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英国紳士は何の話をしないんでしたっけ? 政治の話と、宗教の話と、お金の話。
この3つは、英国紳士はこの3つの話をしないというふうに、昔々聞きまして、
英国紳士ではないんですけれども、その3つの話は、別にそのポッドキャストに限らず、しないようにしようと思っていて、
それに加えて、健康の話ですね。 年が行くというか、おっさんになると健康の話が増えてくるそうで、
健康の話は増えないですね。 健康ではないという話が増えてくるそうで、
肩が痛いとかね、膝が痛いとかね、そういう話は、なるべくせんとこうとは思っているんですよね。
そういうのが増えてくると、年が行ったというか、老化の証拠ということで、
そんな話をしなければ、老化をしてないということではないので、しなければいいって問題ではないとは思うんですが、
なるべく不要意に、そういう話はせんとこうと思って、常々生きておるわけですけれども、
それでも、やっぱり周りが自分と同じような年齢ですから、そういう話がついつい増えてくる、
今日この頃でして、今日すごくいい話っていうのかな、すごいそうかと思う話を聞きまして、
人間ドッグなのかな、健康診断なのかな、それを定期的に受けますよね。
定期的に受けて、たまたま別のところで警告が出たのを調べに行ったら、
すごい自覚症状の少ないがん、あれ腎臓がんって言ってたかな、膵臓がんって言ってたかな、腎臓がんかな、
の初期の状態が発見されて、早期に手術ができてよかったという話を聞いて、
人間ドッグというか健康診断というか、それの区別もそもそもついてませんけど、
やっぱりそういうのってやっとったらええこともあんねんなという話を聞きまして、なかなかいい話でしたですね。
もう本当わかんのでしょうけど、何年か健康診断とか人間ドッグ行ってなくて、
勤め人の頃は昔からイケイケ言われるのと、ある程度手配手続きがそんなに大変じゃなかったので、
割と真面目に毎年行ってたような気がします。
経営サイドになって忙しくなりすぎて行かない年もありましたけど、基本的には行ってたんですけど、
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いよいよ自分で独立してやるようになると、逆にほぼほぼ行かなくなってしまって、
一番の理由は手続きが面倒くさすぎるということにあり、
教会憲法の案内がしょっちゅう来るんですよね。社員に受けさせてくださいっていう。
経営者としては我々は多分社員に受けさせるのが義務になるんですかね。
それで連絡が来て、それを見て、日にちを見て、場所を見て、
1年放棄して、受けようと思って電話をするとですね、
申し込みにファックスで遅れとか郵送で遅れとか、正直訳のわからんことを言われて、
だいたいそこではーってなって、やる気を失って手続きをやめるということが繰り返しておりまして、
結局ここしばらく検診を受けてないけれども、
そうやってたまたまでも見つかるという話を聞くと、
なんかやる意味というかやる価値はあんねんなとたまには思ったりします。
なんか聞いていると集団検診がいかんということで、
個別に病院にアポ入れしてやればいいということだそうなんですけれども、
こうやって話しているだけで憂鬱になってきますね。
その検診に行くことが憂鬱ではなくて、
検診を受けるまでの手続きとか、検診を受けるまでなんかあれかけこれかけ、
なんか尿を取ってけとか、なんかああいうもろもろのことを想像するだけで憂鬱になってきます。
ので一旦忘れて、まあ言ったらいいこともあるらしいということだけ、
頭に少し留めて一旦ちょっと忘れようと思いますね。
それはさておくとして、
最近いろんな人とお話をしていて、
もちろん知っている人と話をしているときに、
なんでポートキャストを始めたんですかっていうことを聞かれることが複数回あって、
まあその時々で適当に答えてはいるんですけど、
あんまりスパッと答えられていないなあと思ったので、
考えを整理しがてら、ちょっとどういう問題意識というか、
どういうことを念頭に置きながらやっているのかとか、やり始めたのかとか、
どういうふうにしたいかっていうことを話してみたいかなと思いました。
一番思っていることは、いろいろつらつら考えることを、
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もうちょっと大事にできるといいよなということを思っているというのが背景にあると思います。
