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2025-11-12 33:41

〈3〉本棚に記憶がある、という話

本棚に記憶がある、という話。紙に書く速度、重いメディアと軽いメディア。◆第3回◆🌲👨🏻‍🎓👨🏻‍💻🕵🏻‍♂️🦜となとまコード話。専門性の異なる3人が、技術のこと、教育のこと、日々の生活のことなど話しています。

サマリー

このエピソードでは、紙の本と電子書籍の読書体験の違い及び記憶への影響について探られています。登場人物たちは、物理的な本棚が記憶に与える刺激や、デジタルネイティブの教育環境の変化について議論を交わし、情報の定着におけるメディアの役割を再考します。また、読書や情報のインプット・アウトプットの重要性について論じ、特にKindleの利用やデータベースの作成を通じた管理方法に触れています。さらに、紙媒体と電子媒体の違いが思考の質に与える影響についても考察されています。本エピソードでは、紙の本とデジタルの違いや本棚の重要性について話し合われており、本棚の整理や物理的な制約が行動に与える影響が描かれています。

00:06
となとまコード話。この番組は、異なる専門性を持つパーソナリティが、最新のコンピューター技術、教育、生活などについて語り合う番組です。
読書の媒体による違い
みんな、このKindleのある時代に読書ってどうやってるんだろうって、ちょっと興味があるんですけど、そもそも鈴村さんと清田さんは、読書って紙でしますか?それともKindleとか電子媒体でやりますか?
僕はですね、本によって変えてるっていうのがありまして、基本的にこれは結構愛読書になりそうな気がするな、というようなことを思う場合は、紙で買うケースが多くて、
そうじゃない、一旦目通しておくかって思うやつに関しては、Kindleであったりとかで電子書籍を使うことが多いです。で、わりかその校舎の方で買うのが多いんですが、校舎の方で電子書籍で買った上でですね、
これは素晴らしい本だ、紙で読みたいって思ったやつは途中で紙のやつをもう1回買ったりみたいなことは結構してますね。なので割と二重課金が起きることが多いというか。
2冊目に何か割引欲しいですね、そうなると。
そうですね、まあ、仕方ないっちゃ仕方ないかなって思ってるので。
割と小説の方もそういう感じですね。
私も結構併用派ですね。すぐに読めるっていうのが電子書籍の良いところなので、まず目を通すときにも電子書籍で買うんですけども。
やっぱり電子書籍だけだと定着しかしない感じっていうのがあって、読んだことっていうのが記憶に残ってないことはないけども、残りにくいっていう感じがあるんですよね。
やっぱり目を通して、自分自身がこれが大事だなと思ったことが書いてある本って、物理的な本棚にあることって割と重要な感じはしていて、
それを開かないとしても日常を目に入ることで、その分野のことを意識したりとか、その中に書いてあることをちょっと思い出したりとかですね。
そういう刺激があることが結構物理的な本のメリットなのかなっていう。
記憶と読書体験
なるほど。今の清田さんのお話がすごく面白いなと思ってて、っていうのは本棚に記憶があるって言い方をされたんですけど、
本棚に記憶があるのか、それとも紙の本のこの紙のなんだろうな、触ってる記憶とか、なんかそういうところに記憶があるのか、どこに記憶の主体ってあると認識しますか。
なんかいろんな記憶が割と芋づるしに出てくるっていう感じがあって、だからその本をどこで読んだかっていう。
例えば飛行機の中で読んだとか、こういう自分が20代のこういう状況の時に読んだとかですね。
そういう読んだシチュエーションとか文脈っていうのが結構想起される。その本棚で本を見ることで。
で、電子でも同じことが起きてもおかしくないんですけども、あんまり電子書籍で読んだもので、そういう記憶の想起のされ方がされてもらってないような感触を持ってますね。
なるほど。やっぱり紙のそのページが固定されてるからというか、そこと場所の記憶とか飲んでるものの記憶とか結びつきやすいんですかね。
そうっすね。たぶん横先でビール飲みながら読んでたらこの本みたいなこととかが。で、そこから何かその内容っていうのがなんとなく想起されるみたいな。
なるほど。
そういう直接的にコンテンツを覚えているときも何かを媒介にして、こういうこと感じたなとか、これ大事だと思ったなっていう。
だからこのメッセージ今も残ってるなみたいなことを思い出すんですかね。
なるほど。
僕そこの部分って今まで我々が受けてきた教育っていうものにすごく影響を受けてるんじゃないかなっていう持論は持っていまして。
