この番組は、アトリエフワリの鈴木ひろみが、会いたい人を尋ねながら、日々の暮らしや世界の中にあるその方の持つ力をお聞きしていくポッドキャストです。
週の真ん中、水曜日の朝に、ふわりと届く声の時間をお楽しみください。
おはようございます。アトリエフワリの鈴木ひろみです。
おはようございます。早川洋平と申します。
さあ、ということで、ひろみさん、今日から始まりました、このポッドキャスト【Voice Voyage】ですが、いかがでしょうか?緊張してますか?
緊張してます。すごい緊張してます。
でもなんか、いつもね、緊張してますっておっしゃるほど、あんまりそういう技なんじゃないんですか?違うんですか?
技じゃないんです。
本当に緊張されてるんですね。
はい、ということでね、私、ご一緒させていただきます、プロインタビューの早川洋平と申しますが、まずね、この鈴木ひろみさん、今少し冒頭でもご案内いただきましたが、ひろみさん、どこで何をされている方なんですか?簡単に教えてください。
バンコクでお洋服を、私が作ってるんじゃないんですけれども、デザインした服を作っていただいて、服作りをしているブランドをやっています。
そのアトリエフワリっていうんだと思うんですけど、これどのくらい、もう何年くらいやってるんですか?
あともう少しで13年です。
すごい、それはバンコクに当然住まわれていて、タイで作って、それをタイに住んでいる方にもちろん買うこともできますし、日本で買うこともできます。
日本の方に、日本がメインで日本の方にお届けしています。
すごい、実はこれポッドキャストなんで見えませんけど、今日僕、まさにこのアトリエフワリの服を着させていただいてて、本当に服を着てないかのような軽さで、
服を着てないかっていうと、これ音声聞いてから僕が服を着てないみたいにちょっと変な想像になったあれなんですけど、すごく心地よくて、本当にアトリエフワリ、まさにこのフワリっていうね、文字通りっていう感じなんですけども、
この番組でいろいろね、今後ご一緒させていただく中で、またいろいろこのフワリのことも伺っていきたいと思うんですけど、
今日はズバリですけど、なぜこのボイスゴヤジュ始めようと思ったんですかっていうところをシンプルに教えていただきたいんですけど。
まずは不思議なつながりから、今日、早川さんにお会いしたっていうのが、やっぱり大きな第一歩だったかなって思っています。
これ実際あったのは今日より前ですけど、僕がこうやってお手伝いさせてきっかけがあったと思うので、僕から聞くっていうのもですけど、簡単にひろみさん、そこから番組につながったと思うんで。
でも本当にフワリをやってきて、いろんなことを知って、フワリやる前にいろんなことをしてきたので、そういうのもあって、
いつも私は思うんですけど、本当のことが知りたいって思うんですね。
で、本当のことを伺いにあって、お話を聞いて、確かめたいっていうのもあるし、
早川さんにお会いして、会うことで力があるっていうのがあって、私が会ってみたいなって思う方のそういう力を伺って、何かお届けできたらいいなって。
それがまさにその声を使って旅、ということでボイスボヤージュ。
素敵ですね。ということで、このボイスボヤージュ、今後月2回、まずはひろみさんがこれぞという人に会いに行き、その声をお届けするという、そういう基本的なスタイルでお届けしていくことになると思うんですけども、
気になる今月最初のゲストはどなたでしょうか。
今いらっしゃる早川洋平さんにお願いいたします。
すみません。恐縮なんですけど、2人の掛け合いの中で僕が自分で聞いて恐縮なんですけども、ということでね、先日ながら最初のゲストインタビューされる方は、私プロインタビュー、早川洋平がひろみさんに知っていただきますので、
今回と次回、2回にわたってインタビューをしていただきましたので、お届けしたいと思います。今回は前編をお届けしたいと思います。それではどうぞ。
ボイスボヤージュ。
じゃあ、今日は早川さんにインタビューさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
