和牛バーガーへの期待と現実
マイクを持って行き忘れたっていうのもあるんですけど、さすがに ポッドキャストを少し撮ろうかなという余裕もなく、1週間が終わってしまって、少し
間が空いてしまいましたが、また出張に出かけようとして、 降りていうか、今も出張に出かけてきていますが、京都駅の近くに
ハンバーガー屋さんが、半年くらい前にできてまして、 和牛バーガーを売りにした、看板にしたハンバーガー屋さんができていて、
あの辺り、ヒルトンのグループなのかな。割と少し高めのホテルがあったり、 高くないホテルも含めて宿泊施設いっぱいあるからやと思うんですけれども、
割といつも外人さんが入ってて食べているので、 いつかはちょっと行こうかなと思って眺めていたところで、
今日はそのまま新幹線に乗るまでの間に少し早めに出られたので、 マクドナルドでも行ってポテト食べてから行こうかなと思って移動し始めていたところ、
その和牛バーガーの店を通りかかったので、 先生、前から1回ぐらいは行っておきたいなと思っていたので行ってきました。
正直そもそもがそんなに期待していなかったというか、 多分外すなというのはすごい高い確率で外すなと思っていた。
しかし一度は行かずに判断するのは良くないと毎回思って横を通り過ぎていたところなんですよね。
それからそもそものところでいくと、 食べ物屋さんとか食べ物について美味しいの美味しくないのを言うのはすごい難しいことだと思っているので、
特にネガティブな感想はあまり積極的に言わないようにしようと思っているんですけれどもね。
仲の良い友達に箱が美味しかった、箱が美味しくなかったみたいな話をしていると、
何かの時一緒に食べに行ったらすごい黙って食べてて、
ようよう聞いたら自分は美味しいと思うけど、 これ美味しいって言ったら実は僕の方がこっちの方が美味しくないと思っていて、
こんな美味しいと思っているのかって言って、怒られそうもしくは馬鹿にされそうで美味しいねって言われたっていう話があって、
そういうこともあるので、あまり美味しいのまずいのということをなるべく軽々しく言わないように気はつけているところですけれどもね。
それと美味しいまずいって割と相対的というか、いろんな状況依存のところがあって、
もちろんそれぞれの好みという話もありますし、
その状況を含めてとか思い出を含めて美味しい、美味しくないっていうのってあるじゃないですか。
例えば、孤独のグルメの原作者の、あれ名前なんでしたっけ。
そうそう、くすみさん。漫画を描かれたり、音楽されているくすみさんがエッセイを出してあって、そのエッセイに書いてあった話なんですけど、
何の合宿かな、なんかの合宿、絶食合宿やったか、何の合宿やったか忘れてる。
あまり食べられない系の合宿に行って、数日間過ごして、和歌山の山奥だったと思うんですけれどもね、
そこから下山してきて、小さな山下りたところの町に戻ってきて、
その時に食べたナポリプタンのスパゲティがめちゃめちゃ美味かったっていう話を書いておられて、
例えばそういうふうにお腹が減っている時とか、しばらく食べられなかった時に食べるものはめちゃめちゃ美味しいとかいうことも、
そういう状況依存の中にはそういう状況依存もありますよね。
あとは故郷を思い出させるような食べ物が美味しく感じるとか、そういう思い出補正みたいな美味しさっていうのもあるので、
なかなか絶対的な美味しさって何なのかっていうのはすごく難しいし、
多分美味しいって何っていうことは科学的には説明しきれてないし、しきれてないんじゃないですかね。
そもそも味と匂いの区別がどこにあるかっていうことも、
あれは和食の方が言ってはったと記憶してますけど、
京大科なんかの共同研究をやって、結局味なのか匂いなのか明確に区別することはできない。
嗅覚と味覚っていうのはどこからどこまでがどっちなのか区別ができないっていう結論が出たと記憶してますけれども、
そもそも非常に絶対的な基準がないというか客観的な基準がないので、
美味しいとか美味しくないというのはすごく話がしにくい分野だと思うんですね。
なので仮に言うとしても何でそう思ったかということをちゃんと丁寧に解説しないとすごく誤解をもたらしてしまうという危険があるのかなという気はしています。
それはそうとしても今日の和牛バーガーはなかなか自分の基準で行くとそれはないなというか、
もう1回行く可能性はゼロだなっていう水準ではありました。
基本的にはもう全面的にレベルが要求水準に達していないので、
