収録日:10/23
▼ポッドキャストの説明
「大学って、なんのためにあるんだろう。」私たちも、まだわからない。でも、その答えを自分たちでつくれる場所がある。CoIU(Co-Innovation University)——岐阜県・飛騨古川にある、2026年に生まれたばかりの大学。私たちはその一期生です。カリキュラムも、文化も、まだ何もない。だから、ここから全部はじまる。その過程を対話を通じて、お届けします!
▼出演
宮井 /ちぇりこ
▼各種SNS
問いと、対話と。
https://note.com/haruto_miyai/m/ma9c2b38ca7c1
宮井
https://note.com/haruto_miyai
ちぇりこ
感想
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00:06
ようこそ、CoIUラジオ、問いと、対話とへ。 高イノベーション大学1期生の宮井です。
同じく1期生のちぇりこです。
この番組は、CoIUの学生2人が、CoIUという謎めいた大学での学びについて話していく番組です。
今日は特別ゲスト回、こんにちは池田さんというテーマでお送りします。
お願いします。
いやー、今日は池田先生に来ていただきました。
ありがとうございます。
とんでもあります。
とんでもあります。
最初に分かっているのは、難しい回になるなっていう。
できるだけ噛み砕いてお話ししていただければね、と思いますけれども。
今日お呼びした理由としては、自分の課題感を一番学術的に、理論的に説明してもらえそうだなって自分が思っていたのと、
先生の年齢的には圧倒的に年上ながら、
ビーングみたいな、
CoIUの中で圧倒的に上ながら、
授業における先生としてのあり方、ビーングみたいなのにすごい興味を持っていて、
ゲストをお願いしたんですけど、
すごい最初、ちょっとしぶってて、
そうなの?
そうそう。
こういうのね、あんまり好きじゃないと言っても失礼な言い方やけど、苦手っていうのかな?
これはあんまり気にしなくても。
普段の対話している感じで。
苦手って言いながら、でもいいよって言ってください。
ありがとうございます。
ここまで声かけていただいたならば。
70歳?
70歳でしたっけ?
そうそうそう。
70?
素晴らしい。
70歳まで、70年間生き続けるっていうのは、
やっぱり山あり谷ありな感じなんですか?
人生振り返るって。
あんまり、どん感っていうのと違うかもしれないんだけど、
あんまりそういうのを感じないタイプみたいな、どうも。
人が大変だなと思うことを、
思ってたといえば大変だねって言ってくれるんだけど、
あんまり本人はそういう風に思ってない。
じゃあ結構淡々と生き続けたら70年になるって。
そうだね。
だから夢中なこともないですかって聞かれたの、
三原さんに聞かれたんだけど、
夢中という感覚になったことがないので、
周りからそう見えてるかもしれないけど、
本人は一つのことに、
しゃがりきになったっていう経験が一度もないので。
じゃあ興味あることをランダムにやって。
興味というよりは、
知りたいっていうかやってて、
これはやるしかないかとか。
知ってるんじゃない?
分からないんだったら、
03:01
知るしかないかみたいな。
やるんだったら、
例えばお金がないって人を雇わないかとか、
お金を取ってこないと、
大学の中ではできないこといっぱいあるので、
予算足りないから。
そうすると、申請しましょうとかっていう。
でも周りから見たら、
別にそんなことしなくても大学の教員としては、
普通に研究教育していれば、
大学の運営をしていれば、
別に何の問題もないんだけれど、
なんであえてそういうことに、
一生懸命なってるかっていうのは、
よく分からないとは言われるけど。
それを外から見ると、
すごいモチベーションが高いとかって言われるけど、
実際は先生はそんな?
それは自分でやりたいと思ってやってるからね。
モチベーションというか、
評価される必要もないしね。
言い方悪いけれども、
教授名があってしまえば、
それ以上の、別に民間の会社みたいに、
社長になりましょうとかっていう、
そういう肩書き的な意味で言うと、
別にもうないので、
あとは別に自分がやりたいなと思って、
それを予算がいるんだったら、
その代わり学内では当然、
順番付けられたりするから、
学長とか役員に、
学前学的に意味があるし、
社会的に意味があるんじゃないかと思います、
っていうのは当然アプローチはするんだけど、
でもそれは当たり前のことだよね。
優先順位を上げてもらうためには、
当然の努力があるから、
それは別に僕だけじゃなくて、
誰しもがやってることだと思う。
会社員とかはならず、
もともとがコーチででしたっけ?
そうそう、僕大学に出てすぐに、
ずっとコーチでですか?
コーチはね、
色心地がいいって言葉は、
ちょっと違うかなと思うんだけど、
さっき言った、
いろんなことをやろう、
やりたいなと思った時に、
割と大学文化としては、
受け入れる、
やらせてくれる文化があるわけ。
それは、いつも言うんだけど、
コーチの多分土地柄っていうか、
文化が大学にも染み付いてるというか、
だから全然違うよね。
国でも地方でも全く文化が、
大学の雰囲気って違うんですよ。
だからおそらく、
地元に根付いている間に、
大学もやっぱり何らかの影響を受けて、
文化が育ってきてる。
で、コーチ大の出身者なんて、
ほとんどいないわけね、
研究者は。
県外の人が圧倒的に多いんだけど、
職の方は地元の人多いけど、
で、大学の文化作ると、
やっぱり研究者がよく作るんだけど、
全然県外から来ても、
圧倒的に多いのにも関わらず、
やっぱり大学、
コーチ大の文化っていうのは、
出てくるんですよね。
先生、
ちょっとオープニングが長くなっちゃってるんですけど、
一旦先生の自己紹介とか経歴とか、
諸々お伺いしてもいいですか?
まあまあ、さりげない範囲で。
先生から。
僕から?