いろんな本を読んできたんですけど、早川さんの本と、それからインタビューも毎日、毎晩、今日まで聞かせていただいてきたんですけど、
本にも書いてある通りに早川さん、本当にいろんなことを調べられて、インタビューする方の。
でも、まず最初に、会う力の原点をお伺いしたいと思います。
私がプロインタビュアーという仕事をさせてもらってますけど、もともと大学卒業して、最初に広島の地方誌の中国新聞っていう地方誌の記者になったんですね。
なので、まずやっぱり人に会うとか取材するインタビューするっていうところの最初は、その大学卒業後に新聞社に入ったことからです。
そもそもなぜそういう人に取材する仕事をしようかなと思ったかっていうところから、多分遡る必要があると思うんですけど。
もともと僕はずっとサッカーをやっていて、ちょうど1993年Jリーグが開幕した頃、中学1年生でですね。
本当にサッカーすごいずっとやってたんで、自分にとってはまさにその時にプロのサッカーリーグができて、2002年のワールドカップの日本で開催されるっていうのはその後見えてきてですね。
もう絶対プロになるんだって決めてたんですね。
ただ、小学校、中学校、高校とかなり本当にサッカー全てで生きてきてたんですけど、高校の時に割とサッカー新学校に住んで、そこでやっぱりレギュラーになれず。
高校でサッカーのレギュラーになれない時点で、絶対じゃないですけど、まずプロになってもやっぱり難しいじゃないですか。
そこで見切りをつけ、その後大学はやっぱりそれまで高校までもずっとサッカーだけだったんで、やっぱりちょっと視野を広げたいなというふうに思ってました。
それでいろんなアルバイトしたり、海外旅行、亡くなった親父がやっぱりこれからの21世紀は語学と海外に行くこと、あとITだというふうに言っていたので、それを素直に聞いてですね。
それこそ大学2年の時に初めてアメリカへ行きました。
高校の時に修学旅行で韓国へ行っているんですけど、友達と大学でアメリカに貧乏旅行、そしてその後タイに行っているんですよね。
バンコクに大学3年の時にやっぱり友達と行ってっていう感じで、いろいろ精一杯が広がっていったんですけども、
就職活動、もう気づいたら大学3年4年で何するかっていう時に、本当にひろみさんとこういうご縁かなという話しながら思ったんですけど、
やっぱりそれで海外がすごい好きだったので、旅行好きなんで、旅行に関わる仕事をしたいなっていうふうに思ったんですよ。
当時いろいろ考えた時に、HISに大学のOBの先輩がいて、HISが今以上にというかものすごく元気な時代で、
そこでちょっとエースの社員のOBの方がいて、話を聞いてた時にすごく魅力を感じて、一般旅行業務取扱責任者って資格があるんですよ。
それがあると結構いろんな、天井の仕事とか旅行代理店に就職する時に結構役立つって聞いたんで、通信教育で勉強してたんですけど、
でも途中でですね、あるあるですけど、大学3年か4年の時に勉強してて果て気づいたのが、
俺、旅行代理店で働きたいのかなと思って、単に旅行したいだけなんじゃないかって今更気づいてですね、
それをOBの人に聞いたら、そりゃそうだよって言われてですね、先輩早く言ってくれよって思ったんですけど、
で、もう就職活動また始まってたんですけど、いきなり原点に戻らざるを得なくて、ちょっと思考が甘かっただけなんですけど、
じゃあ旅行代で働かないとどうしようかなって考えた時に、やっぱりさっきお話したようにもともとサッカーが好きだったので、
何かサッカーに関わる仕事ができないかなと思った時に、亡くなった親父が出版社の編集者だったんで、
やっぱり親父に相談したっていうのもあるんですけど、やっぱりマスコミ、メディアの仕事、サッカーを掛け算で何かできないかと。
ちょうどその時、2002年、2003年とか一番ワールドカップの日本でやって盛り上がってる時なんで、
これ聞いてる方、ご存知の方もいらっしゃると思いますけど、文藝春秋が出てるナンバーっていうスポーツの雑誌があるんですけど、
