ラファエロと「アテネの学堂」
こんにちは。今回はですね、ルネサンス美術の頂点ともいえる、ラファエロ・サンツ寄の壁画、「アテネの学堂」について、深く掘り下げていきたいと思います。
お手元には、この壮大なフレスコ画に関する解説資料があるかと思いますが、舞台は16世紀初頭のローマ、バチカン宮殿ですね。
そうですね。今回の探求のミッションとしては、幅が8メートル近く、高さも5メートル以上あるこの巨大な壁画に一体何が込められているのか、誰が描かれていて何を意味しているのかと。
壮大ですよね。
その芸術的な新しさとか、そういうのを解き明かしていこうと。これ、1509年から1510年頃の作品で、ラファエロまだ20代後半だったんですよね。
そうなんですよ。若いですよね。それでこれだけの大作を。
そのスケールと野心には圧倒されますね。ちなみにフレスコっていうのは、壁に漆喰を塗って、それが乾く前に描く技法ですよね。
そうです。だから絵が壁と一体化する耐久性も高いんですね。
なるほど。
これは単に大きいっていうだけじゃなくて、本当に西洋美術史の中で見ても一つの大きな転換点というか。
マイルストーン。
まさにルネサンスの理想、つまりその古典古代の知恵と当時の新しいヒューマニズムの精神。これを見事に一つにした作品として、構成にもすごく影響を与えました。
今もバチカン美術館のラファエロの部屋にあるんですよね。
そうですそうです。署名の部屋ですね。もともとは教皇の執務室であり、書斎だった部屋です。
じゃあそこに飾られるべくして飾られたというか。
まさにその場所にふさわしい非常に知的なテーマがギュッと詰まっているわけです。
哲学者たちの描写
では早速その知的な世界へ入っていきましょうか。まずやっぱり最初に目が行くのは画面の真ん中。
これが古代ギリシャ哲学の巨人ですよね。プラトンとアリストテレス。
まさにこの絵の中心人物ですね。左側にいる白い髭を蓄えたちょっと威厳のある老人。これがプラトンです。
赤とちょっと紫がかったような色を着て、左手には著書のティマイオスを持ってますね。
非常に象徴的なのが右手の指。点を指してるんです。
これは彼の哲学、つまり目に見える現実世界よりもその奥にある永遠で変わらない理想的なイデアの世界。
そっちが真実なんだというまあ観念論ですね。それを視覚的に示していると。
なるほど、目に見えないもっと高次の真理を指していると。
このプラトンのモデルがレオナルド・ダ・ヴィンチだっていう説がありますよね。
そうそうそれが非常に有力ですね。
これも面白いですよね。万能の天才ダ・ヴィンチのイメージが理想を求めるプラトンに重なるみたいな。
その可能性は高いと思います。ラファエルなりの敬意の現れかもしれませんし。
その隣、右に立っているのがアリストテレス。こっちはだいぶ若々しい感じですね。
そうですね。より現実的な雰囲気というか茶色と青の衣を着て、右手には彼の倫理学の代表作ニコマコス倫理学を持っています。
プラトンとは対照的に彼の手のひらは地面の方を向いてるんですね。
下を向いてる。
これは現実世界への関心とか、具体的なものとか経験を通じて知識を得ようとする、
彼の経験主義的な哲学、あるいは自然科学への探求心、それを象徴してるんです。
天のイデアを指すプラトンと地上の現実を示すアリストテレス、これは見事な対比ですね。
そうなんですよ。
なんか歩きながら議論してる感じもあって。
ええ、動きがありますよね。
この二人の対照、そして調和、これがこの作品全体の大きなテーマの一つ。
つまり、いろんな地の在り方とその統合というのを示唆しているとも言えますね。
単に対立してるんじゃなくて、お互いを補い合ってるみたいな。
そういう見方ができますね。そこがまた深いところです。
さて、この中心の二人、周りにもものすごくたくさんの人物がいますよね。
ええ、いますね。
ちょっと左の方に目を移すと、緑色の服を着て指を織りながらなんか一生懸命話してる人がいますね。
ああ、あれはソクラテスだとされていますね。
ソクラテス、対話の人?