06:00
僕から。
基本的にはだから、
大学院を出て、
そのままコーチ大の、
今、昔の人文学部っていうのがあるんですけど、
その中に2学科。
人文、文学系の学科と、
経済系の学科があって、
当然経済学科の方に。
先生って。
最初は数理経済を担当するというので、
元々は統計学だとか、
そんなところになるんだけどね、
経緯論経済だとか、
いうんで、
元々マクロ経済を使って、
どっちかというと、
数理モデルを使って、
検証中経過の安定分析を考えますみたいな。
そうやってたわけ。
そっから、
30点前くらいで先生、
コーチ大で習われて、
ずーっとコーチ大で、
65で転園して、
5年間の空白を経て、
空白というか、
仕事的には空白を経て、
70歳で、
こういうような教授になられた。
普通だったらもういいかなと思うんだけど、
やっぱり面白いよね、ここは。
今までの大学生活の中では、
時代に、
もうちょっとこうしたいなっていうところが、
やっぱりあったんだけれど、
いろんな制約条件が国立って多くて、
そんなに簡単にはいかない。
どうしても総合大学だとすると、
大学全体で動かさないと動けない部分だとか、
そういう制約があるので、
そうすると、
新しく地域共同学部の学部開設にも関わったんだけれども、
やっぱり本当の意味の、
ここで大事にしている、
例えばつながりとか絆とかいうのも、
1週間に2回ぐらい通うだけでは、
形成されないんだよね。
お互いで仕方ないよね、
そんなにじっくり話せるだけで、
限られた時間しかそこにいないので、
だからやっぱり学生と地域の人たちが、
そういう絆を作るまでの信頼環境を作った、
すごい大変な状況の中でやってたから、
やっぱり難しいなっていうのがすごくあったわけですよ。
それをここでボンディングという、
2年生の時に、
その場所を移していくっていうことを、
徹底的にやるんだっていうのが大きくしたので、
それは僕ね、やり残してる部分でもあるから、
そうすると何が違うんだろうって知りたいじゃん。
そうすると、やるしかないかなというふうに。
それだけの単純な。
最初はボンディングでも特任の教員で、
ボンディングシップの支援をお願いしますから、
始まったんです、最初は。
そうなんですか。
気軽に、いいですよねっていうふうに。
諸事情があり、気がついたら、
専任になってましたという話。
へー、そうなんだ。
だから授業も続いてこなかったんです。
期間じゃないからね、当然。
09:01
今のヘッシュも。
ヘッシュもまた諸事情の中で。
一般的に見ると、もういいんじゃないってなるところで、
公演に来たっていうのは、
自分の理解は、やりきれなかった。
やれなかったのを、公演屋だったら、
できるかもしれないって興味。
他の大学の人は、
それやりたいって言う人も、
大学のオファーを受けたらやりたいって言う人もいるかもしれないし、
非常勤でもやっておられる人もかもしれない。
だから逆に言うと、
今までやってきたことの焼き直しが楽だから。
それは嫌がる人はいない。
僕はもうそれは断ってたのよ。
高校時代から。
もうやらないって言って一切。
繰り返しになるような。
非常勤はやらないって言って。
声もかけてもらったんだけど、
申し訳ないけど、
その一部を切り取ってやっても、
こっちがエネルギーが出てこないので。
やっぱり今公演屋に感じている、
先生が持っているエネルギーっていうのは、
ボンディングシップが面白そうだっていうところが。
ボンディングそのものよりも、
一番僕はやっぱり、
あっと思ったのは、
文明に問うよね。
やっぱそこに引かれ。
もうちょっと言うと。
大学って、
どっちかというと皆さんの多くの理解は、
知識伝授っていうふうに思うじゃない。
研究したことを教育として、
人に還元するんだって言うんだけど、
本来の僕の理解っていうのは、
当然大事なところであるんだけど、
大学がなぜあんな活動を許されているかっていうと、
普段の日常の中では、
なかなか見る時間がないっていうかな。
その時間を与えられていると、
僕は理解しているわけよ。
許されている。
そういうことを考えることを、
あなたは国立だったらお金出して、
でも考えてくださいねっていうような、
場をもらっているっていうかな。
だから人が育つっていうのも、
実はそこのほうがもっと大事なんじゃないかなってずっと。
文明とは我々が生きていく、
どう生きていくかだから。
それも問わずに、
テクニカルな話をしても、
それはなっていうのがずっとあったんだけど、
公和優はそれを全面的に押し出して、
文明に取り掛けるっていうわけだ。
それはそうだよねって言って、
本来大学だよねっていうのがあったので、
面白いと。
理念に共感がある。
もちろん。
だからボンディールはどこかが、
同じようにやろうとできないわけではないかもしれない。
他の大学はね。
とはいえ公和優みたいに、
いろんな地域で学生さん支援、
企業さん支援をやっている団体がいると、
それを手を組むっていうのは、
これはなかなかできることじゃないので、
一丁一丁ではできないと思うけれども、
だけど、
やっぱり方法論っていうのは、
どっかはできることだし、
僕は真似されていいと思っているわけよ。
12:01
それは。
だけど同じことをやっても、
色がどこで違ってくるかというと、
そこにまさに北極性はないけど、
何を見ているかっていうことによって、
一つ一つの仕組みややり方も、
実はさっきの各大学が地域ごとの色で、
染まっていくと同じように、
同じ梵天をやっても多分、
また色が変わってくるんじゃないかな。
思いみたいなってことでしょ。
あるでしょうね。
あるいはそういう思いに人が惹かれて、
そういう人たちが集まってくるみたいな。
それは多分そういう人たちで、
雰囲気とか色が変わってくる。
これが面白い。
今実際講演始まってきて、
先生も生徒も、
そういう思いに共感した人が入ってきてる時点ですけど、
思いとか理念とか、
やっぱりそういう感じになってるなって、
雰囲気が醸成されてるなっていう感覚はありますか?
まだ1年目だったら。
共感は僕は感じるね、まず。
学生に感じないと言うと知らない方かもしれないけど、
学生の場合は18という年齢で集まってくるから、
どうしても思いがあっても精度に流される。
やっぱりちょっと振り回される分もゼロではない。
逆に夏休みを過ぎて、
第3クォーターに入った時に雰囲気が変わってきてるってのは、
全員の共感が感じてるわけよ。
学生もこの前感じてた。
池田さんは夏休み以前と以後で何が変わったんですか?
それは僕も逆に知りたかった。
なんでこんなに雰囲気が変わったのかな?
ぐらい変わってたので、
第1、第2、第3で常に変わってるんですよ。
学生さんの雰囲気は僕からする。
多分他の家もほぼ一緒、感覚的には。
これはこの前の授業である学生さんが言ってたんだけど、
夏休みを挟むことで、
学生同士に距離がいい意味の距離ができて、
自分自身を振り返る時間ができた。
なので、それまで追い立てられるように、
プロジェクトが何だっていうことで、
自分を見失ってかけた人たちが、
ちょっと間を空けたことで距離を。
自分を見つめ直して、
そうじゃなくてもいいんだみたいな、
ちょっと余裕ができたんじゃないかなって言ってた。
たぶん学生の多くが、
ひょっとしたらそれはいいように、
夏休みが働いたのかもしれない。
僕もそれを感じると落ち着きがある。
落ち着きとか穏やかさみたいな。
じゃあ次に聞いてみたいのが、
最近ポッドキャスターで、
先生にもゲスト外で出ていただくことが多いんですけど、
ありがたいことに。
リスナーの方によく言われるのが、
何を教えている先生?
