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 「救いの確信 」2026年9月27日のメッセージ
2026-09-27 41:05

「救いの確信 」2026年9月27日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年9月279日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼公式Instagram: https://www.instagram.com/tokyovinechurch

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(聖書)Ⅰヨハネ5:13神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。

メッセージ題 : 救いの確信 (ヨハネの手紙5章13節) 
*中島家と何か月間一緒に初心者向け福音伝道のショートメッセージを発信して来ました。最後は信仰告白と弟子の生活。その後、信じない人と信じる人の比較して。今度の秋、その深さを分かち合いたい
*救われた人の5つの確信? 「救いの、祈りの応答の、導きの、赦しの、勝利の確信。」 ローマ8:37
*この世でのキリスト者の生活は?ヨハネ16:33苦難を勝ち抜く為には・・使徒パウロ、フィリポ1:23、24

1.ところが、救いの確信は・・・可能でしょうか?
*改めて、救いは?ヨハネ3:16、ローマ10:10 心で、口で。イエス様を受け入れた人はキリスト者、救われた
1)ある人は?死んでみなければ分からない、それは神の領域だと!勝手に言うのは高慢だ! 特に日本人は
2)いいえ、救いの確信は可能です。信じる人の特権は、永遠の命を持っているということです。Ⅰヨハネ5:13
*事実、イエス・キリストを自分の救い主と主人と受け入れた人は、信仰と救いを失うことは可能ではありません
ヨハネ1:12 神様から頂いた資格、特権である救いを失うことができるか?これはキリスト教の最大な難題です

2.問題は、救いを失うのではなく、救いの確信が弱くなることです。救いの確信が弱くなるのか?
*信仰によって救われたのに、救われた後の行いの故に救いを失うなら、結局キリスト教は信仰ではなく行いによって救われることになるのでは、そうではありません。エペソ2:8,9それにも弱くなったり?
1)神の約束を信頼しないから!信仰が弱くなるから! 私たちはそう思うけど、聖書はそう言ってません。
ローマ3:4,ヘブライ6:17、民数記23:19神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。 →救いの確信が弱くなるのは、信仰成長と御言葉と聖霊の助けによって信仰が強くなると
2)神様に未だ、告白していない罪があるから! 罪は怖い、神様と私たちの関係性を妨げます。
天には太陽が?地には暗い、雨が?雲によって。罪は雲のようなもの。イザヤ59:1 罪は確信の大きいな邪魔物。キリスト者が罪を犯すなら聖なる神様は悲しまれ悩まれます。また、罪を犯した信者は救いの確信と喜びを失うようになります。詩編51:11,12わたしの罪に御顔を向けず咎をことごとくぬぐってください。12神よ、わたしの内に清い心を創造し新しく確かな霊を授けてください。悔い改めるなら!
3)神様との交わりをおろそかにするから!祈りは霊的な呼吸?呼吸しなければ死にます。同じことが・・・
しかし、聖霊様がその心におられるか人は?聖霊様が目を覚ましてくださり、神の子供であることを確信させて下さり、悔い改めさせ、頂いた救いのすばらしさについて知らせて下さって、確信を持たせる
*私たちは神様の御前で罪を犯したり不従順な信仰生活によって確信が弱くなってすべてが終わったと思うかも。しかし真実変わりがない神様の立場では?←私たちは自分ではなく神様を信じなければ

3.では、救いの確信を回復する方法は? 信仰と聖霊様の内的証拠で!
1)救いは信仰によって! 確信に至らない信仰は?一時的、現実的信仰。知識的同義。ヤコブ2:19
救われる信仰とは?確かな事実による、私は罪人、神様から遣わされたイエス様、十字架の贖い、復活
特に聖書に基づいた、イエス様の御業とその意味を知って信じることでⅡテモテ3:15救いに導く知恵
2)聖霊様の内的な証拠によって!ローマ8:15-16,Ⅰコリント12:3 聖霊によってイエスは主であると!
まとめ)救いの確信は可能なのか?どのように?確信できない理由は?なぜ弱くなるのか?回復は?
