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2025-09-06 14:53

33 ミレイ「オフィーリア」

33 ミレイ「オフィーリア」深層解剖:ラファエロ前派の真実と、悲劇が宿る永遠の美

サマリー

今回のエピソードでは、ジョン・エバレット・ミレイの名作「オフィリア」に焦点を当て、その象徴性や美術的な背景を深く掘り下げています。シェイクスピアの『ハムレット』に描かれた悲劇を反映しつつ、自然描写の詳細や色彩の役割についても考察しています。このエピソードでは、ミレイの作品『オフィリア』を通じて、シェイクスピアの悲劇的なテーマがどのように視覚的に表現されているかについて語っており、作品が自然との関係性や芸術家の探求についても問いかけていることに触れています。

オフィリアの象徴性
こんにちは。さて、今回はですね、ジョン・エバレット・ミレイの、あの有名なオフィリア、これを深く掘り下げていこうと思います。
はい。
手元には、この絵に関する解説資料がいくつかあります。
シェイクスピアのハムレット、その悲劇のヒロインを描いた、まあ、ラファエル前派を代表する一枚ですよね。
そうですね。
で、今日の私たちの目指すところはですね、この象徴的な絵画のその細部、象徴性、背景、そして、なんで今もこんなに人を惹きつけるのか、その確信に迫ることです。
はい。
いや、最初に見たとき、やっぱりこの信じられないような細かさ、それと水に浮かぶ姿の、なんかこう悲しい美しさ、これに、はっと息を飲んだ方も多いんじゃないでしょうか。
うーん、確かに。
早速、この世界に入っていきましょう。
こんにちは。オフィリアは本当に美術史の中でも特別な一枚だと思いますね。
ええ。
その美しさの裏には、たくさんの物語とか、芸術的な挑戦が詰まっている。
今日、その魅力を皆さんと一緒に解き明かしていけるのは、非常に楽しみです。
まずやっぱり、中心ですよね。オフィリアの姿。
そうですね。
カバメに仰向けに浮かんでて、腕を静かに広げている。一見すごく穏やかにも見えるんですけど、なんか運命を受け入れているような、あるいは、もう現実から心が離れちゃっているような、そんな印象も受けますよね。
ええ。
資料にはハムレットの引用がありますね。裾が大きく広がって、人形のようにしばらく体を吹かせて、その間、あの子は古いコタを口ずさみ、って。これは具体的にどういう瞬間なんですかね。
まさにその、ガートルード王妃が語る場面ですね。オフィリアが溺れる直前の、非常に詩的ででも同時に痛ましいその瞬間を捉えています。
ああ、溺れる直前。
ええ。
おっしゃる通り、このポーズはなんか、いろんな意味を含んでいるんです。仰向けで水に身を任せる姿っていうのは、まあ抵抗しない、つまり運命を受け入れる、ということを示唆しますよね。
はいはい。
でも同時に、広げた腕とか、わずかに開いた唇、半開の目、これがまるで夢を見ているみたいというか。
うんうん。
魂がもう体から離れ始めているような、そんな非現実的な静かさも感じさせるんですよ。
なるほど。
だからこれ、単に溺れている場面を描いたんじゃなくて、ハムレットで描かれる、お父さんを恋人に殺されて、その恋人にも拒絶されて、正気を失っていくオフィリアの、その精神的な混乱と悲劇的な結末をギュッと凝縮してるんです。
うーん。
ミレイは、シェイクスピアの言葉が生むイメージを、なんていうか、絵画でしかできない形で表現しようとしたんじゃないかなと。
ええええ。
この静かな美しさの中に、彼女の絶望とか狂気が進んでいる。そこがこの絵の強さの一つですよね、きっと。
言葉で語られる悲劇の一瞬を、絵として凍結させたみたいな。
ラファエル前派の美術
そうですね。
そのポーズと表情の裏にある物語の重みを感じますね。そして、次にやっぱり圧倒されるのが、周りの自然描写のなんか尋常じゃない小股さ。
ああ、はい。
特に植物とか花々、資料を読んで、これただの飾りじゃなくて、植物学的に正確に描かれてるって知って、ちょっと驚きました。
ええ。肺脈一本一本まで見えそうな。これ一体、なんでここまで徹底する必要があったんでしょう。
ああ、そこがですね。ミレイが中心メンバーだったラファエル前派っていう芸術運動、これを理解する上ですごく大事なポイントなんです。
ラファエル前派、はい。
彼らはその当時のアカデミックな美術界で主流だった、なんていうか、理想化されて肩にはまった、まあいわばお競技の良い絵画に反パテしたんですね。
へえ、例えるなら当時のアートシーンのカウンターカルチャーみたいな。
ああ、なるほど。
彼らが目指したのは、ラファエルより前、つまり中世とか初期ルネサンスの芸術にあったような自然に対する誠実さ、細部までしっかり描き出すこと、それから鮮やかで真実に近い色彩を取り戻すことだったんです。