授業とか専門分野は何なのかっていうところも、
15:00
もうちょっと知りたいって声があったので、
池田さんが、
専門と授業、
私たちが受けたのはまだ2つだけですけど、
それについて知りたい。
どんなことをやられているのかを、
教えていただいてもいいですか?
専門っていうのはね、
本当に僕もね、
ちょっと語りづらいところがあって、
ただ、大学を作るときに、
科目的なところで審査を受けるのは、
組織学習論という。
組織の要するに意思決定だとか、
なんで人が集まったときに、
どうすれば組織になるかとか、
どんな組織が変わっていくかみたいなところも、
論文を書いている。
最後の10年くらいはそれを書いていたので、
この大学を作るときの審査対象になる、
それをベースに作っているから、科目もね。
その意味では組織学習論というふうに。
一応、ホームページも。
地域共同は地域共同学部にいたし、
いうこともあるんだけど、
共同そのものは特にやっているわけではない。
だから、もともとは黒経済の法律を使って、
資本主義の安定性分析をやりました。
地域活性も対象に関心があって、
要請もあったので、産業連環を使って、
定量的に地域の構造がどういうふうに変化するかとか、
いうのを一応考えていました。
でも、それではというので、
さっき言った長期のインターンを持ってきて、
作って、実践して、分析するということを
サイクルに自分の中でしたので、
それが組織学習論に移っていくプロセスでもあるんですよ。
テーマが変わっていく中で、
中心を貫いている興味とか関心ってのはあるんですか?
それは授業でも言ったかもしれないんだけど、
やっぱり人はどうすればハッピー、
幸せになるかっていうのがあるね、ずっと。
物質的だけじゃなくて、
どっちは精神的なほうが強いかもしれないけど。
ってことは、今人間は
人はハッピーではないっていう感覚があったってこと?
ここが一日が楽しいとか、
幸せを感じるということまで否定するつもりはないんだけれども、
でも、やっぱりいろんな日常のニュースを見れば、
いろんな犯罪があって人が亡くなっていく、
自殺するというようなこと、いじめがある。
そういったことが当たり前のように流れてくると、
やっぱりそれを幸せとは当然感じられないよね。
少なくともね。
と思うのは、
一人一人って言ってもちょっとあれかもしれないけど、
社会全体としてそういうことがどんどん
普通に当たり前のように聞こえてくるっていうのは、
決して良い方向には変わってないよねっていうのは感じるわな。
18:00
じゃあ、なんでそうなるかということと、
それはここに原因があるんじゃないかということをいっぱい言ってるわけよ、人は。
ここに原因があるんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかとか、
原因をいっぱい語ってくれるんだけれども、
じゃあ今の資本主義どうするっていうところはなかなか出ないよね。
それは根本だからですか?
多分資本主義に変わるものがイメージできないんだと思う。
僕も含めてそうだけど。
斉藤公平さんとか何人かは、
それはコモンズがいるんじゃないかっていうような言い方をされてるんだけれども、
平たく言うと彼は、
コモンズというのは決して国有化することとかそういうことではない。
いわゆるコミュニズムという共産主義的なことではなくて、
自分たちの意思でその生産というものをきちんとコントロールするというか、市民。
だから民営化ではなくて市民営化というふうに彼は言ってるんだよね。
その意図は単なる民営化とは別に資本主義でも構わないわけだ。
企業が、国が運営したりしていたものを民営しますという民営化。
それは別に、いわゆるコモンズの何でもない。
市民がいかに自分、その生産手段を自分たちが本当にこう、
自分たちにとって意味のある形で運営して、
そこから人々に本当に必要なものを生み出すという、
そういう仕組みを取り戻さないとSDGsにいくら言っても、
それは地球全体にとっては決してプラスにならないよねっていう。
彼はそういうことを書かれてるんですけど。
感覚的にはそこに近いかな。
やっぱりその資本主義というものの限界はみんなわかってはいるんだけれども、
それをどうやって、自分たちにとって本当に必要な生産システムに変えたらいいのかとか、
ということをやっぱり語りきれない。
だから問題の指摘とか、こういう概念的なものは提示されてるんだけれども、
その概念的なものを社会実装に持っていくためには、
きちんとそれが成立するための要件とかをクリアにしないと実装できないわけよ。
何かいいですよって言われてもさ、
どうやってそれを作ればいいのかっていう。
これとこれとこれが、
ちゃんと条件を満たすとこんな風になりますよっていうふうに
提示してあげない人少ないと思う。
池田さんはそこまでやりたいってことですか?
そうそう。だから今書いてる論文はそういうことをクリア。
今やってる授業もそれを。
すごいですね。要件とかってそうだなって聞きながら思ってたんですけど。
池田さんは最初から人が幸せハッピーになればいいが根本的なものから、
資本主義は研究分野で経済とかをやってたから資本主義に結びついたのか?
基本的には僕らの学生時代っていうのはマルクス経済学もあれば、
21:06
近畿という学問もあって、
その場合はどちらかというと経済哲学って言われるぐらいだから、
人がどういうふうに生産に携わることによって
人間がいかに集団されていくかとかいうところは
きちんときちんと明らかにしてくれていたんだけれども、
そういう影響も当然受けるよね。経済学やってるとね。
だから経済って本来私たち一人一人がハッピーになるようなものであれば
経済学ってのはいいんだけど、
どうも違うんじゃないかっていうのはずっとあるわけ、学生時代から。
だからそういう意味で言うと、
多分経済やったからその思いが強くなったんだろう。
そうじゃなかったら違う分野で教育をやってたりとか、
自然科学系のことにもし行ってたらそうなったかどうかはわからないけど、
確かに今質問されたように、
経済学というものに触れたことで、
それがより自分の中に見えたのかもしれない。
思いが強くなったかもしれない。
っていう中で、今怖い1年生しかまだやってない我々しかいないんですけど、
教えてきたのがマクロ経済学と
地域共同。
ネットワークと地域共同。
ネットワークと地域共同。
あれはどっちも必修ではない。片方必修であれですけど。
マクロ必修。
授業で意識してたこととか、
さっき収録前におっしゃってた、
本来は3年生で教えることを1年生でやってるみたいな話もあったりとか、
それっていうのがどういう思いでそういう風にしてるのかとか、
授業でここは伝えたかったとか、
そういう思いを聞きたい。
分けてほしい。
必修でこうやってたのと選択でやってたのと違うと思う。
そこもちょっと。
どっちかをさっき言った方がいいのかな。
必修から聞きたい。
必修から聞きたい。
必修はね、
マクロ経済学、経済で言えば当たり前。
普通にやらなきゃいけない。
受けてる授業。
入門よりちょっと専門性は強いんだけど、
いずれにせも、
今までの積み上げ型の教育っていうのは、
大学に限らないかもしれないけれども、
例えばいろんな情報をずっと積み上げていったら、
人間の形になりますみたいなイメージをまずしてもらおうかな。
人体を作っていく感じかな、知識が。
卒業するときに脳ができて、
頭が完成して、
卒論という形で完成形がアウトプットするという。
だから一つ一つが意味がないわけではなくて、
24:02
それを例えばこれ完成形だとすると、
経済学というものはこの完成形から見ると、
ここは膝ね、ここは足ね、という風に
一つ一つ小さく切っていくわけよ。
それが昨日前に言ってたデカルト的要素還元主義と、
要素還元主義。
より経済が大きなものを、
より精緻に理論化して切り取っていくことによって、
それを一つずつ理解をすれば、
完成したでしょという風に理屈上になっていると僕は思っているわけね。
マクロ経済というのは比較的土台を作るという。
つまり細分化される前に大きな基本概念を理解をして、
その後より具体的なところに光を当てて、
これがもっとどんな風に
精緻に構造的に動いているかというのを
精緻化しているのがいろんな分野。
何とか理論だとか国際経済だとか、
財政学だとかいっぱいあるでしょ。
そういう風にしてよりあるものにフォーカスを当てて、
そこの因果関係構造をよりクリアにしているのが
いろんな学問として成り立っているわけ。
それを一生懸命みんな単位として取っていくから、
カリキュラムというのはこう取ってくれたら完成するよねっていう風に作っているわけ。
そうするとマクロ経済というのは
一応講演としても基本的な経済系の学部なので、
少なくともマクロ経済学というのはこういうものを
という風にして理解をして、
今作っている、作らざるを得ないというのも
言葉的な形かもしれないけど。
まずは土台を作るための情報提供だったっていう。
その一つね。
その一つとして必修科目というのはあるわけ。
その中で経済系という以上は学部である以上は
マクロ経済はあると。
ただそれを一体というのを展開するというのは初。
日本初ではないかと思うよね。
というと普通は二体?
