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2025-09-13 15:45

54 フェルメール「レースを編む女」

54 フェルメール「レースを編む女」:黄金期の静寂と光、そして秘められた日常の美

サマリー

このエピソードでは、17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの作品「レースを編む女」の技術や社会的背景を掘り下げています。特に、女性の日常を描いたこの作品が当時の市民階級の美徳と理想を反映していることが強調されています。フェルメールの「レースを編む女」は、光と色彩の表現を通じて、日常の些細な瞬間に宿る深い美しさを探求しています。このエピソードでは、作品の技術的要素や時代背景についても考察し、観る者に新たな視点を提供しています。

フェルメールとオランダの背景
今回の探究へようこそ。今日はですね、17世紀オランダ絵画の黄金期を代表する画家、ヨハネス・フェルメール、その世界にぐっと深く入っていきたいと思います。
取り上げる作品は彼の数ある中でも、特になんていうか愛されていて、少し謎めいたところもある一枚、レースを編む女です。
手元にはですね、この比較的小さな映画について、その構成であるとか色彩の技法、描かれたモチーフの意味、あと制作背景、そういったものを詳細に分析した資料があるんです。
今回のミッションというか目指すところは、これらの情報をもとにして単に絵を見るだけじゃなくて、その細部に込め上げたフェルメールの驚くべき技術とか、
作品が放つ親密な雰囲気、その厳選を探っていきたいなと。17世紀のデルフトの日常に足を踏み入れる感じで、一緒に掘り下げていきましょうか。
よろしくお願いします。まず時代背景からお話ししますと、17世紀のオランダ、特にフェルメールがいたデルフトというのは、市民文化が花開いたそういう場所でしたね。
有福な市民階級が芸術の新しいパトロンになって、教会とか貴族のためだけじゃなく、自分たちの生活空間を飾るための絵画っていうのがすごく求められた時代なんです。
その中でフェルメールは、日常生活のある一場面を、まるで時間が止まったかのような静けさ、あと類まれない光の表現で捉えた。
そこが他の画家とは一戦を勝つところでした。このレースを編む女ですけれども、これは彼の画業の後期の方ですね。
1669年から1670年頃に制作されたと考えられています。作品群の中でもサイズは非常に小さい。
小さいんですよね。縦が24.5センチ、横が21センチほどしかありません。
でもその小さな画面には、彼の技術の推移が凝縮されていると言っても過言ではないでしょうね。
パリのルーブル美術館にあるこの油彩画は、まさに親密さの結晶のような、そんな作品です。
本当に小さいんですよね。私も初めて見た時、そのサイズ感に、こんなに小さいの?ってちょっと驚いた記憶があります。
でも近づいてみると、情報量の多さに圧倒されるというか、まず基本情報として、ヨハネス・フェルメール・ザク、レースを編む女。
1669年から70年頃、油彩でルーブル美術館所蔵と、この小ささが逆に鑑賞者を絵の世界にぐっと引き込むような、そういう力を持っている気もしますね。
大きな歴史画とはまた全然違う種類の没入感みたいな。
まさにおっしゃる通りですね。この小ささが描かれている主題、つまりレース編みに集中する一人の女性という、非常に詩的な場面とも完璧に調和しているんです。
ではその構図について、もう少し詳しく見ていきましょうか。
はい、お願いします。
この絵はですね、被写体である女性にすごく近い視点、まあクローズアップと言ってもいいような視点で描かれています。
女性は画面の中央からやや右寄りに配置されていて、鑑賞者の視線というのは自然と彼女、そして彼女の手元へと誘導されるわけです。
ああ、確かに。なんかほんと隣の席からそっと覗き込んでいるような、そんな感覚になります。
ええ、そうですね。そして画面の手前、前景の部分にはレースを編むための道具類。
具体的には赤い糸と白い糸が絡まったクッションとか糸巻きなんかが、意図的に少しぼかされながらもちゃんと存在感を持って描かれています。
これがある種の視覚的な導入になって、鑑賞者を絵の空間へと誘うわけですね。
なるほど。
そして主役である女性がいて、さらにその背後の壁はもう特定できないくらいに抽象的に柔らかくぼかされている。
この前景のぼけ、中景のシャープな焦点、そして後景のぼけっていうこの組み合わせ、これが写真でいうところの非社会深度みたいな効果を生んで、女性の存在感をぐっと際立たせているんですね。
なるほど。前景にもぼけがあるんですね。奥だけじゃなくて。それは面白いですね。
その中心にいる女性ですけど、表情がまたすごく印象的ですよね。何かこう強い感情を表しているわけじゃ全然なくて。
ええ。
ムスイロー、完全に手元の作業に没頭している。その集中ぶりがある種の静けさというか、内面的な深さを感じさせますよね。
