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2025-03-16 33:49

【#53】映画「14歳の栞」、同じ時代に生きる子供たち

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■お品書き

・映画「14歳の栞」を見て

・魚豊「チ。 ―地球の運動について―」:同じ時代に生きた人々と同じクラスを生きた子供たち

・思想の近さよりも、同じ時代に生きることの方がよっぽど近いこと

「聴くと映画が見たくなるCINEMORE」14歳の栞回:一人一人の人間に過去がある、かつて子供であったという人生の深み

・俵万智「たんぽぽの日々」:年末の銀座を行けばもとはみな赤ちゃんだった人たちの群れ

・子供の成長に触れるということは、子供だった大人たちの存在に気が付くこと

・梅佳代「男子」:14歳ってこんな大人だっけ

・率直な言葉の子供らしさ、手紙を出す勇気の大人らしさ

・吉野源三郎「君たちはどう生きるか」:コペル君の手紙と、中学生の手紙

・彼らなりの倫理の実践

・キョウスケの思い出「渡し損ねた傘」

・1回目の「俺は何やってんだろう」

・2回目の「俺は何やってんだろう」

・ぜひ、14歳の彼らに会いに行ってください

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■喋っている人

・ささお / キョウスケ

■とりあえずベンチでとは

・「とりあえずベンチで集まろうぜ」、そんな感じで集まって珍妙なトークが始まるポッドキャストです。

■利用楽曲

・曲名 『Dream』『Book』『Dull』

・作曲 RYU ITO 

・https://ryu110.com/

00:05
とりあえずベンチで。とりあえず、ベンチで。
こんにちは、キョウスケです。
いつもはですね、ささおという男と二人でこのラジオを録音してるんですけども、
今日は私一人でお話をさせていただこうと思います。
僕が一人でやるっていうのはかなり久しぶりでして、最後にやったのがですね、
どれくらい前だ?去年の夏頃にやった【ルックバック】という映画の感想回をですね、一人で黙々と撮ったんですけども、
今日もですね、映画を見た感想っていうものをちょっと一人で残したいなと思ってます。
ただですね、その映画というものがですね、ちょっと特殊な構成をとっている都合でですね、
映画の内容について直接的に深く深く語ることができないものになっているんですよね。
なので、今回はその映画を見て僕が思ったこととか、感じたこととか、
あるいはその作品と結びつけた物語だとかっていうのをいくつか紹介していく形で、
なんて言ったらいいんだろうな、私、京助の思考をなんとなくトレースするような、そういう回にしていただけたらなと思います。
あと今、夜中の2時半でして、普通にちょっとダウナーなテンションなんですけど、ちょっとそこは許してください。
テンションの高さよりも鮮度をとった結果、こんな感じになっております。
じゃあ早速話していくんですけども、私が見た映画はですね、
竹橋亮監督の【14歳のしおり】という映画をですね、見てきました。
新宿のですね、新宿三丁目の木野シネマ新宿というですね、
シアターに見に行ってですね、ちょうど見てきたんですけれども、
【14歳のしおり】という映画がどういう映画かと言いますと、ちょっと特殊なお話になっておりまして、
とある中学校の三学期、2年6組の35人全員に密着し、一人一人の物語を見ていくという、そういう作品になってます。
この2年6組というのが、実際に存在する、存在した2年6組の子どもたちというものをピックアップしているものになっているので、
03:05
プライバシーの観点から、映像化、円盤化だったり配信だったりという風な売り出し方というものは予定されておらず、
シアター上映のみで放映されている作品なんですね。
2021年の春から渋谷で放送、放映されて、リバイバル上映を繰り返しながら、なんと今年で5年目に差し掛かるという、