元々は、僕らが大学の教員になった頃は経済学に限らず
全ての授業が4単位で組み立てられているので
年間30回の授業で出すというのが一般的だったわけ。
年間30回で4単位ですか?
4単位。だから通年の授業って普通に。
どの学部もそういう制度だったから
そういう風にして30回に時間かけて
伝えていくと。
それが1991年の大学が退校か法人化になっていく
プロセスの中で
どちらかというと1年かけてやるよりも
もっと短期間に集中的に教えた方が
学生にも理解する。
身につくんではないかという考え方が出てきて
27:01
15回で2単位になって
1学期2学期という学期制が出てくるわけ。
その中で理系なんかはよりもっと集中というので
クォーター制をとったりするんだよね。
1学期をさらに半分に割るかないしは
週に2回授業をするという形で
1学期の半分で終わらせていくという
パターンをとっていくということで
若干短くはなっていくんだけど
それで経済学関係も
4単位ものから2単位ものに変わっていくんです。
その時も2単位できるんだろうか?
みたいな議論は当然あったわけ。
それは今まで30回で教えていたものを
15に抑え入れ込まないといけないから
という意味でのできるんだろうか?
その短縮に圧縮できるんだろうか?
普通に考えたらそうだよね。
でもなりました。
その時にうーんと思ったんだけど
それをさらに1単位でやるというのは
つまり8回でやるという
8回でやるということだよね。
しかも僕もしばらくマクロを教えていなかったので
教えたいことが膨大にある中で
8回に圧縮したいってなった時に
どういう要素を入れたい?
教えたいことというよりも
マクロ経済学もミクロも
研究の蓄積がものすごくあるので
こういう分厚い本にあるぐらいの情報が
提供されているわけ。
そうすると
マクロ経済学を受けましたという以上は
この教科書にある部分の
ある程度のエッセンスを提供しちゃわないと
まずい。土台だし。
だってそれでマクロ経済学ですか?ってなるんだよ。
分けろ。みんながね。
例えば何を習ったの?っていう時に
これとこれ。それだけ?みたいな話になる。
だから一体に短くなったから
端折ってこのこことここだけを
提供しましょうというのでまず
良くない。それは違うだろう。
もう一つはそういうテクニカルな話以上に
マクロ経済学は
経済系だからいるんだとは言うけれども
何でこれを知ることに
こういうのが学生にとって意味があるのか
っていうのはそこはやっぱり僕らも責任を持って
言えないと
え?何のためにやってるんですか?
みたいな話に答えられないのは
そりゃないでしょうっていうのはあるわね。
そこが一番難しいわけですよ。
校外優生に
だから一体になるからの難しさは
テクニックの話なんだけど
より本質的なことは
じゃあ校外優生がなんで
マクロ経済学を習うことに意味があるのか
例えば2年生
ボンディングシップに仮にそこが大事だったら
そこにどう
これは意味が持たせることができるのか
あるいはボンディング限らず
30:01
4年間あるいは卒業後の人生を見た時に
なんでこのマクロ経済学を
学生に提供することに
少なくとも意味を持っていると思っているのか
って聞かれたら
僕らは答えないからわけよ
少なくとも
なんかやれって言われたらやりません
ってはいかんわけよね
と思ってるわけ
そこが一番難しい
それは会としては
なんですかね
それがだから2回目の授業の時の
やっぱりバラに繋がるんですよ
私がさ言ったじゃん
知識伝授の機会に
賄賞化されていいのかと思った
あの話ちょっと噛み砕いて
言葉だけ聞くと本当に
伝わらないと思うので
もうちょっと噛み砕いて
どういう感じだったか教えていただいて
噛み砕くっていうか
僕自身もこうやって言ってるけれども
やっぱり
授業っていうのは
知識伝授だって気持ちもあるわけよ
やってたことやから
そこの気持ちがすごく強く出てしまうと
テクニック方法論に行くわけ
どうしても知識をどううまく伝えるか
っていう方に行くわけね
でそのことと
講話優としての暴露っていう
僕一応狭間にいたわけよ
揺れてるわけ僕自身も
こっちはもう普通にやってたら
そういう知識伝授の方に
強く引っ張られるから
講話優としては何ずやっていうことをずっと
ずっと言っても
1月ぐらい2月ぐらいだったかな
やるってことが僕の方に来たので
じゃあやりましょうってことになったんだけど
そこからやっぱり
6月で終わったけど
2ヶ月3ヶ月ぐらいしかないので
どうしようかっていうときに
講話優とは何ずやっていうと
問いを立てるってことに正面から
向き合ってる大学すると
これは初めないねと
でも知識伝授だよねっていう
というので最初に
たどり着いたのが
資本主義の構造を
問い立ての形で
形式的に問い立ての形で
例えば資本主義経済は
なぜ経済成長を重視するのかみたいな
問いと言えば