彼らにとって自然のディテールをありのままに描くというのは、単に技術がすごいってことじゃなくて、そこにこそ真実とか美しさ、さらには道徳的、精神的な価値があるって信じてたんですね。
うーん。
まあ、写真が出てくる前の時代に、現実をこれ以上ないくらい忠実に捉えようとした、その情熱の現れともいえですね。
なるほど。単にリアルに描くだけじゃなくて、その自然の細部にこそ真実があるみたいな哲学があったわけですね。なんか反逆児たちのこだわりというか。
ええ、まさにその通りです。だからこそ、この絵に描かれている花一つ一つにも深い意味が込められてるんです。
あー、花にも。
ええ、これはただ美しい風景の一部ってわけじゃないんですね。例えば、オフィリアの右手近くに浮かんでいる消し、ポピーですね。
はい。
これはまあ、よく眠りとか死を象徴すると言われます。
ふんふん。
それから、彼女のドレスとか髪に飾られてるスミレ、パンジーっていう説もありますけど、これは思い出とか清雪、あるいは報われない愛を表すとされますね。
なるほど。
他にもひなぎく、デイジーは純血、イラクサは苦痛とか、それぞれがハムレットの中でのオフィリアの状況とか心情、運命を暗示してるんです。
へー。
劇中でオフィリアが狂気の中で花を配る場面って有名じゃないですか。
ええ、ありますね。
ミレイはその象徴性を映画全体に散りばめたんですね。
わー、すごい。
そしてこの背景を描くためにミレイが実際にロンドン郊外のホグズミル川のほとりに数ヶ月も通い詰めて。
数ヶ月?
ええ。
夏の前に肺茂る植物を本当にメテキュラスに最新の注意を払って観察して写生したっていう事実は、まさにラファエロ前派の自然への忠実さ、その執念とも言えるこだわりを物語ってますよね。
川辺に数ヶ月?想像を絶するこだわりですね、それは。
色彩と悲劇の表現
その徹底した自然描写とオフィリア自身の儚げな雰囲気との対比も印象的です。
そうですね。
色彩についてもう少し聞きたいんですが、オフィリアの青白い肌と周りの植物の生き生きとした、でもちょっと暗い緑、それから豪華なドレスの色合い、これらは絵全体の雰囲気にどう作用してるんでしょうか。
資料にはドレスの刺繍に銀や金紫が見えるようだともありますが。
色彩はですね、この絵の感情的な深みを出す上でもう決定的な役割を果たしてます。
まずオフィリア自身、彼女の肌はほとんど血の気を感じさせないような青白さで描かれてますよね。
これはやっぱり生命の終わり、死の冷たさを示唆しています。
それに対して彼女を取り囲む自然、岸辺の草木とか水中のもとかは、非常に濃密で生命力にあふれた緑とか茶色で描かれてる。
でもそれはなんていうか、明るい生命さんかって感じよりは、どこか暗くて鬱陶とした印象も与えますよね。
この対比がまあ鍵なんです。
若く美しい女性の悲劇的な死と、それを取り巻く、生命力には満ちてるかどどこか無関心にも見える自然。
このコントラストが、見る人に強烈な感傷と、同時にある種の不気味さというか、自然の摂理の冷たさみたいなものを感じさせるんですね。
美と死、個人の悲劇と、それとは関係なく巡っていく自然の営み、その対比が色彩で強調されてるんですね。
ええ、そういうことです。
ドレスの描写もその中で際立っていますよね。
ええ。ご指摘のドレスですけど、これは当時としてもすごく高価な手刺繍が施されたものだったらしいんです。
へえ。
ミレイはその質感、光沢、銀紙や金紙が織り込まれてるような、あのきらめきまで本当に驚くほど細かく描き込んでます。
これもラファエロ前派の細部へのこだわりの表れですね。
はい。
ただ、この豪華なドレスが今や水に沈んで重く沈もうとしている。
これはオフィリアのかつての社会的地位とか若さ、美しさと今の悲劇的な状況との間の何とも痛ましい落差を視覚的に物語ってるわけです。
なるほどなあ。
それから川の水の色も、透明感はあるんだけど深い緑とか茶色が複雑に混ざり合ってて、オフィリアの体が水に溶け込んでいくようにも見えるし、あるいは暗い水底に引きずり込まれていくようにも見えますよね。
へえ。
ですから、全体として見ると色彩っていうのは単に場面をリアルに見せるだけじゃなくて、美、死、悲劇、そして人間と自然との間の複雑で、時には残酷な関係性といったこの絵が探求する深いテーマを見る人の感情に直接訴えかける形で表現していると言えるでしょうね。
いやあ、聞けば聞くほど計算され尽くした表現だなあと感じます。
うーん。
それで、製作にまつわる有名なエピソードとして、モデルを務めたエリザベス・シダル。
ああ、シダルですね。
彼女が冬場に水の張った浴槽に何時間も横たわってポーズをとって、危うく肺炎になりかけたっていう話がありますよね。