すごいロングランで愛されている作品ではあるんですけれども、
この作品を見て、それはまあ愛される作品だよなーっていうのをすごく感じたんですよね。
この物語っていうのは、すごく平凡なストーリーなんですよね。
学校の日常生活が描かれて、授業中に寝ちゃったりだとか、移動教室で喋ったりだとか、体育の時間にちょっとサボってるだとか、
なんかそういう些細な部分なんですけれども、
その些細な出来事っていうのが単純な出来事としてとして捉えられるんじゃなくて、
35人全員のそれぞれの物語の中の一シーンっていう形で切り取られるんですよね。
たぶん僕がその35人の中にいたならば、何の気なしに見過ごすような出来事であっても、
その人がどういう人間でどういう考え方を持っているのかっていうところにまで踏み込んでみたときに、
その行動だったり表情だったりっていうものには何か物語がついて回るわけですよね。
その物語っていうものをこの映画では真摯に捉えているなというふうに思いました。
映画がだいたい2時間ぐらいあったんですけど、その2時間を本当に35人全員同じだけの時間を使って撮っているんですよ。
なので、すごくやんちゃな子も、あるいはすごく大人しい子も、あるいはあんまり学校に来れてない子も、みんな同じ時間割かれてるんですよ。
そういう構成を撮っているからこそ、それぞれ一人一人がきちっとした個別の物語の主人公で、
それがこのクラスという空間の中にたまたま収まっているんだなと。
その偶然というか、こんなに全く価値観も考え方も違う子どもたちが同じクラスの中にいて、
いったら奇妙な運命から1年同じ時間を過ごすっていうところが、学校っていうものの面白さだし、
06:12
こういう映画の切り取り方をしないとわからない部分だなってすごく思ったんですよね。
それを考えてた時に、ちょうど今日見たアニメの最終回が引っかかってきたんですけど、
今日、地球の運動についてっていうNHKでやってたアニメが最終回を迎えたんですけど、
この作品の中で語られてたセリフっていうのが、自分の中で14歳のしおりの内容とちょっと関連するなと思ったんですよね。
この物語は地動説を提唱する人たちと、それを弾圧しようとする人たちの構想みたいなものが描かれる物語なんですけども、
その構想のクライマックスですね。
地動説を否定する人と、地動説を肯定する人間が相対して語り合うっていう、非常に物語の感動のシーンみたいなところがあるんですけども、そこの中のセリフでですね。
これがすごく14歳のしおりを見終わった後に、この地を見てると、なんか関連してるなって思うところだったんですよね。
地の場合は、考え方が対立する二者間が違う考え方を持って同じ時代を作り上げた仲間なんだっていうことを、最後に敵対しながらもリスペクトしようみたいな関係性で対峙するシーンなんですけども、
14歳のしおりの中では、考え方が全く違うと。
ノリがいい、ノリが悪い、どうノリをノリに乗ったらいいかわからない。
コミュニケーションが得意、得意じゃない。
喋りたい、喋りたくない。
友達のことが信用できる、信用できない。
そういう個別の全く違う価値観を持った子供たちが、同じクラスにたまたま居合わせて、同じ1年間を過ごすっていう。
それは、やっぱり同じ一つのクラスの中にいたら考え方が似通っている子たちと仲良くなりたいと思うし、そうなりやすいはずなんですよね。
09:05
だけど、それを1個、クラスの当事者外から見て、クラスの1人1人の物語っていうものを、今回の14歳のしおりっていう映画で見たときに、
彼ら35人っていう人たちが、1つのクラスに同じ1年間を過ごせたっていうこと自体に、また1つの価値があるんだなって思ったんですよね。
最後のエンドロールで学校が俯瞰して遠くから映されるシーンがあるんですけど、
それを見たときに、今ここに映っている35人の子たちってもういないんだと。
彼らがいた教室には今別の35人の子たちがいて、また違う物語があるんだなって思うと、
彼らがいたっていう事実にすごく愛おしさを感じるというか、そういう物語もあったんだなっていうふうにすごい感じたんですよね。
