよ。
うん。
で、パニックに陥って、人間すごくて、会社なんだから、ちゃんと計画を立てたり、
どれぐらいお金が必要で、どれぐらい授業を作るのにかかりそうか、みたいな、
絵に描いた文字でも描いて、普通お金を借りに行くじゃないですか。
うんうんうん。
でも、それってまじできれいごとで、まじでパニックになるんですよ。
パニックになって、一番協力してくれた社長さんのところに行って、
突然よ。
突然行って、しかもアポもなく行ったよ、そのとき確か。
はい。
で、向こうの社長さんと常務さんみたいな、座ってて、
ちょっとお願いがあってですね、30万買ってください、とかいう会話なんよ。
はい。
だから、向こうも、はっ!みたいな。何?みたいな。
まあ、そうですよね。
うん。で、もう理由も、とにかく貸してくださいって言い方になっちゃうよ。
普通、ちゃんと理由言えばいいじゃん。
はい。
そんな余裕がないと、いや、いいから貸してください、みたいな。
やばっ。
なるんよ。
はい。
で、もうびっくりしちゃって。
うん。
30万貸せるけど、そういう話じゃないよって、落ち着けって言われて、
まあ、初めてそのときに、何だろうな、自分、会社作るとか無理やなって思ったことあるよ。
へえ。
うん。そう。という、お金に、お金の借り方、お金の稼ぎ方、
お金の、まあ、とにかくお金について、何にもわかってなく独立してるので、
うんうん。
あの、すべてがパニック状態ですね。
はい。
うん。で、それでも続けてるのは、
うん。
あの、これやばいなって思って、
うんうん。
というか、自分の給料は1円ももらわんっていう時期もあったし、
あの、ともかちゃんにもあげれないとかあるから、とりあえずバイトで、
はいはいはい。
なんとか家賃だけ払ってるけど、
うん。
その、家賃も、体能とかやっぱしだすとか、電気ガスも払えないとかいう状況も、もちろんゼロじゃなんかあったし、
経済的危機と回復の過程
まあ、なんだかんだ精神的に追い詰められてるから、お金はあるのに、支払いが滞るとかも実はあるんですよ。
はい。
支払うともうなくなっちゃうから、後でいいや、後でいいやって言って、
なるほどね。
結果的に止まるんよ。
はい。
本当にお金がなくて止まってるんじゃなくて、もうなけなしのお金をなかなか使えないみたいな状態になってて、
で、まあそれで、えっと、ともかちゃん、でもなんでだろう、車持ってたんだよね。
車持ってて、車であぶら山まで行って、
はい。
まあ、車がないと当時営業できなかったから、会社で持ってたんだけど、
はい。
あぶら山っていう山に行って、2人でね、もうやめよっかってなったんよ。
ああ、しんどいね。
もう本当に、うん。
もうこれ無理、やめよっかってなって、
で、まあ2人とものうてんきにさ、まあじゃあ、つらいけど、あと1日がんばろうってなった。
はい。
がんばろうって言って、で、また行って、ちょっと、自画自賛タイムしようや、つって。
いや、のぞみすごい、がんばってる。
あんたよ、ここまでやったわ。
いや、ともかもすごい。
あんたがおらんけど来いよ、こうやって、自画自賛タイムするやん。
あと1日がんばろうか。
っていうのを、2週間ぐらい続けたかな。
はい。
そしたらなんかね、だんだんだんだん、
回復したんだね、そのメンタルが。
メンタルも回復したし、まあ考えて、ちゃんと社長さんに貸してくださいって話もできたし、
いわゆる、わかる?
はい。
そのとき、15万になってただけで、案件がそのあと入ってきた。
はい。
回収ができたとかもあるし、
まあ、そのときに社長さんに徹底的に財務みたいなのの基本だけ教えてもらったんよ。
はいはい。
だから、あなたたちの仕事は受注業が今んとこいいから、半期で売り上げを確定させなさいとか、
その経費も、もう年間どれぐらいかかるか予測しときなさいとか、
もうそのへんをたたきこんでもらったよね。
はい。
だから、あの15万の危機って私は記憶してるんだけど、
名前がついてるんですね。
15万の危機。
15万の危機のおかげで、その、儲かる会社とか成長する会社じゃなくて、
プラス、マイナス、プラス、1円でもプラスっていうので維持するという実体験をここで得たって感じですね。
コミュニケーションと自己啓発
なるほどね。
で、得たのは、もう最初の1年、結局。
最初の1年ぐらいだったと思います、それは。
1年、2年、1、2年ごろじゃないかなって。
ごめんね、このへんの記憶ほんと曖昧なんですよ。
だから、ちょっとバイトもしてたし、社長さんとのプロジェクトもやってたし、
その、マーケティングも一応ね、してたし、
かといってポカンと空いた時間もいっぱいあって、何していいかわかんないし、
お金もないし、三国無双もしてるし、
っていう状態なんで、もうちょっと、やっぱね、
ほんと今言ってるのも、どのへんの話かみたいにちょっと曖昧になってると思います。
ただ、ただ、そういう事実があったのは全部、ほんとで。
時系列までは。
そうです。
なるほどね。
ここ、別に面白くないよね。
いや、面白いかどうかは全然気にしなくて、歴史を聞いてるんで。
いや、私の中でつらい思い出ですよ。
でも、自画自賛タイムはかなり救われましたね。
つらい人は。
自画自賛タイムって、誰かから教えてもらってやった方法なんですか?
自分で、自分たちでも編み出したというか、そういう方法なんですか?
一応、そのコミュニケーション学みたいに学んでたでしょ、当時。
そこでやっぱ自己肯定感だとか、そういうのはその時から知ってたので、
自分たちのモチベーションあげるための方法として、
なるほど。
うん、うん、うん。
その、自己啓発みたいなやり方ですよね。
だから、今、根性論とか言うじゃないですか、
なんか、考える力がない時は、もう根性しかないんやけど、
考える力があるなら、別に根性は必要ないかなっていう自分の持論は、
やっぱ当時は、まだ全然考える力が本当になかったと思います、経営について。
その時は、ちょっと根性で頑張ったかなっていう感じですね。
なんか、根性を乗り越えたら、誰かが教えてくれたり、
少し冷静になって、物事が考えられたりっていう、
そのフェーズに行く前って感じですかね。
だから、本当に就職した後、独立する人たちっていうのは、
根性を出さんでも、ある程度の知識とか、ちゃんと考える力がある人たちっていうのは、
別に根性とかじゃないかなとは思います。
以上、三国時代のお話でした。
三国無双がちょっと、めちゃめちゃ強烈に出ちゃってるね、これね。
無双ある意味無双だったと思うし。
現実世界が無双されてるってことね。
そうだね、そうだね。
ゲームでは無双してるけど、現実は無双されてる。
現実世界がもう本当絶望的だったから、無双するしかなかったんですよ。
切って切って切りまくるしか、もう方法がなかったんですよ。
なんでね、みなさんぜひ、また続きを楽しみにしてください。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
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