英国紳士ではないんですけど、
英国紳士の市内三つの話、政治、宗教、お金ということがあるので、
政治の話をあんまりしたくないし、政治の話としてするつもりは全然ないんですけれども、
今度の選挙の様子なんかを見ていても、
いろんなことがすごく短絡的になっているなあと思うんですよね。
もちろんそれは政治だけで思っているわけではなくて、
投票とかそういうことだけで思っているわけではなくて、
本屋さんに行って本を見ても、わかりやすい本ばっかり並んでいるような気がしちゃうんですよね。
職業柄勉強もせなあかんなあと思って、
1年間に100冊とか200冊とかいう冊目標を決めて読むっていうのを何年単位で、
10年はしなかったかもしれないけど10年単位でやっていて、
そうやって手当たり次第読んでいると、本当に簡単に書いてある本が多すぎるなあという気がだんだんしてきていて、
もちろんややこしいこととか難しいことをなるべく簡単に伝えるとか、
なるべく簡単に伝わるように話すとか整理するとか、
そのことはすごく大事なことだと思うんですけれども、
簡単であるとかすぐにわかるということが目的化されすぎて、
単に簡単な本、内容の浅い本とかいうのがちょっと、
全部がそうだとは言いませんが、ちょっと多すぎるんじゃないかなという気がしてたんですよね。
なので後半の方とかは、わかりやすい本を読まないとかいうハードルをつけて、
古典を読むとか、現代日本語じゃないやつを読むとか、日本語じゃない本を読むとか、
とにかくわかりにくい本を探して読むということをしてたりしました。
それが良かったかどうかというのはさておき、
だいたい何かの小説の登場人物が言っていて、あれは何だったかな?
岸田長吾路かな?
ちょっとパッとこの本の、この小説のこのシーンということがパッと特定できないんですけど、
説明しなければわからんということは、説明されてもわからんということだというセリフを言う登場人物がいまして、
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確かにそれはそうだなぁとその時すごい思ったんですよね。
説明されないとわからないということは、説明されてもわからないということだと。
逆に言うと、わかるということはすでにわかっていることで、説明されなくてもわかる。
だから、今わからないことが何分後か、何日後か、何週間後かわからないですけど、
今この時点ではわからないことが、未来のどこかの時点でわかるようになるっていうのは、
そんなに簡単なことではなくて、説明されてわかるということでも多分なくて、
もうちょっと何か複雑というか謎のプロセスがあって、その結果としてわかるようになるっていうことだろうと思うんですよね。
そうなった時に読んでパッとわかるような、わかりやすいような本とか情報ばっかりがあふれているのっていうのは、
本当にいいことなのかなという疑問が常々あります。
今は本について言ったわけですけれども、ニュースだとか新聞記事でもいいんですけど新聞記事だとか、
SNSの投稿でも一言で言うと、わかりやすいもの、パッと見てわかるものが多すぎますよねと思っちゃうんですよね。
そういう意味で、食べ物ではないわけですが、いろいろ入ってくる情報っていうものが流動食みたいな食べ物、
歯応えのない、スルッと飲み込めるような情報が、インプットが多くて、
そういう口当たりが良いものの欠点は、すでにわかっていることを理解しているものは、うーんそうかと思って聞いて、
口当たりをよく流し込めばいいわけですけれども、結構ありがちなことだなと思っているのが、
わかりやすく説明されているので、わかった気になっちゃうっていうことの危険性が大きいんじゃないかなっていうふうに思っています。
これに類することで、この間誰かに教えてもらったんですけど、ダニングクルーガー効果というふうに名前がついているそうで、
そういう名前がついている現象があるそうで、ダニングクルーガー現象かな?ダニングクルーガー効果かな?ちょっとどっちかわからないですけど、
そういう名前がついているのがあって、何か正しい定義とか正しい概念というのは何か調べていただいた方がいいと思うんですけれども、
すごいざっくり言うと、わかってない人とか素人さんの方ができると勘違いするという現象のことだそうです。
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そういうものが割と普遍的に、別に日本だけとかアメリカだけとか、何かどっかの特定の地域だけじゃなくて、結構一般的にあるとするならば、
