サンフランシスコの影響
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今週も引き続き、コミュニティアクセラレーターの河原あずささんにおいでいただいております。よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
さて、前回、サンフランシスコでのお仕事の話、非常に意識させられたというお話を伺いました。
3年間滞在の後に帰国後ということですが、お仕事は出発前と変わられたところはあったんですか?
いや、劇的に変わりましたね。それこそ先ほどまで話していたような、前回話したような、やっぱり会社に言われて仕事をするとか、会社からこういうミッションをもらって、それに来ているんだよという言い方をしていたのが、
ひっくり返って、自分が何をやりたいみたいなところをだんだん言うようになってきましたね。やっぱりシリコン・バレー・サンフランシスコって企業家ばっかりだから、そんなことを言う人ばっかりが集まっているメジャーリーグみたいな感じなんですよ。
世界中から何かを成し遂げたいという人が集まって、みんなが俺はこういう世界を作りたいということを言っていて、その中に混ざっていくから、だんだん難しい言葉でアントレプリナシップと言いますけど、企業家精神的なものが宿っていったわけですよ。
そうすると、言われた仕事をやるじゃなくて、自分で仕事を作りに行くというマインドに完全にシフトチェンジしていたんですね。
帰国した後、何をやっていたかというと、会社から与えられる仕事は何もなかったんです。ポジションが元々の東京カルチャー・カルチャー。とりあえず一つ空けましたみたいな状態で戻ってきて、当時の上司から何を言われたかというと、
何か面白いことやってよって言われて。カルチャー・カルチャーは来年渋谷に移転するんだって。お台場から渋谷に移転するタイミングだったんです。渋谷は東急さんとかが大開発してて、今盛り上がっている。何か盛り上げてよって言われて。以上。
何か盛り上げてよっていうお題が降ってきた時に、その問いに対して自分で何かビジネスを作らなきゃならないという状態に置かれたんです。
コミュニティの重要性
なるほど。アメリカに3年間行かせたんだから、何か学んできてる。
フルスに恩返ししろって。
やれよみたいなのもありがちだね。
でもそれがたまらなく面白いと思って、それをやりに帰ったようなもんだったんですけど、じゃあ何をやるかっていうので、とにかく東急さんとかと話したり、渋谷観光業界と話したり、NHKさんと話したり、いろんなところにシリコンバレー帰り面をしてですね、行ったら何かやりたいって言ってくれるようになるんですよ。
オリッシュも当時コミュニティっていうキーワードが盛り上がってきていて、ユーザーさんと何かを作るとか、そこの地域の方と何かを作るみたいなところっていうののちょっとした波が来てたんです。
これ何年くらいの話なの?
2016年帰国した。
なるほど。
16年から帰国してから半年くらいはプラプラしていろんな人と会って、売上1円も立ててなかったんです。
そこからいろんな繋がりが生まれて、何かこういうことをやったらちょっとお金が生まれそうだなみたいなネタが生まれて、それでいろんな企業さんを捕まえて、いわゆるタイアップのイベント作りとかコミュニティ作りっていうのをスタートしました。
そこが結構いろいろ跳ねて、例えば伊藤園さんとチャッカソンっていうイベント立ち上げたんですけど、ハッカソンっていうエンジニアたちが集まるイベントがあって、それとお茶をひっかけてチャッカソン、ダジャレで作って。
そしたら結構伊藤園さんとの取り組みがいろいろなメディアでも紹介されて、今度はチャッカソンを行政とタイアップしてやろうみたいな話が生まれて、そこでお金が生まれたりとか。
今度はチャッカソンの事例を聞いてNHKさんを声をかけてくれて、全員が参加者みんながディレクターになる、ディレクソンっていうのを立ち上げようって話があって、BSの番組になったんですよ。
みんなで番組アイデアを考えるディスカッションをして、その企画をもとにディレクターさんが制作会社さんが動いて、1本番組を撮る。
そういうのを作って、結局全国15都市ぐらい回って、それをひたすら続けるっていうのをやったりとか。
そんな感じで企業さんと新しい価値を人の集まりとか、ファシリテーションと呼ばれるようなディスカッションを作るみたいな仕事が得意なんですけど、そういうスキルを提供しながら作っていくっていう、そういう方向にシフトしていったんですよね。
河原さんの話から外れるけど、渋谷っていう場所のクリエイティブな集積っていうものに河原さんがポンと入って、いろんなことになっていくじゃないですか。
これ東京っていう都市の価値とか魅力を考えるときに、ものすごく大事なところだなっていう、すごいそういう感じでしたね。
おっしゃる通りで。
東京っていろんなものが集積してるように見えて、実は点在してるんですよ。
東京って23区も狭いようで広い。
そういう中で渋谷は渋谷の個性がある。
北区には北区の個性がある。
豊島区には豊島区の個性がある。
コロナ禍の影響
で、その中でなんとなく狭いコミュニティできてるんだけど、そこが緩くつながるっていうところがちょっと弱いっていう特性があるんですよ。
渋谷も同じことが起きてて。
僕が渋谷のコミュニティづくりでまず意識したのがハブコミュニティっていう考え方で、コミュニティ作ってる人はたくさんいたんですよ。
ただちょっとたこつぼかしてたんです。
その人たちを緩くつなげたらどうなるかっていうのを考えたんです。
だからコミュニティキーマンたちが集まるコミュニティコレクション渋谷っていうイベントを立ち上げて、PTXっていうコミュニティプラットフォームをやってる会社とやったんですけど、
それでコミュニティキーマン同士がつながったら本当にそこのコミュニティ混ざり始めてたんですね。
そういうところから仕掛け始めて、だんだんそのコミュニティ同士を結成していくみたいなことをやり始めたんです。
それがだんだん輪が広がっていった。
やっぱりこういう考え方っていうのは、じゃあ今度は23区みたいな形で広げるとどうなるのか。
やっぱりそれぞれの個性がある中でその個性が混ざり合うような状態が生まれるし。
帰宅は帰宅でどうすればそれが。
その混ざりみたいなのを作るところが僕はちょっと得意で、それでこそ多様性みたいなものがより活性化するみたいな。
そういったエッセンスみたいなところは渋谷っていう土地で結構見つけたところがありますね。
まずはそこが割ともともとの国は活性化してるところがあるからね。
なるほど。ということで、数々の大企業も含めてそういう組織をプロデュースされたんですけれども、
その後独立をされたということなんですが、
独立のきっかけってのはどういうことだったんですか?