ええ、彼の周りには、ほら、鎧を着た若い人とか。
ああ、本当だ、アルキビアデスですかね。
かもしれませんね。
あと、いろんな年齢の人が集まって、彼の話を聞いたり、議論に参加したりしてる。
まさにソクラテスの問答法そのものが描かれてる感じですね。
そうですね。知識は一方的に与えられるんじゃなくて、対話から生まれるんだっていう、そういう考えが示されているようです。
みんな真剣な顔をしてますしね。
知的な熱気を感じますね。
そして、画面中央のちょっと手前、階段に座って、大きな石のブロックに肘をついて、なんか物んげに考えてる人。
ああ、いますね。
これが、晩は流れるもののヘラクレイトスとされてるんですが、驚くべきことに、このモデルがあのミケランジャイオだって言うじゃないですか。
そうなんですよ。ここがまた非常に興味深いポイントで。
当時のライバルですよね、ラファエロの。
プラトンのモデルがダヴィンチで、ヘラクレイトスがミケランジャイオ。
ラファエロは、同時代の偉大な芸術家たちを、古代の偉大な哲学者の姿を借りて、この血の伝道に描き込んじゃってるわけですよ。
建築と色彩の意義
これどういう意図なんですかね。ちょっとした遊び心、それともライバルへの敬意とか、あるいは死肉とか。
うーん、まあそれだけじゃないでしょうね。もっと深い意味があると考えられていて、それはルネサンス期における芸術家の地位の変化、それを反映してるんじゃないかと。
芸術家の地位の変化ですか。
はい。中世だと芸術家ってどちらかというと職人さんって感じだったんです。
ああ、技術者というか。
ええ。でもルネサンス期になると、特にイタリアでは、芸術は単なる技術じゃなくて、知的な想像活動なんだと。
鉄学とか科学にも匹敵するんだっていう考え方が広まってくるんですね。
なるほど。
だからラファエロは、ダヴィンチやミケランジェロみたいな芸術家を古代哲学者の肖像として描くことで、彼らをもう同等の知的巨人として称えてる。
芸術の地位を高らかに宣言してるとも解釈できるんです。
へえ。
で、ミケランジェロを孤独で創作的なヘラクレイトスとして描いたのは、彼のちょっと気難しい性格とか、あるいはシスティーナ・レイハイドの天井画製作で見せたような内省的な想像性、それを反映したのかもしれないですね。
なるほどなあ。単に顔を借りたとかじゃなくて、芸術家そのものを哲学者のレベルに引き上げて、ルネサンスっていう時代の精神、つまり古典の再生と新しい想像性の開花、それを体現させてるってことなんですね。
まさにその通りだと思います。過去の偉大な知性と現在の才能との融合。これこそがルネサンスの本質で、この絵はその理想を見事に視覚化しているんですね。
いやー深いですね。さらに右の方を見ていくと、床にこう鏡込んでコンパスを使って図形を教えてる人がいますね。
ええ、いますね。気化学の授業みたいですね。
これは気化学の祖ユークリッド。でも一説には当時の建築家ブラマンテがモデルじゃないかとも言われてますね。
ああ、サンピエドロ大聖堂の再建に関わったブラマンテですね。なるほどかもしれませんね。古代ペルシアの賢者。つまり哲学だけじゃなくて、数学、気化学、天文学、そういった当時重要だった自由な中、リベラルアーツの分野が全部描かれてるんですね。
まさに血のオールスターというか、血の集合体ですね。
ええ、血のあらゆる領域がこの一つの場所に集結していると、壮大な光景です。
そして忘れちゃいけないのが、いますね、右端に。黒い帽子をかぶって、こっちをじっと見ている若者。
ああ、いましたね。
これがラファエル自身の自像画だと。
そうですね。これは単にサイン代わりっていうだけじゃなくて、自分もまたこの偉大な血の伝統を受け継ぐ一員なんだっていう、まあ、自負の現れでしょうね。
なるほど。
あと、私たち観賞者を絵の世界に誘う案内役みたいな役割もあるのかもしれません。あなたもこの血の探求に参加しませんか?って語りかけているようにも見えますよね。
確かに目が合いますもんね。さて、人物たちも去ることながら、彼らがいるこの空間、建築にも注目したいですね。
巨大なアーチが奥に連続してて、天井はあの角天井っていうんですか?四角が組み合わさったやつ。
ええ、角天井ですね。
これ、古代ローマ建築、例えばコンスタンティヌスのバシリカとか、ああいうのを思わせますけど、どんな意味があるんでしょう?