なんかそこがちょうど地の最終回を見たっていうのもあって、そのセリフですね。
同じ時代に生まれ落ちることの方が思想の近さよりもよっぽど近いんだっていう。
なんかそことすごく共鳴するところがあったなって思ったんですよね。
で、今クラスっていう観点で見たんですけど、一人一人の子どもたちのいったら考え方とか思いっていうものを
一人一人の深みを知れるっていう観点でいたときに、すごくわかるなって思った感想があって、
これはポッドキャスト番組シネモア、聞くと映画が見たくなるシネモアのですね、編集部の甲田文夫さんが感想でおっしゃってたことなんですけど、
生まれたばかりの赤ちゃんに出会った後の帰り道に、すれ違う人たちみんながお母さんから生まれてきてたんだなと感じる、
あの感覚がこの映画を見ていて想起されたとおっしゃってて、
これ昔のポッドキャストの回なんですけど、
あーでもわかるなーっていう、一人一人の人間に過去があるっていうのが14歳のしおりですごく感じるところなんですけど、
これまあめちゃくちゃ当たり前なんですけど、
なんていうか、学校にいる時間以外の時間の方がやっぱり人間長くて、
そこの部分にやっぱり僕らの知らない人間性みたいなのがあったよなと、
逆に学校生活の中でも僕らの見えない時間帯に僕らの見えない世界があったんだなっていう、
12:00
一人一人の人間の成長っていうものがあってこそ今ここで大変存在してるんだっていう、
そういう感覚に結びつくっていう感想はめっちゃわかるなーってすごい思ったんですよね。
で、この感想を聞いた時に僕が思い出した歌があって、
これ田原町のタンポポの日々っていう短歌集の中にあるんですけど、
まあ歌集か、その中の一首を引用するんですが、
年末の銀座を行けば元は皆赤ちゃんだった人たちの群れ
っていうので、田原町の子育てをしている最中に得た気づきの歌なんですけど、
銀座を歩いているおじいちゃんもおばあちゃんも若い女の人も若い男の人も、
お父さんもお母さんもみんなみんな赤ちゃんだったんだなっていう。
やっぱ子供の成長っていうものに触れるっていうことは、
子供だった大人たちの存在に気づくってことなんだなって思ったんですよ。
今僕今25歳ですけど、僕も子供の頃があったんだなって思うし、
田原町さんのこの歌集での気づきっていうものと、
あとシネモアの甲田文夫さんの映画の気づきっていうものが、
どこか共鳴して子供っていう共通項で繋がって、
私の中で成長を見る物語だったんだなっていうような感想に結びついたっていうのは、
なかなか面白いというか、いやそうだよな、俺も子供だったなみたいな。
そういうふうな感想を持ちましたね。
出てきた映画の子供たちっていうのは14歳なんですけど、
彼らはやっぱりかなり大人なんですね。
僕が好きな写真家の梅香代さんの写真集に、
男子っていう写真集があるんですけど、
男子っていう写真集には小学校の男子がいっぱい出てくるんですね。
彼らはすごくお茶目なんですよ。
上半身裸でブランコに乗ってみたりだとか、
口の中にお菓子をいっぱい詰めて中身見せたりだとか、
顔に落書きしたりだとか、ちょっとちょけた顔つきをしたりだとか、
白目むいたりだとか、
そういうおもろい顔を梅香代さんの写真集では男子はしてるんですけど、
これはこれで面白いですね。無邪気さがあるというか。
でもここに写っている子供たちよりも数年大きくなるだけで、
なんかちょっと顔つき変わるんですよね。
15:02
14歳のしおみの彼らの男の子は下ネタは好きだし、
アホだし、もちろんそこは変わってないんですけど、
だけどそこにちょっとした大人の気配を感じるというか、
俺はそれがちょっと寂しさでもあったんです。
もっとバカであって欲しいなっていう、
理想の押し付けみたいなものを僕の中にもかやまみえて、
そうではなくて少しずつ大人になってるんだなと。
カメラを向けられてインタビューしたときに、
ちょっと大人びたセリフを言っちゃうようになってるんだなっていうところは、
大人の芽生えでもあるし、無邪気さとの欠別でもあるし、
ただそれは深みにある人生に一歩踏み出すことでもあるし、