問い立て的なものなんだけど
そういうふうにして
アプローチすれば
少なくとも問いの視点から
経済学
この経済というものを
理解してもらえやすいんじゃないか
というのが1点出てきた
ただその時の
自分の中であった
思ったのが
知識伝授の影響を
僕の中で喜ぶまであるので
その問いについて解説したことを
学生の皆さんに
知識的に定着するには
どうしたらいいかと思い始めた
その時は1回目を作った
1回目というか
その時の最初の作り方は
4回目全部
8回目全部作ってるんだけど
33:00
そういうの作ったわけ
これがその問いについて
それぞれが仮説を立ててみよう
というふうにアプローチしたわけ
1回目の時は
先生が問いを
最初に出してくださって
その問いにつながるような
解説をしてくださって
解説する前に
学生にまず対応してもらって
それぞれが
基本集計経済は
なぜ経済成長が重視するのか
という問いについて
あなた方は一人一人は
どうしてそうなのと思いますか
という仮説を立ててみてください
なんかあったねその授業
先生が問いを立てて
学生なりに1回仮説を出して
先生が解説して
自分の言葉でもう1回
という流れで
1回目をやったってことです
そしたら何が違って
明らかに鈍野してるわけだな
だから思考停止状態に近い
ところになってるわけ学生が
思考停止状態って半分
うんってこうなってる
その思考停止状態を使ったのは
紛れない僕ですよね
作ってしまったのは
思考できないのにしてしまってる
なんで思考停止状態になったのか
考えはね
学生が悪いわけじゃなくて
明らかに僕のアプローチが間違ってるから
ほぼほぼ全員が
思考停止状態になるってのは
必ずこっちの問題だから
で見た後って考えた時に
やっぱりここに
自分の中にずっとこう
へばりついてる知識伝授の
知識定着みたいなところ
やらなきゃいけない
あるんですよ
ここをもう一回見た時に
これにどうも引っ張られてるなと
仮説が
仮説っていうのはやっぱり
フロアに回って聞いた時
ここがイメージできないんですよほとんどに
彼もできなかったの
ギャップが言われたんやけど
よく覚えててだからそれぐらい
ほぼほぼもう
なんて言ってました僕
多分仮説の意味が
意図が分からない近いことだったかな
ってことは先生が最初に出してくださった
問いがあまりにも
普段考えてるのとは違いすぎて
仮説すら
考えるっていうか経済成長になって
14年って普通考えないのかな
で考えないって当たり前なわけよ
でそれを問いかけた以上
それをこっちが解説で
こうですよならまたしも
仮説を立ててっていうのは明らかに違うわな
と思うわね
だって考えてないことについて
わくわくしないじゃん仮説なんて
自分で考えてるからね
こういうことかなと思って
わくわくするんであって
考えてないことの仮説を
ってなるのは当たり前だから
だからそこで
これかんと間違ったと
自分の中で
明らかにこっちに
こっちをなんとか違うにしようと思ってるのに
結局従来の
知識伝授の
イベンジ型の方に引っ張られてる
自分に気が付くわけよ
でもう一回改めて
僕も学生時代からずっと
知識ってなんでいるのかな
36:00
って考えたときに
自分の生き方を決めてきたわけですよ
研究することによって
そこで知ることによって
自分はこういうことを大事にしていこう
だから経済学
飲んではあかんなと思ったときに
インターンの学生
インターンをすることで
目の色が変わって
生き生きしてくる学生を知る機会ができて
インターンには
どう思っても
見なかったような効果が
成果があるんだなってことを気づかされて
それからインターンに
意味があるとすれば
自分でやって
実践をして
結果を分析して
こういう立場にいるから
それは自分なりに
整理できるよねってことを繰り返し
こうするわけだから
そういう点ではワクワクするのは
当たり前じゃん
問いが自分の中に出てくるもんだから
それに対する仮説はさ
意味があるけど
全然疑われてないことに対して
学生がワクワクするわけないじゃん
すると
なんで知識を変えると
自分の生き方だったな
まさに事実的価値形成力ですよ
井上達夫さんの
言っている
知識は知識で大事なんだけど
それの
よしよしをもし
言うならば
その得た知識が
によって
自分自身の生き方が豊かになるとか
今まで
見えなかったものがクリアになったり
とか
こっちだったなとかいう新たな気づきを
もたらしてくれるならば
それは
知識そのものの陳腐化が
すっごい今も早いんだけど
でも自分の生き方に
影響を受けたものは
知識的に陳腐化しても
自分の価値規範はずっと残るんだから
だとしたら
授業として
チャッピー君に任せなくても
という話なのかな
一回目を経て最初に問いを
先生が投げて
仮説考えて授業を
もう一回自分なりに
価値制御するというやり方から
どうなったの?
どう変えたの?
