ゴヤと作品の紹介
さて、今回はですね、お手元の資料にもある、非常に強烈な一枚。
フランシスコでゴヤの、「我が子を食らうサトゥルヌス」、これについて深く掘り下げていきたいと思います。
ああ、ゴヤの。これは印象深いですよね。
ええ。ゴヤが晩年、マドリード郊外の老者の家、キンタデルソルドって呼ばれる自宅の壁に直接描いたっていう、いわゆる黒い絵の連作。
その中でも、特に有名で、そして、なんというか、最も衝撃的な作品の一つですよね。
そうですね。もともと人に見せるつもりがなかったかもしれない、そういう極めて個人的な空間に描かれたものですからね。
そうなんです。で、今日の目的はですね、資料を読み解きつつ、この絵がどうしてこれほどまでに力を持つのか、その背景、
そして時代を越えて私たちを引きつけ、同時に不安にさせるその理由、その革新に迫りたいなと。
はい。
特にこの絵を直接ご覧になったことがないというあなたにも、異様な光景がありありと目に浮かぶように、言葉で丁寧に描写していけたらなと思っています。
ええ、いいですね。この作品は本当に多くの人を捉えて話さない、そういう力がありますから。
主題はご存知のようにローマ神話の濃厚主義、サトルヌス、ギリシャ神話でいうクロノスですけど、
ええ。
彼が自分の王座を奪われるのを恐れて、生まれてくる我が子を次々飲み込んじゃうっていうあのエピソードですね。
はい。
でも資料を読むと明らかですけど、これは単なる神話の何ていうか察し絵なんかじゃ全くない。
ですよね。
ええ、ゴヤ自身の内面とか、彼が生きていた時代の激動、それからもっと普遍的な人間存在そのものへの問いみたいなものが、
このある種おぞましいイメージの中にギュッと凝縮されている感じがします。
うーん。
作品の描写
その多層的な意味を今日はじっくりと解き明かしていきましょうか。
はい、お願いします。では早速この絵の何ていうか情景に入っていきましょうか。
はい。
まず想像していただきたいのは、本当に深い深い闇です。
闇ですね。
ええ、光がほとんど届かないような黒とか茶色が画面全体を覆っているおもぐろしい空間。
まるで洞窟の中なのか、あるいは何か悪夢の底にいるようなそんな雰囲気ですね。
その真っ暗な闇の中から、ぼーっと巨大な人影が浮かび上がってくるわけですね。
そうなんです。
これがサトルネス。ただ我々が神って聞いて思い浮かべるような何か威厳とか美しさとか、そういうのと全く違っていて。
全然違いますね。
むしろ飢えた獣というか、理性を失った狂人というか、そういうちょっとおぞましい姿で描かれていますね。
体つきもゴツゴツしている感じで、肌の色もなんというか不健康そうな灰色がかった色をしています。
そしてやっぱり一番目を引くというか、思わず目をそけたくなるのが彼がやっていること、その行為ですよね。
サトルネスがまるで衝動に駆られるかのように、自分の子供の体をわしづかみにして、その一部をまさに口で引き裂いてむさぼり喰らおうとしている。
その瞬間が本当に様々しく捉えられてますよね。
口も大きく歪んでて歯が覗いているようにも見えます。
その手につかまれている子供の体ですけど、資料の描写を借りるともう頭と右腕はないんですね。
食いちぎられた左腕の付け根からはおそらく血がにじんでるんだろうと。
残された胴体はもうぐったりしてて完全に無力な状態。
本当に痛ましい。
その痛ましさ、犠牲としての姿っていうのは、もう言葉を失うほどですよね。
この暴力の直接的な描写っていうのは、見る人の心にぐさっと刺さります。
そしてサトルネスの表情、これもまたものすごく強烈で、目が本当に大きく見開かれてて、白目の部分が異様に目立つんですよね。
そうですね。資料にも狂気と恐怖が混ざり合ってるってありますけど、まさにそんな感じ。
何かに怯えてるようでもあるし、でも同時に抑えきれない衝動に突き動かされてるようでもある。
この無人した感情が一緒になってる表情が、彼の精神状態の、なんていうか、崩壊ぶりを物語ってる。
その視線がどこを見てるのかはっきりしないのもまた不気味さを増してますよね。
ああ、そうですね。私たち観賞者を見てるようでもあるし、あるいは目の前の惨劇すら見えてなくて、ただ虚空を見つめてるようにも感じられる。
どっちにしても普通の意識じゃないっていうのは確かですよね。
長く伸びてボサボサになった髪とか髭も、彼の荒れ果てた内面というか、人間性を失ってる感じを象徴してるようにも見えます。
ええ。
色彩についてもちょっと触れておきたいんですが、さっきも言ったように背景はほとんど真っ黒。
真っ黒ですね。