まさにそうですね。彼女の表情は穏やかで、うつむき加減の視線は手元のレースにしっかりと注がれています。
カビな装飾みたいなものはなくて、髪は明るい茶色で、きっちりと頭の上でまとめられている。服装も鮮やかではありますけど、飾り気のないシンプルな黄色い上着、ボディスを着ていますね。
これは当時のオランダの市民階級の女性のまあ典型的な姿、あらゆる理想化された姿と言えるのかもしれません。
この黄色すごく印象的です。フェルメールというと、やっぱりラピスラズリを使った鮮やかな青、フェルメールブルーが有名ですけど、この作品では黄色が主役になっている感じがしますね。
そうですね。この黄色はおそらく鉛色色という顔料が使われていると考えられていますけれども、非常に明るくて温かみのある色合いですよね。
そしてフェルメールの新骨頂である光の表現、それがこの黄色い衣装の上で特に際立っています。
左からの柔らかい自然光が布地の質感であるとか、ドレープの陰影を驚くほどリアルに描き出しているんです。
うわぁ、まさに光の魔術師って呼ばれるゆえんですね、これは。肌の描写も、なんか本当に生きてるみたいに見えます。
単に肌色を塗るんじゃなくて、光が当たっている部分と影になっている部分、その境界線の微妙な移ろいが、信じられないくらい繊細に表現されている気がします。
そうなんです。ハイライトの部分にはシバシマポアンティエと呼ばれる天明のような小さな光の点が置かれていたりします。
これは光沢とか質感を表現するためのフェルメール独特の技法なんですけど、この絵でも例えば髪の毛であるとか、
あと手前の糸の質感描写なんかにそれが見られますね。
ああ、なるほど。
背景を溶けるようにぼかすことで、光に照らされた女性の輪郭、特に肩とか腕の丸みがふわりと浮き上がって見える。
この空気感の表現はもう本当に見事としか言いようがないですね。
細部へのこだわり、もうなんか尋常じゃない感じがします。
手前にあるレース網のクッションとか、そこから垂れ下がっている赤い糸と白い糸、資料によるとこの糸の描写がまたすごいと。
ええ。
まるで一本一本の糊まで見えるかのような精密さで、しかも糸が光を受けて放つ微妙な光沢まで捉えているって話ですけど。
その通りですね。
特に赤い糸がまるで生き物みたいにくねりながら垂れている様子は、ちょっと見ると一種の抽象画のようにも見えるかもしれません。
でも近づいてよく見ると、それは紛れもなく糸であって、その質感までちゃんと伝わってくる。
この超絶的な細密描写は、単なる写実を超えて、描かれた対象への深い観察眼と愛情みたいなものすら感じさせますね。
文化的な文脈と評価
ここで少し当時の文化的な背景についても触れておきたいんですけど、17世紀のオランダでは、こういう日常生活を描いた風俗画っていうのが非常に人気だったんですよね。
はい。先ほども少し触れましたけど、市民階級が主な開店になったことで、彼らにとって身近なテーマ、つまり家庭内の情景であるとか、仕事、娯楽、そういったものが好まれて描かれるようになったんです。
フェルメールもこの風俗画というジャンルで数々の傑作を生み出していますよね。牛乳を注ぐ女とか、手紙を読む女とか、多くが女性の日常的な営みを描いたものです。
このレースを編む女で描かれているレース編みという作業、これは当時の女性にとってはごく一般的な手仕事であって、同時に家庭的な美徳、特に勤勉はとか静粛さ、あるいは集中力といった価値観と結びつけて考えられていたんです。
ですから、フェルメールはこの静かな手仕事の場面を通して、当時の社会が理想とした女性像であるとか、家庭内の穏やかな秩序みたいなものをある種賛美するように描いたのかもしれないですね。
なるほど。単に可愛い女の子がレース編んでるねっていう絵ではないと、当時の価値観とか社会の状況みたいなものが色濃く反映されている可能性が高いわけですね。照れないですね。
評価としても、フェルメア作品の中でも特に完成度が高い、収穫の一点として扱われていますよね。
ええ、間違いなく傑作の一つと言えるでしょう。その評価の根拠というのは、やはり今まで見てきた要素の完璧な融合にあると思います。
親密さを生む構図、光と色彩の調和、驚くべき細部の描写力、そして画面全体を支配する清潔な雰囲気、これらが一体となって見るものを画中の時間へと誘い込む。
一度この絵の前に立つと、その小さな宇宙に引き込まれてなかなか離れがたい、そういう魅力を放っていますよね。
あなたももしルーブルで実物をご覧になったら、きっとその場に長く留まってしまうんじゃないでしょうか。
きっとそうなるでしょうね。それでですね、もう一つこの驚異的な写実性、特に光の表現とか遠近感について、フェルメーラがカメラ・オブ・スクラを使っていたんじゃないかという説がありますよね。
これはかなり有力視されてるんでしたっけ?
はい、非常に有力な説として長年議論されてきましたね。
カメラ・オブ・スクラというのは、ご存知の通りレンズとかピンホールを通して、外部の景色を暗い箱の中に投影する装置です。