それが今もですけど、当時すごくサッカーの特集とかで素晴らしかったんで、何かそこで書きたいなみたいに思って。
で、そう考えた時に、例えば新聞記者になったり、もちろんスポーツ新聞の記者ですとか、
あと出版社がそういう記者になればいいんじゃないかっていうふうに思って、目指したんですが、ご存知のようにマスコミってめちゃくちゃ難しいんですよね。
倍率千倍とか何千倍とかっていうところで、僕はあんまりお勉強できた方じゃないので、全部落ちてですね、
全国を回るんですよ。アナウンサーとかもそうですけど、やっぱり範囲の方が多いので、とにかく全国どこでも受けるみたいな。
全部ほぼ落ちてですね、残ったのがですね、広島のその中国新聞と新潟日報っていう地方誌だったんですけど、
両方確かですね、説明会の日にちかなんかが被ってて、もう残る選択肢はもうそのどっちかを選ぶしかなかったと。
やっぱりまずそう言っていただいたように書くのが嫌いだった、になってから気づいたというところと、
ジャーナリズムの世界にね、そんなサッカーちょっと書きたいだけの感じで入れるわけがなかったので、それに馴染めなくてね、やっぱり続かなかったっていうところが正直なところです。
なんでかっこよくインタビュアーになりたいとかっていうのではなくてですね、むしろいきなりね1年ちょっとで新聞社を辞めざるを得なくなって、
そのきっかけも色々ちょっと心病んでしまったりとか色々あったので、まあ多分普通に考えたらそこでいわゆる新聞記者もそうですし、もっと言うとインタビュアーになるってことはないと思うんですよ。
なんですけど、まあその後転職とかも色々繰り返して、ちょっとねライターの仕事なんかもしていく中で、
やっぱり書くのはあんまり好きじゃないけど、色んな場所に行って色んな人と会って価値観広げてお話を伺ってっていうのはすごく面白いなというふうに、その新聞社でちょっと病んでた時もです。
その後回復してある編集プロダクションで働かせてもらってライター続けてる時ももう仕事は激務で大変なこといっぱいあったんですけど、
やっぱり一対一で有名無名関係なく色んな方にお話を伺って、そのお話から得た色んなものを世の中に、当時は書く媒体だったんでね、結局テキストが多かったですけど伝えるのは本当になんかありがたいなと。
僕自体お話を伺えるだけでもすごくありがたいですし、それが何らかのお相手だったり、メディアを通して読者の方に伝えられるのがやっぱりいいなと、しんどいながらも思ってました。
ただやっぱりいろいろ転職していく中で、やっぱりなかなか我慢の効かない性格でもありますし、社会人が勤まなかったっていうのもあって、29歳の時に当時結婚して子供も生まれそうっていうところだったんですけど、なかなかちょっとしんどくなってきたなと。
その時にちょうど2008年とか9年だったと思いますけど、当時iPhoneもありませんでしたけど、アイポッドが出た頃で、その中でポッドキャストっていうものがもう生まれつつあった。
ポッドキャストっていうのはね、これ聞いてる方はこの番組をゲストで招いていただいて、ひろみさんの番組を聞いていただいてるんで、ポッドキャストって今ならなんとなくわかると思いますけど、いわゆるインターネットラジオ、面白いなという風に思ってました。
僕は学生時代からラジオを聞くのが好きだったんで、ラジオでインタビュー、ポッドキャストっていうものできたらいいんじゃないかなっていうのが、会社員時代、いろいろ悩みながらも、ちょっと天命のように降りてきて、
そうか、このラジオだったら、まさに今ここで収録させていただいてますけど、書くことなく、後で書くというのもありますけど、おしゃべりさせていただいたものはこのまま使えるんじゃないかっていう。
つまりね、やっぱりひろみさんもこの番組始められて、今最初にゲスト呼んでいただいてありがたいんですけど、いろんな不安とか、この先これやっていけんだろうかとか、アポ取れんだろうかとか、いろんなことあると思うんですけど、僕も全く同じだったんですけど、