@もし今日、あなたがこの世を去るなら、天国に入ると確信しますか?どうして?私がイエス様を信じる

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サマリー

牧師は、キリスト者に与えられる五つの確信のうち、救いの確信を取り上げます。救いとは、イエス・キリストを救い主として信じ、十字架と復活を受け入れた人が永遠の命を持つことであり、「死んでみなければ天国か地獄か分からない」という考えに対して、救いの確信は可能だと語ります。信仰者にはこの世で苦難があるものの、天国に行く確信があれば、サタンや罪、誘惑との戦いを乗り越える力になると説明し、パウロがキリストと共にいたい願いと地上に留まる奉仕の必要の間で語った言葉にも触れます。 救いそのものを失うのではなく、信仰の弱まり、告白していない罪、神との交わりや祈りの軽視によって救いの確信が弱くなると説きます。神の約束は変わらないため、悔い改めと信仰、聖霊の助けによって確信を回復できるとし、聖書に基づく信仰と、聖霊が神の子であることを証しする内的な働きを重視します。最後に、救いの確信を霊的な戦いにおける兜になぞらえ、「イエス・キリストを信じているから天国に行く」と宣言できる信仰を持つよう勧めます。

五つの確信と救いの確信
今日は、「救いの確信」という体をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
今まで何ヶ月間、中島家とともに、 初心者用の求道者、また初心者用の福音伝道のために、ショットメッセージを発信してきました。
その最後が、信仰告白行だったんですね。 そして、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れるようにという、そのような段階があって、その後は、信じる人々、信じる人になったから、これから信じる人々は、このような生き方をしなければいけないですよ、と言いしながら、停止の生活を申し上げました。
そこで終わろうかと思ったんですけど、そこで終わりじゃなくて、もう一回ということで、私にすごく役に立った、福音を理解するのに役に立ったものがありまして、これは信じる前の私と、信じた後の私がどのように変わったのか、イエス・キリストにどのように変わったのか、
それが私にすごく力になったものですから、それを企画して、それでまた発信しました。
この世は百年、天国地獄は永遠、これは皆さんもご存知ですね。
その中で、信じない人のこの百年のこの人生、その人生はどうなんでしょう。
信じない方、まあ申し訳ないんですけど、信じない方はいくら立派に過ごすとしても、六つの問題から逃れることはできません。
まず大事なのは、信じない方は、自分がいくら正しくうまく生きたとしても、聖書はこの悪魔のしもべ、悪魔の奴隷と言います。
悪魔の奴隷の特徴は、空上崇拝するようになるんだということです。
空上崇拝を背負って、霊的な問題を抱えている。
また精神的な問題、体の問題を患います。
そのような苦しみの中、問題の中で過ごしながら、最後この世を去るときは、
裁きを受けて、そして地獄に行くようになります。
それで終わりではなきません。
一人の方がもう亡くなったことは終わりではなく、
その子孫たちが親がやっていることをその通り受け入れて、親譲りということがありますので、
呪いを親譲りするような、この運命の鎖から逃れることはできません。
ですから、未死者は、よく霊的な目で見ていますと、悪魔の奴隷であり、
霊的な問題を持っているし、精神的、体の問題、そして苦しみながら生きながら、
最後に死んだら裁きを受けて、そして地獄に行く。
そして自分の子孫たちには、親がやっていることをその通り、
遺伝を通して、どんな方法を通して、子供たちは親がやっていることをその通り行うようになるということでしょうか、親譲り。
そのような鎖の中で、未死者たちは過ごしています。
しかし、信じている私たちは、イエス・キリストによって、その呪いの鎖が破られて、
そこから救われて、神の子供としての祝福と特権をいただくものになりました。
神の子供としての祝福と特権、これは何で表現できるかと言いますと、