ええ、ありますね。
今考えるとかなり無茶な要求のようにも思えますけど。
ミレイのオフィリアのテーマ
まさに、現代の感覚からするとちょっと信じられないような話ですけど、このエピソードこそ、ラファエロ前派の芸術家たちが自分たちの信じる真実らしさ、リアリズムですね、これを追求するためにどれほど過激なまでに真剣だったかを示してますよね。
はい。
エリザベス・シダルは、ただ美しいだけの理想化された表現じゃなくて、現実の質感、光の当たり方、そして時には苦痛とか困難といった生々しい現実感を画面に定着させようとしたんです。
エリザベス・シダルを冷たい水にひたすからせ続けたっていうのは、水に浮かぶ人体の様子とか濡れた服の質感、水面の光の反射とかをできる限り忠実に観察して再現するためだったんでしょうね。
なるほど。
これは単なる面白い話っていうだけじゃなくて、彼らが目指した芸術、つまり15世紀の初期フランドル派とか初期イタリアルネサンスの画家たちのように、自然や人間を細かく観察して、それを誠実に感情込めて描くっていう、その確信に触れるエピソードなんです。
そこまでの執念が、この絵の異様なまでの釈心性を生んでるのかもしれないですね。
そうかもしれません。
ラファエロ変化の目指したものが、この一枚に凝縮されているようです。では、全体としてミレイはこのオフィリアを通して、私たち見る人に究極的には何を感じて、何を伝えたかったんでしょうか。
そうですね。ミレイの意図をお知り寄るとしれば、まず第一にはやっぱり、シェイクスピアが言葉で紡いだオフィリアの悲劇的な才気を、視覚的な言語でこれ以上なく、詩的かつ強烈に表現することだったでしょうね。
はい。
彼女の純粋さとか、狂気、そして避けられない運命の哀れさを、見る人の心に深く刻みつけたかったはずです。
ええ。
そして第二に、その悲劇的な人物像を徹底的にリアルに描かれた自然の中に置くことで、より敷衍的なテーマ、つまり人間の存在と自然との関係性、その美しさ、残酷さ、そして一体性について問いかけたかったんじゃないでしょうか。
人間と自然の関係性。
オフィリアがまるで自然の一部になって溶け込んでいくかのように描かれている点は、彼女の死が個人的な悲劇であると同時に、もっと大きな自然のサイクロの中に吸収されていく出来事でもあるかのような複雑な要因を残しますよね。
大きな自然の摂理とが美しくもあなしい形で工作していると。
この絵は発表された当時、その革新的な技法と感情的な深さで、大きな賞賛と同時に一部では批判も浴びましたけど、
でも結果的にはラファエロ前派の威勢を確立する上で決定的な役割を果たしました。
技術的な感性度、文学的な背景、そして見る人の感情を揺さぶる力。
これらが組み合わさって、今日までロンドンのテイトブリテンで多くの人々を魅了し続ける美術史上の傑作としての地位を不動のものにしています。
ただ、興味深いことに資料にもちょっとありましたけど、ミレイ自身は後のキャリアでは、このオフィリアで見せたような極度に緻密なスタイルからは次第に離れていくことになるんです。
これもまた芸術家の探求の面白いところですよね。
本当ですね。今回の探求を振り返ってみると、ミレイのオフィリアっていうのは、シェイクスピア文学っていう豊かな源があって、
ラファエロ前派ならではの驚異的な細密描写と、自然への眼末、象徴性に満ちた花々、そして死の場面なのに見る人を惹きつけてやまないあの悲劇的な美しさ。
芸術家の探求と作品の意義
これらが完璧なバランスで融合した稀な作品なんだなってことがよくわかりました。
まさにラファエロ前派運動の理念と実践が最高度の形で実を結んだ楽器的な作品と言えるでしょうね。
その技術的な洗練と時代を越えて訴えかける感情的な力は、170年以上経った今でもまっかく色褪せることがない。
だからこそ私たちは何度もこの絵の前に立ち止まってその世界に引き込まれちゃうんでしょうね。
最後にこれを聞いているあなたにも一つちょっと考えてみていただきたいことがあるんです。
資料によると未礼は後年この絵のような極端な細密描写からは離れていったとのことでしたよね。
これほどまでに評価されて彼の名を高めたスタイルをなぜ画家は手放すことを選んだんでしょうかね。
そこには常に新しい表現を求める芸術家の悪なき探求心があるのか。
それとも一度確立したスタイルを維持し続けることへのプレッシャーから逃れたかったのか。
芸術家のキャリアにおける変化とか成長あるいは成功の意味についてこの絵を眺めながら思いを馳せてみるのもまた一興かもしれません。
なるほど深い問いですね。
今回も私たちの探求にお付き合いいただきありがとうございました。
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