でもやっぱりこのワクワク、このライブ感というか、これ自体ライブじゃないですけど、でもこの肉声をそのまま空いている肉声を届けられるということは、これ一人インタビュー終わった後にですね、言葉で言い表せないほど、なんか魂が震えるっていう感じで、面白かったんですよ。
で、そこから一人目のインタビューが面白かった。これ伝え方どうやって伝えたらいいかわかんないけど、ポッドキャストってあるらしいぞってことなんで、とにかく撮っちゃってから、どうやったらいいかわかんないけど、相手にも配信しますって言っちゃったしみたいな。
なので、そこから始めた。で、プロインタビューなんて当時名乗ってないですし、当然ポッドキャストって無料ですので、どうやってこれ課金?課金っていう発想もないですし、会社員でしたし、なので、僕はしたらひろみさんが羨ましくてしょうがないというか、もうすべてがあるわけで、素晴らしい実績もあると思いますし、なので何も見えてなかったんですけど、とにかく魂が震えた。
で、そこからいろんな出会いがまたあって、いろんな出会った方からね、僕の番組自体は今無償で続いてますけども、出会ったトップラーナーの方からお金を出すから別で僕の私の学校の、私の会社の番組を作ってくださいっていう風に言われるようになって、ポッドキャストをプロデュースする会社キクタスというものを立ち上げました。
世界枠っていうのはですね、やっぱりこう2012年、2013年、10年ぐらい前ですかね、僕自体がさっきちょろっとお話したかな、やっぱりサッカーをやっていてワールドカップに出たかったみたいなのがあったんで、その時にサッカー選手になれなかったっていうのは今はあまりもう後悔なくて、ちょっと僭越ながらですけど、やっぱりプロインタビュアーというかインタビュアーとして、
なんかまだまだ修行は必要ですけど、やっぱり少なくても世界の誰にでもアポを取って会いに行けるっていうところに来た。なんて言うんでしょうね、いわゆるサッカーにするJリーグとか、そこはちょっと超えて、スペインリーグとかそういうところに挑戦してるみたいに勝手に思ってるんですね。
これはお叱り受けるかもしれませんけど。なので、そういうものはあるんですけど、やっぱりなんて言うんでしょうね、やっぱりでも世界っていうところに、ちょっと今のと順番前後しちゃいますけど、日本でインタビュー続けている時もサッカーでワールドカップに出れなかったから、インタビューで日本でいろんな人に会えてきてるけど、俺世界っていうところはまだこれ突破してないなっていう。
サッカー選手で突破できなかった世界っていうのは、たぶんどっかで自分の中でもう一回チャレンジしたかったみたいな。それが2013年とかにやっぱりちょっといろんな縁があってですね、アメリカとかに行くことになって、それもちょっといろいろ書いてますけど、でもそれもなんで2008年に企業試合が5年もかかってるんだっていうところがですね、飛行機が怖かった。超飛行機恐怖症。
これだけ話したら1時間ぐらいで端折りますけど、とにかく飛行機乗れなかった。国内の1時間の旅行でも手が震えてもうやばい。なので、そういうことね、縁のあるさっきある広島、広島に帰ったりする時もいろんな言い訳をして、いや飛行機の方が楽なんだよって断然新幹線の方が、これいろんな意見あると思いますけど、新幹線ならもう広島駅着いちゃうんで、言い訳して新幹線乗ってたぐらい飛行機怖かったんですけど、ただやっぱり自分の中で、
それも最初に本の著者にインタビューするポッドキャストを始めるっていう何か先天命みたいなのが置いてきたって言ったのが、1回のターニングポイントとすると、今度飛行機をでも恐怖症でこのままで人生終わっていいのかっていうのはやっぱりあれだけ世界って言ってて、みたいな。
で、なぜかその2012年3年ぐらいの時に、やっぱり乗らないとなみたいにあって、で、その時にちょうど2012年か、僕がちょっとお世話になってたメンターの一人がアメリカに住んでる方で、その方に会いに来いっていうふうに言ってくださって、これ行くしかないなと思って。