写真技術の原型ともいれるものですが、これを使うと対象の正確な形とか明暗、そして遠近感を捉えやすくなるという利点があります。
具体的にこの絵のどのあたりにカメラ・オブ・スクラの影響が見られるというふうに考えられてるんですか?
いくつか指摘されてますね。
作品の技術的および芸術的分析
例えば先ほど触れた前景のボケと中景のシャープさ、そして後景のさらなるボケという、まるでレンズを通したような焦点深度の表現。
それからハイライトの部分に見られるちょっと円盤状のややにじんだような光の表現。
これは桜園と呼ばれることもありますが、そういうのがレンズの特性に似ているとされたりします。
手前の糸の描写なんかにもそういう特徴が見られるかもしれません。
さらに投影された像をなぞることで複雑な形状も比較的正確に捉えることができたんじゃないかという可能性も指摘されていますね。
なるほど。でもそれを使ったからといって誰でもフェルメールみたいな絵が描けるわけじゃ当然ないですよね。
もちろんもちろんです。そこがすごく重要な点です。
カメラオブスクラはあくまで道具であって補助的な手段に過ぎないわけです。
仮にフェルメールが使用したとしても、それをどう解釈して、どう選択して、自身の芸術言語へと昇華させるか。
そこがまさに画家の腕の見せ所ですよね。
光の捉え方、色彩の選択、構図の決定、そしてあの独特の触れ使い。
これら全てにフェルメール自身の類稀な感性と判断が働いているわけです。
むしろ興味深いのはこの説が提起する問題というか、
つまり17世紀というかなり早い段階で工学機器というテクノロジーが、
画家の見るという行為、そして芸術表現そのものにどういう影響を与え得たのかということなんです。
これは現代におけるデジタル技術とアートの関係性を考える上でも非常に示唆に富む問いかけと言えるんじゃないでしょうか。
技術と芸術の関係性ですか。それはまた深いテーマですね。
カメラオブスクラを使っていたかいなかったかという事実そのものよりも、
その可能性が私たちの美術師の味方に投げかけるものが大きいと。
そう考えられますね。フェルメールが単に見たままをしたのではなくて、
工学的な効果もある意味利用しながら自身の理想とする光と静寂の世界を再構築した。
そのプロセス自体が彼の芸術の革新に触れる部分なのかもしれないと思います。
いやー面白いですね。
という事は、このレースを編む女という本当に小さなキャンバスには、
私たちをすぐそばに引き寄せるような親密な視点があって、
黄色を基調とした暖かくも鮮やかな色彩と光のささやきがあって、
糸の質感まで伝えるような驚異的な精密描写があって、
当時のオランダ社会の空気感みたいなものもあって、
そして、もしかしたら工学機器の使用を示唆するような技術的な痕跡まで、
本当に多くのものが層を成して詰め込まれているんですね。
日常に潜む美しさの意味
さて、ここまで色々な角度からレースを編む女を掘り下げてきましたけれども、
あなたにとって、この小さな傑作の最も心を掴む部分というのは、
どの辺りに感じられますか?
やっぱりその光の表現でしょうか?
それとも、描かれた女性のあの静かな集中力、
あるいはその背後にある時代の文脈とか。
そうですね。これは個人的な感想になりますけれども、
私が特に惹かれるのは、日常的な、
ともすれば見過ごされがちな鉄仕事という行為に、
フェルメールが注いだ深い眼増しと、
それを普遍的な美へと消化させたその力かなと思いますね。
レース編みという非常に根気のいる静かな作業、
その中に彼は人間の集中力であるとか、
創造性、そして内面的な豊かさといった、
時代を超えた価値を見出したんじゃないでしょうか。
ああ、なるほど。
そしてこれは、なんか私たち自身にも問いかけてくるように思うんですよ。
この作品が示すように、ありふれた日常の中の本当に些細な営みとかディテールにも、
もし私たちが注意深く目を向けて感受性を研ぎ澄ませるなら、
思いがけない美しさとか深い意味が隠されているのかもしれないと。
日常の中に潜む美しさを発見する視点ですが、
確かにこの絵を見ていると、
なんだか自分の周りの世界も少し違って見えてくるような、そんな気もしますね。
慌ただしい日々の中でふと立ち止まって、
何かに静かに集中する時間の大切さみたいなものも感じさせてくれるようです。
ええ、そうですね。
それはこの絵が持つ時間を超えた力なのかもしれないですね。
今日の探究はここまでとしましょうか。
レースを編む女という、本当に小さな画面に込められた大きな世界。
その奥深さに触れるたびにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
もしかしたら次に美術館でこの絵に出会うとき、
あるいはあなた自身の日常の中で、
ふと新たな発見があるかもしれませんね。
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