少なくとも自分が大学受験をしてっていうところまで、大学からだいぶ変わったなと思うんですが、大学受験をするまでってそれこそ教材っていうものが紙で渡されて、その教材というものを置いた状態で書いて勉強するっていうのが当たり前だったんですね。
なので何か頭に入れるとか学んで血肉にするみたいなところに関して割と紙の物体というものを渡されてやるっていうのが当たり前になってるからなのかなっていう感覚はあったりはしまして。
するともしかしたらデジタルネイティブって言われてる今の子どもたちであったりに関してはそこが大きく変わっててもおかしくない。
勉強とはiPadが渡されてそこで動画を見るものであるっていうふうにしたときに、本で学ぶっていうことさえなくなる可能性もゼロではないかもしれないと思ってますし。
教育とデジタルネイティブ
そこは結構あるのかなって。小さい頃に電子書籍っていうものがなかったから、漫画であったり小籍っていう娯楽に関しても、何かあの時の楽しみ方っていうものが定着している感覚は正直あったりはします。
なるほどな。紙に書くっていうところで言うと、紙に書くときのスピードって結構大事だなと思っていて、基本パソコンに入力したりスマホに入力したりするよりは遅いんですよね。
遅くてでもエラーがないというか、自分が考えたことがそのままストレートに文字の形に形を変えるのに対して、パソコンの方は速度が早いんだけど予測変換をしたりするときにちょっと考えてもいないような変換とかが入ってくるから、まず雑音があるっていうのと、
あと人間の思考からすると多分早すぎるっていうことがあるのかなと思ってて、そこと今の鈴村さんのデジタルネイティブのお話も面白いなと思うのは、デジタルネイティブの人がパソコンに入力しながら勉強するっていうのが当たり前になると、
思考する速度もひょっとしたらそっちが標準になって、僕の場合は明らかに紙に書くときの遅さが結構重要なんですよね。遅さとあとその雑音のなさ。なので紙に書くし、紙に書いたことによって速度が調整されてこっちのアイディアとこっちのアイディアって実は結びつくなとか、こういうカテゴライズになるなっていうのが想起しやすいっていうのがあるので、
私も未だに紙に書くっていうのが確かに大事なんだけど、デジタルネイティブの人になるとそこの速度感覚が確かにもうその10代の頃から、確かあれですよね、将棋のプロ棋士とか囲碁のプロ棋士の人たちって特に囲碁かな。
もう5歳か6歳ぐらいの時には囲碁をやってないとプロの感覚で字の計算とかできないって言いますもんね。
同じような感じで紙に書くのが当たり前っていうのと、パソコンとかスマホに入力するのが、あとタブレットか入力するのが当たり前っていうのが定着しているとするとひょっとしたら結構変わるのかもっていうのは今ちょっと思わされました。
なるほどな。
なんか論文とか出てないんですかね。なんかちょっと気になりました。普通にAIとかではなくてスマホであったりとかが出てきて小さい頃から。
どうなんだろう。
調べてみよう。
ヒューマンコンピューターインタラクションとかの文脈では結構ありそうですよね。
いわゆるコンピュータ分野の研究者の人たちってパソコンの上で考えるのに慣れているから、あまりそもそも問題視する人が少なさそうなイメージではあるんですよね。
僕の本のブラウジングのデバイスとしてはやっぱりすぐできるなって思う点がやっぱりあるんですよね。
ページをめくってあるというところを減らすまでの速さっていうところとか。
全体を俯瞰できる感覚。
学生にこの本紹介したいなとか思ったときに、本棚に本があってこれにしようかな、あれにしようかなって言って選んでいくのはすごい楽なんですけど、スクロールしながらそこに全部同じ大きさで表示されている表紙に対して、これだこれだって思えるのはなかなか難しいかもしれないなって気はします。
こういうのってどういう、今サイニーを開いてるんですけど、どういうキーワードで検索したら出てくるんだろう。紙に書く。
難しそうだな。
書きで論文で検索して新しい順。書事が困難な人のための手書き入力支援。手書きのメモからクラウド管理へ。手書きのメモからクラウド管理へ。
論文で演作して新しい順 書字が困難な人のための手書き入力支援
手書きのメモからクラウド管理へ 手書きポップと本屋対象
手書きとICTの自由記述の分析 手書きvsタイピング ノーが活性化するのはどっち
この辺りかな
うーん うん うん うん うん
一番最後にネットに書きますね
なんかノーが活性化どうなんだろう 見てみないとわかんないな