私たちには5つの核心を持っています。
まずはじめに、救いの核心。
今日一緒に分かち合いますけど、救いの核心。
二番目は、祈りは必ず応えられる祈りの応答の核心。
また、導きの核心。
神様、私の人生を導いてくださる。
人が計画を立てても、その道を導く方は神様だ。
この導きの核心。
また、許しの核心です。
どんな罪を犯しても、どんな悪いことをしたとしても、
悔い改めるなら神様から許されるということで。
また、勝利の核心です。
サタンがいくら私たちを攻撃して地獄に連れて行こうとしても、
地獄に連れて行くことができない。
私たちはこの勝利が与えられている。
これを悟って、シト・パウルはローマ書8章37節にこう言っています。
しかし、これらすべてのことにおいて、
私たちは、私たちを愛してくださる方によって、
輝かし勝利を収めていますと言います。
パウルはこの5つの核心を持って、勝利を確信をしているんです。
皆さん、信じている人たちはどれほど素晴らしいことでしょう。
ですから、今度は秋。
秋はこれを一つ一つ皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。
皆さん、スティーブ・ジャブス、皆さん全部ご存知ですね。
Appleの会社の創始作。
iPhoneの神話を作り上げた彼が、
56歳の若さで水族館で亡くなりました。
私たちが羨ましく思うすべてを持っている人が、
スティーブ・ジャブスとか、このような人ではないでしょうか。
彼は短い人生を過ごしたんですけど、
永遠の命と天国への確信
その後、彼はどうなったんでしょう。
どこで何をしていると思いますか。
死んだら終わりですか。
いいえ、終わりではありません。
皆さん、私たちにぜひ覚えるべきことは、
人間は神様の見姿で作られた。
神の見姿で作られたという時に、
いろいろな要素があるんですけど、
その中で一つが霊的な要素です。
霊物は死ぬことはありません。
神様が永遠に生きるように、
私たちも永遠に生きます。
ただ、これを天国で永遠に生きるのか、
地獄で永遠に生きるのか、
それが100年の人生の中で決められるものですけど、
それを通して見ている人は、
スティーブ・ジャプソンは今どこにいるのでしょう。
聖書はこう言います。
ペブラリー書9章27節。
人間にはただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることが定まっているようにと言います。
裁きは定まっています。
もう既に決められています。
だったら死んだら裁きを受けるんですけど、
私たちはどうですか。
自分の力で罪を犯すことを犯さない力もないし、
誘惑する悪魔に勝ち抜く力もないから、
人間はすべて罪によって地獄に行きます。
しかし、イエス・キリストを信じる者たちには、
イエス・キリストの十字架の航路によって、
私たちは罪を許され天国に行きます。
だから永遠に地獄で罰を受けるのか、
永遠に天国で祝福を受けるのか、
それを決めるのは、
ただただイエス・キリストを信じること、
イエス様の航路によって私たちがそれをいただくことになるので、
イエス・キリストを信じることは非常に大事です。
イエス様は私の罪のために十字架で血を流して死んでくださった。
私たちはそれを信じることによって救いを得られる。
これは人類歴史上一番至福のメッセージです。
ですからこれをグッドニュース、福音と言いますけど、
今日は神の子供の特権、これ5つあります。
この中でまず始めの時間として、
救いの核心について分かっちゃいたいと思います。
救いの核心、
もし皆さん今日この世を去るなら、
天国に入る自信がありますか?
もし皆さんがこの世を去ったら、天国で目を覚める確信を持っていますか?
これを救いの核心と言います。
救いの核心とは、私がイエス・キリストを信じることによって、
救いを得られたことを少しの疑いもなく、完全に信じる状態を言う。
私は必ず天国に行く。
私たちキリスト者にこのような核心があるなら、
それよりもっと力になるものはないでしょう。
考えてみてください。
この世がいくら立派だとしても、いくら幸せなものだとしても、
天国よりもっといいと思いますか?