独立のきっかけはこれも成り行きで、何となく辞めたくなった。
何となく辞めたくなったってどういうことかというと、
ちょうど手元に持っていただいているコミュニティ作りの教科書という本の出版の企画が立ち上がったタイミングのことだったんですよ。
2019年の秋だったんですけど、それぐらいの時期にふと思ったのが、
本が出そうだな、企画通りそうだなというタイミングになった時に、
本が出た時点で会社員だとちょっと縛られちゃうから、
例えば僕がやりたかったのは、全国にいろいろなところを案外して本を手売りするってやりたかったんですね。
コミュニティの本だしそれぐらいやった方が楽しいんじゃないかと思って。
でもその時に会社員だと有給足りないなと思った時に、
一旦会社離れるってありかなって思ったんですよ。
出版の企画が12月ぐらいに本決まりして、1月に会社に辞めますって言って。
それがきっかけだったんです。
そしたらコロナ来ちゃった。
2020年もね。
何度自表取り下げてくれって言いそうになった。
当時は大失敗と思ってましたね。
だけどもう辞めちゃったんだから、スタートですよね。
もうだから仕事ゼロで起業ですよ。
本出ることは分かってはいたものの売上ゼロの状態で、
とりあえず執筆するしかないから本を書いて、
後折して、あとイラストも書いてるんですけど、
ゴールデンウィークぐらいはずっとイラスト書いてて、
本のイラスト書いて、6月の19日に出版されたんですけど、
本当にそんなことばっかりして売上は1円もたってませんでした。
なるほどね。
この1冊の冒頭にもコロナ禍の状況があふれられてたりするんですけれども、
このコロナって非常に時代の節目になったというか、
いろんなことが変わったように思えるんですね。
だから太平洋戦争の戦前戦後っていうのはありますけど、
コロナ前、コロナ後ってもう明確にあるような気がして、
この辺どうですか?
特に人と人との距離感みたいなところの中で、
どんなふうにお考えになってます?
いや、だいぶ変わりましたね。
コロナ前ってある種のコミュニティブームみたいなのが起きてたんですよ。
だから当時イベントやったら集客、こいっちゃなんだけど結構楽で、
なんとなく面白いコンセプト立ち上げたら、
いろんな人たちがワッて100人ぐらい集まった。
そういう状態だったんですよ。
で、いろんな企業さんもそういったイベントやろうみたいな感じになってた。
そのまま出版して企業してたら、
たぶんちょっとしたバブルの波に乗っかって、
僕1年目からウフフだったはずなんですね。
ところがそうはならなかった。
だからコロナが起きて何が起きたかというと、
みんな人間関係を厳選するようになったんです。
本当に大事だと思う人と付き合うようになり、
本当に大事だと思う場を厳選して、
そこに足を運ぶようになったんですよ。
ここが大きな転換点でした。
だから当時みたいになんとなく面白いだけでは、
人が集まらなくなったんです。
人間関係の変化
そうじゃなくて大事なのは、
そこで根本的な人と人とのつながりっていうのが、
きちんと起きるのかとか、
そこのマッチングの精度であったりとか、
そういったところが問われるようになった。
そして企業もリモートワークに行ったり、
その後ハイブリッドワーク的な流れに移行してきたんだけれども、
その働き方みたいなところも変わってきたから、
最初はいいオフィス作ってそこに集まればいいみたいな。
コロナ前はそんな感じだったのが、
オフィスに集まる動機っていうのを作らないことには、
人が集まらなくなっちゃったんです。
だからこそその動機づくりだったりとか、
そこのコミュニティの中での一体感づくりだったりとか、
そこが問われるようになってきた。
これがかなりのシフトだったというふうに僕は思っています。
なるほど。
それは要するに何となくふわっとしたコンセプトでも
集まっていたものが、
もっと要するに絞り込む必要が出てきた。
そういうことです。
だからもっとターゲットを明確にっていうのもそうだし、
そこに来た時にやっぱりどんな変化が自分に訪れるのかというところを
より明確にしていくということだったり、
どういうアウトプットが生まれるのかということだったり、
そういう文脈みたいなものがより必要になってきている。
特にイベントやる競合も増えてきているというのもあるので、
そこがより問われるようになってきたなと思います。
新しい働き方
あとはどうなんですか。
僕なんかの感じだと、
僕はもう本当に昭和57年に仕事に入って社会人になってということですから、