この建築様式自体が、もうルネサンスの理想と体現してるんです。角天井はまさしく古代ローマ建築の特徴的な要素で、古典古代への回帰というルネサンスの精神を示してるんですね。
ああ、なるほど。
そして、この近世の取れたすごく秩序たらしい空間構成、これは、調和・ハルモニアとか、理性・ラティオといったルネサンス期に理想とされた価値観を象徴してるんですね。
知的な議論にふさわしい、相言で理性的な舞台ってことですか?
まさにそういうことです。
床の始末模様とか、奥に続くアーチが遠近法で描かれてて、すごい奥行きを感じますね。
ええ、見事な一点透視図法ですね。
で、その消失点がちょうど真ん中のプラトンとアリストテレスの間に来るように。
そうなんです。視線が自然と中心の二人に導かれるようになってる。これで彼らの重要性が空間的にも強調されるし、絵前提に統一感と秩序、そして壮大さが出てるんですね。
まるで理性で作られた理想空間みたいですね。
ええ、ルネサンス絵画の空間表現の一つの到達点と言っていいと思います。
色彩についてもちょっと触れておきたいんですが、さっきプラトンが赤でアリストテレスが青と茶色って話がありましたけど、他の人たちの服もすごくカラフルですよね。
そうですね。
この色使いにはどういう意図が考えられますか?
うーん、これも解釈はいろいろありますが、やはり人物の属性とか思想を象徴的に示す役割があると考えられますね。
プラトンの赤や紫は天井のイディアとか精神性、アリストテレスの青や茶色は地上の現実とか理性というふうに。
他の人物も?例えばソクラテスの緑とか?
ええ、ソクラテスの緑は彼の議論が生み出す知的な豊かさみたいなものを暗示しているのかもしれないですね。
色で哲学や個性を表現するみたいな仕込みですか?
まあ、そういう解釈もできますね。ただ、もっと重要なのは、色彩がこの絵に終実性と生命感を与えている点です。
ああ、リアルさ。
アテネの学堂の意義
ええ。人物の肌は自然な色合いですし、光と影の効果ですごく立体的に見えますよね。
服のひなの表現なんかもすごく巧みで、布の質感まで伝わってくるようです。
確かに。
で、これだけいろいろな色が使われているのに、全体としてはちゃんと調和が取れてて、ごちゃごちゃした感じはしない。
不思議とまとまってますよね。
ええ。それは背景の建築部分が比較的抑えた色式を灰色っぷい石の色で描かれているからでもあるんですね。
これが手前の人物たちの鮮やかさを引き立てて、画面全体に落ち着きと総合さをもたらしているんです。
なるほど。構図、建築、色彩、人物描写、すべてが一体となって、この壮大なテーマを表現している。
そういうことですね。
では改めて全体像を捉えたいんですが、そもそもなぜ教皇の、しかも個人的な書斎とか図書室だった署名の案にこんなに大々的に古代ギリシアの哲学者たちを描く必要があったんでしょうか。
キリスト教世界の中心であるバチカンに異教の賢者たちが集うっていうのはちょっと意外な感じもするんですが。
それはやはり時代背景とこの部屋全体の装飾プログラムを知ることが大事ですね。
時代背景というと。
16世紀初頭のローマ教皇朝、特にこの壁画を注文した教皇ユリウス2世という人は、ローマを昔の古代ローマみたいに偉大な文化の中心地にしたいっていう強い意思を持ってたんですよ。
野心的な教皇だったんですね。
それでたくさんの芸術家を呼んでバチカンの再建とか装飾を進めたんです。
なるほど。
で、この署名の案は彼の詩的な関心を反映した空間として計画されたんですね。
四方の壁にそれぞれ人間の精神活動の主な領域を表すテーマが割り当てられたんです。
ほうほう。
心学、これが生体の論議という絵ですね。
哲学、これがアテネの学道。
詩、パルナッソス。
そして法、三徳像とか皇帝の絵。
つまり、アテネの学道はその巨大な知識体系の中の哲学部門を代表する作品だったと。
そういうことなんです。
単独の絵画じゃなくて、部屋全体で一つの大きなテーマ、人間の地の全体像を描き出そうとした壮大なプロジェクトの一部だったんですね。
ルネサンス期の文化的対話
なるほど。
じゃあ、キリスト教の中心に古代哲学者が描かれた点については?
