喧嘩の背景
こんにちは、Makikoです。
これ、もう声が暗いでしょう。
なんてかと言うと、なんか、ちょっとがっかりなんだ。
それは、結局私はそういうことをしていたのかということが、なんか、気がついて。
それで、たぶん明日くらいになりゃ、気がついたから次に行くんだっていう、そういう気持ちになるんだろうけど、今のところ、さっき気がついたからさ。
何だったかというとさ、結局私は自分がしてほしくないことを、してほしくなかったこと、してほしくないことを、パートナーにしていたんだっていうこと。
結論から言っちゃうと、私が彼にしてきたことって、気づいたことっていうのは、自分の期待を押し付ける。
そして、相手を自分の期待に応えられるように、応えられるじゃない、自分の期待通りの人間になるためにコントロールする。
それで、カットすると嫌だって思ってたくせに、私は自分の領域に入ってこられるとすごくカットしてた。
そこはカットする必要がない。
もちろん自分の領域を、共感性を守ることは大事だし、
でも、そこは自分の心の平穏を保ちつつ、守ることもできるんだよね。
で、その怒りの後ろには何があったかってすごい考えて、それは自分が認められなかったっていう、そういう過去があって、
少しでも何かこう、ちょっかい出されたりとか、否定的なことを言われたり、向こう行ってないつもりでも、私は自分が否定された。
すぐ繋がっちゃって、ずっとそうやって育ってきてたから、小っちゃい時っていうことなんだよね。
なんか、私のことをわかってほしいとか、そう思う気持ちって当たり前だと思うんだよね。
それが悪いわけではないけど、その背景に、私は認めてもらってないから、認めてほしくてものすごく。
だからちょっとしたことでも、その認めてほしいっていう余計がすごく強いから、ほんのちょっとしたことでも、私はわかってくれてない、みたいになってたのかなと思って。
で、そうじゃないと思ってたんだけど、もうそれを卒業したかなと思ってたんだけど、まだ残ってた。
前はもっともっとすごかった。それで一人の優しい人の性格を潰してしまったりとか、それの人がものすごく苦しんだ。
本当は大事にしたいのに、私は彼を苦しめて、本当は苦しみたくないのに、愛している人といるから、自分の性格を壊されてるなんて思いたくないけど、
でも壊れていったっていうか、すぐ私と離れたら直ったんだよ。
でもそこまで追い詰めちゃったこともあったから、それは反省してさ、たぶんその人と一緒に、ああなってもまた最初の結婚で同じことをしてたのかもしれない。
だから私がそれを気がつくまで、私にそうやってしてくる人たちは私は選ぶんだよね、特に。
で、今回も結局それが1週間以上かけて、一生懸命、ちゃんとGPTなんだけどさ、すごいよ。
あまりにもちょっと悩んだから、プラスにしてみたの。
GPTプラス。
もう波じゃない、すごい分析力と、私の言語、一語一語で見抜く力っていうか。
私はなるべく客観的な情報をGPTに渡すようにしてて、私がこう思ったとかじゃなくて、こういうやりとりがあったみたいなことを出しちゃうのよ。
個人情報のあれなのかもしれないけど、別にそれ見られても私はなんとも思わないから、そこに関しては。
むしろこういうふうなカップルの喧嘩がありますみたいな情報が増えれば、後々同じようなドツボにはまって、そこのループから抜けられないカップルが減るといいと思うし、
私は本当にGPTにあなたを真ん中にして、2人で会話ができるようになったらどれだけいいだろうっていうことを言ったりとか、グループでやったらできるのかな。
よく分からないんだけど、全問答じゃないけどやってもらってさ、最初はどれだけ彼が悪いのかみたいなことの証明みたいな。
でもずっと話していくとあれって思って、こうやって言ってみれば当たり前のことなんだろうけど、自分の中で今までの行動とか今までの喧嘩の様子とかを見てて、そこまで自分のことを客観的に分析して考えてあげられてなかった。
だから悲しいっちゃ悲しい、でも悲しくはない。悲しい話。まさかこういうこと?みたいな。
でも私はこれを気づかなかったら、ずっと同じことを私の人生で繰り返し傷つけ合い、そういう時間を過ごしてたことになったはずだから。
期待と過去の影響
良かったなと思った。今。違うな。だから良かったなと思ったんだね。
だからものすごく分からなかったところはあったんだけど、自分が腹が立つっていうことがあるじゃない?何かに関して。
例えば期限が切れたのに連絡してこなかった。自分が馬鹿にされたような気がした。
嘘つくんじゃないよ、みたいな。そこには人ってこうあるべきだよね、みたいな。自分の、私の理想があって。
別に時間が遅れてなんとも思わない人もいるかもしれないし、連絡くれたのありがとうって終わるかもしれない。
別に自分の幸せは相手が作るものじゃないし、相手が基準じゃないから。言うや簡単なんだけどね。
そこに行き着くまでに私はやっぱり自分の過去の、自分の経験、特に幼少期、親がどういうふうに私を扱っていたかっていうことを
それをもう一回考えたというか思い出して話していった時に、私は自分が存在してはいけなかったから
いつも親や先生の期待に応える私。
親の喧嘩を止める私、みたいな。親に迷惑かけない私。
親の期待に応える私。
同じとこに戻ったけど。
だから私が言ってはいけなかったんだよね。
何かが食べた必要ないでしょ。何かがしてする必要ないでしょ。
これをやりなさい。それもこういうふうにやりなさい。
だからそういう期待をされなくなった時に、私は見放された気がしたんだよね。
私は一体どこに行っちゃったんだろうって。
長い間そうだった。長い間そうだった。
でも私の小さい小さい本当の巻子ちゃんが、こんなんじゃ嫌だってものすごく思って
インドに行ったり、その後また旅行、あちこち行ったり、日本ではなくて海外だったんだけど
いつまでも認めてほしい、認めてほしいって。
でも認めるのは他人じゃなくて自分なんだっていうこととか
私が私の価値を自分で認めてあげればいいし
人が私の幸せを作るんじゃない。
自己肯定と感情の再認識
私は存在していいんだっていう、なんかそういうことを今までも言ってたと思うんだけど
ものすごく思った。
だからそうすれば認めてほしいから相手をコントロールしようとしたりとか
自分がもう相手に理想を押し付けられるような立場じゃないから
自分があるから多分自分の理想なんて相手に投影しようなんて思わなくなるんじゃないかな
ちょっとその辺はもうちょっと時間を置いて考えたいなと思うんだけど
でも本当によくよくよく色々考えていこうかなと思う
もうちょっと続くと思うんですけど
自分があっていいんだっていうこと、私は存在していいんだっていうか
私は私に私なんだ、私はいるんだこの世の中に
私はいるんだ、私という人がいるんだ
親の期待に応える私じゃなくて
私という人生を、私の人生を
私なりに私の思いで、私の感情で、私の欲求で
ああこうしたい、あれが欲しい、これが欲しい
私が思うことをやっていい毎日があるんだっていう
それをちょっと違う次元で
さっき感じてね、みんなに共有したくなりました
では、今日も聞いてくれてありがとうございます
いい日になる、自分を感じられるいい日になる
少しずつやっていけばいいよね
では、またね