遥かに遥かに天国の方がいいです。
ですから私はもう天国に行くと言ったら、
この世でどれほどのイエス・サムは主のために苦難を受けたり、
どれほど貧しく、どれほど何か苦しみの中で過ごしているんだとしても、
どっちほど私は天国に行くという核心、
また天国がどんなところかということをしっかり私たちは理解しているなら、
苦難の中で支えとなる確信
もうどんなことがあってもいい。私は天国に行くからと言う。
それが救いの核心です。
だからどんなことでも私たちは担っていくことができるパワーが、
この救いの核心から出てきます。
ですからキリスト者に一番大事なのは、
今日私は死んでも天国に行くんだ、天国に行くからということ、核心です。
また私たちが救いの核心を持つべき理由があります。
イエス・サムはこう言われました。
ヨワネ16章33節
言葉を変えれば、キリスト者なのに、この世で信仰による苦難がなければ、
信仰生活を正しくやっていないことではないかという、このような質問もできますね。
キリスト者はこの世で必ず苦難がある。
これイエス・サムは言われました。
しかし勇気を足しなさい。私がすでにこの世に勝っていると言われました。
この世で苦難がある。
苦難があるこの世で、キリスト者として、
サタンと罪と誘惑と戦う、このような中には、
本当に難しさがたくさんあります。
しかし、私たちが今日死んでも天国に行くという確信があるなら、
私たちはこの世で礼儀的な戦いをうまく乗り越える力が、その確信から出てくるでしょう。
シト・パウルはこの世で礼儀的な戦い、また死のために、この奉仕をたくさんやりました。
死の前に彼はこう言います。ピリップ1章23節24節
この2つのことの間で、板挟みの状態です。
一方では、この世を去ってキリストと共にいたいと熱望があり、この方が遥かに望ましい。
だが他方では、陸に留まる方が、あなた方のためにもっと必要です。
私は早く天国に行きたい。
しかし、あなたたちのために、私がやるべきことが残っているから、あなたたちを助けるために、この世で少しもっと滞在したい。
しかし、私は早く天国に行きたい。これがシト・パウルの自分の希望だと言いました。
これから見てますと、シト・パウルは救いの確信に満たされていたことがわかります。
救いの確信は可能なのか
ところが、現代になって、救いの確信、または裁き、天国、地獄、この部分に対して疑いを持っている人がたくさんいます。
なぜなら、若者たちは大抵こう言いますね。聖書を読んでいますと、終わりが来る、終わりが来る。
初代国家の初めの時から終わりが来る、終わりが来る。
でも、2000年になってもまだ終わりが来る。見込みも見えていない。
だから、聖書を信じられるか、信じられないという人たちがたくさん現れています。
ある人たちは、死んで神の裁きの座の前に立つまでは、自分が天国に行くか地獄に行くか、よくわからないものではないのと言います。
救いの確信があると言ったら、この人傲慢だな。これは神の領域で、あなたがわかるはずがない。
そして、死んでみなければわからない。
以前、私の母がカソリックだったので、母がいつも救いの確信と話をしたら、母がいつもこう言いました。
それは死んでみなきゃわからないじゃないの、と言いました。
死んでみなければ、私が天国に行くか地獄に行くか、よくわからない。
このような曖昧な、でもそれが信仰が悪いのか、悪いことばかりしているのか、そんなことでもないのに、
そう言うのは傲慢じゃないの。
神の領域の話、神様が決めるものを、あなたが自分はわかっているという確信を持っていると言ったら、これは間違いじゃないの、ということもたくさんありました。
だから、救いの確信を持つのは、これは駄目なのかと思われるかもしれません。
しかし、そうではありません。
救いの確信は本当に可能です。
信じる人の特権は、永遠の命を持っていることを自分が確信することです。
使徒ヨワネ、今日読んでくださった第一ヨワネ古書13節。
あなた方にこれらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
すでに永遠の命を持っていること、あなたたちはわかっていないので、
でも、わかっていなくても、あなたは持っているよということを悟らせるために、使徒パウルはヨワネの手紙を書かれたということを教えてください。
ですから、信じる人が救いの確信を持つだと思ったら、これは傲慢だというのは、誠意とは違うということを理解していただき、