で、めちゃくちゃもう行き乱切りに揺れてですね、雷もあって死ぬかと思ったんですけど、やっぱり俺無理だと思ったんですけど、で、やっとのことでアメリカ着いたらその彼とですね、ラスベガス行こうっていうことで、ラスベガスとグランドキャニオンか、で、グランドキャニオンかラスベガス、逆どっちか忘れましたけど、とにかくセスナーに乗ることになってですね、やったアメリカまで生きて生還したらここからセスナーに帰ると思って。
それもまあそこでなんとかですね、克服して。なので、今日のインタビューじゃないですけど、やっぱりね、初めてインタビューした時に、よくわかんなくて不安だったけど、やっぱり終わったら魂震えてて、今後も不安がいっぱいあるけど続けていこうと思えたようにですね、飛行機もやっぱり恐怖が先に先行してて、乗ったらやっぱりそこから見える空と世界が素晴らしかったんで、そこから一気につきものが取れたようにですね。
もう狂ったように毎月いろんな人に世界でインタビューして、で、やっぱりひろみさんも含めてですけど、本当にね、こうなんでしょう、自分の中の文字通り国境だけじゃなくて限界を超えて飛んでる人っていうのは素晴らしいなっていうことで、まあその世界を生きる、まあ日本人だけじゃないですけど、いろんな領域を超えて生きる方にインタビューするってことをこの12、3年続けてます。
その世界にいろいろ訪ねていかれて、早川さんもいずれは移住したいとかそういうのはある?
そうですね、まあそれは結構ね、変わってますね。最初はとにかく移住したいっていうのがあって、僕はそれも出会いだったんですけど、まあイギリスがすごい好きでですね、まあいろんなこれいいなとかって思うものとか人が全部イギリス、前世がイギリス人、とてもイギリス人ぽくない顔してますけど、そうっていうぐらいなんですよ。
なのでちょうど今から10年前、1ヶ月だけですけど、英語は下手ながらずっと勉強してるので、最後に仕上げでね、ロンドンに1ヶ月だけプチ留学させてもらって、その時もロンドンに移住する気満々だったんですけど、やっぱりね、これが直接、人と直接会うことと一緒で直接その場へ行くっていうのはイメージと違うじゃないですか。
で、行って素晴らしい体験だったんですけど、なんかちょっと住むっていうのは、長期住むっていうのは違うなっていうふうにちょっと思ってですね、でそこからは今も今後もちろん移住ないわけじゃないんですけど、あのやっぱりどこかに定住するっていうことは、それは日本でも海外でも、まあそうだったら日本には定住してるけど、
とりあえず海外に移住というより、今のこの日本に軸を置きながら、やっぱりいろんなところを点々として、まあまたそういう移住することがあればあるかもなっていう、今はそういう感じですかね。だからイギリス行ったら意外と定住はちょっと違かったなと思って以来ぐるぐる回ってるって感じ。
じゃあ作家の人にお話を聞くっていうのは、その方の本が面白いとか、この方の本をもっと読んでいただきたいなっていう、そういう気持ちもあるんですか。
両方ですね。さっきね、そのビジネス経験者の方のラインと作家の方のラインがあるっていう話があって、もともと僕が始めたポッドキャストの番組が人生を変える一冊っていう番組なんですよね。今Life Updateっていう名前に変わってます。
その時は僕がこの本素晴らしいなと思った本の著者にインタビューする番組だったんですよね。ただその本の著者が、いわゆるビジネス系の方だったんですよ。だからその中で経営者の人の書いた本で経営者に会っていって、その本をもちろん広げたいっていうのもありましたけど、その人自体にも惚れ込んでいくわけですよね。
その中で当然ビジネス系の本だけじゃなくて、さっきお話した石平さんの本だったり小説家の方の本だったり芸術家の方の本があって、その書いた作家の方にインタビュー、僕の人生を解説する中で当然その方にも惚れ込みますし、その方の本を紹介していくみたいな。だからそれの延長線上で今も続いているって感じですね。
そうなんですね。
早川さんの中でビジネスからだんだん移行していくっていう、それは何か変化のきっかけみたいなのはあったんですか?