僕は自分自身の価値形成に
つながるような
自分の生き方から見て
こういう
イノベーション起こるということは
どういう意味があるかとか
なぜ必要なのか
それは意味があるのかと
考えてもらうというか
自分の中で
それをどういう風に
捉えていくのかというのを
一回作ってもらって
それを対話の中でお互いが語り合う中で
なんでイノベーションって
大事に思うんだろうね
でもいいので
授業の構成としては
先生が
知識を教えなければならないというのに
それが
ねばならないで結構
なんていうんですかね
39:02
捉われてたというのが
一回目から気づいたところだと
自律的価値形成
自律的価値形成
自律的価値形成力を
磨けるような
授業にもっとやった方がいい
本来は講和優で
なくても
そうあるべきなんだろうな
と思うんだけれども
なかなか他の大学では
そういう憎い環境があるので
講和優の場合は
そのことを大切にしますよ
という大学だし
来てくれてる学生も
みんなもそのことはそうだよね
って思ってくれる人が集まってるから
そういうアプローチしても
多分は?ではないんじゃないかというのがあるわけ
こっちもその安心感ではちょっと違うけど
そうだよねっていう風な
受け取り方をしてくれるのではないか
っていうのも当然
はあるわけ
どう変わったんですか構成自体が
授業の
基本的に問いは全然変わってないんですよ
全く変わってない
問いの7つ立てば全く変わってない
経済成長が必要かとか
なぜイノベーションがいるのかとか
なぜ生産性が高くないといけないのか
これ変えてないんですよ
基本的には
マクロ経済というものは
資本主義経済を
いかに発展させるか
安定的に発展させるか
ということを
科学的にどんどん証明してきた
学問なんだけれども
裏を返すと
資本主義経済の限界も
説明できるかもしれない
という方向で
アプローチを変えようと
問い立ては変えないんだけど
とするとこれは皆さんにとって
これはどういう風に
イノベーションが必要かどうか
皆さんにとってどうですか
資本主義経済は
イノベーション必要とする構造なんですよ
でも皆さんにとってイノベーションって
どんな風に受け取れますかね
みたいな
自分の生き方にとってイノベーションというものが
例えばね
理解される
必要と感じるか感じないか
みたいに
自分の生き方として
資本主義経済構造が
発展する成長するように
作られてきた構造が
どんな風に
受け取れますかみたいな
アプローチに変えた
当たり前すぎたものを
一旦取り直す
そうだよねその言い方がもっと
真実かもしれないね
自分の生活にもうちょっと
引き付けた投げかけになったってことないですか
生活までいかなくても
まぁ生活があるから
自分の生き方があるからね
表面的な生活よりは
自分が気づいていない大切にしてること
実は普段振る舞ってて
なんとなくやってるんだけど
言われてみればここ大事にしてたわ
みたいなことあるじゃない
言われてみて初めて
当たり前すぎて
気づかないと分かるよね
自分が大事にしてて
42:01
根っこには実はこういうことは大事に
どうもしてたみたいだ
言われて初めて
そういう
授業の
一つになるんであれば
マクロ経済というものを
仮に8階だとしても
なんだかの形で
みんなの中に残っていくんじゃないかと思うし
少なくとも
8階は知らわずに変えていること
は全部クリアしているので
そうすると
改正するときに
書類上了解もらっているものも
一応クリアされるから
そんではちゃんとこなしつつ
でも学生の皆さんにとっては
一つのマクロ経済というのは
それも含めて
自分の生き方を
問いかける授業として
他の授業も
なったらいいなという
なるほど
全然
どういう風に
授業を変えていったのか
自分の中でなんとなく分かったんですけど
本当は
もう一個の必修じゃない方の授業について
お伺いしたいんですけど
今日もポッドキャストで
聞きたかった点の一つであるのが
今まで
自分がこうやってきたというやり方を
変えることに対しての
ためらいとかがない
その姿勢がすごい
安直な言葉ですけど
70歳の先生が
これがまだ若手で
自分で授業経験がありませんとか
自分なりのやり方
先生としてのやり方というのが
確立されていない先生が
1回授業やって
ちょっと刺さらなかったから変えたというのは
よく想像できるんですけど
今までずっと教団に立ってた
先生が
自分のやり方がある中で
1回授業して全然刺さらなかったから
ガラッと変えたという
私は2回目の
先生の授業の冒頭聞いて
衝撃的すぎて
すごい自分の当たり前に
とらわれないという在り方を
自分ももっと取り入れたいなって
思ったんですけど
マインドセットみたいなのを
意識していることはありますか?
マインドセットというよりは
多分
さっき言った
学生時代が
精神的に豊かに生きていく
社会というのは
実現したらいいな
僕たちの時代は
物質的にもっと豊かになったんですよね
電気冷蔵庫ができるとか
いろんな形で
30の神器じゃないけど
本当に生活が便利になって
それが豊かだと思えるような
時代を
僕らは経験をしているんだけれども
それでもなおかつ
精神的高さって
本当にできたのかなというところは
やっぱり垣間見えていた
45:01
ところも若干あるんですよね
そう考えると
多分
今の質問で言うと
そこをずっと
見てきているので
プロセスは
大学の研究者になろうと思って
なったわけではないから
あまり関係ないんだと思う
これがこうであればならない
ということになって
ここにどうやってたどり着こう
つけるのかなという
一点しかないので
変わることに
ためらがないというよりは
先生が解決したい回に
どう近づけるかという
僕は
変わらないといけないんじゃないかなと
思うけど逆に言えば
変わらないことって
ちょっとないわな
だって初めから正しい道を来ているわけではないからね
一直線にね
もちろん変わって
こっちの方がいいなと思ったら変えるって確かにそうなんですけど
でも
やってきたやり方が
特に30年とかあるとするなら
そんな簡単に
変えられるものでもないなと思うんですけど
僕ずっと変わってるから
結局ほら
別にこれを
堅持したいんだというのは
一度もないので
私は池田さんの
スタンスを変えます
間違えてましたみたいなのを言ったときに
池田さんが変えられるのに
いっぱいずっと経験があって
やり方ってのはあるはずの
池田さんが変えられるのに
私がこのやり方でいいと思って
変えられないとか
変えようとしないスタンスって本当にやばいなと思って
逆に若い人の方が
怖いんじゃないの変えるのって
だってそれは
自分がどう生きていくかでまだ
ここがぐらついてるから
多分怖いと思うよね
ここがぐらついてると
この方法で生きてると思うから
多くの人はここにたどり着こうと
つく可能性があるのは
この道生きてるからだって
思うとさ変えられないよね
簡単にはね
変えられないと思う若い人ほど
だから年を取れば変えられると思ったら
違うと思う
だからなんて
自分もよくあんまり
深く考えることはないんだけど
多分あんまりこだわらない
やっぱり方法論は何でもいいっていう気持ちが
ものすごく強いんだろうと思う
方法論は
だってそうしないと学問変えられるもん
それこそ怖くて
学問変えるってことは
畑違いのことって一般に言うと
問題感や何考えてんのとか言って
そう言われればね
誰も相手にしてくれないから
多分
その学会からはね
そこが怖いと思ったら絶対無理やわ
でも
それは一つの評価であって
学問分野の人たちに評価される
一つの評価だけど
48:00
そこは
僕は知りたいことを書いてきただけなので
それ今も変わらない
という生き方の池田さんもいる
もしかしたら
こだわり抜いてきた
職人さんみたいな教授が
今からボンディングシップ先でいる可能性もある
それはどっちもあっても
いいんじゃないかな
いやだから
ただこれしかないんだって
絶対後は受け付けないってのは
しんどいだろうなと思うんだよね
そういう人はなかなかちょっと
逆に大変だろうな
という思いが強く出るんだけど
頭が固いってこと?