救いの確信は可能であり、それは確かなものだということです。
事実、イエス・キリストを自分の救い主と主人と受け入れた人が信仰を失うとか、救いを失うのは、これはありえないことです。
ヨワネ1書12節。しかし言葉は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神のことなる資格、また神科学では徳権を与えたと言われています。
神様からいただいた神の子供の資格、徳権である救いを失うことができるのか、これが今の時代、進学的な最高の難題です。
確信が弱くなる理由
問題は、救いを失うことではなく、救いの確信が弱くなることなんです。
では、なぜ救いの確信が弱くなっているのか。
私たちは信仰によって救われました。
しかし、救われた後の私たちの行いによって、救いを失うということになるなら、キリスト教は信仰によって救われるのではなく、行いによって救われるようになります。
では、そうではありません。
私たちの救いは、エペソー2章8節、9節。
事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、自らの力によるものではなく、神の賜物です。
行いによるものではありません。
それは、誰も誇ることがないためなのです。
聖書がこう言っているのにも関わらず、救いの確信は揺れたり、弱くなったり、失ったりすることもできます。
では、キリスト者が救いの確信を失う理由は何でしょう。
まず、神の約束を信じる信仰が弱くなっているからです。
神の約束を信じる信仰が弱くなったということで、
頂いた救いがなくなるのですか。
私たちは、自分の信仰が弱くなった。
教会、今何ヶ月間教会に行っていない。
また、私は信仰生活をうまくやっていないから。
ということで、自分自身はもう神様から見捨てられたんじゃないか。
私が神様だと思ったら、お前みたいに人間はいらない。
お前、出て行けと言われるような気持ちになります。
変わらない神の約束
しかし、聖書はそう言っていないということです。
ローマ説3章4節には、
人は全て偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。
またヘブラリー書6章17節、
神は約束されたものを受け継ぐ人々に、
ご自分の計画が変わらないものであることを一層はっきり示したいと考えて、
それを誓いによって保証されました。
民数記23章19節、
神は人ではないから偽ることはない。
人の子ではないから侮ることもない。
言われたことをなさらないことがあろうか。
告げられたことを成就されないことがあろうか。
神様が言われたら必ず成就するということです。
ですから、神様が私たちに与えてくださった救いの確信が弱くなるのは、
失ったことではなく、弱くなっていることです。
ですから信仰成長、見事ばと精霊の助けによって信仰が強くなるなら、
弱くなったものが強くなったら、
私は見捨てられたんじゃないかと思われることを、
そうではないんだということを私たちは理解することができます。
また、救いの確信が弱くなったり、失ったんじゃないかと思われるのは、
神様に告白していない隠された罪があるからです。
罪は、普通の人は罪を公に言い表しません。
でも罪は私たちの中にあって、悪魔はこれをもって私たちを苦しめます。
特に一番の問題は、神様と私たちの関係を罪をもって妨げるんです。
空には太陽が光るんですけど、地上には暗くなって雨が降る理由は、
雲によって空は明るいんですけど、下は暗い。
雲と罪は同じような役割をします。
神様はいつも私たちに信仰を下さるんですけど、
私たちは神様から逃げていきます。
なぜなら、罪によって、
貝のように自分自身の心が隠されているからです。
ですから、イジャヤ59章1節2節に、
主の手が短くて救えないというのか、
主の耳が鈍くて聞こえないというのか、
むしろお前たちの悪が、神様と私たちの間を下手で、
お前たちの罪が神の御下を隠させ、
お前たちに耳を固めくれることを妨げるのだ、と言います。
罪は核心の一番大きな邪魔者です。
キリスト者が罪を犯すなら、
聖なる神様が悲しませ、また悩ませます。
また、罪を犯した信者は、
救いの核心と喜びを失ってしまいます。
ダビデがウリアワの妻を犯した後に、
自分が書かれた詩編の51編、11節、12節には、
ダビデは泣きながら、
救いの喜びを取り戻してください、と言います。
救いの喜びがなくなったということです。
救いの核心がなくなった。
何によって?