全然発信にも応にもかからないですけれども、
この具体的なところを根拠というかなぜそう思うかということを2つぐらい挙げると、
1個目はチーズ。
一応その店のシグネチャー、うちの店の看板商品ですって書いてあるやつを頼んで、
細かくよく見てませんでしたけど、いろいろ入っているやつ。
味覚の相対性と記憶の補正
半熟卵って言えへんわ、あれ何卵って言うんやろ、半熟卵か。
半熟卵を割ったやつとか、パテにチーズがかかっていて、みたいな。
オニオンフライとかも載っているやつかな。
ベーコンも入っているやつか。
まずチーズがちゃんとメルトされてなくて、
ハンバーガーにチーズを挟むとしたら、メルトしてなんぼじゃないですか。
パテの上にチーズ乗せて、いい感じにメルトしてるからあれハンバーガーとして成り立つんだって。
食べてたら黄色い板みたいなのが出てきて、薄焼き卵かなと思って。
外国人向けの日本っぽさを打ち出すような店やから、薄焼き卵が入っているのかなと思ったぐらい。
謎の黄色い薄っぺらいものが入っていて、
そんな薄焼き卵入りのハンバーガーなんか頼んだ覚えないけどなと思って。
指でほじほじしてたら、これチーズやわみたいな感じ。
それが意味することは、メルトしないという選択を選んだのかもしれないですけど、
多分、火加減をどうしたらいいか作ってる人がわからないということなので、きついですよね。
それからもう一個ダメダメだなと思ったのはベーコン。
ペラペラのスーパーで売ってる薄切りベーコンでも入れてるのかなっていうくらい、
ペラペラの味のないベーコンが何枚かちょろちょろと入ってて。
もちろんそんなペラペラのベーコンなので、きちんと火を入れているわけでもなく、
半生みたいな状態でハムみたいな感じでプローンと挟まってて、
もうなんかそれやったら入れんといたらって思うくらいのベーコンが入ってて、
これまた愕然としたハンバーガーでしたね。
もちろんこれはハンバーガーに何を求めるのという話なので、
好みとか方向性の違いもあるんでしょうけど、
ハンバーガーはあれば肉を食うてるのだって。
肉を食うてる中にベーコンを入れるのであれば、
肉肉しいベーコンかつ牛にさらに豚を加えてるのは何でかというか、
スモーク臭を求めてるのであって、スモーク臭も何もない、
ペラペラの生々しいハムみたいなのが入ってても、
少なくとも自分が求めてるハンバーガーとそれは違うという感じでありました。
なんかよく考えてみれば、
ハンバーガーの話をこのポートキャストでは要してるような気がしていて、
ハンバーガーの日本的進化への興味
もちろんハンバーガーが好きであるということもあるのですが、
ようやく思い返してみたらもう20年くらい前かな、
30年前くらいかな、から、
ハンバーガーって何やねんという事にだいぶ興味があって、
当時の問題意識というか問題意識というと大げさですけど、
問題意識としては、
日本人にハンバーガーを作れる日が来るんだろうかっていうことが、
その当時の2000年くらいですかね、2000年くらいの問題意識で、
別に日本人が日本にいて、
ハンバーガーってアメリカの食べ物ですかね、
アメリカ人のようなハンバーガーを作れるべきだと思っているわけではないんですよね。
一つの方向性としては、
アメリカ人が考えるようなハンバーガーを日本人が作れるっていうのも、
一つの方向性としてはありだろうと思います。
例えばちょっとずれますけど、
書道の世界で、
空海さんってめちゃめちゃ字うまいじゃないですか。
空海さんの字のうまさって、
本当に中国の応義師とか応用順とか、
ああいう超正統派の党の時代の章を学んできて、
いわゆるその章の世界の創始者クラス、教祖クラスではないとしても、
その弟子というかそのフォロワーの中では、
超一流の書家として学んできて、
日本に戻ってきて、日本でも字を書き続けたと。
これは中国から章というものを学んで輸入してきた時に、
本場の一流のレベルのことができるようになった例と言っていいと思うんですよね。
ハンバーガーにしてもそういう方向性の、
本場に行っても引けを取らないクラスのものを作る方向性というのは1個あるんだろうと思います。
一方で本場にはないけれども、
アレンジしたものでいいものを作るということももちろんあって、
有名というかよくある例でいくと、
お寿司のカリフォルニアロールというのがあります。
あるらしいです。
カリフォルニアでカリフォルニアロール食べたのかな。
カリフォルニアに行った時に食べたのかな。