ウェブサイトって書いてあるから これは何の論文だろう プレジデントか
プレジデントに載ってるんですね 3月後 今年の
うーん 3月出版後ですね 正確に言うと
でもこれは職場の心理学って書いて ありますから
ちょっとまた仕事をするのと 学習をするのとは違ってそうな気もします
うん 確かにな
前回もお話しさせていただいた通り 速度っていうもので言うと
より今まで以上に意識をしなければならないっていうのが 事実かなっていうふうに思っていて
あれ以降 スピード 速度っていうものに関して
仕事をしながら意識することがだいぶ多くて
あの 今 この開発しなければならないこと
事柄の大きさと このぐらいの短時間でできてしまったっていうこと
の事象を大事に捉えるようになっていて
車で例えるときっと僕はこれ 250キロぐらい出してないと
この速度では開発できてないよなってしたときに
どっかで何かが隠れてるっていうふうに考える
あの 見方が甘くなっているのではないかみたいな考え方とか
もうちょっとフルリクエストちゃんと見たほうが いいんじゃないかみたいなところは
結構意識はしていて
割とAI開発をしていて 正常性バイアスが働きまくってる感覚が
ちょっと芽生えてきていて
ただ よく見てみてもやっぱりAIが書くコード優秀なので
なんだかんだ問題ないじゃんってなるケースが多いんですが
AI開発と情報管理
もし仮にどこかにバックドアが仕込まれても気づかないので
そういうところも深めてちゃんと見なあかんなっていうところは
すごく意識をするようになってますね
自分に耐えられる速度なのかどうか
きっと140キロ 150キロ高速で出してる人は気づいてないんですよ
で 自分がまさか事故るなんて思ってないんですよ
で 全く同じことが言えるなって思って
そうするとAI開発って地味に怖いことやってるよな
ただ なしにはもう生きていけないみたいな
そんなことを思ったりするので
手書きタイピングであったり音声入力であったり
っていうところの速度の速さっていうものは
わりかしこのAI時代において考えるに値する
すごく価値のある時代なんだろうなっていうのは
常日頃思ってますね
どれぐらい書くかですよね
あと何に対して書くかっていう
ジャンルも違う気がする
確かに そうですね
ちょっとこの読書っていうところで言うと
Kindleにだけ入れてても
多分どんな本を持ってるかっていうのが
もう把握しきれなくって
今だいたい漫画1000冊 それ以外1000冊持ってて
合計2000冊Kindleにあるんですけど
そうするともう何かデータベース的なものを
用意しておかないと管理できないからと思って
今 CSVでKindleの一覧書き出して
Notionにインポートして
簡単なデータベースをちょっと作ったんですけど
それでもやっぱり一別性が悪いというか
この本読んでみたいっていうのが
なかなか取り出しにくいから
どうしたもんかなって思ってるんですよね
なんか表紙だけ印刷して
バインダーか何かに入れたほうがいいんだろうかとか
意外と紙の本の大きさがバラバラなことって
意味があるのかなとか思いながら
で 果ては今Larabelで
MySQLのデータベースソフトを
ちょっと作ろうかどうしようかって
ちょっと悩んでるんですけど本当に
逆にデータベース作ったりすると
自分の読む本の統計だったりとか
データ分析するのも面白そうですね
それはやりやすそうですね
はい そこすごい面白そうですね
確かに
その本に対しての感想とかを
BBの備考欄とかに入れたりすると
面白そうですね テーブルの
最終的にそれしたいですよね
今 それを紙の形でほぼやってて
その辺りどうしようかなっていうのは
アウトプットのバランス
確かに課題であります
この間 学生に
お勉強の仕方を教えてくださいっていう
ちょっと不思議な依頼を受けて
夏休みの勉強会みたいなので
3年生向けにやったんですけど
何を話そうかなって思ったときに
まず 知識って
インプットすることと
アウトプットすることの
バランスが取れてないといけない
だから インプットしたならば
それに対応するアウトプットがあって
初めてお勉強って完了するのかな
っていう話を1個したんですよね
このときのインプットとアウトプット
っていうことの定義が結構大事だなと思ってて
インプットすることって
普通は本だったら書かれてる文字に
目を通すことっていうだけで
終わってしまう気がするんだけど
実はまとめるところまでやって
初めてインプットかなと最近思っていて
なので 読んで
その本にはどういうことが書いてあったとか
自分はその本に書かれてることに