バッド・セバットの間の罪によって、
ウリアワを殺した罪によって、
自分が大きな罪を犯したから、
神様が自分を見捨てられたと自分自身が思って、
自分自身が神様から、
この悲しむような状態に落ち込んでしまったということです。
しかし、自分の罪を深く悔い改めて、
取り戻すことさえできれば、
私たちは失われた救いの核心を取り戻すことになります。
聖書は約束しています。
第一話の1章9節、
自分の罪を公に言い表すなら、
神は信じて正しい方ですから、
罪を許しあらゆる不義から、
私たちを清めてくださろうと言います。
まず信仰が弱くなったら、
自分自身が神様に忠実にならないから、
その部分で自分自身が、
私は神様から見捨てられた、
神様から何か救われないんじゃないかと、
また大きな罪を犯したなら、
自分自身が自ら神様から逃げていきます。
だから自分の救いの核心はだんだん薄まって、
それで私は救われてないんじゃないかという、
またその中で病気にかかったりするなら、
すべて病気とか事故とかいうことが、
私の罪のせいだと思って、
神様からもともと逃げるような状態になります。
また3番目、
神様との交わりをおろそかにするから、
私たちの救いの核心が弱くなります。
祈りは霊的な呼吸と言います。
呼吸しなければ私たちは死ぬようになります。
同じようにどんなキリスト者だといっても、
霊的な呼吸である祈りの生活をうまくやっていなければ、
だんだん霊的に死んでいくし、
その時、救いの核心を失うようになります。
ですから私たちは信仰が弱くなったり、
罪を犯したり、
神様との交わり関係性がだんだん悪くなったりするなら、
そこに従って自分の救いの核心も弱くなったり、
失ったり、いろいろな疑いが生じたりすることがたくさんあります。
しかし、その心の中で聖霊様がおられるなら、
その聖霊様が私たちを助けてください。
聖霊様は様々な方法を通して私たちの心を覚ましてください。
あなたは神の子供の代わりがないよということを確信させてください。
また悔いを改めるように、いろいろなことを通して悟らせて導いてください。
また、私たちがいただいた救いの喜びがどれほど素晴らしいのかということを知らせてくださって、
救いの核心を取り戻すことができるようにしてください。
このような全ての過程の中で、私たちの側面からは、
私が神の前に罪を犯して信仰性がうまくやっていなくて、
信仰が弱くなって、今私がやっていることを考えてみますと、
私は神の前に立つ資格がない。
救いを失った。
私はもう神様から終わったと、いろいろ考えるかもしれないけど、
信じて代わりがない。
神様の側面からは全然問題がないと言われるかもしれません。
ですから私たちは、自分自身を信じることではなく、
自分の感情に委ねることではなく、
代わりがない神様を信じなければなりません。
私はこのような時に、いつも考えたら、私は力になる部分があります。
これは皆さん、サタン、今サタン、昔は天主教だった。
サタンが今力を持っています。
全人類を惑わす力を持っています。
また、全人類を地獄に連れていくような、
このようなすごく大きな力を持っているように見えます。
このサタンが持っている力は、どこから来たんですか。
これはもともと、神様から天主教の時代に与えられたことです。
だったら、天主教の時代から堕落して、
神に逆らうサタンになったら、人々を騙す悪魔になったら、
神様はこの力を奪えばいいんじゃないか。
だったら、サタンの力がなくなるんじゃないかと思います。
しかし、神様はサタンから力を奪うことなさいませんでした。
ここで皆さん大事なのは、
神様は心変わりが激しい方ではないということです。
私たちは朝晩、心が行ったり来たり変わります。
神様が一体決めたと言ったら、
神様が定められた時期まではそのまま置いておきます。
サタンが堕落したとしても、いつサタンを滅ぼすのか、
最後の裁きの時にサタンを地獄に投げ入れます。
その時にまで、神様はサタンの力をそのまま置いておくんです。
私だったらすぐ奪ってしまって、サタンが何もできないようにしてしまうけど、
神様は待っておられる。すぐ力を奪わない。
心変わりが激しい方ではありません。
神様は動く影さえない。
神様はいつまで同じお方です。
神様は変わりがありません。
サタンの力も奪わない神様。
私たちに神の子供になる資格を与えたと言ったのに、
私の信仰生活は最近良くない。
お前ダメだ。取り戻せ。
罪を犯しました。
お前の力を取り戻せ。
神様と関係があまりうまくない。
神様が言っても従わない。
お前やめ。これから今まで全部キャンセル。
お前の力を取り戻せ。
心変わりが激しい方ではない。
神様はこんなお方だということです。
私たちは変わります。
しかし神様は変わらない。
だから私が信仰の救いの確信が失った。
私は救われないかもしれない。