上位下達だとか、
今若い人たちが昭和っていうようなことをずっと体験してきているわけだけども、
そうは言ってもそういうものっていうのがずっと、
少しずつ少しずつマイナーチェンジはされながらも、
ビジネスの中で内包されてきた。
それがやっぱりコロナで今言われたようなリモートになったりとか、
引き方改革が出たりとかいろんなことの中で、
ガチッと変わったっていう感じがしますけど。
もう完全にひっくり返っちゃったというか、
そもそもリモートワークっていう存在が、
上位下達と相性が悪いというか真逆の概念なんですよね。
分散自立っていうやつで、
一人一人が分散した場所にいて、
自分で考えて業務を遂行する必要が出てきた。
これが働き方のシフトチェンジです。
そうするとやっぱりマネージメントの人たちの、
マネージメントの仕方も変えないことには、
やっぱり適応できなくなってきたんですよ。
けれどもマネージャーたちは昭和のマネージメントしか知らないから、
結果的に組織のばらつきが生まれたり、
リモートワークはやりづらいから元に戻せ、
みたいな話が生まれたりしている。
けどそれはただ単にZoomとかTeamsとか、
いろんなツールが生まれたということの変化ではなくて、
根本的な働き方という概念の変化なんですよ。
より個人の価値観に寄り添った働き方の設計であったりとか、
環境のデザインだったりとか。
より企業と個人がフラットな関係を結びながら、
お互いのメリットみたいなものを作り合う関係づくりだったりとか。
そこが問われるようになってきていて、
実は今僕の仕事南京の8割ぐらいで、
そういった組織づくりのサポートなんですけど、
そういう組織をコミュニティ的にしていくことによって、
さっき言った自立的に従業員の方々が生き生き働けるような環境を
いかに作っていくか。
そこがかなり問われてきているかなと思いますね。
僕はずっと野球やってきたんですよ。
野球で高校野球の監督もやったりして。
野球ってサインを出して選手が動くじゃないですか。
言ってみれば上位下達という言い方が合うかどうかわからないけど、
要するに管理者の指示によって選手が動くと。
その中で選手がこう発揮する。
実は高校野球を教育的な概念で考えると、
これからそれじゃダメだっていうので、
実はだからもうノーサインでやるっていう学校が出てきてね。
それが甲子園で実はこの辺が勝ったりしてるわけ。
面白いんですよ。
だからサッカーなんていうのはもともとピッチに出たら自分で考えて、
もしくは選手たちで考えていくわけなんだけど、
その野球の世界にまでそういうふうになってきた。
高校野球の特殊に教育というものと重なってますから。
それは本当に社会そのものが変わってきてるっていう感じがしますね。
まさにですね。
日本人は野球得意じゃないですか。
サッカーは最近強くなったけどやっぱり一時期弱かった。
でもヨーロッパで活躍している選手が中心になったらサッカーが勝てるようになった。
これやっぱり子としていかに振る舞えるかっていう感性の違いだと思っていて、
やっぱり昭和的な価値観だって野球すっごいフィットすると思うんですよ。
けれどもやっぱり今の価値観ってよりフラットに関わるみたいな、
欧米的とイコールかは去っておき、やっぱりそういうものが必要になってくるから、
やっぱりそういったシフトが起きてくる。
やっぱり日本がこれから先、ちょっと大きい話になっちゃいますけど、
そういったグローバルの中でより価値を示していくためには、
やっぱりその子が立った状態、そして自立性みたいなところが育まれながら強調できる状態。
そこをいかにチームとして作っていけるかっていうのは僕すごく大事だと思っていて。
だからそれはもう多分インターネット社会っていうもの、
インターネットが社会に浸透してきたっていうこととも全く不可分でありえないわけで。
だからそういう意味では、それの悪い点っていうのもいっぱい出てきてるから、
そこをいい形で社会にもう一段レベルの高いところで実装していくっていうのは、
やっぱりビジネスの世界、すごくそれのスタートとしてはいいですよね。
いや、本当その通りだと思ってます。
次回はコミュニティづくりの教科書の著書に沿って、
コミュニティづくりそのものの手法について教えていただこうと思います。
皆さんも来週お楽しみにしていただきたいと思います。
次週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。