そういう意味でもやっぱ成長っていうものの一端を見られる部分なんだなって思ったんですよね。
だから14歳っていうものを子供と割り切るにはやっぱりまだ早かったなと僕自身。
やっぱちょっとずつまだまだ大人になってってるんだなっていう、
なんかそういうふうな自分の考え方の見直しじゃないけど、
なんかそういうものもあって。
で、僕がすごいその映画を見てる中で、
なんか子供らしいけど大人になる一歩にもなるんだろうなっていう物語があって、
話はぼかすんですけど、
ある男の子が学校に来れなくなっていて、
そのきっかけっていうものをなんとなく心配している男の子が、
その学校にあんま来れてない男の子に手紙を出すっていう。
自分の思いっていうものを伝えるっていうことをするんですね。
で、結局のところその手紙がどれくらいその相手に伝わったっていうかどうかっていうところはあんまり問題ではなくて、
なんかその自分の思いを率直に伝えるっていう大人になるとなかなかできないことをやってみるっていうことが子供らしさでもあり、
その行動を移せるっていうところは一つ大人的な勇気を持ったところなんじゃないかなって思ったんですね。
それを見たときに僕が思い出したのが、君たちはどう生きるか。
あれです、ジブリの方じゃなくて、
吉野源三郎の原作の方ですね。
君たちはどう生きるかの話をすごい思い出したんですけど、
6章、雪の中の出来事の中でですね、主人公のコペル君が上級生にちょっといじめられてるお友達たちに後ろめたい気分になって落ち込むっていう。
18:10
上級生の男の子たちが自分の友達をいじめてて、
こいつらの仲間出てこい、早く出てこいって言うんですね。
で、自分以外の友達はみんな一緒に、
まあ言ったら上級生に叱られたんだけど、
主人公のコペル君は言い出す勇気が持てずに、そこで仲間として一緒に怒られてあげられなかったと。
で、それを後ろめたく思ったコペル君が体調を崩しちゃうっていう。
可愛くないですか。
そういう話があって。
で、僕が思い出したのは、その事件があったその後の話で、
コペル君がその話を自分のおじさんに相談するんですね。
これこれこういうことがあって、今僕はすごい思い悩んで学校になかなか行きたくないんだよと。
コペル君がそのおじさんに相談をすると、おじさんが今すぐ手紙を書きたまえ。
手紙を書いて、キタミ君、そのお友達にですね、謝ってしまうんだと。
いつまでもそれを心の中に持ち越しているもんじゃないよと言うんですよ。
そしてコペル君が、そうすればキタミ君たちは機嫌を直してくれるかなって言うと、
おじさんが、いやそれはわかんないよ。
え、じゃあ僕嫌だ、コペル君が言うわけ。
そうするとおじさんが、ほら、11、怒るんですよね。
そんな考え方をするのは間違ってるぜ。
君は友達同士の固い約束を破ってしまったんじゃないかと。
先輩の黒川君の原骨が怖くて、とうとうキタミ君たちと一緒になれなかったんじゃないか。
そして自分でも悪かったと思い、キタミ君たちが怒るのも仕方ないと言っている。
それなのになぜそんなこと言うんだい。
なぜ男らしく自分のしたことに対してどこまでも責任を負おうとしないんだ。
ってことを言うんですね。
ここの謝りはしようよ。
だけど許してもらおうだなんてことは思うんじゃないぞ。
君がやった悪いことに全部チャラにしようだなんて思うまいよっていう。
そういう一括を加えられる話があるんですけども。
この話と繋がるところじゃないんですけど、
14歳のしおりの手紙の中でも、あの出される手紙の中でも、
何かこう全てをチャラにしたいんだって思いで手紙を出しているわけじゃないんですよね。
21:02
むしろ、なんて言うんだろうな。
自分がそのきっかけに関わってしまったことに対する申し訳なさと、
それでもあなたがいいようにしてくれと。
あなたが過ごしやすい形で過ごしてくれ。
私はあなたに申し訳ないと思ってるけど、
この謝ってることすら嫌なのであれば、私と関わらなくてもいいよ。
まあそういう、まあ今違約ですけど、まあそういう謝り方をしてて。
なんかこう、仲直りの仕方が、