どんな反応したのかっていうことを
書き留めるっていうことまで含めて
インプットかな
なので 例えば
YouTubeとかで本の紹介を
したりする配信者の人がいたとしたら
その人は実は
それまで何も
読んだ本のことについて
ノートをまとめたりしていなかったんだとしたら
実は配信してる段階で
インプットを完了させるっていうことと
アウトプットするってことを
同時にしてるのかなと思って
この本を読んで自分は何を感じたんだろうとか
どこが面白かったんだろうっていうのを
話そうと思って頭でまとめてるとこまでが
インプットを完了させるところで
それが終わったところから次に
他の人に向けて
どんな本を読んだのか
それを読んでどう思ったのかっていうことを
アウトプットするっていうところが
アウトプットで
これでプラスマイナス合わさって
ワンセットかなっていう気が
するので
インプットを完了させるための
まとめる場所をどう用意するかっていうのと
それがデジタルのほうがやりやすいのか
後で見返すのが大事なのか
次に類似のものが出てきたときに
気づくのが大事なのか
って思うと
いろいろそういうのがカスタマイズできるといいかな
ちょっと話を聞いたときに
インプットとアウトプットって関連があるときに
その重さっていうのが
指標概念があるのかなっていう
ちょっと話を聞いて感じて
例えばこのインプットって何かっていうと
自動的なインプットなんだと思ってて
たぶん一番分かりやすい例は
YouTubeショートとか
Facebookとかのリール動画とかですね
そういう自動的に何か流れてくるっていうもので
非常に軽やすい
ノート的に何もしなくても
入ってくるし
そこで選んで再生するっていうことだけで
入ってくるので
インプットとしては軽いぐらいに入るのかな
ということを思ってて
一方で重いっていうのは
やっぱりこの学術書とかですね
それこそ何百ページで学術書を
こうやって印刷物にするって相当重いんじゃないですか
それなりに
やっぱりリアルが入らないと
読み通すことができないし
っていうのがあって
同じようにアウトプットも
軽いアウトプットと重いアウトプットっていうのがあって
軽いアウトプットは
全員のボリュームまで話したりとか
画像を話したりとか
いうようなことで
たぶん一番重いのは
自分で本を出すっていう
本を出されているので
やっぱり引かれてると思うんですけども
その本を出すってやっぱりすごい
エネルギーが必要だし
いろんな制約もあって
その中で届けていくっていう
そういう重さっていうのが
あるのかなって思うのと
あとやっぱり紙でアウトプットするって
相当重いんですよね
これは本の
紙の本っていう風になると
たぶん訂正ができないかな
基本的には
5色の修正ぐらいはありますけども
基本は出したらもう回収できない
ということですけど
SMSで発信した時は
メディアの形態とその影響
まずいかと思ったら自分で
飛び下げ簡単にできますけども
確かに
そういう意味で
発信する時の重さっていうのが
あるんですよね
この軽いメディアと
軽いインプットアウトプットと
重いインプットアウトプットの
比率みたいなものっていうのを
考えていくのが重要なんじゃないか
ということですね
最近ちょっとFacebookのある方の投稿で
ちょっと気づかされたことがあってですね
どちらもメディアの違いですね
そうですね
その方がおっしゃるように
重いメディアに向き合う時間を
割合としては確保する必要があって
それが思考の質を変えていく
っていうようなことをですね
これはFacebookで
投稿されてたんですけども
なるほど
でもだとすると
重いメディアとして
例えば本というものがある時に
やっぱりそれも紙媒体としての本と
最初に戻りますけど
電子媒体としての電子書籍とっていう
形態が変わることによって
結構軽い思いが変わってくるということですね
そうですね
今の電子書籍
今流通している電子書籍の大部分は
紙があっての電子書籍っていうところが
あると思うんですよね
紙っていうパッケージですね
本というパッケージ形態を
一応保存して
流通してるっていう
デジタル化して
ネットワークを通じて
サンプルしやすいようにしてると
そうですね
これが例えばページタイムで
ファイルになったりとか
いうふうになった時に
だと全然違う性質のものになる
なるほど
そういう可能性がありますよね
そうですね
さっきのお話でいうと
やっぱり鈴村さんも清田さんも
結構併用してるということは
紙のほうがやっぱり重くて
電子媒体のほうが若干軽くて
そこに軽いところには