私は地獄に行くかもしれない。
ある意味から見てますと、
心変わりが激しい。
私たちの考えの中に問題があるかもしれないけど、
神様はずっと昔から今に至るまで
あなたは私の愛する子。
私はあなたを愛しています。
このようにずっと神様は待っておられる。
悔い改めることを待っておられる。
1000年後1日のように待っておられる神様。
だから神様は今私たちが悪いことを
罪を犯したり教会に来なかったり
神様を逆らったり
いろいろなことをするんだとしても、
神様の心は変わりがない。
だから救いは私の心、私の考え、
私の信仰から出発するのではなく、
変わりがない神様から出発しなければいけない。
ぜひとも皆さんこれを理解していただければと思います。
救いに至る信仰と聖霊の証し
ですから私たちの救いの確信は
2つによって与えられることができます。
1つは信仰です。
電動爆発訓練、昔やりましたけど
もう一度やりましょうか。
そこから学んだことがあります。
電動爆発訓練で、
信仰は2つがあります。
救いに至る信仰があるし、
救いに至らない信仰があります。
皆さんこれを気を付けなければいけません。
救いを得ることができない信仰、
これは一時的、厳正的な信仰です。
これは何かと言いますと、
私たちの人生に発生する問題を解決するために、
一時的神様を求めることです。
この問題が解決できたら、
これ以上神様を委ねたり、
イエス様を求めたりすることはないでしょう。
このように一時的、
自分にある問題を解決するために、
私はイエス様を信じます、
信じます、助けてください。
このビジネス必ず成功しなきゃいけません。
神様助けてください。
イエス様信じます、信じます、
というのは、
私たちの救いを得られる信仰ではない。
また、知識的な道義ということです。
聖書に書かれてあるんじゃない?
分かってるよ、分かってるよ。
聖書はそう言ってるからね。
だから私もそのように信じています。
認めますよ。
頭で信じる信仰。
信仰は国父から信じて、
嫉妬され、
口で言い表して救われると言いますけど、
頭で信じる信仰があるんです。
このような信仰は、
事実、
悪霊友も持っています。
約部2章19節。
あなたは神は唯一だと信じている。
結構なことだ。
悪霊友もそう信じておのがいている。
悪霊が持っている信仰、
これは救われる信仰ではないんですけど、
それが何かというと、
知識的に認める。
知識的にそうだろうということで。
そのような信仰を持っては、
救いの確信を持つことはできません。
では、救いの確信を得ることができる信仰は何なのか。
私たちの救いのために、
ただただ、
イエス・キリストのゴールを委ねることです。
ここに、
信仰は漠然的な信仰、
希望ではありません。
確かな事実に基づいて、
私たちは信仰が始まらなければなりません。
私たちの信仰はどこから始まるんですか。
私は罪人です。
私を救うために、
神様がイエス・キリストを私たちに贈ってくださいました。
イエス様は私のために、
十字架で死んでくださり、
また復活されました。
このような事実に基づいて、
その事実に含まれている意味を
信じること、受け入れること、
これによって正しい信仰になるんです。
特に、
この救いの確信は、
聖書の基づいて、
信仰を持つことが大事です。
第二手もて三書十五節に、
パウロが手もてにこう言います。
あなたは幼い時から、
聖書をわかったんだけど、
この書物は、
キリスト、イエスへの信仰を通して、
救いに導く知恵を、
私たちに与えてくださいます。
聖書を信じる人、読む人には、
聖霊様が働きます。
そして、私たちに、
救いの確信を持つことができるように、
助けてください。
この働きに大事なのは、
聖霊様です。
聖書と聖霊様によって、
私たちの信仰が、
正しい信仰になります。
そうじゃなくて、
救いを確信を得られない信仰は、
一時的、厳正的な、
この神様を委ねようとする信仰、
また、私たちは、
知識的な神を認める、
このようなことは、
聖霊様がいなくても、
いくらでもできる信仰です。
聖霊によらない信仰は、
救いの確信に至ることはできません。
しかし、聖霊の働きによって、
私たちに与えられる、
聖書を基づいて与えられる、
この信仰が、
私たちに救いの確信が与えられます。
ローマ書8章15節と16節で言います。
あなた方は、
嫉妒と霊として、
再び恐れに陥れる霊ではなく、
神の子とする霊を受けたのです。
この霊によって、私たちは、
パパ、父よと呼ぶのです。
この霊こそは、
私たちが神の子供であることを、
私たちの霊と一緒になって、
明かしして下さいますと言います。
今日は、
今日の教理的なことを皆さんに申しましたけど、
難しかったでしょう。
救いの確信を取り戻し霊的に戦う
まとめてみましょう。
皆さん、救いの確信は可能ですか?