その闇の中でサトルヌスの体だけが不自然なスポットライトでも浴びてるみたいに鈍い白っぽい光で浮かび上がってる。
そうなんです。一方で犠牲になってる子供の体はさらに青白いというか、血の毛が引いたような色合いで描かれてて。
うーん。
ここで興味深いのは、やっぱりこの極端な明暗の対比、キアロスクーロですよね。
深い闇と不気味に照らされる加害者の肉体、そして青白く描かれる犠牲者。
この色彩と光の使い方が単なる写実的な描写を超えて、ものすごく劇的な緊張感と心理的な恐怖を最大限に高めてるんです。
背景と解釈
なるほど。
特にサトルヌスの体のあの不自然な明るさ、あれが彼の存在がこの暗い世界でいかに異質で異常なものかを縛り立たせてる。
色彩そのものが感情に直接訴えかけてくるような、そんな力を持ってるわけです。
いやー、描写を聞いているだけでもちょっと息が詰まりそうですが、ではこれを解き明かしていきましょう。
なぜ小屋はこれほどまでに禍々しくて、見る人によっては生理的な嫌悪感すら感じるような絵を、しかも自宅の壁に描いたんでしょうか。
うーん。
資料によると、この黒い絵シリーズが描かれたのは1819年から1823年頃とされてますよね。
当時のスペインの状況を考えると。
まさに激動と混乱の時代でした。
ナポレオン軍が侵攻してきて、その後の独立戦争、反動戦争ですね。
あれがスペイン全土にものすごい破壊とトラウマをもたらしました。
小屋自身も戦争の残火っていう連作版画で、その悲惨さを描いてますよね。
ええ、描いてます。戦争の非人間的な現実を告発するような。
そして戦争が終わって、王様フェルナンド7世が復位した後は、今度は自由主義を弾圧して密告とか処刑が横行する一種の恐怖政治が敷かれた。
うーん。
だから、社会全体が疑い心機と暴力、それから将来への不安に覆われていたような、そんな時代だったと言えますね。
小屋自身の個人的な状況もやっぱり無視できないですよね。
資料によれば、比較的若い頃の病気が原因で、40代半ばにはもう完全に張力を失っていたと。
そうなんです。
老者の家、キンタデルソルドっていう家の名前も、もともとの持ち主が老者だったからとも、小屋自身の状態を反映しているからとも言われますけど、
いずれにしても、音のない世界で自分の内面と向き合う時間は増えたでしょうね。
はい。
聴覚を失ったことで、彼は外部の世界からある程度隔てられて、内面への施策を深めることになった。その可能性はありますね。
それに加えて、戦争体験による精神的なショック、それから自身の老い、この世を描いたのは70代後半ですから。
ああ、そうか。かなり恒例ですね。
ええ。老いや病への不安、これらがこう複合的に作用して、彼の精神状態に暗い影を落としていたっていうのは想像できますよね。
社会的な混乱と個人的な苦悩が、彼の心の中で共鳴しあっていたのかもしれません。
ということは、この我が子を喰らうサトルヌスは、単に神話の一場面を描いたっていうだけじゃなくて、もっと複雑な意味合いを込めて解釈する必要があるということですね。
そうですね。
そういうものを破壊してしまう、当時のスペインの圧勢とか、社会の凶器に対する通列なアレゴリー、グイとして読むこともできると。
その解釈は非常に有力だと思います。サトルヌス、つまりクロノスは、神話では最高神ゼウス、ユピテルのお父さんですから、権力者の象徴とも見なせますよね。
はいはい。
その権力者が、自分の地位を守るために、未来の可能性である子供を食い物にするっていう姿は、まさに当時のスペインの政治状況、あるいはもっと広く、権力そのものが持つ自己破壊的な側面、そういうものを映し出しているのかもしれない。
同時に、小屋自身の内面的な闇、例えば牢とか病、死への恐怖、あるいは人間存在そのものに潜む暴力性や凶器といった、もっと個人的で実存的なテーマの表出とも考えられませんか。
ええ。
自宅の壁っていう、すごくプライベートの場所に描かれたことを考えると、社会批判だけじゃなくて、もっと個人的な動機も強かったんじゃないかなって思うんですけど。
まさにおっしゃる通りだと思います。これをより大きな視点で見ると、この作品の力っていうのは、特定の時代とか社会状況への言及だけに留まらず、もっと普遍的なテーマにも響く点にあるんでしょうね。
普遍的なテーマ。
ええ。例えば、サトルヌスがギリシャ神話のクロノスとして、時間の神様とも同一視されることを考えると、この絵は全てを飲み込んで容赦なく破壊していく、時間そのものの残酷さ、その象徴とも解釈できるわけです。老いも死も、時間のこう戻ることのない流れの一部ですからね。
時間の残酷さ、ですか?