相手から完全に許してもらうこと以外の形で仲直りするっていう道筋を、
彼は知ってるなあというか。
子供の時ってごめんなさいって言ったらいいよって言いなさいって小学生の時言われませんでした。
なんかそういう形で対外的にも内面的にも謝るってことをしたんだったら、
態度として許しを許してあげなさいよみたいな。
なんかそういうのあるんですけど。
これって僕怠慢だと思ってて、コミュニケーションの怠慢だと思うんですよ。
コミュニケーションってそういう形じゃなくて、
その一般論で語る道徳的な話題ではなくて、
個別の悩み問題の中でどうそれに対して向き合うかっていう倫理の問題を、
やっぱりその許し謝罪っていう行動の中には込められてると思うんですけど、
その個別具体の事象に対する取り扱い方っていうものの一つの物語が、
君たちはどう生きるかのコピルくんの話であるし、
今回はそれを現実世界で実践している形として、
14歳の子寄りの彼らの手紙のやりとりがあったんじゃないかなって思ったんですね。
ここで結局のところ許されたとか許されなかったとかっていうところは、
これは倫理の中の結論の話であって、
そこに価値が生じるものではないと思うんです。
重要なのはそこで謝る勇気が備わったこと、
そして許し方にただ対外的に許しの態度を見せるだけではないということを理解したこと、
っていうところがすごく重要なことだったんじゃないかなっていう風に、
彼らの物語を見て思ったんですよね。
というところで、映画の感想ですね。
すごく僕が、僕の漫画とか短歌とか、
あと小説とかのですね、これまで見てきたと写真集か、
みたいなものを振り返るような形で
ああだったなこうだったなっていうのを思ったんですけど、
24:03
最後になんかちょっと関係のない話をするんですけどね。
関係のない話をするっていうか、
映画を見ててなんか帰り道にすごい思い出した、
僕の思い出があって、
大学の3年だったと思うんですけど、
だったと思うんですけど、
すっごい雨が降ってる日に傘さして僕歩いてたんですよ。
家までもうあと50メートルっていうところで、
道の向かい側から女の子が歩いてきたんですね。
高校生の女の子が歩いてきたんですけど、
めちゃくちゃ大雨なのに傘さしてなくてずぶ濡れなんですよ。
で僕一瞬この傘を渡そうかなって思ったんですよ。
ビニール傘だったし、あまりに濡れてたんで。
だけどそこで僕は声をかける勇気が持てず、
というかなんか不審に思われるかなっていう心配が増さっちゃって、
声をかけなかったんですよ。
で結局傘をさして家まで帰って、
扉を後ろ手で閉めた時に、
うわ俺何やってんだろうなと。
目の前に困ってる人がいたのに、
なんでこの傘あげなかったんだろうなって後悔がそこで湧いてきて、
家に帰ってから湧いてきて、
いやこれはちょっとどうにもならんと思って、
家を出て、
ずぶ濡れの女の子がいないか探したんですよ。
だけど結局その女の子はもういなくて、
あーなんかもう取り返しのつかないことやっちゃったなと思って、
あそこで素直に渡してたら、
あの子も助かっただろうになと思ったんですね。
したらたまたま別の男の子が、
ずぶ濡れになった状態で、
バーって走ってきたんですよ。
隣には傘をさしてる男の子がいて、
傘じゃないカッパか、カッパを着てる男の子がいて、
二人で歩いてて、
で一方の子がずぶ濡れだったんで、
あ、あの子濡れてると思って、
よかったらこの傘使ってくださいって言って、
その高校生の男の子に傘を渡したんですよ。
そしたら男の子めちゃくちゃびっくりしてて、
え、いいんですか?ありがとうございます。
って言って傘を渡して、
僕は濡れて急いで帰ったんですよ。
で男の子が傘さして帰ってって、
で僕傘渡した後に家帰って、
また後ろ手に扉を閉めるんですけど、
もうそこで、
俺はもうなんてことをしてしまったんだと。
27:00
最初に渡せなかったのは、
俺の罪で、
それを別の困ってる人間で、
生産しようとすることのおこがましさ。
困っている誰かを助けたいっていう純粋な心から、
困っている誰かを助けられなかった自分を、
言ったら失望させないようにするっていう、