いや職人さんは変わってると思うよ
伝統を守りつつも
同じことをしては繰り返しはいけない
って言うじゃない
やっぱり新しい技術とか
続けるだけじゃダメだって
自分で完成だよね
そういう人が本物の職人になってるんじゃないかな
バローソクのあれも
デザインを変えた
フルカーのバローソク
伝統ってやっぱり
続けることの意味も確かにあるんだけど
それは基本的な技術的なところ
ベースのところはそうかもしれないけど
常にそこにその人なりの
その時代の完成があって
巻きつくことによって
多くの人たちにとって
意味のある型物に
なってるんだろうと思うから
だからそれは
変わらざるを得ないんじゃないかな
そう思えば
本当に自分にとって
これは変わらなければならないってなったら
変えられるってことですかね
だって2人がよ
もし前で話すことがあってよ
話し始めました
全員がドヨンとした
空間にって耐えられる
1回目結構きつかったんです
私いなかったんですよ
休みに出て
学生がきつかったかどうか分からない
でもあれはきついという感覚よりは
はんって感じだよね
考えたことのない問いが降ってきたから
自分も
おおーってなったというか
先生のその時の
生徒がおおーってなった時の
気持ちどんな感じだった
ワクワク一切したないっていうのが
一番しんどいんですよ
分からないのはいいの
分からないこと言ってるけど
これはOKなんですよ
もうちょっと知りたい
っていうか
どういうこと
それはよくあることだから
こっちはまた難しくしゃべってるとか
かもしれないんだけども
何か引きつけるものがあるわけじゃん
相手がこうやって
気になるっていう
筋なしの時のように全員が
クッと前に姿が
前に来るんですよ
あれはもう
分からないんじゃなくて
人が興味を持った瞬間だから
これが入るんだけど
ならない全員がこう下向くか
聞いてないわけではない
聞いてない聞こうとしてない
めっちゃ難しかった
51:02
聞いてなかった?
聞いてなかったわけじゃないけど
聞こうと頑張ってみて
ファンクしてみるが
あまりにも
考えたことがなさすぎるといった
デカすぎるってこと
資本主義って言われても
資本主義か
昭和の流れみたいな話もありましたよね
三四の神器から
家族コミュニティが
なんとなくは理解できるが
それとなかなか繋がらなかった
先生としては
このままじゃまずいって思ったってことです
そうそう
でももう一回始まっちゃうと
インターバルがほとんどないので
めっちゃきつないから
先生の授業
だから二回やったら
次の週にまた二回でしょ
そうするとインターバルは三日くらい
来て後日戻って
また来るっていう時間差を入れると
毎週帰ってんですか?
あの時は毎週帰ってんでしょ
だから元はちょっと高い
最初の一回目二回目は
日曜に来て
月曜授業して
火曜に帰って
そこからもう一回
作ってるものをリメイクし直して
日曜に出てんの
繰り返しやから
正面三日くらいしかないわけよ
だから全面変えては
無理なわけね
だけどどこを変えることで
少なくとも
もうちょっと興味が
持てるものになっていくのか
っていうことは
多分何かの軸が
間違ってるから
軸をどこに置くかで変わるんじゃないか
って思った
あれも
帰って二日くらい
わかんなくて自分でどうしようかな
っていうのがね
日曜が何回か
分かったんじゃないかな
この軸だって
帰って三日目くらいに
金曜の時に
あっっていうのが
元々井上達夫さんの
自立価値形成力っていうのは
斎藤さんと二人で書いた論文
最初のところでも使ってるんで
あれ自体は自分の中では
大事だと思ってるんだけど
あれがパッと引っ付くのは
三日くらい
した時かな
ついでに今お話を伺って
気になっちゃったので聞くんですけど
池田さんって自分の考えとか
人の考えを
自分の考えとくっつけるとかっていうのを
どうやってるのかっていうのが興味があって
なんか
ノートとかに
自分の考えを
貫いてるのか
本当に何も考えてない
頭の中だけで考えてて
感動的にポンとくっつくのか
ずっと考えてる
井上君はどっちのパターン
僕は
紙に書いたり
パソコンで読んだりとかしますね
普段からこう
ちょっと記録に残す
毎日紙の日記
54:00
書いたりとか
ノートもずっと書いてるしね
最近はやってないし
だから
そことはちょっと違うかもしれない
記録にはそんなに残さないので
頭ですか?
ずっと考えてるんですか?
頭というよりは多分
どっかで引っかかってるんじゃないかな
何かが
僕の中で
やっぱり知りたい気持ちがすごくあるので
何かを論文とか書いてて
その時は一応
そこの範囲では解決するじゃない
でもなんかまだ物足りないというか
ここは見えないよねみたいな
でも
今まで見てきた視点では
多分変わらないというか
分からないという気持ちがあるわけ
ということを何か違う
でもあんまり遠いところも分からないので
知ってる要素の中で
何だろうなぁ
って言って
出てくる時に
例えば
ちょっと近い概念で言うと
仏教的なもの
何かが入ってくるので
あるいは清水さんの場合
パッパの理論とか
そういうところが
何かして
もうちょっと違う視点が
あると僕の中で
もう少しクリアに
説明できるというか
構造が見えてくるんじゃないかっていうのが
あったんです
それが肝心主義だとか
違う視点
濱木さんも知ってたんだけど
もう一回読み直してみると
極めて清水さんに近いことを
違う論事点から
論じてくれてるんだけど
そうするとこの方が遥かに
一緒になると分かりやすいなぁというのが
引っ付いてくるわけ
自分の中にどこかで説明しきれない
クリアに
自分の中でも
伝えきれないものがずっと
モヤモヤ残ってるわけ
書いてるんですか?ノートとか
本を読んだりするときは
書くし
そんな彼みたいに
普段から何かを書くっていうことでは
頭の中にいろんな概念
引き出し的にいっぱい入ってて
気になるものはね
いろんなところで読んだものは残ってるから
そんなに
だから中のときに
実践したりとか議論してるときに
こうやって引っ付くんだろうと思う
それは
本とかで
インプットするんですか?
ネットとか使うんですか?
ネットはほとんど使わないです
日本語?
ネットはね
僕らについてあんまり
僕はあんまり好きじゃないので
基本的にはもう仕事で
使わせられないから
ガラケーさえも
あんまり持ってない
だって最初
家のメアド使えないですとか
高校の先生が何言ってた?