逆に利便性が生まれて
紙の本とデジタルの違い
紙のほうはちょっと持ち歩きにくいとか
検索しにくいというところで
重さというか利便性の低さが
やっぱりあって
っていうところのトレードオフが
行き来する感じですかね
やっぱり紙のほうは
物理的にあるので
特に安いほうを買うときは
ちょっと考えますよね
確かに
本座が溢れてるという中で
その制約の中に
詰め込むかどうかっていうことって
結構まあまあ考えますよね
最近どうだろう
その考える思考でさえ
すごく大事な気がしますね
そうか
今気づきがあったな
僕も紙の本買うときには
どこに置くんだっけとか
いやーもうそろそろあの本売って
あそこの枠に抑えようかなとか
考えたりするんですよ
それって結構大事かもですね
本当に買う必要があるのか
今この本を求めてるのかどうか
それを場所代っていうふうに
言葉を置きますけど
場所代を払ってでも
紙で持つのがいい
物体として持ったほうがいいのかっていう
思考をした上で
買う本とそうではない本って
最初読むときに捉え方が変わってきたりする気はしますね
シンプルに
置く場所が結構物理的な空間が
本の質を決めてくれるというか
そうですそうですおっしゃる通りです
確かに最近買ったので言うと
オードリー・タンさんのプルラリティっていう
自分の顔と同じとこに持ってくると
ぼやけないか
ぼやけますけど
これがまた分厚いですよね
だからこういう本って
質量があるんですけど
やっぱり頭の中に入ってきたときにも
質量があるなっていう気がして
人工知能学大辞典っていうのを
人工知能学会で出してるのは
うちにもあるんですけど
頭以外は思ってなくてですね
ヒョウと言われて
みんな呼んでますけど
人を殴れるっていう
そういうふうに言われてますけど
やっぱりあの重さって
引っ越すときとかって
文字通り重くて
詰めるだけ
あの質量がやっぱりね本当に
確かに
文字通り重くて
存在感があるというのがあって
多分ほとんどの大学の先生に共通して
引っ越しをしろって言われると
だいぶ大変なことですよね
この本がもう
移動しないといけないかな
段ボールで詰める作業と
段ボールを置いて
本棚で詰める作業と
本当に立体的に
体で疲れ果てる作業ですよね
自分の家の本棚って結構
リセットするというか
頻繁に置き換えますか
あまり頻繁ではないんですけど
都市立体とか
動かしたりとかですね
ちょっと我々は
カテゴリーをこう
すごい大雑把なカテゴリー分けを
本田の場所でしてるんですけども
やっぱりそこの並び替え方を変える
ということをやりますね
やっぱりそれに比べると
Kindleの上でコレクションを
作り直したりとかってする機会が
ほぼゼロな気がして
やっぱりそういう意味でも
紙の本と実際の本棚って
違うし
本棚を作ることに
結構価値があるんだな
っていう気がしますね
本棚の整理と影響
本棚のカテゴリー分けするって
本当に文字通りの立体作業なんで
本当に体力を使うし
でもその分やっぱり残りますよね
確か京極夏彦さんとか
ものすごい後ろ背景に
ビチッと本が並んだ
写真で写られてますけど
あの方なんかは
本棚を1センチ単位でも
ちょっとでも気になったら
整理するって言って
インタビューで答えられてて
ここに時間を使っているのが
一番大事だと思うって
なんかおっしゃってましたね
やっぱり本棚って大事なんだな
物理的な制約がやっぱり生み出している
何か私たちの行動とかに
枠をはめるわけ
何かの制約とか不便さを
もたらすわけですけども
それによって私たちの行動っていうのが
変わるっていう
局面が押さえ変わるのかなと思って
これが要するに
キーワード検索ですね
Googleでのキーワード検索と
代表言語モデルに質問するっていうことの
多分違いが出てくる感じはしているんですよね
キーワード検索っても
もちろんキーワードを厳選しないといけない
そこに対して
Boolean検索といって
ANDにするのかORにするのか
あるいはこのキーワードをいく前に
ノートペン雑誌をつけるのかとか
そういうわりと物事を探す
インターフェースとしてはすごく制約が多い
もちろんキーワードそのものズバリで
させないと検索できないしという意味で
非常に制約が大きい一方で
その中でどういう範囲で検索するのかっていうような
こういうベンズ的な
そういう範囲で検索するかということを
相当意識しながら探すことになるので
そこで私たちが得ていたものっていうのは
結構あるんだなと思っているんですよね
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