ちょっと覚えてないですけど、
カリフォルニアロールというのがあり、
これはこれでうまいと。
あれを日本の寿司だと思うと全然寿司じゃないと。
でも寿司にヒントを得て作った料理として見たときには、
普通にちゃんと美味しいし、
一つのジャンルとして確立している。
文化の受容と日本独自の発展
そういう風な進化の仕方もあると思うんですよね。
日本の歴史的な文化需要ということを考えると、
われのこっちの方が得意で、
後者の方ですね。
全然違うものにするんだけれども、
すごい高いレベルまで持ってきてしまって、
一つのジャンルにしてしまうという、
文化需要の仕方の方が得意なんだろうと思っていて、
例えば茶道なんか、
抹茶の方ですね。
抹茶の茶の湯の方の茶道なんか、
典型的な例ですよね。
他に天ぷらとかも、
西洋の美容みまねのフリットみたいなやつを、
蒸し料理として定義し直して、
ディープフライを中心にするという、
非常にユニークな方法で解釈し直して、
江戸の三大名物、
寿司、うなぎ、天ぷらでいいですかね。
それの一つ、文化の一つにしてしまうというあたりの手腕というのは、
なかなかこれすごいものがあるなと思ったりするわけです。
他にも日式中華というジャンル、
本番の中華料理とは似ても似つかないものだけれども、
美味しいものに、
ジャンルとして美味しいもの、
文化として広く普及するところまで持っていくとか、
ラーメンもそうだと思いますし、
食べ物の話ばっかりしているようですけれども、
すごい日常的に使っているやつでいくと、
ひらがなからスタート、
かなり古いものでいくと、
ひらがなからそういうものですよね。
日本の主語が大きくなりすぎているような気がしますけれども、
日本の文化需要とか文化の作り方の一つの典型として、
本番のものとは似ても似つかないけれども、
ちょこっと似ているけれども、
とても本番にあるものとは違うがしかし、
十分に洗練されて非常に面白いものを作るということは、
何千年単位で得意として生きていることであって、
そういうことを日本の人々はハンバーガーにおいて
できるんだろうかということに
興味を持って観察しているわけですね。
たぶん2000年ごろなので、
言葉の解釈と視点の違い
20年、30年前はもう少し傑気盛んだったので、
前者の方、本物をきちんと真似できないのはなぜかというところに
問題意識があったような気がしますが、
今の地点から見ると、
どのように需要していくかというところに、
今の観点からいくと興味があって、
ひらながながどういうふうにできていったかというのは、
今さらリアルタイムでは体験できないわけじゃないですか。
あるいは天ぷらが、
ゴッテコテのフリットから、
サクフワカルの天ぷらに進化していったプロセスも、
今さら追体験できないわけじゃないですか。
ハンバーガーってそういう意味でいくと、
この後いい感じに土着のものとして進化していくとすればですけれども、
それがどのようになっていくかというのを、
リアルタイムで体験できる可能性があるので、
すごい現代的な観察対象として、
すごい面白いものだと思うんですよね。
先ほど茶の湯もその一つというような話をしましたけれども、
茶道もどうやって日本文化として需要を発展していったかというのは、
もう今さらリアルタイムでは追体験できないですし、
どちらかというとあれはハイソサイティの武家の偉い強い人たちの
推し進めたところもあるので、なかなか一般人、
もし戦国時代に戻れたとしても追体験できないし、
結構幅も広いって言うんですかね。
やってた人たちの幅も広いので、
全てを体験するというのは全く現実的ではないと思うので、
仮に戦国時代に戻れたとしても、
いろんなものを体験するということは実質無理だと思うので、
それと比べるとハンバーガーの方が、
それだって日本中のすべてのハンバーガー屋の
動向を知るということは無理なわけですけれども、
それでもおよそ大体これぐらいのレベル感で追いしているかなみたいなことは、
素人でも分かるという意味でいくと、
非常に面白い文化の進化の仕方を観察するチャンスなんじゃないかなと思っているわけです。
リアルタイムに進化を目撃するという楽しみということのほかに、
その進化の過程を見ながら興味があるのは、
あるものに対する見方が違うということ。
絵というものを見るときに、
右側からも見られるけど左側からも見られるみたいな、
この見方の、見る方法の違いがある。
そのことを体験なり体感する材料として、