そういう口当たりのいいことばっかり聞いたり学んだりしていると、何かわかったわかったっていう気になっていると、本当は全然わかってないと。
自分が全然わかってないということにすごく気づかないまま先に行ってしまうということがすごく起きやすいということだと思います。
だからランニングクルーがこうかっていうのを聞いて以来、気をつけるようにしているのは、
わかったって思った時は多分どっちかの可能性があって、既にわかっていてやっぱりわかっていると思っている場合と、
本当は全然わかっていないのにわかったつもりになっている場合と、割と両極端の両方のパターンがあり得るんだろうと思っていて、
でもそんな風に思っていると、わかりやすい話とかすぐわかるようなことを聞いていると、これどっちなんやろうって考えているとだんだんめんどくさくなってくるというところはありますよね。
そういう観点でいくと逆説的なんですけど、ちょっとどういうことやろうな、ちょっとわかれへんなっていうような話を聞いたり読んだり考えている方が逆に楽なんじゃないかなと思ったりします。
今は情報なり、本でも情報でもニュースでもいいんですけど、それを受け取る方の立場の観点から言ってきてみましたけど、
仕事上とかいろんなところで最近思うのは、発信者というか何かを書いたり表現したり、人に伝えるためにプレゼンをしたりとかいうことも含めてですけど、
そういう時に聞いてにとってわかりやすいように伝えられる人がすごく実は少ないんじゃないかなということですね。
割とよくあるパターンは身内とかその文脈をよく、背景とか文脈をよく理解している人に伝えるのはできる、むしろ得意である、しかしちょっと背景が違う人とか文脈が違う人に伝わるような説明の仕方とか言葉使いということが
必ずしも得意じゃないというケースが結構多い気がしています。あるいはわかりやすいように伝えているように見えるんだけれども肝心のことが抜けている、単にわかりやすいだけで情報なり密度が薄まっているケースというのも多いような気がします。
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なので個人的にはAI、LLMがわかりやすくていい文章を書くとはあんまり思ってないんですけれども、LLMが書いた文章を遂行して最終形にするという作業を繰り返していると、なんてこの人たち文章が下手なんだと思うのが基本なんですけれども、
それにしたって人間が書くよりLLMが書いた方がまだわかりやすいようなって思うことが少なからずあります。もう人間が書くのはやめて下書きだけ書いてLLMに書かせた方がいいんじゃないかっていうアドバイスをしたりすることもあります。
これは上手く表現できないとか伝えることができないということを非難しているわけではなくて、そういう意図ではなくて、そもそも相手は自分とは違う人なんですし、文脈が違う相手に伝えるということはそもそもがそんなに簡単なことではないはずなのに、
それの簡単ではなさということがあまり上手く認識されていないんじゃないかなと思うことが最近よくあるんですよね。
なので、もう少しわかりやすい話とかパッとわかる話ばかりではなくて、すごくわかりやすい気もするんだが、よく考えてみるとあるいはちょっと立ち止まってみるとあれ、よくわからんぞみたいな話が、
世の中的な比率がもうちょっと増えてもいいんじゃないかなというふうに思っていて、それをこういうポッドキャストでやることで何か影響を与えられると思っているわけでもないんですけれども、
それでもあまり短絡的すぎない話、ああでもない、こうでもない、こういう側面から見たらこうかもしれないが、こういう側面から見るとそうでもなくて、どっちからどういうふうに考えたらいいのか、よく考えるとわからなくなるなぁみたいな、
何がどうわからないかとか何がどうすっきりしないかっていうことはわかるんだけれども、結論はちょっとスキッといかないなぁみたいな、そういう話をポッドキャストで提供できると面白いんじゃないかなと思っているということですね。
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多分そういう微妙にわかりにくい話、なんかこの微妙にわかりにくい話というのに名前がついていないのでこれって言いにくいんですけれども、何を言っているかわかる、何を疑問に思っているかわかる、どういう論点かはなんとなくわかる、しかしじゃあどういうふうに結論づければいいのかはパッとすっきりわからないみたいな話のことですね。