えー、それもルネサンス期ならではの考え方があって。
当時、古代の知恵とキリスト教神学は必ずしも対立するものとは考えられてなかったんです。
あ、そうなんですか?
むしろ、古代哲学、特にプラトンやアリストテレスの思想は、キリスト教神学を深めるための基礎あるいは準備段階みたいに捉えられて、両者をうまく調和させようという試みがなされていたんです。
へー。
だから、この絵はそうしたルネサンスの知的統合、つまり古典古代の理性とキリスト教の信仰を結びつけようという精神も反映していると言えるんですね。
古代の英知へのリスペクトと、それをキリスト教世界に取り込んで統合しようとしたルネサンスならではの試みだったと。
ええ。だからこそ、これだけ多くの哲学者が教皇の史的な空間に堂々と描かれたわけです。
いやー、納得しました。
ラファエロはこの作品で、人間の理性の力とか、対話と学問による心理探求の尊さ、そしていろんな知識分野が調和することの素晴らしさ、そういうものをたからかに追い上げた。
それはまさにルネサンスという時代の精神そのものだったんですね。
そして、その普遍的なテーマと、ラファエロの卓越した芸術的な腕前、調和の取れた構図、生き生きとした人物描写、壮麗な空間表現、これが全部合わさって、この作品はラファエロの名声をもう不動のものにした。
そして、後世の画家たちにとっての一つの規範、お手本になった。西洋美術史上に輝く傑作となったわけです。
今日はラファエロのアテネの楽堂をじっくりと見てきましたけど、いやー、これは単なる古代哲学者の肖像画の集まりなんかじゃなくて、時代を超えた血の対話が繰り広げられる、壮大な舞台そのものだっていうことが本当によくわかりました。
プラトンとアリストテレスのあの対照的な歩み、ソクラテスの問いかけ、物を舞いにふてるヘラクレイトス、つまりミケランジェロ、気学学を示すユークリッド、そしてこっちを見ている若いラファエロ自身、一人一人の姿にルネサンスという時代のあの熱気とか知的活力が詰まっている感じがしますね。
まさに古典古内への深い経緯と、それを土台にして花開いたルネサンス期の新しい創造性、その2つが見事に結晶化した作品と言えるでしょうね。
構成におけるあの調和と秩序が、知識の世界における調和の探求、いろんな学問分野の統合というテーマを実に見事に視覚化していますよね。何度見てもなんか新しい発見がある、本当に奥深い作品です。
最後にですね、皆さんに一つちょっと考えてみてほしいなと思うことがあるんですが、ラファエロはこの古代の偉大な思想家たちが集まる血の伝道に、同時代の芸術家、ダビンチやミケランジェロを哲学者の姿として描き込んで、さらに自分自身の姿も加えたわけですよね。
芸術家が思想家とか科学者と肩を並べて描かれる。このことってルネサンスっていう時代の中で、芸術、そして芸術家という存在が社会の中でどういうふうに認識されて、その役割とか地位がどう変わっていったのか、それについて私たちに何を語りかけているんでしょうかね。
深い問いですね。
この絵を単なる美術作品としてだけじゃなくて、当時の社会とか文化を映し出す鏡として捉え直してみるのもまた面白い探求になるかもしれません。
確かに。
というわけで今回の探求はここまでとさせていただきます。ご参加いただきありがとうございました。
ありがとうございました。