そして、もっと根源的な、人間誰しもが心の奥底に抱えているかもしれない、破壊衝動とか、非合理的な恐怖、狂気といった闇。
うーん。
イメージを借りて、一切の美化とか抑制なしに吐き出したんじゃないでしょうか。自宅の壁に描いたっていう行為自体が、ある種の自己治療というか、うちなる悪魔との対峙だった。そんな可能性すら考えられます。
公開を前提としないからこその、この吐き出しの表現。
そうなんです。そこにこの作品の、なんというか、革新的なすがみがあるのかもしれないですね。
ゴヤの作品の意義
なるほど。社会的愚意、個人的な苦悩の表出、時間や存在についての普遍的な問いかけ。本当にいくつもの解釈が重なり合っているわけですね。単純な答えがないからこそ、これほどまでに人を惹きつけ考えさせるのかもしれない。
ええ、そう思います。
では、この作品は美術史の中ではどのように位置付けられて評価されてきたんでしょうか。資料にも、小屋の最高傑作の一つで、西洋美術全体で見ても極めて重要な作品だと書かれていますが。
その評価はもう揺るぎないものですね。まず、なんといっても、その圧倒的な表現力、技術的な面、例えば大胆な筆使いとか、劇的な光と影の使い方、感情を誠実しく伝える描写力というのは、同時代の他の画家とは一線を画します。
はい。
でも、それ以上に重要なのは、やはり扱っているテーマの深さと、そのタブーへの踏み込み方ですよね。人間の心の最も暗い領域、暴力、狂気、死といった、普段は目を背けたい現実に、これほど正面から向き合った作品というのは、なかなか珍しいと思います。
見る人によっては強烈な不快感とか恐怖を与えるかもしれないのに、それが同時に価値でもあるっていうことですか。
まさにそういうことです。心地よい美しさだけが芸術じゃないと、時には私たちを不安にさせて、既存の価値観を揺さぶって、目を背けてきたものと向き合わせる、そうした力を持つことこそが偉大な芸術の証と言えるかもしれない。
このサトゥルヌスはまさにその典型例です。その衝撃力ゆえに忘れがたい印象を刻み込んで、人間とは何か、文明とは何かといった根源的な問いを私たちに突きつけてくるわけですね。
後世への影響もかなり大きかったと資料にはありますが、具体的にはどういった影響が。
ゴヤ、特にこのクロイエシリーズが後世に与えた影響はもう計り知れないですね。ロマン主義の画家たちはもちろん、近代の例えば表現主義とかシュルレアリズムといった芸術運動にものすごく大きなインスピレーションを与えました。
表現主義やシュルレアリズムに。
例えば表現主義の画家たちが内内面の感情とか精神的な危機感を歪んだ形とか強烈な色彩で表現しようとしたときに、ゴヤのクロイエは非常に重要な先駆的な作品として参照されたはずです。
なるほど。
また、シュルレアリストたちが夢とか無意識の世界、非合理的なものへの関心を深めた際にも、ゴヤが描いた悪夢のような光景は彼らの想像力を強く刺激したでしょう。
人間の内面に棲む闇とか狂気、社会の不条理といったテーマを恐れずに描き出したゴヤの姿勢そのものが、時代を越えて真実を表現しようとする多くの芸術家たちのある種精神的な支えになったと言えると思います。
なるほど。単に恐ろしい絵というだけではなくて、芸術の可能性そのものを押し広げた非常に重要な作品なんですね。
そういうことですね。
さて、これら全てが何を意味するのでしょうか。
こうして作品の背景、色々な解釈、そして構成への影響を知った上で、改めてこの我が子を喰らうサトルヌスという、暗くて暴力的で、でも異様なまでに力強いイメージと向き合う。
作品が与える影響
あなたにとってそれは今、どんな体験になるでしょうか。
この絵は、ただ見るだけじゃなくて、その背後にある物語、ゴヤ自身の人生の苦悩とか、彼が生きた時代の闇、そして神話が持つ古来からの意味、そういうものを知ることで、より深く重層的に私たちに語りかけてくるように感じますね。
はい。
それは、人間の心の奥底にある、時世では割り切れない衝動とか、社会に棲む暴力性、そして誰もが逃れることのできない時間や死、といった、普段はもしかしたら蓋をしているかもしれないテーマについて、強制的に考えさせるような、そういう力を持っている。
うーん。
ここで重要な問いが浮かび上がります。なぜ私たちは、これほどまでに恐ろしくて、不快でさえあるはずのイメージから、目を離すことができないんでしょうかね。
確かに。
恐怖とか嫌悪を感じつつも、同時に強く引き付けられてしまう、この感覚は一体何なのか。
もしかすると、この絵は、私たち自身の中にも存在するかもしれない、認めたくない闇の部分を、まるで鏡のように映し出しているから、なのかもしれませんね。
最後に、あなた自身に深く考えていただくための問いを一つ投げかけてみたいと思います。
はい。
資料が繰り返し強調しているように、ゴヤはこのサトルノスを含むクロリエを誰に見せるためでもなく、彼が日々を過ごした自宅の壁、おそらくは食堂ともいわれる生活空間に直接描いたわけです。
それは彼にとって一体何を意味したんでしょうか。
毎日自分が生み出したこれほど強烈で暗いイメージに囲まれて暮らすというその選択、その個人的な闇との絶え間ない対峙は、芸術における創造の根源について、あるいは困難が現実の中で人間が生きるということについて、私たちに何を教えてくれると思われますか。
うーん、深い問いですね。ゴヤはその暗闇の先に、あるいはその暗闇の中に、一体何を見出そうとしていたんでしょうか。
ぜひ、あなた自身の思考を巡らせてみてください。