そうですね。ただ面白かったのが、水と油ではないんですけど、結構大局。それぞれのトップランナーの方にずっとお世話になってますし、今も現在もお世話になってますけど、やっぱりなかなか噛み合わない。別にそれぞれの人たちが仲悪いとかじゃないんですけど。
やっぱりちょっとお引き合わせしたこととかもどちらか会いたいみたいな感じがあるんですけど、なかなか噛み合わないところもあったりとかで、その中で僕自体がどうこうってことはないんですけど、なんとなくクリエイティブな方に引っ張られて現在に至るっていうのはあります。
ただね、企業家とか経営者の方にインタビューするのが興味ないなんてことは全然ないですし、今もちろんしてるので、やっぱり自分の中でのこだわりっていうのはなんか、今ひろみさんに整理していただいて、もちろんある程度このラインは結構してるなみたいなのはあるんですけど、ただかなり気をつけているのが、やっぱり固定しすぎないというか、やっぱりその枠をあんまりはめたくないっていうのもあるので、
なのでその辺は今後また、より経営者の方、企業家の方にインタビューすることも増えるかもしれませんし、ただ世界っていう軸はなくなることはないかなと思いますね。作家のところはちょっとわかんないですけど。
他に興味があることで、次のインタビューにつながっていくことで興味のあることっていうのはあるんですか?
そうですね、ちょっと具体的に本当のピンポイントってことではないんですけど、僕は健康とか医療とか、そういうものが声優医療も東洋医学もそうですけど、全部ものすごい興味ある。あと身体、身体勢とかっていうのがあるので、今もね、そういう方にインタビューしたり、そういう番組プロデュースさせてもらってますけど、そこはやりたいなというふうに思ってますし、たまーに番組でも言ってますけど、
やっぱりインタビュアーの仕事ともう一つやってみたいなと思っていて、それが治療家の仕事なんですよ。それは僕がずっと毎月お世話になっているゴッドハンドの先生がいてですね、いわゆる日本の資格で言っちゃうとマッサージ師になるんですけど、もうその枠にとらわれずにですね、本当にもう腕一本じゃないですか。
その方の治療があまりに素晴らしいので、ちょっと国家資格が必要なんですけど、どこかでちょっと2,3年専門学校行かないといけないんですけど、それを学んでその先生にも言われたんですけど、これも言うのはただなんで、あれですけど、やっぱりインタビューって僕まだまだですけど、相手の心を開くことじゃないですか。
例えば、ひろみさんもそういう治療とか行くことあるかもしれませんけど、人に体を預けるっていうのはね、他人に他者に、しかも初対面で、それは心を少なくともまず開かないとね、体を預けられないじゃないですか。だから実はインタビューとすごい似てるんですよね。初対面の相手に心を開いてもらうっていう。
なのですごく実は通じるところがあるかなというふうに思っているので、今あんまり派手には、こんな感じなんでビジネス系なんで告知してるわけじゃないですか、インタビューを使ったセッションとかもしてますけど、そこにどっちが先でもいいんですけど、将来どこかでそういう体の治療もできるようになったら、インタビューと両方できたらいいかなっていうのをちょっと思って、
そしてそれ世界のどこでもできるし、やっぱり言葉は今勉強してますけどまだまだですけど、やっぱり逆に言うと治療も一緒にできたら、より言葉というか領域を超えられるかなというふうに思っているので、最近そう言ってもちょっと2,3年経っちゃってるんであれですけど、そこは実は隠れミッションですかね。あんまり言ってないかな。
想定外の。やっぱりリサーチそこはできてなかったんですか。できてなかったです。答えだったんで、正直驚いてるんですけど、私は早川さんのセッションっていうのを受けて、そうなんですよね、実は。
2,000人以上の方のインタビューをしてきた方から話を聞いてもらうっていうのは、実は恐ろしいなと思ったんです。