高中大の
あれはね
設定が間違ってた
なんで使えないんだろうと思ったんだけど
57:01
24時間追いかけられるのが嫌で
基本的には使わない
家で一緒に仕事
今はちょっと引いちゃったんだけど
自宅にはネットワーク関係一切なかったから
へー
2年前まで
じゃあ知識分布とか
家に行くときはね
ネットで漫画読めないわけじゃないけど
ネットから今は論文なんか
ダウンロードするけど
いわゆるネット情報で言っちゃうのは
ほぼなくて
先生の理論っていうのは
日本人の人が
多いなと思うんですけど
ちょっとこれ
なんかこう
日本人の感性とかについて深掘ろうとするから
それはやっぱ
日本人が言ってる理論を
組み合わせるっていう
それもあるだろうね
英語をなかなか読むのは大変だからね
正直言って
斎藤さんみたいにネイティブに近い人だったら別だけど
やっぱり
デカルト的な発想が
うんと思う場合は
そっちの方の論文
どうしても西洋の論文っていうのは
テーマ的にもないわけよ
あんまり
場の理論とかじゃないから
そうするとどうしても日本的な
だからその影響で
さっき言った濱口さんの
日本研究言論だとか
いうのもこんな本ですよね
出会うわけよ
興味の方向がそうなっちゃう
なってるんだろうと思うよ
自分が知りたいというか
たまたまこういろんなものに
気が
止まってたまたま持ってたとか
いうやつが今
ワーッと合わさってきている
感じはするよね
以前買っててたまたま
そんなきちんと読んでなかったんだけど
思う時があって
もう1回読み直してみると
あったあったとかいう感じ
先生の部屋とかお家なのか研究室
こちらもないかもしれないですけど
家にある本ってどれくらい
全部捨てた
捨てたというか
大学に返したし
私物のやつは
もう切るようになるよね
もう1回
僕なんとかね
なんとか募金中なんですよ
本を送ると
何十冊何百冊
送っても2000円くらいしかならないんだけど
それを大学の方に寄付しますみたいな
私物でも
そういうのに
ほとんどないから
ごくごく一部
その時は
もうちょっとこれは
大学の研究室やらなくても
持ってて読みたい時に読もうかな
時間残してないので
解体したやつも多いんだけどね
結局解体してるじゃんと思ったり
するんだけど
残してた時もあるし
出会って即確注文して
もう1回読み直すとか
そういうのがあるから
でも頭に
1:00:02
ずっと
書いてる
それはあれだな
結局さっき言った
ワーキングペーパーを作る
っていうことをやってるから
そっちの方が大きいかもしれない
論文にするのは
自分が考えてることを
とにかく1回まとめようと思うわけ
ロジックをしっかり
とりあえず
自分なりに押さえて
このテーマについて少なくとも
こういうことじゃないかっていうのを
完成させてと
ベースに次へ行くっていう
が強いので
だから大学
斎藤さんと2人で書く前は
ワーキングペーパーを毎年1年
1本ずつ書いてるわけ
書いてるんですよ
別に発表する場は持ってないから
ワーキングペーパーなので
自分で書いて
こういうことだよねっていう
今のところの理解とかは
僕はこう考えてますよ
高木さんとかに渡したりすることは
あったし
斎藤さんにもだから
僕はこういうことを考えてるよって
書かないと人にもわからない
自分も整理できないし
1つ書いておけば
渡せば読んでもらえる可能性がある
少なくとも池田は
こういう風にこういうノベーションを
考えてます
手書きで図とかじゃなくて
最初から文字で出てくる
頭から出てくる
構成はね
だから文章を書くというよりも
箇条書きで
何と何が
ポイントかっていうのと
その中をどういう風に
説明するために
どの
論点
を
大事にすればいいのかっていうのが
決まってくるから
例えば2章1章では
2章ではこういうことをすると
この論点
このことについての論点は
2つはないから普通ね
それとも1つにしかならないので
2つか3つかってなるわけよ
その論点を書き出して
手書きで
そうするとこういうことを
自分は考えてこういうことが
必要なんだなっていうのが見えてくる
そういうのが2章
3章4章という風に
出てくるから
それが大体大まかな
1つの自分が今このテーマについて
考えている
構成は
自分の中ではこういう風に
捉えてますっていうのが自分の中では分かるわけ
それはよく言う卒論なんかは
そういう形で
学生たちに支援をしてたんだけど
引き出しやばそう
いやできるできる
それはだって何かを考えた時に
これってでもどんなことで
どういうことを
論点として説明すると
この内容は
分かってもらえるのかなって普通やるじゃない
プロジェクトでも
こんなことについてはどれとどれを
1:03:00
説明すると
この意図はこういうことですよ
っていうのは普通考えない
思っている理論の量が
多分全然違うから
理論ではなくても例えば
こういうことをやりますっていう方法論でも
普通そうやって
作らへん?
思いで覚えちゃってるもん
思いで覚えてない
でも多分やってると思うよ
だってノートを沿って書けるのじゃない
そんなことない
ノートはどう
もっと自由に書けるか
自由に好きなことを書いて
それも大事だからね
何でも簡単に解釈はすれば
いいってもんじゃないからね
それはそうか
ノートは違うか
自分の中では
思考としては向いてるみたい
そういう思考方法があって
面白い
誰かに教えられた
というよりは
大学の時の
あれかもしれないな
指導教員が
本を書く時に
2人で
リゾートホテルに
2人で3日も泊まり込んで
その頃まだ
出始めのことはないから
2万で
彼が資本主義の矛盾という本を
キクモスさんって言っちゃったけどね
岩波から
出すっていうので
それで僕と2人で
彼の頭の中には多分
原稿はほぼできてると思うんだけど
問答するわけ
彼が書こうとしてることについて
それはどう
僕が理解するか
あなたならどう考えるか
とやりとりをするわけですよ
その時に
なった瞬間に彼が
喋るのをずっと口術引いてて
鉛筆を原稿に書いてた
修行すぎる
でもあれがひょっとすると
効いてるかもしれない
どうも
論理の構成の仕方が
その時の多分
影響あるかもしれない
多分論術って
もう一つは僕が
やっぱり経済学を
やる中でも
大事にしなきゃいけないなと思ったのは
哲学的な部分で
それはやっぱり大学の時の
金融の先生が
大学に
今よりも
本当に大学に来る人ほとんどいないので
ましてや元気の人なんか
まず来なかったんだけど
元気って社会人
でもやっぱり金融関係の人って
ある時を境にして
来たくなる人が増えるんだって
それを聞かれたんだよね
僕も
なんでその社会人が
しかも知識だけだったら
絶対大学の教員もリアルにしてることを
たくさん持ってるのに
それでも大学に行きたい
なんでだと思うって聞かれた時に
よく分からなかった
なんだろうなと思ったら
1:06:01
その人曰く
自分がやってることを
一回整理したい
ってことは哲学的に落とし込みたい
自分の活動
やっぱり人って
何のために生きてるのかって
この仕事をしていてどんな意味があるのか
っていうのを
ずっと仕事に向き合ってると
問い返すような機会はないわな
だからそれを大学に行って
自分がやりたいっていうのが
あえて来る理由じゃないか
っていうことは大学は
少なくとも
哲学的なアプローチ
哲学そのものじゃなくて全然いいんだけど
哲学学はする人はないんだけど
やっぱりさっき言った
自治体価値形成も
どう自分が生きていくかってこと
そのものやから
それはある種の哲学
的なもので
アプローチとしてはね
そこを大事にしないと
大学ってのはたぶん
それなくした大学って意味があるのかな
って思いがあるんだと思う
僕の中にも
編集中の宮井です
収録が2時間あるので
前編と後編に分けます
前編
お楽しみいただけたでしょうか
後編も
引き続きお楽しみください
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