はい、可能です。
では、どのように、
救いの確信を得られることはできますか?
聖霊様が照らしてくださる信仰によって、
ということです。
救いの確信を持つことができない理由は何ですか?
救いの確信がなくなったんですか?
いいえ、弱くなったり忘れたりすることです。
なぜ弱くなったり忘れたりしますか?
一番大きな問題は、
罪です。
罪によって、
神様との関係がためになり、
信仰が弱くなり、
全ての原因は、
罪です。
特に、
習慣的に、
同じ罪を繰り返しする罪がありましたら、
これを徹底的に、
悔い改めを通して、
習慣的な罪を全部切り捨てなければなりません。
悔い改めない時、
救いの確信は弱くなります。
それが繰り返されると、
救いが得られなかったというように、
沙汰がいくらでも私たちを騙すことができます。
しかし、
悔い改めることによって、
信仰と聖霊様の助けによって、
私たちは、
救いの確信を取り戻すことができます。
私たちを疑いと、
恐れに陥れる悪魔に負けないで、
救いの確信を取り戻して、
そして、
最後の時の、
この最後の時、
信者たちに与えられる様々な迫害、
いろいろな難しさを乗り越えて、
もっともっと、
私たちの故郷である、
神の国、
神に天国を求める、
このような、
救いの確信、希望が満ちあうれる、
私たちの信仰になれればと思います。
最後に皆さんに質問してみましょう。
皆さんは、
今日この世を去っても、
天国に入る自信がありますか?
あゆみちゃん、
今日この世を去っても、
天国に入る自信がありますか?
アメン!
以前、私の子供たちは、
電動爆発訓練を覚えることがいっぱいあって、
それを妻と私が覚えながら、
隣に座っていたヘネリが、
あなたは今日死んでも天国に行く自信がありますか?
アメン!
子供たちがいろいろ応答しながら、
一緒にこの訓練を受けた覚えがあります。
皆さん、
今日この世を去っても、
天国に入る自信がありますか?
アメン!
では、どうして、
そのような自信ができましたか?
その答えは、
私がイエス・キリストを信じているから、
という答えです。
アメン!
ぜひとも皆さん、
このような革新を、
イエス・キリストを信じることが、
どれほどどれほど素晴らしいことなのか、
それを、
もともとこの深さを神様に求めながら、
ぜひとも、
救いの革新を自分のものにして、
これからの終わりの時、
悪魔は、
この惑わし、誘惑、
この試み、
これをもって、
私たちをいろいろ攻撃する時、
私たちは、
今日死んでも天国に行く!
行くんだ!
という革新をもって、
それを乗り越えていく、
私たちになりましょう。
皆さん、
救いは兜と言います。
霊力の戦いの兜。
兜、兜。
だから、
皆さん、戦う時、
頭を打たれたら死ぬんじゃありませんか。
しかし、
この兜、
これは救いの革新です。
あったら、
悪魔がいくら私の頭を叩いても、
私は何にも問題ない。
その霊的な勝利のため、
一番大事なのは、
救いの革新。
ぜひとも皆さん、
しっかりこれを覚えて、
またそれを宣言しながら、
勝利の毎日になれればと思います。
お祈りいたします。
主よ、
今日は、
救いの革新について分かち合いました。
信じる人と信じない人は、
何が違うのか、
学びました。
イエス・キリストを受け入れた人、
信じる人には、
神の子供になる資格、
特権を与えてくださったんですけど、
神様は、
特権を与えたり、
すぐ奪ったりする方ではない、
心変わりが激しい方ではない、
ということを分かりました。
私たちが悔いを改める時まで、
待ってくださる神様であることも、
学びました。
どうか神様、
私たちは一番大事な、
この救いの革新、
私たちの頭に被る兜だと、
言われたんですけど、
一番基礎的な大事なことを、
しっかり覚えて、
最後の時の悪魔との霊的な戦いに、
勝利する私たちにならせてください。
イエス・キリストの皆を通して、
お祈りいたします。
アーメン。
ありがとうございます。
41:05

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