ハンバーガーというのは面白いんじゃないかなという気がしているんですよね。
例えばですけど、
言葉なんかが例として示しやすいので、
言葉とか単語で言ってみると、
英語でビーンズという単語というか言葉があるじゃないですか。
ビーンズって日本語に普通に置き換えると豆になると思うというか、
豆になるはずですけど、
例えばコーヒーのこともコーヒー豆、コーヒービーンズって言いますよね。
それで気になってコーヒ屋さんにあれ豆かかって聞いたら全然豆かじゃない。
形が豆というかビーンズの形をしているからコーヒービーンズと呼ぶのであって、
あるいはバニラビーンズも形をしているからバニラビーンズって呼ぶわけですよね。
だからビーンズっていうのは別に豆かであるということではなくて、
旧友との再会と記憶の共有
なんていうか豆のような、あれ何の形と言えばいいでしょうか、
ラグビーボールでもないしへにゃってしている、
小さくて丸くてへにゃってしている形をしているものを英語の人たちはビーンズだと思っていて、
コーヒービーンズもバニラビーンズもビーンズということはあまり大きさには関係なくビーンズに見えているんだなと。
日本語の豆という語感からはだいぶ違う気がしていて、
今はバニラビーンズ、コーヒービーンズというからコーヒー豆って言いますけど、
たぶん最初からそのコーヒービーンズという言葉がなくて先にコーヒー豆が日本にやってきたら、
たぶんあれを豆とは呼ばないと思うんですよね。
それからバニラ豆とはやっぱりよう言い切らなくて、いまだにバニラビーンズって言いますけれども、
日本語の語感の中ではバニラビーンズみたいな小さい丸いやつは豆というカテゴリーには入らないとか、
何が言いなかったかというと、言葉とか単語の選択というのが典型的な例なんですけど、
やっぱり別のところに、別の文化圏とか別の地域だったり、
別の言葉を使っているところであったり、別の時代であったりすると、
同じものを見ていても違うように聞い取っているということが色々なところで起きていると思うんですよね。
同じ一つのものでもいろんな見方があるよということを体感するというのが、
外国語を学ぶ、外国語に触れる嬉しいことの一つだろうと思っていて。
だからAIに英語を訳したり、他の言語でもいいですけど、ある言葉からある言葉への翻訳、変換をさせるのは、
ああいうのはどんどんさせればいいんじゃないかと思っていて、
意味の変換はAI、LLMが超得意なので、彼らがどんどんやればいいと思うんですけれども、
ものの見方がどう違うのかということは、やっぱりそれは学習者の方が楽しんでみることによって、
より楽しくなるものじゃないかなという気がしているんですよね。
どのように見えているのかいまいちまだよくわからない例としては、
調べればわかるんでしょうけど、サボって調べていなくてわかっていないものといえば、
靴下というのがありますけれども、
アンダーソックスを略して靴下と呼んでいると思うんですけれども、
このものから不思議で、あれ靴の下じゃないですよね。
靴の上に履いて、靴の上、足の下にあるから足下はわかるけど、
靴下ではなくて靴上やろうといつも思っているんですけど、
多分それはアンダーソックス、アンダーという意味が、
多分日本語の下とは一対一に対応していなくて、
アンダーという言葉で上下じゃない何かが英語使用者には見えているんだと思うんですけれども、
それが何が見えているのかいまだによくわからなくて、
今のときLLMに聞けば即答してくれそうですけれども、
そんなもんなんなんやろうって考えるのが楽しんであって、
いつの日かああそういうことかというふうにわかるのを楽しみにしている今日この頃です。
人によってとか使っている言葉によってとか地域によってとか、
何が左右を分けているかというのはいろんな要素があると思うんですけれども、
まとめと次回予告
いろんな見方ができる、いろんな見方があるということ、
そのもの自体すごく面白いなと思っています。
そういう意味で最近めちゃめちゃ面白かったのは、
このどれぐらいだろう、少なくとも先週末とか、
ここしばらくちょっと昔の友達に会うことが多くて、
ちょっと昔じゃなくて20年ぶりとか30年ぶりとかいう感じの友達に会う機会が、
何度かパタパタパタとあって、
前週の週末も1人は20年ぶりぐらいかな、
1人は30年ぶりぐらいかな、ご飯を食べる機会があって、
もちろん当時すごく仲が良かった人たちなので、話をしているだけでめちゃめちゃ面白いんですけど、