なんかそういう話を展開する、提供するなら、書き物とかブログとかYouTubeとかSNSではないんじゃないかなという気がしていて、そういう仮にうだうだ話と呼ぶとすれば、
そういううだうだ話をするなら、ポッドキャストっていう音声というメディアが向いているんじゃないかなと思いながらやっているということです。
これをずっと一人でやりたいというよりは、いろいろな面白いことを考えている人のところに行って、最近そういうことを考えているんですねとか、そういうところでちょっとすっきりしないみたいな感じを持っているんですねとか、
すっきりと結論を持ってやってたつもりだけど話をしていくとちょっとモヤモヤしてきたとか、逆にモヤモヤしてたなと思って2人で話してたら少しすっきりしてきたとか、
なんかそういう行ったり来たりのうだうだ話っていうのが、そういう話がやれて聞くものとして面白いものにできるのであれば、ちょっと面白いことになっていくんじゃないかなという期待を持って、
ポッドキャストを始め、またポッドキャストをもうちょっと続けてみようかなという風に思っています。
まあ他の問題意識というか気にしていることというと、意外と人は人の話を聞けないんじゃないか問題、そんなことに最近気づいた問題というのもあり、
そのあたりも話が短絡的な話、思考のラリーがいたり来たりが少なすぎることと、世の中的に少なすぎることと関係しているんじゃないかなと思っているんですけど、
またそれは別のところで別の会議でも話せればなという風に思います。
なぜこういうような短絡的な話とか短絡的な結論が多いかというと、もちろんいろんな環境要因が、条件とか要因があるんだと思うんですけど、
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大きなこととしては不確実性が高いというかいろんなことが分かりにくい状況になると、人間一般的な傾向として分かりやすく単純なものに飛びつきやすいという傾向があると思います。
心理学の世界か集団心理の世界かちょっと正確な分野が分からないですけど、選択肢が多すぎると人間考えられなくなってすごく短絡的な結論を導きやすいというのは実験で明らかになっていると理解してます。
今だけでは実はないのかもしれないですけど、本当に今は変化も激しいし、先行きどうなるかという予測可能性がすごく低いし、誰に聞いてもこの先こうなりますというのが分かりにくい状況にあると思うので、
いろんなことを短絡的に選択するというのが全体的な傾向なり環境からの圧力というのはあると思いますし、多分その状況は変わらないと思うんですよね。
もっと変化が激しかったり情報量が増えたりすることはあれ、変化が緩くなったり情報が減るということはもう多分ないと思うんですよね。この後には戻らない不可逆的な変化だと思うので、
そうなる前提で短絡的な結論に飛びつかないような体制を上げておくということは、このポッドキャストで多くの人に届けるというふうには思っているわけではないんですけれども、
そういうふうに考えるのは面白いなと思ってくれる人にとっての頭の体操的な役割が果たせる可能性はあるんじゃないかなと期待しているということです。
今日はそんなところで、今回は英国新誌じゃないんですけど、一言で言うとウダウダ考えるということが今の世の中とか今後将来に向けていいんじゃないかと、そんなことを念頭に置いて、
ポッドキャストを始めた、続けてみている、もうしばらく続けてみようと思っているという話をしました。
次回はゲスト会をやりたいなと思っていて、リアルで収録もありなんですけど、そろそろネット越しの収録も試したいなと思っていて、
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そろそろ1回ぐらいオンラインで収録をして配信するというのがやってみればなというふうに思っています。
ゲストは何人かの方を想定していますが、誰になるか、それがそもそもうまくいくのか楽しみにしていただければと思います。
ショーノートなどは、リッスンが本体で、URLがリッスン.スタイルスラッシュPスラッシュトラジオ。
過去のエピソード一覧ですとか、過去のエピソードごとのショーノートがありますので、ご活用いただければと思います。
SpotifyとAppleのPodcastにも配信していますので、そちらにもショーノート各エピソードごとのショーノート配信されていますので、
使いやすいお好みのPodcastアプリを使っていただいて、音声もショーノートもそちらで見ていただければというふうに思います。
それでは今日もありがとうございました。