自己保身に回ったことに対する嫌気が、
その傘を渡した後に出てきて、
うわぁもう俺なんてことしてしまったんだと、
さらにそこでもっとへこむっていうことがあったんですよ。
でそこで僕は、
自分の至らなさを、
他の誰かで補填しようとすることはやめようと。
自分が勇気を持てなかったときは、
自分をどうしたら勇気を持てる人間になるかを考えようと。
その場で自分が動ける人間になることっていうのが、
大事なんだなってその時に思ったんですよね。
14歳のしおりの彼らっていうものは、
なんか僕がその大学生に思った時のこと、出来事みたいなのが、
すごく細やかな形で発生してるなって思ったんですよ。
僕は、見ず知らずの高校生に傘を渡せなかったことを悔やんでたんですけど、
彼らは顔の見える範囲で、
次の日にすら会える人たちに対して、
ああすればよかったな、こうすればよかったな、
あるいはこうなりたいな、ああなりたいなっていう悔やみがあると。
そしてそれを取り返せる人が目の前にいるっていう状態であると。
なんかそれってすごくやり直せる空間なんだなと思ったんです。
僕はやり直せなかった。
やり直しの機会を逃したからこそ僕は自己嫌悪に陥ったんですけど、
そのやり直しの機会が保留できてしまうような空間にある。
その解決のしなさっていうものが、
彼ら14歳の未熟さでもあり、
なんだけれども、そのやり直しが手を伸ばせる範囲にあるっていうものが、
僕はすごく羨ましいなって思う空間でもあったんですよね。
これは多分きっと大人になったからこそわかる視点で、
30:00
いざそう言ったら、
なんか足とけばよかったなっていう後悔の念を抱く相手が目の前にいたらすごく気が病んじゃうと思うんですけど、
今やそういう身近な人と喧嘩するっていうこともなくなっちゃいましたし、
あるいは喧嘩をしたりとかして、
この人価値観合わないなと思ったら、人間関係なんてスパンって切れるような状態なんですよ。
そうではない空間っていうものが教室にあって、
なんかそういう人間と一緒にいざるを得ないという状況は、
僕のその自分の至らなさを別の人間で補填したっていう経験からすると、
むしろ自分の成長とか見直しみたいにつながる出来事がある場所なんだなぁと思って、
ほんの少しだけ羨ましくも思いましたね。
なんかそういう自分の思い出ともね、なんか結びつけたりとかして、
これ不思議と中学校の時の思い出とはあんま結びつかないんですよね。
多分それ本当にリアルだからだと思うんですよね。
僕とは違う中学時代だからこそ、直接的に中学校の記憶と結びつくものではないものがいろいろ思い浮かぶっていう、
リアリティがゆえの物語のなさ、物語のなさゆえの共感のなさ、共感のなさゆえの関連性の多さというか、
なんか自分の中ではそういうふうな思いがいろいろバーって浮かんできましたね。
はい、というところで、いろいろ一人でお話をしました。
14歳の私よりリバイバル上映をしまして、もうしばらくの間、少なくとも東京の方では上映されるようです。
池袋、新宿、森下、菊川か、菊川の映画館、ミニシアターなどで、しばらくまた14歳の彼らに出会う機会があるそうです。
気になった方はぜひご覧ください。
そして、この映画を見た方は、この映画良かったよね、みたいな感想をこのラジオにいただけますと嬉しいです。
このラジオにはメールアドレスがございますので、メールアドレスをちょっと読み上げますね。
メールアドレスは、とりあえず.ベンチアットマークgmail.comです。
皆さんの感想、ご意見、何でもお待ちしております。
ぜひとも応募ください。
33:02
はい、最後は中学校あるあるで締めたいと思います。
中学校あるある、理科室の蛇口、水圧強めがち。
以上です。ありがとうございました。
とりあえずベンチでは、リスナーの方からのご感想、ご質問などお待ちしております。
宛先のホームリンクは、ポッドキャストの概要欄をご確認ください。
よろしくお願いいたします。
33:49

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