中でも何が面白かったというと、
いろいろ昔話、思い出話をするんですけど、
覚えていることが全然違うんですよね。
例えて言うと、何かのイベントAというものを共通で体験をしているんだけれども、
それで印象に残っていて、あれは面白かったなっていうエピソードが、
それぞれの印象に残っているエピソードが全然違う。
何なれば、ある人が言っているエピソードをこっちはもう全然覚えていない。
全くかすりもしないぐらい思い出せないとかいうことが何個もあって、
それだけでも本当にめちゃめちゃ面白かったですね。
他のエピソードでも、暗記、記憶を積極的にしないという話を、
自分は記憶を積極的にしないという話をしていますけれども、
積極的に覚えておこうとしないだけで、
自然に覚えているのは普通の人よりちょっと多いようにはよく言われて、
たぶん5年、10年ぐらいだとまあまあ覚えているので、
そんなことあったっけみたいな話ってあんまりそこまでたくさんないと思うんですけど、
20年、30年経つと、記憶のフィルタリング、
何を覚えていて何を忘れるかっていうののメリハリがすごい効いてくるので、
いやーそれぐらい間開けて仲が良かった友達と思い出交渉するっていうのは、
キャッキャウフフ盛り上がるという意味だけじゃなくて、
見えているものがそんなに違うんかっていうことを実感するという観点でもめちゃめちゃ面白かったです。
なのでもし、なかなかね、めっちゃ仲良かったけど、
20年、30年会ってない友達っていうのは自分も含めてそんなにたくさんいるものではないような気がしますが、
もしそういう人がいるとすればお互い十分記憶は薄れていっているんだけれども、
すごい印象的な何かを共有した人と話をするっていうのは結構おすすめかもしれません。
そんなに言うと、おじいちゃんが要は千友会とかなんやかんや言って集まって楽しそうに言ってましたけど、
あれそんな何が楽しいのかなーって子供心ながら幼稚園ぐらいの時に眺めていたものですけれども、
もちろん戦争というすごい極限の体験をしているので、
それをシェアできる人っていうのはそんなに多くないっていうのがそもそもの前提としてあるんだと思うんですけれども、
そんな究極の体験をしたあと20年、30年経ってまた集まって、
キャッキャブル風ではないのかもしれないけれども、
いろいろあの時こうやったなみたいな話をしていく中で、
何お前はそこを覚えているのかみたいな、
俺全然そんなの覚えていないみたいな話になっていたのかもしれないなと思ったりすると、
ちょっと心温まるものがありますね。
うちのおじいちゃんのことなんで、
飲めるということが楽しみで言っていただけのこともあるかもしれませんけれども、
今日はそんなところで、
期待通りというか予想通り残念だったハンバーガーと、
それから20年、30年ぶりに会った友達といろいろ話をして、
キャッキャブル風して、
見えているものが違うよなっていうことを実感して楽しい気になったという話でした。
それではショーノートなどなどは、
listen.style/.p/.tradioで、
過去のエピソード一覧と過去エピソードごとのショーノートが見られます。
リスンからApple PodcastとSpotifyのPodcastにも自動的に配信していて、
そちらでも各エピソードごとのショーノートを見られるようになっていると思いますので、
ご利用ください。
次回はこんな話をとかいうのが全然実現していない次回予告なんですけれども、
次回こそはオンライン収録ができるか、
あるいは一人喋りでもちょっとこういう話をしたいなとか、
最近のニュースの中でこういうことが気になりましたというネタがいくつかあるので、
そんな話ができたらなとつらつらと思っているところです。
例えばお土産とスベニアというのは何が違うのかということを改めて考えたとか、
今日の話と同じような話のような気がしますけれども、
それの見方が違うというのの一例ですね。
それを最近つらつら考えているなという話とか、
トップスピン2025というテニスのゲームがあるんですけれども、
これのシーズン11が終わりまして、世界ランク892位で終わって、
なかなかここからめちゃめちゃ壁が厳しいなというような話とか、
そんな話でもできればなと思っています。
一人喋りよりは二人喋りの方が面白いような気がするので、
オンライン収録もしくはリアル収録も狙っていきたいと思っています。
それでは今日はここまでとしたいと思います。
今日もありがとうございました。